今の時代にあってワシの鈍感になった感情を呼び起こす画家がひとりいる。その人の名は
「フィンセント・ファン・ゴッホ」。彼は実に鋭く視覚的にとび込んでくる絵画を、既に1800年代に完成させていたことが好きになった理由だろうか? やや自慢になるがワシの初作は、花瓶の花を描いて賞を戴いたのだが、それぞれの人から「ゴッホみたい」とか言われたので、その時に彼のことが気になって隅から角まで勉強したことがあった。
今回、京都市立美術館に待望の
「ゴッホ展」がやってきた。「ひまわり」や「カフェテラス」や「晩年の自画像」などの有名どころが欠けていたが、まだまだ知らなかった部分も絵から感じ取れたとともに、諸説明からその絵に纏わる背景にあった「ゴッホ(以降フィンセントと記す)」の生活も感じ取れてしまう、ワシにとって至高の時間だった。
初期のフィンセントの絵には、写実主義からモダニスムへの転機があったようで、ありのままに表現するよりも色やタッチに重きをおいた絵へと試行錯誤しているのだ。そんなパリ時代以前の作品に、「鳥の巣」や「秋の夕暮れ」などの代表作があり、実にダイナミックなタッチで、絵の具の盛り方に立体感さえ感じられる荒々しいものだった。
その後、作品を売却しないと生活がままならない時期がやってきたフィンセントは、淡い絵の具遣いに拘った「石切り場の見えるモンマルトル」を描き上げ、雲の質感表現に開眼したと見え、グレーの空の中にも渦巻いたものが隠れていて「モンマルトルの小道」の繊細さが、今までと較べ妙にデリケートなタッチで、この時代に薄い塗り方で表現したようだ。
「花瓶」や「カーネーションを生けた花」などは、視覚的に見た写実派ではなく、グリグリと輪を描いたものが花であったり、荒々しい中にも、全体を通した見た目に纏まった構図を勝ち得ているので、むしろ花びらの形などは、今は必要ないと言いたげにグリグリで圧倒してる色彩重視の作品達でもあった。
ここまでの、古いタッチと新しいタッチの融合を感じたのは、「パイプをくわえた自画像」で、厚い絵の具のぬり方から、同じキャンパス内での薄い塗り方が融合しているのだ。これは何らかの転機を迎えているようで、同時期の「アブサンのグラス」は、水彩画の如く淡い色遣いと薄い絵の具の盛り方だが、ワシ自身はこう言う油絵は好まない。しかし「炎の人ゴッホ」とは親近感も覚えるではないか・・・・・。
「森の小道」や「セーヌ川岸」、「グレーのフェルト帽の自画像」は、絵の具のぬり方を線で重ね塗りしている。これは点で描く点描、線で描く線描などの影響からであり、これが晩年までのゴッホの技となりえた技法で、ここまで感じた薄い・濃い・盛っているなど、絵としての技の答えは一つではないと言いたげだ。
パリ時代以降は「耕された畑」や「あおむけの蟹」1886年2月からの二年間は、サンピエール広場の絵が多く、その辺りから見た「パリの屋根」は数知れず、色とりどりのカラフルな屋根より、むしろ空や雲の描き方で自分の感情を表現しているかのように、楽しい空模様もあれば、非常に哀しい空模様もあるのが見て取れる。
ここには画像がないが「麦畑」で飛び立つ野鳥を「ヤマウズラ」か「ヒバリ」かで論議を呼んだようだが、その低空の羽ばたき方と大きさから、ヤマウズラと断定されたようだ。ハッキリ言って「どちらでも良い」と言う意見がワシの見解だ。
ここで、
「フィンセント・ファン・ゴッホ」が数々の自画像を描いているのは誰でも知るところで、この時代は特にフェミニスト的な雰囲気だと思っていたが、あれは総て自画像ではなかったのだ。実はパリでは
弟の「テオ」と同居していて、よくよく見ると耳の形や髭の色が微妙に違うのが数点あるのだ。この髭の色の茶色い方が弟の「テオ」であったと判明し、フィンセントと大変よく似ていたということだ。自画像の局部的なパーツが違うことも、たくさんの自画像があるミステリーも、同時に解決した形となった。
気に入らない絵の上から重ねて描く事もあり、X線での検証の結果判ったようだ。そんな大切に使った素材だが、普通は布(キャンパス)・板・厚紙(カルトン)に描かれることが多いところ、フィンセントは板を半分に切ったものを多く用いていた。「海老とムール貝」の作品当時は、
オイリングアウトと言う技法(板にニスを塗り生乾きのうちに描く技)を用いたようで、おこがましいが、ワシが絵の具で描いたあと、教師の「油も使え」の一言で、後から油を塗りたくったのが、よく似たタッチとなったのだった。
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知っておきたい重要なことは、
「フィンセント・ファン・ゴッホ」と言う画家は、多くの方が思い描くような「無計画・衝動的・天才肌」ではない。彼の絵の下層部分には、肉眼で入念に見ても解らないほどの色彩豊かな細い線での下描きがあったようだ。これは「印象派」の画家達を模ってのもので、ち密なデッサンと色使いも計画のうえ、まるで設計者のような「努力家」であったことが判明したのが収獲であった。
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今回は「CANON一眼」と「CANON IXY」と「iPad」と「携帯」での撮影です。
絵はあくまでも書いている事を補足できるように、印刷物から複写しました。
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今年の鰤(ブリ)は、もうこれが最後のようだ。「刺身」と「カマの塩焼き」と「頭の塩焼き」と「切り身の照り焼き」のフルコースを楽しんだ。これはもう日本酒が一番。