お正月のマッタリした時間に思うことは、亡き父親への想いに浸ること‥‥‥財産などの引き継ぎは受けずに、親父の趣味である茶の道での愛用品
「赤膚焼き」と
「楽焼き」のみ相続し持ち帰ったが、資産としての価値はさほど無い。古風な想い出の品も、食器棚の最下段に陳列しておいたのだが、阪神大震災のときに、運悪くどうでも良い大ビア・ジョッキの落下で、今は三つの椀しか残っていない。
宇治茶の一番茶、とは言っても遥かに歴史のある「滋賀県の朝宮茶」であるが、形式ばらずに和菓子と共に戴くと風流なものだ。茶せんは奈良生駒の高山でこさえてもらったもので、これも名人技が光る逸品なのだが、年季の入り過ぎとなってきた。いちいちウンチクと共に
茶器の逸話とかを解説するのが、親父の唯一の趣味であったので、今でも偲んでは思い出すことにしている。
戦国時代に、二度まで信長に逆らった
「松永弾正久秀」は、斉藤道三・宇喜多直家と並び「戦国の三梟雄」と呼ばれた大名で、天下を狙った男でもある。一般に天下を狙ったと伝わる「伊達政宗」など、足元にも及ばない野望を持った武将だったのだ。松永公の茶器は、南蛮渡来の高価なものもあったが、信長に所有が移らないよう茶器と共に爆死した経緯がある。赤膚焼も影響を受けた茶人であったのだが、赤膚焼の開山は豊臣秀長となっている・・・と、まぁ~こんな具合だ。
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何とか自力で修理した「CANON IXY」と、「iPad-Air2」での撮影です。
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イイネ