もずの独り言・goo版

半蔵ともず、gooでも独り言です。『もずの独り言』はこれからも戦い続けます。

【みんな生きている】姜錫柱編

2015-08-12 07:04:50 | 日記
《北朝鮮外交の重鎮が体重20kg減?姜錫柱書記、病気の可能性》

【ソウル聯合ニュース】
先ごろ北朝鮮を訪問した元欧州議会議員のボルフガング・ノバク氏は7月20日、ソウルで韓国統一部の洪容杓(ホン・ヨンピョ)長官と会談し、北朝鮮の朝鮮労働党で国際部門を統括する姜錫柱(カン・ソクチュ)書記が病気のため体重が20kg近く減少したと明らかにした。
ノバク氏は

「姜氏の具合が非常に悪かったことに驚いた。彼は病院から出て我々を迎えた」

と説明。姜氏の体重が20kg近く減ったように見えたことに衝撃を受けたと述べた。
姜氏は7月14日、ノバク氏ら欧州の政治家の代表団と会談したとされる。また、北朝鮮の朝鮮中央通信は、姜氏ら北朝鮮代表団がキューバ訪問を終え7月2日に帰国したと報じていた。
韓国政府筋は姜氏の健康状態について

「最近の写真を見ると健康に異常がある可能性が大きい」

とした上で、

「ただ、最近キューバを訪問したことなどから、業務は正常に行っていると推測される」

との見方を示した。



《参考・全巨里教化所》

【脱北者が証言する北朝鮮教化所での「狂気の沙汰」(2011年)】

「遺体から流れた血や体液でぐちゃぐちゃになった床を歩いたことがあるだろうか?私は毎日がそうだった。遺体を食べて丸まると太ったネズミを見たことがあるだろうか?私はそれを毎日見かけていた」
脱北者のイ・スボクさん(55歳)は北朝鮮北東部の咸鏡北道会寧市にある全巨里(チョンゴリ)教化所に収監されていた当時、遺体の処理を担当していた。教化所は刑務所に相当する施設で、政治犯や経済犯が収容されているとされる。
イさんは

「教化所では遺体を50体~60体ずつ積み上げていた。これほどの地獄は他に無い」

と当時の残酷な光景を思い起こした。
イさんは1990年半ばに先に脱北した異母兄弟から生活資金の支援を受けていたことが保衛部に発覚、「スパイだ」として拷問を受けて教化所に連れて行かれた。
イさんは「密輸犯」として1999年6月~2001年1月まで服役した。その後、北朝鮮で外貨稼ぎをしていたところ「反動」扱いされ、昨年8月に脱北して韓国に渡った。
イさんは

「1年6ヶ月の服役期間に教化所で850人の遺体を処理した」

と証言した。
当時、全巨里教化所には最大約1,200人が収容されていた。イさんが担当していた遺体保管所は3m四方で、床はセメントだった。また、収容者は栄養状態が極度に悪く、病気になっても治療を受けられないまま重労働をさせられていた。

「年齢や性別を問わず、ほぼ毎日麻袋やビニール袋に入った遺体1、2体が運ばれて来た」

遺体は保管所に積み上げて置き、1ヶ月に1回ほど火葬場にトラックで運んで処理されていた。
イさんは

「遺体をすぐに火葬せずに積み上げるのは、遺体を運ぶトラックの燃料が足りないためだ」

と説明した。
イさんは6月21日、こうした北朝鮮の人権侵害状況を韓国国家人権委員会北韓人権センターに届け出た。6月22日で設置から100日目を迎えた同センターには23件、申し立て人数計718人の届け出が寄せられた。
イさんは

「遺体を食べるネズミの姿が今でも忘れられない。体が30cmにも達するネズミもいて、丸まると太っていた。積み上げられた遺体はネズミやウジ虫に食べられて軽くなるほどだ」

と語った。
教化所内部でも遺体保管室は秘密施設だったという。教化所の病院に隣り合う遺体保管室の横では常に武装した軍人が警備にあたっており、一般の収容者は中を覗き見ることが出来なかった。
教化所で人の死は日常の出来事だったという。
イさんは

「腹が減ったまま働いて倒れたり、山で毒草を食べて死んだりするケースも多かった。拷問を受けたり、殴り殺されたりする例も頻繁にあった」

と語った。
収容者が死んでいくことは全く問題視されなかったという。
イさんは

「教化所の収容者は『どうせ反動分子だ』と思われていたため、収容者が死ぬことを気にかける人はいなかった」

と話した。

【反動、反動分子】
北朝鮮では反体制のことを反動と呼ぶ。また、反体制者のことを反動分子と呼ぶ。
ちなみに、日本人は「日本反動分子」。

※「親北勢力は胸に手を当てて考えて欲しい。もし、あなたの子供たちが食べ物に飢えて栄養失調になり、骨だけの痩せ細った体で勉強を諦め、市場のゴミ捨て場を漁っていたら、どんな気持ちになるだろうか。そうせざるを得ない社会に憧れを持つことなど出来るだろうか」
(脱北者Aさん。脱北者手記集より)



【拉致事件、捜査の現状】
北朝鮮による拉致事件を巡り、日本の警察はこれまで実行犯や指示役として北朝鮮の元工作員たち合わせて11人を国際手配しています。
拉致には金正日(キム・ジョンイル)総書記が掌握していた対外情報調査部と呼ばれる工作機関が組織的に関わっていた疑いが強いと見て捜査を続けています。
このうち、福井県の地村保志さん・富貴恵さん夫妻を拉致した実行犯として元工作員の辛光洙(シン・グァンス)容疑者が手配されています。
また、大阪府の原 敕晁さんが拉致された事件では、辛容疑者とともに金吉旭(キム・キルウク)容疑者も共犯者として手配されています。
この他、東京都の久米 裕さん拉致事件では金世鎬(キム・セホ)容疑者が、新潟県の曽我ひとみさん拉致事件にはキム・ミョンスク容疑者がそれぞれ関わったとして手配されています。
北海道出身の渡辺秀子さんの子供2人の拉致事件では、工作員グループのリーダー格で北朝鮮にいると見られる洪寿恵(ホン・スヘ)こと木下陽子容疑者が手配されています。
新潟県の蓮池 薫さん・祐木子さん夫妻の拉致事件ではチェ・スンチョル容疑者が実行犯として手配されている他、金総書記が掌握していた対外報調査部と呼ばれる北朝鮮の工作機関の幹部であるハン・クムニョン容疑者とキム・ナンジン容疑者が拉致の実行を指示したとして手配されています。
ハン容疑者たちは工作機関で「指導員」と呼ばれる立場で、辛光洙容疑者たちもこの組織の一員だったことがわかっており、警察は北朝鮮が組織的に拉致を実行した疑いが強いと見て捜査を続けています。
よど号ハイジャック事件のメンバーたちも1980年代にヨーロッパで相次いだ3人の日本人拉致に関わった疑いで国際手配されています。
このうち、有本恵子さん拉致事件では魚本公博(安部公博)容疑者が、石岡 亨さんと松木 薫さん拉致事件ではよど号メンバーの妻の森 順子・若林佐喜子両容疑者がそれぞれ手配されています。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【みんな生きている】ジョン・カービー編

2015-08-12 06:48:57 | 日記
《アメリカ国務省「北朝鮮を核保有国として認めない」》

【ワシントン聯合ニュース】
アメリカ国務省のジョン・カービー(John Kirby)報道官は7月21日(現地時間)の定例会見で、北朝鮮外務省が論評で自らを核保有国と称し、核兵器を放棄しないと主張したことについて、

「北朝鮮が核保有国になろうとしている事実は認めるが、核保有国として受け入れはしない」

との立場を明らかにした。
カービー報道官はアメリカが北朝鮮を核保有国と認めているかについて、

「我々は北朝鮮がそのような(核保有国として認められる)方向で持続的に推進しているということは確認しており、(北朝鮮に対し)朝鮮半島に及ぼす脅威や危険、コストについて警告を続けている」

と説明した。
また、

「我々は(北朝鮮が核保有国として認定されることを求めている)事実は認めるが、それは北朝鮮を核保有国として受け入れるという意味ではない」

と強調した。
北朝鮮の外務省報道官は先ごろ、イラン核協議が最終合意したことを北朝鮮核問題の進展につなげようとするアメリカに対し不快感を示し、「一方的に先に核を凍結したり放棄したりすることを論じる対話には全く関心がない」と強調した。
また、「我々は名実共に核保有国であり核保有国には核保有国としての利害関係がある」と主張した。
カービー報道官は北朝鮮との対話の可能性については

「我々は北朝鮮と真実性があり、信頼できる交渉につながることができる対話を希望している」

とした上で、

「その交渉は北朝鮮の核プログラム全体に対し、非核化に向けた具体的で不可逆的な措置に結びつくもの」

と説明した。
また、

「北朝鮮は自分に向けられたボールをまだ取っていない」

とした上で、北朝鮮が非核化に関し、意味ある先行措置を取るよう求めた。
さらに、北朝鮮との2国間会談の計画はないとした上で、

「6カ国協議再開と関連し、ボールは北朝鮮に渡されている」

とコメントした。



《参考・全巨里教化所》

【脱北者が証言する北朝鮮教化所での「狂気の沙汰」(2011年)】

「遺体から流れた血や体液でぐちゃぐちゃになった床を歩いたことがあるだろうか?私は毎日がそうだった。遺体を食べて丸まると太ったネズミを見たことがあるだろうか?私はそれを毎日見かけていた」
脱北者のイ・スボクさん(55歳)は北朝鮮北東部の咸鏡北道会寧市にある全巨里(チョンゴリ)教化所に収監されていた当時、遺体の処理を担当していた。教化所は刑務所に相当する施設で、政治犯や経済犯が収容されているとされる。
イさんは

「教化所では遺体を50体~60体ずつ積み上げていた。これほどの地獄は他に無い」

と当時の残酷な光景を思い起こした。
イさんは1990年半ばに先に脱北した異母兄弟から生活資金の支援を受けていたことが保衛部に発覚、「スパイだ」として拷問を受けて教化所に連れて行かれた。
イさんは「密輸犯」として1999年6月~2001年1月まで服役した。その後、北朝鮮で外貨稼ぎをしていたところ「反動」扱いされ、昨年8月に脱北して韓国に渡った。
イさんは

「1年6ヶ月の服役期間に教化所で850人の遺体を処理した」

と証言した。
当時、全巨里教化所には最大約1,200人が収容されていた。イさんが担当していた遺体保管所は3m四方で、床はセメントだった。また、収容者は栄養状態が極度に悪く、病気になっても治療を受けられないまま重労働をさせられていた。

「年齢や性別を問わず、ほぼ毎日麻袋やビニール袋に入った遺体1、2体が運ばれて来た」

遺体は保管所に積み上げて置き、1ヶ月に1回ほど火葬場にトラックで運んで処理されていた。
イさんは

「遺体をすぐに火葬せずに積み上げるのは、遺体を運ぶトラックの燃料が足りないためだ」

と説明した。
イさんは6月21日、こうした北朝鮮の人権侵害状況を韓国国家人権委員会北韓人権センターに届け出た。6月22日で設置から100日目を迎えた同センターには23件、申し立て人数計718人の届け出が寄せられた。
イさんは

「遺体を食べるネズミの姿が今でも忘れられない。体が30cmにも達するネズミもいて、丸まると太っていた。積み上げられた遺体はネズミやウジ虫に食べられて軽くなるほどだ」

と語った。
教化所内部でも遺体保管室は秘密施設だったという。教化所の病院に隣り合う遺体保管室の横では常に武装した軍人が警備にあたっており、一般の収容者は中を覗き見ることが出来なかった。
教化所で人の死は日常の出来事だったという。
イさんは

「腹が減ったまま働いて倒れたり、山で毒草を食べて死んだりするケースも多かった。拷問を受けたり、殴り殺されたりする例も頻繁にあった」

と語った。
収容者が死んでいくことは全く問題視されなかったという。
イさんは

「教化所の収容者は『どうせ反動分子だ』と思われていたため、収容者が死ぬことを気にかける人はいなかった」

と話した。

【反動、反動分子】
北朝鮮では反体制のことを反動と呼ぶ。また、反体制者のことを反動分子と呼ぶ。
ちなみに、日本人は「日本反動分子」。

※「親北勢力は胸に手を当てて考えて欲しい。もし、あなたの子供たちが食べ物に飢えて栄養失調になり、骨だけの痩せ細った体で勉強を諦め、市場のゴミ捨て場を漁っていたら、どんな気持ちになるだろうか。そうせざるを得ない社会に憧れを持つことなど出来るだろうか」
(脱北者Aさん。脱北者手記集より)



【拉致事件、捜査の現状】
北朝鮮による拉致事件を巡り、日本の警察はこれまで実行犯や指示役として北朝鮮の元工作員たち合わせて11人を国際手配しています。
拉致には金正日(キム・ジョンイル)総書記が掌握していた対外情報調査部と呼ばれる工作機関が組織的に関わっていた疑いが強いと見て捜査を続けています。
このうち、福井県の地村保志さん・富貴恵さん夫妻を拉致した実行犯として元工作員の辛光洙(シン・グァンス)容疑者が手配されています。
また、大阪府の原 敕晁さんが拉致された事件では、辛容疑者とともに金吉旭(キム・キルウク)容疑者も共犯者として手配されています。
この他、東京都の久米 裕さん拉致事件では金世鎬(キム・セホ)容疑者が、新潟県の曽我ひとみさん拉致事件にはキム・ミョンスク容疑者がそれぞれ関わったとして手配されています。
北海道出身の渡辺秀子さんの子供2人の拉致事件では、工作員グループのリーダー格で北朝鮮にいると見られる洪寿恵(ホン・スヘ)こと木下陽子容疑者が手配されています。
新潟県の蓮池 薫さん・祐木子さん夫妻の拉致事件ではチェ・スンチョル容疑者が実行犯として手配されている他、金総書記が掌握していた対外報調査部と呼ばれる北朝鮮の工作機関の幹部であるハン・クムニョン容疑者とキム・ナンジン容疑者が拉致の実行を指示したとして手配されています。
ハン容疑者たちは工作機関で「指導員」と呼ばれる立場で、辛光洙容疑者たちもこの組織の一員だったことがわかっており、警察は北朝鮮が組織的に拉致を実行した疑いが強いと見て捜査を続けています。
よど号ハイジャック事件のメンバーたちも1980年代にヨーロッパで相次いだ3人の日本人拉致に関わった疑いで国際手配されています。
このうち、有本恵子さん拉致事件では魚本公博(安部公博)容疑者が、石岡 亨さんと松木 薫さん拉致事件ではよど号メンバーの妻の森 順子・若林佐喜子両容疑者がそれぞれ手配されています。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【みんな生きている】金己男編

2015-08-12 06:45:01 | 日記
《北朝鮮・宣伝担当幹部、処罰後に業務復帰か》

【ソウル聯合ニュース】
「北朝鮮のゲッベルス」の異名を持つ金己男(キム・ギナム)朝鮮労働党書記(宣伝担当)が公の場から一時姿を消していたが、金正恩(キム・ジョンウン)第1書記の公開活動に同行し、注目を集めている。
北朝鮮・朝鮮中央通信は7月23日、金第1書記が反米教育の拠点ともいえる黄海南道・信川博物館の新築現場を視察したことを報じながら、金己男氏の同行を伝えた。
金氏は1966年に党宣伝扇動部副部長となり、党機関紙『労働新聞』の責任主筆、1990年代には宣伝扇動部部長、宣伝担当書記を務め、故金日成(キム・イルソン)主席、故金正日(キム・ジョンイル)総書記、金第1書記への三代世襲の正当性確保と偶像化に貢献した実力者だ。
昨年11月に金第1書記が同博物館を視察した際も同行したが、今年4月8日に開かれた金総書記の国防委員長推挙22周年中央報告大会を最後に3カ月以上にわたり公の場に現れなかった。
主要行事に欠席したのはもちろん、4月9日の最高人民会議(国会に相当)第13期3次会議では、中核的な党書記であるにもかかわらず、最前列ではなく傍聴席の3列目に座るという屈辱を味わった。
その後、金第1書記の視察や主要行事での幹部名簿から金氏の名前が見られなくなり、代わりにリ・ジェイル宣伝扇動部第1副部長が宣伝業務を総括した。
そのため、金氏が退き、金第1書記の妹・与正(ヨジョン)氏を中心に宣伝扇動部が再編されたという見方が支配的となり、韓国の情報当局も金氏が引退したとみていた。
このほど金氏が再び金第1書記の公開活動に同行したため、党書記兼部長の肩書きは維持しているようだが、地位には変化があったのではないかという憶測が広がっている。
金氏が公の場から姿を消したのは、業務上のミスによる業務中断という「革命化(処罰)」の過程だったとの見方だ。北朝鮮では幹部が業務でミスをした場合、一定期間の業務中断や左遷などの「革命化過程」を踏むのが一般的であるためだ。
また、80代の金氏が病気の治療を受けていたとの見方もある。
いずれにせよ、金氏が党書記の肩書きは維持していても、以前のような中核的役割を果たしてはいないようだ。
ソウル大統一平和研究院の張容碩(チャン・ヨンソク)上級研究員は

「北の三代にわたる世襲体制の宣伝扇動に献身してきた金氏を簡単に追い出すことはできないだろう。高齢で持病もあるため世代交代を念頭に置いて業務を遂行しているとみられる」

と説明した。



《参考・全巨里教化所》

【脱北者が証言する北朝鮮教化所での「狂気の沙汰」(2011年)】

「遺体から流れた血や体液でぐちゃぐちゃになった床を歩いたことがあるだろうか?私は毎日がそうだった。遺体を食べて丸まると太ったネズミを見たことがあるだろうか?私はそれを毎日見かけていた」
脱北者のイ・スボクさん(55歳)は北朝鮮北東部の咸鏡北道会寧市にある全巨里(チョンゴリ)教化所に収監されていた当時、遺体の処理を担当していた。教化所は刑務所に相当する施設で、政治犯や経済犯が収容されているとされる。
イさんは

「教化所では遺体を50体~60体ずつ積み上げていた。これほどの地獄は他に無い」

と当時の残酷な光景を思い起こした。
イさんは1990年半ばに先に脱北した異母兄弟から生活資金の支援を受けていたことが保衛部に発覚、「スパイだ」として拷問を受けて教化所に連れて行かれた。
イさんは「密輸犯」として1999年6月~2001年1月まで服役した。その後、北朝鮮で外貨稼ぎをしていたところ「反動」扱いされ、昨年8月に脱北して韓国に渡った。
イさんは

「1年6ヶ月の服役期間に教化所で850人の遺体を処理した」

と証言した。
当時、全巨里教化所には最大約1,200人が収容されていた。イさんが担当していた遺体保管所は3m四方で、床はセメントだった。また、収容者は栄養状態が極度に悪く、病気になっても治療を受けられないまま重労働をさせられていた。

「年齢や性別を問わず、ほぼ毎日麻袋やビニール袋に入った遺体1、2体が運ばれて来た」

遺体は保管所に積み上げて置き、1ヶ月に1回ほど火葬場にトラックで運んで処理されていた。
イさんは

「遺体をすぐに火葬せずに積み上げるのは、遺体を運ぶトラックの燃料が足りないためだ」

と説明した。
イさんは6月21日、こうした北朝鮮の人権侵害状況を韓国国家人権委員会北韓人権センターに届け出た。6月22日で設置から100日目を迎えた同センターには23件、申し立て人数計718人の届け出が寄せられた。
イさんは

「遺体を食べるネズミの姿が今でも忘れられない。体が30cmにも達するネズミもいて、丸まると太っていた。積み上げられた遺体はネズミやウジ虫に食べられて軽くなるほどだ」

と語った。
教化所内部でも遺体保管室は秘密施設だったという。教化所の病院に隣り合う遺体保管室の横では常に武装した軍人が警備にあたっており、一般の収容者は中を覗き見ることが出来なかった。
教化所で人の死は日常の出来事だったという。
イさんは

「腹が減ったまま働いて倒れたり、山で毒草を食べて死んだりするケースも多かった。拷問を受けたり、殴り殺されたりする例も頻繁にあった」

と語った。
収容者が死んでいくことは全く問題視されなかったという。
イさんは

「教化所の収容者は『どうせ反動分子だ』と思われていたため、収容者が死ぬことを気にかける人はいなかった」

と話した。

【反動、反動分子】
北朝鮮では反体制のことを反動と呼ぶ。また、反体制者のことを反動分子と呼ぶ。
ちなみに、日本人は「日本反動分子」。

※「親北勢力は胸に手を当てて考えて欲しい。もし、あなたの子供たちが食べ物に飢えて栄養失調になり、骨だけの痩せ細った体で勉強を諦め、市場のゴミ捨て場を漁っていたら、どんな気持ちになるだろうか。そうせざるを得ない社会に憧れを持つことなど出来るだろうか」
(脱北者Aさん。脱北者手記集より)



【拉致事件、捜査の現状】
北朝鮮による拉致事件を巡り、日本の警察はこれまで実行犯や指示役として北朝鮮の元工作員たち合わせて11人を国際手配しています。
拉致には金正日(キム・ジョンイル)総書記が掌握していた対外情報調査部と呼ばれる工作機関が組織的に関わっていた疑いが強いと見て捜査を続けています。
このうち、福井県の地村保志さん・富貴恵さん夫妻を拉致した実行犯として元工作員の辛光洙(シン・グァンス)容疑者が手配されています。
また、大阪府の原 敕晁さんが拉致された事件では、辛容疑者とともに金吉旭(キム・キルウク)容疑者も共犯者として手配されています。
この他、東京都の久米 裕さん拉致事件では金世鎬(キム・セホ)容疑者が、新潟県の曽我ひとみさん拉致事件にはキム・ミョンスク容疑者がそれぞれ関わったとして手配されています。
北海道出身の渡辺秀子さんの子供2人の拉致事件では、工作員グループのリーダー格で北朝鮮にいると見られる洪寿恵(ホン・スヘ)こと木下陽子容疑者が手配されています。
新潟県の蓮池 薫さん・祐木子さん夫妻の拉致事件ではチェ・スンチョル容疑者が実行犯として手配されている他、金総書記が掌握していた対外報調査部と呼ばれる北朝鮮の工作機関の幹部であるハン・クムニョン容疑者とキム・ナンジン容疑者が拉致の実行を指示したとして手配されています。
ハン容疑者たちは工作機関で「指導員」と呼ばれる立場で、辛光洙容疑者たちもこの組織の一員だったことがわかっており、警察は北朝鮮が組織的に拉致を実行した疑いが強いと見て捜査を続けています。
よど号ハイジャック事件のメンバーたちも1980年代にヨーロッパで相次いだ3人の日本人拉致に関わった疑いで国際手配されています。
このうち、有本恵子さん拉致事件では魚本公博(安部公博)容疑者が、石岡 亨さんと松木 薫さん拉致事件ではよど号メンバーの妻の森 順子・若林佐喜子両容疑者がそれぞれ手配されています。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【みんな生きている】脱北者自叙伝編

2015-08-12 06:34:30 | 日記
《「子どもに祖国を」脱北老母の執念。84歳で自叙伝を出した脱北者のカン・スンギョさん》

【朝鮮日報】
脱北者出身のカン・スンギョさん(84歳)が最近、自叙伝『母の名で絶望の国境を越える』(幸福出版社)を出した。80代という高齢の脱北者が韓国で自叙伝を出すのは、これが初めて。慶尚北道奉花郡法田里生まれのカンさんは、韓国で14年の幼年期を送った後、若者時代の12年を満州で過ごした。その後およそ40年を北朝鮮で過ごしたが、晩年に脱北し、故郷へと戻ってきた。
カンさんは

「サケが、それまで自分が暮らしていた海を出て手ごわい川の流れをさかのぼり、生まれた場所で子を産んで死を迎えるように、どうにか故郷に戻ってきた」

と語った。自叙伝には、カンさんの数奇な人生の物語が納められている。
2006年に75歳という年齢で韓国入りしたカンさんは、自分の身辺保護を担当する利川警察署保安係のキム・スンギ警衛(警部に相当)に

「自分の人生はあまりにも数奇なので本として出したい」

と頼み、キム警衛や利川保安協力委員会の支援で今回の自叙伝出版に至った。
奉花で暮らしていたカンさんは、14歳だった1944年、従軍慰安婦として連れて行かれないよう両親と共に満州へ渡った。1945年に解放が訪れたが、故郷に戻ることはできず、満州にとどまっていたところ中国共産党の八路軍に徴集され、国共内戦の期間中は看護兵として服務した。6・25戦争(朝鮮戦争)時には中国人民志願軍の一員として北朝鮮に派遣され、中共軍や北朝鮮軍はもちろん、捕虜になった韓国軍も治療したという。
1954年に中国軍を除隊したカンさんは、中国で韓国出身の男性と出会い、結婚した。カンさんは、30歳になった1962年、両親の面倒を見るため帰郷しようとしたが、韓・中間に外交関係がないため不可能だった。そのため、統一されるまでひとまず北朝鮮で暮らすと決め、元山に定着した。
カンさんは看護師として働いたが、慶尚南道統営出身の夫は出身成分の問題できちんとした仕事に就くことができなかった。子どもたちも、勉強がよくできたが、父親が韓国出身だという理由で大学に進学できず、ひどい差別を受けたという。夫は1970年代に病死した。
カンさんは毎月、北朝鮮の通貨で60ウォンと600gの食べ物を受け取ったが、他の家族はきちんと配給を受けられなかった。

「家族を食べさせようと、毎日山の中を探しまわり、ミシマサイコ、センキュウ、カンゾウ、ビャクジュツ、オウレンといった薬草を採って売り、命をつないだ。配給すらも1986年の大洪水の後は徐々に減っていき、1994年には完全に中断した」。

カンさんは

「中国に行けば、イヌもブタも白米も食べられる」

という話を聞き、国境を越えて脱北した。しかし2002年、中国の公安に捕まり、北朝鮮へ送還された。教化所にいるとき、次男が餓死したというニュースを聞いた。教化所を出た後、末の娘を連れて再び脱北した。現在は、二男三女のうち、北朝鮮で命を落とした次男を除く一男三女がそろって韓国にいる。
カンさんは

「母という名で、子どもたちのために命をかけて何度も国境を越え、ついに息子・娘に『祖国』をプレゼントできた」

と語った。
カンさんは、実の親の面倒をみるように自分の面倒をみてくれるキム・スンギ警衛を養子にした。
キム警衛は

「この本には、北朝鮮離脱住民がどのように生きていくべきかに関するメッセージと、韓国国民がこの人々とどのように向き合えばよいのかに関するメッセージが、共に込められている」

と語った。



《参考・全巨里教化所》

【脱北者が証言する北朝鮮教化所での「狂気の沙汰」(2011年)】

「遺体から流れた血や体液でぐちゃぐちゃになった床を歩いたことがあるだろうか?私は毎日がそうだった。遺体を食べて丸まると太ったネズミを見たことがあるだろうか?私はそれを毎日見かけていた」
脱北者のイ・スボクさん(55歳)は北朝鮮北東部の咸鏡北道会寧市にある全巨里(チョンゴリ)教化所に収監されていた当時、遺体の処理を担当していた。教化所は刑務所に相当する施設で、政治犯や経済犯が収容されているとされる。
イさんは

「教化所では遺体を50体~60体ずつ積み上げていた。これほどの地獄は他に無い」

と当時の残酷な光景を思い起こした。
イさんは1990年半ばに先に脱北した異母兄弟から生活資金の支援を受けていたことが保衛部に発覚、「スパイだ」として拷問を受けて教化所に連れて行かれた。
イさんは「密輸犯」として1999年6月~2001年1月まで服役した。その後、北朝鮮で外貨稼ぎをしていたところ「反動」扱いされ、昨年8月に脱北して韓国に渡った。
イさんは

「1年6ヶ月の服役期間に教化所で850人の遺体を処理した」

と証言した。
当時、全巨里教化所には最大約1,200人が収容されていた。イさんが担当していた遺体保管所は3m四方で、床はセメントだった。また、収容者は栄養状態が極度に悪く、病気になっても治療を受けられないまま重労働をさせられていた。

「年齢や性別を問わず、ほぼ毎日麻袋やビニール袋に入った遺体1、2体が運ばれて来た」

遺体は保管所に積み上げて置き、1ヶ月に1回ほど火葬場にトラックで運んで処理されていた。
イさんは

「遺体をすぐに火葬せずに積み上げるのは、遺体を運ぶトラックの燃料が足りないためだ」

と説明した。
イさんは6月21日、こうした北朝鮮の人権侵害状況を韓国国家人権委員会北韓人権センターに届け出た。6月22日で設置から100日目を迎えた同センターには23件、申し立て人数計718人の届け出が寄せられた。
イさんは

「遺体を食べるネズミの姿が今でも忘れられない。体が30cmにも達するネズミもいて、丸まると太っていた。積み上げられた遺体はネズミやウジ虫に食べられて軽くなるほどだ」

と語った。
教化所内部でも遺体保管室は秘密施設だったという。教化所の病院に隣り合う遺体保管室の横では常に武装した軍人が警備にあたっており、一般の収容者は中を覗き見ることが出来なかった。
教化所で人の死は日常の出来事だったという。
イさんは

「腹が減ったまま働いて倒れたり、山で毒草を食べて死んだりするケースも多かった。拷問を受けたり、殴り殺されたりする例も頻繁にあった」

と語った。
収容者が死んでいくことは全く問題視されなかったという。
イさんは

「教化所の収容者は『どうせ反動分子だ』と思われていたため、収容者が死ぬことを気にかける人はいなかった」

と話した。

【反動、反動分子】
北朝鮮では反体制のことを反動と呼ぶ。また、反体制者のことを反動分子と呼ぶ。
ちなみに、日本人は「日本反動分子」。

※「親北勢力は胸に手を当てて考えて欲しい。もし、あなたの子供たちが食べ物に飢えて栄養失調になり、骨だけの痩せ細った体で勉強を諦め、市場のゴミ捨て場を漁っていたら、どんな気持ちになるだろうか。そうせざるを得ない社会に憧れを持つことなど出来るだろうか」
(脱北者Aさん。脱北者手記集より)



【拉致事件、捜査の現状】
北朝鮮による拉致事件を巡り、日本の警察はこれまで実行犯や指示役として北朝鮮の元工作員たち合わせて11人を国際手配しています。
拉致には金正日(キム・ジョンイル)総書記が掌握していた対外情報調査部と呼ばれる工作機関が組織的に関わっていた疑いが強いと見て捜査を続けています。
このうち、福井県の地村保志さん・富貴恵さん夫妻を拉致した実行犯として元工作員の辛光洙(シン・グァンス)容疑者が手配されています。
また、大阪府の原 敕晁さんが拉致された事件では、辛容疑者とともに金吉旭(キム・キルウク)容疑者も共犯者として手配されています。
この他、東京都の久米 裕さん拉致事件では金世鎬(キム・セホ)容疑者が、新潟県の曽我ひとみさん拉致事件にはキム・ミョンスク容疑者がそれぞれ関わったとして手配されています。
北海道出身の渡辺秀子さんの子供2人の拉致事件では、工作員グループのリーダー格で北朝鮮にいると見られる洪寿恵(ホン・スヘ)こと木下陽子容疑者が手配されています。
新潟県の蓮池 薫さん・祐木子さん夫妻の拉致事件ではチェ・スンチョル容疑者が実行犯として手配されている他、金総書記が掌握していた対外報調査部と呼ばれる北朝鮮の工作機関の幹部であるハン・クムニョン容疑者とキム・ナンジン容疑者が拉致の実行を指示したとして手配されています。
ハン容疑者たちは工作機関で「指導員」と呼ばれる立場で、辛光洙容疑者たちもこの組織の一員だったことがわかっており、警察は北朝鮮が組織的に拉致を実行した疑いが強いと見て捜査を続けています。
よど号ハイジャック事件のメンバーたちも1980年代にヨーロッパで相次いだ3人の日本人拉致に関わった疑いで国際手配されています。
このうち、有本恵子さん拉致事件では魚本公博(安部公博)容疑者が、石岡 亨さんと松木 薫さん拉致事件ではよど号メンバーの妻の森 順子・若林佐喜子両容疑者がそれぞれ手配されています。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【みんな生きている】DMZ地雷埋設編

2015-08-12 06:30:22 | 日記
《韓国側非武装地帯の爆発 北朝鮮が地雷埋設=韓国軍》

【ソウル聯合ニュース】
韓国の非武装地帯(DMZ)内で8月4日に爆発が起き、韓国軍の将兵2人が大けがを負った事故で、韓国国防部は8月10日、爆発物の残骸が北朝鮮の対人地雷と一致したとする調査結果を発表した。
国防部の合同調査団は6~7日に現場で調査を行った。
事故現場は北朝鮮のDMZ見張り所の南930m、南北軍事境界線(MDL)の南440mで、韓国軍の最前線の見張り所からは北に2kmの地点となる。
4日午前7時35分に韓国軍の下士が韓国側DMZ見張り所近くの鉄柵の通用門を通ろうとしたところ、門の北側40cmの地点で最初の爆発が起き、下士の右足がひざ上から、左足はひざ下から切断された。続いて7時40分、別の下士が負傷者を門の外側に引っ張り出そうとしたところ、門の南側25センチの地点で2回目の爆発があり、この下士は右足首が切断された。
合同調査団は現場から回収した爆発物の残骸を分析し、マツの木でつくられた箱に爆薬と起爆装置を入れた北朝鮮の対人地雷の一種と判断した。殺傷半径は最大2mとされる。
調査団の団長を務めた准将は

「我々の作戦兵力を害する目的で敵が意図的に地雷を埋めたのは確実だ」

と述べた。
このほどの豪雨で地雷が流されてきた可能性も指摘されていたが、同准将はその可能性は薄いとした。現場は韓国側のほうが高く北朝鮮側が低い地形で、爆発物の残骸の鉄材や木箱の破片には腐食の跡がなく、強い松脂の臭いがしたことから、最近埋設されたものとの見方を示した。
北朝鮮軍の見張り所の兵が7月25日に交代しており、その翌日から8月1日までの間に埋設されたと韓国軍は推定している。
DMZで北朝鮮軍が埋設した地雷による事故は1966~1967年に6件あったが、今回は48年ぶりの発生となった。国連軍司令部の軍事休戦委員会もこれを深刻な休戦違反と見なしている。
北朝鮮の地雷埋設の意図について、韓国の市民団体が北朝鮮の体制を批判するビラを散布していることに対する報復、あるいは今月実施される韓・米合同軍事演習「乙支フリーダムガーディアン」(UFG)の正常な実施を妨害するものとの見方が出ている。
韓国軍合同参謀本部は各軍の作戦司令部に備えを強化するよう指示し、DMZの他の通用門や作戦道路に地雷が埋設された可能性もあるとして注意させているようだ。
一方、北朝鮮がDMZ内に地雷を埋設する動きは昨年末からとらえられていたにもかかわらず、韓国軍の備えが十分でなかったのではないかという指摘もある。



《参考・全巨里教化所》

【脱北者が証言する北朝鮮教化所での「狂気の沙汰」(2011年)】

「遺体から流れた血や体液でぐちゃぐちゃになった床を歩いたことがあるだろうか?私は毎日がそうだった。遺体を食べて丸まると太ったネズミを見たことがあるだろうか?私はそれを毎日見かけていた」
脱北者のイ・スボクさん(55歳)は北朝鮮北東部の咸鏡北道会寧市にある全巨里(チョンゴリ)教化所に収監されていた当時、遺体の処理を担当していた。教化所は刑務所に相当する施設で、政治犯や経済犯が収容されているとされる。
イさんは

「教化所では遺体を50体~60体ずつ積み上げていた。これほどの地獄は他に無い」

と当時の残酷な光景を思い起こした。
イさんは1990年半ばに先に脱北した異母兄弟から生活資金の支援を受けていたことが保衛部に発覚、「スパイだ」として拷問を受けて教化所に連れて行かれた。
イさんは「密輸犯」として1999年6月~2001年1月まで服役した。その後、北朝鮮で外貨稼ぎをしていたところ「反動」扱いされ、昨年8月に脱北して韓国に渡った。
イさんは

「1年6ヶ月の服役期間に教化所で850人の遺体を処理した」

と証言した。
当時、全巨里教化所には最大約1,200人が収容されていた。イさんが担当していた遺体保管所は3m四方で、床はセメントだった。また、収容者は栄養状態が極度に悪く、病気になっても治療を受けられないまま重労働をさせられていた。

「年齢や性別を問わず、ほぼ毎日麻袋やビニール袋に入った遺体1、2体が運ばれて来た」

遺体は保管所に積み上げて置き、1ヶ月に1回ほど火葬場にトラックで運んで処理されていた。
イさんは

「遺体をすぐに火葬せずに積み上げるのは、遺体を運ぶトラックの燃料が足りないためだ」

と説明した。
イさんは6月21日、こうした北朝鮮の人権侵害状況を韓国国家人権委員会北韓人権センターに届け出た。6月22日で設置から100日目を迎えた同センターには23件、申し立て人数計718人の届け出が寄せられた。
イさんは

「遺体を食べるネズミの姿が今でも忘れられない。体が30cmにも達するネズミもいて、丸まると太っていた。積み上げられた遺体はネズミやウジ虫に食べられて軽くなるほどだ」

と語った。
教化所内部でも遺体保管室は秘密施設だったという。教化所の病院に隣り合う遺体保管室の横では常に武装した軍人が警備にあたっており、一般の収容者は中を覗き見ることが出来なかった。
教化所で人の死は日常の出来事だったという。
イさんは

「腹が減ったまま働いて倒れたり、山で毒草を食べて死んだりするケースも多かった。拷問を受けたり、殴り殺されたりする例も頻繁にあった」

と語った。
収容者が死んでいくことは全く問題視されなかったという。
イさんは

「教化所の収容者は『どうせ反動分子だ』と思われていたため、収容者が死ぬことを気にかける人はいなかった」

と話した。

【反動、反動分子】
北朝鮮では反体制のことを反動と呼ぶ。また、反体制者のことを反動分子と呼ぶ。
ちなみに、日本人は「日本反動分子」。

※「親北勢力は胸に手を当てて考えて欲しい。もし、あなたの子供たちが食べ物に飢えて栄養失調になり、骨だけの痩せ細った体で勉強を諦め、市場のゴミ捨て場を漁っていたら、どんな気持ちになるだろうか。そうせざるを得ない社会に憧れを持つことなど出来るだろうか」
(脱北者Aさん。脱北者手記集より)



【拉致事件、捜査の現状】
北朝鮮による拉致事件を巡り、日本の警察はこれまで実行犯や指示役として北朝鮮の元工作員たち合わせて11人を国際手配しています。
拉致には金正日(キム・ジョンイル)総書記が掌握していた対外情報調査部と呼ばれる工作機関が組織的に関わっていた疑いが強いと見て捜査を続けています。
このうち、福井県の地村保志さん・富貴恵さん夫妻を拉致した実行犯として元工作員の辛光洙(シン・グァンス)容疑者が手配されています。
また、大阪府の原 敕晁さんが拉致された事件では、辛容疑者とともに金吉旭(キム・キルウク)容疑者も共犯者として手配されています。
この他、東京都の久米 裕さん拉致事件では金世鎬(キム・セホ)容疑者が、新潟県の曽我ひとみさん拉致事件にはキム・ミョンスク容疑者がそれぞれ関わったとして手配されています。
北海道出身の渡辺秀子さんの子供2人の拉致事件では、工作員グループのリーダー格で北朝鮮にいると見られる洪寿恵(ホン・スヘ)こと木下陽子容疑者が手配されています。
新潟県の蓮池 薫さん・祐木子さん夫妻の拉致事件ではチェ・スンチョル容疑者が実行犯として手配されている他、金総書記が掌握していた対外報調査部と呼ばれる北朝鮮の工作機関の幹部であるハン・クムニョン容疑者とキム・ナンジン容疑者が拉致の実行を指示したとして手配されています。
ハン容疑者たちは工作機関で「指導員」と呼ばれる立場で、辛光洙容疑者たちもこの組織の一員だったことがわかっており、警察は北朝鮮が組織的に拉致を実行した疑いが強いと見て捜査を続けています。
よど号ハイジャック事件のメンバーたちも1980年代にヨーロッパで相次いだ3人の日本人拉致に関わった疑いで国際手配されています。
このうち、有本恵子さん拉致事件では魚本公博(安部公博)容疑者が、石岡 亨さんと松木 薫さん拉致事件ではよど号メンバーの妻の森 順子・若林佐喜子両容疑者がそれぞれ手配されています。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする