もずの独り言・goo版

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【みんな生きている】強制拘禁施設編

2011-04-29 09:53:38 | 日記
《極悪北朝鮮、国内に480ヶ所以上の強制拘禁施設を設置》

北朝鮮には政治犯収容所や労働鍛錬隊等、少なくとも480ヶ所以上の監獄や強制拘禁施設が存在することがわかった。
韓国で北朝鮮の人権問題に取り組む北朝鮮人権記録保存所は4月26日、1万3千人以上の脱北者の証言に基づいて行なった調査結果を公表した。
それによると、現在北朝鮮には拘留場や労働鍛錬隊がそれぞれ210ヶ所以上、教化所23ヶ所、教養所5ヶ所、集結所27ヶ所、政治犯収容所6ヶ所が存在することが確認された。
北朝鮮の留置場は韓国の警察署内にある留置場と同じようなもので、全国210以上の市・郡・区に1ヶ所ずつ設置されている。集結所と教養所は北朝鮮の刑法で定められていない拘禁施設で、2000年代以降は強制送還された脱北者等を裁判を経ずに拘禁する施設として使用されている。教化所は韓国の矯導所(刑務所)のようなもので、裁判によって判決が下された者が強制労働等に従事する場所だ。
政治犯収容所では劣悪な人権弾圧が行われており、これまでに耀徳(ヨドク)・鳳倉里・咸鏡北道会寧等6ヶ所が確認されている。
1990年代後半に咸興教化所に収容されていたある脱北者は

「何も無い土地に500人以上が連行され、シャベルだけが与えられた。自分たちで土地を掘り返して生きていけということだ。本当にたくさんの人たちが死んでいった」

と語る。拘禁施設で食事が与えられることはほとんど無く、収容された人たちは自分の力で農作業等を行い、食料を手に入れなければならないという。
教化所の環境も劣悪で、別の脱北者は

「教化所では地面に稲の藁を敷いて寝る」

と証言した。
家畜を飼う畜舎が監獄として使われたケースもある。
2000年代後半に収監生活を送ったある脱北者は

「豚を飼っていた畜舎に壁が設置され、教化所として使われていた。30人ほどしか入れないスペースに100人以上が収容された」

と話した。
国家安全保衛部等の取り調べを受ける際には、ごく当たり前のように激しい暴行が加えられる。
脱北者たちは

「足の爪が剥がれ落ちるほど何度も暴行を受けた」
「(暴行で)唇や鼻が潰れてもそのまま放置された」
と証言した。
また、女性の脱北者は

「集結所で指導員に性的暴行を加えられた後、強制的に堕胎させられた」

と述べた。
北朝鮮人権記録保存所の関係者は

「北朝鮮はこのような強制拘禁施設を外部に一切公開せず、嘘の情報ばかりを提供している」

と語る。北朝鮮には23ヶ所ある教化所のうち沙里院教化所(黄海北道)、チョンネ教化所(江原道)等3ヶ所については公式にその存在を認めている。ただし、これらの施設は展示用として運営されているとのことだ。
北朝鮮人権記録保存所のユン・ヨサン所長は

「北朝鮮は“監獄共和国”と言えるほど全国に多くの収監施設がある」

と述べた。



※「平安南道の甑山教化所に収監されていた頃、遺体を埋める裏山を『花の山』と呼んでいた。人が死ねば埋葬しなくてはならないが、冬になると地面が凍って深く掘ることが出来ず、人の手足を折って簡単に土を被せるだけだった。その際、蕾のような起伏が出来ていたからだ」
(脱北者の証言)

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【みんな生きている】山火事多発編

2011-04-29 09:52:02 | 日記
《虐げられた住民が反撃の狼煙!北朝鮮で山火事が多発》

最近北朝鮮で相次いで発生している山火事を巡り、北朝鮮当局は「放火であると見て捜査に乗り出した」と脱北者たちが運営する北朝鮮向け短波ラジオ・自由北朝鮮放送が4月18日に報じた。
自由北朝鮮放送は平安北道の消息筋の言葉を引用し、最近北朝鮮で相次いで発生している山火事は放火によるものという当局の調査結果を受けて保衛司令部が捜査に乗り出したと報じた。
特に、4月14日に咸鏡南道利原郡で発生した山火事については調べる過程で放火に使われたと見られるタイマー付きの道具が見つかり、当局が非常事態に陥っているという。

【保衛司令部】
朝鮮人民軍内部の保安を担当。韓国軍の機務司令部に相当。



※「親北勢力は胸に手を当てて考えて欲しい。もし、あなたの子供たちが食べ物に飢えて栄養失調になり、骨だけの痩せ細った体で勉強を諦め、市場のゴミ捨て場を漁っていたら、どんな気持ちになるだろうか。そうせざるを得ない社会に憧れを持つことなど出来るだろうか」
(脱北者Aさん。脱北者の手記集より)

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【みんな生きている】北朝鮮人権週間編

2011-04-28 05:51:46 | 日記
北朝鮮人権週間行事参加のため訪韓中の西岡 力救う会会長は4月25日、国会憲政記念館で開かれた開会式で挨拶をしたのに続き、26日にはソウル駅前広場で開催された、北朝鮮自由のための国民大集会(外交安保ファーラム、反人道犯罪調査委員会主催)と従金正日(キム・ジョンイル)糾弾、自由化促進ろうそく集会(脱北軍人の団体である北韓人民解放戦線主催)で続けて激励の挨拶を行った。

27日は午前11時に朝鮮日報社前の円標公園ではじまった拉致被害者名簿朗読開会式に参加し、日本の拉致被害者救出運動を代表して挨拶するとともに、日本人、タイ人、マカオ人、ルーマニア人、レバノン人被害者の名簿を朗読した。主催者が準備してくれた日本人名簿は昨年同様特定失踪者名簿も含まれていた。

2時からは国会図書館会議室で開催された「セミナー・北朝鮮人権法の望ましい制定方向」に討論者として参加した。
同セミナーには奥村展三衆議院議員(衆議院拉致問題特別委員長。民主党拉致問題対策本部副本部長)と北神圭朗衆議院議員(衆議院拉致問題特別委員会筆頭理事。民主党拉致問題対策本部事務局長)も出席した。

同セミナーは、韓国国会が現在審議中にある北朝鮮人権法の早期成立をめざして行われたもので、パク・キテ国会議長、李会昌(イ・フェチャン)自由先進党総裁(第2野党)や金武星(キム・ムソン)ハンナラ党院内総務(与党)らが挨拶した。
韓国で北朝鮮人権法が民主党内の一部親北勢力の反対でいまだに成立していないことに対して「恥ずかしい」と口を揃えていたのが印象的だった。
西岡会長が発言した内容は以下の通りだ。



■日本における北朝鮮人権問題

西岡 力(救う会会長)

1.日本における北朝鮮人権問題の2つの流れ

昨年のセミナーでも議論したが、北朝鮮人権問題に関する日本の接近には大きく分けて二つの流れがある。
第1は自国の主権と国民の人権を保護するという流れだ。国家は主権と国民を守るために存在する。
北朝鮮は多くの日本人を拉致し、抑留し続けている。これは著しい主権と人権の侵害行為であり、日本政府が責任を持って被害者を救出しなければならない問題だ。
また、在日北送者とともに北朝鮮に渡航した約7千人の日本国籍者とその子孫についても、出国の自由を初めとする多くの基本的人権が北朝鮮政府により不法に侵害されており、自国民の人権を守るという観点から日本政府が取り組むべき課題である。
第2は普遍的人権の観点から北朝鮮が行っている人権弾圧を問題とするという流れだ。
北朝鮮国内で金日成(キム・イルソン)、金正日独裁政権が住民らを餓死させ、政治犯収容所で拷問し、脱北者を取り締まっていることなどに対して、非難の声をあげることだ。また、日本と特別の関係がある在日北送者が被っている人権侵害について強い関心を示すことだ。
それ以外に、北朝鮮が日本人以外、少なくとも世界11カ国の国民を拉致して抑留し続けていることにも、当該国政府と協力して被害者救出を求めることだ。(韓国・中国・タイ・ルーマニア・レバノンの5カ国は被害者の身元が明らかになっている。シンガポール・マレーシア・ヨルダン・フランス・イタリア・オランダは被害者の確定には至っていないが、相当確実な証拠証言がある)。

2.日本における北朝鮮人権問題への取り組み

上記の二つの軸に関して、日本では1990年代前半から民間での取り組みが始まった。しかし、政府の取り組みはあまりなかった。
第1の自国民保護の問題について言うなら、本来は民間ではなく政府が取り組むべきことだ。しかし、北朝鮮と国交がない状態で交渉チャンネルがなかったこともあり、日本政府は自国民保護に積極的に取り組まなかった。
たとえば、1990年、金丸 信自民党元副総裁が与党代表の資格で金日成と会談したが、拉致問題も北送日本人問題も一切提起しなかった。1991年から1992年にかけて8回行われた国交正常化交渉では北送日本人問題は議題の一つとされたが、拉致問題はほとんど取り上げられなかった。
1997年に韓国情報当局からの非公式の通報により横田めぐみさんが拉致されていることが判明し、被害家族が「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」を結成し、それを支援するために専門家や有志が「北朝鮮に拉致された日本人を救出する会」を結成し国民運動を開始した。
その後、世論の盛り上がりを背景に政府も拉致問題を北朝鮮との交渉で積極的に取り上げるようになり、2002年小泉純一郎首相と金正日との日朝首脳会談で、金正日が日本人拉致を部分的に認め5人の被害者を帰国させるという成果があった。
しかし、その後、北朝鮮は「拉致したのは13人に過ぎず、そのうち8人は死亡した」という嘘をつき続け、問題の全面解決には至っていない。
日本政府は、少なくとも17人の日本人が拉致されており、それ以外にも拉致された可能性のある事案がある死亡とされた8人について死亡を証明する証拠がないので生存を前提に帰国を求める、という姿勢に立っている。また、2006年には政府内に首相を本部長とする拉致問題対策本部が設置され、担当大臣も任命された。この体制は自民党から民主党に政権が交代した後も継続している。
第2の北朝鮮住民の人権問題については、日本との関係が深い北送者の人権問題に関する取り組みが最初に始まった。学者、ジャーナリスト、運動家などが集まって「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」(守る会)というNGOが1993年に発足し、1994年に姜哲煥(カン・チョルファン)氏らを招聘して日本巡回講演会を実施した。
やはり1993年、北朝鮮民主化を目指す「救え!北朝鮮の民衆/緊急行動ネットワーク」(RENK)が在日朝鮮人をリーダーとして結成された。
その後、北朝鮮で大飢饉が起き多数の脱北者が出てきたことを背景に、脱北者を保護支援するNGO「北朝鮮難民救援基金」が1998年に活動を開始した。
守る会では、在日北送者が多く収容されている政治犯収容所問題についても継続して問題提起していたが、2008年政治犯収容所解体を目標とする新しいNGO「NO FENCE」が発足した。
この間政府は、2005年以降、国連の人権委員会などで北朝鮮人権改善決議案が出されるとき、拉致問題がそこに明記されることを求めつつ共同提案国となるなど少しずつ普遍的人権からの問題提起活動にも加わるようになった。

3.日本版北朝鮮人権法

上で見たような二つの流れに合流した、与野党の国会議員たちによって議員立法として作られたのが日本の北朝鮮人権法である。
日本では2006年に北朝鮮人権法(拉致問題その他北朝鮮当局による人権侵害問題への対処に関する法律)が制定された。
この法律は目的と国の責務を次のように定めている。
「(目的)第一条
この法律は二千五年十二月十六日の国際連合総会において採択された北朝鮮の人権状況に関する決議を踏まえ、我が国の喫緊の国民的な課題である拉致問題の解決をはじめとする北朝鮮当局による人権侵害問題への対処が国際社会を挙げて取り組むべき課題であることに鑑み、北朝鮮当局による人権侵害問題に関する国民の認識を深めるとともに、国際社会と連携しつつ北朝鮮当局による人権侵害問題の実態を解明し、及びその抑止を図ることを目的とする。
(国の責務)第二条
国は、北朝鮮当局による国家的犯罪行為である日本国民の拉致の問題(以下「拉致問題」という。)を解決するため、最大限の努力をするものとする。
2.政府は、北朝鮮当局によって拉致され、又は拉致されたことが疑われる日本国民の安否等について国民に対し広く情報の提供を求めるとともに自ら徹底した調査を行い、その帰国の実現に最大限の努力をするものとする。
3.政府は、拉致問題その他北朝鮮当局による人権侵害問題に関し、国民世論の啓発を図るとともに、その実態の解明に努めるものとする。」
すなわち自国民保護の観点から拉致問題解決を国の責務として明記するとともに、普遍的人権の観点からの北朝鮮国内の人権問題等についても「世論啓発と実態解明」を政府の責務としている。
この法律の特徴は、拉致問題をはじめとする北朝鮮人権問題の解決のためには、北朝鮮に対して制裁を発動して圧力をかけることが必要だという基本的考え方があることだ。自国民保護、自国の主権侵害である拉致問題を抱える日本としては譲れない考え方である。従って、アメリカの人権法と韓国の人権法案に含まれている人道支援条項は日本の人権法には入っておらず、反対にアメリカ・韓国に含まれない対北朝鮮制裁に関する規定が多く含まれている。
ちなみに、日本は2004年12月北朝鮮が拉致被害者の死亡の証拠だとして提出した遺骨が偽物だと判明したことを受けて、人道的支援まで停止し今に至っている。ただし、普遍的人権の観点から、問題解決のためになすべきこととして北朝鮮住民に真実を伝える活動を行うことが欠かせない。
米・韓の人権法はその点にも触れているが、日本の人権法はその点への言及がないことが弱点と言えよう。



※「アメリカはローラ・リンさんとユナ・リーさんのときはクリントン元大統領、アイジャロン・マーリ・ゴメスさんのときはカーター元大統領が直接平壌に乗り込んだ。日本にも元総理がたくさんいる。その中の一人でも拉致被害者のために平壌に行ったらどうなんだ。誰かいないのか」
(上田清司埼玉県知事)

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【みんな生きている】第8回北朝鮮自由週間編

2011-04-26 06:03:29 | 日記
4月24日から5月1日まで韓国ソウルで第8回北朝鮮自由週間が開催され、西岡 力救う会会長が共同大会長として参加する。今年のテーマは、「2011年を北朝鮮自由の年にしよう!(韓国版)北朝鮮人権法制定と政治犯収容所解体」だ。
この行事は2004年にスーザン・ショルティ北朝鮮自由連合代表らが発起人となりワシントンで始まり、毎年4月の最終週に持たれている。第1回から第6回まではワシントンで持たれ、昨年の第7回に続いて今年も韓国・ソウルで開催された。家族会・救う会・拉致議連は毎年、代表団を派遣してきた。横田早紀江さんがアメリカ議会で証言し、ブッシュ大統領に面会したのもこの行事の中でのことだった。
昨年は、韓国の朝鮮戦争拉致被害者家族会と共催で拉致問題セミナーを持ち、当時の中井 洽・拉致大臣も参加いただいた。昨年11月に国際拉致解決連合主催でソウルで大きな大会を開いた関係もあり、今年は拉致問題の取り組みは写真展と被害者名簿朗読だけとなった。そこで、家族会・救う会は西岡救う会会長を代表として送ることにした。
なお、主催者側の要請で西岡会長は共同大会長として25日に国会憲政記念館で開かれた開会式で挨拶をした。西岡会長は27日午後国会図書館で開催される「セミナー北朝鮮人権法の望ましい制定方向」に討論者として参加し、同日午前、韓・米・日代表団の一員としてハンナラ党を訪問する。その他、韓国マスコミの取材、国民行動本部が行う風船ビラ送付参加なども行う予定だ。
また、民主党は27日・28日の2日間、奥村展三衆議院議員(衆議院拉致問題特別委員長。民主党拉致問題対策本部副本部長)と北神圭朗衆議院議員(衆議院拉致問題特別委員会筆頭理事。民主党拉致問題対策本部事務局長)が参加する。


以下、自由週間の主要行事日程を掲載する。

第8回北朝鮮自由週間行事日時
2011年4月24日(日曜日)から5月1日(日曜日)まで
場所 大韓民国ソウル

主催 北朝鮮自由連合(代表/スーザン・ショルティ)
主管 外交安保ファーラム(代表/金顕×)
エスダ祈祷運動本部(代表/イ・ヨンヒ)
25の脱北者団体

主題 「2011年を北朝鮮自由の年にしよう!」
副題 北朝鮮人権法成立、北朝鮮政治犯収容所解体!

共同大会長 スーザン・ショルティ(北朝鮮自由週間発起人。ソウル平和賞受賞者)
金顕×(外交安保フォーラム会長、元国会議員)
ホン・スンギョン(北韓民主化委員会委員長)
イ・ヨンヒ(エスダ祈祷運動代表。教授)
諸成鎬(前北韓人権大使。教授)
イ・ヒムン(アメリカ・韓国人教会牧師)
都希侖(反人道犯罪調査委員会代表)
ムン・クッカン(北韓人権国際連帯代表)
チョン・ペテロ(北韓人権団体連合事務総長)
西岡 力(日本・救う会会長。東京基督教大学教授)
共同執行委員長 キム・ソンミン(自由北韓放送代表)
キム・テジン(政治犯収容所解体運動本部代表)
チャン・セイル(北韓解放戦線参謀長)
キム・ヨンイル(成功的な統一を作っていく人々代表)
カン・スジン(脱北女性人権連帯代表)
カン・チョルホ(セト教会主任牧師)
その他20団体の代表

協賛 (予定)新聞及び放送社
統一部
文化観光部
ソウル市


行事全期間プログラム

◆北朝鮮政治犯収容所解体のための写真・絵画展示会(4月25日)
(毎日主要行事場所に設置。政治犯収容所解体運動本部、反人道犯罪調査委員会)

◆拉致被害者申告広報のための6・25戦争(朝鮮戦争)拉致者写真資料展示会(4月25日)
(ソウルメトロ2館、地下鉄3号線慶福宮駅内。6・25戦争拉致人士家族協議会)
◆北朝鮮人権法制定を求めるカードセクション
(ソウル市主要地点で毎日実施。北民戦)
◆拉致被害者の名簿朗読(27日午前11時~29日)
(朝鮮日報前の円標公園。反人道犯罪調査委員会)
◆北朝鮮人権のための写真展示会
(鍾路セウンチョロクティ公園で毎日実施。北韓人権団体連合、北韓人権国際連帯)
(23日から25日まで。光化門ヨルリン広場でも同時開催)
◆北朝鮮人権のための写真展示会
(各大学で毎日実施。北韓人権脱北青年連合)


北朝鮮自由週間行事日程表(最終)
24日
9時~10時 戦争記念館(米軍、国連軍)献花
戦争記念館
11時~12時 北朝鮮自由週間の成功のための祈祷会
セト教会

25日
10時~11時 開会式。韓・米・日行事関係者(西岡会長が挨拶)
国会憲政会館
11時~12時 北朝鮮政治犯収容所実態暴露証言大会
国会憲政会館
※北韓民主化運動本部・反人道犯罪調査委員会

26日
14時~17時 北朝鮮自由のためのソウル大会
ソウル駅前広場
※外交安保ファーラム・反人道犯罪調査委員会
18時~20時 従金正日(キム・ジョンイル)糾弾、自由化促進たいまつ集会
ソウル駅前広場
※北韓人民解放戦線

27日
午前 代表団ハンナラ党代表室訪問
~29日抑留韓国軍捕虜・拉致被害者名簿朗読
円標公園
※反人道犯罪調査委員会
14時~16時 セミナー/北朝鮮人権法の望ましい制定方向
国会図書館小講堂
※成功的な統一を作っていく人々・脱北女性人権連帯
(西岡会長が討論者として参加)

28日
7時~9時 国際外交安保ファーラム朝食ワークショップ
カラクホテル
17時~19時 脱北者と大学生の懇談会
中央大学
※反人道犯罪調査委員会19時~21時 大学生のための映画「クロッシング」上映会
世宗大学

29日
10時~12時 脱北者強制北送阻止のための中国大使館抗議訪問
9時~12時 NK知識人連帯による北朝鮮人権実態記者会見
プレスセンター18階
14時30分~16時40分 北朝鮮人権カンファレンス       プレスセンター18階
※未来韓国
~翌日5時 北朝鮮の自由のための徹夜祈祷会
チョンギョウ教会
※エスタ祈祷運動本部

30日
12時~13時 統一祈願対北朝鮮ビラ飛ばし
臨津閣
※自由北韓運動連合
17時~20時 脱北民統一マダン(公演と祈祷)
チョン洞第1教会
※脱北芸術人総連合会

5月1日
10時~12時 統一祈願脱北者礼拝
セト教会

この他、日時は調整中だが、代表による統一部長官と大統領外交安保首席秘書官面会が予定されている。



※「アメリカはローラ・リンさんとユナ・リーさんのときはクリントン元大統領、アイジャロン・マーリ・ゴメスさんのときはカーター元大統領が直接平壌に乗り込んだ。日本にも元総理がたくさんいる。その中の一人でも拉致被害者のために平壌に行ったらどうなんだ。誰かいないのか」
(上田清司埼玉県知事)

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【みんな生きている】寺越武志さん

2011-04-21 06:45:13 | 日記
1963年に能登半島で消息を絶ち、北朝鮮で暮らしている寺越武志さんについて、中野寛成拉致問題担当大臣は「現状において北朝鮮による拉致事件と認定することは難しい」との考えを初めて示しました。

「海上保安庁及び警察庁等に確認したが、現時点において拉致事件として認定するだけの証拠が無いと。現状において拉致事件と認定することが難しいと思わざるを得ない」
(中野寛成拉致問題担当大臣)

寺越武志さんは1963年に石川県能登半島沖で漁に出て失踪し、1987年に北朝鮮での生存が確認されたため拉致被害者の家族会・救う会や寺越さんの一部の親族が拉致認定を求めています。
中野大臣は4月20日の拉致問題特別委員会で
「現状では認定する証拠が無く、武志さんを拉致認定することは難しい」
との政府としての考えを初めて示しました。
その上で、
「だからと言って放って置くわけにはいかない。北朝鮮で武志さんが置かれている状況を考え、捜査・調査を続けていく」
と述べました。



※「寺越友枝さんが金沢の日本赤十字社に北朝鮮から届いた武志さんの手紙を持って行って“何とかして下さい”と言ったら、赤十字社の人間から“この手紙読むと元気そうじゃないか。お母さん、ここ(赤十字社)は元気じゃない人を相手にするところなんだよ”と言われた」
(荒木和博・調査会代表)

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