もずの独り言・goo版

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【みんな生きている】石巻市『めぐみ』上映会編/産経新聞

2015-08-05 21:06:25 | 日記
《インチキ遺骨ではなくて、拉致被害者を返せ!石巻グランドホテルで『めぐみ』上映会》

北朝鮮による日本人拉致問題への宮城県民の関心を高め、早期解決につなげようと、政府拉致問題対策本部と県は8月8日午後2時から、石巻市の石巻グランドホテルで映画「めぐみ-引き裂かれた家族の30年」の上映会を開く。
「めぐみ-」は拉致被害者の横田めぐみさん(50歳。拉致当時13歳)の家族を描いたドキュメンタリー映画。めぐみさんの両親のメッセージビデオ「横田滋・早紀江さんの思い」も上映される。
当日は拉致問題対策本部の担当者が政府の取り組みを説明。拉致被害者家族会の元事務局長・増元照明さんが早期解決を訴える予定。
上映会は入場無料。定員100人。事前申し込みの締め切りは6日。空席があれば締め切り以降も受け付ける。申し込み、問い合わせは県国際経済・交流課まで。

■政府拉致問題HP
http://www.rachi.go.jp/
■宮城県警HP
http://www.police.pref.miyagi.jp/
■救う会宮城facebook
http://ja-jp.facebook.com/sukuukai.miyagi
■救う会全国協議会HP
http://www.sukuukai.jp/
■特定失踪者問題調査会HP
http://www.chosa-kai.jp/
■あさがおの会HP
http://www.asagaonokai.jp



◆昭和52(1977)年11月15日
少女拉致容疑事案
被害者:横田めぐみさん(拉致被害時13歳)
新潟市において下校途中に失踪。
平成16年11月に開催された第3回実務者協議において、北朝鮮側はめぐみさんが1994(平成6)年4月に死亡したとし「遺骨」を提出したが、めぐみさんの「遺骨」とされた骨の一部からは同人のものとは異なるDNAが検出されたとの鑑定結果を得た。
平成18年4月には日本政府の実施したDNA検査により、横田めぐみさんの夫が昭和53年に韓国より拉致された当時高校生の韓国人拉致被害者・金英男(キム・ヨンナム)氏である可能性が高いことが判明した。

※「白い翼でも黒い翼でも、赤い翼でも青い翼でも、何でも結構なんで、帰って来られる翼をめぐみに与えてほしい」
(横田早紀江さん。拉致被害者・横田めぐみさんの母)
※「正義は必ず勝つ、と私は信じていますので、あとしばらくお力をお貸しください」
(横田哲也さん。拉致被害者・横田めぐみさんの弟)
■新潟県警HP
http://www.police.pref.niigata.jp/
■神奈川県警HP
http://www.police.pref.kanagawa.jp/

◆昭和53(1978)年8月12日
アベック拉致容疑事案
被害者:増元るみ子さん(拉致被害時24歳)
被害者:市川修一さん(拉致被害時23歳)
「浜に夕日を見に行く」と言って出かけたまま失踪。
北朝鮮側は、1979(昭和54)年7月に2人は結婚し、市川修一さんは同年9月に心臓麻痺で死亡し、増元るみ子さんは1981(昭和56)年に心臓麻痺で死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。
■鹿児島県警HP
http://www.pref.kagoshima.jp/police/

《特定失踪者・吉田賢光さんについて》
◆氏名:吉田 賢光
(よしだけんこう)
◆失踪年月日:昭和52(1977)年3月12日
◆生年月日:昭和15(1940)年5月2日
◆性別:男
◆当時の年齢:36歳
◆当時の身分:無職(前年11月まで団体職員)
◆当時の住所:神奈川県川崎市
◆特徴:小柄で細身
◆特技:
1)特別上手ではないが、スポーツは何でもこなす
2)登山も少しはする
◆失踪場所:東北本線白石駅

【失踪状況】
体調不良のため次の転居予定地である大阪へ向かう前に約3ヶ月間、宮城県にある伯父の寺へ居候。
実家である岩手へ墓参りがてら帰って来いといっても来ず、居候先の伯父の話では何か連絡を待っている様子だったと話したと聞いている。
失踪前の住所は神奈川県川崎市。
■神奈川県警HP
http://www.police.pref.kanagawa.jp/
■大阪府警HP
http://www.police.pref.osaka.jp/

《特定失踪者・河合美智愛さんについて》
◆氏名:河合 美智愛
(かわいみちえ)
◆失踪年月日:昭和59(1984)年4月2日
◆生年月日:昭和38(1963)年12月18日
◆性別:女性
◆当時の年齢:20歳
◆身長:169cm
◆当時の身分:会社員
◆当時の住所:福井県越前市
◆特徴
1)おでこが広い
2)口元に小さなホクロ
3)右膝外側に10cm程度のあざ
◆失踪場所:福井県武生市(現越前市)

【失踪状況】
失踪前日から地元の繊維会社に勤め始めていた。
昼食のために会社から一旦帰宅して昼食を取った後、会社に向かったが会社には着かずそのまま行方不明となった。
乗っていた自家用車(カローラ)も見つかっていない。
失踪後、1~2回、実家に無言電話がかかってきたが、名前を呼びかけると直ぐに切れた。
平成6年頃、宮城県内で目撃情報があります。
■福井県警HP
http://www.pref.fukui.jp/kenkei/

《宮城県警公開特定失踪者・佐藤元子さんについて》
◆氏名:佐藤 元子
(さとうもとこ)
◆当時の年齢:23歳
◆当時の住所:宮城県白石市
◆当時の職業:店員
◆身長152cmくらい

【失踪状況】
昭和49年1月、勤務先を出てから行方不明となっています。

《特定失踪者・岩佐寅雄さんについて》
◆氏名:岩佐 寅雄
(いわさとらお)
◆失踪年月日:昭和36(1961)年12月20日
◆生年月日:大正15(1926)年12月8日
◆性別:男
◆当時の年齢:35歳
◆身長:170cm
◆当時の身分:魚屋の店員(板前も出来た)
◆失踪場所:神奈川県鎌倉市の魚屋から

【失踪状況】
勤めていた店の人に黙っていなくなった。その後、横須賀のいとこが四方八方探し回ったが消息はつかめず。
■神奈川県警HP
http://www.police.pref.kanagawa.jp/

《特定失踪者・早坂勝男さんについて》
◆氏名:早坂 勝男
(はやさかかつお)
◆失踪年月日:昭和43(1968)年4月頃
◆生年月日:昭和19(1944)年1月22日
◆性別:男
◆当時の年齢:24歳
◆当時の住所:東京都墨田区石原
◆身長:156cm
◆体重:55kg
◆血液型:A型かO型
◆当時の身分:印刷会社社員
◆特徴:印刷の仕事で指を怪我し、親指と人さし指がやや変形している
◆失踪場所:東京都墨田区

【失踪状況】
墨田区の下宿先から失踪。
正月に兄弟とその家族7人で過ごしている。別の兄の話によると2月か3月にケガで入院した。
失踪後数ヶ月して、会社から本人の友人に荷物を引き取ってくれと電話がある。
■警視庁HP
http://www.keishicho.metro.tokyo.jp

◆昭和53(1978)年6月頃
元飲食店店員拉致容疑事案
被害者:田中 実さん(拉致被害時28歳)
欧州に向け出国したあと失踪。
平成14年10月にクアラルンプールで行われた日・朝国交正常化交渉第12回本会談及び平成16年に計3回行われた日・朝実務者協議において我が方から北朝鮮側に情報提供を求めたが、第3回協議において北朝鮮側より北朝鮮に入境したことは確認できなかった旨回答があった。
平成17年4月に田中 実さんが拉致認定されて以降、政府は北朝鮮側に対し即時帰国及び事案に関する真相究明を求めてきているが、これまでに回答はない。
■兵庫県警HP
http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/
■救う会兵庫HP
http://www.sukuukai078.net/04.html

《特定失踪者・金田竜光さんについて》
◆氏名:金田 竜光
(かねだたつみつ)
◆失踪年月日:昭和54(1979)年ごろ
◆生年月日:昭和27(1952)年
◆性別:男
◆当時の年齢:26歳
◆身長:180cm
◆当時の身分:ラーメン店店員
◆当時の住所:兵庫県神戸市東灘区青木
◆失踪場所:神戸市東灘区

【失踪状況】
金田さんは韓国籍。
田中 実さん(昭和53年に拉致)と同じ施設で育った。
昭和52年ごろ、田中 実さん拉致実行犯・韓竜大(ハン・ヨンデ)が経営するラーメン店「来大」に就職。昭和53年に田中 実さんを「来大」に紹介し、ともに働く。同年、韓竜大の誘いにより、田中 実さんがオーストリア・ウィーンに出国。
半年ほどして、田中 実さんが差出人になっているオーストリアからの国際郵便を受け取る。その内容は「オーストリアはいいところであり、仕事もあるのでこちらに来ないか」との誘いであった。
田中さんの誘いを受け、打ちあわせと言って東京に向かったが、以後一切連絡がなく、行方不明となる。
連絡がないことを不思議に思った友人が、この間の事情を知る韓竜大に再三説明を求めたが、「知らない」と繰り返す。
その後失踪した2人を知る友人たちの間で「2人は北朝鮮にいる」との噂が広まり、韓竜大に近づく者がいなかった。
「救う会兵庫」は平成14年10月に韓竜大、15年7月にその共犯である曹廷楽(チョ・ジョンガリ)についての告発状を兵庫県警に提出している。
■兵庫県警HP
http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/
■救う会兵庫HP
http://www.sukuukai078.net/04.html



【拉致事件、捜査の現状】
北朝鮮による拉致事件を巡り、日本の警察はこれまで実行犯や指示役として北朝鮮の元工作員たち合わせて11人を国際手配しています。
拉致には金正日(キム・ジョンイル)総書記が掌握していた対外情報調査部と呼ばれる工作機関が組織的に関わっていた疑いが強いと見て捜査を続けています。
このうち、福井県の地村保志さん・富貴恵さん夫妻を拉致した実行犯として元工作員の辛光洙(シン・グァンス)容疑者が手配されています。
また、大阪府の原 敕晁さんが拉致された事件では、辛容疑者とともに金吉旭(キム・キルウク)容疑者も共犯者として手配されています。
この他、東京都の久米 裕さん拉致事件では金世鎬(キム・セホ)容疑者が、新潟県の曽我ひとみさん拉致事件にはキム・ミョンスク容疑者がそれぞれ関わったとして手配されています。
北海道出身の渡辺秀子さんの子供2人の拉致事件では、工作員グループのリーダー格で北朝鮮にいると見られる洪寿恵(ホン・スヘ)こと木下陽子容疑者が手配されています。
新潟県の蓮池 薫さん・祐木子さん夫妻の拉致事件ではチェ・スンチョル容疑者が実行犯として手配されている他、金総書記が掌握していた対外報調査部と呼ばれる北朝鮮の工作機関の幹部であるハン・クムニョン容疑者とキム・ナンジン容疑者が拉致の実行を指示したとして手配されています。
ハン容疑者たちは工作機関で「指導員」と呼ばれる立場で、辛光洙容疑者たちもこの組織の一員だったことがわかっており、警察は北朝鮮が組織的に拉致を実行した疑いが強いと見て捜査を続けています。
よど号ハイジャック事件のメンバーたちも1980年代にヨーロッパで相次いだ3人の日本人拉致に関わった疑いで国際手配されています。
このうち、有本恵子さん拉致事件では魚本公博(安部公博)容疑者が、石岡 亨さんと松木 薫さん拉致事件ではよど号メンバーの妻の森 順子・若林佐喜子両容疑者がそれぞれ手配されています。

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【みんな生きている】秋田激突編/産経新聞

2015-08-05 21:02:31 | 日記
《インチキ遺骨ではなくて、拉致被害者を返せ!拉致被害者家族会、社民系組織メンバーの「拉致より憲法だ」発言で同組織と激突!》

■社民党系組織が被害者家族心情を無視「拉致より憲法だ」

秋田市で8月4日に行われた北朝鮮による拉致被害者家族会の街頭活動中、隣で活動していた安全保障関連法案に反対する社民党系組織のメンバーが「拉致より憲法だ」と発言し、家族会が反発する一幕があった。
増元るみ子さん(61歳。拉致当時24歳)の弟で、家族会元事務局長の照明さん(59歳)は

「拉致被害者や家族の実情を考えてほしい」

と話している。
家族会の街頭活動は、秋田竿燈(かんとう)まつりに訪れた観光客らに被害者救出を訴えるため、照明さんの他、田口八重子さん(59歳。拉致当時22歳)の兄で家族会代表の飯塚繁雄さん(77歳)、松本京子さん(66歳。拉致当時29歳)の兄の孟(はじめ)さん(68歳)や秋田県内の特定失踪者家族が参加してJR秋田駅前で行われた。
すぐ隣で、社民党支持者が中心の「秋田・戦争をさせない1000人委員会」(代表・山縣稔県教組委員長)が街頭活動を始めたため、救う会秋田メンバーの男性が1000人委員会メンバーの男性に署名を求めたところ、「拉致より憲法だ」と拒否されたという。


■増元照明さん「旧社会党・社民党こそ拉致問題解決の障害」

話を聞いた照明さんは

「旧社会党、社民党は拉致問題解決の障害になり、被害者家族の思いを踏みにじってきた」

と演説。1000人委員会側に抗議する救う会秋田幹部もいた。
照明さんはその後の秋田県庁での記者会見で

「被害者家族の多くは安保法案の議論に違和感を覚えている。約40年前に日本人が北朝鮮に拉致された時点で戦争が始まっている。戦っている被害者を放置している状況が平和なのか」

と訴えた。
飯塚さんは

「国民にとって重要な問題なのに、署名活動をしても、横目でちらっと見て通り過ぎる人がいるのが気になる。だが、政府と北朝鮮に対するメッセージとして活動を続けていきたい」

と述べた。
家族会の反発について、1000人委員会の山縣代表は「拉致問題について、会としての見解はない。それぞれのメンバーの考えで対応している」と話している。

■政府拉致問題HP
http://www.rachi.go.jp/
■秋田県警HP
http://www.police.pref.akita.jp/
■救う会秋田HP
http://sukuukai-akita.com/
■救う会全国協議会HP
http://www.sukuukai.jp/
■特定失踪者問題調査会HP
http://www.chosa-kai.jp/



◆昭和53(1978)年6月頃
李恩恵(リ・ウネ)拉致容疑事案
被害者:田口八重子さん(拉致被害時22歳)
昭和62年11月の大韓航空機(KAL)爆破事件で有罪判決を受けた元北朝鮮諜報員金賢姫(キム・ヒョンヒ)氏は「李恩恵(リ・ウネ)」という女性から日本人の振る舞い方を学んだと主張している。この李恩恵は行方不明となった田口さんと同一人物と考えられる。
北朝鮮側は、田口さんは1984(昭和59)年に原 敕晁さんと結婚し、1986(昭和61)年の原さんの病死後すぐに自動車事故で死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。
平成21年3月、金賢姫氏と飯塚家との面会において、金氏より田口さんの安否にかかる重要な参考情報(注)が新たに得られたことから、現在、同情報についての確認作業を進めている。
(注)金氏の発言:「87年1月にマカオから帰ってきて、2月か3月頃、運転手から田口さんがどこか知らないところに連れて行かれたと聞いた。86年に一人暮らしの被害者を結婚させたと聞いたので、田口さんもどこかに行って結婚したのだと思った」

※「八重子さんが北朝鮮の南浦港に着いたとき、女性通訳に“私には子供が二人いて、どうしても日本に帰らなくてはならないので、返してほしい”と何回も言ってお願いしたそうです。八重ちゃんの思いは最初から最後まで子供のことでいっぱいでしたし、今でも間違い無く“今、彩ちゃんはいくつになって、耕ちゃんはいくつになった”と毎年計算して、どんな大人になったか知りたがっているはずです。すごく会いたがっていると思います」
(拉致被害者・地村富貴恵さんの証言)
■埼玉県警HP
http://www.police.pref.saitama.lg.jp/
■救う会埼玉HP
http://sukuukai.gozaru.jp/
■拉致問題を考える川口の会HP
http://kawaguchi.aikotoba.jp/list.htm

◆昭和55(1980)年6月中旬
辛光洙(シン・グァンス)事件
被害者:原 敕晁さん(拉致被害時43歳)
宮崎県内で発生。
本件については、北朝鮮工作員・辛光洙(シン・グァンス)が韓国当局に対し、原さん拉致を認める証言をしている。
捜査当局は辛光洙について、これまで原さんに成りかわった容疑で逮捕状の発付を得て国際手配するとともに、政府として北朝鮮側に身柄の引渡しを要求してきたが、平成18年4月には、新たに拉致容疑の主犯として逮捕状が発付されている。
北朝鮮側は身柄の引渡しに応じていないどころか、同人を「英雄」として称えている。
また、捜査当局は原さん拉致容疑の共犯者である金吉旭(キム・キルウク)についても逮捕状の発付を得ており、国際手配を行うなどの所要の措置を講じている。
北朝鮮側は、原さんは1984(昭和59)年に田口八重子さんと結婚し、1986(昭和61)年に肝硬変で死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。

※「辛光洙は原 敕晁さんになりすますために、原さんについてのあらゆることを調べあげた。それこそ、チャーハンの作り方まで調べあげた」
(石高健次さん)
■大阪府警HP
http://www.police.pref.osaka.jp/
■宮崎県警HP
http://www.pref.miyazaki.lg.jp/police/

◆昭和53(1978)年8月12日
アベック拉致容疑事案
被害者:増元るみ子さん(拉致被害時24歳)
被害者:市川修一さん(拉致被害時23歳)
「浜に夕日を見に行く」と言って出かけたまま失踪。
北朝鮮側は、1979(昭和54)年7月に2人は結婚し、市川修一さんは同年9月に心臓麻痺で死亡し、増元るみ子さんは1981(昭和56)年に心臓麻痺で死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。
■鹿児島県警HP
http://www.pref.kagoshima.jp/police/

◆昭和52(1977)年10月21日
女性拉致容疑事案
被害者:松本京子さん(拉致被害時29歳)
自宅近くの編み物教室に向かったまま失踪。
平成14年10月にクアラルンプールで行われた日・朝国交正常化交渉第12回本会談及び平成16年に計3回行われた日・朝実務者協議において、我が方から北朝鮮側に情報提供を求めたが、第3回協議において、北朝鮮側より、北朝鮮に入境したことは確認できなかった旨回答があった。
平成18年11月に松本京子さんが拉致認定されて以降政府は北朝鮮側に対し即時帰国及び事案に関する真相究明を求めてきているが、これまでに回答はない。
■鳥取県警HP
http://www.pref.tottori.lg.jp/police/

◆昭和53(1978)年6月頃
元飲食店店員拉致容疑事案
被害者:田中 実さん(拉致被害時28歳)
欧州に向け出国したあと失踪。
平成14年10月にクアラルンプールで行われた日・朝国交正常化交渉第12回本会談及び平成16年に計3回行われた日・朝実務者協議において我が方から北朝鮮側に情報提供を求めたが、第3回協議において北朝鮮側より北朝鮮に入境したことは確認できなかった旨回答があった。
平成17年4月に田中 実さんが拉致認定されて以降、政府は北朝鮮側に対し即時帰国及び事案に関する真相究明を求めてきているが、これまでに回答はない。

《特定失踪者・金田竜光さんについて》
◆氏名:金田 竜光
(かねだたつみつ)
◆失踪年月日:昭和54(1979)年ごろ
◆生年月日:昭和27(1952)年
◆性別:男
◆当時の年齢:26歳
◆身長:180cm
◆当時の身分:ラーメン店店員
◆当時の住所:兵庫県神戸市東灘区青木
◆失踪場所:神戸市東灘区

【失踪状況】
金田さんは韓国籍。
田中 実さん(昭和53年に拉致)と同じ施設で育った。
昭和52年ごろ、田中 実さん拉致実行犯・韓竜大(ハン・ヨンデ)が経営するラーメン店「来大」に就職。昭和53年に田中 実さんを「来大」に紹介し、ともに働く。同年、韓竜大の誘いにより、田中 実さんがオーストリア・ウィーンに出国。
半年ほどして、田中 実さんが差出人になっているオーストリアからの国際郵便を受け取る。その内容は「オーストリアはいいところであり、仕事もあるのでこちらに来ないか」との誘いであった。
田中さんの誘いを受け、打ちあわせと言って東京に向かったが、以後一切連絡がなく、行方不明となる。
連絡がないことを不思議に思った友人が、この間の事情を知る韓竜大に再三説明を求めたが、「知らない」と繰り返す。
その後失踪した2人を知る友人たちの間で「2人は北朝鮮にいる」との噂が広まり、韓竜大に近づく者がいなかった。
「救う会兵庫」は平成14年10月に韓竜大、15年7月にその共犯である曹廷楽(チョ・ジョンガリ)についての告発状を兵庫県警に提出している。



【拉致事件、捜査の現状】
北朝鮮による拉致事件を巡り、日本の警察はこれまで実行犯や指示役として北朝鮮の元工作員たち合わせて11人を国際手配しています。
拉致には金正日(キム・ジョンイル)総書記が掌握していた対外情報調査部と呼ばれる工作機関が組織的に関わっていた疑いが強いと見て捜査を続けています。
このうち、福井県の地村保志さん・富貴恵さん夫妻を拉致した実行犯として元工作員の辛光洙(シン・グァンス)容疑者が手配されています。
また、大阪府の原 敕晁さんが拉致された事件では、辛容疑者とともに金吉旭(キム・キルウク)容疑者も共犯者として手配されています。
この他、東京都の久米 裕さん拉致事件では金世鎬(キム・セホ)容疑者が、新潟県の曽我ひとみさん拉致事件にはキム・ミョンスク容疑者がそれぞれ関わったとして手配されています。
北海道出身の渡辺秀子さんの子供2人の拉致事件では、工作員グループのリーダー格で北朝鮮にいると見られる洪寿恵(ホン・スヘ)こと木下陽子容疑者が手配されています。
新潟県の蓮池 薫さん・祐木子さん夫妻の拉致事件ではチェ・スンチョル容疑者が実行犯として手配されている他、金総書記が掌握していた対外報調査部と呼ばれる北朝鮮の工作機関の幹部であるハン・クムニョン容疑者とキム・ナンジン容疑者が拉致の実行を指示したとして手配されています。
ハン容疑者たちは工作機関で「指導員」と呼ばれる立場で、辛光洙容疑者たちもこの組織の一員だったことがわかっており、警察は北朝鮮が組織的に拉致を実行した疑いが強いと見て捜査を続けています。
よど号ハイジャック事件のメンバーたちも1980年代にヨーロッパで相次いだ3人の日本人拉致に関わった疑いで国際手配されています。
このうち、有本恵子さん拉致事件では魚本公博(安部公博)容疑者が、石岡 亨さんと松木 薫さん拉致事件ではよど号メンバーの妻の森 順子・若林佐喜子両容疑者がそれぞれ手配されています。

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【みんな生きている】男鹿脇本事件編(1)/産経新聞

2015-08-05 20:58:31 | 日記
《インチキ遺骨ではなくて、拉致被害者を返せ!【戦後70年 東北の記憶】「男鹿脇本事件」(1)》

「おい、待て!」。漆黒の日本海に私服警察官2人の声が響いた。
34年前の昭和56年8月5日午後10時ごろ、秋田県男鹿市脇本の海岸。消波ブロックの上にいた不審な3人の男が一斉に海に飛び込んだ。
ウエットスーツ姿の一人がゴムボートに乗って先に逃げ、もう一人も素早い泳ぎでボートに追い付いた。残るアノラック姿の男はぐんぐん離されていった。
私服警察官は無線で応援を求めた。男鹿署員が漁船を借り上げて捜していたところ、泳いでいた男を見つけ、海に飛び込んで捕まえた。ゴムボートの2人は発見できなかった。
消波ブロックに残されたボストンバッグには、現金20万円や北朝鮮製の衣類が入っていた。


■1カ月訓練受け戻る

男は東京都江戸川区西葛西に住む29歳の在日韓国人で、外国人登録証を持っていなかったため外国人登録法違反の疑いで逮捕。出入国管理令違反の疑いで再逮捕された。
和歌山県出身で、東京の大学の建築学科を卒業した後、6月まで在日本韓国YMCAに勤務していた。取調官に、在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)を通じて弁護士を呼ぶよう要求した後、黙秘を続けたが、周辺捜査などから、1月に北朝鮮工作員として取り込まれ、反韓国教育を受けた後、7月5日に同じ海岸から工作船で密出国したことが分かった。
「7日5日夜、行ってしまった」「あと1週間で北朝鮮から帰ってくる」…
自宅の家宅捜索で押収された妻の日記には、男の行動や予定が記されていた。平壌で1カ月間、工作員としての訓練を受け、対韓国工作のための準備や在日韓国・朝鮮人に対する金日成(キム・イルソン)思想の浸透などの任務を指示され、密入国したところだったのだ。
ゴムボートで逃げた2人は朝鮮労働党作戦部に所属する「戦闘員」と呼ばれる案内役の工作員で、沖に停泊していた工作船で北朝鮮に戻ったとみられる。
朝鮮総連県本部は「県警によるでっち上げ」などとして、男の釈放を求める抗議声明を発表した。
男は10月16日、秋田地裁で懲役10月、執行猶予2年の判決を言い渡された。


■警備部の精鋭捜査員

「男鹿脇本事件」。警察当局がそう名付けたこの事件は、北朝鮮工作員の潜入を水際で発見した日本警察史上に残る事件として内部で語り継がれている。
県警は当時、3人を見つけた私服警察官を「男鹿署員」と発表したが、実は北朝鮮工作員に目を光らせる県警警備部の精鋭捜査員たちだった。
「偶然ではない。必然だ」。当時捜査に携わった関係者が重い口を開いた。
264キロの海岸線がある秋田県。少ない人員でどうして発見できたのか。警察当局に「ヤマ」と呼ばれる無線傍受機関があり、工作船の電波をキャッチしたときは「KB(コリアンボート)情報」を出して海岸の警戒を指令していたとされる。
情報があったのではないか-。そう尋ねても、関係者は「日頃の警戒活動の成果だ」と繰り返すだけだった。

■政府拉致問題HP
http://www.rachi.go.jp/
■警察庁HP
http://www.npa.go.jp/
■秋田県警HP
http://www.police.pref.akita.jp/
■救う会秋田HP
http://sukuukai-akita.com/
■救う会全国協議会HP
http://www.sukuukai.jp/
■特定失踪者問題調査会HP
http://www.chosa-kai.jp/

【昭和56(1981)年】
 3月にかけての大雪は「五六豪雪」と呼ばれる。秋田県雄和町(現・秋田市)に秋田空港が移転し、開港。青森では原子力船「むつ」の母港がむつ市関根浜に決まった。女子レスリングの五輪メダリスト、小原日登美さんと伊調千春さんがいずれも八戸市で生まれた。岩手では三陸鉄道が発足。山本譲二さんの「みちのくひとり旅」がヒットした。



《特定失踪者・木村かほるさんについて》
◆氏名:木村 かほる
(きむらかおる)
◆失踪年月日:昭和35(1960)年2月27日
◆生年月日:昭和13(1938)年8月27日
◆性別:女性
◆当時の年齢:21歳
◆当時の身分:日赤秋田高等看護学校3年生
◆当時の住所:秋田県秋田市中通
◆特徴:
1)中肉中背
2)色白でいつも微笑みをたたえ優しい感じ
◆失踪場所:秋田市内

【失踪状況】
戸籍上は「かをる」だが、日常は「かほる」としていた。
看護学校の卒業式を10日後に控えていた。
「ちょっと出かけてくる」と寮の同室の友人数人に言って出て行ったきり戻らず。
平成16年9月29日、青森県八戸署に告発状を提出。
■青森県警HP
http://www.police.pref.aomori.jp/

《特定失踪者・石田 清さんについて》
◆氏名:石田 清
(いしだきよし)
◆失踪年月日:昭和44(1969)年9月末~10月初め頃
◆生年月日:昭和18(1943)年3月16日
◆性別:男
◆当時の年齢:26歳
◆身長:158cm
◆体重:56kgくらい
◆当時の身分:自動車板金工
◆当時の住所:秋田県能代市二ツ井(旧二ツ井町)
◆特徴:片方の黒目が若干欠けている
◆失踪場所:秋田県山本郡二ツ井町(現在能代市)自宅アパートから

【失踪状況】
実家に稲刈りの手伝いに来て「明日も来る」と言っていたが、翌日来なかった。
自宅アパートの隣の家に寝巻きが投げ捨てられており、電線(もしくは電話線)が切られていたことから、事件ではないかと警察に通報した。
また日時は不明だが、二ツ井高校近くのバス停の鷹巣方面、藤里方面行き乗り場に立っていたという目撃情報もあった。

《特定失踪者・薩摩勝博さんについて》
◆氏名:薩摩 勝博
(さつまかつひろ)
◆失踪年月日:昭和48(1973)年1月
◆生年月日:昭和24(1949)年10月11日
◆性別:男
◆当時の年齢:23歳
◆当時の身分:農業・牛乳販売店勤務
◆当時の住所:秋田県山本郡八峰町(旧峰浜町)
◆失踪場所:秋田県峰浜村(現八峰町)の実家から能代市に向かったのが最後

【失踪状況】
失踪当時は農閑期だったため、勝博さんは出稼ぎで東京都杉並区の牛乳販売店に勤めていた。
そこを頼っていった同じ村落出身の女性(能代市居住)としばらく同居していた。
二人は結婚の意思を固め、失踪前夜に勝博さんの実家を揃って訪れるが父や親戚に反対される。
その夜は実家に泊まり、翌朝「彼女を能代市内に送ってくる」と行ったまま戻らず。
車も発見されていない。
■警視庁HP
http://www.keishicho.metro.tokyo.jp

《特定失踪者・佐藤正行さんについて》
◆氏名:佐藤 正行
(さとうまさゆき)
◆失踪年月日:昭和61(1986)年10月29日
◆生年月日:昭和33(1958)年12月11日
◆性別:男
◆当時の年齢:27歳
◆身長:170cm
◆体重:60cm
◆当時の身分:製薬会社勤務
◆当時の住所:愛知県名古屋市
◆秋田県秋田市新屋出身
◆特徴:
1)やや面長
2)眼鏡とコンタクトレンズを併用
◆失踪場所:愛知県名古屋市千種区の自宅マンション

【失踪状況】
外食店で買い求めた弁当をアパート自室で食事中、部屋着の軽装で外出したまま行方不明。
部屋には財布、自動車免許など一切の身の回りのものは残されていた。
■愛知県警HP
http://www.pref.aichi.jp/police/

《特定失踪者・松橋恵美子さんについて》
◆氏名:松橋 恵美子
(まつはしえみこ)
◆失踪年月日:平成4(1992)年1月15日
◆生年月日:昭和40(1965)年5月15日
◆性別:女性
◆当時の年齢:26歳
◆当時の身分:縫製工場勤務
◆当時の住所:秋田県北秋田市三里(旧合川町)
◆失踪場所:秋田県能代市能代浜

【失踪状況】
祖母に「鷹ノ巣に行って来る」と告げて車で出かけたまま、その日は戻らなかった。
友人の家に行ったのだろうと思っていたら、翌朝出勤していないことがわかる。
家族で探したところ、能代市の海岸で車が見つかる。
車内には身の回りのものが全て残っていた。
北朝鮮にいるとの不確定情報がある。



【拉致事件、捜査の現状】
北朝鮮による拉致事件を巡り、日本の警察はこれまで実行犯や指示役として北朝鮮の元工作員たち合わせて11人を国際手配しています。
拉致には金正日(キム・ジョンイル)総書記が掌握していた対外情報調査部と呼ばれる工作機関が組織的に関わっていた疑いが強いと見て捜査を続けています。
このうち、福井県の地村保志さん・富貴恵さん夫妻を拉致した実行犯として元工作員の辛光洙(シン・グァンス)容疑者が手配されています。
また、大阪府の原 敕晁さんが拉致された事件では、辛容疑者とともに金吉旭(キム・キルウク)容疑者も共犯者として手配されています。
この他、東京都の久米 裕さん拉致事件では金世鎬(キム・セホ)容疑者が、新潟県の曽我ひとみさん拉致事件にはキム・ミョンスク容疑者がそれぞれ関わったとして手配されています。
北海道出身の渡辺秀子さんの子供2人の拉致事件では、工作員グループのリーダー格で北朝鮮にいると見られる洪寿恵(ホン・スヘ)こと木下陽子容疑者が手配されています。
新潟県の蓮池 薫さん・祐木子さん夫妻の拉致事件ではチェ・スンチョル容疑者が実行犯として手配されている他、金総書記が掌握していた対外報調査部と呼ばれる北朝鮮の工作機関の幹部であるハン・クムニョン容疑者とキム・ナンジン容疑者が拉致の実行を指示したとして手配されています。
ハン容疑者たちは工作機関で「指導員」と呼ばれる立場で、辛光洙容疑者たちもこの組織の一員だったことがわかっており、警察は北朝鮮が組織的に拉致を実行した疑いが強いと見て捜査を続けています。
よど号ハイジャック事件のメンバーたちも1980年代にヨーロッパで相次いだ3人の日本人拉致に関わった疑いで国際手配されています。
このうち、有本恵子さん拉致事件では魚本公博(安部公博)容疑者が、石岡 亨さんと松木 薫さん拉致事件ではよど号メンバーの妻の森 順子・若林佐喜子両容疑者がそれぞれ手配されています。

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【みんな生きている】男鹿脇本事件編(2)/産経新聞

2015-08-05 20:54:29 | 日記
《インチキ遺骨ではなくて、拉致被害者を返せ!【戦後70年 東北の記憶】「男鹿脇本事件」(2)》

■守れていなかった海岸線

秋田県男鹿市脇本の海岸で北朝鮮から密入国した工作員が逮捕された翌日、昭和56年8月6日昼ごろのことだった。男鹿から400キロ余り沖の日本海のど真ん中で、海上保安庁が不審な船を確認した。
海保は平成14年になって「巡視船艇・航空機により追跡するも逃走」とだけ発表したが、公安関係者は次のような状況を明かした。


■振り切られた巡視船

巡視船のレーダーが北朝鮮に向かう不審な船影をとらえて追跡し、約7キロまで接近。肉眼でも船体を確認したが、船は約30ノット(約55キロ)の高速で振り切った。漁船を装っていたが、明らかに違った。海保は航空機でも追ったが、日本の漁業専管水域を出たため断念した。ゴムボートで逃げた2人の工作員を乗せたとみられる工作船だった。
「遠浅の浜辺で、夜は真っ暗。潜入・脱出には絶好の場所ですよ」。男鹿脇本事件の当時を知る地元漁業者の高桑芳英さん(82)と加藤邦夫さん(80)は口をそろえた。


■工作員から狙い撃ち状態だった秋田県

秋田県はそれまでも北朝鮮工作員の出入りポイントになっていた。公表されているだけでも次のような事件がある。

▽昭和38年に能代市の海岸で拳銃や乱数表などを持った工作員計3人の水死体が見つかった「第一次、第二次能代事件」
▽同年に八森町(現・八峰町)の海岸から密入国した工作員が翌年、愛知県警に逮捕された「一宮事件」
▽43年に男鹿市の海岸から密出国しようとして失敗した工作員が警視庁に自首した「男鹿事件」
▽44年に能代市の山中から無線機や乱数表、400ドルの米国紙幣が見つかった「岩崎・能代事件」
▽47年に象潟町(現・にかほ市)の海岸から密出国し、49年に兵庫県の海岸から密入国した後、再び密出国しようとした工作員を同県警が逮捕した「切浜事件」…

韓国当局が摘発した北朝鮮工作員の中にも、秋田県からの出入りが認定された者がいる。


■拉致犯も秋田から…

拉致事件の実行犯も秋田から入っていた。蓮池 薫さん・祐木子さん夫妻を拉致したとして国外移送目的略取容疑で国際手配されているチェ・スンチョル容疑者は、45年に男鹿市の海岸から密入国した。チェ容疑者の配下工作員は、大韓航空機爆破事件で使われた旅券の入手に関わっていた。
拉致被害者の支援組織「救う会」の西岡 力会長は「男鹿脇本事件は氷山の一角。警察や海上保安庁、防衛庁(当時)が情報を共有して海岸を守っていれば拉致もテロもなかった」と指摘する。
男鹿脇本事件の元被告は韓国への強制送還を免れ、関西で会社を経営したり、詩人として活動してきた。平成14年に出版した詩集のプロフィルには秋田での逮捕歴が書かれ、事件を題材にしたこんな作品が収録されている。
「撃つぞ! 兵士の甲高い声が暗黒の海岸線に鳴り響いた」
「咄嗟(とっさ)に僕は海に飛び込んだ」
「あの日から 僕はまだ泳ぎ続けている 波に洗われながら もう二十年も」

■政府拉致問題HP
http://www.rachi.go.jp/
■警察庁HP
http://www.npa.go.jp/
■秋田県警HP
http://www.police.pref.akita.jp/
■救う会秋田HP
http://sukuukai-akita.com/
■救う会全国協議会HP
http://www.sukuukai.jp/
■特定失踪者問題調査会HP
http://www.chosa-kai.jp/



《特定失踪者・木村かほるさんについて》
◆氏名:木村 かほる
(きむらかおる)
◆失踪年月日:昭和35(1960)年2月27日
◆生年月日:昭和13(1938)年8月27日
◆性別:女性
◆当時の年齢:21歳
◆当時の身分:日赤秋田高等看護学校3年生
◆当時の住所:秋田県秋田市中通
◆特徴:
1)中肉中背
2)色白でいつも微笑みをたたえ優しい感じ
◆失踪場所:秋田市内

【失踪状況】
戸籍上は「かをる」だが、日常は「かほる」としていた。
看護学校の卒業式を10日後に控えていた。
「ちょっと出かけてくる」と寮の同室の友人数人に言って出て行ったきり戻らず。
平成16年9月29日、青森県八戸署に告発状を提出。
■青森県警HP
http://www.police.pref.aomori.jp/

《特定失踪者・石田 清さんについて》
◆氏名:石田 清
(いしだきよし)
◆失踪年月日:昭和44(1969)年9月末~10月初め頃
◆生年月日:昭和18(1943)年3月16日
◆性別:男
◆当時の年齢:26歳
◆身長:158cm
◆体重:56kgくらい
◆当時の身分:自動車板金工
◆当時の住所:秋田県能代市二ツ井(旧二ツ井町)
◆特徴:片方の黒目が若干欠けている
◆失踪場所:秋田県山本郡二ツ井町(現在能代市)自宅アパートから

【失踪状況】
実家に稲刈りの手伝いに来て「明日も来る」と言っていたが、翌日来なかった。
自宅アパートの隣の家に寝巻きが投げ捨てられており、電線(もしくは電話線)が切られていたことから、事件ではないかと警察に通報した。
また日時は不明だが、二ツ井高校近くのバス停の鷹巣方面、藤里方面行き乗り場に立っていたという目撃情報もあった。

《特定失踪者・薩摩勝博さんについて》
◆氏名:薩摩 勝博
(さつまかつひろ)
◆失踪年月日:昭和48(1973)年1月
◆生年月日:昭和24(1949)年10月11日
◆性別:男
◆当時の年齢:23歳
◆当時の身分:農業・牛乳販売店勤務
◆当時の住所:秋田県山本郡八峰町(旧峰浜町)
◆失踪場所:秋田県峰浜村(現八峰町)の実家から能代市に向かったのが最後

【失踪状況】
失踪当時は農閑期だったため、勝博さんは出稼ぎで東京都杉並区の牛乳販売店に勤めていた。
そこを頼っていった同じ村落出身の女性(能代市居住)としばらく同居していた。
二人は結婚の意思を固め、失踪前夜に勝博さんの実家を揃って訪れるが父や親戚に反対される。
その夜は実家に泊まり、翌朝「彼女を能代市内に送ってくる」と行ったまま戻らず。
車も発見されていない。
■警視庁HP
http://www.keishicho.metro.tokyo.jp

《特定失踪者・佐藤正行さんについて》
◆氏名:佐藤 正行
(さとうまさゆき)
◆失踪年月日:昭和61(1986)年10月29日
◆生年月日:昭和33(1958)年12月11日
◆性別:男
◆当時の年齢:27歳
◆身長:170cm
◆体重:60cm
◆当時の身分:製薬会社勤務
◆当時の住所:愛知県名古屋市
◆秋田県秋田市新屋出身
◆特徴:
1)やや面長
2)眼鏡とコンタクトレンズを併用
◆失踪場所:愛知県名古屋市千種区の自宅マンション

【失踪状況】
外食店で買い求めた弁当をアパート自室で食事中、部屋着の軽装で外出したまま行方不明。
部屋には財布、自動車免許など一切の身の回りのものは残されていた。
■愛知県警HP
http://www.pref.aichi.jp/police/

《特定失踪者・松橋恵美子さんについて》
◆氏名:松橋 恵美子
(まつはしえみこ)
◆失踪年月日:平成4(1992)年1月15日
◆生年月日:昭和40(1965)年5月15日
◆性別:女性
◆当時の年齢:26歳
◆当時の身分:縫製工場勤務
◆当時の住所:秋田県北秋田市三里(旧合川町)
◆失踪場所:秋田県能代市能代浜

【失踪状況】
祖母に「鷹ノ巣に行って来る」と告げて車で出かけたまま、その日は戻らなかった。
友人の家に行ったのだろうと思っていたら、翌朝出勤していないことがわかる。
家族で探したところ、能代市の海岸で車が見つかる。
車内には身の回りのものが全て残っていた。
北朝鮮にいるとの不確定情報がある。



【拉致事件、捜査の現状】
北朝鮮による拉致事件を巡り、日本の警察はこれまで実行犯や指示役として北朝鮮の元工作員たち合わせて11人を国際手配しています。
拉致には金正日(キム・ジョンイル)総書記が掌握していた対外情報調査部と呼ばれる工作機関が組織的に関わっていた疑いが強いと見て捜査を続けています。
このうち、福井県の地村保志さん・富貴恵さん夫妻を拉致した実行犯として元工作員の辛光洙(シン・グァンス)容疑者が手配されています。
また、大阪府の原 敕晁さんが拉致された事件では、辛容疑者とともに金吉旭(キム・キルウク)容疑者も共犯者として手配されています。
この他、東京都の久米 裕さん拉致事件では金世鎬(キム・セホ)容疑者が、新潟県の曽我ひとみさん拉致事件にはキム・ミョンスク容疑者がそれぞれ関わったとして手配されています。
北海道出身の渡辺秀子さんの子供2人の拉致事件では、工作員グループのリーダー格で北朝鮮にいると見られる洪寿恵(ホン・スヘ)こと木下陽子容疑者が手配されています。
新潟県の蓮池 薫さん・祐木子さん夫妻の拉致事件ではチェ・スンチョル容疑者が実行犯として手配されている他、金総書記が掌握していた対外報調査部と呼ばれる北朝鮮の工作機関の幹部であるハン・クムニョン容疑者とキム・ナンジン容疑者が拉致の実行を指示したとして手配されています。
ハン容疑者たちは工作機関で「指導員」と呼ばれる立場で、辛光洙容疑者たちもこの組織の一員だったことがわかっており、警察は北朝鮮が組織的に拉致を実行した疑いが強いと見て捜査を続けています。
よど号ハイジャック事件のメンバーたちも1980年代にヨーロッパで相次いだ3人の日本人拉致に関わった疑いで国際手配されています。
このうち、有本恵子さん拉致事件では魚本公博(安部公博)容疑者が、石岡 亨さんと松木 薫さん拉致事件ではよど号メンバーの妻の森 順子・若林佐喜子両容疑者がそれぞれ手配されています。

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【みんな生きている】田口八重子さん・新木 章さん/産経新聞

2015-08-05 20:50:24 | 日記
《インチキ遺骨ではなくて、拉致被害者を返せ!【拉致再調査】被害者家族ら署名活動。川口たたら祭りで呼びかけ》

北朝鮮による拉致被害者や特定失踪者の家族らが8月1日、埼玉県川口市青木の川口オートレース場などで開かれた「たたら祭り」会場で、被害者の早期救出を政府に求める署名活動を行った。
拉致問題を考える川口の会が主催し今年で13回目。川口市にゆかりのある特定失踪者・藤田 進さん(失踪当時19歳)や新木 章さん(失踪当時29歳)、拉致被害者の田口八重子さん(拉致当時22歳)らの家族など計30人が参加し、新木さんの妹・横山木三子さん(65歳)は

「兄が元気でいることを願って活動している。一日も早くこの問題が解決するよう協力してもらいたい」

と呼びかけた。
署名活動は2日も同会場で行われた。

■政府拉致問題HP
http://www.rachi.go.jp/
■埼玉県警HP
http://www.police.pref.saitama.lg.jp/
■救う会埼玉HP
http://sukuukai.gozaru.jp/
■拉致問題を考える川口の会HP
http://kawaguchi.aikotoba.jp/list.htm
■救う会全国協議会HP
http://www.sukuukai.jp/
■特定失踪者問題調査会HP
http://www.chosa-kai.jp/

◆昭和53(1978)年6月頃
李恩恵(リ・ウネ)拉致容疑事案
被害者:田口八重子さん(拉致被害時22歳)
昭和62年11月の大韓航空機(KAL)爆破事件で有罪判決を受けた元北朝鮮諜報員金賢姫(キム・ヒョンヒ)氏は「李恩恵(リ・ウネ)」という女性から日本人の振る舞い方を学んだと主張している。この李恩恵は行方不明となった田口さんと同一人物と考えられる。
北朝鮮側は、田口さんは1984(昭和59)年に原 敕晁さんと結婚し、1986(昭和61)年の原さんの病死後すぐに自動車事故で死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。
平成21年3月、金賢姫氏と飯塚家との面会において、金氏より田口さんの安否にかかる重要な参考情報(注)が新たに得られたことから、現在、同情報についての確認作業を進めている。
(注)金氏の発言:「87年1月にマカオから帰ってきて、2月か3月頃、運転手から田口さんがどこか知らないところに連れて行かれたと聞いた。86年に一人暮らしの被害者を結婚させたと聞いたので、田口さんもどこかに行って結婚したのだと思った」

※「八重子さんが北朝鮮の南浦港に着いたとき、女性通訳に“私には子供が二人いて、どうしても日本に帰らなくてはならないので、返してほしい”と何回も言ってお願いしたそうです。八重ちゃんの思いは最初から最後まで子供のことでいっぱいでしたし、今でも間違い無く“今、彩ちゃんはいくつになって、耕ちゃんはいくつになった”と毎年計算して、どんな大人になったか知りたがっているはずです。すごく会いたがっていると思います」
(拉致被害者・地村富貴恵さんの証言)

《特定失踪者・藤田 進さんについて》
※国連人権理事会が調査要請を受理した事案
◆氏名:藤田 進
(ふじたすすむ)
◆失踪年月日:昭和51(1976)年2月7日
◆生年月日:昭和31(1956)年6月16日
◆性別:男
◆当時の年齢:19歳
◆当時の身分:東京学芸大学教育学部1年生
◆当時の住所:埼玉県川口市南町
◆特徴:
1)家ではあまりしゃべらないタイプ
2)ギターがうまかった
◆失踪場所:埼玉県川口市の自宅

【失踪状況】
失踪当日6:30~7:00頃、以前から言っていた新宿のガードマンのバイトに行くといって服を持って家を出たまま帰らず。
後に新宿にある全ての警備会社に電話で問い合わせたが該当者はいなかった。
脱北者が北朝鮮から持ち出した写真が鑑定の結果、藤田 進さんである可能性が極めて高いことが判明。
平成16年1月28日、埼玉県警に告発状提出。

《特定失踪者・新木 章さんについて》
◆氏名:新木 章
(あらきあきら)
◆失踪年月日:昭和52(1977)年5月21日
◆生年月日:昭和22(1947)年10月16日
◆性別:男
◆当時の年齢:29歳
◆当時の身分:銀行員(事務系、コンピュータを使う仕事)
◆当時の住所:埼玉県川口市栄町
◆特徴:
1)中肉中背
2)眼鏡使用
◆失踪場所:埼玉県川口市

【失踪状況】
「買い物に行く。午後6時か7時には帰る」と川口市の自宅を出たまま失踪。
家を出たときは財布しか持っていない。
免許証、クレジットカードが入っていたが、更新がされていないし、カードは使っていない。
平成16年1月29日、埼玉県警に告発状提出。

《特定失踪者・種橋昭子さんについて》
◆氏名:種橋 昭子
(たねはしあきこ)
◆失踪年月日:昭和40(1965)年6月8日
◆生年月日:昭和18(1943)年8月24日
◆性別:女性
◆当時の年齢:21歳
◆身長:145cm
◆体重:45kg~46kg
◆当時の身分:会社員
◆失踪場所:埼玉県朝霞市溝沼

【失踪状況】
1965年6月8日、母親に「元の養子先に戻る」と言って家を出たまま行方不明。
そこへは行っていないことがわかり、母親が朝霞警察署に家出人捜索願を提出した。

《特定失踪者・小谷幸夫さんについて》
◆氏名:小谷 幸夫
(こたにゆきお)
◆失踪年月日:昭和43(1968)年7月21日
◆生年月日:昭和22(1947)年2月13日
◆性別:男
◆当時の年齢:21歳
◆身長:170cmより高め
◆体重:55kg~56kg
◆当時の身分:大学4年生
◆当時の住所:東京都練馬区
◆失踪場所:山形県飯豊連峰・飯豊本山付近

【失踪状況】
拓殖大学4年生在学中の夏休み、北海道へ帰省する途中に、飯豊連峰に登山中行方不明に。
19日に上野駅を出発し、翌日郡山を経て8:30に磐越西線山都駅に到着。
バスで登山口の一ノ木登山連絡所に行き、9:30頃に登山者名簿に記録を残す。そこから飯豊山(2,205m)へ向かい、同日は手前の小屋に止まる。
21日朝3:30に同宿した4名とともに飯豊山を目指し、4:40頃に飯豊山着。ここからガスがかかりだしたことから、同行の4人は引き返したが、小西さん一人御西岳に向かい、そのまま行方不明。
地元警察などが捜索を行ったが遺留品など一切なし。その後2年にわたって捜索が続けられたが全く手掛かりがなかった。
同泊した登山者の話では、小谷さんは「北股岳を通る」「朝日連峰にも登りたい」と話していたという。
■警視庁HP
http://www.keishicho.metro.tokyo.jp
■北海道警HP
http://www.police.pref.hokkaido.lg.jp/
■山形県警HP
http://www.pref.yamagata.jp/police/

《特定失踪者・井上克美さんについて》
◆氏名:井上 克美
(いのうえかつよし)
◆失踪年月日:昭和46(1971)年12月29日
◆生年月日:昭和25(1950)年6月8日
◆性別:男
◆当時の年齢:21歳
◆当時の身分:電気工事店勤務
◆当時の住所:埼玉県蕨市
◆失踪場所:埼玉県川口市

【失踪状況】
失踪当日会社の忘年会の後、川口市内の飲食店で飲み(午前0時~1時)、寿司屋で食事をしたあと友人と別れた。
当時泥酔状態。
夜帰宅しなかったので翌30日前実家に電話があり両親も知った。
妻の話では正月は家に行くと言っていたので実家に帰っているのではと思い電話したとのこと。
運転免許の更新もなし。
連絡も一切なし。
長男が生まれる直前だった。

《特定失踪者・今津淳子さんについて》
◆氏名:今津 淳子
(いまづじゅんこ)
◆失踪年月日:昭和60(1985)年4月30日
◆生年月日:昭和32(1957)年5月28日
◆性別:女性
◆当時の年齢:27歳
◆身長:158cm
◆体重:59kg
◆当時の身分:保育園保母
◆当時の住所:埼玉県深谷市
◆大分県佐伯市上浦町出身
◆特徴:
1)顔は卵形で色白。額の真ん中に指の先ほどの痣がある。
2)近視で普段はコンタクト使用。眼鏡のときもある。
◆失踪場所:埼玉県深谷市大谷

【失踪状況】
休暇を取って大宮の運転試験場へバイクの免許を取りに行った。
同日7時頃寮の同僚に「これからバスで帰る。何か買い物はないか」と電話連絡したまま消息不明。
警察は公開捜査を行ったが目撃証言もなく安否につながる情報もない。
同日21時頃最寄りのバス停と寮の間の民家の人が犬が激しく鳴くのを聞く。
翌朝、その家の人が畑の中に今津さんの両方の靴を発見。
「北朝鮮にいる」という情報がある。
■大分県警HP
http://www.pref.oita.jp/keisatu/

《特定失踪者・佐々木正和さんについて》
◆氏名:佐々木 正和
(ささきまさかず)
◆失踪年月日:昭和62(1987)年11月末
◆生年月日:昭和25(1950)年8月15日
◆性別:男
◆当時の年齢:37歳
◆身長:168cm
◆当時の身分:家庭教師、塾講師をしていた。(正確には不明)
◆当時の住所:埼玉県大宮市宮原町(現・さいたま市北区宮原町)
◆特徴:30歳の時に胃ガンの手術。胸に赤くて四角の5cm位の疣。
◆失踪場所:埼玉県大宮市?

【失踪状況】
昭和62年11月末日、アパートの大家と話をした後、不明。
1人暮らしのためはっきりした日時がわからない。
大家から12月に連絡があった。
部屋の中は荒らされていない。
現金10万円が部屋にあり、預金もそのまま。
免許証も置いたまま。
家族とは数ヶ月に一度顔を見る程度だった。



【拉致事件、捜査の現状】
北朝鮮による拉致事件を巡り、日本の警察はこれまで実行犯や指示役として北朝鮮の元工作員たち合わせて11人を国際手配しています。
拉致には金正日(キム・ジョンイル)総書記が掌握していた対外情報調査部と呼ばれる工作機関が組織的に関わっていた疑いが強いと見て捜査を続けています。
このうち、福井県の地村保志さん・富貴恵さん夫妻を拉致した実行犯として元工作員の辛光洙(シン・グァンス)容疑者が手配されています。
また、大阪府の原 敕晁さんが拉致された事件では、辛容疑者とともに金吉旭(キム・キルウク)容疑者も共犯者として手配されています。
この他、東京都の久米 裕さん拉致事件では金世鎬(キム・セホ)容疑者が、新潟県の曽我ひとみさん拉致事件にはキム・ミョンスク容疑者がそれぞれ関わったとして手配されています。
北海道出身の渡辺秀子さんの子供2人の拉致事件では、工作員グループのリーダー格で北朝鮮にいると見られる洪寿恵(ホン・スヘ)こと木下陽子容疑者が手配されています。
新潟県の蓮池 薫さん・祐木子さん夫妻の拉致事件ではチェ・スンチョル容疑者が実行犯として手配されている他、金総書記が掌握していた対外報調査部と呼ばれる北朝鮮の工作機関の幹部であるハン・クムニョン容疑者とキム・ナンジン容疑者が拉致の実行を指示したとして手配されています。
ハン容疑者たちは工作機関で「指導員」と呼ばれる立場で、辛光洙容疑者たちもこの組織の一員だったことがわかっており、警察は北朝鮮が組織的に拉致を実行した疑いが強いと見て捜査を続けています。
よど号ハイジャック事件のメンバーたちも1980年代にヨーロッパで相次いだ3人の日本人拉致に関わった疑いで国際手配されています。
このうち、有本恵子さん拉致事件では魚本公博(安部公博)容疑者が、石岡 亨さんと松木 薫さん拉致事件ではよど号メンバーの妻の森 順子・若林佐喜子両容疑者がそれぞれ手配されています。

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