もずの独り言・goo版

半蔵ともず、gooでも独り言です。『もずの独り言』はこれからも戦い続けます。

【みんな生きている】拉北者解放編

2010-01-31 08:04:09 | 日記
1月30日付の韓国紙『東亜日報』は消息筋の話として
「北朝鮮の金正日(キム・ジョンイル)総書記が治安機関の国家保衛部に対し、朝鮮戦争で捕虜となった韓国軍兵士や韓国人拉致被害者(拉北者)の送還や一時帰国を認めるよう指示した」
と伝えました。
これは、南北首脳会談実現のため韓国の要求に応じる準備を始めたものと見られています。



※拉北者解放が実現すれば、韓国は圧力を上手に生かし日本は圧力を生かせなかったことになる。

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【みんな生きている】惠谷 治編

2010-01-30 09:41:30 | 日記
(以下は、1月29日の救う会東京連続集会の資料です)



北朝鮮による拉致の分析
惠谷 治

過去の北朝鮮による拉致事件を分析すると、以下のような8つの目的が浮かび上がってくる。
また、拉致事件の状況を見ると、拉致は3つの方法で実行されている。

《拉致の目的》
1.秘密隠蔽のため
2.背乗り(はいのり。身分盗用のこと)のため
3.工作員として活用するため
4.工作員現地化教育の教官として活用するため
5.拉致被害者等の配偶者にするため
6.特殊技能者(専門家)を必要としたため
7.反北朝鮮活動を阻止するため
8.対南(対韓国)宣伝に利用するため

《拉致の方法》
(1)遭遇拉致
工作活動を目撃される等、不都合の口封じの色合いが強い。
上記目的の1や7にあたる。
(2)条件拉致
拉致の対象者に「工作員として使えること」・「特殊技能を持っていること」・「対韓国への宣伝に使えること」等条件がついている場合を指す。
上記目的の2~5、及び8にあたる。
(3)人定拉致
文字通り、対象者を特定して拉致すること。
上記目的の5~7にあたる。
基本的には特定の個人を拉致するが、「若い女性」あるいは「背乗り対象者」という条件拉致であっても、対象者を最終的には限定しなければならず、朝鮮労働党作戦部や朝鮮労働党調査部との共同作戦となる。



【北朝鮮による拉致及び拉致未遂事件】

《第1期》
・北朝鮮建国から朝鮮戦争休戦まで

1946年7月31日
金日成(キム・イルソン)国家主席が
「南朝鮮(韓国)からインテリを連れてくることについて」
韓国人拉致指令を出す。

《第2期》
・朝鮮戦争休戦から対南工作検閲まで
この時期は金日成政権下で朝鮮労働党3号庁舎が中心となって犯行に及んだ。
対南工作検閲とは工作の「見直し」を指す。

1963年5月12日
石川県志賀町高浜の沖合で寺越昭二さん・寺越外雄さん・寺越武志さんを拉致。
この事件について、金日成政治軍事大学のオ・グホ教官は
「寺越事件はオレがやった。オレが日本人拉致の元祖だ。たくさんやった。ここ(大学)にいる日本人(拉致被害者)はみんな知っている」
と学生たちの前で発言。

1969年11月
金主席、3号庁舎拡大幹部会議の席上
「日本人拉致を容認」
する発言をする。
1970年3月31日
「よど号」、平壌に着陸。
1970年8月8日
加藤久美子さんを拉致。
1973年7月7日
古川了子さんを拉致。
1974年6月中旬頃
渡辺秀子さんの2児を拉致。
※渡辺秀子さんは殺害され、2児の拉致を指示した洪寿恵(ホン・スヘ。日本名・木下陽子)には2007年4月に逮捕状が出ている。

《第3期》
・金正日(キム・ジョンイル)総書記が対南工作機関を掌握した以降
この時期は金正日政権下で朝鮮労働党3号庁舎が中心となって犯行に及んだ。
※1975年~1976年にかけて、北朝鮮では工作機関の活動の検閲(活動の見直しと工作員の選別及び再教育)が行われたため、拉致行為は基本的には行われていない。
1976年7月中旬頃
福留貴美子さんが「モンゴルに行く」と言って出国。その後に拉致。
1977年9月19日
石川県能登半島宇出津から久米 裕さんを拉致。
1977年10月21日
松本京子さんを拉致。
1977年11月15日
新潟県寄居浜付近から横田めぐみさんを拉致。
1978年6月6日
中華料理店「来大」の店員だった田中 実さんをウィーン経由で拉致。
※実行犯は韓竜大(ハン・ヨンデ)と曹廷楽(チョ・ジョンガリ)の2人。
1978年6月29日
東京都豊島区から田口八重子さんを拉致。
1978年7月7日
福井県小浜市から地村保志さん・浜本富貴恵さんを拉致。
1978年7月31日
新潟県柏崎市の中央海岸付近から蓮池 薫さん・奥土祐木子を拉致。
1978年8月5日
韓国の仙遊島海水浴場から金英男(キム・ヨンナム)さんを拉致。
※金英男さんはキム・ヘギョンさんの父親。
1978年8月12日
鹿児島県日置郡の吹上浜から市川修一さん・増元るみ子さんを拉致。
1978年8月12日
新潟県佐渡島から曽我ひとみさん・曽我ミヨシさんを拉致。
1978年8月15日
富山県高岡市の雨晴海岸でカップル拉致未遂事件。

※1978年は
タイ人・中国人・韓国人・マレーシア人・シンガポール人・レバノン人・ルーマニア人・フランス人・イタリア人・オランダ人・ヨルダン人
を拉致している。

1979年8月頃
東京都山谷地域から小住健蔵さんを拉致。
1979年頃
金田竜光さん失踪。
※金田さんの失踪については田中 実さんの「君もこっちに来ないか」の手紙が引き金になっていることから、金田さんも拉致である可能性が高い。
1980年5月中旬頃
マドリードで松木 薫さん・石岡 亨さんを拉致。
(よど号ルート拉致)
1980年6月20日
宮崎県青島海岸の児童公園から原 敕晁さんを拉致。
1983年7月15日
コペンハーゲンから有本恵子さんを拉致。
(よど号ルート拉致)

《第4期》
・国家保衛部中心による中・朝国境周辺での拉致

1997年8月15日
韓国から丹東経由で呉益済(オ・イクチェ)さんを拉致。
※呉さん拉致事件はファン・ジャンヨプ氏亡命に対する「報復拉致」。
2000年1月16日
中国延辺から金東植(キム・ドンシク)牧師を拉致。
2002年9月17日
金正日総書記、拉致を認めて謝罪。

以上



※拉致を認めて謝罪してから今年で8年だ。
早く全員解放しなさい。

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【みんな生きている】アメリカ人拘束編

2010-01-29 06:04:34 | 日記
北朝鮮の朝鮮中央通信は1月28日、「中・朝国境を越えて不法入国したアメリカ人1人が1月25日に拘束された」と伝えました。現在関係機関が取り調べを行なっているということで、アメリカ人の身元や北朝鮮に入国した理由等詳細は明らかになっていません。



※早く解放しなさい。

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【みんな生きている】呉克烈・李英鎬編

2010-01-28 21:10:12 | 日記
《北朝鮮軍の砲撃行動は呉克烈・李英鎬両氏によるもの》

1月15日の「報復の聖戦」声明発表に続き、1月27日には海岸砲による砲撃を行う等最近の北朝鮮による強硬な挑発行為は朝鮮人民軍の李英鎬(リ・ヨンホ)総参謀長と呉克烈(オ・グクリョル)国防副委員長の指揮により行われたとの見方が有力だ。
北朝鮮の消息筋はこの日、

「数日前にかつて朝鮮人民軍幹部だった脱北者に会った際、李英鎬氏について『様々な砲弾について精通しており、砲撃も得意な指揮官だ』と語っていた」

と述べた。
今回の海岸砲による挑発行為も武力行使を総括する李総参謀長の判断に基づいているとの見方だ。李総参謀長は朝鮮人民軍では比較的若い60代だが、昨年2月に平壌防御指令官から総参謀長に抜擢された。
韓国の金泰榮国防部長官(国防相)が「先制攻撃」発言を行なったことについて北朝鮮総参謀部は1月24日、「宣戦布告と見なす」という声明を発表していた。
ある情報筋は

「次の世代にあたる李総参謀長は、すでに高齢で活動をしていない70代~80代の軍首脳部とは異なり金正日(キム・ジョンイル)総書記に対する忠誠を示し続ける必要がある。そのために過激な行動に出る可能性も高い」

と述べた。
現在まで2ヶ月にわたり病気療養中の金永春(キム・ヨンチュン)人民武力部長(国防長官に相当)が総参謀長だった当時、李総参謀長はその指揮下で作戦局の実務を担当していた。
また韓国情報当局は国防委員会による「報復の聖戦」声明発表について

「呉副委員長が指示した可能性が高い」

と見ている。
呉副委員長は1983年のアウンサンテロを指揮した人物で、アメリカの情報当局も偽造ドル紙幣製造の黒幕として注目している。また、1989年からは韓国で暗躍するスパイを送り出す業務を担当する朝鮮労働党作戦局長を20年間務めている。父親のオ・ギュンソン氏は「金日成(キム・イルソン)部隊」の元隊員で、その縁もあって幼い頃から金総書記とは兄弟のように過ごし、親しい間柄だという。また、空軍指令官や総参謀長を務めたこともある。
北朝鮮消息筋は

「呉副委員長は昔から対南(対韓国)強硬派の代表とされて来た。昨年国防委副委員長に就任してからは国防委で対南工作を総括している」

と述べた。
一方、西海北方限界線(NLL)の周辺海域を担当する強硬派の金格植(キム・ギョクシク)4軍団長に注目するとの見方もある。金軍団長は昨年2月に総参謀長を突然解任され、4軍団長に降格した人物だ。
しかし、韓国安全保障当局関係者は

「最高権力機関である国防委員会の声明等から考慮すると、地域の指令官が挑発を主導出来るような状況にはないと見られる」

と述べた。



※人事に眼を向けるのは相手を知るうえで大事なことだ。
呉克烈副委員長については過去の【みんな生きている】(au版)をご覧下さい。

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【みんな生きている】北朝鮮混乱編

2010-01-28 05:50:43 | 日記
韓国のニュース専門テレビ『YTN』は1月26日、外交筋の話として
「エチオピアに駐在していた北朝鮮大使館の40歳の男性職員が昨年秋に現地の韓国大使館に駆け込み亡命した」
と伝えました。
一方、北朝鮮国内では昨年末に通貨ウォンの単位を1/100に切り下げるデノミを実施したあと物価が2倍~3倍程度上昇し、国民生活に混乱を招き始めていることが北朝鮮で合弁事業を行なっている事業家の話で明らかになりました。



※大使館職員の亡命に経済の混乱。
さっさとまともな国になりなさい。

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