隻手の声(佐藤節夫)The voice of one hand clapping.

世の中の片手の声をココロで聴こう。

教育より共育に思う。

2006-02-15 14:41:51 | Weblog
教育より共育に思う。          平成丙戌年如月十五日

 いつもながらの青っち様の育自日記。
昨日は教室のやりとり。「廊下を走らないための罰は、どうしたらいいと思う!」の問いかけに一同沈黙。教師は続けて「廊下を走ったら給食が食べられない!」と提案する。
子供は「自分らは動物じゃない!」と語っていた。
 いかに「先生」がきちんと『キャッチ』する「術」や「努力」を常に行っているか否か?が問題だ。鋭い指摘に耳が痛い。 先生の論議の持って行き方がちょっと「結論」を急ぎすぎたのかな。だから、クラス中が黙ってしまったのではないかと思います。 
 ところで、昨夜、私のもとにきているA子が、友と勉強中にふと話がある点に来たかと思うと、思い出したかのように泣き出した。話を聞いてみると、クラスの中のB男に思いを寄せていたわけだが、クラスの半分にバレてしまい、B男はA子に対してはそれほどでも感じて無かったという事が分かった。誰がバラしたかというより、大事な秘め事だし、まだ「告って」ないのに裏目になってしまった悲しみがショックになり、泣き出したわけであった。今日の岐阜県公立高校特色化選抜の試験と面接を控え、自己アピール文の作成をして、文を暗記させ、時間を測ってやるところであった。
 若い中学生の初恋だろうが、本人にとっては重大事だ。明日に引きずることのないよう
ないい言葉が見つからない!「捨てる神あれば、拾う神あり」FP社長の言葉をいったり、「人間万事塞翁が馬」などと言って、はげました。Go for it! Good luck to you!
3年前は、中2のC子が学校でイジメに会い、登校拒否。話を聞くとすこぶる陰湿だとのこと。冷却のため2ヶ月学校を休み、私のもとで勉強した。中3になり、クラス分け、通知表も一時的と無視してもらい、高校合格した。今は元気で短大へ行くとの報告を受けている。まだある、5年前のこと、ちょうど今時分、中3D子が親と喧嘩して家出して、私のもとで預かった経験も思い出す。
 色々青っち様がいわれるように、子供らの微妙なサインを「親」が感知し、どのようなタイミングであれ、「聴いては、その思いを汲みながら答え返す」という行動に出るか否か。日常、些細な場面ですら、真剣勝負が試されている。まったくの至言です。
 文部省は「ゆとり」の看板をはずし、どこへ私たちを連れていこうとしているのか?
「任せて下さい。」⇒「無かったものにしよう。」と同じらしい。
英語はお休みしました。お読み下され、感謝します。