隻手の声(佐藤節夫)The voice of one hand clapping.

世の中の片手の声をココロで聴こう。

続・「共通の価値観」Sequel to Common sense of values

2016-01-29 22:39:28 | Weblog
 春曙紅(ツバキ) 

続「共通の価値観」Sequel to Common sense of values 平成廿八丙甲年睦月廿九日

 もう7年も前になるが、オバマ大統領の勝利演説がなされた。ここで語られたことはいま複雑になって問題解決が難しいように思える。
 ちょっと振り返ってみよう。平成20年11月投稿。
 If there is anyone out there who still doubts that America is a place where all things are possible, who still wonders if the dream of our founders is alive in our time, who still questions the power of our democracy, tonight is your answer. It’s the answer spoken by young and old, rich and poor, Democrat and Republican, black, white, Hispanic, Asian, Native American, gay, straight, disabled and not disabled. Americans who sent a message to the world that we have never been just a collection of individuals or a collection of red states and blue states. We are, and always will be, the United States of America.
アメリカはあらゆることが可能な国です。建国の父たちの夢は今も生きている。民主主義には力がある。これらを今も信じる人がいるのか。疑問を持っている人がいれば、今晩が答えである。
老いも若きも、金持ちも貧乏人も、そろって答えました。民主党員も共和党員も、黒人も白人も、ヒスパニックも、アジア人もアメリカ先住民も、ゲイもストレートも、障害者も障害のない人たちも。アメリカ人はみんなして、答えを出しました。アメリカは今夜、世界中にメッセイジを発したのです。私たちはただ単に個人がバラバラに集まっている国だったこともなければ、単なる赤い州と青い州の集まりだったこともないと。私たちは今までずっと、そしてこれから先もずっと、すべての州が一致団結したアメリカ合衆国(United States of America)だったのです。
このように「人種の超越」を訴えた。
 
 当時の様相と今では根本的に違ってきた。それは単なる移民の問題でなく、ISというイスラム過激派の脅威も克服しなければならなくなってきている。
 当時は、イギリスの問題でしたね。スコットランドは独立とならずに済んだが、ポーランド移民問題が、残っている。「英国らしさ」の言論の自由、寛容の精神で一体感を持とうと訴えていた。
大変なのが、ドイツだ。当時は記事にならなかったが、移民と難民(特に人道上の配慮からシリアから)問題である。去年難民申請のため入国した人数は109万人に上った。大半の難民は受け入れたドイツに感謝し、異国での生活に慣れようと努力している。メルケル首相は罪を犯した難民をすみやかに強制送還すべきであろう。
トルコ人など移民の子や孫の世代は、ドイツ語を学び、独社会にとけこんでいる。

 3年前から、ドイツから犬山城へ来てくれたご夫妻と文通しているが、今の情勢を聞いてみた。
 ドイツ夫妻へ I’m sorry I couldn’t visit Germany.
I’m afraid of terrorism of IS.
I think Germany does good works for imigrants(400,000)and a lot of refugees.
Germany has tolerant and generous people.
I think we can’t solve by war.
An ex-premier Lester Bowles Pearson of Canada said “ Peace isn’t achieved by power, but attained by breaking off sources of dispute.”
ドイツ夫妻より
Until now we haven`t had any terroristic attacks. It is peaceful in Germany. Concerning the big number of refugees the opinions differ very much and this development is not without problems.
All the best wishes
現実は厳しいということでしょうか。多少は混乱や動揺はあるでしょう。
戦後、養ってきた人道主義と理性でこそ、試練を乗り越えることができるはずです。

お読み下され、感謝致します。

惟然と丈草Inen and Joso

2016-01-14 16:10:14 | Weblog
 宝冠大日如来

惟然と丈草Inen and Joso 平成丙申廿八年睦月十四日

 関善光寺様の五郎丸ポーズの宝冠大日如来様は、今や昨年の10倍の参拝客で混んでいた。 2日の日に行ってきた人によると、国道まで駐車の車が並んで時間がかかったそうだ。
 この駐車場の隣に、関市出身で広瀬惟然という俳人が住んでいたという弁慶庵・惟然記念館がある。早速入ってみた。

 惟然は1648年、関市に酒造業広瀬九兵衛(岩本屋)の三男として生まれ、名を源之亟と言った。
幼少のころ名古屋の商家の養子に入ったが、もともと商売向きではなく、毎日本を読み、俳句を作ったりする生活を送っていた。ある日、庭の梅の木に鳥が舞い降り、羽風に梅の花びらが散るのを見て世の
無常を知り、妻子を捨てて家を出ると、郷里の関に戻り剃髪して仏門に入った。
 仏に仕えながら俳諧の道に精進し、1688年、芭蕉が岐阜を訪れたとき。その門人となった。
蕉門十哲の一人となり、元禄時代は、近江、京都、伊賀上野など芭蕉の旅の供をした。
 そして、供というより芭蕉が、大阪で病の床に臥すと一心に看護にあたり、芭蕉の最期をみとったという大変な芭蕉思いの俳人であった。
 学芸員さんに、犬山城の家臣に内藤丈草がいたが、彼は病身で、侍を辞め、芭蕉のもとで蕉門十哲の一人となられたのですが、交流は? とお聞きしたら、弁慶庵に来られ、お泊りになられたとのこと。びっくりであった。その時の句もありますよと教えていただいた。
   『ねずみ共 出立(でた)ちの芋をこかしけり』 注;こかす=転がす
              丈草作、弁慶庵で泊まられた時の句

   『町中の 山や五月(さつき)の のぼり雲』
         丈草作、関市箕十亭を訪れた時の句

   『木枕の 垢(あか)や 伊吹にのこる雪』
              丈草作、惟然に送る
   『うぐいすに また来て寝ばや ねたひほど』
              惟然作、上の句に対する返句

丈草の傑作は、『うづくまる 薬の下(もと)の 寒さかな』 でしょう。
芭蕉も「丈草でかしたり」と誉めたという。

ここ惟然記念館の庭に記念碑は建てられている。
見にくいですが、惟然作
 「かうゐるも 大切な日ぞ 花盛」=<こうしていても、大切な日なのだ、桜の花が盛りです>

 そして そばには関係するお墓が並んでいた。
 
私には奥が深い俳句ですが、こんな近くに偉人がいたとはびっくりでした。

丈草作に 犬山城を歌った句があります。
  『涼しさを 見せてや動く 城の松』
   The pine trees in the castle
Tell it is cool
For they are moving by the wind.

お読みくだされ、感謝致します。