隻手の声(佐藤節夫)The voice of one hand clapping.

世の中の片手の声をココロで聴こう。

閃光A Flash

2009-07-18 13:12:50 | Weblog
閃光A Flash       平成己丑二十一年文月十八日
村上春樹氏の時も、メディアは本当に大事なメッセイジをちょっと取り上げただけで、情けない政治家の動きに右往左往していた。
今回は、世界で活躍するデザイナーの三宅一生氏である。何と、あのNew York Times紙に寄稿し、これまで多くを語ってこなかった自らの原爆体験に触れながら、オバマ米大統領に広島を訪れるよう呼びかけた。オバマ氏が「核兵器のない世界」を訴えた4月のプラハでの演説に触発されたという。
71歳になり、我々戦争を知らない世代に、安易に核武装を叫ばないようにというメッセイジだろうと思います。やはり、アジア太平洋戦争の精算がなされずに引き継がれて、とりわけ「日本は侵略国家でなかった」という論文がある種のブームにさえなっている今、貴重な行動と評価したい。
そこで、New York Times 7月13日の投稿より、
IN April, President Obama pledged(誓った) to seek peace and security in a world without nuclear weapons. He called for not simply a reduction(減少), but elimination(削除). His words awakened something buried deeply within me, something about which I have until now been reluctant(乗り気でない) to discuss. I realized that I have, perhaps now more than ever, a personal and moral responsibility to speak out as one who survived what Mr. Obama called the “flash of light.”  
On Aug. 6, 1945, the first atomic bomb was dropped on my hometown, Hiroshima. I was there, and only 7 years old. When I close my eyes, I still see things no one should ever experience: a bright red light, the black cloud soon after, people running in every direction trying desperately to escape — I remember it all. Within three years, my mother died from radiation exposure. (被爆)I have never chosen to share my memories or thoughts of that day. I have tried, albeit (たとえ~でも)unsuccessfully, to put them behind me, preferring to think of things that can be created, not destroyed, and that bring beauty and joy. I gravitated(引きつけられた) toward the field of clothing design, partly because it is a creative format that is modern and optimistic. I tried never to be defined(明らかにス) by my past. I did not want to be labeled “the designer who survived the atomic bomb,” and therefore I have always avoided questions about Hiroshima. They made me uncomfortable. But now I realize it is a subject that must be discussed if we are ever to rid(抜け出す) the world of nuclear weapons. There is a movement in Hiroshima to invite Mr. Obama to Universal Peace Day on Aug. 6 — the annual commemoration of that fateful day. I hope he will accept. My wish is motivated by a desire not to dwell(留まる) on the past, but rather to give a sign to the world that the American president’s goal is to work to eliminate nuclear wars in the future.
Last week, Russia and the United States signed an agreement to reduce nuclear arms. This was an important event. However, we are not naïve: no one person or country can stop nuclear warfare. In Japan, we live with the constant threat from our nuclear-armed neighbor North Korea. There are reports of other countries acquiring nuclear technology, too. For there to be any hope of peace, people around the world must add their voices to President Obama’s.
If Mr. Obama could walk across the Peace Bridge in Hiroshima — whose balustrades(欄干) were designed by the Japanese-American sculptor(彫刻家) Isamu Noguchi(野口) as a reminder both of his ties to East and West and of what humans do to one another out of hatred(憎しみ) — it would be both a real and a symbolic step toward creating a world that knows no fear of nuclear threat. Every step taken is another step closer to world peace.
Issey Miyake is a clothing designer. This article was translated by members of his staff from the Japanese.
三宅さんは広島にいた7歳の時に閃光(せんこう)を目撃。黒い雲があがり、人々が逃げまどう光景が「目を閉じれば今も浮かぶ」。母親は被爆の影響で、3年もたたないうちに亡くなった。  一方で「原爆を経験したデザイナー」といったレッテルを張られるのを嫌い、「広島について聞かれることにはずっと抵抗があった」という。  しかし、オバマ氏が「プラハ演説」で核廃絶に言及したことが「心の奥深くに埋もれさせていたものを、突き動かした」といい、「閃光を経験した一人として発言すべきである」と考えたという。原子爆弾を生き延びた1人として発言するよう「個人的、そして倫理的な責任」を感じるようになった。8月6日に広島で開かれる平和式典への大統領の出席を望み、核廃絶に向けた「現実的で象徴的な一歩になる」と主張。日本が北朝鮮の核の脅威にさらされ、ほかの国でも核技術の移転が進むと報じられる中、「少しでも平和への希望を生むためには、世界中の人たちがオバマ大統領と声を合わせなければならない」と訴えた。(読売新聞)
 そのうえで、日系アメリカ人のイサム・ノグチ氏がデザインした広島市の平和大橋を、オバマ大統領が渡る光景は、「核兵器の脅威のない世界を創造する、現実的で象徴的な一歩になる」と結んだ。
三宅さんはフランスで服作りを学び、71年に米国ニューヨークで初めてのショーを開いた。三宅デザイン事務所(東京都)によると、これまで三宅さんは被爆に関する取材は一切受けず、今回の寄稿についても「気持ちは文面に言い尽くされている」としてコメントしなかった。近年では戦後50年の95年、広島市の平和式典にひっそりと参列。毎年、原爆投下の時間に合わせて黙とうをささげてきたという。(毎日新聞)
***
実際に現オバマ・アメリカ大統領が訪問されるとなれば、「やもうえなかった」という言葉だけではないと思いますが、現実的で象徴的な一歩になると思います。麻生首相も、招待を呼びかけてもらいたいものです。
「個人的、そして倫理的な責任」とは重大深刻な受けとめかたである。忘却の彼方に押しやることはとても出来ない。
三宅さんは、「ヒロシマの心」を表現している芸術家に贈られる「ヒロシマ賞」(広島市など主催、朝日新聞社共催)を90年に受賞している。
忘れないうちに、投稿しました。
お読み下され、感謝致します。



本質Essence

2009-07-15 14:53:00 | Weblog
本質Essence 平成己丑二十一年文月十五日

 今や、情報社会である。そういう社会で、一番忘れられそうなことは、モノである。そのモノから日本を考えようと、『本質を見抜く力』として養老孟司氏と竹村公太郎氏が対談している。
トップはやはり、地球温暖化の問題である。もともと養老氏は「バカの壁」で「京都議定書」を否定していたから、さらに味方を得たみたいだ。
アメリカの覇権はすべて1901年石油が大量に出たことから始まった。石油の出ない日本は省エネルギーの技術を開発し、省エネ社会を実現し、これからも、生き残れると2人は見ている。最近の「ハイブリッド車」「省エネ家電」の宣伝は凄い。行政のバックアップ(補助金)が、拍車をかける。
しかし、アメリカは生活パターンを縮める方法はない。資産として「資産慣性」といってすでに作られたインフラがあり、それが石油依存であるから、それが切れた時は、アメリカは大変である。でも、アメリカには奥の手があるという。
オイルシェールという砂の混じった石油で、オイルサンドとも言われるものを最後に使うだろう。日本は水力と揚力を使った風車で発電をまかなうようにと、石油のない時代を見越して対談されている。勿論、少子化も万歳である。
でも、原子力、火力はというと、地球温暖化を進めているから今後は?といっている。 竹村氏は「日本文明の謎を解く」で、指摘している。現在最も有効な発電とされている原子力はウラン燃料を核分裂させ、そこで発生した熱エネルギーで水を加熱する。そして200℃以上の高温水蒸気でタービンを回し、発電する。その後、高温水蒸気は海水の冷却水で冷却され、暖まった冷却水は放水口で海に返される。海から取水された冷却水は「7℃」に温められて排水されるという。発電電力量10万キロワット・アワー当たり、約2万2000立方mの温水が排出されることとなる。2002年の1年間日本中の原子力発電所によって発電された電力量は約3170億キロワット・アワーであるから、全国で年間約680億立方mの温水が「7℃」で排出されている。
毎年、日本の原子力発電所から利根川の年間総流出量の約7倍の水量が、7℃温められて海に排出されている。世界全体の原子力発電量は日本の約8倍であるから、世界全体でみると、利根川の年間総流出量の56倍の水量が7℃温められて、海に排水されているわけだ。これは原子力だけでない、火力発電にもいえる。原子力・火力を合計すると、日本では利根川の年間総流出量の約16倍、世界全体では173倍の水が毎年7℃温められて海に排出されている。
我々人類文明はとてつもないパラドックスを含んでいる。この文明を支えている原子力、火力発電所が温暖化と海面上昇をもたらし、未来文明の撤退を準備しつつある。この試算は専門家によって誤りなしとされた。
 農業問題についても話が及ぶ。
米作りで、面倒だが、冬水田んぼという冬期湛水をして、徹底的な有機をすれば、中国へ付加価値をつけて売ることが出来る。今、ブータンでは赤米をアメリカに輸出し、白いタイ米をブータンの人は輸入して食べているという。農協は肥料が売れなくなるのを嫌っているという。
 以前取り上げたことのある「食料自給率40%」というのはトリックの数字だそうだ。八百長だそうだ。 1987年までは農林水産省は自給率を生産額ベースで発表していた(当時は80%)。ところが、88年から94年まで生産額ベースとカロリーベースを併記するようになった。生産額ベースで70数%、カロリーベースでは40数%というように。そして、95年から生産額ベースが隠され、カロリーベースだけになってしまった。その結果みんなが「食糧自給率40%」と刷り込まれてしまった。これは「農水行政は大事だ」と思わせる操作だったらしい。それによって、国民が自立していく気概を損ない、自信を失ってしまった罪は深い。カロリーベースの自給率は贅沢を示す数字と思った方がよい。食糧事情をより良く表わす生産額ベースでは70%近いのだから、日本は生きていくことが出来る。頑張って食料自給に立ち向かっていくべきなのだ。
 さらに、水問題では、日本は恵まれている上、省エネの水利用、処理技術は凄いとのこと。中国はこれ以上発展するための水は残っていない。いずれ北京は砂漠化するとみている。パレスチナ問題も実は水問題からきているという。
本質を見抜く二人にかかると、へェー!と叫びたくなる。
アメリカとメキシコも戦っている。コロラド川の河口に出てくるのはすべてメキシコ側の水なのだ。アメリカ側の水は、上流で使っているので一滴もない。カリフォルニアではスプリンクラーで芝生に撒水するけど、収奪した水とのこと。アメリカ中西部の灌漑農業は、地下水を汲み上げてスプリンクラーで水を撒いているが、化石水だから、いずれなくなる。水位はどんどん下がっているとのこと。あれこそ氷河が溶けた水だという。年に2,3mの単位で下がっていると竹村氏は聞いているという。大変なことだ。
まだまだ、いろいろ刺激を受ける対談ですが、必ず来る問題ばかりでした。
また取り上げねばならないときが来ると見ております。

本質を見抜く力』養老孟司/ 竹村公太郎 PHP新書
日本文明の謎を解く』竹村公太郎  清流出版
お読み下され、感謝致します。

英語を話すサルAn Ape speaking English

2009-07-09 22:37:46 | Weblog
英語を話すサルAn Ape speaking English 平成己丑二十一年文月九日

 今、小学校では、全く新しい英語の教科書が子供たちに渡されている。
『英語ノート』1,2である。小5、小6用にであるが、内容が深い。家庭生活から遊びまで盛り沢山に言葉が出てくる。びっくりしたのは、「海星」(ひとで)と「海月」(くらげ)という漢字である。昔、大学入試で覚えたものだ。No1小5に出てくるのだ。カタカナでよいのではないか? まあこんなものでも漢字があるのだという教育的配慮なのか分かりませんが、国語でも教えてないものだ。面白がって覚えることだろう。「海星」(ひとで)⇒starfish, 「海月」(くらげ)⇒jellyfish、曜日も小5だ。
今の中学1年生までの分は教えられるわけだ。道案内も出てくる。
小学校の先生が大変だ。そのため、英会話塾に先生が学びに来ているという。
だからというわけでないが、ALT( Assistant Language Teacher)が主となって指導するらしい。
塩野女史は、「英語を話すサルにならぬように」と「ローマの街角から」で書いておられる。外国語という「道具」を手にする前に習得しておくべきことは次の3つ。
第1は哲学や歴史に代表される一般教養(英語で言うリベラル・アーツ)を学ぶことで育成される人格の形成。
第2は、自らの言に責任をもつ習慣。
第3は、完璧な母国語の習得。これができていないと、いかに外国語に巧みでも外国語を話すサルになってしまう。
今この種のサルが跋扈しているという。
心せねばならない言葉ですね。
ムッソリーニがなまじドイツ語がしゃべれるなんていったものだから、ヒトラーと一対一で会談するはめになり、「ヤー、ヤー」と答えるうちに参戦してしまった喜劇はイタリアにとって悲劇だといっている。今、奇しくも麻生首相さんがイタリアでサミットに参加。日本語より英語が堪能らしい。

お読み下され、感謝致します。