隻手の声(佐藤節夫)The voice of one hand clapping.

世の中の片手の声をココロで聴こう。

海賊とよばれた男A man called Pirate

2013-04-28 18:35:16 | Weblog

海賊とよばれた男       平成癸巳二十五年卯月二十八日

 S君から、周りから読んで良かったと聞いている本ですと紹介されていた。
読み始めたら止まらないくらい引き込まれ、痛快の一言です。
 国岡鐵造(実在の出光佐三である)という人物は、桁の違うリーダーなのだ。
しかも 日田重太郎という大恩人が、いるではないか。
「だめだったら、一緒に乞食をしようじゃないか」と言って、自分の家を売ってつくった金を無償で提供したのである。こういう人がいたというだけでも、びっくりな良い話であった。
 父親は8人の子供に「1所懸命に働くこと」「質素であること」「人のために尽くすこと」の3つの柱を教えたという。彼は「ひとりの馘首(かくしゅ)ならん」と「人間尊重」の精神を実践した男であった。
会社は就業規則もなければ、出勤簿もなく、定年もない。早くから石油の将来性に気付き、大恩人の御蔭で独立をする。周りを取り巻く優秀な家族に恵まれ、危機が来ても凌いだ。読み進むうち、百田直樹氏の筆の力だろうか、スケールのでかい厚意と揺るぎない信頼に感動して、涙が出た。国岡鐡造のもつ「人柄」であろう。
 激動の昭和史を、その根幹をなす「石油」を中心に語られた。
 昭和15年9月「日独伊三国同盟」が結ばれ、日本は米英と完全に敵対関係となった。
アメリカは当然「対日経済制裁」を宣言し、高オクタン価揮発油を輸出禁止にした。
ここで、日本は全面禁止された場合を考え、蘭印(インドシナ)油田の獲得に動いた。
昭和16年8月には、アメリカが全面石油輸出禁止した。
 
 まさに石油の一滴は血の一滴である。国岡商店幹部は話し合う。
「国内の備蓄石油はどれくらいか?」
「600万から800万キロリットルの間ではないかと思われます」
「すると、もって1年か・・・」
「民需用はそれくらい持つと思いますが、問題は軍需用です。もし海軍が大規模な行動を起こすとなれば、半年あまりということが考えられる」

軍部は昭和16年12月、これ以上の時間が過ぎれば備蓄石油も底をつくと見て、乾坤一擲の勝負に出た。太平洋戦争突入。
しかし、もともと石油はないのだ。日本海軍は世界最大の戦艦「大和」と「武蔵」をガダルカナル島へは一度も出撃させなかった。それは石油の節約だったという。「大和」の燃料消費量は莫大だ。1日港に停泊しているだけで、駆逐艦なら800キロ前後も行動できるほどの重油を消費したという。
サイパン島がアメリカに占領された昭和19年、南方から日本に送られた原油はわずかに79万キロリットルであったという。戦前アメリカから年約500万キロリットル輸入していたことから考えると、戦争継続どころでなく、国民生活の維持も難しい状態といえたが、一切の情報は知らされていなかった。
そのころのアメリカは世界産油国の65%を占める石油の「メッカ」で、日本はアメリカから輸入石油の80%を仰いでいた。そして、油尽きて戦争に負けた。
『日米戦争は油で始まり油で終わった様なものであるが・・・・』と、国岡鐡造より戦争にかかわることもっとも深かった昭和天皇は、述懐している。(「昭和天皇独白録」から)

戦後の国岡商店の復興はめざましい。
日章丸18000トン・タンカーの進水である。
2年後昭和28年、「七人の魔女」と呼ばれる強大な力を持つ国際石油メジャーと大英帝国を敵に回して、堂々と渡り合い、イラン国営石油を極秘裏に運ぶことになった。
 
そして、昭和32年には、瀬戸内に面した徳山の海岸に、世界最大の製油所、日産3万5000バレルが、出来上がった。
 高度成長のけん引役となった。

これは気骨ある経営者の人生です。
その九十五年の生涯はまさしく凄絶としか言いようのないものでした。

仙和尚のコレクションは凄いですね。今では関市出身ということになりました。
出光美術館
〒100-0005 東京都千代田区丸の内3-1-1 帝劇ビル9階(出光専用エレベーター9階)
学芸員の解説もあるから、調べて行くとよいと思います。

参考資料
*「セブン・シスターズ(七人の魔女)」
戦前、世界の石油を牛耳っていたのは、「ビッグ・スリー」と呼ばれたスタンダード・オイル・オブ・ニュージャージー、ロイヤル・ダッチ・シェル、アングロ・ペルシャの3社で、彼らは国際石油カルテルを形成していたが、戦後はこれにスタンダード・オイル・オブ・ニューヨーク、スタンダード・オイル・オブ・カリフォルニア、ガルフ、テキサコという巨大な石油会社が加わっていた。これら7つの「メジャー」は「セブン・シスターズ(七人の魔女)」と呼ばれ、その後、長く世界の石油を支配することになる。
**「ロックフェラーの三人娘」
スタンダード・オイル・オブ・ニュージャージー、スタンダード・オイル・オブ・ニューヨーク、スタンダード・オイル・オブ・カリフォルニアで、ニュージャージー・スタンダードは世界一の石油会社である。
***原油の単位がバレル(樽)なのはなぜ?
 ペンシルバニアで油田が発見された当時、原油は42ガロン入りのニシン樽に入れて運んでいたことから、今も原油の公示価格の単位は42ガロンの1バレルになっている。
42ガロンはリットルに直すと160リットル足らずである。
1862年1バレル4ドル近い値が、90年以上変わらずに来ていた。石油の需要も供給も驚異的に伸びたということである。

お読み下され、感謝致します。

ミャンマー民主化の現実 Realty of democratization in Myanmar

2013-04-17 08:14:05 | Weblog

ミャンマー民主化の現実 Realty of democratization in Myanmar 平成癸巳二十五年卯月十七日
 
 13日ミャンマーのアウン・サン・スー・チー氏が27年ぶりに来日。
14日には、京都の嵐山にある小型水力発電設備を見学。

長年続いてきた軍事政権による独裁から民主化へと舵を切り、注目を集めるミャンマー。
2005年12月2日私はブログにアウン・サン・スー・チー氏について書いた。
昨日多くの読者が読んでくれている。有難い気持ちであるが、7年も前はどうだったかというと、『軟禁延期は彼女の一大事であるし、人権侵害であると思う。
そして「黄金の三角地帯」という他の問題がある。最大のケシの栽培地帯と知られている。
それに軍事政権が関係していると聞いている。 私は彼女の努力が実を結ぶことを願う。』と書きました。
人権侵害は無くなったが、軍部をはじめとする旧体制が今も政治に大きな影響力を持ち、民主主義の実現はまだ道半である。1年ほど前、ミャンマー国民の期待を背負って国会議員に当選したが、この1年現実志向になり、軍と良好な関係づくりに腐心しているという。
中日新聞には、軍政当時、民主化運動への監視が厳しく、来日(名古屋)亡命して「真の民主化の支援」をしているミャンマー人のことが取材されていた。こういう人たちからは落胆しているという声がある。軍部に反発してきたために、いまも帰国が許されない。こうした記事は英語にはないですね。
Aung San Suu Kyi speaks at Kyoto University
Myanmar's pro-democracy leader Aung San Suu Kyi has stressed the important role women can play in society. 女性の役割が重要になる。
The Nobel Peace Prize laureate, visiting Japan for the first time in 27 years, gave a speech at Kyoto University on Monday. She was a visiting scholar at the university in the mid-80s. 27年ぶり
Before taking to podium(演台), Aung San Suu Kyi was presented an honorary doctorate 名誉フェロー博士号by Kyoto University President Hiroshi Matsumoto.
She began her speech by expressing thanks and surprise for the degree(博士号).
She then explained that women have yet to become full-fledged( 一人前の)members of society in Myanmar. She said they possess the ability to bring about great change in society.
The opposition leader of Myanmar said the value system of military rule must change so that individuals are respected instead.
A student in the audience later told NHK that she found Aung San Suu Kyi to be a very determined (決意のある)woman.
Apr. 15, 2013 - Updated 07:23 UTC

15日、彼女は京都市上京区の茶道裏千家今日庵を訪ね、千玄室氏に自らたてたお茶を差し上げたという。政権与党という敵の懐に入って、その影響力で民主化が成功するかですね。
また、私は彼女の努力が実を結ぶことを願う。
お読み下され、感謝致します。





偽ウイルスの侵入 False Virus invade 

2013-04-16 07:26:09 | Weblog
 君子蘭

偽ウイルスの侵入 False Virus invade  平成癸巳二十五年卯月十六日

 ここ3週間、偽ウイルスの侵入に悩まされ続けた。「バックアップしないと危険だ」とか、
「Driver Docという名で、スキャンしたら次のプログラムが古くなっています。」と言って、商品購入を勧めるのだ。しかもMicrosoft Partner と名乗る。
巧妙だ。NECさんに聞いても「クリックしないように」というアドバイスだけ。
それ以上は言えないらしい。
Windows XPで 日本中が、PCの世界に入った。
あらゆる形で入り込んで、商売をする。Net社会がグローバル化だ。
お城で知り合ったシンガポールの男性とメールで写真などやりとりした。ある日、メールにいきなりURLだけのメールです。すべて英文の投資の勧誘であった。シンガポールに
問い合わせたところ「全く知らないことだ」とのこと、そこで彼は調査したら、メールのやり取りが盗まれていて、トルコから発信されていたとのこと。
怖いことだ。Driver Docもnetで調べるとインドからでその手口を日本で応用しているらしい。再セットアップすることになった。
このことと並行して、Gooさんが全国で30000件不正アクセスされたために、セキュリティ強化で、パスワード強化変更指示。
手続きの混乱で、私のブログも一時ストップ。
悪い時は重なるものだ。
CCNさんのサポートで回復致しました。
些細な国際交流にまで影響があるお話でした。

お読み下され、感謝致します。

Good Sabbath 良き安息日に!

2013-04-15 17:00:26 | Weblog

杉原千畝像
Good Sabbath 良き安息日に! 平成癸巳二十五年卯月十五日

 先日、イスラエル一行(24名)が、犬山城を見学してくれた。
朝早く9時半開始であった。昼から岐阜・八百津の「杉原千畝記念館The Chiune Sugihara  
Memorial Hall」へ行き、高山泊まり、金沢へという日程らしい。
            
たまたま彼らが来る前に、「屋根の上のバイオリン弾きFiddler on the roof」DVDを見ていた。とても複雑な感じがしたが、主役森繁、上條、西田と続き、舞台でロングランするに値するミュージカルの映画化であった。2回目ではあったが、映画のベースに情愛の深い民族を感じた。
 5人の子供を育てる牛乳屋テビエが、縁談match makerで3人の娘との板挟み、traditionを打破することになる。舞台はロシアで、時代はロシア革命前、日露戦争前であろう。
それぞれの娘の幸せを願い解決していくテビエの姿は、時代を超えた良さがある。
 シベリアへ送られる彼を愛して、「一人にしたくない」と歌う二女ホーデルのセリフ
 “He is in a settlement in Siberia.
I want him to be alone.
I want to help him in his work.
How can I hope to make you understand?
Why I do ? What I do ?
Why I need travel to a distant land
Far from the home I love
Once I was happily contented to be as I was.”
感動しましたね。もちろん、「Sunrise Sunset」も良かったですよ。
ところが、テビエの友人が「Orders are Orders」とユダヤ人強制退去勧告を叫ぶ。
ここはポーランドではない。ロシアである。ツアー帝国の時代ですでに差別が行われていたのである。 ブログにユダヤ・ロビーという題で書きましたが、日本は、日露戦争で戦費がなく、日銀副総裁の高橋是清が、ユダヤ金融業シフとロンドンで会い、調達に成功する。ロシア帝政の歴史はそのままユダヤ人の虐殺史である。
こういう歴史的事実が大切ですね。映画の最後は台車に家財を載せていくところで終わる。
 
Good Sabbath!良き安息日に!(Fiddler on the Roof のテビエのlinesセリフより)
ユダヤ教では土曜日、ツァー時代のユダヤ人の古い言葉になっているらしく、初はピンと来ませんでしたが、Holidayと言い変えたら分かってくれた。もちろん、Fiddler on the Roofを見たと言ったら、喜んで、テビエが歌って踊るところを、実際歌って足でリズムをとってくれた。「S」という小麦粉販売のchairmanでした。
温かい人たちだ。良き交流が出来ました。今、市村、鳳さんが日生劇場でやっているとのことです。

1940年(昭和15年)ナチス・ドイツの目を盗んで 逃げてきたユダヤ人たちが、日本への通過ビザを求め、領事館におしかけた。


 査証
敦賀上陸し、滞在拾日間
 昭和十五年七月三十一日  
在カウナス
   領事代理  杉原千畝
 
  
このビザ発給で、ユダヤの6000人もの命が救われた。カウナスはリトアニアにあります。 難民たちはシベリア横断鉄道でウラジオストックへ、それから船で敦賀港に渡り、神戸に行き、多くの神戸市民・ユダヤ人協会の援助で、長く滞在し(10日間であったが)、ビザがとれればアメリカへ行けた。取れない人は上海へと凄い旅であったろう。

千畝記念館
このツアー客は、年2回イスラエルから 八百津の記念館を訪れてくれている。
前回のツアーは広島→出雲大社から来ていた。
おみやげに超ミニ本(3×2.5×0.8cm)ヘブライ語の旧約聖書だろう?を全員に配られた。
こういう小さな交流が、発信出来れば有難い。
お読み下され、感謝致します。