隻手の声(佐藤節夫)The voice of one hand clapping.

世の中の片手の声をココロで聴こう。

なまはげ紀行 Namahages' trip(改訂3/26)

2010-03-25 10:14:06 | Weblog
なまはげ紀行(改訂3/26)   平成庚寅廿二年弥生二十五日

 元気なうちにと、バケットリストの一つは、秋田の友人W君訪問の実現であった。
40年ぶりの再会。大感激であった。
 前夜(3 / 20)、東海地方は雨と風が激しく、お彼岸の日、条件付、すなわち、引き返す場合ありというフライトになるか分からない状況であった。
昼頃から、名古屋は止んできた。秋田も雨は降っているが大丈夫ということで、到着した。お互い年取ったなあという印象であったが、話していると、昔の我、彼に戻り、池袋時代にタイムスリップした。秋田は温泉天国だ。あちこち廻るも大変だから、男鹿半島めぐりをお願いした。
 泊まった宿が、「元湯 雄山閣」であった縁で、三河出身の紀行家、『菅江真澄』を知ることになった。旅館の主人が、菅江真澄についてよく研究され、勉強室が設けられ、「現在の高校の教科書『詳説日本史(山川出版)、図説日本史(浜島書店)』に出て来ます」と教えてくださった。

 菅江真澄は1754年江戸宝暦4年、現豊橋市に生まれた。本名は白井秀雄。賀茂真淵の門人植田義方(よしえ)に国学を学び、1781年三河を出て、信濃、越後、秋田、津軽、南部、蝦夷を旅歴し、農民の生活、風俗を記録し、「秋風」「春風」「鈴風」「島風」「寒風」五つの風を冠した男鹿の紀行文を綴った『菅江真澄遊覧記』を残した。
その中に、「秋田男鹿のなまはげ」を挿し絵つきで紹介している。だから、この菅江真澄のお陰で、なまはげが江戸時代から行われてきた行事だということが分かる民族資料となった。

 ここ温泉に来るまでのドライブは凄かった。風は強いし途中でみぞれがふってくるやらで、大変な思いだ。だが、彼は、「近年は暖冬で、普通じゃこんなもんじゃない。」といい、運転がうまい。安心して乗っておれた。荒々しい日本海を直接肌で感じることが出来た。日本海を描いた東山魁夷の画が踊る風景だ。激しく岩に砕け散る波、波、波。そこから、波の花が舞う。
低気圧の通過のお陰で、出会った興奮であった。
ゴジラ岩や大桟橋など、日本海独特のものであった。

連休のお陰で男鹿水族館GAOがオープンしていたので、寄ってもらえた。
びっくりしたのは、豪太(ごうた)という北極熊(polar bear)であった。体重400kg、何でも良く食べる。馬肉を放り上げるようにして口に入れていた。魚はもちろん野菜もだという。お芋はふかしてないと食べないらしい。1日12kg食べる。
もう冬眠は終ったのか、館員の女の方に聞いてみたところ、冬眠はしないそうだ。ハタハタ、ニシンなどここならではの魚に会うことができた。

 ここ男鹿は、日本海中部地震が昭和58年に被害をもたらした。遠足で来ていた小学生が津波にさらわれたという。男鹿には寒風山という火山があるという。そして、一の目潟、二の目潟などは火口に雨がたまったところであるという。温泉も出るわけだ。 ここ湯元 雄山閣「なまはげの湯」は、50℃の温泉が湧き出ている。旅館のアイディアで、なまはげの面の口からプハーッ、プハーッと間欠泉の熱い湯が吹き出てくるのは面白かった。夜の露天風呂は、なまはげが出てくるのではないかと思えた。好い温泉だ。
 
 翌日は、入道崎灯台である。恐ろしい風で吹き飛ばされそうであった。自動車の扉も、ちょっと開けると、外に飛び出されるくらい強かった。
 なまはげ館、男鹿真山(しんざん)伝承館は、体験学習講座があり、とてもためになった。男鹿真山神社を中心とする山岳信仰とお薬師様を崇拝する仏教との神仏習合であったことが良く分かった。巫女さんによると明治以降廃仏毀釈で、男鹿真山神社が主となっているようだ。伝承館には、天照大神の軸に御灯明があげられていたから、伊勢神宮の内宮と皇室の祖神とのつながりを感じた。樹齢400年はいくだろうか、
榧(かや)の木が何本も天に届けと如くにぐっと聳えて、周りを威圧していた。

 毎年大晦日の夜に男鹿半島のほぼ全域で行われるなまはげは、真山、本山に鎮座する神々の使者として信じられて、各家庭を巡る。真山地区40軒は酒とご馳走と餅が振舞われるため、交代で出現するという。鬼の面をした神様なのだ。
 悪事に訓戒を与え、災禍を祓い、祝福を与えながら、「怠け者はいねが。泣く子はいねが。」と練り歩く。
 なまはげ館には、なまはげの勢ぞろいの部屋があり、圧巻であった。京都の三十三間堂を思い出した。
パンフレットに『なまはげ問答』が紹介されていた。
なまはげは、先立と2人のなまはげの3人組みになって巡る。
 先立     「お晩です。なまはげ来たす。」
 先立・主人  「お目出度うございます。」
主人     「寒(さ)びどご良ぐ来てけだすな。」
先立     「山から来るに容易でながったす。」 
 ナマハゲ   「ウォー、(玄関で7回シコをふむ)
         泣ぐ子いねが。怠け者いねが。言うごど聞がね子どら(子供ら)いねが。ウォ         ー」
(家中探しまわる)戸を活きよいよく開け閉めするたびに、次第にビクッ、ビクッと
 怖くないのだけれど、怖い状況になる。さぞ子供にとっては怖い存在だろう。
 主人      「ナマハゲさん、まんず坐って酒っこ飲んでくなんしぇ(下さい)。
 (ナマハゲ、お膳に着く前に5回シコを踏んで坐る)
 主人・ナマハゲ 「お目出度うございます。」
 主人      「なんと、深け雪の中、容易でねがったすべ。今年も来てけで(くれて)えが          ったすな。」
 ナマハゲ    「親父、今年の作なんとであった。」
 主人      「お陰でいい作であったすでば。」
 ナマハゲ    「んだか(そうか)。まだいい作なるよう拝んでいくがらな。
          子どら皆まじめ(真面目)に勉強してるが。
主人      「おらい(私の家)の子どら、まじめで、親の言うごどよぐ聞ぐいい子だが           ら。」
ナマハゲ    「どらどら、本当だが。ナマハゲの帳面見てみるが。何々テレビばり(ばか           り)見で何も勉強さねし、手伝いもさねて書であるど。親父、子どら言うご          ど聞がねがったら、手っコ三つただげ。
          へば(そうすれば)いつでも山がら降りで来るがらな。どれもうひとげり            (一回)探してみるが。」
(ナマハゲお膳を離れる前に3回シコを踏む)
         「ウオー、ウオー。」
(又、家中まわる)<家中ガタガタになるほど戸を開け閉めする>
主人      「ナマハゲさん、まんず、この餅こで御免してくなんしぇ(下さい)。」
ナマハゲ    「親父、子どらのしづけ(躾)がりっと(ちゃんと)して、え(家)の者皆ま          め(健康)でれよ。来年まだくるがらな。

 体験学習講座では、本物のナマハゲが現われ、見に来た親や子どらの気持をつかんで、
即興に、アドリブで「ゲームばりで、勉強さしねが」とか「嫁こがご飯を作らぬ。」
「おばあが、元気で作ってしまう。」といった問答がなされていた。
村の守り神さまの使者なのだろう。このお陰で、秋田は、小学生の学力調査で日本のトップクラスに位置する。こういった習俗は伝えてもらいたいし、我々の地域でも、形を変えてでも見習いたいものです。
とても えがった訪問でした。
毎年2月第2金土日、真山神社境内で、なまはげ柴灯(せど)まつりが、行われているという。焚き上げられた柴灯(せど)のもとで、15匹(神様の使者を匹でかぞえる?)のナマハゲが、松明をかざして乱舞し、山をおりるという幻想的で勇壮な冬祭りだという。

お読み下され、感謝致します。

PS① 北極熊はなぜ冬眠しないのか?
  
 調べました。Yahoo智恵袋さんより
  妊娠したシロクマ(ホッキョクグマ)は、子育ての為に冬ごもりしますが、それ以外の雄や妊 娠していない雌は、厳寒の冬季の北極圏でも、活動しているようです。
 冬眠しない理由として、彼らの身体は進化の過程で寒さに適応していますが、それ以上に餌とな るアザラシなどの海獣類が、海が凍結した冬の方が、容易に捕獲できるからではないかとの推測 もされているようです。このことは、男鹿水族館員の方も言ってみえた。
  ただし、北極圏の中でも食料の乏しい地域に住むホッキョクグマは、ヒグマなどと同様、冬眠 をし、省エネを試みる場合があるそうです。

PS② 昭和58年秋田沖地震は、気象庁により正式に「日本海中部地震」と命名されており、
   時期も平成11年でなく、昭和58年でした。水泳仲間のTさんのご指摘により訂正させて頂き   ました。友人W君は、仕事上調査に1年かかったくらい大変な被害だったといっている。
   秋田県立男鹿水族館で、津波によって駐車場から自動車が攫われてしまう映像が撮られた。   また、ここではスイス人女性が津波にさらわれて死亡している。その後、このことを記憶に   留めるため、また慰霊のために、水族館駐車場脇に像が建てられた。  

ある生徒One student

2010-03-16 19:26:53 | Weblog
ある生徒One student         平成庚寅廿二年弥生十六日          

明日は、岐阜県高校入試発表の日である。
長い子は4年お世話したことになる。
今年から今までの特色化選抜という2段階の高校選抜が公立ではあるが、
枠が広げられ、全学科定員の50%まで合格ということになった。
特色の意味がなくなったともいえる。
もともと職業科は50%であったから、野球他優秀な子には誘いの電話や先生へのアプローチは凄いものだった。私より10年以上先輩には、清沢選手、高木守道選手などは、中学校へ高校の先生方が誘いにみえた、いわゆるスカウトの話が、聞こえてきた。
 学力優秀な生徒は、先生により強制的に生徒会の執行部へ送り込まれた。定員の20%の時には学力と通知表の特色でよかったが、50%となると平均点プラスアルファでないと合格がもらえないことになった。
 学力だけでなく、論文まで試される。そのため、塾の端くれとしてどんな題が出されても、これは絶対書かないとアピールにならないよという指導することになってきた。毎年である。ただ書けばいいというのでないのが、今の時代だ。部活でも、ボランティア活動でも、毎日の行動からチェックしないとだめだし、チェックされているわけだ。学力でも、ノート提出で評価の対象になるから、子供は毎日大変だ。それでいて、子供は子供で結構ゲームやコミックと忙しい。 そんな中学生の中にこの子がいた。立派な中学の思い出を論文にしたためてくれた。
 『 僕には目標がありました。中学校最後の体育祭を応援団長として頑張りたいというものでした。ただ、それまでに何も頑張らないまま、突然やりたいと言ってもなれないと考え、前期学級委員として頑張ることにしました。
 そして迎えた応援団決め。僕は迷わず、応援団長に立候補しました。学級委員として頑張ってきたという自信もあったので、みんなからの信頼を得て、団長になれると思っていました。ところが、みんなの反応は「お前で大丈夫か」でした。「確かにお前は一生懸命頑張ってきた。だけど何か不安だ。」そんな声が聞こえてきました。応援団長になることはできましたが、仲間からの信頼を得てなれた訳ではありませんでした。それが悔しくてたまりませんでした。本当に仲間からの信頼を得るためにはどうしたらいいのか。まず自分から動くこと、人の嫌がる仕事を率先してやることを大事にしようと考えました。練習の指示を出すだけでなく、団席作りも自分が積極的に行いました。「お前が団長で良かった。」応援優勝したことよりも、体育祭後、受け取った仲間からの、この言葉が最高にうれしく思いました。自ら動くことでまわりからの信頼を得ることができる。この経験をもとに、後期生徒会長として頑張ることもできました。
 貴校に入学できたなら、一級建築士という夢に向かって勉強はもちろん、信頼される自分になるために自ら動くことを大事にして、部活や学校行事も積極的に取り組みたいです。』
 小6からお世話してきたが、このように育ってくれているとは有り難いことである。 ネルソン・マンデラの「インビクタス」でのテーマの一つ「リーダーとは」を思い出す。
ここで、学校の先生の指導があったればこそだと言い添えておきます。
お読み下され、感謝致します。


八白庵訪問記Interview Happaku-an

2010-03-02 14:23:49 | Weblog
八白庵訪問記Interview Happaku-an      平成庚寅廿二年弥生二日

先日、哲学者久松真一先生の生家に残る茶室・蔵ギャラリー『八白庵』を訪問した。 久松真一先生の「抱石庵」から歩いてもいける程、直ぐ近くにある。
一月ご一緒したK氏は、他のスケジュールが詰まって、ご一緒出来なかった。
しかし、今回は、英会話仲間で、抱石庵にあった軸の仙和尚さんに関心のあるWさんと愛知芸術大の娘さんとご一緒であった。
入り口がまさに蔵そのものである。フランス人画家夫妻ティレク&ティレセクさんの油絵が掛けてあった。アアこの人の絵だとわかる目に特徴のある女性の絵と花の絵であった。特に胡蝶蘭の絵は娘さんのお気に入りであったし、大野ギャラリーのご夫妻が最初に求められた絵であったものだから、話が弾んだ。
 絵の背景になる下地は、黒を全面に塗ってから、さまざまな色を塗り重ねるという手法が一般的だそうだ。絵をよく見ると盛り上がるくらい塗り重ねてある。背景に深みがでるという技術的なことも教わった。
 ティレク&ティレセクさんの美術館は愛知県知多郡美浜町にあり、杉本健吉美術館が山の上の方としたら、下のほうにあるという。 一度訪ねたい。
二階には、西山喬さんの絵を見せて頂いた。
 イタリア各地の風景を彼独特の筆使いのスケッチに彩色した絵であった。
旅行してスケッチは大変である。絵の先生と行ってきたという英会話仲間Nさんは信用金庫で個展を開いてみえたが、先生とならじっくり描けれたと言ってみえた。

久松真一氏の実父が蔵に併設して、久田流茶室をつくり、茶道を親しんだという。炉の位置が逆だそうだ。茶掛けに「空窓一輪梅」という短冊が掛けてあり、我々を迎えて頂けた。それに、扁額は「八白庵」と何代かの臨済宗妙心寺管長さんの揮毫とお聞きした。美味しい「翁や」のお菓子とお茶を戴き、静かなひとときを味わった。

ここ八代は、昔は長良村といい、畑ばかりでのんびりとした田舎であったろう。今はびっしり住宅が建ち、でも閑静なところである。
ご自宅は何と「方形の家」であった。ワンフロアーで、昔から言われる八畳が八つの住宅とは全く違う生活である。コーヒーまでご馳走になり、楽しいひとときで、思い出つくりになった。

皆様も是非どうぞ。
ご案内
久松真一記念館   岐阜市長良福光228-2
        Tell 058-231-5317
        入館料1000円(抹茶とお菓子付き)
蔵ギャラリー茶室、八白庵
岐阜市八代1丁目11-10
        Tell 058-232-5523
        入館料500円(抹茶出ます)
両方とも開館日 毎月第2,4日曜日  1週間前要予約
        午前10~12時 午後2~4時

お読み下され、感謝致します。