隻手の声(佐藤節夫)The voice of one hand clapping.

世の中の片手の声をココロで聴こう。

ザビエルとその弟子Francisco de Xavier and his disciples(2)

2008-04-28 08:22:04 | Weblog
ザビエルとその弟子Francisco de Xavier and his disciples(2)平成戊子年卯月二十八日

アンジロウ(死霊として)とザビエルの会話はつづく。
アンジロウ; 仏教は日本に伝来してから、すでに1000年を経た宗教でした。
       日本各地に深く浸透しておりました。 その仏教と対話するのに、相手を       知ることなく、ただ未開人にクリスト教の教義を押し付けるような態度だ       けでは、日本では布教の実はあがりません。
ザビエル ; 手厳しいことを申すのう。では、どうしたらよかったのか。
アンジロウ; もう少し仏教の奥義を知るように務め、たとえば、忍室の指導のもとに座       禅を試みてもよかったのです。
ザビエル ; このわしに異教の瞑想をせよと申すのか。絶対にそんなことはできぬ。
アンジロウ; そうでしょうか。座禅は、瞑想の第一歩として優れた行で、わたくしも以       前座ったことがございます。 無の境地が大切だったのです。
ザビエル ; 無の境地? なんだそれは。
アンジロウ; 仏教のとくに禅宗では大切な修行の目的なのです。
       座禅によって、到達する大切な境地であり、わたくしはクリスト教におい       ても大切な境地であり、わたくしはクリスト教においても大切な心の状態       だと思います。
ここにおけるアンジロウは仏教についても相当な知識があったとみえる。史実とすれ
ば、書簡にあったのであろう。

 布教は困難をきわめた。アンジロウは、キリスト教の神を「大日」と訳して「大
日を信じなさい」と説いたため、仏教の一派と勘違いされ、僧侶に歓待された。
しかし、ザビエルは誤りに気づくと「大日」の語をやめ、「デウス」というラテン語
をそのまま用いるようになった。
 このことに関して、アンジロウは、ザビエルを前に、
『大日とは真言宗の大日如来のことで、偉大な輝くものを意味し、もとは太陽の光
照のことであったが、後に宇宙の根本の仏の呼称となった。宇宙の実相を仏格化し
た根本仏で、あらゆる仏・菩薩の最高位の仏なのです。もちろん宇宙を作った造物
主ではないけれども、それに近い仏で、日本人は、大日というと造物主を思い浮か
べるのです。そんなにひどい誤訳ではありません。日本中に神社がごまんとあり、
山にも、森にも、岩にも、巨木にも、動物にも、田園にも、家にも、台所にも、便
所にも、神がいる。ちょっとした偉人ならば、死んで神として祭られる。家を建て
るときには、土地の神を祭って地鎮祭というのをやります。ですからデウスを神と
訳すのは誤訳だと思う。日本語には、デウスにぴったり相当する言葉がないのです。
わたくしが苦心惨憺していた現実とその成果を、おお、ザビエル様、あなた様が生
きているうちにどうか認めてください。』
 さらに、アンジロウは、
『もし、クリストが、罪人を救うために来たのなら、地獄に堕ちた罪人も救うので
はないか。なぜ一度でも地獄に堕ちたら、かの地で、いかに悔い改めても許されな
いのか。 わたくしはあくまで、日本人にクリスト教を広めるためには、先祖の霊
を大切にして、そのために祈る習慣のある日本人が、一度地獄に堕ちた先祖のために祈れない。祈っても先祖の霊を慰めれないということが、布教の障害になっているのだ。』と、なかなか手厳しい論をザビエルに投げた。
 
日本での布教も準備不足だった。千年の布教と実績をもつ仏教について、なんの知識も持たず、日本国中に建てられている神社になんの関心も持たず、いきなりジェズス・クリストの教えを人々に真理として押し付けようとした。このようにアンジロウは反省し、日本を離れるわけである。

 五木氏は「長崎地区だけでなく、九州からいまの山口県のあたりまで、西日本一帯に大きなキリスト教の文化の全盛期があった。」とみている。
また、「初期の伝道が神やマリヤを日本の仏教の仏たちになぞらえたり、あるいは日本の風土に逆らわないような習合を試みたからだと思われる」といっている。
 「バカの壁」の養老孟司氏は『カトリックというのは、中世の間に言ってみれば郡族宗教、つまりゲルマンの自然宗教と融合していった宗教ですから、実質的には多神教的な面がある。 一神教の色合いの強いのが、イスラム教であり、プロテスタントです。だから、イスラムとアメリカが喧嘩しているのは、こちらから見ると一神教同志の内輪もめにしか過ぎない。 一神教の人たちは「あの人たちとは話が合わないのだから放っておきゃいい」という風では、気が済まない。お互いに「あいつらは悪魔だ」といいあっている。』と、達観してみえる。

ザビエルは1551年11月日本を出発、1552年2月ゴアに着く。さらに8月中国本土へ入る目的で、上川島に上陸。中国人商人の船で行く予定だったが、船は現われず。同島にて死去。1552年12月3日のことだ。

 ローマのイエズス会教会の小祭壇には、ザビエルの右腕が、聖遺物として安置されてある。この右腕はザビエルの遺体の奇蹟認定の証拠品として遺体から切取られ、1614年にゴアからローマに送られたものである。
 聖フランシスコ・ザビエルの遺体は、1585年に建立されたゴアのボン・ジェズス教会の中の豪華な水晶の柩の中に、1698年に移され、そこに安住の地を見出した。
 機会があれば、ゴアへ訪ねたい気持になった。

現在、日本各地には、ザビエルの名を冠する教会が35あるという。そのうち3箇所には遺骨が安置されているという。
また、東京カテドラル聖マリア大聖堂には、ザビエルの胸像型の聖遺物容器が展示されているという。ここへは、40年前、丹下健三氏のデザインということを知り、仰ぎ見たのを思い出す。近くには椿山荘、故田中角栄邸宅がありますね。

このキリスト教信者はいわゆるキリシタンであり、40年前に読んで感動した「沈黙」(遠藤周作)には信仰を棄てずに殉教した隠れキリシタンたちの物語がある。気の毒な歴史があり、明治になっても厳しい弾圧があったということです。「沈黙」はとりわけ秋田の友人W君を思い出させてくれる。学生だった時、貸し本屋から2人で借りた思い出である。やはり友人とは酒を酌み交わしたいものです。 
お読み下され、感謝致します。

ザビエルとその弟子Francisco de Xavier and his disciples(1)

2008-04-21 12:45:47 | Weblog
ザビエルとその弟子Francisco de Xavier and his disciples(1)平成戊子年卯月二十一日

 イスラム教の広がった地域とキリスト教が伝わったヨーロッパとの間には、十字軍の遠征が1096年から何度もなされた。それだけ イスラム勢力は学問、芸術において、軍事力においても中世ヨーロッパを圧倒していた。
 スペインもポルトガルも、イベリア半島のイスラム勢力をやっとの思いで追い出し、国土の統一を果たしたのである。 キリスト教でもルターが、カトリック教会の金集めのために天国行きの免罪符を乱売しているのを見咎め、1517年「人は信仰のみによって救われる」と抗議し、宗教改革が始まった。
 行き場のないのがカトリックである。プロテスタントとイスラムの力への恐怖より
カトリックも力の巻き返しをする。ヨーロッパ以外の所にキリスト教をどんどん布教しようということで、スペインやポルトガルの船に乗って世界中に宣教師が飛び出していく。 いわゆる「大航海時代」の幕開けである。
 カトリックの大本山はローマ教皇庁である。 ポルトガルとスペインで地球を2つに分割し、それを自分たちの領土とみなす、トリデシリャス条約を結び、その許可をローマ教皇が承認するということにした。 その中心がイエズス会である。
 でも、地球が丸いらしいという時代である。この時代の船は大きなヨットみたいなもので、風だけが頼りである。 その宣教師の中にフランシスコ・ザビエルがいた。
 イエズス会のメンバーの一人で、1549年、日本に初めてキリスト教を伝えたと教科書で習っただけだった。先年、五木寛之氏の「いまを生きるちから」を読んで、「かつて西日本で、フランシスコ・ザビエルの宣教以来、キリスト教が燎原の火のように広がった時代があった。」とあり、偶然にも、あのブログにも書いた「悪魔のささやき」を書いた加賀乙彦氏の「ザビエルとその弟子」という本に出会った。
 
 ザビエル(1506~1552)はスペイン・バスク地方のナバラ王国ハビエル城で生まれ、育ち、19歳でパリ大学に留学。イグナチオ・デ・ロヨラとの出会いから、モンマルトルの丘の聖堂で、同志7人が「清貧」「貞潔」「聖地巡礼」の誓願を立てた。これが、「イエズス会」の起こりである。
1542年世界宣教のためゴアに到着。3年滞在し、そこを拠点に多くの人々をキリスト教に改宗させた。そして、1545年マラッカへ渡る。当時マラッカは、マラッカ王国としてマレー半島西海岸南部に位置し、香辛料の東西貿易における重要な中継地として繁栄していたが、1511年ポルトガルが征服し、東南アジアにおけるポルトガル海上帝国の拠点とした。1547年ザビエルは、ここで日本人アンジロウに出会い、日本渡航を考えた。 500年も前でも日本人はどこまでも入っている。
 アンジロウ(ヤジロウ)は薩摩出身で若い頃に人を殺し、マラッカに逃れていたが、その罪を告白するためザビエルを訪ねてきたという。当時でもたくさんの書簡が残されている。それだけ、通信が重要で、ローマ教皇の通達が全世界へ届くように配備されていたということは驚くことだ。
 
ザビエルは1549年イエズス会員ら、そして、ゴアで洗礼を受けたアンジロウら3人の日本人と共に、ゴアを出発し、鹿児島に到着し、領主島津貴久に会見、宣教の許可を得た。加賀氏は、ザビエルの臨終にアンジロウ(死霊として)との会話を設け、日本での布教の苦労話を綴っている。 いわゆる『宗教論争』である。
アンジロウは語る。
島津公爵家の菩提寺である福昌寺、仏教の曹洞宗という宗派の大寺の住職忍室禅師とザビエル様との会話にわたくしは通訳としてはべりましたね。
大勢の僧侶が座禅しており、ザビエル様は忍室禅師に
   「これらの修道者はここで何をしているのですか?」
(忍)「座禅をしているのです。ある者は何も考えぬ無の境地に達しているでしょう。で   も、修行のおよばぬ者は信徒からのお布施を数えたり、気晴らしになることを考え   ているでしょう。」
(ザ)「われわれの教団にも『イグナチオの霊操』という黙想がある。主なる神、
   ジェズス、クリストの一生をとくにその受難の道行きを思い浮かべるのです。」
(忍)「座禅では、なにも思い浮かべないのを理想とします。心を空虚にするのです。」
(ザ)「それでは、人間に備わった思考力を使わない結果になって、修行にならないでは    ありませんか。」
(忍)「心が無になりきり、宇宙と一体となるのが理想です。」
ザビエルは反論せず、「仏教では霊魂は不滅ですか。」と問うた。
(忍)「霊魂、死んだ後の魂ですか。それなら不滅です。」
(ザ)「では、霊魂は仏によって最後の審判を受けますか」
(忍)「最後の審判?そんなものはありません。死後に極楽や地獄はありますが。」
(ザ)「地獄に落ちた者はもう極楽にいかれないのでしょう。」
(忍)「そんなことはありません。遺族の者が仏になった者の後生を願えば、一生懸命に    願えばですが、極楽に行けます。」
(ザ)「それは安易ですな。悪人であっても極楽にいけるとなれば、平気で悪人になる者    が出て来ませんか。」
(忍)「出てくるでしょう。でも、遺族の励みにはなるのだからいいではありません     か。」
(ザ)「でも罪は人間一人の問題で、いくら遺族が祈ったとしても軽くなるものではあり   ませんよ。」
ザビエル様と忍室禅師の対話は、いつも少しずつずれておりました。
このずれが、自分自身の布教を失敗に追い込んだとアンジロウは述懐している。(続く)
お読み下され、感謝いたします。

PS.
この福昌寺(鹿児島市)は明治の廃仏毀釈により破壊され、跡があるという。
その後裔寺院たる福昌禅寺(薩摩川内市)には、宣教師ザビエルが自分の知識不足を嘆いたという逸話があり、
尊皇攘夷にゆれた幕末、維新の英雄西郷隆盛は、無参禅師について、「無明の眼を開けてくれた恩人は老師である」といって深く敬慕していたという。



世界の諸問題World problems(2)

2008-04-12 10:46:38 | Weblog
世界の諸問題World problems(2)  平成戊子年卯月十二日

今年も桜は満開だった。ここ2、3日の雨でかなり散ってしまった。
我が住宅近く、公園の「睦さくら」(後藤元関市長命名)のもとで、現関市長を囲み、観桜会が、明日開かれる。まだまだ残っている花で、今生きている倖をかみしめたい。

世界を飛び回っているS君から世界の動きのレポートを送って下さった。
公開致します。

Burnei, California, Hanoiと行ってまいりました。
Hanoiから3月下旬帰ったばかりです。

Burneiはご存知、国民の医療費、教育費タダ、所得税なしという恵まれた国で、
働いている人の7割が公務員。全て原油、天然ガスの輸出で賄っています。
世界でも珍しく、議会がなく、完全王政の国です。
ただ、イスラムなので酒は売っていません。石油資源もあと30年と言われて
おり、ボルキア国王も石油後を考えて、オーストラリアに大きな牧場を買ったり、
メタノール・プラントを三菱瓦斯化学、丸紅とやったり、観光立国にしたいという
意向もあるのですが、酒なしで観光立国は難しい。日本から出ている企業は
その2社と三菱商事、飛島建設だけです。天然ガスの9割は、東電、東ガス、
大阪ガスが20年契約で買っています。友人3人と行ったのですが、4人で話
した結論は、恵まれている国だが、ブルネイ国民に生まれなくて良かった。
向上する意欲を掻き立てるのが難しい国ですね。

Californiaは毎年参加しているTED(Technology,Entertainment,Design)会議
に10回目の参加です。このところこの会議もダボス会議もアフリカ問題が大きく
なってきています。欧米人にはアフリカに対する贖罪意識が強く、何とか救わねば
という気持ちが強いのです。日本人にとってはアフリカは遠い国で余り実感が
わきませんが、中国が資源を中心にアフリカに刺さりこんでおり、日本がアフリカは
関係ないなどと言っていると、世界から取り残されるという危険性をはらんでいます。
会議にはゲノムを解明したクレイグ・ベンター博士も登場し、合成ゲノムを創ると
言っており、この点はモラル上問題をはらんでいます。スティーブン・ホーキング博士
も映像で登場、アル・ゴア前副大統領も2年前に続いて登場しました。
この会議で最近思うのは、我々は大変革の真只中におり、この波に乗り遅れると
国も人も時代遅れになるということです。

ハノイは我々の作っている組合でハノイの日本企業、JETROを訪ねました。
アジア各国で感じるのですが、日本企業より、韓国企業の方がアグレッシブに活動
しているということで、日本も頑張らないと、韓国、中国に負けてしまいます。
ベトナムはタイの20年遅れという感じです。バイクが多く空気は汚いですが、活気が
ありますし、親日的だし、大乗仏教で儒教精神もあり、日本は大事にしなければいけ
ない国ですね。

*****

 石油も日本では68年といわれてますが、Burneiという産油国では、30年ですか? マレーシアのようにルックイースト政策みたいにはとれないみたいですね。 30年はあっと来ますね。 
 TED会議は凄い人の集まりですね。世界の諸問題を考えていく良い場ですね。
アフリカについて、G君も、「未開のアフリカをどうしていくのか?」と言ってみえるようですが、部族間紛争が絶えない。それの原因は貧困だと思います。その現状を知ることが大変。命懸けである。
3月、黒柳徹子さんがルアンダ報告をTVでしていた。ユニセフ大使で、国連軍に守られての取材だ。水不足ですね。100万人分。日本も井戸堀の援助をしているが、大変な状況だ。森元首相はケニアにお金で食糧の援助をしたが、希少金属への触手は無かったのかな?報道はされてなかった様に思う。中国がとっくに手を打っているというのに。
 
 しかし、こういう様に世界中があっという間に資源を掘り尽くしてしまう状況は、何か間違ってるような気がします。それが、大変革の時代だからでしょうか。
それから、韓国の若者のパワーはすごい。カナダで留学生を見てましたから。
日本の若者も頑張ってもらいたい。
お読みくだされ、感謝致します。




世界の諸問題World problems(1)

2008-04-05 07:05:14 | Weblog
世界の諸問題World problems(1)平成戊子年卯月五日

早速 G君よりコメントを頂いた。環境から食料問題へと広がった。

最近 資源争奪では 石油、希少金属、だけではなく 穀物(小麦、とうもろこし、など)も 競争が激しいようですね。 
自給率では 40%を切っている日本としては これからは 深刻な問題ですね? フランス、アメリカ、などの100%を越える国、ドイツなど ほぼ100%に近い国などに対して これから 大きな問題になりそうです。 スイスでも60%の自給率だそうですから。

日本が 100%を切ったのは 何時でしょうか? 江戸時代は 100%だったそうですから 戦後徐々に 数字が上がってきたようです。 米の補助金制度、小麦の買取制度など 戦後 農林省がやってきた政策 ことごとく 間違っている気がします。 

今更 米中心の食性、魚中心の食性に変えていくのは大変でしょうが 地政学的には EUのようなアジア共栄圏を作るのは 現実的でないと思うので スイスのように 自分たちの食性活を変え 海外貿易中心の国に 変化させていくしかないと思いますが。

 ところで 西洋のキリスト教的 世界観で永らく生きてきた 現代の西欧人にとっては 「アミニズム」に戻って「持続可能性サステナビリティsustainability」を目指すのは 宗教の問題も含め 大きな課題でしょうが われわれの身の回りを考えると このような考え方に賛同する人は 多い気がします。
自然を大切にし 生き物を大切にしていく生き方 ここオレゴンでは かなり馴染んでいる気が します。 持続可能性 と 発展性 これらを旨く展開していくのは なかなかの難問だとおもいますが 我々としては 自然の持続可能性を信じて 自らの発展性を 注意深く制御していく ある意味では 我慢していくしかないのでは、 と 考えています。
*****

確かに自給率もですね。輸入野菜は特に要注意となった。2年前「中国の農民」を読んで、S君から「中国のお金持ちは日本から野菜を買っている。」と聞いて、ブログを書いた。そのとき「地産地消」も取り上げた。高速道路を造り、工場誘致ばかりで地方の農業が疲弊した。
ジャパン・タイムズ紙(3/3)によると、『日本は2006年の食料自給率がカロリーベースで39%、先進諸国中一番低い。』G君のいうとおりだ。1960年には79%もあったのだ。問題は中国だ。野菜に殺虫剤を極端にかけて生産している。しかも、近年穀物輸入国となった。G君のいうように食性がさらに肉へ向かうと、飼料の値上げである。 ジャパン・タイムズ紙はさらに『日本は2015年度までに自給率を45%まで引き上げようとしている。達成の見込みは危ぶまれているが、外国の例が参考になるかもしれない。スイスは、一時40%を切った自給率を60%まで回復させるのに成功した。スイスは2007年6月にチーズの輸出入を自由化したが、農家に直接所得補償を行うなど生産増加をはかっている。日本は人口が多いし、単純にまねは通用しないだろうが、食料輸入依存度を下げるための真剣な議論を行うべきだ。』といっている。
G君が指摘する「スイスに学べ」である。
調べると、2002年にスイスは農業政策を転換、農家に対して、直接支払いの要件にとして環境を大事にした農業をめざし、農作物には生産地、品質、生産方法、加工方法の明記が義務づけられた。高くても安心させる農業だと思う。自前の地産地消で自給率を高くする。ここで大事なのは、戦争のような緊急事態に食料の安全確保のみならず、環境も大事にして、共存を図ろうとしていることだ。スイス人の英会話の先生に聞くと凄い車(ベンツ)に乗ってものすごくやる気になってるとのことだ。
日本も各地ですでに取り組んでみえるが、自給率までの規模になってないのだと思う。
政府自民はアメリカの適地適作、大規模経営を成功例として、学んできたようだが、今、民主党は、農家への直接、戸別所得補償について、マスコミや自民党にできっこないと言われないような政策を打ち出してもらいたい。
国の緊急事態に対して危機感がないのは食料だけではないのですが。
あらゆる分野がリンクしているから、20年後を見据えた「今果たすべき責任は何か?」は難しいが、この世に生まれた以上、ほんの少し考えたいものです。 
お読み下され、感謝いたします。










過信Too much confidence

2008-04-02 10:30:10 | Weblog
過信Too much confidence 平成戊子年卯月2日

昨年末に私の主治医が心筋梗塞で倒れ、入院された。毎月血圧などの健康相談して頂いている先生がである。 無理がたたったとしかいえない。ただ、血液検査で総コレステロ―ル値が300と聞いたから、過信したのかな?    52歳である。
京大医学部卒で母が世話になったから、引き続き私もということで13年になる。
ショッキングなことでかなり当時動揺した。 如何に過信ということがいけないことだと思い知らされた。
先生が退院され、診察室に復帰された。
先生の話では、胸に違和感があった程度だった。心電図をみても分からなかった。不安定心筋梗塞となったらしい。すでに血圧降下剤や血液さらさらにする薬を飲み、運動は週3回、ゴルフとテニスをしてみえた。ただ、総コレステロール値は280になる時があり、その時、薬で下げていたという。常時飲むのでなかったということだ。普通200前後だ。 それに、お兄さんが48歳で亡くなってみえるから、DNAから常時飲むべきだったのだろうと思う。心臓の冠動脈のうち一番太い血管が詰まったという。カテーテルで風船か?と思ったら、頑固者で吸い出さなくてはならなかったという。怖い話であった。
先生は、総コレステロール値を150に落すぐらいでちょうど良かったと言ってみえた。 数字は正直である。大丈夫とどこらで判断するかだが、ハンイが示されているわけだから、やはりそれを信じたほうが良い。
 これから医療はどんどんDNAの研究がなされ、その人各自の予防医学が大事となってくると話された。
お読み下され、感謝致します。