ザビエルとその弟子Francisco de Xavier and his disciples(2)平成戊子年卯月二十八日
アンジロウ(死霊として)とザビエルの会話はつづく。
アンジロウ; 仏教は日本に伝来してから、すでに1000年を経た宗教でした。
日本各地に深く浸透しておりました。 その仏教と対話するのに、相手を 知ることなく、ただ未開人にクリスト教の教義を押し付けるような態度だ けでは、日本では布教の実はあがりません。
ザビエル ; 手厳しいことを申すのう。では、どうしたらよかったのか。
アンジロウ; もう少し仏教の奥義を知るように務め、たとえば、忍室の指導のもとに座 禅を試みてもよかったのです。
ザビエル ; このわしに異教の瞑想をせよと申すのか。絶対にそんなことはできぬ。
アンジロウ; そうでしょうか。座禅は、瞑想の第一歩として優れた行で、わたくしも以 前座ったことがございます。 無の境地が大切だったのです。
ザビエル ; 無の境地? なんだそれは。
アンジロウ; 仏教のとくに禅宗では大切な修行の目的なのです。
座禅によって、到達する大切な境地であり、わたくしはクリスト教におい ても大切な境地であり、わたくしはクリスト教においても大切な心の状態 だと思います。
ここにおけるアンジロウは仏教についても相当な知識があったとみえる。史実とすれ
ば、書簡にあったのであろう。
布教は困難をきわめた。アンジロウは、キリスト教の神を「大日」と訳して「大
日を信じなさい」と説いたため、仏教の一派と勘違いされ、僧侶に歓待された。
しかし、ザビエルは誤りに気づくと「大日」の語をやめ、「デウス」というラテン語
をそのまま用いるようになった。
このことに関して、アンジロウは、ザビエルを前に、
『大日とは真言宗の大日如来のことで、偉大な輝くものを意味し、もとは太陽の光
照のことであったが、後に宇宙の根本の仏の呼称となった。宇宙の実相を仏格化し
た根本仏で、あらゆる仏・菩薩の最高位の仏なのです。もちろん宇宙を作った造物
主ではないけれども、それに近い仏で、日本人は、大日というと造物主を思い浮か
べるのです。そんなにひどい誤訳ではありません。日本中に神社がごまんとあり、
山にも、森にも、岩にも、巨木にも、動物にも、田園にも、家にも、台所にも、便
所にも、神がいる。ちょっとした偉人ならば、死んで神として祭られる。家を建て
るときには、土地の神を祭って地鎮祭というのをやります。ですからデウスを神と
訳すのは誤訳だと思う。日本語には、デウスにぴったり相当する言葉がないのです。
わたくしが苦心惨憺していた現実とその成果を、おお、ザビエル様、あなた様が生
きているうちにどうか認めてください。』
さらに、アンジロウは、
『もし、クリストが、罪人を救うために来たのなら、地獄に堕ちた罪人も救うので
はないか。なぜ一度でも地獄に堕ちたら、かの地で、いかに悔い改めても許されな
いのか。 わたくしはあくまで、日本人にクリスト教を広めるためには、先祖の霊
を大切にして、そのために祈る習慣のある日本人が、一度地獄に堕ちた先祖のために祈れない。祈っても先祖の霊を慰めれないということが、布教の障害になっているのだ。』と、なかなか手厳しい論をザビエルに投げた。
日本での布教も準備不足だった。千年の布教と実績をもつ仏教について、なんの知識も持たず、日本国中に建てられている神社になんの関心も持たず、いきなりジェズス・クリストの教えを人々に真理として押し付けようとした。このようにアンジロウは反省し、日本を離れるわけである。
五木氏は「長崎地区だけでなく、九州からいまの山口県のあたりまで、西日本一帯に大きなキリスト教の文化の全盛期があった。」とみている。
また、「初期の伝道が神やマリヤを日本の仏教の仏たちになぞらえたり、あるいは日本の風土に逆らわないような習合を試みたからだと思われる」といっている。
「バカの壁」の養老孟司氏は『カトリックというのは、中世の間に言ってみれば郡族宗教、つまりゲルマンの自然宗教と融合していった宗教ですから、実質的には多神教的な面がある。 一神教の色合いの強いのが、イスラム教であり、プロテスタントです。だから、イスラムとアメリカが喧嘩しているのは、こちらから見ると一神教同志の内輪もめにしか過ぎない。 一神教の人たちは「あの人たちとは話が合わないのだから放っておきゃいい」という風では、気が済まない。お互いに「あいつらは悪魔だ」といいあっている。』と、達観してみえる。
ザビエルは1551年11月日本を出発、1552年2月ゴアに着く。さらに8月中国本土へ入る目的で、上川島に上陸。中国人商人の船で行く予定だったが、船は現われず。同島にて死去。1552年12月3日のことだ。
ローマのイエズス会教会の小祭壇には、ザビエルの右腕が、聖遺物として安置されてある。この右腕はザビエルの遺体の奇蹟認定の証拠品として遺体から切取られ、1614年にゴアからローマに送られたものである。
聖フランシスコ・ザビエルの遺体は、1585年に建立されたゴアのボン・ジェズス教会の中の豪華な水晶の柩の中に、1698年に移され、そこに安住の地を見出した。
機会があれば、ゴアへ訪ねたい気持になった。
現在、日本各地には、ザビエルの名を冠する教会が35あるという。そのうち3箇所には遺骨が安置されているという。
また、東京カテドラル聖マリア大聖堂には、ザビエルの胸像型の聖遺物容器が展示されているという。ここへは、40年前、丹下健三氏のデザインということを知り、仰ぎ見たのを思い出す。近くには椿山荘、故田中角栄邸宅がありますね。
このキリスト教信者はいわゆるキリシタンであり、40年前に読んで感動した「沈黙」(遠藤周作)には信仰を棄てずに殉教した隠れキリシタンたちの物語がある。気の毒な歴史があり、明治になっても厳しい弾圧があったということです。「沈黙」はとりわけ秋田の友人W君を思い出させてくれる。学生だった時、貸し本屋から2人で借りた思い出である。やはり友人とは酒を酌み交わしたいものです。
お読み下され、感謝致します。
アンジロウ(死霊として)とザビエルの会話はつづく。
アンジロウ; 仏教は日本に伝来してから、すでに1000年を経た宗教でした。
日本各地に深く浸透しておりました。 その仏教と対話するのに、相手を 知ることなく、ただ未開人にクリスト教の教義を押し付けるような態度だ けでは、日本では布教の実はあがりません。
ザビエル ; 手厳しいことを申すのう。では、どうしたらよかったのか。
アンジロウ; もう少し仏教の奥義を知るように務め、たとえば、忍室の指導のもとに座 禅を試みてもよかったのです。
ザビエル ; このわしに異教の瞑想をせよと申すのか。絶対にそんなことはできぬ。
アンジロウ; そうでしょうか。座禅は、瞑想の第一歩として優れた行で、わたくしも以 前座ったことがございます。 無の境地が大切だったのです。
ザビエル ; 無の境地? なんだそれは。
アンジロウ; 仏教のとくに禅宗では大切な修行の目的なのです。
座禅によって、到達する大切な境地であり、わたくしはクリスト教におい ても大切な境地であり、わたくしはクリスト教においても大切な心の状態 だと思います。
ここにおけるアンジロウは仏教についても相当な知識があったとみえる。史実とすれ
ば、書簡にあったのであろう。
布教は困難をきわめた。アンジロウは、キリスト教の神を「大日」と訳して「大
日を信じなさい」と説いたため、仏教の一派と勘違いされ、僧侶に歓待された。
しかし、ザビエルは誤りに気づくと「大日」の語をやめ、「デウス」というラテン語
をそのまま用いるようになった。
このことに関して、アンジロウは、ザビエルを前に、
『大日とは真言宗の大日如来のことで、偉大な輝くものを意味し、もとは太陽の光
照のことであったが、後に宇宙の根本の仏の呼称となった。宇宙の実相を仏格化し
た根本仏で、あらゆる仏・菩薩の最高位の仏なのです。もちろん宇宙を作った造物
主ではないけれども、それに近い仏で、日本人は、大日というと造物主を思い浮か
べるのです。そんなにひどい誤訳ではありません。日本中に神社がごまんとあり、
山にも、森にも、岩にも、巨木にも、動物にも、田園にも、家にも、台所にも、便
所にも、神がいる。ちょっとした偉人ならば、死んで神として祭られる。家を建て
るときには、土地の神を祭って地鎮祭というのをやります。ですからデウスを神と
訳すのは誤訳だと思う。日本語には、デウスにぴったり相当する言葉がないのです。
わたくしが苦心惨憺していた現実とその成果を、おお、ザビエル様、あなた様が生
きているうちにどうか認めてください。』
さらに、アンジロウは、
『もし、クリストが、罪人を救うために来たのなら、地獄に堕ちた罪人も救うので
はないか。なぜ一度でも地獄に堕ちたら、かの地で、いかに悔い改めても許されな
いのか。 わたくしはあくまで、日本人にクリスト教を広めるためには、先祖の霊
を大切にして、そのために祈る習慣のある日本人が、一度地獄に堕ちた先祖のために祈れない。祈っても先祖の霊を慰めれないということが、布教の障害になっているのだ。』と、なかなか手厳しい論をザビエルに投げた。
日本での布教も準備不足だった。千年の布教と実績をもつ仏教について、なんの知識も持たず、日本国中に建てられている神社になんの関心も持たず、いきなりジェズス・クリストの教えを人々に真理として押し付けようとした。このようにアンジロウは反省し、日本を離れるわけである。
五木氏は「長崎地区だけでなく、九州からいまの山口県のあたりまで、西日本一帯に大きなキリスト教の文化の全盛期があった。」とみている。
また、「初期の伝道が神やマリヤを日本の仏教の仏たちになぞらえたり、あるいは日本の風土に逆らわないような習合を試みたからだと思われる」といっている。
「バカの壁」の養老孟司氏は『カトリックというのは、中世の間に言ってみれば郡族宗教、つまりゲルマンの自然宗教と融合していった宗教ですから、実質的には多神教的な面がある。 一神教の色合いの強いのが、イスラム教であり、プロテスタントです。だから、イスラムとアメリカが喧嘩しているのは、こちらから見ると一神教同志の内輪もめにしか過ぎない。 一神教の人たちは「あの人たちとは話が合わないのだから放っておきゃいい」という風では、気が済まない。お互いに「あいつらは悪魔だ」といいあっている。』と、達観してみえる。
ザビエルは1551年11月日本を出発、1552年2月ゴアに着く。さらに8月中国本土へ入る目的で、上川島に上陸。中国人商人の船で行く予定だったが、船は現われず。同島にて死去。1552年12月3日のことだ。
ローマのイエズス会教会の小祭壇には、ザビエルの右腕が、聖遺物として安置されてある。この右腕はザビエルの遺体の奇蹟認定の証拠品として遺体から切取られ、1614年にゴアからローマに送られたものである。
聖フランシスコ・ザビエルの遺体は、1585年に建立されたゴアのボン・ジェズス教会の中の豪華な水晶の柩の中に、1698年に移され、そこに安住の地を見出した。
機会があれば、ゴアへ訪ねたい気持になった。
現在、日本各地には、ザビエルの名を冠する教会が35あるという。そのうち3箇所には遺骨が安置されているという。
また、東京カテドラル聖マリア大聖堂には、ザビエルの胸像型の聖遺物容器が展示されているという。ここへは、40年前、丹下健三氏のデザインということを知り、仰ぎ見たのを思い出す。近くには椿山荘、故田中角栄邸宅がありますね。
このキリスト教信者はいわゆるキリシタンであり、40年前に読んで感動した「沈黙」(遠藤周作)には信仰を棄てずに殉教した隠れキリシタンたちの物語がある。気の毒な歴史があり、明治になっても厳しい弾圧があったということです。「沈黙」はとりわけ秋田の友人W君を思い出させてくれる。学生だった時、貸し本屋から2人で借りた思い出である。やはり友人とは酒を酌み交わしたいものです。
お読み下され、感謝致します。