隻手の声(佐藤節夫)The voice of one hand clapping.

世の中の片手の声をココロで聴こう。

無心 Absorbedness

2010-09-27 14:40:16 | Weblog
無心 absorbedness             平成庚寅廿二年長月二十七日

 昨日(9月26日)はお昼、揖斐川(淡墨桜の近く)の大興寺で、何と芥川賞作家「玄侑宗久(げんゆうそうきゅう)先生」が法話をなさるということで、聞きに行ってきた。
先生は、現在福島県にある福聚寺(ふくじゅうじ)の住職である。
ここでの法話は4回目だそうだ。井川大興寺住職との繋がりが縁で毎年法話されているとのこと。
 お寺の本堂に、駆け付けた230名が超満員、寿司詰め状態だが、楽しく聞き入った。

題して、「この秋は雨か嵐か知らねども」であった。
誰の句かなと思っていたら、下の句は?と聞かれた。
残念ながら、答えれなかった。
二宮尊徳(金次郎)の歌で、下の句「今日の勤めに田草取るなり」と教えてもらえた。
 先の事が不安であるから、今に没頭しよう!私が溶けるように。
三昧(ざんまい)という言葉があるが、調べてみると、元はサンマジ→サンマイ→○○ザンマイとなったという。
 先が見えるということが、幸せかどうか分からぬが、占い、霊能力者がはびこってる。
その上、転ばぬ先の杖ならぬ「保険屋さん」が繁盛しているそうだ。駅前のビルを見れば分かるそうだ。
 夢、目標、計画を揚げて安心している。小学生に夢を描かせているが、夢を強制されているのではないかと先生はおっしゃった。
先生はイチロー選手の小学校6年の作文をお読みでないのではないかと思いました。私は英語版をこのブログに載せました。すばらしい目標設定で、メジャーで記録を打ち立てただけのことはあるといえる作文です。
 先生は幸せは計画してくるものでない。突然がよいとする。

人間は自然の一部で、今風に言えば、共生ですね。自然は「手入れ」をしなくてはならない。
自然の一部の人間も同じで、先生曰く「剃髪は5分がりと違って、2日ともたない。田の草といっしょだ。うるさく感じる。」「切がないのだ。」
子供だったころ、父に「庭掃除はめんどうくさい。また葉っぱは落ちてくるじゃないか。」と言ったことがある。その日の晩、夕飯を戴くときに、父から「お前、夕飯を食べるのか、本当に?」と言われた。「戴きます。」と言ったら、父は「また、腹が減るぞ。」といわれたと先生の父との思い出を話された。 三度の食事も「切がない」が、生きるとはそれほど手間暇がかかるのだと教えられた。
生きるヒントを説いてみえるのだ。

自然との付き合い方で大事なのは「無心」で対応することである。
自分を変える観音力が大事だと難しいことを言われた。
そして、好ましくないこと、または普段と違ったことが、起こったとき、“ゆらぎ“を表す言葉に、「風流」という言葉があると言われた。「風流」は名詞で人柄を意味するらしい。
ひらりとかわす生きるヒントに使うらしい。
 風流ならざることこそ風流  という言葉があるという。
大概の事はこれでよい。これで生きると知れば、ぶれずに生きるのが大事だ。

法話はこれだけに留まらず、素戔鳴尊・須佐之男命==嵐、和辻哲郎「風土」、ルースベネディクト「菊と刀」の中の言葉やら、IT社会のもつ弊害、例えば、要介護度、介護力度の数字化、言語脳には日本語がよいなど、飽きさせない工夫され、あっという間に終わった。
後は本を買ってくださいとのこと。
 
 先生より『言中有響』を頂いた。
とても心に響く言葉を頂いた一日でした。

お読み下され、感謝致します。



普天間交渉 Negotiation about Futeruma

2010-09-22 22:44:43 | Weblog
普天間交渉 Negotiation about Futeruma 平成庚寅廿二年長月廿三日

菅改造内閣が発足した。
ここ1ヶ月菅・小沢のバトルの間、S君の薦めてくれた「普天間交渉秘録」を読み終えた。守屋武昌元防衛事務次官の2004年から2007年の4年間の日記の公開です。
 驚くほどの綿密なスケジュールと膨大な日記を元に、交渉過程を昨日の如く再現。
地元の土建会社や政治家たちが、入れ替わり立ち代わり、「名護ライト案」「L字案」「V字案」など、それにそれぞれの思惑の修正案を出す。それぞれ利権(著者は使ってないが)がからんで、自分たちの利益を引き出そうとして、引き延ばしたりする。
沖縄県や名護市はなぜ防衛庁に伝えないで、外務省や内閣府、国会議員、中央経済界だけにしているのか。吠えている。沖縄にある議員の後援会には、ピラミッドのように会社が群がっている。皆実名である。
 「振興案」と「基地問題」をセットにするかどうか話し合っても、「合意書」にするか「確認書」にするかでもめる。「大きな仕事は沖縄では20年かかる」と守屋氏は言われている。いよいよとなると、段ボールの箱が台車で運ばれてきた。○○さん(実名)からだといわれ、大きな甕に入った30年ものの泡盛が出てきた。彼は持ち帰ってもらったと書いてあるが、近く刑に服すことになっただけ、恐ろしい世界を渡ってきたのであろう。
 議員さん達が普天間基地交渉の話す場所は、銀座の料理屋だという。
日米合意は2005年10月に「日米同盟;未来のための変革と再編」と題した共同文書でまとめられ、その時はL字案であったが、安保条約は「世界における課題に効果的に対処する」に拡大された。
 いかに沖縄という処は地政学上、米本土やハワイ・グアムなどに比べて東アジア、インド洋地域の安全保障にとって重要な位置を占めている。他に代替できないと守屋氏はいう。
2006年このL字案に対して沖縄全体が反対なのである。
彼は言う、「ちゃんと道筋をつけておいたのに、合意した普天間問題を沖縄県と名護市が振り出しに戻そうとしている。それを止めようとすると各省庁から『強引にやり過ぎだ』
と言われ、他から修正要望がくる。その対応に加えて、次から次へと事件、事故と不祥事が続いて起きてくる。いつまでやってもきりがない。もう疲れたというのが私の本音だった」と。 
官僚には人事における不文律があるそうだ。政治と行政の間での身分保障のための手順らしいが、何の相談もなしに、小池防衛大臣は不文律を無視して守屋氏の首切りにかかったと書いてある。今、自民党の要職にあるから、強いですね。

 将来に向けての日本の防衛について、彼は言う、「国の安全保障は、日本が憲法で述べている『国際社会において、名誉ある地位を占めたい』という国家存立の基盤です。日本の安全を守り世界平和の実現に尽くすため、日本の防衛力は国民と国際社会から理解され、支持され、そして信頼されるものでなければなりません。その観点から、普天間問題を14年経ても解決できない日本という国は何なのかが問われています。国民の負担も軽減できていないし、安全保障上の必要性にも対応できていないからです。安全保障問題に対する国民の見識が国際社会から問われている。」と。
沖縄もこうした基地があることで年間5829億円入る。これによって潤っている人もいれば、そうでない人もいる。特に基地周辺に住んで日々基地被害と向き合っている個人には結果として14年もの間、負担を軽減するような施策は取られてこなかったという現実が、沖縄には横たわっている。「最大限努力する」と美辞麗句を並べ立ててきたのは自民党だ。小沢氏は案はないが、改めて話し合うと言っていたが、菅氏は「辺野古移設」を決めた日米合意に基づき、負担軽減はあくまで努力しますだ。沖縄県民は受け入れないだろう。
 代表選挙中(8/31)、政府は着々と普天間移設を辺野古崎と隣接水域での代替施設の位置や配置,工法に関する日米専門家の報告書を発表。滑走路は2本によるV字形と、1本のI字形を併記となった。これでなければ、普天間飛行場は返還されることはないとでもいっているみたいだ。名護市民の民意は如何。
『強引にやり過ぎだ』と言われるくらい、いい知恵を出す大人物の出現を望みますね。戦後教育は失敗だったとしても、戦後65年は戦争のない日本を維持できたし、高度経済成長の歯車となって働いてきた。50才前後にバトンを渡す時期なんですね。
お読み下され、感謝致します。

写真はカナダ・ビクトリア市ブッチャート・ガーデンです。




正直 Honesty

2010-09-18 07:56:07 | Weblog
正直 Honesty 平成庚寅廿二年長月十八日

 今、各中学校では、体育祭に向けて、連日練習が大変である。
毎年、子供たちは「多脚」に取り組む。聞くところによると、クラス全員36名だと37脚で目標まで走るのである。
 秒を競う訳であるが、成長期の中学生では、身長差がかなりある。
転ばず、止まらず、脚を結ぶマジックハンド付テープが解けることなく、走りこまないとだめなのである。 当然、手をつこうにも肩を腕で組んでいる訳だから、倒れるときに変に手をついて、擦りむいたり怪我をすることになったり、足首の捻挫があるという。
 
今日、中日新聞のコラムに、ギネス記録に挑戦した中学生がいた。長浜市の浅井中学校だ。ギネスは「270人、271脚、50M走」だという。
本番は57秒少しでゴール。大歓声! 記録達成! 誰の目にも成功と映った。
ところが、挑戦後の昼食休みに、1人の男生徒が母親と一緒に本部テントを訪れ、自分が結んだ手拭いがゴール前に解けたと申し出たから、大変である。
ギネス申請用のビデオ映像では確認できなかったから、学校側は悩んだという。
申告を添えて申請しようとしたが、彼の勇気ある申告を無にしてはならないとして、学校は申請しないと決めたという。
 事情は分からないが、もう一回チャレンジは考えなかったのだろうか?
しかし、1回で決めるとしないとギネスにならないし、それだけ集中力を270人一つにまとめるには、並大抵の記録ではないのだろう。現在の記録は261人だそうな。
 ギネス記録もりっぱな花だが、それよりも美しい実がこの学校の校庭に実ったという話であった。
 
「正直」を意味する英語HONESTYの語源は、HONOR、すなわち「名誉」である。 

この前私のブログの「タルムード」の中で、ユダヤ人が死んで天国の門でまず、第一に聞かれることは、『おまえはビジネスで正直であったか』ということである。神は、どれだけ祈ったかとか、どれだけ慈善を施したか、どれだけ人を助けたかということは、後で尋ねるという。売る商品に欠陥があるとしたら、その欠陥を告げなければならないというユダヤの戒律だ。
まさにここで言われている「正直」も同じことであろう。「名誉」なのだ。

 佐藤一斎の言志録3条に 『凡そ事を作(ナ)すには、須らく天に事(つか)うるの心有るを要すべし。』とある。
この世に生を受けて生きている限り、生活や職業など、全てのことを行う時には、神様にお仕えするような清い心を持って事に当たることが大事です。どんな時でも、神仏に誓って恥じることがない心を持った行動を行うことが大事なのですと解説されている。(いわむら一斎塾)
「神様は、いつもあなたを、みている」ということですね。
お読み下され、感謝致します。

戦後教育の失敗例Failure of Postwar Education

2010-09-07 06:53:41 | Weblog
戦後教育の失敗例Failure of Postwar Education       平成庚寅廿二年長月七日

9月になっても、相変わらず、猛烈な暑さである。

今、菅・小沢両氏が首相の座を巡って、選挙戦の真っ只中。
あまりにも無定見な鳩山前首相の混迷ぶりを見せつけられた我々は、現代日本の政治の混迷が、結局は人の質の問題であることがよく分かったわけであるが、伊勢雅臣氏のブログを読んでいると、評論家の桜井よしこ氏が「鳩山首相は戦後教育の失敗例」と指摘しているという。問題は、戦後教育の人作りが失敗しているという事なのだ。団塊の世代の私にはショックであった。
「タルムード」(前回ブログ)の終わりに「日本とはなにか?」で戦前は天皇制儒教だったが、今は?と締めくくったが、同じ問題提起である。
4年前(平成18年2月)「悪魔のささやき」で加賀乙彦氏の文を取り上げた。
『加賀氏は、日本という国の未来そして非常に大きなテーマは、「いかに悪魔のささやきを避けるか」であるとして分析をしている。
氏の根底には、「時代の風で思想が変わってしまうことが恐ろしい」としているのではないかと思われます。彼には青春を戦争で明け暮れた体験があったと思います。私は戦争を知らない世代です。氏は言う、「国民の自発的協力心をかきたて、国のため、天皇のために命を落とすことに疑いを抱かせないよう政府が作り上げたマインド・コントロール・システムの精緻さはすさまじいものがあった。たとえば『挙国一致、尽忠報国、堅忍持久』の3つの目標を揚げた国民精神総動員運動。思想統制や憲兵やビンタや非国民という非難があった」という。
ところが、敗戦と同時に「鬼畜米英、撃ちてしやまん。一億総玉砕!と声をからしていた大人たちの変わりように愕然とした」という。玉音放送の2週間後には「これからの日本は民主主義の国だ。自由だ。人権だ」と話し出した。その変わり身の速さ!一億国民があっという間に軍国主義者から平和主義者に変わった。人間の思想や国家のイディオロギーというのは、なんて脆いものなのかという驚きは今もずっと続いていると言う。
本質は変わっていない。かつて日本人のなかに軍国主義という思想がパーツと入り込んだように、今度はアメリカ型民主主義というものが入っただけ。』
 
「論語」はどこにいったのだろう? 中3の後半に国語教科書出てくるだけだ。
象徴たる天皇と儒教は教科書に載せるのみで、「忠恕」の欠落した自己主張の教育であった。

伊勢氏は、『論語』は1600年ほど前に、海外から我が国にもたらされた最初の書物であった。そしてその「忠恕」や「仁」を核とする思想は、民を「大御宝(おおみたから)」と呼び、すべての生きとし生けるものが「一つ屋根の下の大家族」のように仲良く暮らしていくことを理想とした我が国の国柄には、まことに相性の良いものであった。
 そして我が先人たちは『論語』に学びつつ、我が国の国柄を深めていった。聖徳太子は、『論語』の「和」を深めて、「十七条憲法」の第一条に「和を以て貴しと為す」と説いた。鎌倉時代の「曹洞宗」の開祖・道元禅師は、世を治めるのは『論語』がよいと推奨していたという。

 江戸時代には『論語』研究が盛んになり、中江藤樹、山鹿素行、伊藤仁斎、荻生徂徠などが、生き方の学問として究められていった。武士道もこの根っこから、花開いていく。こうした学問の系譜から、吉田松陰、西郷隆盛など幕末の志士が生まれ、明治維新への道を開いていく。

 また農民の間でも、二宮尊徳は幼少の頃から『論語』を学び、長じて各地で農村改革を実現して、日本人の勤勉な国民性を形成した。明治時代に入って、企業500、公共・社会事業600の設立に貢献し、「日本資本主義の父」とまで呼ばれた渋沢栄一は、「論語と算盤」という言葉をよく使い、道徳と経済を一致させる必要を説いた。
いつから学校から、二宮尊徳像は撤去されるようになったのかな?

『論語』は、まさに我が国を発展させてきた先人たちのバックボーン(背骨)であった。だから、戦後教育で『論語』が忘れ去られた途端に、きちんとした価値観、原理原則という背骨を持たないルーピーな人間が増え、その一人が総理大臣にまでになってしまったのである。と総括している。あくまで、伊勢氏の見解である。 Loopyの語感はloop輪で、クルクル回るから推論してほしい。辞書では「混乱した」である。ワシントンポストからだそうな。
団塊の世代は60歳前後「アラ還」なのだが、最優等生にして、この体たらくだから、何を言ったらよいのだろう。

去年、内閣府が日、韓、米、英、仏の5カ国で行った青年意識調査によると、「どんなことをしてでも親を養う」と答えた若者の比率は英66%、米63%、仏50%、に対して韓国35%、日本28%で、我が国が最低だったという。
 儒教精神のある韓国までが低いとはびっくりです。(中日新聞)
原因は、近代化、核家族化がもたらした副作用だとすれば、どのようにして長寿社会における日本人の精神を立て直すかが、教育界の喫緊の問題だと思います。

何はともあれ、菅氏と小沢氏に当面任せるより、仕方がないが、2030年には「おひとり様」の単独世帯が、夫婦と子供2人の4人家族という「標準世帯」になる見通しだという。完全な高齢化社会に突入。失敗から立ち直らなければ、我々の年金が減らされる事態は避けられない。
お読み下され、感謝致します。

写真はオレゴンの薔薇です。