隻手の声(佐藤節夫)The voice of one hand clapping.

世の中の片手の声をココロで聴こう。

カナダ,B.C滞在記The story of my stay in B.C.Canada(完)

2007-09-24 07:19:05 | Weblog
カナダ, ブリティッシュ・コロンビア滞在記The story of my stay in British Columbia, Canada(完) 平成丁亥年長月二十四日
思い出すこと(Ⅲ)
バンクバーに着いて初めて、ダウンタウンからスタンレーパークまで歩いた。
7月1日のことだ。カナダデーである。ダウンタウンでは人人でごったがえしていた。道路では、何箇所でバンドが気分を盛り上げるよう、太鼓、ラッパを鳴らしていた。
カナダプレイス(トレード・コンベンションセンター)から地図を見て、行けるだろうと思い、歩き出したが失敗だ。森は見えども、なかなか着けない。店に入ると日本人が店員だ。まだ先だとのこと。ここは日本と違うのだ。 ガイドがこういう時に必要なのだ。 徒然草の第52段、石清水八幡宮の先達を思い出した。 初めてカナダの広さを知った。
 やっと事務所らしきところに着いて、パンフをもらうと、何とただの公園ではない。バスも中を通り、サイクリングをしている。公園の中に入るといろいろな画家たちが、所狭しとキャンバスを並べ、販売している。 足が痛くなって、ベンチで休むことにした。
もうこれまでとして、事務所まで戻りトイレに入った。 びっくりしたのはロール状のトイレットペーパーのデカサである。 直径40センチ位のデカイロールである。日本の何個分に当るか分からないデカサだ。一ヶ月分であろうか。しかも2個並んでいる。
 スタンレーパークではなく、どこか分からなかったが、手を水で洗った後、手を向けると自動にペーパーが出てくる。 何とここまで便利にするのかと言いたいくらいであった。
 
ある日、手紙を出そうと、同じホームスティのEさんに聞くと、「分かりにくいよ」といってSさんを紹介してくれた。連れてってもらうと、彼の言った通り、ある店の奥に郵便局が陣取っていた。これでは分かりっこない。 郵便局も国が違うとこうも違うのかと思わずつぶやいた。 赤いポスト(四角い)だけは同じだ。

誰でも日本人なら、すし屋に目が行く。ダウンタウンでは2階が多く、価格もぼったくりとかreasonableとか聞いた。それぞれの懐具合と舌の好みでかなり違ってくる。紹介された店はかなり良心的に感じた。 江戸前の煮きりで戴くイメージだとダメであろう。今岐阜でも「創作寿司」が流行っているものと同じであった。郊外でDさんと戴いたのはてんぷら(鳥もあった)と創作寿司と味噌汁という定食で安かった。しかも店前に赤ちょうちんがずらりとならんでいる。何とコメントしたらいいか。異国で食べられるという幸せを考えたら、贅沢なイメージはいらない。しかも大事な友人と食べれるなんて最高の味だと思った。

ある日、ホストファザーが家族とともに、同じホームスティの学生Eさんと私を食事に誘ってくれた。
ホワイトスポット である。 バンクーバーでは有名なハンバーガーレストランで、賑わっていた。ブラジリアンのEさんはイスラム教のため、豚はダメといって、それぞれのメニューになった。マクドナルドに代ってホワイトスポットは店舗数も多いと聞いた。
ある日、夕方といっても明るいが、バスに乗っていると、向かいに赤ら顔した50歳前後の男二人がペチャクチャしゃべっていた。すると突然一方が袋から缶ビールを開け飲み始めた。まずいと思って見ていたら、バスの運転手がマイクで「Get off」「Get off」と叫んだ。何と運転手は女性である。仕方なく「OK」「OK」といって、乗車口へ行って、缶のビールをひっくり返して流した。男は素直に席に戻っていった。私はホッとしたと同時に、この女性運転手の凄さには感心した。
               
バスの運転手は何もインド人だけてない、先の女性もいる。当然若いバスの運転手もいた。 陽気な運転手で誰構わず話して運転していた。すると停留所付近で派手な「パッパカパー」というクラクションを鳴らした。何事かと見ていたら、ある店の奥から彼女が走って出てきた。彼女は「Hi !」 と叫んで手を振るのだった。 周りは何ごとも無いようだった。
クラクションは愛のサインだった。 幸せな街・バンクバーのひとコマでした。
お読み下され、感謝致します。



カナダ,B.C滞在記The story of my stay in B.C.Canada(12)

2007-09-16 06:17:06 | Weblog
カナダ, ブリティッシュ・コロンビア滞在記The story of my stay in British Columbia, Canada(12) 平成丁亥年長月十六日

思い出すこと(Ⅱ)
In Canada Mr.L drove a car with me .We ran along the Kootenay Rockies circle routes.
On the way to New Denver we found two young hitchhikers.
I had the first experience. They told the reason why they were walking. They spoke too fast for me to follow. We picked up them to Castlegar.
Fortunately they were lucky and cheerful.
I had thought in Japan we couldn't pick up them because there were many 'Michino eki', covenience stores and terrible incidents, too.
Mr. L said “When I lived in Japan in 1987/8 S and I hitchhiked all over southern
Honshu. It was always very easy to get a ride and we had many great opportunities
to meet Japanese people. Even here some people suggest not picking up
hitchhikers for safety reasons but I think I am more likely to get struck by lightening
than to suffer at he hands of a hitchhiker.”
I haven't known he hitchhiked all over southern Honshu 20years ago.
Recently I hear children suffered when they went to school and came back home. So their parents let their children have cell-phones in Japan.
However, here was in B.C. Canada. Anyway it was large.
We may have terrible incidents.
But I want to agree he is likely to get struck by lightening.
I have never seen a hitchhiker in Gifu.
I hope and believe that the people are just as friendly here as they are there.
At the present, hitchhiking is prohibited and illegal against the law in many states of the U.S , because many highway robberies happened pretending to be hitchhikers.
I think they don’t have to regulate like this.
コーテナイ・ロッキィー周回ルートを走っていた時のこと。
ニューデンバーへの途中二人のヒッチハイカーを見つけた。私は初めてのことだった。彼らはなぜ歩いていたのかを話した。仲間に話すようにとても早くついていけなかった。キャッスルガーまで乗せる事になった。幸いにも彼らは運がよく、陽気だった。
日本では「道の駅」やコンビニがたくさんあり、恐ろしい事件もあるので、乗せる事は出来ないと考えていた。
Lさんは「 1987~8日本に住んでいた時、本州の南全域をヒッチハイクした。いつも車に乗せてくれ、日本人に会う機会をたくさん得た。 ここ(カナダ)でさえ、幾人かの人は安全を理由にヒッチハイカーを乗せないよう勧めている。がしかし、ヒッチハイカーの手にかかるより以上に雷にうたれる方が有りうると思う。」と言った。
彼が20年前に本州の南全域をヒッチハイクしたなんて知らなかった。
最近日本では、子供たちが学校の登下校に被害を受け、親は携帯電話を持たせていると聞いた。 我々は恐ろしい事件に会うかもしれない。しかし、彼の言う雷にうたれる方に同意したい。 私は岐阜でヒッチハイカーを見たことがない。
私は人々があそこで親しいのと同じようにここでも親しいことを望むし、信じる。
アメリカ合衆国ではヒッチハイクを装った強盗事件が多発したため、現在では多くの州で法律違反となっている。
ここまで規制する必要は無いと思います。
お読み下され、感謝致します。



カナダBC滞在記The story of my stay in BC.Canada(11)

2007-09-10 07:25:23 | Weblog
カナダ, ブリティッシュ・コロンビア滞在記The story of my stay in British Columbia, Canada(11) 平成丁亥年長月十日

思い出すこと(Ⅰ)
成田からバンクーバー空港までのエアーカナダの中のことである。
隣り合わせた男の人は一見取っ付き悪かったが、思い切って話しかけてみると、気さくではないが返事がきた。イギリス人でタイからの旅行で、日本は空港だけの経由だそうな。6ヶ月以上向こうにいて、カナダより北米へ行く予定だ。
仕事を聞いても言いたくなかったか?分かりにくく、聞き取れなかった。話し掛けても新聞のクロスワードパズルをしきりにやっていた。聞くと時間つぶしにはこれが一番だといっていた。
その中で”aristocracy”を自慢げに私の電子辞書で引いてみろという。早速引いて見ると「アリストクラシー・貴族」と出ていた。 以前聞いたことのある単語だったが、英英で更に調べると”nobility”と出ていた。彼に言うと新聞の横のヒントを見せてくれた。 その単語”nobility”が出ていた。かなりな語彙力と見た。 
そうこうしていると機内放送でどなたか医者が見えませんかと言っていた。誰か気分が悪くなったか?と思った。彼はしばらくクロスワードパズルをやっていたが、突然トイレか分からぬが、通路を足早に後部へ行ってなかなか帰ってこなかった。
 やっと帰ってきたら、何事もなくクロスワードパズルをやっていた。しばらくして副機長らしき人物が御礼にきた。それから又、アテンダントの女性が書類にサインをくれということで、彼はサインをしていた。多分保険の書類だろう。思い切って「何があったのですか」「書類にサインをしていたのは何ですか」と聞いた。 彼はあっさりと「人を助けただけだよ。血圧が高かった。I’m a surgeon.外科医」 と言ったきりクロスワードをやり始めた。
 当り前のことを平然とやって何事もなかったようにふるまう、これがまさにイギリス人かと感心した。 
私がシドニー・シェルダンの本を読んでいたら、彼は「読んだよ」 と言って、覗き込んだ。 私が”hastily”を「あわてて」と側に書いて、近くの単語”quickly”と同じような気でいたら、彼は全然違う”quickly”は「ストレートに素早く」だ。”hastily”は「せきたてられるようにあわてて」を英英辞書みたいに早口で言われた。肯いていたら、”duck”はもぐるような動作だと身振りで示し、”weird”は”odd, strange”だと教えてくれた。
流石、クロスワードパズルをやっているだけのことはあるなと思って、お礼を言った。
機内放送で気象の関係で遅れたことを言っていたが、無事バンクーバーに到着した。
“ See you some day !” と彼に言ったら、ただ笑っただけだった。あくまで”cool” だ。
お読み下され、感謝します。

PS. ヨーロッパ、特にパリでは「馬刺し」が隠れた流行だそうな。「ホースの刺身」と彼が言ったので、何のことか分からなかったが、ホースが馬だと気づくのに時間がかかった。しかし、日本ではある場所だけで一般じゃないと言ったが、不思議な顔をしていた。私はバスツァー熊本から大分へのドライブインで出された時だけである。彼は一般家庭にもと思っていたかもしれない。

カナダ, B.C.滞在記The story of my stay in B.C.Canada(10)

2007-09-04 08:59:34 | Weblog
カナダ, ブリティッシュ・コロンビア滞在記The story of my stay in British Columbia, Canada(10)平成丁亥年長月四日

ネルソンNelsonへ向けてのドライブであるが、Lさんは近くに温泉があるから、行こうと連れてってくれた。最初、パスポートが心配だと思い躊躇したが、思い切って行くことにした。
 Ainsworth Hot Springsといって、Kasloから31号線を南下してすぐのところであった。
貴重品をクロークに預け、パンツは競技用でないデカイ貸しパンツを借りた。老若男女で混んでいた。受付を出ると広々とした開放感のあるプールが2つ、段差をつけてあった。一つは蹄鉄の格好の洞穴へ入ることの出来る43℃の温泉で、洞穴の中は石筍や鍾乳石が並んでいて、薄明かりが灯り、不思議な感じであった。そして洞穴を通じて、向こう側へ出ていくような温泉はびっくりである。広さは50㎡かな? もう一つは洞穴のプールの前にあり、一段降りたところにあった。広さは同じくらいで36℃となっていた。いずれも露天プールで、壮大なthe Purcell Mountain が一望できる。 日本の温泉と違い、4,5人入るような浴場はなく、プールが2つのみで、全員水着着用のスポーツ感覚施設であった。スポーツ感覚だから、シャワーを浴びるだけで体を洗うことはしない。私は水泳教室に通って19年になるから、なんの違和感もなく入れた。洞穴も真っ暗であれば、戒壇めぐりとなるが、温泉に浸かりながら薄暗い洞穴に入っていくのは面白かった。幼い少女が怖がって入るのを嫌がっていたが、周りで”chicken・heart”という言葉が聞こえてきた。 リラックス出来たことは言うまでもない。二人で今までの思い出を語り合った。関市のALT(外国語指導助手)の仕事もやったという。来てよかったと思えた。 温泉は近くにまだあり、北の有名なBanffにもあるという。
温泉を出るとNelsonへ向かった。 その途中、Lさんは熊と鹿に出会わないかと山の中腹や道路際を見ながら、運転した。スピードが速いため余程先を見ていないと分からない。娘さんは見つけるのがうまいらしい。北海道旅行を思い出す。山の中腹に熊がいるというので、Lさんは私のカメラで撮ってくれたが、私の目では分からなかった。写真を見ると黒い塊が熊であった。あまり昼には出歩かないらしい。
Nelsonに着いた。 歴史を感じさせる建物がちらほらあった。その建物には年代を記したプレートがはめ込まれ、保存する建造物とされていた。商店街に1軒寿司レストランがあったが、あいにく休日であった。店には店の前にもテーブルを置いてサービスする店があり、様々であった。 豆中心の昼食を頂いた。本屋もあり、ここに住んだことのあるLさんはよく利用したという。棚に去年読んだ「フラット化する世界」フリードマン著の原書があった。1冊構成になっていた。世界的に売れたのは本当だと感じた。
. Kootenay Rockies circle routes コーテナイ・ロッキー周回ルートもこれで終わりだ。
Catlegarへ車は走った。 心から歓待してくれたLさんから「カナディアンの心」を教えてもらえた。 感謝で一杯だ。近くまた再会したいと思った。 Lさんの奥さんは小学校の教師だ。中学・高校生のためのHome-Stay Familyになりたいと希望がある。夏休み2週間のホームステイで、カヤック、ハイキング、キャンプ、カナダの森の生活体験は貴重なものだ。力になれればと思っている。
お読み下され、感謝致します。