創価学会の信仰に功徳はあるか?

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317.別尊曼荼羅と付随する目的や方法。

2011年02月23日 22時48分06秒 | 創価学会
●曼荼羅と付随する手法、方法。

 面白いほどよくわかる密教 渋谷 申博 (著) を読んでいて疑問に思ったのが、密教の修行の数がこんなにすくないのか?ということ。もちろん、最初からこの本に全てが書いてあるとは思ってません。

>密教修行を知りたくて探したけど知りたかったテーマはなかった

具体的な加持祈祷、修行、修法について知りたかったけど本屋さんでは見つかりませんでした。
手にとった本に書かれていなかったか、熟読すればあったのかもしれないけど。

愛染、不動が一括りにされる理由。あるいはその年代。
これが今回また少し見えてきたのかも。

マンダラは何を語っているか 真鍋俊照(著)
P141
このように別尊曼荼羅はこの世(現世)でいかに人間が人間らしく現世利益を追求するかを前提としている。しかも別尊マンダラは、その現世利益を達成するために、それにともなう手法が必ず一セットとなって初めて効力を発することを条件としている。

ということで 「別尊マンダラ」+「特定の修法、つまり加持祈祷など」 であろうということ。

別尊曼荼羅で検索をすすめると、私個人が知りたいのが見つかりました。

おもな別尊曼荼羅
http://web.kanazawa-u.ac.jp/~hikaku/mori/class/0608jp_mandala/0608jp_mandala_resu/besson.pdf

一字金輪曼荼羅:一字金輪法、金輪王法

このPDFの学説では曼荼羅と「法」がセットになっているのがわかります。
(おおよそながら、一つの曼荼羅=ある特定の目的=目的のための特定方法ということかと)
宝珠はこのPDF中で一字金輪曼荼羅など、2つにしかない。

このPDFには残念ながら、摩尼宝珠曼荼羅がない。
マンダラは何を語っているか 真鍋俊照(著)にも摩尼宝珠曼荼羅がない。
摩尼宝珠曼荼羅は、特殊な位置づけかあまり流行しなかったのか、秘密だったのだろうか?

少なくとも学説上、証拠が存在する程度には、法華経とその法があった、ということか?

●摩尼宝珠曼荼羅

そこで「摩尼宝珠曼荼羅 最古」で検索するとより興味深い結果が。

『鹿園雑集』奈良国立博物館研究紀要|奈良国立博物館

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─研究ノート─
平家納経雑感
梶谷 亮治

 平家納経経篋の荘厳について河田貞氏は、それが法華経提婆品の龍女成仏の表現であろうとされながら、蓋表に二頭の龍が向き合いその上方に五輪塔が浮かぶという異例の図様に注目され、如意宝珠法の本尊画像である摩尼宝珠曼荼羅との形式の近似に注意された(注3)。摩尼宝珠曼荼羅の現存最古の作例とみなされる仁和寺の白描図像本は長寛から承和年間の成立であり、平家納経当時にこうした図様がすでに成立していたことを示されたのは新しい知見である。また最近の内藤栄氏の宝珠に関する研究(注4)によると、平安時代末期から鎌倉時代にかけての醍醐寺では、如意輪観音と宝珠とを同体と見る特別な宝珠信仰が行われていたが、その内容を伝える『東長大事』(注5)には興味深い「如意宝珠曼荼羅」が掲載されている(内藤氏前掲論文の図13)。空海に仮託された能作性の宝珠観を図示したものとみられるが、蓮華上五鈷杵に安置される宝珠を雲上の双龍が見上げる図である。さらに『東長大事』には醍醐寺の勝覚(一〇五七~一一二九)が建立した三尊図(同前の図21)を示している。これは中央に五輪塔、左右に不動明王と愛染明王を配したものである。記述によればこの五輪塔の水輪には二顆の宝珠が納められ、「中尊五輪ハ此如意輪ノ三形也」とする。その後勝賢(一一三八~一一九八)はこれを「三仏如意輪法」と称し秘密に伝えた。注目されるのは「塔婆宝珠一躰異名也」とする記述があることで、これにしたがえば容易に平家納経経篋の意匠が思い浮かぶことになる。五輪塔は如意輪観音であり玉女(皇后・中宮)のイメージと重なり合うであろう。経篋蓋表のモチーフが平安後期の小野流における宝珠信仰を強く意識したものであることは疑いない。清盛がこうした宝珠信仰を知るについては、勝賢が清盛と交誼の深い藤原通憲(信西)(一一〇六~五九)の子息であり、別にはまだ若年だがのちに安徳帝護持僧となる醍醐寺僧良弘(良勝方、一一四二~?)の存在が何らかの役割を果たした可能性も考えられる。

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>如意宝珠法の本尊画像である摩尼宝珠曼荼羅
>摩尼宝珠曼荼羅の現存最古の作例とみなされる仁和寺の白描図像本は長寛から承和年間の成立
>宝珠
>左右に不動明王と愛染明王

宝珠と政治家トップのかかわり。
これは、日蓮さん漫荼羅と宝珠。日目さんの天奏などと関係があるのだろうか?

奈良国立博物館を見に行ったときは四天王や愛染、不動の像、画像ばかりに目がいって「摩尼宝珠」関連も見たはず(笑)(^^ゞだけど意識してみた覚えがない。うーん。失敗失敗。残念なことをした。

犀角独歩さん達、皆さんのご研究が進むことを期待しています。

●敷曼荼羅

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>「曼荼羅の世界」P50には 「敷マンダラ」があり、宝塔を中心に右に大日如来、左に釈迦如来(?字が不鮮明)の2仏形式のマンダラ写真があります。
この敷マンダラの所蔵寺院と年代は例によって例のごとくさっぱり不明なのですが、敷マンダラは大きなお寺で複数所持されている可能性があるのだそうです。
このマンダラの制作年代によっては 「中央に宝塔(法)二仏」という形式は日蓮生前からあったのかもしれません。
この「敷マンダラ」は壇の上に敷くマンダラだそうです。
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>絹本著色両界曼荼羅図〈/(敷曼荼羅

絹本著色両界曼荼羅図とは - 国指定文化財等データベース Weblio辞書
1rkmd006

1410は東寺の所蔵みたい、前掲書P50はやはり1410関連か?
上のリンクは年代はありがたいけど所蔵寺院名がいつも未記入。

●参考リンク

http://web.kanazawa-u.ac.jp/~hikaku/mori/class~マンダラ関連文献

0502enshu_bib_topic


●日蓮さんの評価。

 先のPDFをみると、時代の変遷で変わっているかもしれないが、ある時代(あるいは人、あるいは日蓮さん)に限定すれば、一つの曼荼羅=一つかとある目的=特定方法だったらしい。

そうすると仮に法華経法で相承(特定方法)の授受がある、ということは現代で言うところの医師免許と専門は異なるけど、わかりやすく例えれば鎌倉時代は小児科医は小児科医の免許相伝、みたいな感じか?(*1)

もし、そうならばお寺の名前はどうなるのだろうか?適当に思いつきで書くが、如意輪寺、法華寺とか命名があったとして、そのお寺が如意輪寺なら、如意曼荼羅を所持していて如意輪の手法(加持祈祷)が出来ますよ、ってことでは?
お医者さんで言うところの専門道具と医師の能力、ということ。
中身が日蓮外科病院なのに命名で日蓮小児科病院って言わないだろう。ふつー。

今度オフ会に参加出来れば、鎌倉時代前後のお寺の命名でこんな推測が少しでも成り立つのかどうか、独歩さんかFBIさんか誰かに聞いてみよう。

なお、加持祈祷の違いは検索するか面白いほどよくわかる密教 渋谷 申博 (著) などを参照のこと。

(*1の意見は日蓮漫荼羅が允可状である意味を弱めないのか?法華経最第一であるトータル相承と専門の相承と矛盾しないのか?なおかつ天皇に受戒?允可って日蓮さんの考えは法華経があれば仏教を知り尽くした最勝允可の意識なのか、専門允可なのか?どっちだろう?)


こうしてみれば、正宗系信徒会員の罵詈雑言は 「歯科医が脳外科治療も眼病治療もがん治療も出来るのだ!!!南無妙法蓮華経!」っていってるのと同じか。(笑)

法華経最第一が鎌倉時代当時の有力学説の一つだった。
法華経や法華マンダラが比叡山トップ僧侶や高野山トップ僧侶にその時代、その時代でどの程度重んじられたのかは私には分からない。が、
法華マンダラは「別尊マンダラ」であり下位か目的別の漫荼羅扱い。「ご相承」「ご相承」「御義口伝」「御義口伝」「マンダラ」「マンダラ」「ご本尊」「ご本尊」と強く言えば言うほど、原始仏教から見て問題ありそうな密教色が濃くなり、密教の両部曼荼羅を肯定して最上とする一面を持つ。正宗系信徒会員の様に口汚く言えば、なおさら反論となって返ってくるだろう。
法華経だけちょっとしか知らないから、ちょっとの相承(訓練や修行、手法)しか無いから、口汚い言動しかでてこないのだと。

法華経だけ、日蓮さん遺文だけ、日蓮関連だけの書籍だけ、日蓮さんだけを知っていればOKというのが、どれだけダメダメだというのがわかるだろうか?>正宗系信徒会員
素人の私がちょっと調べただけでも、こうして膨大に正宗教学を部分否定できる証拠が出てくる。(日蓮さん真筆遺文も事実であり、一つの証拠。私は全否定していません。)

 他宗絶対否定の誹謗中傷の絶えない顕正会とか創価とか正宗とか正宗系をなんとかしないと、法華経、日蓮漫荼羅とかが諸尊諸仏を否定せず肯定し取り入れるなど、日蓮さんとかの苦労が台なし。日蓮って町医者のレベルだろ?って言われても仕方ないような。

誤解されやすい日蓮遺文や法華経に限界や問題がある、ともいえるか。

FBIさんに時々伺うのだけれど、日連系は他宗派に比べて文献があまり整ってないらしい。
日蓮宗(日蓮正宗は問題外。)のお坊さんは、上記の問題に気がついたからやろうと思っても出来ないのでは?などと邪推したくなります。
実際はそんなことなく普段から宗教者が宗教行為(言動)をすれば普通に大丈夫だと思うけどねぇ。

以上。

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3 コメント

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なんちゅうか (FBI(笑)Oh my Buddha!)
2011-03-06 18:55:17
>>日連系は他宗派に比べて文献があまり整ってないらしい

各寺院にはいろいろとあるとは思いますが、宗門として調査把握できてそれらが整理されているかというと疑問ですね。

先年、身延山久遠寺が収蔵文書の目録を『身延文庫目録』全3巻として公刊しましたが、文書じたいの活字化はほとんどなされていません。

日蓮宗系の分権資料集としては、
1、日蓮宗宗学全書
2、日蓮教学全書
がありますが、1は誤字脱字誤植が無数にあると指摘されています。
2は、1を編纂する際に収集書写した文書の影印版で既に絶版となり、それらの原本は立正大学の図書館に収蔵されています。
しかも、これらは「日蓮宗」としての出版活動ではありません。

他には、法華宗が『法華宗全書』と『日隆上人全集』を出版しているくらいです。

これらにしても、宗全以外は市販はされていませんから、各宗内のごく一部の研究者・僧侶以外はほとんど目にすることもありません。

他方、天台宗・真言宗・浄土宗・浄土真宗などは宗門として古文書の調査・整理・公刊を行なっています。

正宗系では、市販されているのは富要だけで、宗内僧侶向けに出版された『研究教学書』『歴代法主全書』はいづれも事実上の絶版です。

以上、参考までに。
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Unknown (米山士郎)
2011-03-07 23:14:40
詳しい解説有難う御座います。
やはり私の書き方だと未熟で甘いですね。
返信する
Unknown (米山士郎@管理人)
2011-04-27 21:28:49
国指定文化財等データベース:主情報詳細
http://www.bunka.go.jp/bsys/maindetails.asp?register_id=201&item_id=2122
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