43~46の記事にも共通するが、謝罪しない創価学会員も多い。
46.と同様で 一般の人から見ておかしても、誰も謝らない事が多い。
どうして謝らないのだろうか?その違和感は何処から来るか?
●どんな場合に謝らないか?
私が退会した時に、理解して頂けなくて申し訳ない気持ちでいっぱいだ。なんて言われた事がない。、、、ところが、私が活動家だった時には地区リーダーさんや部長さんと家庭訪問していて、
”地区の人に判って頂けなくて申し訳ない。なんとか信心で幸せになってもらおう、、”
なんて話を良くした。有る程度の幹部には責任役職として明確に責任がある、といわれる。責任(ここでいう責任は信心の責任を指す。)取ってくれなかったり、誰も謝らない事がある。
自己責任、あるいは、その人の成長を期待しているので少々間違いは仕方ない、というスタンスが創価学会にはある。結果オーライ主義。聖教新聞には毎日のように「成長しよう」なんて書かれている、これは自分がまだまだ未熟、まだまだ可能性がある、とするから、決意、結論として、成長しよう、となる。(もうこれは思いこみでしかないと思っています。その証拠。)
http://blog.goo.ne.jp/117sensei/cmt/855fb0a99b25306745728847a06afe55
某S氏のブログで議論したけど。。。。 (tabuken) 2006-03-01 13:32:23
これ以降の独りよがりの発言をみれば一目瞭然。
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創価学会の信仰に功徳はあるか?:創価2世3世の人と家庭訪問
その時下の子(現在2歳)に向かって地区部長が言った台詞が「そろそろお母さんに新聞配達やらせてあげなさい。 あんたのせいでみんな結構迷惑だったんだよ。」あんまり頭に来たんで、婦人部長に文句を言ったところ、「悪気は無いのよ、それよりそろそろ配達出来ない?」もう何をか言わんややっていられるか!!ってんで脱会しちゃいました。「子どもに悪い事が起こるぞ。」とか「不幸になるわよ。」とかいろいろ言われましたが、子どもの誕生を普通に喜べない宗教、、、、、、、、、。
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なんて言われた学会員さんもいましたね。その後、自分の失言をちゃんと理解して謝っていればその婦人部の人は退転しなかった気がする。
●どうして私が違和感を感じるか?
それは、誰でも創価学会員ならば、初心者の頃にだれでも謝ったり、申し訳ない、なんて誰でも思うから。聖教新聞啓蒙は活字の媒体を読んでみませんか?なので読んでもらう事に意味があり、折伏になる。だから聖教新聞を説明する事は(偶にあるけど)あまりない。
ところが選挙や折伏はちがう。
私も教学がしっかりするまでは判らない事だらけで、池田大作氏やなぜ創価という組織が必要なのか?とか色々な質問がある。十分に説明出来ないなんて事は度々あった。「すいません。判らないので先輩に聞いてきます。」「知ってる人を連れてきます。」「すいません。折角話を聞いて頂いたのに、説明が不十分でした。もう一度話を聞いて欲しい、、、」
選挙もそう、公明党が果たした成果や法律論について議論が始まれば上記と同じ事が起こる。
ここ数年の創価はさすがに用意周到になってきていて、会員に公明党の成果などのパンフレットを渡す。以前はこんな事はなかった。有権者の人には渡せないけど、学会内部で配布OKな資料などがそうである。
(有権者には適切な時期が来ればだれでも見る事の出来る配布物を見比べればいいので、選挙で言い負ける事なんてありえない、自民も見て、民主も公明もみればいいでしょう。)
話がずれたが、折伏や選挙をやっていれば、謝るなんてのは仏法者にとってあたりまえでは?先にも書いたとおり、忍辱の鎧(にんにくのよろい)とか、三類の強敵(さんるいのごうてき)とかいろいろありますし、目次にも書いたとおり、非難されて当然、悪口罵詈も当然、普通の創価の人は御書の通りだ、と喜ぶはず。
「だから、アンチの人は言葉丁寧にお断りしましょうね。」
なにしろ折伏の決まらない理由は全部、自分自身にある、と言う指導がある。これも場合によりけり、人によりけり、、だけど。自己責任な信心だからだ。
●謝らない理由
1.学会本部、公明党の人
「33.創価学会の「悪」「仏敵」とは何か?創価の勘違い。」「40.創価と公明党と竹入氏(言論問題)」に記載。
2.まともな創価の人
人が本当に幸せになるから正義、正しい、絶対と思っている。人の幸せが大事なので、謝る事がある。nayaさんなど。がその証拠。nanaさんも今はそうなのかもしれない。
3.まともでない人、某所の人たち。
44.ネットで暴言を吐く学会員は学会を疑っている可能性がある?tabukenがその証拠。
見苦しい言い訳がその証拠です。過去には毒さん。
●普通の信仰者で有れば、人格者、謙虚になるのは当たり前。
創価学会の人、よく考えて欲しい。あのオウム真理教だって未だに、路線が間違っていただけど正しい、法の華だって自分は正しい、、、どこの宗教団体だって「自分たちが正しい、一番」と言っているのである。
よく知りもしないで、、、なんてのは聞き飽きました。創価学会の人も新聞啓蒙を断られると「新聞読んでなくて何も知らないくせに」「新聞読んでなくて何も判ってないくせに」と言いたくなるでしょう?
他の宗教団体だって「何も知らないくせに」って思ってます。
だから、ネットであれリアルであれ、相手が入信しなくとも、「創価の人は素晴らしいですね」って言われないと全然、駄目駄目じゃん。
こんなことを言う人もいる
周囲から「あなたのようになりたい」と思って頂けるよう自分が成長することが真の「学会正義」
そんな指導もありましたね。
nanaさんブログで中傷誹謗合戦をみているとそう思う。私のブログにも2,3度書いたが、アンチも暴言や中傷は控えるべき。体験や感情、思っている事は何を書いても良いと思う。池田=在日なんかとくにそうだ。不明確すぎ。姉歯=学会員のほうがずっと的確な指摘になる。創価学会の聖教新聞にはかならず、アンチをひとくくりにして人格者でない、と言う攻撃がある。
アンチをひとくくりにして人格者でない、、アンチが酷いからおかしいから、創価は正しい、というおかしな論理になる。 そのおかしな人、駄目な人を幸せに、良い人にしていくのが本当の宗教では???日蓮の宗教単独で正しい事が証明されないといけない気がする。人の幸せも含めて。
いじょ。
06.03.23 誤記訂正
46.と同様で 一般の人から見ておかしても、誰も謝らない事が多い。
どうして謝らないのだろうか?その違和感は何処から来るか?
●どんな場合に謝らないか?
私が退会した時に、理解して頂けなくて申し訳ない気持ちでいっぱいだ。なんて言われた事がない。、、、ところが、私が活動家だった時には地区リーダーさんや部長さんと家庭訪問していて、
”地区の人に判って頂けなくて申し訳ない。なんとか信心で幸せになってもらおう、、”
なんて話を良くした。有る程度の幹部には責任役職として明確に責任がある、といわれる。責任(ここでいう責任は信心の責任を指す。)取ってくれなかったり、誰も謝らない事がある。
自己責任、あるいは、その人の成長を期待しているので少々間違いは仕方ない、というスタンスが創価学会にはある。結果オーライ主義。聖教新聞には毎日のように「成長しよう」なんて書かれている、これは自分がまだまだ未熟、まだまだ可能性がある、とするから、決意、結論として、成長しよう、となる。(もうこれは思いこみでしかないと思っています。その証拠。)
http://blog.goo.ne.jp/117sensei/cmt/855fb0a99b25306745728847a06afe55
某S氏のブログで議論したけど。。。。 (tabuken) 2006-03-01 13:32:23
これ以降の独りよがりの発言をみれば一目瞭然。
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創価学会の信仰に功徳はあるか?:創価2世3世の人と家庭訪問
その時下の子(現在2歳)に向かって地区部長が言った台詞が「そろそろお母さんに新聞配達やらせてあげなさい。 あんたのせいでみんな結構迷惑だったんだよ。」あんまり頭に来たんで、婦人部長に文句を言ったところ、「悪気は無いのよ、それよりそろそろ配達出来ない?」もう何をか言わんややっていられるか!!ってんで脱会しちゃいました。「子どもに悪い事が起こるぞ。」とか「不幸になるわよ。」とかいろいろ言われましたが、子どもの誕生を普通に喜べない宗教、、、、、、、、、。
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なんて言われた学会員さんもいましたね。その後、自分の失言をちゃんと理解して謝っていればその婦人部の人は退転しなかった気がする。
●どうして私が違和感を感じるか?
それは、誰でも創価学会員ならば、初心者の頃にだれでも謝ったり、申し訳ない、なんて誰でも思うから。聖教新聞啓蒙は活字の媒体を読んでみませんか?なので読んでもらう事に意味があり、折伏になる。だから聖教新聞を説明する事は(偶にあるけど)あまりない。
ところが選挙や折伏はちがう。
私も教学がしっかりするまでは判らない事だらけで、池田大作氏やなぜ創価という組織が必要なのか?とか色々な質問がある。十分に説明出来ないなんて事は度々あった。「すいません。判らないので先輩に聞いてきます。」「知ってる人を連れてきます。」「すいません。折角話を聞いて頂いたのに、説明が不十分でした。もう一度話を聞いて欲しい、、、」
選挙もそう、公明党が果たした成果や法律論について議論が始まれば上記と同じ事が起こる。
ここ数年の創価はさすがに用意周到になってきていて、会員に公明党の成果などのパンフレットを渡す。以前はこんな事はなかった。有権者の人には渡せないけど、学会内部で配布OKな資料などがそうである。
(有権者には適切な時期が来ればだれでも見る事の出来る配布物を見比べればいいので、選挙で言い負ける事なんてありえない、自民も見て、民主も公明もみればいいでしょう。)
話がずれたが、折伏や選挙をやっていれば、謝るなんてのは仏法者にとってあたりまえでは?先にも書いたとおり、忍辱の鎧(にんにくのよろい)とか、三類の強敵(さんるいのごうてき)とかいろいろありますし、目次にも書いたとおり、非難されて当然、悪口罵詈も当然、普通の創価の人は御書の通りだ、と喜ぶはず。
「だから、アンチの人は言葉丁寧にお断りしましょうね。」
なにしろ折伏の決まらない理由は全部、自分自身にある、と言う指導がある。これも場合によりけり、人によりけり、、だけど。自己責任な信心だからだ。
●謝らない理由
1.学会本部、公明党の人
「33.創価学会の「悪」「仏敵」とは何か?創価の勘違い。」「40.創価と公明党と竹入氏(言論問題)」に記載。
2.まともな創価の人
人が本当に幸せになるから正義、正しい、絶対と思っている。人の幸せが大事なので、謝る事がある。nayaさんなど。がその証拠。nanaさんも今はそうなのかもしれない。
3.まともでない人、某所の人たち。
44.ネットで暴言を吐く学会員は学会を疑っている可能性がある?tabukenがその証拠。
見苦しい言い訳がその証拠です。過去には毒さん。
●普通の信仰者で有れば、人格者、謙虚になるのは当たり前。
創価学会の人、よく考えて欲しい。あのオウム真理教だって未だに、路線が間違っていただけど正しい、法の華だって自分は正しい、、、どこの宗教団体だって「自分たちが正しい、一番」と言っているのである。
よく知りもしないで、、、なんてのは聞き飽きました。創価学会の人も新聞啓蒙を断られると「新聞読んでなくて何も知らないくせに」「新聞読んでなくて何も判ってないくせに」と言いたくなるでしょう?
他の宗教団体だって「何も知らないくせに」って思ってます。
だから、ネットであれリアルであれ、相手が入信しなくとも、「創価の人は素晴らしいですね」って言われないと全然、駄目駄目じゃん。
こんなことを言う人もいる
周囲から「あなたのようになりたい」と思って頂けるよう自分が成長することが真の「学会正義」
そんな指導もありましたね。
nanaさんブログで中傷誹謗合戦をみているとそう思う。私のブログにも2,3度書いたが、アンチも暴言や中傷は控えるべき。体験や感情、思っている事は何を書いても良いと思う。池田=在日なんかとくにそうだ。不明確すぎ。姉歯=学会員のほうがずっと的確な指摘になる。創価学会の聖教新聞にはかならず、アンチをひとくくりにして人格者でない、と言う攻撃がある。
アンチをひとくくりにして人格者でない、、アンチが酷いからおかしいから、創価は正しい、というおかしな論理になる。 そのおかしな人、駄目な人を幸せに、良い人にしていくのが本当の宗教では???日蓮の宗教単独で正しい事が証明されないといけない気がする。人の幸せも含めて。
いじょ。
06.03.23 誤記訂正
http://blog.goo.ne.jp/soukagakkai_usotuki/e/37fb9552ddc62e50f63166177ed5f9d6
ここに書いてきた事が彼にも当てはまったようだ。
「昔からリアルでもネットでもアンチに傷つけられる事が多く私も辛い目にあって来た。それですぐカリカリしてしまう」
ということは、やはり、折伏や新聞啓蒙で上手く行って無くて、創価と本人自身に葛藤が在った、ということの証拠だ。リアルで上手く行かないのでせめてネットで勝ちたいのだろう。彼はネットで折伏しない、と問題発言を言いきったが、実際、私も
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http://blog.goo.ne.jp/soukagakkai_usotuki/e/37fb9552ddc62e50f63166177ed5f9d6
病気で満足に外出できないときはネットでもいいから学会系サイトでお役にたつしかない、と思った。妙の照覧しかない、
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こんな風に考えていたのでネットで折伏する事は悪くは無いだろう。但し、誰が敵なのかは難しい所。きちんと折伏、説得出来なければむしろネットでも敵や創価への誤解を増やすだろう。
ちなみに葛藤についてはhttp://ameblo.jp/soka/こんな風に悩んでいる人もいる。
彼の暴言は色々あった。上げるときりがない。やられたね。闇、おっさん、人の不幸を爆笑、ネットでは折伏しない。言い訳の数々。最後には「誤り損」ときた。あそこでもう一度謝るか、あるいは、謝る気があるならば、どう謝ったらいいのか?何をあやまればいいのか?私が何を怒っているのか?判らなければそれを聞く必要があるのだ。一度、私は謝罪を断った。それはあれだけ喧嘩した人が普通、本気がどうか、試される意味でも友人や恋人、上司部下でもあんな会話いくらでもある。
Aねぇ、○×のことどういう事?ひどい。
B。。。え?。。。ごめんよ。
A謝って済むと思ってるの?○×○×○×○×○×☆彡☆★
Bいや、ほんとにごめん。このとおり。
Aじゃあ、悪いと思ってるなら、今度ああしてこうして、どっか連れて行け、買ってくれ
Bはい
以上、私と別れた彼女との一部始終でした。「いや、ほんとにごめん。このとおり。」ここで誤り損かなんていったら、誰だってもっと起こるよ。
結局、彼はgooへの抗議も失敗し、謝罪もきちんと出来なかった。自営業らしいので会社に勤めて営業的な仕事や電子メールの謝罪文など書いた事、同僚などの謝罪文を読む経験が無かったに違いない。
彼は3/24日のブログ記事削除、その後3/20以前のブログまで閉鎖してしまった。自分のした事の結果とは言え、落ち着いて考えて欲しい。自分と、創価の矛盾を。だ。なにも創価をやめろ、というのではなくて、人に好かれる、か私がリアルで会った部長さんと同じ事を言う人ですね、、なんて言われるくらいになればいいのでは?
また、彼のブログをみるとアカウントは残っていてプロフィールは見つけた。彼の年齢は少なくとも30か31。ショックだ。私は18-25ぐらいかと想像していた。年齢的には部長をやっていても全くおかしくない年齢。30代で謝罪の仕方もしらないとはかなり問題だと思う。対話、というより、世間慣れしてないと思う。私は30半ばなのでおっさんだが、おまえもおっさん一歩手前じゃないか?(笑)
よく、創価では良書を読め、小説を読め、と言われる。これは色々な人生を知る、と言う意味や、人の感情を知る意味でも役に立つ。彼は人の人生を想像するということができないのだろう。創価に入る前から本は好きなので、私は色々読んでいるが、彼はどうなのだろう。。。
結局、どんなメールを送ったのかは知らないが、gooの判断を見て、恥ずかしくなったのか、ブログが荒れるのを嫌に思って、自分のブログを閉鎖してしまったのだろう。
彼のした事は私の記事の44番の裏付けになってしまった。おそらく今でもここを読んでいるに違いない。
謝る気があるならば、今からでもメールでもいいので謝るべきだ。但し、メールにするとアンチの人には理解されず、創価に泥を塗ったままになる。勇気をだしてコメントでA4一枚ぐらいの文章量になるように、5W1H、起承転結をしっかり書いて私が納得いくように謝罪すべきだ。そうすれば、良く変わった、言われるだろう。どうだろうか?但し、口汚さだけの謝罪では駄目だ。条件として1-6を書いた。もちろん、それをあなたがどう思うか?だが。。。
なお私のブログにログの削除を求めていたのは 自分の発言が恥ずかしいので、ここから消して欲しいという感情、損得というのは想像が付いている。
>あの一件に関しましてはgoo事務局からの警告という形での解決としました。
goo事務局からの警告は一切ありません。 私が2度もgooに質問をしてもgooからは抗議があったのかすら教えてもらえません。tabukenの抗議があったのかどうかも不明です。抗議自体が嘘だったような気もします。まぁ、彼の心の中でgooにお願いしたという満足、警告がなされたという妄想が「解決した。」と思わせるのかもしれません。
>規約に則ったgoo事務局の中間的で公平な判断であったと思います。
まるで私のブログに警告が来たような言いがかり。中間的という意味がやや不明ですが、警告も問題もないので私のブログに何の変更もないのです。
なんでこんな嘘を付く?それとtabukenのご友人には彼を慰めるのは当然としても、注意もして欲しかった、と思う。
>相手は鼻息荒らしてたけど、私は最初とは違い、そのうち幼稚な理屈合戦に嫌気がさしてだんだんどうでも良くなり失礼ながら私はいい加減にオチョクリ出した(笑)ネット上の夢。全て冗談です。そんなアホ臭い物
これが再度アップされています。この3行は何度読んでも呆れます。これが彼の人格、性格なのでしょう。1975年生まれの30代の男のやる事では無いと思います。同じ30代としてね。記事にはしませんがコメントとしてここに書いておきます。
これがもし、私が別の議論をしていて仮に、私が言い負けていたら、我々は正義!勝利!実証を示した!とか言っていたに違いありません。
まったく彼のブログには笑わせていただいてます。
閉鎖と言いつつ書き込みをするし、「議論」自体をルールの無い子供の口げんかぐらいにしか思ってないかも知れませんね。おそらくあちらこちらとROMでしょうけど・・・。未練がましいと言うか、うまく逃げたというか(うまくはないか・・・)中途半端でした。
創価嘘つきさん、お疲れ様。
tabuken usotukiに改名して欲しいですね。
これは誰でもお互い様、私だってやってます。(^_^;)
くたびれたのも確かですが、呆れました。
ではでは。