若い頃から『文藝春秋』『中央公論』『世界』など総合雑誌はほとんど読まず・買わずで過ごして来ました。総合雑誌はジジイの読む雑誌と思っていたからでです。自分が還暦を過ぎてジジイの仲間入りをしてもこの事情は変わりません。このような総合雑誌が今でも生き残っている事自体が不思議です。
中央公論社の経営がおかしくなったことは記憶していましたが、読売新聞の傘下に入ったことは月曜日に知ったばかりです。社名も中央公論新社となりましたが、世間では「読売公論」とも呼ばれているらしい。それでも『the 読売』より『中央公論』の方がブランド力は上なのでしょうね。
私が『中央公論』9月号を購入した(900円、高い!)動機は村上陽一郎氏の「言い訳」が掲載されていたからではありません。中央公論のサイトで9月号の目次を確認すると
なぜ福島にロボットを送れなかったのか
マービン・ミンスキー
聞き手 吉成真由美
これが目に飛び込んで来たのです。「なぜ福島にロボットを送れなかったのか」という素朴な疑問は震災直後から持っていて、ブログにも書きました。購入を決めたのはこのインタビューです。不勉強ゆえ、話し手の「人工知能の父」マービン・ミンスキーさんを存じ上げていませんでした。
聞き手の吉成さんはズバリこう質問します。
吉成 なぜ今度の大地震の後、福島原子力発電所にロボットを送り込んで作業させることができなかったのしょうか。ロボット工学研究分野の最大の問題は何のでしょうか。
ミンスキー 素晴らしい質問です。なぜ、故障した原子力発電所に、リモコン操作できるロボットを送り込んで、修復作業をすることができなかったのか。これまで過去30年間(ロボット工学の分野で)一体何が起こってきたのかまったく私には理解しがたい。
とミンスキーさんは語り始めます。スリーマイル島の原発事故の翌年(1980年)に彼は雑誌に記事を書きました。当時の技術で知能ロボットを作る事は出来なくても、リモコン操作できるロボットは比較的容易に出来たはずだということを説明しました。ところが30年前と同じ事態に陥っても、使えるロボットを送り込むことが出来ませんでした。最近、彼の記事は専門誌に再掲されましたが、一行も変更する必要がありませんでした。
ロボット研究者達は、単に「人間らしく見える」ことだけ追求した結果、ドアを開けることも何かを修理することも出来ないロボットしか開発する事が出来ませんでした。つまりエンターテイメントに走ってしまったのです。まさに「失われた30年」です。
ミンスキーさんの言う「ドアを開ける」行動は幼児でも出来ますが、振り返ってみると機械には難しい事に違いありません。しかしドアが開けられなければ事故の現場に辿り着く事さえ出来ないのです。
ミンスキー ・・・人間にとって難しいことは、コンピュータとっては朝飯前で、人間にとってやさしいことは、研究対象として無視されてきたわけです。まったく変な話です。
そして自動翻訳の分野でも事情は同じらしい。膨大な量の例文を集めることはコンピュータにとって朝飯前ですが、私達はまともな訳文を30年経っても得る事が出来ていません。膨大なデータベースを使っても少しの進歩もしていません。物覚えだけは良いマシンは出来ましたが、賢いマシンが作れないのです。
自動翻訳にはまったく素人で、的外れかもしれませんが、研究者の依拠するチョムスキーの生成文法がダメなのしょう。屈折語の世界でものを考えている西欧の研究者の行き詰まりは、膠着語で暮らす日本人や韓国人が突破できる可能性があります。
さて夏休み中は高専のロボット製作の繁忙期です。
こんな「アームスーツっぽいもの」が開発の原点になるかも知れませんね。
↓ポチッと応援お願いします!
中央公論社の経営がおかしくなったことは記憶していましたが、読売新聞の傘下に入ったことは月曜日に知ったばかりです。社名も中央公論新社となりましたが、世間では「読売公論」とも呼ばれているらしい。それでも『the 読売』より『中央公論』の方がブランド力は上なのでしょうね。
私が『中央公論』9月号を購入した(900円、高い!)動機は村上陽一郎氏の「言い訳」が掲載されていたからではありません。中央公論のサイトで9月号の目次を確認すると
なぜ福島にロボットを送れなかったのか
マービン・ミンスキー
聞き手 吉成真由美
これが目に飛び込んで来たのです。「なぜ福島にロボットを送れなかったのか」という素朴な疑問は震災直後から持っていて、ブログにも書きました。購入を決めたのはこのインタビューです。不勉強ゆえ、話し手の「人工知能の父」マービン・ミンスキーさんを存じ上げていませんでした。
聞き手の吉成さんはズバリこう質問します。
吉成 なぜ今度の大地震の後、福島原子力発電所にロボットを送り込んで作業させることができなかったのしょうか。ロボット工学研究分野の最大の問題は何のでしょうか。
ミンスキー 素晴らしい質問です。なぜ、故障した原子力発電所に、リモコン操作できるロボットを送り込んで、修復作業をすることができなかったのか。これまで過去30年間(ロボット工学の分野で)一体何が起こってきたのかまったく私には理解しがたい。
とミンスキーさんは語り始めます。スリーマイル島の原発事故の翌年(1980年)に彼は雑誌に記事を書きました。当時の技術で知能ロボットを作る事は出来なくても、リモコン操作できるロボットは比較的容易に出来たはずだということを説明しました。ところが30年前と同じ事態に陥っても、使えるロボットを送り込むことが出来ませんでした。最近、彼の記事は専門誌に再掲されましたが、一行も変更する必要がありませんでした。
ロボット研究者達は、単に「人間らしく見える」ことだけ追求した結果、ドアを開けることも何かを修理することも出来ないロボットしか開発する事が出来ませんでした。つまりエンターテイメントに走ってしまったのです。まさに「失われた30年」です。
ミンスキーさんの言う「ドアを開ける」行動は幼児でも出来ますが、振り返ってみると機械には難しい事に違いありません。しかしドアが開けられなければ事故の現場に辿り着く事さえ出来ないのです。
ミンスキー ・・・人間にとって難しいことは、コンピュータとっては朝飯前で、人間にとってやさしいことは、研究対象として無視されてきたわけです。まったく変な話です。
そして自動翻訳の分野でも事情は同じらしい。膨大な量の例文を集めることはコンピュータにとって朝飯前ですが、私達はまともな訳文を30年経っても得る事が出来ていません。膨大なデータベースを使っても少しの進歩もしていません。物覚えだけは良いマシンは出来ましたが、賢いマシンが作れないのです。
自動翻訳にはまったく素人で、的外れかもしれませんが、研究者の依拠するチョムスキーの生成文法がダメなのしょう。屈折語の世界でものを考えている西欧の研究者の行き詰まりは、膠着語で暮らす日本人や韓国人が突破できる可能性があります。
さて夏休み中は高専のロボット製作の繁忙期です。
こんな「アームスーツっぽいもの」が開発の原点になるかも知れませんね。
↓ポチッと応援お願いします!
実は、私の卒業論文のテーマは生成変形文法でした。N.チョムスキーの名前が知れれ始めたころです。生成変形文法の新しいところは、言語の深層構造を想定したことです。構造主義の現象論を超えると期待されましたが、深層構造と意味論は直接は結びつかないというところでしょう。当時は、この理論を発展させれば自動翻訳は早晩で出来るという人もいましたが、当時も三上章の「象の鼻は長い」などを読んで、そう簡単な話ではないなという勘を持っていました。もうすっかり遠い記憶ですが、言語学という分野も分けわからんという意味で、人生何回かやり直せるのならやって見たい面白そうな分野のひとつです。
三上章の著作は「象は鼻が長い」ではなかったでしょうか?私にとっても言語学は遠い昔の記憶です。古書で購入した記憶はあるのですが、行方不明です。
私が学んだのは時枝誠記→三浦つとむの言語過程説でした。
中公の記事でミンスキーさんが言及されている30年前の論文に興味があります。紹介して頂けると嬉しいです。
文藝春秋,中央公論,世界などの総合雑誌は,私の知る限り,IPCC(気候変動に関する政府間パネル)報告の誤り,疑問,怪しさについて,正面から真面目に特集を組みました.新聞,週刊誌,テレビなどが無批判/無検証で地球温暖化CO2説を垂れ流す中,すくなくともこの件でマスコミらしさを発揮したしたのは総合雑誌だけのように思います.
自然言語理解/自動翻訳が実用化レベルに達しないのを生成変形文法の責任にするのは酷ですね.それだけでは言語を理解.操るのに十分でないということでしょう.人間の思考や知識も含めた知能全体の解明なしに,完全な言語理解は真理でしょうね.私の先生は,対話による理解は誤解に他ならないといってました.
KADOTAさんの訂正.ミンスキーは確かに「人工知能の父」と呼ばれていますが,Artificial Intelligenceの言葉を作ったのは,ミンスキーではなく,John McCarthyです.1956年です.
貴重な情報をありがとうございました。私達が自動翻訳に求めるのは言語の意味ですが、返って来るのはパターンに過ぎません。やはり人間にとってやさしいことが、機械には難しいのですね。
John McCarthyはLISPの開発者だったのですね!Maximaのユーザなので、彼の業績には常にお世話になっているのです。
明日は群馬高専のロボットのテストランを見に行きます。心配の種がまた一つ増えそうです。