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『自分でできるカウンセリング』(創元社)その1

2013-07-03 12:00:23 | 
『自分でできるカウンセリング 女性のためのメンタル・トレーニング』(創元社)
川喜田好恵/著

図書館巡りで見つけた1冊。
その昔『シンデレラ・コンプレックス』を読んだ時の衝撃に似ている。
一言一句に「その通りなんだよー!」て共感しまくりで、こうしてちゃんと文章化して、書籍化してくれて有り難い思いがした。

均等法成立から20年経った今でもなお意識の中に深く根付いている理由は、
「男は強く、女は可愛くあらねばならない」「男は仕事、女は家事・育児」っていう考え方が
親から子に無意識・意識的に伝授されるということに加えて、
目に見えない、うまくカムフラージュされた形で社会やメディアから溢れる情報によっていまだ残っているから。

「ダブルバインド(二重拘束)」の背景と、それを克服する「エンパワーメント」などが分かりやすくまとめられていたオススメな1冊。


【内容抜粋メモ】

<part1 結婚したい、したくない?>
女性の大学進学率が上昇し、卒業後は仕事に就く女性が大半になった。
かつて「クリスマスケーキ」(25歳)、「三十日そば」(30歳)と言われた適齢期もなくなってきた(そんな言葉知らなかった
それでも、結婚しても、しなくても、何かモヤモヤしてしまう気持ちはどこからくるのか?

「性役割意識」が以前より見えにくく、微妙な方法で女性の人生に影響を与えていることが関係している。
シングルで働く女性を見てきた次世代の女性の目には、先輩が頑張りながらも多くの抵抗にあってもがいていたり、
テレビなどで堂々と発言する女性が男性からからかいの対象になっているのを見て「しんどそう・・・」と思っている。

結婚が選べるものになった結果、
「どうせ結婚するなら、人からうらやましがられるものでなければならない」
「不幸な結婚は避けなければいけない」とハードルが上がってしまった
結婚して「こんなはずじゃなかった」と思っても、その不満や不安を人に言うことを女性はためらう。

「結婚しない女性の増加」「子どもを産むのをためらう女性の問題」は、女性の問題ではなく
「女性の自己実現と相容れない結婚制度や、性役割分業の問題」
「家事・育児・家庭の管理を女性に任せようとする社会の問題」



<part2 可愛いくなければ女じゃない?>
「カワイイ」という言葉は、日本女性を語る上で重要なキーワード。
女性タレントは身長153cmが理想と言われる。日本人男性の平均身長で手を伸ばして肩を組むのにちょうどいいからという男性基準。
女性雑誌にあふれる「カワイイ」「フェミニン」などのコピーは「女らしく、可愛くなければ生き残れない」というメッセージ。


女性性はマーケティングの対象
「カワイイ」の追求は「性の商品化」にもつながっていく。
1970年代「見られる存在から見る存在へ」というスローガンがあった。
「男が見る、女は見られる」という構造は変わっていない。
ボディラインが露わなファッションを見て、「自分(彼女)が好きでやっていること」と自己表現が歪んでいる。
男性に都合のいい女性のイメージを強調する表現を押し付けられても「抑圧」と感じられない。


●バラエティ番組、映画・ドラマ、ゲームの影響
男女の性役割モデルに変化がない。
本能で生殖行動が定型化されている野生動物と違って、ヒトのカップルができるまでのプロセスは社会的・文化的な仕組みが必要。
「お見合い」というシステムも一例。



<part3 カレシは欲しい、でもいるとしんどい?>
DV=夫や恋人間で起こる支配・暴力のこと。「デートDV」等。
ネットの時代になり、男女交際は規格化されたモデルや流行が強く影響するようになった。
ケータイは、「監視と拘束のツール」にもなり得る。
背景には、相手がそばにいない時に何をしているか不安で仕方ないという、
人間関係を維持する能力の低下・コミュニケーションの問題がある。

「相手がいないと自分の価値が下がる・肩身が狭い、相手がいると縛られて不自由」
シングルだと「女として不幸じゃない?と言われる。
一方、男性の場合はカノジョがいないことより「仕事をしていない」ことが致命的な打撃となる。


赤ちゃんは産めるうちにという生物学的な期限説
「駆け込み結婚・出産」に走ったり、「女の幸せゲームのゴールは赤ちゃん」という古い考えが
「少子化の克服」などにすり替わっている。
しかし、実際の出産・子育ては、会社のプロジェクトでも、愛らしいペットでもない大仕事

就職して5年後、10年後は、仕事が面白くなる時期。そこに「適齢期」が重なるため、キャリアを諦めるか決断を迫られる。
子育ては楽しいが、キャリアにはならない。
「幼稚園に子どもを送る時、出勤する女性を見ると後悔する」という訴えも多い。

どこに達成感を感じるかはヒトそれぞれ。
自分の能力を発揮して、賞賛として返ると「達成感」が得られ、物事を行う上での動機づけになる。
しかし、「成果」などの仕事と真逆の子育てに適応させることは大変なシフト


<part4 母と娘の関係は?>
カウンセリングにくる女性の悩みの背景に母親が登場することが多い
母のために「良い娘になろう」と必死に努力した結果、パートナーや子どもとの関係を妨げたり、自己実現の邪魔になる。
単なる「子離れ・親離れ」ができない問題だけではない複雑な背景がある。

母親は、娘を自分と同じ役割につかせるよう育てることを社会から期待される
+母親自身の願いでもあることがカウンセリングで明らかになることがある。
母親が自分の結婚に不満・後悔を感じていても、娘には結婚を望むことが多い

女同士の絆が深まるという期待、「愛情という名の無償サービス」を娘が受け入れることで
自分がやってきたことを認めてほしいという願い、老後の介護役の確保等。
「不幸な結婚は、たまたま相手が悪かったから」と思っていて、結婚制度の持つ問題に気づかないまま、娘に同じリスクを負わせる。
妻が経済的・社会的に夫に依存せざるを得ない仕組みが根っこにある。


母親は娘の自立を応援できるか?
「あなたは仕事して一人で生きたほうがいい」は、現実の無力感、男性に対する不信感から。
娘は母親が自分の問題から逃げている・合理化していることを感じ取り、アイデンティティの混乱をもたらす。
幼い頃から「世話係・愛情供給係」を引きうけ、母親を残して自立することに罪悪感を抱く。


息子と娘の育て方の違い
息子は子どもであるだけでなく、男性であることで愛し、世話をする対象。
一方、娘は幼児期に入ると性役割を期待され、「可愛く振る舞い」「弟・妹の面倒をみる良い子」に育てられる。
小学生の女子は男子に比べより周囲の気配や、父母の期待に敏感に応えようとする。
「可愛くて、優しい子、人の気持ちを察する思いやりのある子」が女子の理想像

「もっと甘えたい」「もっと愛されたい」という欲求を抑え、一番大切な母親の孤独を癒し満たすことが最大の仕事になる
とりわけ女子のほうが母親の気持ちに対して責任をとるよう育てられる。

父母の関係が良くなかったり、親戚の間で辛い立場にあると、家族の仲介者の役割を担おうとする
母親を幸せにできなかった無力感を抱いたまま成長し、自分が愛情を受けて楽しむことに後ろめたさを感じたり、
挫折感から子育てに自信を失ったりして、本人も無意識のうちに母と娘の問題が繰り返される。
助けが必要な時も、「お母さんには対処できないだろう」と母親から愛情・援助を求めることをためらう。

「娘がなかなか結婚してくれない」という相談の裏に、本音はこのまま一緒にいてくれれば心強い、老後の世話係として手放したくない気持ちがある。
不満な夫の代わりに寂しさを満たしてくれる、母としての生き甲斐の延長にもなる。

パラサイトしている娘は、掃除・洗濯・ご飯など、ぜんぶ自分でやるのは無理というのが本音。
しかし、親の介護の問題に突き当たる。日本では、家族に女性がいれば当然、家事・介護は彼女の責任とされる。
「保護という名の保管・管理」「あなたのためだから・・・」は、「愛に名を借りた支配」だったりする。


独身キャリアを選んだら?
従来の性役割社会から降りたキャリア組は、まだまだマイノリティの存在。
「こんなに生きづらいのは私の性格が原因か?」「やっぱり女性が一人で生きるのは大変?」と思ってしまう。
周りからは「キャリアを選んだなら、男みたいに働け」と要求する一方で、「女らしくない」と非難する→「ダブルバインド(二重拘束)」

酒井順子さん著『負け犬の遠吠え』は、
「自分は本流から降りているのは自覚しているので、どうぞ放っておいてください」というテーマで書かれたが、
「負け犬」という単語だけ一人歩きしている状態。
職場には男性の価値観が残り、家庭では女性の役割分担が残っている状態。



<part5 表面から見えにくくなった性役割分業>
男性の子育ては、運動会などの「ハレの日」のみの「いいとこどり」に妻は不満が募る。
どうせなら楽しい部分だけじゃなく、日常の家事もひっくるめて担って欲しい。共働きならなおさら。
妻は「文句ばかり言っているようで自分でもイヤ」とコミュニケーションから撤退してしまう。
出産・子育ても商業ベースに乗ったイベントになってきたことにも関係する。

男性の意識のみならず、女性の「家事・育児は結局自分の仕事だ」という刷り込みもある
「夫は家事に協力的だ」ではなく「家事は夫婦で分担するもの」。
「気づいた人が損な役をやる」のではなく、「気づいても、敢えてやらない勇気を持つ」か、
「洗濯は誰がする?」など「主語」を変えてみる。
不満は言葉で伝えなければ伝わらないし、普段何もしたことのない夫にはすぐに実行できない。
逆に夫が病気、失業したら、収入が途絶え、妻が働こうとしても難しい。日ごろの「ライフスタイルのツケ」。


自分の思いを伝えることと、その通りにするよう相手に要求することは違う
「わかってほしい」と感情で言っても良い結果にはならない。
疑問を感じてもうまく言葉に出来ない辛さが、相手への不満になって不完全燃焼を引き起こす。



<part6 DVは“男らしさ”の束縛から?>
社会は、男性には「強さ・逞しさ・積極性・理性」などを期待する。
内閣府調査では、パートナーのいる女性の24.9%が身体的暴力を受けた経験があるという結果が出た。

なぜ、加害者は男に多いのか?
情緒的には女性に頼りながら、それに怒り・憎しみ等の屈折した感情を抱えて、女性を暴力で脅かし、支配するのがDVに走る男の典型。
女性を殴ることで、自分の無力さ・自己嫌悪から一時的に逃げている。
母親だけが子育てをしている家庭では、子どもが母親に精神的な依存を進め、それが続くと父親は子育てから遠ざかるという。
結果、息子は「自分を満足させてくれるもの」として女性を「所有」するようになる。

無力感を感じると女性はうつになりがちだが、男性は暴力、薬物依存・自殺などに走るのはなぜか?
男を不自由にしているのは「力・権力・所有」
優越志向・権力志向(自分の意思を他者に押しつけたい)・所有志向という欲求。

会社で問題があったり、経済的責任を負えなくなって、「男らしさ」を追求する手段を失うと、
男性は自尊感情を損なう。それを取り戻すために、女性を威嚇し、暴力で支配しようとする。
人間関係を築くのをやめ、モノの世界に居場所を求めると「コレクター」「オタク」になる場合もある。


●自尊感情を保つ男女の違い
大阪近郊でのDV実態調査では、男性の6、7割が「妻に暴言・暴力をふるったことがある」と答えた(多すぎないか
割合で最多は40代の「働かされ盛り」。企業社会でのストレスも背景にあると考えられる。

ストレスにさらされた時、人間関係に悩んだ時、どう行動するかの基礎は、生育・環境で育まれる。
子どもが問題にぶつかる前に母親がとりのけてしまうと、子どもの精神的成長は止まる。
そのまま大人になると、トラブル時に「他者に責任転嫁」しがち。


●自分の気持ちのコントロール
自分の感情処理が苦手→だだをこねる幼児と同じ。
男は手が出ても仕方ないと暴力の容認してきたのも問題。
最近の「草食男子」は、そんな「男らしさ」の枠組みや競争から降りることを選択した人たちではないか。



<part7 エンパワーメントとは?>
「女だから」という抑圧や阻害を取り除いて、本来の力を発揮すること。
枠を取り払うと、ありのままの自分の姿・能力が見えてくる。自分を「縮小コピー」にかけないこと。


ジェンダーとは?
生物学的な違いとは異なり、歴史・文化の中で作られた社会的な性の区別。
女=妊娠・出産ができる(生物学的)。子育てを女性がする習慣(ジェンダー)。
男=筋肉量が多い(生物学的)。男は理知的で、女性は感情的だという固定観念(ジェンダー)。
日本は特に強固で、「あるべき姿」に自分を当てはめてしまう。


●現代の若者たちの脆さ
相手の気持ちを想像できない、問題が見えない・気づけない、断られたらどうしたらよいか不安など、枠組みからはみ出す問題に対処できない。
苦労の少ない豊かな時代に育ったことの弊害か。
教えられた知識より、経験で学んだことのほうがよく身につく。自分で判断し、動く経験が大事。
自由に動けるようになるには、まず自分にOKを出し、潜在する力を引き出すエンパワーメントが必要。


リストカット
親や社会が子どもを病気や事故等から守る最大限の努力をして危険から遠ざけた結果、「身体感覚の希薄さ」がある。
血が流れるのを見ないと「自分のカラダ」を感じられない子どもがいる。



<part8 女性と職場>

「特別扱い」は差別のはじまり
チヤホヤされる=軽く扱われ、無視されることと同じ。
「女性にいれてもらったお茶は美味しい」(言われたことある)などの特別扱いの裏には、
「男性社員が知ってる情報が女性社員には伝わらない」など、「ラッキー♪」と思えることでも、気づけば同期の男性社員との差が生まれる。
女性の意見は軽視・無視され、正論を言う・相手を議論でやり込める→敬遠され、ジョークやからかいの対象にされる。

差別的な扱いで傷つき、それを問題にしたことで、「女らしくない」と言われてさらに傷つく。
ついつい相手の理不尽な言動を我慢し、見過ごすと、その積み重ねでますます差別的言動が増長する
「女らしくあろうとすれば一人前ではいられず、人として尊敬されようとすれば女らしくないと言われる」→「ダブルバインド(二重拘束)」
「女らしさ」はセクハラのターゲットにもなりやすい。


自己表現トレーニング&認知行動療法/驚
「自己表現トレーニング」テスト:30問に答えて点数を計算する。
A:非常に消極的、受け身。B:自立ができていて、自分を生かす態度。C:積極的になりたいが、やり方が分からない。
(私のテスト結果は、A3、B10、C7ってことでBが一番多かったけど、気持ち的にはAな気がするなぁ。
 なんだか質問内容と答え方に矛盾があるような感じで難しかった

イヤなことは、相手に言えることなら言えばいい。言えないことは割り切って、八つ当たりせずに済むようになるのが目標。
「気のおけない仲間」とは、相手の評価が気にならないということ。
人が自分をどう見ているかに気づくことは大事だが、それを気にするかどうかは別問題。

妥協せず自分のやり方を通すことの問題点は、今までの我慢の裏返しとして出てしまう。
例:「お墓のことだけは私の思いを通させてもらいます!」

妥協しながら相手との関係を調整するのは、かなり円熟した能力。
「オール・オア・ナッシング」ではない。ゼロよりは70%で我慢するなどで対処。

「思い通りにならずに落ち込む」のは、まだ引きずっているものがあるから。
「次善の策を考えないための言い訳」かもしれない。

【ポイント】
・感情的になると、相手に伝わりにくい。
・愚痴だけでは、不満の改善にはならない。
・責任を取れない問題もある
・周囲に対しても温かくフェアに認める。

アサーション(アサーティブネス)・トレーニング
少数派にも多数派と同じさまざまな権利があることを自覚し、主張する能力を身につけること。
自己表現の意味も含んでいるため、自分と他者を大切にする前提。自分勝手とは違う。
心情を論理的に考えることで克服するトレーニング。

(つづく

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