メランコリア

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『植村直己 エベレストから極点までをかけぬけた冒険家』(小学館)

2012-03-12 19:18:27 | マンガ&アニメ
小学館版学習まんが人物館『植村直己 エベレストから極点までをかけぬけた冒険家』(小学館)
中出水勲/監修 本庄敬/漫画 滝田よしひろ/シナリオ


「私という人間は夢を抱いているときだけに生きている。」


先日、「植村冒険館」に行って、とても感動したので、伝記を読んでもっと知りたくなった。
一番分かりやすくまとまっていて、すぐに読めるのは、なんといっても児童書ってことで、
マンガで数々の冒険の様子だけでなく、冒険館では分からなかった詳しい部分も伝わってきて、
巻末には、写真、実際使っていた道具、その他さまざまな偉業を成し遂げた人物の紹介、年表、
そして最後には、冬のマッキンリー単独登山を目指して書いた最後の日記の文章が載っている。

解説を書いた中出水勲さんは、大学の2年間を一緒に暮らして、
その後、日刊スポーツ出版社に入ったことで、直己さんの冒険を記録し、伝えるという大事な役割を果たした。
これも縁なんだなぁ!と感慨しきり。

でも、最初の見開きの「関連マップ」に「エレベスト」といきなり誤字があって、
子どもの鉛筆書きと思われる文字で「エベレスト」と書き直されていたのに爆笑
やっちまったね、小学館さん


あらすじメモ
「友だちを作りたい」という理由で大学の山岳部に入部。(その前に就職してたのに、東京に転勤になり、受験勉強してまで明治大学に入ったんだね!

山岳部キャプテンだった小林がマッキンリー登山の体験談を熱く語り、植村は聞き入る。

建設会社でバイト→アメリカに観光ビザで入ってバイト→移民調査官に捕まるが、
「世界の山に登りたいんです」という熱意に「ヨーロッパに行きなさい」と言われる。

フランスへ渡り、モンブラン(ヨーロッパで最高峰)に挑戦してクレバスに落ち、厳しさを知る

スキー場でバイト(支配人のジャン・パルネは元オリンピック選手だった!

1965年。ヒマラヤにあるゴジュンバ・カンに登頂(この時一緒だった小林さんはこの後、交通事故で亡くなった

1966.7。モンブランに登頂。「登山は人のためじゃない。自分のためにやればいいんだ。」

1966.9。キリマンジャロに登頂(アフリカ最高峰)

フランスに3年いた後、1968。アルゼンチンのアコンガグアにたった2日間で登頂(南アメリカの最高峰

約60日間で約6000kmのアマゾン川を1人で筏を作って下った(アイデアマンなんだなあ!

1968年。日本でバイト中、日本山岳会のエベレスト(地球上で最高峰)登山隊に選ばれる。
約100人のスタッフで臨む「極地法登山」は、キャンプ地を各地点に設置し、選ばれた者だけが最終アタックできる。選抜された植村と松浦は、1970.5.11、日本人で初めて登頂。

1970.8.26、マッキンリー登頂(本当は単独登山は許可しないのだが、熱意に押されてチーフから特別許可された

世界初、五大陸の最高峰を登頂する記録樹立
(その後、1976.7にはエルブルース(ロシアの最高峰)にも登頂した

1971年。国際エベレスト隊に選ばれたが、親しくなったインド人登山家が死亡し、隊が乱れ失敗に終わる。
(そんな時も植村の温かく冷静な態度は、他の隊員たちを深く感動させたという
(ヨーロッパ人に主導権があった事などもあり、今後は1人で登ろうと決意する

1971.8.30~10.20。南極と同じ3000kmを体験しようと、所持金3万5千円を持ち、52日間で日本列島を歩いた(途中、実家の鹿児島日高で1泊したのみ

1972.9、グリーンランドでエスキモーと生活を共にしながら、犬ぞりを学ぶ(世話になったイヌートソアの養子になる
太陽が昇らない10月(昼間もマイナス20度!)にカナックまで往復して練習を重ね、
1973.2、シオラパルク⇔ウパナビックまで往復3000kmに成功(荷物300kg、犬10頭

1973.7、板橋で野崎公子さんと出会い、10ヶ月後に結婚

その半年後には、またグリーンランドに行き、ケケッタ⇔コツビューまで1万2千キロの旅に成功
(途中、薄氷が割れて落ちる。夏の間過ごしたケンブリッジベイでアンナが子犬を産んだ
コンノットと名づけた子犬を1匹だけ旅に連れていくが、過酷な状況で途中で死んでしまったことに強いショックを受ける
その後も食料不足(アザラシが捕れない)などで犬の死が続いたが、1976.5.8、1年半後にコツビュー到着

北極点到達のための資金集め、募金活動も行われ、1978.3.5出発(カナダ最北端の島、エルズミア島から北極点までは約750kmある
偶然にも日本大学遠征隊が同時にスタート。日大隊が4.28、植村は29日に単独で北極点到達

その後も、グリーンランド3000kmを犬ぞりで縦断。この2つの快挙で世界中に知られるようになった。
『ナショナル・ジオグラフィック』の表紙を飾ったり、バラー賞受賞(イギリスのスポーツクラブが設けた優れたスポーツマンに贈られる賞


1980.11。日本山岳会の冬期エベレスト隊隊長に選ばれたが、前準備で登ったアコンカグアで隊員が1人死亡。計画は失敗に終わる。

南極横断の夢の準備のため、ようやくアルゼンチンの許可が下りたが、1982.4.2フォークランド紛争のため中止。この2つの挫折は強いショックになった

1983.10。アメリカの野外学校で学ぶ予定がインストラクターとして迎えられる。

1984.2.1。真冬のマッキンリーに単独登頂を成功させた2.12は奇しくも植村の43歳の誕生日だった
13日に無線交信があった後、消息を絶つ。



中出水勲さんによる解説メモ
どんな旅の前にも、人より数倍黙々と身体を鍛え、その地の環境に慣れ、執拗なほどの前準備の訓練をしていた。
北極点到達すらも、南極への準備だったのかもしれない。
人に対する優しさ、自然に対する優しさというのが、彼の冒険哲学に通じる。
改めて彼から教えられたのは、「優しさ」と「努力」の2つ。


その他の偉人
間宮林蔵:樺太(サハリン)が島であることを確かめた。
アムンセン(ノルウェー)、スコット(イギリス)は南極点(南緯90度)到達。スコット隊は帰る途中4人も凍死した。
ヒラリー:人類初エベレスト登頂(このページも「エレベスト」になってる
堀江謙一:1962、単独で太平洋をヨットで渡った。1974には日本人初、277日でヨットで世界一周した。


冒険て「一番乗りは誰か」とか、最も多く、高く、長く、早くってゆう国際的な競争や差別も絡んでいるんだな
競いたがるのは、大体は欧米、それもアメリカ、ロシア、イギリスあたりか?
「偉かったね!」て賞をあげるのも欧米だしね。


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