メランコリア

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チェーホフ『中二階のある家 ある画家の物語』

2011-02-04 21:40:35 | 
『中二階のある家 ある画家の物語』(未知谷)
アントン・P・チェーホフ/著 工藤正廣/訳・解説 マイ・ミトゥーリチ/絵

チェーホフの短編も、ライフワークとして全部読んでみたいと思っている。
特に、この未知谷から出しているシリーズは、訳者、出版関係者にもチェーホフへの愛が溢れていて、
装丁も挿画もトータルに考えられていて、とてもステキだ

あらすじ
風景画家の「わたし」は、ベルクーロフという地主の屋敷にやっかいになって日々を無為に過ごしている。
ある時、近隣の大きな屋敷に住む姉妹と出会う。
姉リーダは教師をしていて、その給料だけで暮らしていることに誇りを持っている。
農民たちの貧しい暮らしを変えるために積極的に活動し、医療の手伝いもしている少々キツイ性格。

妹のミシューシは逆に、毎日をとにかく読書で過ごし、青ざめるほど本を読んでいる。
画家に興味を持ち、彼を出迎え、絵を描く時はウットリ眺めていたりする。
姉を尊敬しており、「姉のためなら、いますぐ命を捧げても厭わない」とさえ言い、
画家と姉がいつも言い争いとなることに心を痛めている。

リーダの活動が時として貧しい農民らをますます困窮させる原因になっていると論争した夜、
画家はミシューシを抱きしめ、彼女は「わたしたち家族は秘密を持たないから今晩あったことも話します。母はあなたを気に入ってるけれども、姉は・・・」

翌日、ミシューシを訪ねると、親戚のいる遠い町へ旅立ったあとだった。。


本編はとても短いストーリーなので、1冊の半分は、訳者らの解説&あとがきとなっている/驚
労働者の身でものを考え、肺病で命を落としたという点で、チェーホフを太宰治宮沢賢治と似ていると書いている。なるほど。
積極的な活動家のリーダがチェーホフの分身とは意外!長身でお客さん好きだったんだとか。
気難しいロシアの知識人てゆう勝手なぼんやりしたイメージしかなかったけれども、
解説を読むうちに、あったかい大柄で肉厚の男性像のような感じに変わった。実際はどうか?


以下、抜粋メモ。

p35
「もし我々が、都市住民も農村住民も、肉体的欲求を充たす目的で一般に人類によって費やされる労働を、例外なくみんなが自分たちで分け合うことに同意すれば、その場合、我々各人は、おそらく、1日に2、3時間以下の労働で済むことになるでしょうね」

さらに機械化することにも触れ、「そうすれば、絶えず子どもたちの健康を心配して恐れおののかないですむでしょう。我々は医者にもかからないし、薬局も、タバコ会社も、ウオッカ工場も持たないのです。みんなで力をあわせてこの余暇を科学と芸術に捧げるのです」

チェーホフの何が心を打つのかといったら、「働くこと」に関して、とてもシンプルかつ根本的な思想が好きなんだ。
彼自身が貧しい労働者階級だったことが要となっている。

p36
「必要なのは読み書きではなく、精神的能力を広く発揮できる自由なのです」

p37
「科学や芸術は、それが正真正銘のものである場合、一時的な私的な目的ではなく、恒久的で普遍的な目的を追求するのです。真理と人生の意味を探求するのです。神を、魂を探求するのです」

「わが国には多くの医師や薬剤師、法律家がいます。しかしすべての知性が、すべての精神的エネルギーが、一時的な束の間の必要のために失われているのです。学者や作家や芸術家たちの仕事は繁盛しています。彼らのおかげで生活の快適な設備が日々成長し、肉体の欲求が増大しています。ところが、真理へいたるにはまだほど遠いのです。しかも人間は旧態依然、もっとも獰猛で、もっとも汚らしい動物のままでとどまっている。そして人類の大半が退化し、永久にあらゆる生命力を失うような事態へと、すべてが近づいているのです」



「ミシューシ、きみはどこにいるの?」というシンプルな問いかけによるラストが清清しい。


どうしたら、わたしたちが毎日の自分の貴重な時間をすべて費やしてまで、
ただただ生活のために「背中を曲げて働き続ける」連鎖から逃れて、
自由に個々の個性を発揮し、ハッピーに豊かに暮らせるのか。
つまりは、チェーホフは、そればかりを真剣に考え、血を吐いてでも書きつづけていたのではないだろうか。


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