メランコリア

メランコリアの国にようこそ。
ここにあるのはわたしの心象スケッチです。

『フロム・ヘル』 アラン・ムーア著(付録メモ)

2013-04-24 14:31:33 | マンガ&アニメ
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著者が参照した膨大な資料の中でもっとも重きを置いていたのは、スティーブン・ナイト著『切り裂きジャック最終結論』(1977)だったようだ。

アリス・マーガレットは、救貧院で生まれ、出生証明書に父の名はないが、結婚証明書では父はウィリアム・クルックとなっていた。
当時のロンドン下層階級では、娘が父に性的虐待を受ける近親相姦は珍しくないどころか、ほとんど義務のようだった/驚
アリスとシッカートは長年過ごし、愛人となり、息子ジョセフ・シッカートが生まれた(なんという因果か

ヤー・ブル・オン:メイソンが崇拝している三位一体の聖性。



当時のイーストエンドの女性の食事は、丸一日でビスケットのくず(もっとも安価)とジンだった。

月の女神セレーネと太陽ヘリオスは、古代アトランティスの王子と王女だったという説。

ロンドン博物館にある都市地下の地層断面があり、ロンドン大火の跡を見ることができる。

戦士女王はキングズ・クロス駅10番プラットフォームの下に埋められている。

人間社会は本来母系だったが、男性が子作りにおける役割を理解した時、一種の家父長制革命が起こったのだという説(ロバート・グレイヴズ

ガルの最後の研究は右脳の探究に向けられていた。

カール・ユングは、UFOのような比較的現代的な現象でさえも、彼の言う集合的無意識の投影であると示唆した。

第二次大戦中のドイツ空軍によるロンドン空襲の最中でも、ホークスムアの尖塔だけは奇跡的に無傷で残った。

ノーサンプトン・スクエアは、19世紀におけるメイソンの資金調達者ノーサンプトン公爵にちなんで名付けられた。

フリーメイソンは1717年に生まれたことになっている。
ガルの時代には、古代アトランティスのディオニュソス主義建築家たちがその秘密を中世の建築家ギルドに伝え、
その返礼としてメイソンに迎え入れたという説がもっとも言われていた。

最初の原子爆弾実験であるトリニティ実験場の選定にもメイソンの影響力が及んでいるという説(ジェイムズ・シェルビー・ダウナード)

クレタ島こそがアトランティスであるという説。
火山爆発による津波で沈んだとしても、住民たちは警告を先に受けて避難していたという考古学的な証拠がある。
ストーンヘンジのアーチと、ミュケナイの「獅子門」には類似性がある。
アトランティスは一般的に象徴として無意識を表現しているという説(トム・チェトウインド

1880年代が20世紀の本質をはらんでいたという考えが、政治とテクノロジーだけでなく、芸術と哲学の分野でもある。

トロイア人ブルートによるブリテン島の発見はあまり信頼がおけないという説。

ロンドン塔にまつわる幽霊談は数多い。スティーブ・ジョーンズの『恐怖の都・ロンドン』など。

ジェフリー・フレッチャー
「セント・ジョージズ・イン・ジ・イースト教会はホークスムアの残した傑作。
 冬のセント・ジョージ教会の前では、ホルバインの『死の舞踏』もアンデルセンのおとぎ話のように見えてしまう」

「血の日曜日」1887年11月13日:武装警官とデモ隊の衝突で1名が死亡。担当はサー・チャールズ。

'80年は降霊会や心霊主義ブームが起こった。

教会を新たに建てる際、モルタルに血を混ぜる中世の習わしはドルイド僧に起源をもつ。

「建築は自然の宗教、その祭壇は自然の道徳。永遠の死の建築、その均整は永遠の絶望・・・」(ウィリアム・ブレイク)

クライストチャーチ

神殿娼婦は「喜びの処女」と呼ばれた。ヴィクトリア時代の人々が娼婦らを「喜びの娘たち」と呼ぶのは、
皮肉ではなく鈍感さのあらわれだ。女性を売春に追いやる社会状況を無視するほうが都合がいいと気づき、
その代わりに色情狂が理由だと考えることにした。女性は好きで売春しているというのだ。
快楽区域=ナチス第三帝国に売春業務を命じられた強制収容所のユダヤ人女性たちに与えられた名でもある。

セント・ポール寺院
当初ディアーナの神殿だったが、キリスト教に改宗した王が建て直した。
そのドームには5本の長大な鎖が取り巻いている。
王の愛人が罰を受け、胸をはだけ短い白のスカートだけで松明を掲げセント・ポール寺院を歩くよう命じられたが、
これはディアーナの伝統的な衣装である。1925年まで続けられた。



屋根と休息を求めてきた者は、1ペニーで立ったまま並んで壁によりかかり、前に倒れないよう紐に支えられて眠ることができた。
宿屋の主人が朝、紐をほどくと全員床に崩れ落ちることから、英語の慣用句「洗濯紐にとまっても眠れそうなくらい疲れている」という言葉が生まれた。
『ロンドン路地裏の生活誌』ヘンリー・メイヒュー著、『どん底の人々』ジャック・ロンドン参照。



テーベの王女の宮廷にいた女性音楽家のミイラ棺
史上もっとも有名な「呪われた」ミイラ棺。大英博物館のサー・アーネスト・バッジいわく
「これを活字にするのは絶対に私の死後にしてほしいが、要するにあのミイラのせいで大戦になったのだ」
ガル「ロンドンの半分がエジプト狂いになっておる。王室まで巻き込んで」


リストン・ナイフ
外科医なら誰でも持っている平凡な道具だが、その歴史はリストンがクリミア戦争の軍医の際、
麻酔なしで手足の切断を迅速に行うために考案され、1分以内で足を「おがくずの中」に落とすことができた。

「切り裂き魔」の手紙の一見は、現在活躍する英国タブロイド新聞のプロトタイプであり、
ワッピング?で書かれていることに詩的事実があると思われる。

「街の口コミ話」は警察の捜査よりもはるかに早くて正確だった。
ロバート・アントン・ウィルソンが引用する「コミュニケーションの法則」には、
「コミュニケーションは対等の者同士の間でしか成立しないところにある」
警察に話す時は偽りを言うか、真実を控えるが、仲間同士では話が違う。

アバーラインのつぶやき
つまらぬ殺人事件を超自然のたわごとにくるんで生計をたてているものが恥じ入ってもらす謝罪の言葉でもある。
どんなに尽くしてやっても、自分の創造したキャラクターにはむかわれることもあるのだ。(苦笑

ヴィクトリア女王は長い治世の間、「新しいフランス革命」やギロチン騒ぎが英国で起こるのを病的に恐れていた。
それと同様、メイソンはバヴァリアの「光明団(イルミナティ)」の英国への浸透を異常に恐れていた。
自分たちの中で密かに活動している目に見えない透明な組織への恐怖心は、当時のメイソンが抱いていたパラノイアである。

ウィリアム・ホガースの連作『残酷の四段階』のラスト『残酷の報酬』のエッチングは表向きは当時の医術の風刺だとされているが、
性器を切り裂くなどは、メイソンの儀式殺人テクニックの解説であるという説。

2つのレンガはメイソンの儀式。ドルーイットのポケットから取り出した重しを「石」と記録しているが、
意図的な証拠隠滅かもしれないという説。



心臓を焼き、灰を風に飛ばす行為はメイソンの伝承に存在する。
心臓はきわめて燃えにくい強度と密度の高い筋肉の塊であり
火刑に処された殉教者の心臓が焼き残ったという伝承が多く見られる。


FBIのVICAP(凶悪犯逮捕プログラム)における連続殺人鬼の儀式段階
1.前兆(アウラ)段階:壮大かつ鮮やかな幻影を見る。再度の殺人への意欲を覚える。
2.徘徊段階:獲物を探す。この時点で幻影は消える場合、なかには全段階を通じて見える場合がある。
3.儀式段階:殺人サイクルの絶頂。個人的な象徴と意味とが心理ドラマの形式で犠牲者に押し付けられる。
4.儀式が完遂されると、一種の満腹状態に陥り、追体験し刺激が薄れて消えるまで続くが、また幻覚が始まり1.に戻る。
このサイクルは繰り返すが、無限に続くとも限らない。

ガルには人好きのする性格であったといわれている/驚
彼は自然という創造主の手作業に対して、神秘的、宗教的な愛を抱いていた
家族での旅行でも、馬車を止めて、珍しいキノコを1時間も見つめ、涙をたたえた顔をあげ、
不思議な形状を生み出す神の荘厳、被造物に圧倒されていたという。

ガルの死は偽装され、見せ掛けの葬儀が行われた。
墓は尋常ならざる広さがあり、石が詰められたものなど、3つの棺が埋葬されている可能性がある。

ホモセクシュアリティは当時は感情と性的嗜好に影響する一種の病気と考えられており、
単純に同性を好んだだけでも「性的に狂っている」と見られかねなかった。

フレッドは、警察退職後、ピンカートン探偵社で働き、自叙伝ではモナコでの経験について書かれているが
ホワイトチャペルの犯罪についてはほとんど触れていない。

1888年3月6日、血の雨が地中海地域に降ったことがチャールズ・フォート『呪われた者の書』に記録されている。

「切り裂きジャック」のちょうど100年後、1788年の秋、女性の尻を切りつける事件が連発し、「怪物」と名付けられ、ジャックと同じ経路をたどった。
1938年には「ハリファックスの切りつけ魔」という事件が起きる。
捜査の結果、被害者たちはみな奇怪な集団妄想にとらわれて、自身の身体を傷つけていたということが分かる/驚

イアン・ブレイディ:
1963年ブレイディとヒンドレーは数名の子供を殺害してヨークシャー沼沢地に埋め「沼地の殺人者」として話題を集めた。
イアンは幼年期に自転車での新聞配達中、老人の顔が緑色の蛍光をはなって、浮かんでいるのを目撃したといった。
なんらかの形でその老人の飢えを満たしてやらねばならないと信じて殺人を犯した。

ピーター・サトクリフ:
ハンマーとナイフで売春婦を遅い「ヨークシャーの切り裂き魔」として有名になる。
天からの声が名を呼び、売春婦を殺せと告げるのを聞いたという。
母の死を告げられた時、部屋にあった灰皿が宙に浮くのを3人で目撃した。

ロバート・ルイス・スティーブンスン:
『ジキル博士とハイド氏』の著者。1886年邪悪な霊感に満ちた夢を見たという。
その2年後芝居となるが、まさにホウィトチャペル連続殺人が話題になりはじめた時。
主役のリチャード・マンスフィールドは生々しく演じてみせたため、ジャックだと疑われた。

ネトリーは、1903年、馬が突如暴走し、オベリスクの台座に車輪が挟まり、車輪に頭を押しつぶされて事故死した。


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