メランコリア

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『鋤田正義サウンドアンドヴィジョンきれい』(パルコエンタテインメント事業部)

2016-06-18 15:53:35 | 
『鋤田正義サウンドアンドヴィジョンきれい』(パルコエンタテインメント事業部)
鋤田正義/著 2012年初版

デヴィッド・ボウイの写真集で知った鋤田正義さんは、実は、想像以上にスゴイ人だって分かった。

本書は、どうやら個展を開いた時の絡みで発売されたのかな。
T.REX、YMOなど、国を越えてあらゆる人物を撮った写真ももちろんのこと、
最初にカメラを手にして撮った母親の横顔など、原点も分かる1冊。


【“一枚の写真をめぐって”インタビュー内容抜粋メモ】

鋤田正義 SOUND & VISION@東京都写真美術館(2012.8.11~9.30)

鋤田正義写真展 きれい@パルコミュージアム(渋谷パルコ)(2012.8.25~9.17)

Q:この回顧展に際し、これまでの写真をすべて見直されてどう思った?
A:意外に少ないなと思いましたw

Q:これだけあっても?
A:
今回、泣く泣く出せなかった写真がいっぱいある。
まだまだもっと撮ることができたはずだと思うし、いつももっと撮らなきゃと思う。それは今も変わらない。

Q:その気持ちは最初から?
A:
最初から。カメラを買ってもらった当時、映画に夢中で、映画館の中で、スクリーンにレンズを向けて撮っていた。
今では撮影は禁止されていますが、当時はそういうこともなくてね。

(いつから、著作権だの、肖像権とかいう問題になったんだろうね?

Q:棚橋紫水さんに弟子入りされて、その後は広告代理店に入りましたね。
A:
長崎の反核運動や、被爆者を撮ったのもその頃です。
唯一の息抜きがジャズでした。ミュージシャンを客席から撮って、ジャズ喫茶に飾ってもらったりしていました。

Q:その後、東京に来られます。
A:TVCM、ムービーも始めました。

Q:1971には、寺山修二さんの映画『書を捨てよ町へ出よう』の撮影監督を監督


A:
寺山さんとはNYで会った。1970年に初めてNYに行って、ジミやA.ウォーホルを撮った。
寺山さんはNYで『毛皮のマリー』という芝居をアメリカ人キャストで上演中で、
その後、天井桟敷の人々といっしょにフランスにツアーも行きました。

Q:1972年は、T.REX、ボウイ、まさしく文化の最前線
 
(この有名な写真もそうだったのかあ/驚

A:
T.REXは東京でも話題になり始めていた。高橋靖子さんに協力をお願いしてイギリスに渡った。
『JAZZ』の写真を見せてボウイと直接交渉して、気に入ってくれて、その後、T.REXとデヴィッドのツアーに同行しました。

Q:デヴィッド・ボウイを40年間撮り続けた写真が『SPEED OF LIFE 生命の速度』としてまとまったことはどう思われますか?

布袋寅泰&ボウイ(1996 武道館)

A:
彼にとっても、僕にとっても40年の歴史。
写真は、シャッターを押した瞬間に「過去の産物」となる。同時に「写真はいきもの」でもある。
写真家も被写体もいきものですが、写真家も被写体は死ぬ。記憶も死ぬ。しかし写真は生き残る。

Q:いきものとしての写真
A:東日本大震災で心がとても痛んだ報道が1つあり、流されてしまった家族のアルバムを探す被災者の姿。

記録や記憶としての写真をなくしてしまうことの辛さ。
写真がなくなると、記録はもちろん、記憶や歴史までもがなくなってしまう。
写真がなくなると、孫や子孫に、その時亡くなったおばちゃんの存在は伝わらない。

たとえば、若くして亡くなったマーク・ボランの記憶は、写真を撮ったことで増幅されて残っている(なるほど・・・

Q:鋤田さんにとっての“いい写真”とは?
A:感じた写真、目がとまってしまう写真・・・答えが出ない。僕もまだ探している。

Q:東日本大震災以降の東京のモノクローム風景も数多く発表されているのは、あまり知られていなかった側面の1つです
A:
“出会い”のヴァイブレーションをどう撮るかがカメラマンにとっての勝負。
風景写真はちょっと遠いパーソナルで、対象をものすごく観察する。
歩いて見つけたなにかを面白いと判断してカメラを取り出して撮るまでのプロセスがこれらの写真です。

Q:モノクロームという技法については?
A:
光と影の関係を、どう造形として切り取るか。普段持ち歩いているデジタルカメラの設定はいつもモノクローム。
エド・ヴァン・デル・エルスケンの『セーヌ左岸の恋』を思い出す。
「丹平写真倶楽部」の安井さん、中山さんら大先輩たちの作品も思い出す。

Q:ひと言でいって“鋤田正義”とは、どういう写真家?
A:“あこがれ”を撮り続けてきた写真家。

Q:今、“鋤田正義”という写真家に出会ったら、どう声をかける?
A:身体だけは気をつけてがんばれ。写真は、体力勝負。


【バイオグラフィー内容抜粋メモ】

鋤田正義(ウィキ参照

1956 母に買ってもらったリコーフレックスで、母のポートレートを撮る


1965 上京。原宿の「デルタモンド」に入社

1970 フリーとして独立。NYで多くのミュージシャンを撮影
寺山修二の『毛皮のマリー』NY公演を撮影し、後に「ラ・ママ」として発表

1971 映画『書を捨てよ町へ出よう』撮影

1972 T.REXを撮りにロンドンへ。ボウイとも直接交渉し、撮影

1974 「サイレンサー」(加納典明らが作ったグループ)に参加
サディスティック・ミカ・バンド『黒船』レコードジャケット撮影

1979 YMO『SOLID STATE SURVIVOR』レコードジャケット撮影

1988 ジム・ジャームッシュ監督『ミステリー・トレイン』スチール撮影

スクリーミング.Jや、ジョー・ストラマーまで出演してたっけ???

『Tin Machine』レコードジャケット撮影

1992 忌野清志郎『Memphis』CDジャケット撮影

キヨシローさん&仲井戸麗市さん(2008 武道館)

1999 是枝裕和監督映画『ワンダフルライフ』スチール撮影(おお、井浦さんまでリンク!


写真展『T.REX』開催、写真集『T.REX』発売

2006 オリジナル・ラブ『キングスロード』CDジャケット撮影(おお、田島さんまで!

これかな?

2007 『ぴあ「日本のロック写真史 ANGLE OF ROCK』写真集参加
写真集『T.REX 1972 SUKITA』発売

これかな? 見たい。

『T-REX 1972 SUKITA』
◎『T-REX PHOTOGRAPHS BY SUKITA』

2010 グループ魂『ラブラブエッサイム'82』ジャケット撮影/驚
 



2012 ボウイとの共著となる写真集『SPEED OF LIFE 生命の速度』発売


【あとがき “きれい”内容抜粋メモ】
“きれい”の基本になっているのは“モノクロ”。
そこに、憧れ、素晴らしい、幸せ、という3つの思いを加味して73作品がセレクトされた。




ほかにも、意外な人たちの、昔の写真がズラリ!
私の大好きなB-52'sや、ブランキーの浅井さん、シナロケの若い頃!、オザケン、韓流ファンにはたまらないイ・ビョンホンとか。

シンディ・ローパー(1987)


ジョニー・ロットン(1983)


山口冨士夫(1972)(この人が福島さんの敬愛する方か。初見


大貫妙子(1980)


イギー・ポップ(1977)


カウント・ベイシー


戸川純(1984)純ちゃんのアナーキーさは今見ても斬新


追。
「ムービーランド」(2012 東京)が気になった!
検索しても出てこない。木更津じゃないのよね。どのみち閉館しちゃってるけど。


 



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