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『学習漫画 世界の伝記17 ノーベル』(集英社)

2013-08-28 11:26:18 | マンガ&アニメ
『学習漫画 世界の伝記17 ノーベル』(集英社)
監修:中川徹 漫画:栗原清

科学について勉強中。

【内容抜粋メモ】

1833年。ストックホルム。3男としてアルフレッド・ノーベル誕生。
小さい頃は体が弱く、学校も休みがちだった。
建築家の父イマヌエルは、発明が好きで設計の仕事をあまりしなかったため、一家は貧しかった。

スウェーデンはロシアとの戦争に負け、国全体も貧しかったため、1837年父はフィンランドに働きに出る。
のちに爆薬の発明でロシア政府から賞金をもらって軍事関係の製品をつくる工場をたて、家族を呼び寄せた。
父は黒色火薬を詰めて使う機雷も発明。

3人の息子は家庭教師からロシア語を学んだ。アルフレッドは勉強ができたため、英語、フランス語、ドイツ語も学んだ。
「ほんとうに立派な人間とは頭の良し悪しではなく、世の中のために尽くすことができる人」という教師の言葉が胸に響いた。

兄たちは工場の仕事を手伝い、17歳のアルフレッドは父から発明家への夢を託されてアメリカ留学する。
世界平和と愛を称えたシェリーの詩に感銘を受け、科学に身が入らないまま2年で帰国。
その後ムリをして働いたため倒れ、ストックホルムの叔母宅で静養する。20歳。

1853年。クリミア戦争勃発。ナイチンゲールが活躍した。父の工場は多忙となる。
ジーニン、トラプというロシアの有名な学者が訪ねてきて、ニトログリセリンでもっと強力な爆薬を作ってほしいと言われる。

1855年。ロシア皇帝ニコライ一世が亡くなり、1856年ロシアは敗戦。
これまで作った兵器のお金ももらえなくなり、父は妻、4男エミールを連れてスウェーデンに帰る。1859年。

研究に没頭してムリをしたアルフレッドは、急逝肋膜炎と心臓病が重なって倒れる。
回復後、「雷管」を発明。1863年。実験成功。29歳。

1863年。スウェーデンからニトログリセリン火薬用起爆装置の特許を得る。ストックホルムに製造工場をつくる。
鉱山、トンネル工事などで利用される。

1864年。工場が爆発して、弟エミールほか4人亡くなる。
一時は止めようと思ったが、兄に励まされ、半年後ウィンテルウィックに新しい工場をつくる。

液体のため、少しの振動でも爆発してしまうニトログリセリンの事故が多発
危険性を知らない人が機械油として使ったり、馬具の皮の手入れに使ったりしていた

ニトログリセリンを珪藻土に含ませると運搬の際、多少の衝撃でも耐えられる「ダイナマイト」(ギリシア語で力の意味)を発明。
1867年スウェーデン政府から特許を得る。

1872年。父死去。

1873年、普仏戦争でダイナマイトがプロシア軍に殺人兵器として使われたことを悲しみ、ドイツからパリに移転。「死の商人」と呼ばれた。
40歳ころからより強力な火薬をつくる研究をはじめる。
水ばんそうこうから「ゼラチン・ダイナマイト」を発明。1875年。43歳。

女性秘書ベルタ・キンスキーは、のちにズットナー夫人となり世界平和について文通する。
1889年には『武器を捨てよ』という小説を発表してアルフレッドは感銘を受ける。→1905年。第5回ノーベル平和賞を受賞。
アルフレッドは、のちに平和団体に寄付するようになる。
2人の兄がロシアのバクー地方で石油会社をつくる際も惜しみなく資金提供した。
→1878年。2人の兄は石油タンカー「ゾロアスター号」を世界初つくった。

1887年。煙の出ない火薬「バリスタイト」を発明し特許を得る。

1888年。兄ルードイッヒ、1889年。母死去。

1889年。バリスタイトをつくる権利をイタリアに売ったことでフランス政府から圧力を受けて怒り、
1891年。イタリアのサン・レモに移転。



ノーベルが住んでいたサン・レモの家

62歳。それぞれの賞、選ぶ人、方法など細かく遺書に書いた。
1896年死去。

1901年。遺言どおりに「ノーベル賞」が授与され、賞金が贈られた。
第1回ノーベル賞には、レントゲン、赤十字社をつくったデュナンなど6名が受賞。
1949年。日本人として初めて湯川秀樹博士に物理学賞が贈られた。


【解説メモ】
当時爆薬や火薬として使われていたのは黒色火薬と、1846年に発明された綿火薬だった。
ダイナマイトが発明された頃は、世界中で鉄道の敷設が進み、運河や港をつくる大工事が行われていた。
それまで不可能だった大規模な土木工事や水中爆破作業が可能になった。

ノーベルは、人造ゴム、人口宝石なども発明し、生涯に350以上の特許を取得し、エジソンとならぶ偉大な発明家だった。

1908年。日本初ダイナマイト工場が神奈川県平塚市にできた。

ノーベルが影響されたシェリーは、理想主義を唱えたイギリスの詩人。
「冬来りなば春遠からじ」は有名。



ノーベルも詩を書いた。

きみ、いみじくもわれを謎とよぶ
人生はすべてこれ解きがたき謎
揺りかごより墓場まで あすの定めも知らぬまま
手さぐりで進み うたかたの幸を追い求め
あだな望みで憂いをまぐらすのみ

どちらかといえば人と親しくすることを好まず、生涯独身のままだった。



ノーベル化学研究所

ノーベル賞
物理学賞、化学賞、経済学賞(スウェーデン化学アカデミーが選ぶ)
文学賞(スウェーデン、フランス、スペインのアカデミーが選ぶ)
平和賞(ノルウェー国会が選ぶ)

ラジウムを発見したキュリー夫人は、1903年に物理学賞、1911年に化学賞を受賞。
娘イレーヌも1935年に化学賞を受賞/驚



ストックホルムで行われる授賞式の様子。ノーベルの亡くなった日の同時刻(12月16:30)から式典がはじまる。



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