2019年01月27日プレイリスト
「ジョー・オズボーン追悼」
1. ヘロン / 山下達郎 '98
2. TRAVELIN' MAN / RICKY NELSON '61
3. MOUNTAIN OF LOVE / JOHNNY RIVERS '64
4. TWELVE THIRTY / THE MAMAS & THE PAPAS '67
5. GLAD TO BE UNHAPPY / THE MAMAS & THE PAPAS '67
6. EVERYTHING THAT TOUCHES YOU / THE ASSOCIATION '68
7. MIDNIGHT CONFESSIONS / THE GRASS ROOTS '68
8. VENTURA HIGHWAY / AMERICA '72
9. AQUARIUS-LET THE SUNSHINE IN / THE 5TH DIMENSION '69
10. ARE THERE ANY MORE REAL COWBOYS? / NEIL YOUNG "OLD WAYS" '85
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■内容の一部を抜粋
・近況
番組は前倒しで収録しているそうだ。ニュー・アルバムのレコーディングがはじまってるはずで、「ぼちぼちという感じで新しいアルバムに向けて創作しております」と達郎さん。スケジュールが立て込んでいるのでものすごく前倒しで録ってるとか。
・ジョー・オズボーン追悼
1960年代にウエスト・コースト、カリフォルニアで活躍したベーシスト、ジョー・オズボーン。達郎さんが十代の頃に夢中で聴いた曲のベースを弾いてる人で、昨年、2018年12月14日に亡くなった。享年81歳。達郎さんの大好きなベーシストなので今日は「ジョー・オズボーン追悼」特集。'60年代を代表するスタジオ・ミュージシャンのベーシストなのでやった曲の数は枚挙に暇がない。超有名曲ばかりで今日はその中でもジョー・オズボーンのベースのタッチがよく分かるものを選曲したとか。
・ヘロン
寒いとリクエスト増える曲で「ヘロン」。
・ジョー・オズボーン
ルイジアナ生まれ。もともとギタリストだったがベーシストに転向して'60年代にカリフォルニアに出てきた。リッキー・ネルソンのバッキングをしていたジェームズ・バートンと知己だったなので、リッキー・ネルソンのバック・バンドに入り、ここからカリフォルニアでの華々しいキャリアがスタートする。
・TRAVELIN' MAN
ジョー・オズボーンの最初期の作品はリック・ネルソンの全盛期でベースの輪郭がよく分かる。1961年のリッキー・ネルソンのミリオンセラーで「TRAVELIN' MAN」。「ジェームス・バートンのギターが素晴らしい」と達郎さん。
・ジョー・オズボーン その2
'60年代前半までのいわゆるスタジオ・ミュージシャンと呼ばれる人たちは、短い時間で作品を仕上げなければいけないので、演奏力が優れていなければいけない、それから読譜能力が優れていなければならなかった。彼らはそれまでの既成の音楽だったジャズやカントリー・ミュージックのバックグラウンドで活動していた。'50年代末からのロックンロールの勃興に伴って、純粋に頭の先からつま先までロックンロールを浴びた新しい世代が、'60年代中頃からスタジオ・ミュージシャンとして登場する。それまでのスタジオ・ミュージシャンと違って、若干、ロックンロールなので、ちょっとインディーでガレージっぽい音を出す人たちがだんだん注目されてきて、カリフォルニアでも主役が交代してゆく。そんな中でもジョー・オズボーンは最初のロックンロール・ベーシストのスタジオ・ミュージシャンと言われた。もともとギタリストだったので、ベースをピック弾きして、ひじょうにエッジの強いサウンドをしていた。そんな中でリッキー・ネルソンのライヴ、レコーディングをしていた。
・MOUNTAIN OF LOVE
1960年代の中期にジョー・オズボーンはジョニー・リバースと知り合う。ジョニー・リバースは下積みの長い人で南部で活動していた。10いくつかのレーベルを転々としていた中でカリフォルニアに来て、プロデューサーのルー・アドラーと知り合って、ウイスキー・ア・ゴー・ゴーのステージで人気を浴びて、ようやくブレイクする。ジョニー・リバースのレコーディングに参加したジョー・オズボーン。デビュー作はチャック・ベリーのカヴァーで「MEMPHIS」。1964年のことで「MEMPIS」から2作行って3作目のヒット、1964年の全米2位「MOUNTAIN OF LOVE」はジョー・オズボーンのイントロからひじょうに特徴的なサウンドが聴ける。ハロルド・ドーマンという人のヒット曲のカヴァー。
・ダンヒル・リズムセクション
ジョニー・リバースをプロデュースしたルー・アドラーはのちにキャロル・キングをプロデュースするなどカリフォルニアの大立者。ルー・アドラーがプロデュース作品のリズム・セクションを強化しようと考えて、集められたのがドラムのハル・ブレイン、キーボードのラリー・ネクテル、そしてジョー・オズボーン。このトリオにギターは何人も取っ替え引っ替えだったが、この三人はルー・アドラーのプロダクションでは常に一定だった。そしてルー・アドラーが設立したダンヒル・レーベルではこの三人が全部レコーディングするので、いつの間にかダンヒル・リズムセクションと呼ばれるようになる。1967,8年からカリフォルニア・ミュージックの中核を担ってゆく。
・TWELVE THIRTY
ダンヒル・レーベルで最初にブレイクしたのがママス&パパス。「CALIFORNIA DREAMIN'」でデビューしてからほとんどがダンヒル・リズムセクションの音。その中からジョー・オズボーンらしい音の「TWELVE THIRTY」。1967年の作品。ママス&パパスはもともとニューヨークで活動していたがカリフォルニアに移ってきた。なのでカリフォルニア讃歌が多く、「CALIFORNIA DREAMIN'」はその典型。「TWELVE THIRTY」ではニューヨークという街は12時半で止まったままの時計だと歌っている。
・GLAD TO BE UNHAPPY
ママス&パパスの1967年の「GLAD TO BE UNHAPPY」はスタンダード・ナンバーをロックンロールにアレンジした作品。ダンヒル・リズムセクションのいいところが全部出ている。もともとは1936年のリチャード・ロジャースとローレンツ・ハートのミュージカル「ON YOUR TOES」の中の曲。
・EVERYTHING THAT TOUCHES YOU
ボーンズ・ハウはレコーディング・エンジニアからスタートしたプロデューサー。ルー・アドラーと並んでダンヒル・リズムセクションをよく使った。この人がプロデュースした代表的なグループがフィフス・ディメンションとアソシエイション。アソシエイションはほとんど全部ハル・ブレインとジョー・オズボーンのスタジオ・ミュージシャンが演奏したオケ。イントロのベースの音がいかにもジョー・オズボーンという1968年、全米10位「EVERYTHING THAT TOUCHES YOU」。邦題は「恋にタッチはご用心」。
・今後の予定
来週は2月3日が放送日。達郎さんの誕生日の前日だが、今回がかなり前倒し収録しているため予定が立ってないそうだ。
・SPECIAL ACOUSTIC LIVE 2019
達郎さんのアコースティック・ライヴ「SPECIAL ACOUSTIC LIVE 2019」、達郎さん、難波弘之さん、伊藤広規さんのトリオによるアコースティック・ライヴを1月18日(金)、19日(土)に新宿LOFTで行った。引き続き来月のアコースティック・ライヴが決定した。2月は大阪の梅田クラブクアトロ。来月2月20日(水)、21日(木)、それぞれ19時開演。詳しくは山下達郎オフィシャル・サイトにて。
https://www.tatsuro.co.jp
・MIDNIGHT CONFESSIONS
次の曲はザ・グラス・ルーツ。アソシエイションもそうだったがバンドでもレコーディングはすべてスタジオ・ミュージシャン。モンキーズもそうだったが、そうしないとヒットが生まれない。そういう過酷な芸能界の時代だった。「まぁ、今でも対して変わりはしないと思いますけれども」と達郎さん。グラス・ルーツの1968年の最大ヒット曲「MIDNIGHT CONFESSIONS」は全米5位のミリオンセラー。この曲もジョー・オズボーンのベース。
・ジョー・オズボーン その3
ジョー・オズボーンは面倒見のいい人だった。特に新人の育成や登用に熱心で、じぶんのガレージに小さなスタジオを作り、そこでいろんな人にレコーディングをさせていたという。その中でいちばんブレイクしたのがカーペンターズ。その縁でカーペンターズのレコーディングでベースは全部といっていいくらい、ほとんどのヒット曲はジョー・オズボーンが弾いている。リチャード・カーペンターはジョー・オズボーンとコミュニケーションが取れていたと伝えられている。
・VENTURA HIGHWAY
1972年に全米8位まで上がったアメリカの「VENTURA HIGHWAY」。ハル・ブレインのドラム、ジョー・オズボーンのベース。
・AQUARIUS-LET THE SUNSHINE IN
フィフス・ディメンションは初期の活動でジョニー・リバースのソウルシティというレーベルでやっていた。その頃からダンヒル・リズムセクション、ボーンズ・ハウのプロデュース、ジミー・ウェッブのプロデュースといろいろあったが、ハル・ブレインとジョー・オズボーンは普遍だった。その中からジョー・オズボーンのキャラクターが出ている「AQUARIUS-LET THE SUNSHINE IN」。1969年の全米NO.1のミリオンセラー。ミュージカル「ヘアー」からの作品。
・ジョー・オズボーン その4
カリフォルニアのミュージック・シーンは'60年代前半のスタジオ・ミュージシャン、レッキング・クルー、'60年代の後半になるとダンヒル・リズムセクション。達郎さんは世代的にダンヒル・リズムセクションだったが、大瀧詠一さんは達郎さんより5歳上なのでベーシストというとキャロル・ケイ、レイ・ポールマン。達郎さんはジョー・オズボーンと譲らずよく論争になったそうだ。今となってはいずれも素晴らしいミュージシャンたちだが、達郎さんにとってはなんといってもジョー・オズボーン。それまでのベーシストはオケの中で地味に働いている印象だが、ジョー・オズボーンは目立つので、それがロックンロールのような感じがしたとか。ジョー・オズボーンは'60年代から'70年代にかけて売れっ子のスタジオ・ミュージシャンだったが、それが祟って体を壊してしまい、'70年代の中期にナシュビルに移り住む。仕事を減らすためで、その結果、その後はカントリー系のミュージシャンの仕事をたくさんした。ケニー・ロジャースとかジョニー・キャッシュ、ハンク・ウィリアムス Jr.とか。'90年代になるとセミリタイアしてルイジアナに帰って、たまに呼ばれたときに仕事をするという感じで81歳の生涯を閉じた。
・ARE THERE ANY MORE REAL COWBOYS?
最後の曲はそんな時代の1985年。ニール・ヤングがナシュビルでレコーディングしたアルバム『OLD WAYS』。この中からニール・ヤング with ウィリー・ネルソンの「ARE THERE ANY MORE REAL COWBOYS?」。
■リクエスト・お便りの宛て先:
〒102-8080 東京FM
「山下達郎サンデー・ソングブック」係
2019年02月03日は、「リクエスト特集(予定)」
http://www.tatsuro.co.jp