思い出の記録に、私はこだわらない。
昔の私はそうではなかった。
最初に結婚した相手と交際し始めた頃、相手が喫茶店の紙ナフキンに「吉本ばなな」と書いた。
私はその紙ナフキンをスクラップブックの最初のページに貼った。
それからその相手と結婚するまでの7年間、
食事をした店の箸袋から映画のチケット、切符などなんでもとっておいた。
それは結婚してからも続き、何冊もの分厚いスクラップブックができた。
なぜそんなことをするのかと聞かれたら、うまく答えられなかったろう。
いつか年をとったときに二人で眺めたいと思っていたのも確かだけれど、
そうやって形に残しておかないと、不安でしかたがなかったのかもしれない。
その不安は、相手とかかわっている間、ずっと影のようにつきまとっていた。
結局、年をとって二人で眺めることもなく、スクラップブックがどうなったかさえ私は知らない。
あんなに繋ぎとめておきたかったのは、いったい何だったんだろう。
スクラップブックの最初のページに貼った紙ナフキンを見るたびに、私は自分が誇らしいような気持ちになったものだけれど
気がついたら、そんなものたちは私にとってどうでもいいものになっていた。
紙ナフキンを貼ってから、18年の歳月がたっていた。
それから、私は記録することにこだわらなくなった。
そして年々、思い出を残すことに淡白になっている。
夫と出かけたときの飛行機のチケットも、美術館の案内も、本の栞なんかにしていつのまにかどこかにいってしまう。
写真も、撮ることは撮るけれど、撮りっぱなし。
アルバムにパンフレットも一緒に貼って、コメントも添えたらいいだろうなァ、とは思う。
けれど、そうして残したとて何になる。
人生の晩年に、ふたりでアルバムを繰ることがあるかどうかもわからない。それに・・・
私も夫も死んだら。
ここ数年、よくそんなことを思う。
50歳を過ぎて、死ぬことが漠然とした意味から、にわかに現実味を帯びて感じるようになった。
陸上の、長いトラックを走っている。
この先のどこかにゴールがあるのは知っているが、まだまだ先は長いので、必死に走る。
ちょうどコーナーを曲がって、直線上にゴールが蜃気楼のように見えている、今はそんな感じだ。
今だって、走ることに夢中だし、夢も希望もたくさん持っているのだけれど。
死んだ瞬間から、その人のものは『遺品』になる。
遺品の整理ほど困るものはない。
子供がいない私達は、誰がそういうことをしてくれるのかわからないが、
その誰かのために、私達が残してゆくものの行き先を決めておくべきだと思っている。
実は、記録を残すことにこだわらなくなった私でも、捨てられないものがある。
それは、夫や家族、友人がくれた手紙やカードである。
夫と初めて会った日の夜に、申し合わせたわけでもないのに、互いに相手にあてて手紙を書いた。
どのぐらい時間をかけて書いたのか、あて先は全部きちょうめんに漢字で書かれている。
11年分のそういう手紙やカードが、一つの箱に入っている。
家族や友人がくれた手紙も、別の箱に入っている。
こういうものは、写真同様、読み返すことはないだろうけれども捨てられない。
自分では捨てられないが、人が捨ててくれるぶんにはかまわない。
『写真、手紙も含め、いっさいがっさい捨ててよろしい!』
英語と日本語で、どこかに残しておかなくてはと思う。
数年前、夫の両親が弁護士の立会いで遺書を書いた。
そういうやりかたもあるにはあるが、そこまでするほどのものを残すわけでもなし。
問題なのは、いつ、それをやるか。
直線状にゴールが揺れてみえていても、
だからといって今日、そんな書置きをしたってなァー、と私はまだ思っているのである。
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昔の私はそうではなかった。
最初に結婚した相手と交際し始めた頃、相手が喫茶店の紙ナフキンに「吉本ばなな」と書いた。
私はその紙ナフキンをスクラップブックの最初のページに貼った。
それからその相手と結婚するまでの7年間、
食事をした店の箸袋から映画のチケット、切符などなんでもとっておいた。
それは結婚してからも続き、何冊もの分厚いスクラップブックができた。
なぜそんなことをするのかと聞かれたら、うまく答えられなかったろう。
いつか年をとったときに二人で眺めたいと思っていたのも確かだけれど、
そうやって形に残しておかないと、不安でしかたがなかったのかもしれない。
その不安は、相手とかかわっている間、ずっと影のようにつきまとっていた。
結局、年をとって二人で眺めることもなく、スクラップブックがどうなったかさえ私は知らない。
あんなに繋ぎとめておきたかったのは、いったい何だったんだろう。
スクラップブックの最初のページに貼った紙ナフキンを見るたびに、私は自分が誇らしいような気持ちになったものだけれど
気がついたら、そんなものたちは私にとってどうでもいいものになっていた。
紙ナフキンを貼ってから、18年の歳月がたっていた。
それから、私は記録することにこだわらなくなった。
そして年々、思い出を残すことに淡白になっている。
夫と出かけたときの飛行機のチケットも、美術館の案内も、本の栞なんかにしていつのまにかどこかにいってしまう。
写真も、撮ることは撮るけれど、撮りっぱなし。
アルバムにパンフレットも一緒に貼って、コメントも添えたらいいだろうなァ、とは思う。
けれど、そうして残したとて何になる。
人生の晩年に、ふたりでアルバムを繰ることがあるかどうかもわからない。それに・・・
私も夫も死んだら。
ここ数年、よくそんなことを思う。
50歳を過ぎて、死ぬことが漠然とした意味から、にわかに現実味を帯びて感じるようになった。
陸上の、長いトラックを走っている。
この先のどこかにゴールがあるのは知っているが、まだまだ先は長いので、必死に走る。
ちょうどコーナーを曲がって、直線上にゴールが蜃気楼のように見えている、今はそんな感じだ。
今だって、走ることに夢中だし、夢も希望もたくさん持っているのだけれど。
死んだ瞬間から、その人のものは『遺品』になる。
遺品の整理ほど困るものはない。
子供がいない私達は、誰がそういうことをしてくれるのかわからないが、
その誰かのために、私達が残してゆくものの行き先を決めておくべきだと思っている。
実は、記録を残すことにこだわらなくなった私でも、捨てられないものがある。
それは、夫や家族、友人がくれた手紙やカードである。
夫と初めて会った日の夜に、申し合わせたわけでもないのに、互いに相手にあてて手紙を書いた。
どのぐらい時間をかけて書いたのか、あて先は全部きちょうめんに漢字で書かれている。
11年分のそういう手紙やカードが、一つの箱に入っている。
家族や友人がくれた手紙も、別の箱に入っている。
こういうものは、写真同様、読み返すことはないだろうけれども捨てられない。
自分では捨てられないが、人が捨ててくれるぶんにはかまわない。
『写真、手紙も含め、いっさいがっさい捨ててよろしい!』
英語と日本語で、どこかに残しておかなくてはと思う。
数年前、夫の両親が弁護士の立会いで遺書を書いた。
そういうやりかたもあるにはあるが、そこまでするほどのものを残すわけでもなし。
問題なのは、いつ、それをやるか。
直線状にゴールが揺れてみえていても、
だからといって今日、そんな書置きをしたってなァー、と私はまだ思っているのである。
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