むらくも

四国の山歩き

椿山(高知県)…9/26

2010-09-28 | その他<高知の山>

椿山           つばやま



標高           1584.7m
登山口          吾川郡仁淀川町椿山
駐車場          なし(椿山林道路肩)
トイレ          なし
水場           なし(近くの林道傍に二升ヶ淵滝の淵)

同行者          ピオーネとレチクルくん




焼き畑耕作で日本中に知られている高知県の山奥深い「椿山集落」、さらに奥に聳える
1584.7mの山があって、国土地理院の地図には名前が載っていない。
集落の名前をとって、「椿山」として山と渓谷社の分県登山ガイドブックに紹介されていましたが、それも旧版まで、最新版では外されてしまっている。

焼き畑耕作は昭和末まで続けられていたそうで、おおよそ20年余り前まででしょうか、その様子は学校の教科書(最近のものではありません、わたしが小学生か中学生の頃の教科書ですから50年ほどにもなると思います)にも載せられていたのをうっすらと頭の片隅に記憶として残っていますが、それが小学生だったのか中学生だったのか、勉強嫌いで頭の悪い生徒だったわたしは覚えていない。

その椿山に行こうと思いながらも、藪山だというので、長い間行きそびれていましたが、やっと腰痛持ちの重い腰をギシギシいわせながら持ち上げる気持ちになりました。
いま行っておかないと、やがてこの腰は錆び付いて、動かなくなるでしょうから、いい機会です。

それともう一つ目的があって、椿山の北北東に標高1859.3mの筒上山がありますが、実際に歩くかどうかは別にして、そこから尾根伝いに椿山まで、逆に言えば椿山から筒上山への踏み跡があるかどうかの確認です。

この山は春にはアケボノツツジが咲き、また秋の紅葉時期にもいいのですが、思い立ったら吉日、猛暑が去り涼しくなったし、彼岸花が咲くこの時期に妻と子どもを誘って出かけることにした。





朝6時大野原IC-伊野IC-194号線、仁淀川を遡る-439号線-右折し494号線-椿山林道登山口9時半到着。

登山口の少し手前にある二升ヶ淵滝に寄ってみた。糸を引くような綺麗な山水が青い淵へと落ち込んでいる。落ちると言うよりは吸い込まれていくような感じだ。




旧くは集落から三つ目の橋のたもとに登山口があったらしいが、それらしいものが見つからなかったため、それより少し上の登山口へ。
登山口はやや藪いており、道沿いの左、崖っぽいところを目を懲らさないと見過ごしやすい。

雑草に埋もれた登山口標識、階段ぽい崖には木の手すりが作られているが、朽ちており、手を掛けると、壊れていまにも崩れ落ちそうです。

釜で雑草とイバラを刈り払い登り出す。




登りだしてすぐのところから振り返ると、紅葉が始まった木の間から椿山集落が見えている。足元のツルリンドウは未だ蕾。




林道途中には、かつて焼き畑耕作地であったと思われるところがあったが、いまは植林地、その尾根道を上っていく。

妻は相変わらずよくしゃべるが、レチクルくんは今日は温和しい。夕べ飲み過ぎたのかな?




やがて植林地を抜け、明るい自然林。
振り返ると雨ヶ森の端正な姿が見えている。
静かだ。

おおよそ一時間ほどで岩場に着いた。
右に巻けば道があるのにそれに気づかないまま、岩をよじ登る。




岩の上は展望良く、ここで座り込んでコーヒータイム。

ヤマガラが鳴いている。
じーっと尾根を眺めていると、このまま澄んだ空気の中に身体が溶け込んでいきそうな感覚に襲われる。




開花待ちのアサマリンドウ。

大きな岩場に着いた。
地図で確かめると、旧の登山口からの道はこの岩の下を右へと振って、ここで合流するようになっていたが、探してもそれらしい踏み跡はない。もう廃道になってしまったようだ。




右手には手箱山、左前方に高台越への稜線と笹原がチラリ。

急登が終わって、緩やかな登りになる、前方からはクロツグミ?の鳴き声。




深い笹が現れて、ここからは再び急登。道は笹に埋もれてはいるが、しっかりと着いている。




後ろから着いてくる二人の姿は笹に埋もれて見えなくなるが、しばらく立ち止まって待っていると、やがてガサゴソ笹ずれの音がして熊のようにのそっと姿を現す。

高知の山並みが見えているが、御在所山や黒森山などどれがどれだか分かりにくい。




紅葉がうっすら。

やがて三角点のある山頂に立つ。
標高は四国百名山の雨ヶ森(1390m)より高く、1584.7mある。

展望の好い北東へと移動。




北には二ノ森から石鎚山の稜線。




手前には筒上山へと続く1614mの峰、遠くに西ノ冠岳と石鎚山をややズーム。




岩黒山-筒上山-手箱山をズーム。

筒上山への踏み跡は皆無だったが、稜線の笹原は見事だ。




カメラを南に転じ、再び椿山集落をズーム。




遠くに大平洋がうっすらと見えている。




こちらは中津山や四国カルスト方面…ですが…。




再び北の石鎚山を思い切りズームアップ。




笹原で座り、お昼ご飯をたっぷり。
のーんびりくつろいだあと、山頂を背に、紅葉の始まった笹原を下る。




すっかり涼しくて、汗もかかずに、これからはいい季節だ。紅葉が楽しみです。




スッポリ笹に埋もれながら、緩斜面に。




再び岩の展望所。キツツキのドラミング音。




林道に降り立ち、椿山集落へ移動。




アケボノソウ、ママコノシリヌグイ。





ダートな道をガタゴト走っていると、突然車の前をイノシシの子どもがトコトコトコ走る。
お母さんイノシシの姿は見えない。

可愛いので連れて帰ろうかと思いましたが、いやいや待てよ、1年もすると30kgも40kgもなり、やがて60kgを超える。止めよう。

椿山集落が見えてきた。




下手な文章を書くよりは、旧分県登山ガイドブックの記事を紹介した方が分かりよいし正確ですので、ちょっこし転載引用します。




池川町は全国全市町村中、高齢者率第2位という過疎の町。中でも椿山集落はひときわ隔絶しており、かつては独自の生活様式をもっていたが、過疎化の進行とともに伝統が廃れようとしている。傾斜地に立つ家の造りが独特で、ネパールのナムチェ・バザールを思い起こさせるような異郷ムードがある。家の裏には、紙漉きの名残を示すコウゾを使った桶(こしき)が放置されていたりして、数十年前にタイムスリップしたような錯覚に陥る。

椿山の辺鄙さは次のような言い伝えからも想像できよう。
「かつて、椿山には人が住んでいないと思われていた。ところがある日、上流から箸やお椀が流れてきて生活する人のいることがわかった」「普段は米を食べられず、年をとって死の床にある人の枕元で『これが米というもんぞ』といって米の袋を振った」。



昔の一般的な小作農家はお正月や盆くらいしか、お米のご飯が食べられなかったので、椿山集落だけに限ったことではないのですが、話を分かりやすくするために書いたんでしょうね。

集落および氏仏堂へ入って行くには集落手前の細い道を谷側へと降りると、椿山集会場の広場がある。集落の方にお断りして駐車をさせて頂き、そこから歩いて細い道を下り、直ぐに右へと曲がり、直進するとお堂にたどり着くことが出来る。

趣のある家屋。




傾斜地の細い路地を入っていく。




奥まったところに大きな杉の木とお堂。その奥にこの地を発見したと云われる安徳天皇縁の滝本軸之進霊杜。
毎年、6月20日には、虫供養そして五穀豊穣を祈って「太鼓踊り」が奉納される。
また、太鼓踊りは8月4日若仏祭り、8月14日盆供養、9月5日先祖供養のときにも奉納される。




平家ガニをあしらった氏仏堂にはその構造から本堂を壊さない限り開けることが出来ないと云われる「開かずの箱」が安置されている。
箱の中には平家にまつわる宝物が収められ将軍地蔵さんが守っているとのこと。




ご親切に説明して下さった土地の方によると、2年前には中居正弘主演「わたしは貝になりたい」のロケ地にもなったとのこと。




名残惜しみつつ細い路地の階段を上がる。農作物の乾燥に使った木棚。




集落から眺めた椿山山頂方面。

集落から少し離れた上のところには椿山神社があって、大元七社権現(安徳天皇、平知盛、平教盛、平教経、二位尼、虎岡姫、滝本軸之進)として祭られていることも教えて頂いたが、またの機会にすることにして、土地の方にお礼を云い、集落をあとにした。
一路、彼岸花が一面に咲いた仁淀川町の道を走り高知ICへ。




椿山林道登山口9:50-10:58岩場の展望所11:21-大岩11:30-12:18椿山山頂13:14-大岩13:42-13:48岩場の展望所13:58-14:25椿山登山口


(参考)傾斜地に建てられた椿山集落の少し上までは舗装された道ですが、途中から未舗装になります。ですが、整備されていて、乗用車でも十分に走れます。なお、二升ヶ淵滝少し上で上部の立派なアスファルト道と合流しますが、左へは未完成で通行止め、右へと行き、少し先の左側に藪っぽい登山口があります。