むらくも

四国の山歩き

八石山・クデイシ丸・綱付山…徳島県

2016-12-02 | その他<徳島の山>

八石山・クデイシ山・綱付山    やついしやま、くでいしやま、つなつけやま



山行日              2016年11月29日
標高               841.2m、756m、580m
登山口              井川町里川東
駐車場              なし(林道路肩)
トイレ              なし
水場               里川東集落南標高650m付近沢
メンバー             単独



ひと月ほど前に、徳島自動車道・井川池田ICの裏の細い車道をくねくねと南へ遡って里川西の奥まった最終民家から五ノ丸山へ登った。
その民家の傍の登山口から東側に眺めた景色は、吉野川に架かる三好大橋の少し東側あたりから南に派生する嫋やかな尾根が開けており、稜線にはいくつもの鉄塔が並んでいた。
その鉄塔に向かって民家が点在し、車道が走っている。
吉野川に向かって緩やかに下っているこんもりした尾根端に標高580mの綱付山があって、そこから南に辿って里川東集落の真上辺りに標高756mの三角点・堀部があって、さらに南にはこの尾根で一番高い標高841.2mの八石山が聳えていた。

五ノ丸山から下山し帰宅したその日にPCを立ち上げカシミール3Dの地図で確かめてみた。
里川東へと登る車道は峠を越え、東側の井内へと続いている。
井内には腕山や井川スキー場へ行く車道があるが、それと繋がっているようだった。
綱付山から八石山間の尾根には三本の四国電力の送電線が尾根を跨いで走っていて、北から順番に松尾線、三島東線、新改幹線があって、一本はJR辻駅の対岸で消え、二本は吉野川ハイウェイオアシスの対岸にある電力施設に合流している。

この尾根を一艘の船としてみたてたときに、綱付山はロープを岸壁に繋ぐ艫の位置だろうか、里川東集落の真上にある三角点・堀部はマストの位置、そして最南の八石山は船首になる。
その八石山は東に20分ほど下ったところに八ッ石城跡がある。
南北朝時代の城で、城主は北朝方に攻められ1380年8月23日、自害した新田義治氏。
巨石や神社があって、展望のよい景勝地であるらしい。
このことは後日に知った。



7時半、気温6度の猪鼻トンネルを抜け、三好大橋を渡り右折、即急な坂道の細い車道へと左折。
JR徳島線の踏切を越え、徳島自動車道の下をくぐり、くねくねと里川東へと走る。
道は次第に細くなり、軽四だったが運転がへたくそなのか、カーブを曲がるにも切り返しが必要だった。


                里川東最奥民家
標高おおよそ630m、最奥民家には人の気配はなく静かだったが、道は荒れてはおらず、お茶畑の手入れも行き届いていた。


              五ノ丸山登山口方面(里川西)
車道からは一か月ほど前に登った五ノ丸山の登山口のある里川西集落の屋根が、中腹を走る道沿いにポツリポツリと見えている。
登山口は真ん中上に白く光って見えている左斜め上の屋根二つ並んでいるところだ。


       駐車地点                   植林
最奥民家を少し過ぎたところが左カーブになっていて、舗装された車道はまだ上へと続いているが、未舗装の林道がカーブから右手へと延びている。
上空には送電線があった。
これが国土地理院の地図に描かれている破線の道の入り口だ。
8:25、屋根が落ち込んでしまっている廃小屋の前に車を停め、破線の道へ入ってゆく。


           沢                    複雑な道
道はすぐに三叉路に差し掛かった。
一方は左手上へ向かっており、もう一方は直進で水平だ。
迷ったが水平の直進道を選んで進んだ。(左上方向の先は標高756mの三角点・堀部があるので、ひょっとするとその山頂へ向かう道だったのかもしれない)

道端には四国電力巡視路28番29番を示すアングルがあった。
水の流れる小さな沢が二つ現れた。
地図では沢を遡るようにして破線の道が続いているのだが、どちらの沢も道があるようには見えなかった。
巡視路を直進した。
道は途中で別れているところもあり、やや下り気味だ。
地図に描かれた破線の道は上っているので、違う道を歩いていると思った。


      松尾線28番鉄塔              斜面をよじ登る
ほどなく松尾線28番鉄塔にたどり着いた。
道はその先も下っている。
少し引き返して、地図に載っている716m地点の尾根を目指し、直登することにした。


          林道                   登山道
9:03、林道に飛び出たが、横切るようにしてなおも上へと登ったところ、破線の踏み跡に復帰することができた。


      地籍調査テープ             三島東線84番鉄塔
落ち葉が積もり道は隠されてはいたが明瞭な踏み跡で、地籍調査のピンクのテープが導いてくれた。
9:14、三島東線84番鉄塔に着く。


       Y字分岐                 新改幹線14-15番杭
ところどころイノシシに掘り起こされた林道を進むと林道は再び三叉路になっていた。
どっちに進むか迷う。
エイヤー、右に進んだ。
左に進むのが正解だったようで、間違えてしまった。
いつもの悪い癖で、地図で確かめもせず、ええ加減な気持ちで歩いている。
林道歩きのルーファイはおもしろくもなんともなくて、やってられない。
支尾根を西に回り込むようにして破線の道に復帰。


                  吉野川遠望
9:34、新改幹線15番鉄塔の真下に出た。
送電線が下に向かって這うようにして延びているやや左先には吉野川が霞んで見えているが、辻町辺りだろうか。

クルクルクル-、チャチャチャッ。
シロハラがこの冬も元気な鳴き声を林の中から届けてくれる。


          尾根                  八石山(鷹指場)    
八石山への尾根ははっきりした踏み跡ではなかったが、林の中に隙間があり、ところどころに赤テープがあったりしたので迷うことはなかった。

9:50、三等三角点・鷹指が埋設されている東西に平たく伸びた八石山に到着した。
点石の傍には一本の白い小さな杭が立っていて、それには「和田学校、2010.4.11、鷹指場841.2m」と記されていた。
展望はまったくない。

鳴門岳友会が発行した「徳島250山」のガイドブックによれば、この山の東側10分弱下ったところに鷹指場越という峠があって、さらに10分強下ると南北朝時代の八ッ石城跡とトイレや駐車場があると書かれている。
後日にネットで調べたところによると、この地には様々な伝説があって、その一つに椀貸し伝説というのがヒットした。
「昔、祭りなどのときに、明日の客用の膳椀を借りたいと言っておくと、翌日にはきちんと並んでいた。しかし、ある日、誰かが借りておいて、かたおにして返してからは、貸してくれなくなったそうな」
「かたお」とは、たぶん膳椀の一部が欠けたり壊れたりしたものだろう。


        西外れ                新改幹線15番鉄塔
山頂から続く尾根を少しだけ西方向に歩いてみたが、松や杉などが伐採されている以外にはなにもなかった。
歩いてきた尾根を引き返し、再び新改幹線15番鉄塔に寄る。


    三角点・堀場への尾根            地籍調査と杭
三島東線84番鉄塔をちょい過ぎたところで、往路と離れ北方向の尾根を進むが、入り口は踏み跡なく地図とコンパスなしでは難しい。
しかし、ほどなく地籍調査のピンクテープがうんざりするくらいの賑やかさ、難なく案内してくれる。

気のせいだろうか、人の話し声が右隣の尾根方向から聞こえてきた。
左の谷からはベキバキッと枯れ枝を踏みしだく獣らしき足音が聞こえてくる。
ほどなく右の谷筋からもバキバキッと音がした。
ちょっとー、これって何よ、怖いがな、ビビってしまう。


     不自然な石積跡             イノシシの踏み荒らした跡
10:45、ピーク756m(三角点・堀部)の手前でした、ほんのちょっとした窪地に石がゴロゴロと重なるように転がっていた。
井戸跡にしては石数が少なく、のろし台跡にしては石が焼けてなくて、ひょっとして墓跡なのかもしれない。
どちらにしても自然のものではなさそうな印象だった。

前方でドタドタ足音がした。
いまのいままでそこにいたと思われる踏み荒らした跡があった。


                 クデイシ丸
行き過ぎたので少し戻り気味に進む方向を修正。
10:55、三角点・堀部は尾根直進方向ではなく右へ寄り道するような位置にあった。
標高756mの無名峰とばかりに思い込んでいたが、八石山と同じく和田学校の登頂記念杭があって、それにはクデイシ丸と記されている。
地名や名前などに意味のないものは何一つないと思っているが、クデイシというカナ語は調べてもわからなかった。


                   山頂の様子
八石山と同じく、山頂は展望もなく、松の木や杉が茂った山だった。


           林道               松尾線30番鉄塔
隣の尾根に乗り移ろうと思って谷へと下ったら、思いがけず林道に出合ったので、それを追う。
11:11、里川東集落から井内へ延びる車道に飛び出し、松尾線30番鉄塔に。


      舗装された林道            NTTドコモ
舗装された車道から未舗装の林道へと入り、尾根筋を追っていくと電波塔に辿り着いた。

 
         尾根道①                  尾根道②
前方からグググーッというくぐもった声が聞こえてきた。
イノシシだろうか?
声だけで、正体がわからないというのはなんとなく気味が悪くて落ち着かない。
こんな山、おらもう嫌だ。
一人で来るんじゃあなかった。
ババアと一緒に来るんだった。
一応誘ったのだが、妻の実家でお寺のおじゅっさんを迎えないかんので来れなかった。
一緒に来ておれば、もしも獣に襲われたとき、ババアを人身御供に差し出して、わしゃあ、その間にすことんで逃げられるのじゃが。
くそっ!こんな大事な時に、お寺はんは何をするんじゃ、邪魔するな。


                   綱付山
ブツブツ呟きながら歩いてると、突然に綱付山山頂に飛び出した。
時刻は11:35、この山も展望はまったくない。
徳島250山のガイドブックには少し東に開けた場所があると書いていたので、ウロウロ探してみたが、見つからなかった。


   桜が丘公園への登山道               車道
JR佃駅の南側にある桜が丘公園への掘れ込んだ登山道をちょっとばかし歩いてみた。
鬱そうとして歩きにくい。
昼食をこのあたりでとるのを止め、早々に下山開始。
おらもうこんな山、嫌だ。
早く帰るだ。
一人じゃ寂しいだ。


     松尾線29番鉄塔              イノシシ捕獲檻
誰かさんが里山山中で、イノシシの罠を仕掛けようとしたとき、シャレコウベを見つけたという話を思い出した。
そこには頭蓋骨だけで、体の他の部位はなかったという。
その里山では行方不明になってるものが過去何人かいて、そのうちの一人じゃろうという話だった。
こんな寂しい気持ちのときにかぎってシャレにもならんことを思い出してしまう。
わーおー!


     駐車地点廃小屋                   廃屋
車道に出て、しばらくで駐車している廃小屋の屋根がうっとう暗い林の向こうに見えた。


                 最奥民家を背にして
山全体がほぼ植林なので、また展望もないことからつい「こんな山」と書き込んでしまったが、一人で歩き、あちこちとうろつく楽しさは格別なものがある。
今回の山歩きで一つだけ心残りなことがある。
それは、八石山について、十分な情報を得ないままでかけたことだ。
もしも、八ッ石城や巨石や鷹指場越のことが事前情報で把握できていたら、山頂から東に下って景色を楽しむことをしたのにと思った。
グデイシ丸、君の名は忘れないぞ。
山にはロマンが付き物ですね。
帰路、財田にある環の湯に浸かって、汗を流した。

駐車地点8:25-小さな沢8:30-八石山(鷹指場)9:50ークデイシ山10:55-11:35綱付山11:50-12:25駐車地点


グーグルマップ(登山口などの位置がわかる地図)→こちら
ルートラボ(距離や時間がわかる地図)→こちら         

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天神山~三角点・白地…徳島県

2016-02-11 | その他<徳島の山>

天神山、三角点・白地           てんじんやま、はくち


山行日                  2016年2月4日
標高                   489m、603.3m
取りつき地点               池田町白地(天神トンネル手前左折山手)
駐車場                  なし(路肩)
トイレ                  なし
水場                   天満宮(天神山)より南150mほどの尾根上標高おおよそ490m(ホースあり)
                     金比羅宮から天神山方向への道沿い標高おおよそ480m
メンバー                 ピオーネ、むらくも



予防医学は随分と進歩した。
それほど昔ではない時代には、バランスの良い食事を摂り、適度な運動をし、快適な睡眠をとることによって生活習慣病のリスクを軽減すれば、遺伝的要素や突然の怪我、伝染病などを除けば、健康な生活を保つことができると言われていた。
ところが今日ではそれだけでは健康を維持できないという。
かつてはがん、心疾患、脳血管疾患などは、喫煙や飲酒、ストレスが大きな危険要因として成人病と呼ばれていたが、いまでは子どもにもこれらに似た病が発症しており、たばこ、アルコール以外のところでの要因がクローズアップされ生活習慣全般のところで研究されている。
メタボリックシンドローム、肥満、糖尿病、高血圧、骨粗鬆、アレルギー、歯周病・虫歯、痛風、動脈硬化、脳血管疾患、がんなどなど、そして認知症も生活習慣病に含まれるのではないかと思われるデータも出てきている。

かくして、バランスの良い食事を得るためのさまざまな献立や食べる順序、快適な睡眠のために入浴の時間・時刻、お湯の温度の管理、最適な運動はいつどんなかたちで、腸内フローラを整え、ストレスを溜めないためには…などなど。
あー、これらを考えるだけでもストレスが溜まるというのに、認知症対策として頭の体操までしなくてはいけなくなった。
また、いくら適切な運動をしたところでその後長時間座っていることによって、せっかく運動した効果が、健康にはそれほど役にはたっていないということまで解ってきた。
一日の中で睡眠中を除いて、8時間以上椅子や床に座り続ける人はなんらかの成人病になるリスクが高く、死亡する確率が高いという。
いったいどうすればいいのよと言いたくなるが、要するに立ったり座ったりしていればいいわけで、例えば30分座って、2~3分立つ、これの反復作業が求められる。

因みに興味深い資料があって、265年間平和が続いた江戸時代の京都の町民は、激しい肉体労働に従事する者少なく、静かな暮らしぶりだった。
しかし、その一方で当時の高齢者は、現代人以上に加齢性の関節炎や骨粗鬆が進行している。
これは、早くから隠居したりして、運動量が極端に減少するとか、寝たきりになる人が多かったとか、体重超過の年配者が多かったとか、が、理由であろうか。
なにしろスポーツジムなどなく、ジョギングもしない時代のこと、加齢とともに、まるで坂道を転げ落ちるように、骨が弱まったことだろう。(引用抜粋―骨が語る日本人の歴史―片山一道著)
当時の人たちの平均身長は男で158cm、女で144cm、体重は男60kg、女50kg、肥満で樽型体型のメタボだ。
平均寿命は40年足らず、生活習慣病なども広がっていたものと想像できるが、乳幼児の死亡率高く梅毒蔓延の時代だし、社会事情が随分と異なるので現代とは単純に比較できない。
しかし、意外と動かない生活だったようだ。

オーマイガーッ!
いまこうして、パソコンの前に座っていて、キーボードを叩き、マウスをクリクリいじっている間にも30分はあっという間に過ぎ、1時間にもなろうとしている。

老後の生活は、朝目覚めればテレビを眺めながらコーヒーを飲んでボーっとしているわけにはいかない。
体操ーストレッチーウォーキングー頭の体操、掃除に雑ごとに、立ったり座ったり走ったり、やれ忙しく、なんだかんだでやがてお陽さまはあたりを紅く染め西に沈む。

というわけで、今日も妻と二人、趣味と健康を両天秤に掛けて美味しい空気を胸いっぱい吸いに、いそいそとお山へ出かけます。



出かける山は、今日も「徳島250山ー鳴門岳友会」おすすめの山、池田町白地の標高わずかに489mの天神山と、その南奥にある三等三角点・白地が埋設されている標高603.3mです。
前回三頭山へ行くにあたって、ガイドブックをあまり読まずに行ったため、ルートがわからずふみ跡のない藪歩きとなったため、今回は本に目を通した。
裏まで抜けた。

取りつき地点がいきなりの急斜面で、少しわかりにくいところらしいし、途中にあるTVアンテナから天神山山頂へはふみ跡が消えたり現れたり、山頂手前から山頂までは道がないので方向を定めて適当に歩けと記載していた。
ビビった。
妻にその旨伝えたところ、うんともすんとも返事がない。
同じくビビってるのかなと思ったが、そうではない。
わたしの天然はネクラ天然だが、妻の天然はネアカ天然で、生まれつき「心配する」という心が欠落しているのではないかと疑っている。
こういうときは親の顔を見ろというが、うーん。

気温4度の猪鼻トンネルを抜け、池田大橋を渡って、愛媛方面にある白地トンネルを過ぎ、天神トンネルの手前で左折し馬路川に架かる橋を渡る。
右には小さな工場か倉庫のような建物があるので、左へ折れ、すぐに駐車。

山手側の急な斜面に目を凝らすと、一か所、それらしいところがあって、上部右側にふみ跡がある様子だった。
靴を履き替えて、10:25、斜面に取りつく。




ふみ跡を右に沿って歩いたところで左へと曲がると、朽ちたトタン屋根の小屋と苔むしたコンクリートの水槽があった。
道はすぐに植林の中に入るが、古い炭焼き窯の傍をとおって、上へと続く。


          小屋                       炭焼き釜

10:38、ガイドブックに載っていたTVアンテナが林の中に溶け込むようにした突っ立っている。
大きくもなく、小さくもなく、うっかりすると見過ごしてしまいそう。
アンテナから上へはふみ跡があるにはあるが、スギなどの枝や落ち葉が覆いかぶさり、すこぶるわかりにくい。
アンテナから14分のところ標高おおよそ320m付近で、ふみ跡の両脇に石積みがあった。
石積みの状態から、畑地跡ではなく住居跡らしい様子でしたが定かではありません。
先ほどのアンテナのコードは下方へと伝っていたので石積みとアンテナは無縁のものと思われた。


        TVアンテナ                     石積み

落ち葉積もる斜面に日が差し込み、それまで林内のやや陰鬱だった雰囲気がやっと明るくなり、ホッとする。
またも石積みが現れた。
標高は先ほどの石積みからそれほどには上がってなく、おおよそ340m。




その後、ふみ跡はなくなり、急斜面を避け、潅木や下草の透いているところを適当に登っていくと、標高おおよそ470mあたりでしたでしょうか、東方向へのふみ跡が現れた。
少し辿ったあと、山頂からは遠のきそうだったので離れて上にある茂みのなかの平たいピークに。
ピークからほんのわずか下ったところで、藪から透かし気味に建物の屋根が見えた。
神社だ。
どうやら天神山の山頂を過ぎて、少し下にある神社側へ寄ったようだ。
もう一度ピークへ引き返した。
11:36、テープも山頂標識もなにもない、のっぺらっとしたヤブの中の天神山山頂だった。

神社側に下りると手水があって…。


     天神山山頂付近の様子                 手水鉢

石垣に囲まれた天満宮の社があって、傍にはタオルが二枚干していて、微風に揺れていた。
かしわ手を打つ音が、冷たくシンとした山の空気をわずかに震わす。




お参りをした後、参詣道の石段を下り、南への尾根へ向かう。
神社へ続く道はよく整備されており、手厚く守られていることがその様子からも窺い知ることができる。




鳥居は昭和22年に作られたものですが、狛犬はずっと古く大正4年、西暦に直すと1915年ですから、いまから101年前のものです。
おそらく鳥居は新しく建て替えられたものではないだろうか、神社の歴史はかなり古い様子。
その頃、当然のことなんですが、すでに麓には集落があって、この神社で様々な祭りごとが賑やかに行われていたんでしょうね。
どなたもいるはずのない光の向こうから、誰かが歩いてくるようなそんな光景が瞼に浮かびました。




鳥居をくぐって参道を離れ、薄いふみ跡のある尾根道を進んだ。
おおよそ標高490mあたりでしょうか、木の棒に支えられた黒いホースが地中からニョッと空中へ付き出て、その先から美味しそうな水が流れ出ていた。
地形が谷とか沢ですと、地中から水が湧き出すというのはあると思いますが、ここは尾根上、不思議な感じがした。
少し先に進むと蓋をした青い小さなバケツがあって、そこから黒いホースが地中に埋まっている。
バケツの裏にあるもう一方のホースは、これも地表を這ってその先では埋まっていた。
なーんだ、どこかに沢があって、そこから引っ張っているようです。


        流れ出る水                     尾根の様子

うー、杉の花が…、3日ほど前から微妙に目が痒くなっている。
11:57、標高おおよそ550mの位置で、カーブミラーのある車道に飛び出した。
プリントアウトして持参した国土地理院の1/10000地形図をポケットから引っ張り出して見た。
標高550mの尾根上には府甲部にある集落から延びている破線の道が描かれている。
どうやら破線の道は、いまでは立派なアスファルトで舗装された車道に造成されているようでした。


                                    カーブミラー

車道を少しだけ南東に歩き、適当な位置から山頂へと取りつき、ヤブを分けると、そこには標高603.3mのピークに埋設された三等三角点・白地の石柱があった。
因みに三等三角點(點は点の旧字)と刻まれた面の方角はそのほとんどが南向きとなっている。
時刻は12:07、ここでお昼ご飯とした。




山頂には三角点以外には標識も、一点赤く染みのように枝に張り付くテープもなにもなく、展望はない。
山頂にある黒松の木の根っこにシートを広げて、妻と二人よっこらせっと足を投げ出す。


                    山頂の様子

食事を済ませ、元来た尾根を引き返すと、祠の跡でしょうか、崩れているような石積みがありました。
丁度木の陰になっていて往路では気が付かなかった。
再び車道に出て、府甲部の集落方向へと歩く。


  木の根元に崩れた祠跡のような石積み          車道歩き

天神山への林道入口を通過して畑地の中にポツンとある一軒の民家に出たところ、景色が一気に開けた。
はいつくばったような山の下には吉野川が流れていて、見える町はJR三繩駅のある池田町中西あたりだろうか。
左端に見える山中腹の集落は池田ダム北の阿讃山脈側にある集落で西山でないかと思われた。


            最終民家前畑地から東北東に眺めた景色

車道の先には墓地や民家が続き、遠くに中津山らしき三角形の形のいい山が見えている。
気持ちのいい青空だが、高知方面はやや高曇り、明日は崩れるかな?


                      南東方向

来た道を引き返し、途中から右に折れ神社および天神山方面への林道に入る。
小さな木の板で作られた道標が立っていた。
左、天神山・天神社400m徒歩10分とある。
右手に鳥居が見えたのでとりあえずそちらへ寄ってみた。
額には金の字と宮の字が読み取れたが、間にある字は薄れて読めなかった。
(後日、同じく天神山と三角点・白地を歩かれたこもれびさんのレポで、金比羅宮であることが判明)




戸の隙間からの中をぞき込む怪しい女。
なんと、カメラのレンズをねじ込んで、内側を撮影しようとする不届きな奴、罰当たりなネアカ天然め。
天然はドッヂボール顔をくヘラヘラっと崩して、天神山方面へ跳ねてゆき、三叉路を右に折れる。




標高おおよそ480m、水場があった。
林の中に古びたウィンチが一個、転がっている。


  へら状の先から山水が流れ落ちる           黄色いウィンチ

再び三叉路を右に行き…
(左に行くとおそらく往路で歩いた天神山~三角点・白地間への尾根に出るものと思える)
天満宮の鳥居をくぐった。


         三叉路                      天満宮鳥居

神社の裏手に回り込み、再びヤブの山頂に立ち、適当に下っていく。


          天満宮屋根              透けた尾根

途中で往路とは異なった尾根へ突き進んでしまった。
妻と、こっちでもないそっちでもない、いやこっちだとやかましく騒ぎたてながら、最後には地図を取り出し、小さな谷を渡って東寄りへと修正する。
やがて見覚えのあるふみ跡が見つかり、ホッとした。


  植林の中に立つTVアンテナ       アンテナ先からは迷うことのないふみ跡が続く           

やがて水槽とトタン屋根の小屋傍を通過し、馬路川沿いの国道192号を走る車の音が聞こえてきた。
14:20、駐車する車に乗り込んで、財田たからだの里にある環の湯へと車を走らせた。

露天風呂に浸かり、そこから見える阿讃山脈の山並みをのんびり眺め、フーッと深い一呼吸、これがたまんなくいいんですよね。
妻も同じく露天風呂で、体を湯に沈めるたんびに、ワサワサーッと湯船の外にあふれ出る湯を眺めながら、ため息を二つ三つ。




取りつき地点10:25-TVアンテナ10:38-天神山11:36-尾根上水場11:44-車道11:57-12:07三等三角点・白地12:30-車道12:42-最奥民家12:45-分岐12:50-天神社12:59ー巻道水場13:08ー天神山13:14-TVアンテナ14:10-14:20下山地点


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八面山ー綱付山…徳島県

2016-01-19 | その他<徳島の山>

八面山、綱付山           やつらさん、つなつけやま



山行日               2016年1月15日
標高                1312.5m、1256m
登山口               美馬郡つるぎ町一宇奥大野
下山口                   〃       (県道260号線木屋平中野線ハメ石谷付近)
駐車場               なし(道沿い広い路肩)
トイレ               なし
水場                鉄塔保線路下る途中標高おおよそ1020m付近の沢
メンバー              ピオーネ、むらくも




昨年12月に八面山に登ったが、そこから東に派生する尾根にはいくつかの小ピークの先に綱付山の嫋やかな姿が見えていた。
綱付山のさらにその奥へは杖立峠があるが山の陰になって見えない。
杖立峠からは6年半ほど前に歩いたことのあるゆるゆるとした尾根が続き、正善山さらにその奥の権現山、城の丸へと至る。

八面山から綱付山へは直線距離にしておおよそ3km、杖立峠までは同じく5km、沿面距離にすればそれぞれに大雑把に4kmと6kmほどありそうだ。
出来れば杖立峠まで歩き太合へ下ってみたいと思ったが、日の短いこの時期、鈍足なことからも綱付山までが精一杯と考えた。
奥大野登山口から八面山山頂まで2時間、綱付山まで2時間プラス休憩30分、綱付山から下山口までが2時間でトータル所要時間6時間30分はかかりそうで、仮にロスタイム含めても7時間から7時間半ほどだろうか。
下山口は当初犬石峠としたが、国土地理院の地図には1191mピークと犬石峠の中間どころの尾根で三角錐に飛び出た登山道があって、その真上に送電線が描かれていた。
その送電線は北西にあるハメ石谷の車道へと下っていた。
送電線鉄塔に付きものの鉄塔保線路が車道から尾根へと、この付近につけられている可能性が高い。
もし、保線路がなくても西へ派生する枝尾根を適当に下れば車道にハメ石谷南の車道に降りられる。

今年は暖冬でさぬきの平野部にはまだ一度も雪は降っていない。
山間部も極端に積雪が少なく、相当な高所でやっとこさ霧氷が見られる程度、足元の積雪は3~4cmあるかないか。
着用することはないと思われたが、念のために簡易アイゼンをザックに入れて出かけることにした。



この日は平野部で最低気温1度、最高気温5度の予報。
寒い日は布団離れが悪く、目覚ましが鳴っても止めては寝る。
行くのを止めようかとさえ思う。
妻は私以外の人たちと出かけるときは、目覚ましが鳴らなくともサっと起きて、すっとんで出かけるが、わたしと行くときは布団を頭から被ったままいつまでも起きようとしない。

目覚ましが鳴って20分後、仕方なさそうにしてモゾモゾっと布団から頭を突き出し、衣服エイヤッとひっつかんでストーブの前へ飛んでいく。
自宅出発予定は6時、実際に出発したのは6時半、このロスタイムは想定内の日常茶飯事な出来事。
子どものころからの変わらない習慣で、親から学校遅れるでと布団の上から頭をどつかれても起きないというバカでイヤな子だった。
わたしの頑固で愚かな劣等感はふつふつと樽の底から泡立ち醸成され、いつの間にかアルコール純度100%の萌え萌え焼酎みたいな人間に育った。

そんな人間がある日山にのめり込むようになった。
それまで泡立っていた劣等感とそれによって醸成されたくだらない反抗心は山に登る数と正比例して癒されていった。
年月が経ち、いまではすっかりただの爺さんで、庭の片隅にでもころがっているカビの生えたタワシとかわらない。
そんなカビタワシは今日も妻と連れ立って、気温1度の猪鼻峠を越えて貞光へ行き、貞光から438号線を走り途中から県道260号線川又、木屋平方面へ。
260号線は一段と細くくねっている。

ハメ石谷まで走り谷を過ぎたカーブのところでいったん停車し、上空に架設された送電線の位置方向を確認、そこから左手山側に鉄塔保線路がないかどうか目視で確かめながら犬石峠方面へ車を走らす。
谷に架かった橋のところからほんの100mほどのところに鉄塔保線路を示す四国電力の小さなアングルが設置されており、保線路が斜面上へと延びているのが判った。
アングルは上部先端が赤いペンキで施され、胴の白いところには134と135の鉄塔番号を示す数字があり、矢印は134は上向き、135は下向きにそれぞれの方向を指していた。

下山口をここと決め、車を近くの広い路肩にデポ。
とって返して林道の奥まったところにある標高850mの八面山奥大野登山口へ。
そこにはつぶれた小屋があり、赤さびたドラム缶が3つ4つ転がっている。
八面山まで2km、9:14スタート。
積雪はなく、山肌はほんのわずかに降った雪がうっすら残っている。
まるで化粧乗りの悪い肌荒れしたばあさんの白粉のような顔をした景色だ。




途中、天然記念物の赤松への道があったが無視。
突然左足膝に痛みが走った。
原因は11月に自転車で転倒して切った十字靭帯で、膝へのちょっとした角度と力の入れ具合によって、激しい痛みが伴い動かなくなる。
持ち上げようとしたが震えが起き、うずくまってしまった。
手で左足を押さえ、痛みと震えが治まるのを待った。




5分ほどで歩行再開、もう大丈夫。
登山口から30分弱のところで鉄塔に到着。
鉄塔Noは139番、ハメ石谷の保線路に表示されていた135番鉄塔の続きに位置している。
そこからは景色が開け、北東には八面山から綱付山へと続く尾根が見え、東には保賀山峠南にある1191m峰が聳え、南には赤帽子山から丸笹山へと続く山々(写真)が連なっている。
上空には薄い雲が覆っているが、青空が透け、光が分散し山を浮き上がらせている。




山頂まであと1kmの道標のところからは、標高1217.8m(三角点・大佐古)から東へと続く尾根をトラバース気味に歩く。
積雪時のトラバース道はわかりにく、歩くのに注意を要するが、今日はその心配もなく、前を歩く妻も汗が出るのか一枚脱いだ。




トラバースが終わり馬酔木の道を抜けると、前方に崖が見え、その奥には八面山の頂。
九藤中への分岐を過ぎ、鳥居をくぐって八面神社に到着。
拝殿の右にある小屋、内には囲炉裏があったので休憩所のようでしたが、その右手から裏へ回ってみた。
うっすらと踏み跡がトラバース気味に続いている。
地図に描かれている八面山山頂を南に巻いて綱付山へと進む破線の道と思われたが、きわめて薄く、その様子からも近年使われていないのではないかと思った。
地図では八面山山頂のすぐ南側からも綱付山縦走路への破線が描かれているので、後ほどそちらも確かめてみよう。




拝殿の右側から山頂へと登る。
山頂の手前のところで右への踏み跡があったのでそちらへ進むと小さな祠があった。
GPSで位置を確かめたところ、どうやらここが綱付山縦走路への道らしいのだが、ここから先には踏み跡はない。
元へ戻って、10:54、山頂に到着。
昨年12月に登ってまなし、その時と比べて足元に申し訳程度の雪があって、ほんの少しだけ景色が異なっている。
山頂にはナツツバキの樹などもあり、一度季節をたがえて来てみたいものです。




二等三角点のある山頂からの景色は、周りの樹木が幾分伐採されたこともあって開けている。
東にはこれから行く綱付山が一本の背の高い木の向こうになだらかな山容を見せており、その左奥に正善山、すぐの左奥には尖がった東宮山、そしてさらに左奥にはこれも尖がった焼山寺山が聳えている。
綱付山の右奥には勝浦三山のうち二つの雲早山と高城山が聳えていた。




高城山から南には天神丸とその稜線が横たわっている。
手前右手には赤帽子山への尾根があって、グッと左手前(一番手前の一つ奥)にはこれから歩くだろうと思われる保賀山峠と1191m峰がある。
1191m峰の中腹には送電線鉄塔の白く尖ったアングルが小さくかすんで見えた。




西には津志嶽方面の山並。




もう一度東を振り返って、画面真ん中に正善山とその左奥東宮山、さらに左奥にある焼山寺山をズームアップ。




山頂でバナナを一本齧った後、北(檜の丸)方向へ歩き、小さなコブから尾根を滑り降りるようにして縦走路へ向かう。
途中で何度か立ち止まり、八面神社からの巻道がないかと目を凝らしてみたが踏み跡は見当たらなかった。
唯一、それらしきところを写真に撮ってみたが、もし地図上に載っている破線を辿るとしても、適当に歩くしかなさそうでした。




急斜面が終わり緩やかになると、ホッとしますが、左植林、右自然林のいい尾根が続いています。
降り立った鞍部には平成九年に面積測量した折の杭が立ってました。




雪に残されたうさぎの足跡が木漏れ日の中をピョンピョンと続く。
北方向に景色が開けた。
先月歩いた檜の丸の山並が見えており、右下眼下には内田谷川から穴吹川への深い渓谷があって、ところどころに集落が見える。
写真は割愛したが、内田谷川の突き当りには半平山があり、その奥には高越山が聳えている。
吉野川も小さく写っているようだ。




鞍部から次のピークへの登り返しの途中標高おおよそ1210m、時刻は11:53、岩場に差し掛かった。
上へは少し危険だと感じた。
妻は右へ回り込めば行けそうだというが、だいぶ下を迂回しないといけないようだ。
左へ回り込んだ。
少し進んだところで前方の木の枝にピンクのテープが取りつけられているのが見えた。
いったん下って尾根へと上り詰め、今度は右へと巻いた。




後ろを振り返り、妻を入れて撮った写真がこれです。
その岩場を過ぎると、あとは普通の尾根、なんなくない。




12:09、おおよそ1250mのピークに立つ。
ここで食事休憩とした。
南への眺望が得られ、赤帽子山のなだらかな山頂の右奥に剣山と次郎笈、手前右手に丸笹山がくっきり。
昨夜スーパーで買ったサンドウィッチと牛乳で食事を済ますが、山で飲む牛乳は格別に美味しい。




休憩ポイントの1250mから下った鞍部のところからはいよいよ歩きよい尾根になった。
たぶん防火帯なんでしょう。




アニマルトラック発見。
たぶん、カモシカの足跡。
左手遠くに吉野川。




12:53、保賀山峠への分岐地点から500m手前のところで綱付山方向からの林道と合流。
またまた小さなアニマルトラックに遭遇。
小さな穴に向かって一直線についてましたが、またその穴から出て違う方向へチョンチョン。
リスによく似た足跡ですが、リスより少し小さい、ネズミではない。
ひょっとしてヤマネかなと思ったが、ヤマネはこの時期には冬眠をしていて、雪の上には足跡は残さない。
この小さなかわいい足跡はクエスチョンマーク五つ物です。




その後、林道を歩いたり、防火帯を歩いたりしながら、ようやく前方に綱付山が見えてきた。
林道を離れ、綱付山への山道を登る。
林道は綱付山の左斜面へと延びていますが、これは先々で杖立峠からの林道と繋がっているのかもしれません。




山頂直前で樹幹越しに見えた檜の丸。




後方を振り返ると、八面山。
ここから見ると八面山からの縦走路への下り尾根がかなりきつい斜面であることがよくわかります。
ましてや八面神社からのトラバース道斜面はどぎつ過ぎます。




13:33、待望の山頂に到着。
展望もなくなんの変哲もない平らな山頂ですが、初めての山っていうのはやはりひとしおです。
早速、もう一つの目的の、以前に在ったという高越山ー石立山縦走記念の杭を探してみましたが、三角点周りにはありませんでした。
残念ながらその杭は古くて朽ちてしまったのかも…。

ホットコーヒーを飲み一休みしたあと、山頂を背にして、元来た道を引き返します。
山頂から13分の位置の樹には、一本の赤テープが施されており、木の又に道標が挟まれていた。
東に綱付山、西に八面山、そして南に赤帽子山と記されている。




踏み跡は薄かったが迷わず南の尾根へ踏み込む。
下った最初の鞍部が保賀山峠。
東(左)へ下れば太合谷の西に走る県道260号線へと降り立つことができるが、ここは直進し尾根を登る。
妻は少し疲れたのか、しきりと、なんで登らないかんの!
また登るん?
文句たらたら、たらこ口をますます尖がらす。
おばはんのたらこ口はちっともかわいくない!
植林の杉の木には、持ち主の名前を書いたいくつもの木札が括り付けられていた。
1191m峰を含めて4つのコブを越えただろうか、四つ目の小さなコブでは尾根を直進せず、西に向きを取る。




少し下ったところで目的の四国電力阿南幹線鉄塔の下の広場に出た。
鉄塔Noは133番。
北北西斜面下には134番鉄塔が見え、その奥には今まで歩いてきた八面山ー綱付山間の稜線がご苦労さんと言っているように聞こえた。
年寄りになると幻聴が激しい。




260号線木屋平中野線へと下りる鉄塔保線路を探したが、杭はなくちょっと目にはわからない。
うろきょろした結果、伐採地に向かって下っているその保線路がみつかった。
少し下ったところでみつけた杭。




伐採地を下って、下から133番鉄塔方向を仰ぎ見る。
134番鉄塔を示す杭があったが、それによると134番へは行って帰って来いの杭だったので、そのまま135番杭方向へと下る。
風景は相変わらず砂糖をまぶしたようなだんだら粉雪模様。




沢に架かる小さな橋があった。
滑らないよう用心しながら渡った。
その直後、橋を渡り終えた妻が次の小さな沢で雑巾を割くような悲鳴を上げながら、沢床のぬめぬめした岩の上をころころ転がってゆく。

ダイジョーブかー!
イタイ!
ダイジョーブダー、クッション材はターンとついている。
イターイ!
全然、ダイジョーブね、慰めてあげた。
それよりカメラはどうなのよ、心配だわ。




15:48、ほぼ予定通りの時刻に車道に降り立つ。
すぐ上に止めてあった車に乗り込み、奥大野へと走らせた。

綱付山、早田健治さん著「四国の1000m峰」によると、伝説ではかつて、杖立峠一帯の稜線は海、つなつけの名は、船をつなぐ杭に由来するといわれていると記されていた。
真偽のほどはともかく、伝説というものは面白いものです。

妻は帰宅してしばらくは、打ったわき腹が痛んでいたらしい。




奥大野登山口9:14-No139鉄塔9:42-分岐10:29-八面神社10:36-10:54八面山山頂11:10-岩場11:53-12:06標高おおよそ1250mP12:25ー分岐付近通過13:14ー13:33綱付山山頂13:53ー分岐14:06-保賀山峠14:19ー1191mP14:40ーNo133鉄塔15:10-沢15:35-15:48下山口(車道)


グーグルマップ(登山口などの位置がわかる地図)→こちら
ルートラボ(距離や時間が把握しやすい地図)→こちら

コメント (24)
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檜ノ丸ー八面山…徳島県

2015-12-28 | その他<徳島の山>

檜ノ丸、八面山          ひのきのまる、やつらさん


山行日              2015年12月22日
標高               1168m、1312.5m
登山口              つるぎ町一宇上剪宇
下山口                 同上 九藤中
駐車場              なし(林道広い路肩)
トイレ              なし
水場               九藤中川上流沢(標高おおよそ800m)
メンバー             ピオーネ、むらくも




一昔も二昔も前には、ブリタニカとか平凡社とかの世界百科事典と言って、全20うん巻20うん万円とか、ものすごい値段で買って、応接室の本棚に飾ってた。
それが当時のステータスシンボル的な、家族に向かって、あるいはときおり訪れる知人や親せきに対して、わしは知性があってピカピカ輝いててどや出世したやろみたいなことをやっていた。
ところが、そんな時代は過去の化石&遺物化してしまい、パソコンかスマホ一つあればどんなことも調べることができてしまう。
百科事典に載ってないことまで調べることができ、動画や画像が瞬時にみられたり、ありとあらゆる音楽を聴くこともできるようになった。
かくしてニキビ面の若者の部屋や殿方の寝室からエロ本がなくなり、いつのまにか白いポストが街角の隅から消えていった。
ひと頃原爆の作り方なんていうのもあったりで、世界中に衝撃が走ったこともあった。

温泉に行きたいともなれば、交通手段からそこへのアクセス、距離、時間、宿泊施設、当日のお天気、アルカリ温泉はヌルヌルでやれ美肌効果満点、酸性質の温泉はさらっさらで傷や化膿にいいだとか、海傍の夕陽大展望露天風呂に山の中の紅葉絶景温泉だとか、料理は新鮮ぴちぴちのイカスミぴゅっぴゅっ料理か山菜&きのこ鍋&イノシシぶひぶひ料理でどっちやみたいな、なんでもわかってしまう。
とにかく便利だが、落とし穴もある。
なんでもかんでも事前に調べてしまうと、結局はマニュアル化してしまい、時間にせかされて面白みもなんもなくなってしまって味気ないこと。
ある日突然にぶらーりと行って、無計画に無頓着に好きなところを風テンの寅さんのようにということができない。
山も同じようなもので、事細かくわかってしまうとさっぱり面白くない。

昨年、ちまちま隊のメンバーで「黒岩ー茶せんぎー友内山ー毘沙門岳」の稜線を歩いたとき、毘沙門岳から剪宇峠への下りで眺めた「檜ノ丸ー八面山」へと続く尾根筋が凸凹の激しい様相をしており、気になっていた。
同行していたアンジーパパさんからは、アップダウンが厳しくて、迷いやすい稜線だと聞いていた。
妻も長らく気に留めていたようで、12月に入って珍しく妻からこの稜線歩きの話を持ち出してきた。
八面山へは何度か訪れているが、いずれも奥大野もしくは大佐古から登っていて、剪宇峠からも九藤中も歩いたことはない。
下調べはせずに、2万5千図だけプリントアウトしていくことにした。



国土地理院地図には今回もっとも気になっていた檜ノ丸の山名が載ってなく、どのピークがそうなのかそれも把握せずに出かけた。
早朝4時半起床、6時前観音寺の自宅を出発。
このくらいの時刻に家を出れば、日が暮れる前には下山できるんでないかというザッパ過ぎる出発。
川霧が少し漂っていたが、猪鼻トンネルでは気温5度、この時期としては暖かい。

貞光から国道438号線を剣山方面に走り、岩戸を過ぎ久藪集落への赤い大鳥居のある変則四つ角を伊良原方面へと左に折れる。
ほんの少し走ったところで四つ角があって、その付近の広い路肩に車を一台デポ。
因みにこの四つ角を左に行くと大野の集落、右にとると伊良原集落、直進すると九藤中川を遡り林道は行止まるが、そこが八面山への登山口となっている。
引き返し国道438号線を貞光方向に走り、岩戸温泉を過ぎたところで剪宇方向に右折し県道259号線をくねくねと上っていく。
下剪宇を過ぎ、上剪宇の青い屋根の薬師堂を過ぎてダート道に入ったほんの少し先のところで山手側に剪宇峠への登山口(道標あり)がある。
259号線からさらに延伸するその未舗装の林道は、地理院地図には載ってはいないが、剪宇峠から檜ノ丸への稜線西側中腹に沿ってかなり奥まで伸びているようだ。

先日降った雪はこのところの暖かさで消えてない。
8:16、登山口道標のあるところからスタートした。
すぐに道は右と左に分かれるが、剪宇峠への直登は右、しかし、ここは敢えて左へと上った。
作業道左側の伐採地には気の早いミツマタの白い花がたくさん咲いていた。




後ろを振り返ると、標高1073・4mの志貴岳の左中腹に赤松集落が見え、その後方に火打山への尾根筋がくっきり。
志貴岳には昨年の春に登り、そのすぐ西稜線上にある焼堂峠へは丁度2年前の12月に歩いている。
その尾根筋を眺めながら思い出してみるが、脳裏には断片的な景色しか浮かんでこない。
記憶力の悪いわたしだけかもしれないが、薄れゆく記憶の早いこと。




20分ほどで稜線に乗ったが、右に進むべきところを左の毘沙門岳方向へと歩いてしまった。
毘沙門岳へ寄ってみたい気もしたが、今日は冬至で一年のなかで日が一番短くて、八面山までどれほどの時間がかかるかを把握していない。
慌てて南へ引き返す。

これから歩く1078mピークの尖がり頭が見え、その先の稜線はここからはわずかしか見えていないが、なんとなく多くのアップダウンが待ち構えていそうな雰囲気。
足元には季節外れのスミレがちらほら。




8:53、見覚えのある剪宇峠に到着。
昭和48年(1973年)5月26日、この峠付近で長さ10m、直径30cmはあろうかという大蛇発見したことがマスコミを賑わした。
探検隊が編成され、付近で捜査した結果、40cmもの太さのなにかが這った痕跡があったという。
峠には、北側に大きな杉の木の根元には二体の太子像が祠に安置され、南側の木の根元には小さなお地蔵さんとその傍に手水鉢が置かれていたが、辺りはシンと静まりかえり鳥の鳴き声さえ聞こえない。




急登が始まり汗が噴き出す。
上着を脱ぎ、シャツ姿になる。
標高おおよそ980m、「剪宇の赤松」という標識があった。




赤松を見上げる。
空は青く快晴だ。
なおも急登が続く。




1078mピークに達し下りに差し掛かるが、前方右下方から話し声が聞こえてきた。
声のする方向が稜線からではないので不思議に思ったところ、そこは伐採地で下方向に林道が走っている。




40mほど下って下を覗いてみると重機が三台、何人かが作業をしていた。
30mほど登り返して小さな鞍部に、そこからは岩のやせ尾根になり、一か所難儀なところに差し掛かった。
さして大きな岩ではなかったのだが、前方に下っており細長くてステップがない。
なんとか乗り切った。
後ろから来た妻がその岩場で立ち往生してしまった。
180度の大股開き、そのままの姿勢で前にも後ろにも動きがとれなくなった。
うんうん唸り、必死の形相、あんなにおとろしい顔初めて見た。
修験道の開祖である役小角が従えていたとされる夫婦で、前鬼・後鬼(ぜんき・ごき)という鬼がいたそうだが、前鬼が夫で後鬼がその妻。
写真で見たその後鬼さんそっくりでした。

体を支えてやり、手で足を握り、安定した置き場へ誘導した。




岩場は乗り切ったかなと一安心と思ってたら、今度は見上げるように大きな岩が立ちふさがった。
左右ともに迂回するにはどうかなと思うようなかなりの急斜面。
直進しようかどうしようか迷いながら妻の顔色を見ると、妻はなんとか行けそうやと言う。
岩の隙間から木が生えているので、それをつかみながら登れないことはないが止めた。
わたしは3週間前に自転車で転倒し左足関節を強打、後部十字靭帯断裂で、膝がカクカクして力が入らない状態。
妻にも危険なことはさせられない。




急斜面だったが比較的安全な右方向へ一旦下りながら岩場を巻いた。
再び尾根に戻ったところには小さな祠があって、小さな鳥居が中に安置されていた。
標高1110mちょい、檜ノ丸大権現さんだった。




それからは一転して岩場のない比較的なだらかな稜線歩きとなった。
妻は安心したこともあってか、股が筋肉痛やと訴えだした。
岩場で思い切り股開きをしたときの痛みなんだろうけど、普段のストレッチ不足で体が硬い。
わたしより足が長いはずなんだけどね、あら不思議?

ワイヤーがとぐろを巻いて日向ぼっこをしているし、前方には形のいいピークが見えているし、あれが八面山だろうか、いや、あの後ろかもしれない。
後方は剣山?
景色を眺め思いを巡らせる。




南西方向に白い頂、三嶺です。
その左は三嶺からの尾根続きのように写真では見えるが、塔ノ丸のようでした。




西には矢筈山があって、手前に津志嶽、そしてこの位置からは黒笠山は矢筈山の左手に位置しているようです。
そして、斜面下を見ると、林道がここまで延びてきている。
写真を撮っている位置は標高おおよそ1140m、檜ノ丸山頂の少し手前の稜線上だ。
この林道はおそらく剪宇峠への登山口までつながっているだろうから、危険な状態から逃げようと思えばいつでも逃げられる。




ピンクのテープや境界杭がにぎやかです。
二段巻きテープの下方にもテープがあるということは、ここから林道へ降りられるという目印でしょうか?




11:15、標高1186m、檜ノ丸山頂に到着。
行程は登山口から3時間、まだ八面山へは半分の位置、八面山には14時頃になるが、山頂から九藤中へは2時間から2時間半と計算して、下山は16時過ぎ~17時の間、日没までにはなんとか下りられそう。
このまま前進することにしよう。




おなじみの境界見出標があって、初めて目にする五段巻きテープ。
五段巻き?
どんな意味があるんでしょうか?




檜ノ丸手前辺りからブナの木が目立ちはじめたが、カラマツ林も続いており、秋になれば見事な黄葉を見ることができるのではないかと思った。
足元にはカラマツの落ち葉が敷き詰められていて、清楚な印象でした。




突然歩きにくくなった。
どういうわけか尾根辺りはは背の低い灌木だけが伐採されていて、積み重なり行く手を阻む。
だいぶ長いこと続いたが、1190mPの次にある小さなコブを越え、八面山に近づいたところでやっと落ち着き、歩きよくなった。、




13:38、八面山山頂に到着。
遅まきながらここでお昼御飯です。
途中でバナナ休憩をしたり、小腹を起こしながら歩いたので、あまり空いてなく、パンと牛乳で済ませた。
妻は少し疲れた容子で、小さなカップ麺にお湯を注いで準備したが、あわてて食べるもんだから、麺に芯が残ってたようだ。




山頂からの展望は以前来たときより周りの樹木が伐採されており、よく見える。
こちらは南方向なのでたぶん赤帽子山とその奥は一ノ森でないかと思うのですが、当たってるかどうか?




こちらは南東方向、目視したときは雨量レーダードームが見えたので高城山だと思ったのだが、写真を見るとそれらしきものが写っていない。
まだ歩いたことのない綱付山はもう少し左に見えていたのがそうなんだろう。




西には矢筈山、黒笠山。
14:02、下山開始。




八面神社へ下る途中にあるブナの大木。
3mは優に超えている。
3年半ぶりの八面神社へお詣り。




境内に低く張られた索道をくぐって、九藤中と奥大野の道への分岐へ。
道標には奥大野へ1.55km、九藤中へ2.7kmと記されていた。




杉林の尾根筋を下るが途中に杉の根っこに小さな祠があって、やがて右岸から左岸へ渡渉する地点に着いた。
分岐からここまで足の疲れもあって休み休みしながら50分かかった。
地理院地図では九藤中への破線の道は谷筋に描かれているが、後日にログで歩いたルートを確かめると、尾根筋を歩いている。
そこからさらに10分ほどでもう一度左岸から右岸へ渡渉をするが両方とも橋はなく、踏み跡が明瞭ではないので注意を要する。




沢を渡ってすぐに石垣が現れ、九藤中へ1.15kmと記した道標が立っていた。




やがて九藤中集落の建物が現れ、鹿除けネットの中の道を歩くと…。




整備された畑と民家が見えてくる。
道標に従って下るが、途中で右方向に折れ、モノレールのある民家の前をとおり…。
道標には九藤中林道へ0.45kmと記されている。




レールに沿ってどんどん下っていく。




レール道は450mを過ぎてると思うのにいつまでも延々と続く。




おかしいな~と思いながらもどんどん下っていくとやがてモノレール終点(この場合は始点だろうか?)
先ほど記されていた0.45km先の九藤中林道はここではなさそうで、もっと手前らしい。
道標からここまで歩いた時間が26分も…。
450mの歩きよい下り道はいくらなんでも26分はかからない。
どうやら他に道があったようで、わたしたちは間違ってしまった。




堰堤のある林道を下って、16:21、駐車地点に戻ってきました。
8時間ほどの歩きでしたが、今日は少し疲れました。
急いで剪宇峠登山口へ行き、車を回収。

今日は冬至、岩戸温泉か木綿麻温泉のどちらかに入るつもりで来たのですが、どちらもパス。
自宅のお風呂にユズを三個浮かべた。
いい香りが漂うお風呂で今日一日の山行を振り返えりつつ、「365日の紙飛行機」を口ずさむ。

人生は紙飛行機
願い乗せて飛んでいくよ
風の中を力の限り
ただ進むだけ
その距離を競うより
どう飛んだか
どこを飛んだのか
それが一番大切なんだ
さあ、心のままに
365日
飛んで行け
飛んでみよう

気持ちいい~♪
さあ、次の山に飛んでいこうっ!




上剪宇登山口8:16-剪宇峠8:53-剪宇の赤松9:19ー岩尾根10:19ー檜ノ丸大権現祠10:50ー檜ノ丸11:15ー1190mP12:46ー13:38八面山14:02ー分岐14:19-第一渡渉地点15:07-第二渡渉地点15:18-九藤中(モノレール始点)15:47-モノレール終点(林道)16:12-16:21九藤中川駐車地点


グーグルマップ(登山口などの位置がわかりやすい地図)→こちら
ルートラボ(距離や時間が把握しやすい地図)→こちら

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黒岩-茶せんぎ-友内山-毘沙門岳…徳島県

2014-11-20 | その他<徳島の山>

黒岩、茶せんぎ、友内山、毘沙門岳   くろいわ、ちゃせんぎ、ともうちやま、びしゃもんだけ



山行日                2014年11月16日
標高                 854m、891m、1073.2m、978.3m
取りつき地点             美馬郡つるぎ町家賀道上、県道255線奥
下山地点               美馬郡つるぎ町一宇剪宇、県道259号線奥
駐車場                なし(道沿い広い路肩)
トイレ                なし
水場                 なし
メンバ-               アンジ-パパさん、坊主さん、ピオ-ネ、むらくも




今年は例年になく随分と紅葉狩りを楽しむことが出来た。
この時期、南アルプスの仙丈ヶ岳に始まってその後四国の山を8座歩いた。
特に印象に残ったのは仙丈ヶ岳の他には大座礼山北西尾根と塔ノ丸北斜面。
行くところ行くところで素晴らしい紅葉が待ち受けていて、柳の下にドジョウが三匹でした。

等圧線の間隔が積んだ低気圧が上空を覆い、木枯らしが吹いたがそれも去り、寒気をともなった高気圧が近づいてきた。
前日には高所で雪が舞いお山は白くなった。
アンジ-パパさんと坊主さん、それぞれに連絡を取り合いながら気の早い忘年会登山を計画していたが、この高気圧が西日本を覆ったことを受けて出かけることにした。



ザックには念のために薄手のダウンや手袋を入れ、その上にはコンロや鍋などを乗せた。
まるでテント泊にでも出かけるようにザックは膨れあがり、大袈裟な姿だったが、見かけほどには重量はなく、せいぜい10kgあるかないかだった。
午前5時過ぎに、近くに流れる川に鴨たちが集まっているが、ときおりグエッグエッという鳴き声を聞きながら妻と二人自宅を出発。

高速の割引制度が変わってからは、できるかぎり平道を走るようになった。
普段、島の貞光へ行くには井川池田ICから美馬ICまで高速を利用して1時間掛かっていた。
平道を走るようになって気がついたのだが、高速を利用しなくとも所要時間は1時間ちょいとあまり変わらない。
高速を利用すると早く着くことができるという間違った観念で、これまでひたすら決して安くはない料金を支払い続けていたのです。
人間て馬鹿ですね、いやそれともわたしだけ?
途中の猪ノ鼻トンネル付近の気温は3度、この時期にしては随分と冷え込んでいた。

午前6時過ぎ、貞光道の駅「ゆうゆう館」で4人が落ち合い、朝のご挨拶、道の駅では泊まり込みの車が結構駐車していて、寝ておられる方たちも。
二人ずつ二台に分乗し剪宇へ。
一台を島県道259号線の奥地路肩にデポし、引き返すようにして国道438号線から島県道255号線<端山調子野線>へ入り、日本原風景の趣のある家賀道上からさらに登って奥地の峠路肩に止めた。
頭上には<川見・三木枋>の道路標識が逆光で眩しい。
木綿麻温泉方面への川見・三木枋へ下る道は舗装されていたが、駐車する前に調子野方面への道と思われた左ダ-ト道に入り込んだが行き止まりだった。




ザックを背負って稜線方向に、三本あるうちの真ん中のダ-ト道を歩いた。
直ぐにそれは左右に分岐していたので、右の山道へと入った。

※後日にわかったことなのですが、この右への山道のログを確かめたところ、グ-グルマップやYAHOO地図での県道255号線真上を歩いていたのです。
まさか、車は通れず人と動物しか歩けないあんな山道が県道だとは驚き、正直、なにかの間違いではないかと思いました。




天気予報では午前中曇りだったが、青空が広がった。
気持ちのよい山道からはところどころで右手に景色が垣間見え、松の梢からは貞光川の対岸上辺りの山裾に横野もしくは吉良の集落が見えている。




駐車地点から歩くこと10分ほどで、目的の稜線に乗った。
木の幹にはところどころにテ-プが施されているが林業関係の方たちが残されたテ-プと思われるピンクだった。
辺りは杉の植林地、よく踏み込まれた山道で掘り割りのように掘れこみ窪んでいたが、次第に自然林に替わり、松の木が多くて、足元には松葉独特の清潔ですぐに燃えそうな落ち葉がほっこり積もっていた。




細尾根や黄葉したシロモジの林床を抜け、稜線はやがて急登になる。
9:08、854mピ-クに到着、そこには小さな木の板で作られた山頂標識が幹に括られていて、黒岩と記されていた。
あまり歩かれていないこの稜線のピ-クには、山名などないものと思っていただけに意外な気がした。
一息入れて喉を潤す。




黒岩という山名から、この山頂付近には黒っぽい大きな岩が存在するのかも知れない。
遠くからこの稜線を眺めてみたいと思った。
ただ、東から眺めるか西から望むか、それが問題で、西だと志貴岳、東だと半平山になる。
黒岩を過ぎるとところどころで紅葉が現れる。
頭上からふりそそぐ暖かい日差しを体中に浴びながら下って、後ろを振り返ると、斜面一面が紅葉の黒岩の姿が映った。




またまた急登に差し掛かった。
黒岩から一旦下って登り返すその標高差はおおよそ80mほどなのだが、急斜面だけにきつい。
登りきったピ-クにはここにも黒岩と同じ小さな板の山頂標識があって、茶せんぎと記されている。
帰宅して茶せんぎをネット検索に掛けてみたが、出てこない。
珍しい山名だけに由来が気になったが、わからないものはわからないので仕方がない。
坊主さんは愛知県に茶筅木という地名があると教えてくれた。
直接間接問わず多少の因果関係があるのかもしれない。




シロモジや倒木のある急斜面を跨いだり潜ったりしながら下った。
鞍部から再び登りに差し掛かったところで羽根のちらばった捕食の跡があった。
羽根の一枚一枚は相当に長く大きい。
フクロウかミミズクかの猛禽類の鳥の羽根模様だと思った。
妻に一部小さな温かそうな羽を拾ってもらってカメラを向けた。
帰宅して調べてみたが、ミミズクともフクロウとも少し違う、鷹の羽根模様により似ていたが、真偽の程はわからない。




小さなコブを何度か登ったり下ったり、どれも急斜面できつく、ボデ-ブロ-のようにジワリッと足に堪えてくる。
アンジ-パパさんも坊主さんも冗談を連発するが、こちとら笑えない、苦しい。
妻はきついといいながらもヘラヘラと笑いながら後ろから平然と着いてくる。
なんなんだこいつら。




またまた急登になるが、アンジ-パパさんも坊主さんも後ろからケツをグイグイつっついてくる。
わしゃ、しんどいが-。
東方面にはこのときにはどこの山かわからなかったのですが、後日調べてみると高越山や奥野々山、その南には半平山の稜線が見えていた。
そして北には大滝山などの阿讃山脈のようでした。




11:06、三等三角点のある友内山山頂に立つ。
傍にある友内神社奥宮にお詣り。




トタン屋根のあるちょっとした展望のある休憩所の傍にはこの山の万葉集で読まれている木綿間山はじめ山名七つが記されている。
屋根の下で大休止。
早速ザックから道具と材料を引っ張り出して、気の早い4人だけの忘年会。
うんだら話しとともに、いい匂いの煙が山頂に立ち込めて、それまでうんと静かだった山懐からシカの間の長い鳴き声が聞こえてきた。




ときおり景色を眺めながらゆるやかな時間を楽しむ。




景色は西に開け、鋭く尖って見える矢筈山から黒笠山の稜線を望むことができ、昨日来の雪で頂上辺りの稜線は斑白い。




三嶺や塔ノ丸とその東中腹にスキ-場が白く光っていた。




1時間半もの長い宴会ののち、友内山を後にした。
南東へと尾根を下るが、やや開けた迷い易い尾根の左に中腹を巻くように踏み跡があり、そこには今日初めて見る山みちと記された小さな道標が木の枝にぶら下がっていた。
その道標に従って進む。




一旦植林地の尾根になるが、すぐに自然林に替わり、紅葉のまっただ中へ突入。
ここで思いも掛けぬカラマツの林に出合った。
見事に黄葉している。




4人が4人ともしばし口あんぐり歩き。




この時ばかりはプロ級のカメラマンになった気持だ。




この標高では紅葉などもう終わってるとばかりに思ってたので、まさかの出合です。




しかも、広葉樹林だけでなく所によっては一面のカラマツ樹林帯です。
日が差し込むフカフカの落ち葉。




おおよそ1060mの小ピ-クでそれまでの南東よりの方向から南西へと向きを変え、1058mピ-クへと進む。
そのピ-クからは東へグッと向きを変えないといけないのだが、なだらかな尾根でどこがピ-クなのかわたしには判らなかった。
おかしいなとどこがピ-クやろなどと呟きながら地図を広げるが、東へ折れる尾根の位置が把握しにくいこともあって、だいぶ行き過ぎてしまったようです。
妻がちょい手前のところで左に開けたところがあったが、方向転換の尾根はそこのようだったと言う。
引き返そうとしたが、アンジ-パパさんと坊主さんが、このまま東へ下って正規の尾根に登り返そうと口を揃えてのたまわった。
多勢に無勢、おとなしく従った。
わたし、気が弱いのです。
谷へと下った。




適当な位置で尾根に登り返した。
するとそこには幹に赤テ-プが施されており、地形的にも間違いなく友内山から剪宇峠への縦走路であることを示していた。
※みなさん立ち止まって、真剣に地図とコンパスをこねくり回している。




境界杭もあって、赤い見出し標もあるでよ。




アセビや松林の尾根を下って行くと…。
目の前に大岩が立ちはだかった。
左に踏み跡があったので巻こうとしたが、アンジ-パパさんが大岩をものともせず突進した。
なんじゃいこれしきの岩、行けるぞ!
三人はおとなしくアンジ-パパさんのお尻にくっついて金魚の糞かカイツブリの親子状態でしたわ。
※大岩の下りでへなへなとへたり込む妻と、その隣で凛々しく立つアンジ-パパさん。




13:59、中谷峠に到着。
そこには古い石の道標が埋設されていた。
右なんたら、左そんたら、なんたら何年八月吉日そんたら、学のないわたし、字が読めない。
そしてはっきりした踏み跡が北方向から延びてきている。
おそらく先ほどの大岩からの巻き道から続いているものだろう。




少し疲れたが、紅葉の自然林に囲まれて、気持ちのよい歩きを続けることができる。
後方を振り返った。
先ほどの1058mピ-クの斜面が紅葉に彩られている。




またまたカラマツの林に突入した。
こんなにも覆いこのカラマツ林は植林だろうか、それとも自然林だろうか?




ときおり地図を眺めるが、毘沙門岳はまだまだ先のようで、コ-ヒ-タイムをどこでとるかが4人の話題の重点項目になった。
ずんやり歩いているのでちょっと疲れてきたようだ。
坊主さんが、休息するかどうか迷ったときは、体が要求してるんだから、休んだ方がいいと助け船を出す。
ザックを放り投げて、ヘタリ込み、急いで熱いコ-ヒ-をたてながら、ランチボックスにいっぱい詰め込んできた甘いおやつを片っ端から口にねじ込んだ。
おいしい~ね~(~o~)
再び腰を上げて、アンジ-パパさんを先頭に毘沙門岳を目指す。




15:27、標高978.2m、毘沙門岳山頂とうちゃこ。
三等三角点・遠見鼻が埋設されている。
ここへはかつて北西尾根を使って、坊主さんが山頂を踏んでいるが、あとの三人は初登頂。
キティ山岳会さんとさぬき山好会さんの山頂標識が括りつけられている。
しげしげと南西方向にある津志岳方面の山並みを眺めた。




あの先端が尖った岩場は石鉄蔵王大権現さんだろうか?




東に見えるこの山は火打山のようでした。
ズ-ムを後ろに引くと、石堂山や白滝山が左に見え、火打山の右には風呂塔も見えているはずですが、はっきりと目視はできなかった。




引き返すようにして15:51、剪宇峠を見下ろすことのできる切り開かれた位置へ。
峠から南への稜線はかつてアンジ-パパさんが八面山から峠まで歩いている。
かなり急斜面のコブコブの山並みが続いていた。

下る斜面の途中には野生動物調査中と書かれた監視カメラが設置されていた。
得体の知れないオス三匹とメス一匹の動物がお邪魔虫、写った写真は即ゴミ箱行きだわ。




一宇片川の渓の上には黒笠山などの祖谷山系が逆光で黒く重なり、今夜から崩れるという空に雲が被さっている。
峠までのんびり下る。




陽がだいぶ傾いたが、それでも紅葉が目を惹く。
峠では大きな杉の木の下でいくつかのお地蔵さんが待っていてくれました。




こちらにも大きな杉の木の傍に石の祠と大師さん。
辺りにはお祭りがあったのか一升瓶が何本か転がっていた。
むか-し、ここに長さ10m、胴回り20cmもある大蛇が棲んどるっちゅうことで新聞でもとりあげられ大騒ぎになったとか。
その後、見たものはいない。




剪宇の集落奥へ向かって、どんどん下って行く。
やがて車道が見え、朝止めた車のフロントガラスが落ち行く夕陽に反射して、眩しく光っていた。




初冬の枯れススキ。
16:28、県道259号線車道に降り立ち、西に傾く夕陽と山並みを眺めながら駐車地点まで歩く。




もう誰も住んでいない茅葺きの家。
すっかり、日が暮れました。
これから家賀道上奥へ車の回収です。
初冬の一日いい天気に恵まれて、ゆったりした山歩きができました、お疲れさんでした。




家賀道上255号線奥8:17-稜線8:28-黒岩9:08-茶せんぎ9:35-11:06友内山12:31-中谷峠13:59-毘沙門岳15:27-剪宇峠16:02-剪宇県道259号線16:33==<車移動>==17:20家賀道上255線奥


※左クリック→グ-グルマップへ

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