むらくも

四国の山歩き

甚吉森…徳島県

2012-11-07 | 海部山地

甚吉森               じんきちがもり(じんきちもり)



登山日               2012年11月3日
標高                1423.3m
登山口               那賀町木頭折宇南川林道沿い
駐車場               なし
トイレ               なし
水場                なし

メンバー              ピオーネ、むらくも




「じんきちもり」、それとも「じんきちがもり」どう読んでいいのかよく分からない。
ただ、歴史的に紐解いていくと「甚吉ガ森」と書かれた古い書物があることから後者が正しいのではないかと思われる。
発音がしにくいこともあっていつの頃からか略して「じんきちもり」と呼ぶようになった可能性が高いが、それも比較的最近のことのようだ。

この山は四国百山として、かつて高知新聞社から発行された山の本に掲載されているが、もともとは1985年から1986年(昭和60年~61年)にかけて、同新聞に毎週1回、連載された山の一つ。
その本には甚吉森と称された由来は壇ノ浦の合戦から逃れた平教経が甚吉森のこんもりと木が茂った丸い山を見つけ、「あの森は甚だ吉である。さらば丸山を住居の地と定めよう」と言ったということから名付けられたとか。
本には「甚吉森」と書いてわざわざ「じんきちがもり」とルビを打っている。

教経はその後、奥西川二の谷へ降り、そこにお屋敷を構えたそうだが、ついにこの地で果て手厚く葬られたとか。
屋敷跡が現在、魚梁瀬営林署の造林小屋があるところだといわれている。
その後落人の子孫は世の中が落ち着いた頃に生活に不便なこの地を離れ、下流の中屋敷、さらに下屋敷そして現在の魚梁瀬を永久の住居としたと伝えられている。

平家伝説が色濃く残る甚吉森は標高1400mを超えており、海部山系の盟主と謳われているが、この山に対するわたしの知識は乏しくて、すぐ隣にある千本山から縦走することが出来る山程度にしか思っていなかった。
あらためて標高を確かめると、千本山(1084.4m)より300m以上も高い。




坊主さんから分けて頂いた「徳島250山」の本にはカモシカの住む山として紹介されている。
生きたカモシカにはこれまで一度しかお目にかかったことがない。
このときはお互いにジッと突っ立ったまま、目を合わせてしばらく見つめ合っただけ、鳴き声は聞いていない。
声を聞いたのは先日に坊主さんとご一緒した「滝下の天狗塚」でのことだった。
姿は確認していないが、崖のほうから「ベ~」という鳴き声を三度耳にした。
この鳴き声をもう一度聞きたい、強く思った。

というわけで、徳島の奥深い山ではあったが、AM5:40、ゆっくり目に自宅を出発した。
高知回り、おおよそ2時間で高ノ瀬峡谷への入口を素通りし、さらに195号線を東に走った木頭折宇の那賀川に架かる橋を美那川キャンプ場方向に右折。
キャンプ場を過ぎてしばらくのところでダート道に突入。
なおも南川を遡るようにして走り、トンネルの手前で三叉路に…左へは湯桶・平井林道(湯桶丸登山口)、右のトンネルを抜けてさらに南川林道を遡る。
朝の山肌からは、湯気のように朝霧が立ちのぼっている。

トンネルからおおよそ4km地点で甚吉森登山口の看板があるので、その先20mほどの林道広い路肩に向きを変えて駐車。
時刻は8時40分、自宅から丁度3時間で到着した。

今日はちょっとばかし肌寒い。
ニッカボッカみたいな姿で歩き出す。
すかさず、妻がなにその足元は?
実はズボン下にパッチを履いて、ズボンをたくし上げているだけのことだ。

9:00、駐車地点から少し引き返し、南川へ下り、吊り橋を渡る。




「徳島250山」には定員1名の朽ちた吊り橋と書かれていたが、橋の入口には字の消えかかった木の看板があり、キケンという文字だけが読めた。その横にはなんと書いているんだろうか、気にはなったが読めない。
妻が「あんた、わたしが先に渡るけど、絶対に一緒に乗ったらいかんよ」「ゼッタイにゼッタイやでっ!」
橋はワイヤーでつり下げられたもので、足元の錆び付いたグレーチングからは谷底が見え、真ん中あたりでは烈しくたわんで揺れた。
揺れるには揺れたが妻の吊り上がった目は、橋よりも怖かった。
その妻は、渡り終えて「あ~、怖かった、まんで、かずら橋みたいやったわ」というが、橋の途中でカメラを構えてパチパチ撮ってたので、いつものように口先だけのことなんだろう。




小さなキッコウハグマが登山道脇に数株咲いていた。
4輪ほど咲いていた株を撮ったが、生憎のオオボケ。
小さい花はコンデジではなかなか撮れないし、撮れてもほとんどがピンボケ。
妻の一眼レフは故障中で修理にも出していない。
買って年数がそれほどには経っていないが、最近のカメラはよく壊れるようだ、これで二度同じ個所をやられてる(たぶん基盤だろう)。
修理代、ん万円要るらしい。

後方対面に頂が見えたが、池野高山なのか、それとも猪ノ山谷を挟んだ東の頂なのか?
ミソサザイの地鳴が頭上から聞こえてくる




綴れ折れをジグザグと登るが登山口から30分ほどの左への折れ曲がりのところに、直進方向に沢を跨ぐようにしてロープが施されていた。
しかし、道は明らかに左へ折れ曲がるようにして着いている。
少し躊躇したが左折した。

山道は何カ所もザレていて、やや歩きにくいが、危険というほどのことはなかった。
1時間ほどで道標のあるところに辿り着く。
(右折)
秋の花粉症、クシャミが山にこだまする。




一旦、枝尾根に乗ったかに見えたが、しばらくで尾根を外れ、緩やかな傾斜地を登っていくようになる。
真っ赤なツルリンドウの実。
杉の植林が登山口からズンヤリ続く。

橡の木の大きな葉っぱが、カラカラと音を立てて落ちてくる。




林床にはシロモジの木が目立つ
鳥の鳴き声もなく、生きものの気配はない、シーンと静まりかえり、歩く自分たちの靴音がグツグツと呟く。

道が直角に右折する場所やってきた。
木の枝にはテープが施され、直進方向にも薄い踏み跡が見受けられたが、木の枝でこっちは違うよとでも言いたそうにして塞いでいる。
再び尾根に乗ったようだが、踏み跡は薄く、ところどころに小さなケルンがある。

「ケルンは蹴るんよ」
先日の権田山での駄洒落が頭の中で甦る。
妻が、仙ちゃんはあのとき駄洒落を言いながら本当に足で蹴ったんで~、と繰り返しわたしに話しかける。
杉林の尾根は嫌いではないが、やはり退屈で、二人とも他に適当な話題もなく、楽しかった日々を思い出しながら黙々と歩く。




登山口から2時間、やっと杉の植林帯が途切れて、紅葉した自然林の尾根に出た。
明るい陽差しが林床に差し込み、落ち葉の絨毯で柔らかく足元を包んでくれる。

しかし、稜線にはまだだったようでそれから20分余り歩いて、それまでの南への向きを変え、ようやく西方向へと歩くようになる。
妻が明るい景色に見とれながら、あと3分ほどで山頂よ、と呟いた。




稜線の紅葉はまだ残っているものもあるがほぼ終盤、もう1週間も経たずに落葉してしまう。




ウチワカエデだろうか、傍らにはコウチワカエデもあって、煌めきが眩しい。
山頂に着いた。
そこだけが樹木がない。




三角点があった。
二等三角点、点名・甚吉森、柱石キ損となっている。
甚吉ガ森が甚吉森となったのは、ひょっとしてこの国土地理院の三角点点名の所為かもしれないとこのときふと思った。
点名は地元の方の呼称とはまったく異なった名をつけることがあり、後々にその点名が山頂名に変化したりすることもある。




それにしても見晴らしがいい。
こちらは石立山、後方は天狗塚~三嶺方向。




剣山~天神丸方向。
ジロウギュウをここから眺める形はちょっと変、嫋やかすぎる。




360度の風景を撮ってみた。
こちらは北の剣山系180度一直線の景色。




こちらは南東方向180度、湯桶丸、貧田丸、空気がすっきりしていれば太平洋も見えるようだが、生憎霞んでいる。




渓には高知県側の馬路村魚梁瀬から続く中川林道が山の中腹を這うようにして湯桶丸方向に延びている。
シートを広げてひっくり返った。
青い空には飛行機雲が白い雲に溶け込んでいる。
しばらく眺めていると、何機もの飛行機が時間を置いてはまったく同じ航路を飛んでくる。
大豊へ向かう訓練中の米軍機だろうか?




時刻は12時前、この山以外に他に行く計画もないので、のんびり昼寝でも楽しむつもりだ。
ほんの少しのアルコールでほんわかした気持ちになる。
ちょと散歩に出かけよう。

チチチー、秋だのにツバメが飛んでいる。
南へ渡る途中のツバメたちのようだ。




お~っ!
千本山とその尾根だ。
その奥の山は右に宝蔵山、真ん中奥に稗巳屋山?




こちらは湯桶丸とうお山やお化け杉のある稜線。
その他、高ノ河山・西又山への稜線も…。
歩く歩かないは別として、歩きたくなる稜線がここ甚吉森からは三本も続いている。
奥深い山なので、常に静かだ。




ウロー




キョロー




あまりにも綺麗なので、山頂でズン胴ミナミマグロのような姿で寝ている妻を起こして、西方面の尾根筋をしばらく散歩。
山頂に戻ってコーヒーを一杯。




さーて、帰ることにしよう。

あっ!カモシカの糞かな?
二人で「べ~~、べ~~~」とカモシカの鳴き声を真似しながら降りたが、返事はなかった。
どこかの岩場で昼寝してるんだわ。




綺麗に枝打ちされた杉林。
テープのある曲がり角、そして道標のある曲がり角をそれぞれに左折して…。




何カ所もあるザレ場も通り過ぎ…。




揺れる吊り橋へ。




清流の南川を渡り。




駐車地点へ。

帰りに別府峡温泉でまったり。
さて、夕ご飯をここで済ませて、その前にビールをグビッとと思って食堂へ行ったら、なんと4時過ぎだというのにオーダー・ストップ。
ありゃー、どうして?
どうやら大阪からこられた大型バスでの団体さん(石立山登山)のために、食堂はてんてこ舞いしているらしい。
あれま、せっかく、シカ刺しとシカバーグを食べようかなと思ってたのに、あかんやんか。

大阪の方はシカ刺しを食べたことがあるらしい。
とても美味しいとのこと、特に秋のシカはさっぱりこってりとチョーウメーんだわや。
シシ肉(イノシシ)もうまいんだわや、この時期。
このごろ、シカもシシも増えてね~、ときおり、やつら崖から落ちたりして、捕まえるのにいい塩梅よ。
冬場なんかは、あんた、落ちて、雪に突き刺さって、凍死してまんのやわ。

賑やかなこと。
仕方ない、早く帰って、回転寿司でも食べにいこ~っと。




登山口9:02-1046mピーク手前<道標あり>10:06-破線合流地点11:11-稜線11:29-11:34甚吉森13:05-破線分岐地点13:17-道標13:50-14:33登山口


※地図上左クリック→グーグルマップへ移動

コメント (14)
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鰻轟山・吉野丸…徳島県

2011-11-14 | 海部山地

鰻轟山・吉野丸        うなぎとどろきやま、よしのまる



登山日            2011年11月12日
標高             1046m、1116.3m
登山口            徳島県那賀町と海陽町国道193号線町境霧越峠
駐車場            なし(峠路肩)
トイレ            なし
水場             なし
メンバー           ピオーネ、むらくも




鰻轟山、徳島で一番大きいと云われている轟ノ滝がこの山の南西の渓谷にあって、その滝は海部川の支流の王餘魚谷川(かれいたにがわ)にある。
その海部川を南にぐっと下り、太平洋にそそぎ込む入り江の少し上流に母川の大うなぎ生息地がある。
極めて単純かもしれないが、この山の名はそこから名付けられたのかもと想像してしまう。

鰻轟山の尾根を西に辿ると、吉野丸という山がある。
標高は1000mを少し超えた1116.3m、鰻轟山の標高もそれほど高くはなく1046m。
紅葉の標高がかなり降りていることから、この高さではどうかなと思ったが、登山口までの道で、丁度紅葉の名所として有名な別府峡や高の瀬峡を通ることから、行ってみることにした。

山歩きをするときのバイブルは山と渓谷社の分県登山ガイドや四国百名山、もしくは昭文社のエアリアマップ、しかしどれにも載っていない。
高知新聞社から出版されている四国百山に掲載されていた。
登山口から山頂まで、1時間余りかかると記載されていたが、吉野丸への情報はない。

鰻轟山から吉野丸までは地図から割り出すと、藪いていれば別だがおおよそ2時間半から最大3時間。
往復おおよそ8時間、休息休憩入れて9時間あればなんとかピストンできるだろうか?
この時期としては、わたしたちには少し厳しいとの懸念もあったが、取りあえず歩いてみよう。
いつものように、12時目処のところで、引き返せばいい。



リュックには念のため、いつものように二人用のツエルトを忍び込ます。
ついでにローソクも3本。
これで頭に八巻をして、白装束にわら人形に五寸釘とトンカチを持てば完璧だ。

先週の勘場山道迷いののろいじゃ~!
GPSバッテリーの充電は忘れないようにしよう。

少しでも早く登山口に着くために、朝マックは止めて、前日の夕方に朝食として準備したサンドイッチを持って出発。
まだ真っ暗な高速道をひたすら南国に向けて走らす。
195号線を走り、香美市香北町にあるアンパンマンミュージアム前の道の駅で一休み、コンビニでお昼弁当を購入。
早朝6時前だというのにもうすでにオリジナルの爆弾おにぎりやおにぎり弁当が置いてあった。
温々でいい匂いがする。

自宅から2時間で別府峡に、石立山登山口、高の瀬峡入口も通り過ぎて、湯桶丸や平家平への道も遣り過ごし、海川沿いの国道193号線を遡る。
酷道と云われる狭隘な国道193号、昔は交通の要所、茶、和紙、木材、穀物、衣類など高知の特産品や生活用品が行き来し、賑やかだったらしい。
いまはその面影なく、走る車はほとんどない。

雲海が棚引く道を走り、ジャスト3時間で登山口のある霧越峠に着いた。
霧越峠、別名鑵子峠といわれるこの峠、名のとおりに絶えず霧が発生するところから名付けられたとか。

7:40、霧越線開通記念碑と那賀川町マップのある広い路肩に駐車。




気温は暖かい。
13~4°はあるだろうか。

出発する前に、地図を広げ、コンパスで方位を確認し、矢印のある回転板をくるりと回して方向をセットし、首からぶら下げる。
前回のように今日も立て続けに道迷いしたのでは、山歩きはもう止めないといけない。
切羽詰まった気持ちだ。
だからといって、GPSには頼りたくない。
機械に頼って歩いたりしていると、地図から地形を読むことがおろそかになるばかりでなく、山歩きの意味も価値も薄れてしまうような気がする。
本当は、コンパスもあまり使いたくないというのが本音だが、そこまでの力量は持ち合わせていないから、これは仕方がない。
読図能力と獣のようなナビゲーション能力があれば、そんなこと気にせずにワイルドに歩くのが楽しいに決まっている。


8:10、記念碑のすぐ左横からスタート。
山頂(鰻轟山)まで1.9kmの道しるべ。
歩く道は朝日があたって気持ちがいい。




わずかに紅葉が残っているが、もうほとんどの木は冬支度。




南東方向に景色が開けた。
牟岐町の入江だろうか、きらりと光る太平洋。
真ん中の小さな島は大島?のようだ。
皆ノ瀬谷の向こうには海に向かって滑り降りるように山々が重なっている。




902m峰を南に巻いて譲り葉の木が生えている少しざれ気味な斜面を歩く。

突然、前を歩く妻がブヒッ!
おい!この清々しい山の空気を、大きなオナラで汚すでない。

もう一度、ブヒッ!
いや、違う、音の方向は妻のまだ前方からだ。
イノシシが斜面から警戒と脅しの鳴き声をあげている。
ワ~オ~ッ!
ワ-オワオワオ~!
こちらも負けじと声をあげる。
なんだか笠置シヅ子ブギウギシリーズのジャングル・ブギ-みたいなことになってきた。
イノシシも負けじとさらにブヒーッと鳴くが、ブギーッとも聞こえる。

ドドドド-、パラパラパラ上から小石が落ちてくる。
妻が笛を取り出して、ピーッと吹く。
尾根へ逃げていった。

やがてその巻道も終わり、再び尾根に乗る。




北側に景色の開けたところへ差し掛かる。

吊り尾根のように見える左の頂が先日に道迷いをした勘場山、胸がチクンと痛む。
その右の頂はどうやら平家平のようだ。
勘場山から東の平家平へ直接辿る尾根ではなく、勘場山から一旦北へ行き、大久保山手前のピークから平家平へ辿る尾根が、距離的な按配でこんな風に直接繋がっている吊り尾根に見えてしまう。

権田山は勘場山の左手で雲が掛かってる際辺りだろうか。
雲の下には剣山とジロウギュウが隠れている。




緩やかに高度が上がり、鰻轟山の北を巻く道との分岐に差し掛かった。
尾根へと足を進めると、やがて急斜面の登りになる。

木の切り株にガマガエルがのそのそと入り込んでいった。
気温が高いので、まだ活動しているようだ。




みるみる汗が噴き出る。
ふと左に目をやると、樹幹の間から雲海が覗いている。




額の汗を手でぬぐいながら、山頂に。
9:05、標高1046m鰻轟山。
南に踏み跡があって、木の幹には高松軽登山同好会が記した請ヶ峰への指導標が括り付けられていた。
踏み跡へ入ってみると、少し先で請ヶ峰への尾根は下っていた。




スポーツドリンクを口に含んで、再び西へと歩くが、下りの急斜面だ。
途中で、鰻轟山北斜面巻道の分岐のところでヒメシャラの大木が目に着いた。
は~、この急登では復路で再び鰻轟山へ登り返す気にはならないな~、帰りには巻道を歩こう。

ヒメシャラが多い。
すでに葉っぱが落ちてしまったのも見受けられたが、黄色く綺麗に焼けたヒメシャラの木も斜面下にポチポチと散見される。





いつの間にか963mピークを過ぎて、鹿避けネットの張られた場所に出てきた。
そこは伐採跡地で、南に大きく開けている。




こちらは真南の方向。
真っ正面に一つの峰が見えるが、これが910mピークだろうか?この左真下に轟の滝があるようだ。
轟の滝は落差58mの本滝をはじめ、主に9つの滝があるとのこと。




西方向は、これから行く吉野丸の頂手前の緩やかなコブが見えている。
その左奥の小さな三角頭は湯桶丸(写真中央)。




斜面には見事な白骨樹が写真を撮ってくれと云わんばかりに。




伐採地で一休みしたあと、石楠花などの痩せ尾根を歩き、おおよそ1010mのピークで鹿避けネットが尾根の北と西を取り囲むように張られていた。
北方向の尾根にいくつものテープが着いており、これは間違いやすいところだなと感じた。
肝腎の吉野丸への西方向にはテープがほとんどない。

磁石で確認して、鹿避けネットに沿うような形で斜面を西に下っていく。
下っては先でまた登り返すのが目に見えている。
もったいなやもったいなや、モッチナヤ信者の念仏が静かな尾根に響く。
小鳥たちが念仏に唱和して、枝から枝へと渡り飛ぶ。

ヒメシャラの大木。




桧だろか、太い幹が尾根に立ちふさがるように高く空に伸びている。
そこから再び急斜面を汗を掻きながら登って、11:45、吉野丸山頂に到着。

やれやれ、ご飯が食べられる。




尾根西には神戸丸および金瀬への薄い踏み跡が続いていた。
行きたいという誘惑に駆られるが、わたしたちの足ではここまでが限度。
それにしても、吉野丸の山頂にこれるかどうか懸念していたが、歩きよい尾根だったお陰で、なんとか迷うことなく12時前に着くことが出来た。
取りあえず、バンザイですね。

テントと食糧を持てば、ここから湯桶丸方向にあるいはその先の甚吉森、西又山を経て石立山へも縦走することが可能かもしれない。
うんと若ければそういうことも夢見ることが出来たかな。
しかし、山を好きになるのが遅すぎたな~。




しばらく山頂で、夢の夢を見ながら、ポケット・ウィスキーで酔いしれる。
香りがあって美味しいが、40°、喉に焼けつくような感覚を残して胃の腑に落ち込む。
元もと弱いので、ほんの一口だけ…。
そのあとホロッとした感じが心地いいのです。




初冬の紅葉、あと幾日か経てば白いものがちらつくようになるだろう。




山頂でゆっくりひなたぼっこを楽しんで、帰り掛けた頃に、辺りに霧が立ちこめてくる。




葉をすっかり落とし、冬支度の木。
痩せ尾根を辿りながら、吉野丸、湯桶丸、神戸丸、貧田丸など、この山域には城砦の意味をこめた「丸」の山が多いことを思いながら歩いた。

やがて、雨がポツリ。

902m巻道斜面では、またしても斜面上から小石がバラバラ落ちてくる。
何物かが上から、石を落とし込んでいる。
奴だ!来るときにブギウギを唄ってたイノシシ君だ。
さては待ち伏せしたな。
懲りもせずに、ニャロメ!ワオーワオワ~オ~!ピーピッピッピッー!
「通らさせてもらいまっせ~!」




今日はイノシシ君以外には誰にも出合わない静かな一日でした。

この山、翌日に寒風山に行って帰ってきた妻から聞かされた。
なんでも、寒風山でご一緒した方の話だと、夏にはマムシがいっぱいいる山だとか。
この日の鰻轟山の気温は10月上旬のような暖かい気温で、まだヒキガエルがウロウロしていたが、マムシは見なかった。
しかし、この話を聞いたとき、夏にはこなくてよかったと胸をホッと撫でおろした。

酷道と云われている国道193号線、対抗車とすれ違うのに一苦労するほどに狭い。
山間地を走るときには谷側は崖や急斜面が多く、冬のアイスバーン状態のときは走りたくない。
標高も高く、登山口の霧越峠はおおよそ760mある。
冬にも来る勇気はない、この時期でよかった。

もう一度、峠から鰻轟山方向を見やったが、霧でなにも見えなかった。

帰りは海川谷沿いの紅葉、那賀川沿いの景色を眺めながら、一路温泉へ。




登山口8:10-9:05鰻轟山9:10-9:54伐採地10:02-11:45吉野丸12:40-14:02伐採地14:12-鰻轟山西巻道分岐14:35-15:20登山口



※地図上左クリック→グーグルマップへ移動
(参考)902mピークは南斜面巻道がメイン道、鰻轟山北斜面に巻道あり、鰻轟山山頂より請ヶ峰への尾根道あり、吉野丸より神戸丸および金瀬への尾根道あり。

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湯桶丸(徳島県)その2

2009-11-06 | 海部山地

小ピーク手前でパンを齧りながら休息したあと、ほんの少しのところでピークに到着。黒塗りの立派な道標があった。崩れた登山口に在った、石の間から突き出た黒塗りの棒はこれと同じ作りだったんでしょうね。左、石原丸へ、右、湯桶丸へ1600mと記されている。右折、そこからはほぼ平坦な尾根歩き。倒木を潜り…。




色とりどりの落ち葉にうっすらと白いものが…。シャクナゲの葉にも…。笹の葉に積もる融けかけた雪が容赦なく体に振りかかる。




展望のある尾根道に差し掛かった。北西方向になんだか見覚えのある嶺、天狗塚・白髪山・石立山方面のようです。カメラを西に振ると、甚吉森が指呼の間に見えました。




突然目の前に…、うおっ!なんだこの岩を根で包み込んだ大木。妻が分県ガイドブックに載ってる桧の大木で、ヤマグルマとの共生木だと教えてくれた。




ヤマグルマの幹が桧の幹の途中からニョッと生えでて、そのまま上へと伸びている。ふ~ん、どうなってこうなったんだろう?お互いに仲がいいのか迷惑なのか、本人たちに本音のところを聞いてみないと分からないが、こうなると、迷惑だなんて言っておれない、末永~く仲良く、だよな。なんだか、夫婦・家族間の人生を語っているような気がしましたが、考えすぎですね。飽く迄も自然の成せるワザです。
次第に足元や辺りの木は白くなり、急登になりました。喘ぎ喘ぎ上り詰めていく。




オヒョー!霧氷が右斜面に見えてきました。かなり融けてて、早朝には相当に綺麗だったと思われます。




急斜面を足を滑らさないよう注意しながら、やっとこさ尾根の合流点に着く。ここから湯桶丸へは左に250m、右へは上の登山口に下りるようになる。左折し山頂へ向かう。霧氷が融けきった尾根上には赤い実のたくさんついた木が青い空に映えてました。




樹間から見える遠くの山並みを眺めながら少し歩くと、広くなった山頂に到着。山頂から延びる北東への薄い踏み跡は金瀬~神戸丸への縦走路、南東への濃い踏み跡は甚吉森への縦走路のようでした。足元の切り株から小さな秋。時刻は1時過ぎ、少し遅いお昼ご飯にすることにしました。




山頂からほぼ真南には高知県の山並み、太平洋がきらりと輝いています。奈半利沖の海だと思うのですが、どうでしょう?




山頂で小さなビールを飲みながら40分ほどのんびりしたあと、元の方向へと引き返し、合流点の分岐から直進、上登山口へと下る。




甚吉森とその稜線。千本山がこの方向にあるのですが、頂がどれなのか、それとも隠れているのかよく分かりませんでした。(写真中央の小さな尖りがそうでしょうか?)




次郎笈~一ノ森。剣山が白くなってます。この季節にしてはかなり積雪してるんじゃないかな。




石立山と高ノ瀬方面。




白髪山と天狗塚方面。




小さなコブを右に回りこむ。北斜面になると雪が現れる。この日は薄いフリースも持ってきたが、気温が上昇した上り始め時点から必要なくて、ザックに括りつけたまま歩いている。ウグィスが目前の木の枝に止まった。距離は3mほど、こんなに近くで姿を曝して遊ぶとは、用心深いウグィスにしては珍しい。



やがてスズタケが茂り、潜り込むようにしながら降りていく。妻がラジオから流れる紙ふうせんの「冬が来る前に」をハモってる。失恋というより恋の終わりを詩にした歌でしょうか、秋の思い出ですね。わたしにはそんなロマンチックな経験は小石の欠けらほどもなかったようです。あの頃にもう一度返りたいと思える方は幸せだが、今も楽しいと思える方はもっと幸せなのかもしれませんね…。杉の植林帯を少し歩くと…。




下には林道が見え、2時18分、上登山口に降り立つ。




林道を下っていくと、なんと、道が流されている。下の登山口まで大丈夫なのかな。一瞬、嫌な感じになったがなんとか下の崩れた杭と赤テープのある登山口まで辿りつくことができました。やれやれ。




時刻は3時を過ぎたところだが、もう陽は傾いている。クサギの実、のり面のススキの穂。




目の前をカモシカが撥ね跳んで行きました。朝、林道を歩いたときにあった動物の足跡は一段と数を増している。しかし、今日は一日中鹿の鳴き声を聞いてないので、この山域はどうやらカモシカの生息地のようです。赤く房状にたくさんの実を生らしているのはイイギリでしょうか?




林道を歩いている間に、だいぶ陽が陰ってきました。今日の紅葉の最後の一枚です。




朝、車を止めた辺りの橋が見えてきました。誰にも会わない静かな一日でしたし、初雪の中を歩きつつ秋満喫の山でもありました♪





<参考>
林道湯桶平井谷線入口駐車地点9:11-下登山口10:32-1185m小ピーク11:58ー合流点分岐12:59ー13:07湯桶丸山頂13:47-合流点分岐13:54ー上登山口14:48-15:08下登山口ー16:05駐車地点


(注)GPSログではありません。概念図です。

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湯桶丸(徳島県)その1

2009-11-05 | 海部山地

湯桶丸 ゆとうまる

登山日 11月3日
標高  1372m
登山口 徳島県那賀町湯桶
駐車場 なし(林道の広めの路肩へ)
トイレ なし
水場  なし(ただし林道から登山口までのおおよそ2km以内の範囲で3ヶ所程度小さな滝と水が流れるところあり)




この山は、徳島県那賀川上流の南川湯桶谷の南東にあって、高知県境が近く奥深い。どこから行くにもアプローチが長くて出かけるにも「さー、行くぞ」の掛け声と思い切りがいるようです。
また湯桶丸という山名はどこから名づけられたのかふと考えさせられてしまう不思議な感じのする名前。湯桶という形からきているのか、もしくは湯桶をつくる原料を切り出すか木地師のような人々が生活していたのか、それとも湯桶谷から派生した山名なんでしょうか。
どちらにしても渓谷の奥深い自然がいっぱいの山。それとそこに至るまでの道中近辺に温泉や別府峡・高ノ瀬峡などの渓谷があったりで、ドライブしていても風景や樹木の美しさが目を輝かせさせてくれる。春に来てもいいし、夏もまたよし、秋はなおのこと、冬は山帰りに温泉へと、四季を通じて楽しませてくれる山のようです。





今日は妻も同行、アプローチは長くても、湯桶丸のみの山登りならそんなに早起きしなくても十分です。4時半起床、6時出発、南国ICで降り、195号線を那賀町にある美那川キャンプ場を目指して走る。キャンプ場はやりすごし、さらに途中からダートな道を走り、湯桶平井林道へと左折。(直進すると甚吉森への登山口へ行ける)




左折したとたんに、トタン小屋ちょい過ぎのところで通行止めの看板。しかも全面通行止め。看板には「2km地点路肩崩壊のため、復旧未定」と涙の出そうな添え書き。
ですが、ここで挫けるような二人ではない。人生の幾たびかの嵐を乗り越えてきた激戦練磨の夫婦。登山口までそう遠くはない、歩いて行こう、365歩のマーチで頑張ろう。




本当は2km先の崩壊地点まで車で行きたかったのですが、やはりなにか事故が起こってはまずいしと思い、準備をして出発。すぐの橋を渡って少し歩くと、そこにも通行止めの看板とコーンポスト。ですが、全面通行止めではない。車両通行止めの表示。歩行の分には胸を張って歩ける。陸上のハードル競技よろしく、阪神タイガース模様のポールは高かったので、幾分低い紅白のお目出度ポールを跨ぐ。




一日一歩、三日で三歩、さ~んぽ進んで二歩下がる♪ 
日が暮れる、二歩下がらんと、どんどん歩こう。




山肌の紅葉も眼科の湯桶谷の紅葉も朝陽に輝いて、素晴らしい景色。湯桶谷についてあらためて考えてみました。やはり、この谷のどこかに象徴的な湯桶の地名にピッタシな形をしたところがあるんじゃないだろうか?その渓谷美を創り出している山なので湯桶丸、すなわち湯桶の谷を守る砦の山というわけです。随分と勝手な推測のようですね。




小さな滝が流れ落ち、正面右手には綺麗な稜線が見えている。おばけ杉からうお山への稜線のようです。




こんなにも紅葉が素晴らしい山だとは思ってなかったので意外な気持ち、お陰で林道を軽い足取りで歩くことができる。




のり面の崖の上にも真っ赤な木が一本、鮮やかな彩りを副えている。




山の斜面は自然林と植林がほどよく織り混ざって、光り輝いています。




左上を見上げると、稜線辺りが白っぽい。昨夜は雪が降ったらしい。このお天気だし、気温は上がっている。ここから見てもほぼ溶けかけているようだし、霧氷は期待できないようです。林道を歩く妻はまだかなり後方の位置で点になって見えています。




歩き始めておおよそ1時間20分のところで、のり面が崩れたところに出ました。崩れた石の間から黒塗りの棒杭がニュッと突き出て、赤テープが巻かれている。よく見るとコンクリートブロックの小さな擁壁の一部に「湯↑」の印が刻まれている。どうやらここが登山口のようです。「湯桶丸下登山口」の道標は多分この崩れた石の下に埋もれてしまったのでしょう。それにしてもこの崩れた斜面、足が滑って上り難そうだ。




斜面に蹴り込みを入れながら、なんとか登り切る。薄い踏み跡が杉林へと続いている。下を見ると妻が難儀している姿が見えた。ロープもなく、ここは我慢して上ってもらうしかないようです。なんとかクリア、ほっとする。




やがて杉林を過ぎ、小さな白い花が足元に。今年初めて見るキッコウハグマ。




紅葉の連続。木の枝ではメジロが警戒音を出しながら、ホオジロを木から閉め出そうとしている。そこへヤマガラがちょっかいを出しにやってきた。そんな風に見えましたが実際にはどうなのか分かりません。




林道から見た稜線を見上げると、雪は未だ溶けずに頑張っている。ひょっとすると雪を見られるかもしれない。




真紅と緑のコラボは鮮やか過ぎてドギマギしてしまいますね。




ゴヨウツツジの紅葉でしょうか?




ヒメシャラがちらほら見えだした。1185mの小ピークが近いようです。




ヒメシャラの紅葉を下から眺めながら、一休み。




ツガの大木。




空気が凛と冷えて、清々しい。ここまで誰にも会っていない。




続く
その1
その2

コメント (2)
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