西山(牛頭山) にしやま(ごずざん)
山行日 2021年2月7日(日)
標高 94.5m
登山口 聖神社鳥居左奥にある四電巡視経路
水場 なし
トイレ なし
メンバー ピオーネ、むらくも
本島汽船 こちら→本島汽船 丸亀ー本島ー牛島 | 丸亀と本島と牛島をつなぐフェリー「本島汽船」 (honjima-kisen.com)
駐車場 丸亀港合同待合所から道を挟んで南側に丸亀市営駐車場あり(有料)
<本島から眺めた牛島全景>
瀬戸内の歴史といえば代表されるのが「塩飽水軍」と「村上水軍」、村上水軍の
本拠地は芸予諸島ですが、わたしたち香川に住むものにとってはやはり塩飽水軍の
本拠地塩飽諸島が身近にあります。
昨年は水運の拠点塩飽七島のうち本島、広島、手島を歩きましたので今回は牛島へ渡ることにしました。
牛島の由来は島が牛の形をしているのかと思いきや、かつて牛が放牧されていたからだという説があるが
どうなんでしょう。
目的は二つ、一つ目はこの島には二つの山があって、東に標高95mの東山、西に標高94.5mの西山、
なんの変哲もない山名だが、実は西山はかつて牛頭山(ごずざん)と呼ばれていたそうな。
山頂には三等三角点・牛島が埋設されている。
この山に登ることと、二つ目が内海の海上王と言われた廻船の豪商丸尾五左衛門の本拠地である牛島の
屋敷跡や極楽寺を訪れることにある。
極楽寺には丸尾家代々のお墓があることに加え、無間の鐘が残されている。
無間とは辞書で調べてみると無間地獄とか無間奈落を略したものだそうですが、
なにを意味する梵鐘なんでしょうか。
お寺への道 極楽寺
鐘楼 極楽寺
無間の鐘
鐘楼の柱に掲げられた説明板によると、この鐘を撞くと大富豪になった後に、没落すると云われている。
廻船問屋として栄華を極めた「丸屋」は丸尾五左衛門は二代目重次の代に幕府直営となったが
のちのちに幕府の方針が変わり、その直営がなくなったことにより次第に勢いは衰えたと云われている。
丸尾五左衛門がこの鐘を撞いたことから無間の鐘と名付けられた。
一度でいい、大金持ちになるなら撞いてみよう。
そう思う方は多いとは思うが、さてその後の地獄とはどんな地獄なのか…
地獄の中でももっとも苦しみ、休むことのない阿鼻叫喚の世界だとか。
丸尾五左衛門屋敷跡 屋敷跡の奥に廃屋が?
屋敷跡付近にあった小さな社 聖神社鳥居
狛犬 社
だんじり 写真展案内板
写真展・集会所 島の昭和時代の懐かしい写真
里浦から小浦への道を歩いていると途中に写真展の案内板がありました。
寄ってみるとそこは集会所でしたが、入り口は開いておりどなたでも入れて
懐かしい昭和時代の牛島の方たちの暮らしや風景が写されておりました。
船に乗る当時の子どもたち 竹林
運動会や記念写真や風景などなど、お顔を写された写真が多かったため、
これなら大丈夫という一枚だけアップ。
さらに小浦へと進んでゆくと真竹の竹林があって…。
小浦港から眺めた東山 海の神様?
港に着きました。
そこからは東山の全容が見えており、この山に登るには…、ちょっぴし思案しましたが諦めです。
かつて登山口は先ほどの竹林辺りにあったそうですが、現在は藪の中。
とても登る気にはなれません。
池と湿地 タイル張りの赤い灯台
島のあちこちには石垣で施された小さなため池があるのですが、自然のままの大きな池と湿原がありました。
島内の池は不思議と真水だそうで、湿原には葦が茂ったり、池ではメダカなどが泳いでいるそうです。
池の山手側には池神社といって、腕のいい塩飽大工さんが建てたもので、そこには江戸時代前中期の頃に
作られた灯篭があるので訪れてみたかったのですが、道が藪化していたためこれも諦めました。
※赤灯台は里浦港西のものです。
丸亀港7:40ー(本島泊港経由)ー8:36牛島里浦港
西山登山口9:45ー10:35下山
里浦港12:25ー(本島経由)ー13:05丸亀港