むらくも

四国の山歩き

岡豊山と愛宕山・大平山…高知県

2020-12-10 | その他<高知の山>

岡豊山、愛宕山、大平山      おこうやま、あたごやま、おおひらやま

標高               97.53m、おおよそ140m、155m
山行日              2020年12月8日
登山口              岡豊山(国分川に架かる和田橋付近)、愛宕山・大平山(仁井田公園)
駐車場              岡豊山(国分川沿い車道の広い路肩)、愛宕山・大平山(仁井田公園)
トイレ              岡豊山(歴史民俗資料館駐車場付近)、愛宕山・大平山(仁井田公園)
水場               なし
メンバー             ピオーネ、むらくも



                <物部川河口付近海岸から太平洋を望む>

今年は日本百名城の備中松山城と総社市にある鬼ノ城に加えて
続日本百名城の備中高松城と東かがわ市にある引田城の四つの名城に行くことが出来た。
うっし、他に近くで手軽に行ける名城はないか、探してみるとありました。
それは高知県南国市にある岡豊城、城主はあの四国制覇で有名な長曾我部元親。
讃岐の山城を訪れるとたいがいは長曾我部氏に攻められて降伏もしくは落とされた
という歴史が残されている。

というわけで岡豊城に行くことにしたが、お城だけではな~、近くにお山はないじゃろか?
高知に行くならやはり太平洋が見えるお山、ということで海に近い愛宕山・大平山に決定。
わずかに155mの低山なのでお気楽です。




岡豊城は標高97.5mの岡豊山にあって、南国ICから近く、
南麓には国分川が流れている。
山頂の詰付近には三等三角点・岡豊山が埋設されている。

恥ずかしい話ですが、岡豊はいまのいままで「おかとよ」と読んでいた。
なので岡豊城は当然、「おかとよじょう」と言ってた。
ところが違うのです。
地名は「おこう」でお城は「おこうじょう」、お山は「おこうやま」
おかとよと読むほうが悪いのか、それともおこうと読ます方が悪いのか
地名と人名は読めなくてもいいとは言うが、この歳まで知らなんだというのはいかにも、あ~あ、だ。
まあいい、来年は丑年だ。
なんのこっちゃ。




岡豊山を降りて、太平洋が一望できる愛宕山・大平山へレッツゴー!
登山口のある仁井田公園に車を止めて、トイレも済ませ、さあ、出発♪♪
と思いきや、妻の顔が蒼ざめている。

カメラを岡豊城の登り口付近に忘れてきたという。
慌てて引き返すと、草むらにコロンと転がっていました。
あ~あ、往復1時間のロス。
しかし、なんですね、高知はやはり温暖です。

お昼の食事時間が大幅に遅れてしまい、愛宕山の山頂ベンチで
浦戸湾を眺めながらポソポソと柚子の香りのあるキツネ寿司弁当を食む。
近くにはアサギマダラが卵を産むと云われているキジョランの
穴の開いたつやつやした丸い葉っぱがありました。
尾根にはヤブツバキがたくさんありましたが、咲いているのはまだごくわずか、
これからのようでした。


遊歩道入口9:30-伝厩跡曲輪9:45-10:00旧味元家住宅1020-歴史民俗資料館10:25-
二の段10:30ー三の段10:35-詰10:40ー虎口・四の段10-45-11:10遊歩道入口


仁井田公園13:05-13:30愛宕山山頂13:50-仁井田神社・三里小学校分岐13:52ー
大平山山頂13:56-四等三角点・大平山14:01-展望所14:12-
仁井田神社・三里小学校分岐14:25ー仁井田神社側遊歩道入口14:41ー15:00仁井田公園

コメント (4)
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岩躑躅山…高知県

2016-03-21 | その他<高知の山>

岩躑躅山               いわつつじやま


山行日                2016年3月17日
標高                 1102.9m
登山口                土佐郡土佐町中村
駐車場                なし(林道広い路肩)
トイレ                なし
水場                 標高おおよそ1000m、荒れた林道沿い沢
メンバー               ピオーネ、むらくも



早明浦ダム西に聳える嶺北ネイチャーハント中級の山である岩躑躅山に出かけた。
林道まで車で入り、下の登山口から1時間もあれば山頂に登ることができるこの山に、雪はなく、新緑でもなく、ましてや紅葉でもないこの時期に来ることになるとは夢にも思わなかった。
意図に反して登ることになった原因は妻にある。
花の好きな妻が、梶ヶ森麓に住んでいる方から「今年も花が咲いたよ、お出でなさい」との連絡があってのことだった。
早春に咲くその花はお天気のいい日の午後からしか花弁が開かず、夕方になると閉じてしまう。

鑑賞だけで出かけるには少し距離があり、なによりも時間を持て余してしまう。
かと言って、何度も登った梶ヶ森などの山へ行くのも気乗りがせず、結局、未だ登ったことのない岩躑躅山になってしまった。
山名のとおり、この山には躑躅の木が多くあって、登山適期は4月下旬頃で、標高が1000mそこそこなので夏には暑すぎる。
ツツジの時期以外には、コミネカエデやツツジ、ナナカマド、そしてマルバノキの葉が紅くなった秋、もしくは晩秋が見ごろでしょうか。
適期ではないが、家からうんと遠いところでもなく、自宅からは高速を使って2時間だ、また来ればいい。



土佐町、本山町、大豊町、本川村、大川村の三町二村が平成9年度に立ち上げた嶺北ネイチャーハント事業は初級、中級、上級それぞれ13山合計39山の嶺北の山々で植物、動物などの自然を宝に見立て、登った山の数を競ったゲームでしたが、残念ながら平成20年3月末で終了している。
終了してもう8年が経つが、未だ中級の山を登るというしつこさ、良く言えばねばちこい性格。
しつこい=執念深い、ねばちこい=粘り強いなんですが、ほんとうのところはどんくさい=鈍感で鈍い、思い立ってもなかなか行動に移さなくて、ぼっとらぼっとらして、ある日突然に思い出したように出かけるタイプです。
なので目的を達成するのはいつになることやら、因みに完登したら各級別と全コース達成者にバンダナの賞品がもらえたのですが、当然にそんなものはもうありません。
私の人生、すべては金と女が目的だが、こんなに純粋なキラキラした少年のような気持で目的を遂行するのはただこれ一つです。
本当じゃない、ウソ、オオウソのコンコンチキの塊でした。

というわけで、まだガスで煙る山を眺めながら高知自動車道を走り、大豊ICで降りて、吉野川沿いの439号線を遡る。
道の駅「土佐さめうら」を過ぎて右折し県道265号線へ、そして17号線に入り上吉野川橋ー黒丸方面への大川橋ー中村方面への七尾橋を渡る。
渡り終えるとすぐに「卍百万遍」の看板に従って、林道を上って行く。
(因みに百万遍祭りというのがあって毎年7月土用入りの最初の日曜日に大谷寺で催されている)
ダート道に入って民家を過ぎ、なおも上へ上へ。
やがて道はチェーンの張られたところ(平日は開けられているが)に差し掛かり、ここで左のやっとこさ二台ほど停められる路肩に駐車。
(ここから先は中江産業の作業道で、作業車の出入りがあるため通行の邪魔にならないよう気をつけなければいけない)

前方に聳える岩躑躅山から南東に派生する尾根を眺めながら、林道を歩く。
(駐車地点から100mほどのところに、左路肩に小さな杭があって、頭には赤いペンキが施されている。ヤブいているが、そこから下ると岩躑躅山への登山道があるとのこと、昔はここにもネイチャハントの登山口標識があったらしいが今はない。しかし、わたしたちは林道をさらに歩いてその先にある登山口へと向かった)


     チェーンの張られた林道              林道を歩く      

まだ芽吹いていない樹木の頭越しには西に景色が開け、稲叢山への尾根がどっしりと横たわっている。
かつて、この稜線をスズタケに雪が覆っている頃に、エントツ山さん(2016年3月21日現在サーバーエラーのためHP開けず、近々復旧予定)がテン泊縦走したことを思い出した。
稲叢山までの稜線は遠くてギザギザで重厚だ。
その後、石鎚山から剣山まで9日間の単独縦走を果たしている、若くはない、どちらかというとおじいさんだ、凄まじい男だ。


              能谷山・東門山・西門山の山並み

歩き出して13分、右にカーブして少しのところで山手に目的の登山口があった。
登山口を示す道標は倒れてしまっていて、見つけにくい状態になっている。


         下登山口                   植林の中

急斜面を這いずりながら体を引き上げ、登りきったところの尾根上に道標があった。
わたしたちが登ってきた方向とは違う左への尾根続きの方向に道標の矢印は指している。
そちらへはきれいなふみ跡が続いていて、どうやらその道の先が駐車地点から100m先にあるヤブいた下へ降りる登山口へと続くようだった。


          急登                    肩にある道標

右に折れた。
木の根っこの陰には岩躑躅山への道標があった。
下登山口から30分弱のところで、放置され荒れた林道に出る。
その林道は出たところが行き止まりで、東へと続いていた。
しかし、ここでなぜかわたしたちは林道を歩かずに、笹の生えた林道右のり面の肩に乗って、ずんどこ進んだ。
ふみ跡薄く、笹が茂るその尾根は、足元に境界杭が一定の間隔で埋設されている。

わたしはこの山を当初からピクニック気分で歩きに来ており、地図もコンパスも持っていない。
妻は地図を車に置き忘れたと言葉少なくつぶやいた。
GPSはログ取りとして持ってきていたので、位置や方向を見て確かめることなど考えていない。

境界杭はあるものの、やがてスズタケは背丈を越し、両手でかき分けるほどに密集してきた。
比較的笹の薄いところで前を歩く妻の写真を撮った後、それを最後にカメラを取り出す余裕がなくなった。


     根っこの道標                     1109m南山へのヤブ  

荒れた林道から30分強かかって、一つのピークに達した。
ここでやっとGPSを取り出し、位置を確認する。
岩躑躅山とは真反対の標高1109m南山の頂上に立っている。
帰宅してログを眺めて気が付いたのだが、偶然にもこの山域で一番高い位置に登ったようです。
お粗末なことです。
この後、慌てて引き返したのですが、途中で境界杭を見失い、谷方向へ迷い込んでしまった。
スズタケブッシュに悩まされながら、体で押し分け、なんとか荒れた林道の元の場所に復帰できたのは、1時間40分後の12時55分、林道に座り込んでお昼ごはん、二人して口数少なく疲れ顔、あー情けなや。


    なんにもなかった1109mP              迷い込む

お腹が起きてちょっと余裕がでて、証拠写真を撮らなきゃと思い、荒れた林道と、迷い込んだ尾根をカメラに収める。


1109mP南山から下ってきて…、左荒れ林道、その右植林帯の尾根に薄いふみ跡と境界杭

気を取り直して荒れ林道を東へと歩くと、カーブのところで道は崩れ、山手側についている細いふみ跡を辿って林道に復帰しなおも進む。


     荒れた林道                      崩落ケ所

林道は楕円を描くように西から北へ、そして東へ。
すると、またまた崩れたところへ。
谷の右手奥に朽ちかけた細い杭に小さな「登山道」と書かれた道標があった。


       林道奥へ                  荒れた林道の中登山口

傍には下の登山口へと書かれた道標が幹の根っこに置かれている。
そこを登ってほんの数分で、車のわだちのある広くてきれいな林道に出た。

路肩にある道標を確認したところ、一枚はいま歩いてきた方向を指し、字が消えかけてはいたが「下の登山口へ約1km」と書いているのが読めた。
もう一枚は、道に転がり、「上の登山口50m」、方向は南を指していた。
疑うことなく南へ進んだ。
50m先にはなにもない。
500mの間違いか?
歩いたが何もない。
引き返した。


     中登山口にある道標             上の林道へ出たところにある道標

道標が倒れて、方向が反対に向いたようだ。
道標の向きを直して、北へ進んだ。
50m先きで、右手に登山口の道標がありました。
山頂へのふみ跡はこれまで歩いてきたなかで、林道を除いて、一番はっきりした確かな道でした。


        上登山口へ林道歩き               上登山口

13時49分、二等三角点・岩躑躅の埋設されている山頂に3時間16分もかかってやっと到着。
たぶん最長記録ではないでしょうか。


                   岩躑躅山山頂

山頂からは東の早明浦方向に開けてました。
満々と湛えたダムの湖水が空の色を映し、碧く輝いている。
本山町のはるか遠くには徳島の山並みが見え、三嶺か矢筈山だろうか、一部頂の白く輝いているところが肉眼で見えている。


山頂からの展望<左中に鎌滝山、奥に白髪山頂きからきびす山頂きへの稜線、眼下に早明浦ダム湖>

ダム湖をズームしてみた。
うっし、帰りには上吉野川橋の上から岩躑躅山をカメラで撮ってやろう。


          早明浦ダム湖ズーム、上吉野川橋と奥に本山町

さて、急いで下山しないと、電話で教えてくれた花咲くところへの時間がなくなる。
急斜面を下るのは厭だがピストンだ。


           下山                      岩

お尻が汚れるが、かまわずにシリセード、ズリズリ、杉の落ち葉があるので少しは助かる。


                    急斜面

14時57分、山頂からわずか50分で駐車地点に到着。
途中、林道から後ろを振り返ると、杉林の間から、遠くに平家平や笹ヶ峰方面の白い頂が小さくかすんで見える。

写真は、車に乗り込み、民家付近から撮影したものです。


写真左手前に能谷山への稜線、後方奥に1403m峰(野地峰ー東光森山稜線間)、右手前が加茂次郎山
右端奥に早天山

ロックな山は1072m峰とその南西に聳える山でしょうか、真っ青な空に上弦の月が白く浮かび、今夜のこの山の、月に照らされた光景と満天の星空が湖から望めるだろうなーと想像してみた。


                 ロックな山容<1072m峰と岩峰>

ダム湖では一隻のボートが長い航跡を残し、湖面をすべるようにして走り抜けていく。
その後方では岩躑躅山の荒々しい姿があり、ダムを威圧するようにして見下ろしている。


                 県道17号線ダム湖沿いから撮影

上吉野川橋の袂で、西に向いて、山並みを撮影、もう一度といわずもう二度ほど訪れてみたい。
岩躑躅山はひょっとして、山頂のある一つのピークだけの呼称ではなく、この山域全体の山名ではないだろうか。
今回はアケボノツツジやトサノミツバツツジの咲き乱れる時期ではなかったが、とても印象深い山でした。


             上吉野川橋から眺めた岩躑躅山

今夜は林道縁で採った蕗の薹の天ぷらで、いっぱいグビッだ。
花の咲く大豊町の麓では蕗の薹は花が開き、ショウジョウバカマも陽を浴びてきれいに咲いていた。


         蕗の花                    ショウジョウバカマ 

こちらは淡い色合いの瑠璃色ユキワリイチゲでした。


                   ユキワリイチゲ

駐車地点10:33-下登山口10:46-荒れた林道11:14ー1109m山頂11:48ー12:55荒れた林道13:06-中登山口13:14-林道13:20-<ミスコースによるロスタイム16分>-上登山口13:38-13:49岩躑躅山14:07-上登山口14:15-中登山口14:19-下登山口14:46-14:57駐車地点


グーグルマップ(登山口などの位置がよくわかる地図)→こちら
ル-トラボ(距離・時間などがわかる地図)→こちら

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平家ノ森・大平山周回…高知県

2016-03-07 | その他<高知の山>

平家ノ森、大平山           へいけのもり、おおひらやま



山行日                2016年3月3日
標高                 おおよそ530m、816.7m
出発地点               香美市物部町山崎駐車地点
駐車場                R195号沿いに広い駐車場あり
トイレ                駐車場にあり、それ以外にはなし
水場                 なし
メンバー               ピオーネ、むらくも



南国市から直線距離にして東におおよそ24km、静かな碧い湖面の永瀬ダムには、R195号線に架かる赤い大栃橋がある。
三嶺の南面にあるフスベヨリ谷や西熊山からカヤハゲ(東熊山)に掛けてのさまざまな谷から水を集め、西熊峡谷を形成し、韮生川となって物部町大栃にある永瀬ダムへと流れ込む。
また三嶺の南東には白髪山や石立山に挟まれた鮮麗な別府峡谷があるが、その峡谷の水を一気に集めて流れる物部川があって、渓谷を下って物部の永瀬ダムへと合流する。
ダム湖面は眺める角度や降り注ぐ陽の光の向きによって、また対岸の山の木や季節によって、輝く色合いが微妙に異なり、様々な姿を見せてくれる。
また、渓谷に流れる両河川に挟まれるようにして、白髪山から派生する大きな尾根が大栃に向かってどんと横たわる。

ダムにはこれとは別にもう一つ南から流れ込む舞川という川があって、物部川の間にはダムを挟んで大比山と対をなすようにして平家ノ森が聳えている。
平家ノ森は、中腹には天王という集落があって、山頂には社と祠が祀られている。
地元の方からは天王山(てんのうのやま)と呼ばれ親しまれているのですが、遠くから眺める姿は尖鋭で特に南側は切れ落ちた崖になっている。

実は昨年、「さるのこしかけ」のゆきねえさんのレポを参考にこの山に登り、熊押という廃集落まで歩いたのですが、時間切れのため途中で引き返してしまった。
今回はリベンジです。
目的は熊押からさらに東にある標高816.7mの大平山を含めての周回を果たすため。
奥物部の森は奥深く、外にも魅力的な山がたくさんあって、、高速を使えば他県からも比較的アプローチがしやすい位置にあり、今後の山行には随分と楽しみなところです。



南国ICを降り、R195号へとつなぎ、物部川沿いを東へと走る。
途中、美良布道の駅前のコンビニで食料を調達後、大栃にある赤い橋を渡り、トンネルを抜け下ったところの右手にある公園風の駐車場に駐車、時刻は7時40分。
自宅を出発したのが5時半を過ぎていたので、2時間ほどで着いたことになる。
この程度の移動時間はそれほど苦痛ではない。

ワンちゃん連れで散歩をする方がちらほら、湖畔の茂みからはウグィスの鳴き声が朝の駐車場に聞こえてくる。
山に囲まれているせいか、ウグィスの声は湖畔に響き、まるで音楽ホールの中にいるよう。
物部のウグィスは香川の自宅近くのウグィスと比べて声が太くたくましく澄んでいる感じがした。

7:51、ケキョの後押しで明石橋を渡る。
気象庁によると早朝の気温は2度から3度、午後からは4月並みの16~7度にはね上がるらしい。
橋は足元がグレーチング風で下が透けて見え、なんとなく足が竦む。


     R195号沿いトイレのある駐車場         渡り終え振り返り見た明石橋

橋を渡り終えると道はT字になっていて、右へ折れる。
この道は車は入れないが、バイク道で、昨年この道を教えてくれた方が山の整備にバイクで走っていたことを思い出す。
道は枝道があって、ところどころで別れているが、そのほとんどはどちらへ行っても先では合流するようになっているようだ。
一方は歩いて直登する道、そしておそらく後程できた緩やかな勾配で造られたバイクの走る道の二つがある。
直登路には昨年にはなかった青いペンキが道上の石などに施されていた。

ほどなく道は天王集落の屋敷だったと思われる石垣の傍を通るようになる。


            モノレール                天王集落跡

昨年の記憶を呼び起こしながら、変形四つ角先に見える廃屋となった民家に向かう。
少し失礼して、民家の庭から写真を撮らせていただいた。
庭からは西北西に景色が開け、大比山(おおびやま)の奥に御在所山の頂が見えていた。
民家からはいったん戻って下の道を歩いても平家ノ森裏参道へも表参道にも行けるが、奥にある道(石段の右手)を辿ることとした。


        大比山の奥に御在所山             民家傍の道


ここからは初めて歩く道で、少し先で左へ入る道があったのでそちらへ折れた。
行き着いた先は屋敷跡と思われる石垣や、井戸の跡のようなものがあるうっそうとした植林地の中。
そこから先はふみ跡らしきものがあるようなないような、しばらくうろうろ道を探すがない。
引き返した。

Y字三叉路の付け根に戻り、直進、するとすぐに左へ入る道があった。
直進方向は昨年歩いた表参道への道なので、左折方向の濃くはっきりしたふみ跡が裏参道のようです。
ホッ!やっと目的の道へとたどり着いたようです。
ほんのちょっとしたことなのにね、どうしてこうも毎度毎度間違うんでしょう。
あきれてしまいます。

しばらく歩いたところで十字路になる。
直進すれば大平山へ、左折すれば登山口の明石橋へのふみ跡なので、右折して尾根方向へと登った。


        井戸跡?                   右折して裏参道を稜線へ

右折してほんちょいで見覚えのある稜線に出て、稜線を右へひと踏ん張りでキティ山頂標識と小さな祠のある平家ノ森山頂に到着。
時刻は9:31、ミスコースのためロスタイムがあったので、それを差し引くと駐車場からはおおよそ1時間で登れるようです。


                    平家ノ森山頂
    
須賀神社にお詣りして、コーヒータイム。
木の間からはかすかに雪を頂いた山並み(おそらく綱附森)が遠くに見え、眼下には永瀬ダムの碧い湖水と赤い橋がチラホラ。


         須賀神社              木の間に見える長瀬ダムの湖水と橋 

一休み後は稜線伝いに廃集落熊押(くもす)へと向かう。
アカマツやツツジ系の自然林と杉・桧植林の混交した尾根を進みますが、山頂から30分ほどで道から外れたところに廃屋が見えてくる。
杉の木にはアルミ梯子が立てかけられていて、どなたか庭作業でもしているかのような雰囲気でしたが、この梯子昨年も見かけておりますので、放置されて随分と時を経ているもののようです。


          熊押へ                  住居跡と残された梯子

峠があって、ふみ跡を北西へと下れば明石橋へ下れるようですが、道の状態は定かではありません。
稜線をほぼ真東に進むと小さな祠とお堂がある。
お詣りした後、なかを覗かせてもらった。
真新しいしめ縄と御幣が捧げられていた。

突然妻が変なことを言い出した。
宮司さんが身に着ける袴はトイレへ行きやすいように股が割れているというのだ。
割れて穴があいているということのようだ。
ということは巫女さんの袴も?
ほんとうかなー?
ときどき騙されるので眉唾ものだ。


     熊押の峠                       お堂と祠          

道には朽ちた倒木が横たわり、苔の生えた倒木からは杉と桧の芽が立ち、次の世代の幼木が育とうとしている。
道から外れて四等三角点・シキベシに寄ってみた。
三角点の石柱が埋められているところは屋敷跡のようでした。
地図を見ると、付近には破線の道が描かれていて南へは舞川沿いにある明改というところへ、北には山崎橋へ通じるようになっているが、廃道でしょう、ふみ跡はもうないようでした。

元へ戻って、763mPを巻くようにしてつけられている道を進むが、途中でY字に別れている。
左へのふみ跡は平行気味、右は上っている。
地図を出してみたが、描かれていない。
右の道を選んで進んだ。
しばらく左につけられている道を目で追ったところ、その道はやがて下っていった。
柿の久保へと下りる道だったのだろうか?


    朽ちかけた倒木に杉、桧の芽吹き          標高678.2m△点シキベシ

11:14、突然右手に石垣が現れ、その上に狛犬二基と灯ろうらしきものが一基、厳かに鎮座している。
建物はなく神社跡のようです。
狛犬の台座を確かめると建立年月日はなかったものの、発起人の名前があり、それには山中、西本、小笠原の姓が刻まれていた。
狛犬や台座、灯ろう、それときれいに造られた石垣や石段はこじんまりとしてはいるものの相当立派なもので、当時ここへ建立された方たちの苦労が偲ばれます。


                      廃神社と狛犬

奥には倒木があって、その奥に社跡があったと思われる石垣が残ってましたが、かなり年月が経っているのでしょうか。
倒木以外にはなにも見当たりません。
それともどこかへ遷されたのでしょうか。
神社跡を離れてすぐに稜線に乗った。
なんとなはなしに763mPへと寄ってみたいという気持ちが起き、折り返すようにしてヒメシャラの生える尾根を辿る。


           社跡                      ヒメシャラ 

山頂には思ってもみなかった社があった。
社は西に向いていて、裏手を囲い込むように石垣が施されている。
時刻は11:23、心地よい陽だまりの中でバナナ休憩とした。


        標高763mP社                社と石垣

社の裏で座っていると、一本の桧の幹を下から上へツツツーっとコガラのような小鳥が伝い上った。
東方向に尾根が見えていますが、大平山はもう少し左手にあるようです。
妻と大平山の名の由来を話し、それとなく想像してみた。
①山頂から太平洋が見える。
②山頂が平らでややだだっ広い
③麓に大平という方がたくさん住んでいる集落があって、大平山となった
さて、どれでしょう?
それともみなハズレ?

妻は面白くもなんともない話には乗って来ず、立ち上がって稜線を下った。
11:51、標高おおよそ740mあたりでしょうか、はっきりしたふみ跡は尾根を離れて左へと巻いています。
尾根方向には小さく地面から立っている細い枯れ枝の頭に赤いテープが施されているのが見えた。
地図とコンパスを出した。
テープのある尾根方向は大平山への直登のようですし、左へのふみ跡は影山崎かもしくは途中で右に折れ大平山を南に巻いて野竹へと辿るふみ跡のようでした。
尾根を直登した。


    大平山から南に派生する尾根             大平山基部にある分岐

分岐から12分のところで、三等三角点が埋設されている大平山山頂に立った。
時刻は12:03。
山頂付近は東方向に平らでした。
少し先へと進んでみたが、展望はなく植林ばかり…。
大平山を南に巻いて、野竹から影山崎もしくは影仙頭を結ぶふみ跡はちょっと見にはわからなかった。


      大平山山頂三角点                  平らな先は…

引き返して、山頂へ戻った。
三角点の傍の木の杭には薄い緑色をした例のキティ山頂標識が括り付けられていた。
珍しく目立たない色合いで低い位置だったので見過ごすところだった。
上空はぽっかり空き、真っ青な空から陽が差し込んでくる。


      キティ山頂標識(薄い緑板)           ぽっかり空いた山頂上空

リュックを下ろし、コンビニで買ったサンドイッチでお昼ご飯とした。
のんびりっとした静かな時間が山頂のわずかな空間を流れていく。


                山頂全体の様子

さて、下山開始ですが、どう下るか迷ってしまった。
山頂からやや北に歩き、そこから尾根を目指して直接下るのか、それとも元歩いた尾根を引き返し、北へ巻いて影山崎への尾根を目指すのか。
結局、元来た尾根を少し下って、北へ巻いた。
急な斜面を下り気味に巻いていくと、標高おおよそ740mあたりからのふみ跡と合流した。
(※山頂北側から破線付近へ出て、そこから影山崎への尾根に下った方がわかりよかったかも)


           適当に巻くが…              ふみ跡見っけ

ふみ跡を辿った結果影山崎への尾根に乗ることができ、そこからは尾根伝いだし、ふみ跡もしっかりついていると思ったのもつかの間、やがてふみ跡は掘り割り状になり、倒木があったり、茂っていたり歩きにくい。
適当に、しかし尾根は外さないように気をつけながら下る。



 影山崎への尾根に乗る                 倒木

やがて、かつては民家があったと思われるところに出たものの、そこはふみ跡無くイバラなどでヤブいており、下る方向に注意を要するところだった。


          荒れた道             イバラをかき分けると井戸跡に?

ヤブの薄いところを適当に下っていったものの、方向はやや東に逸れてしまう。
車道が見えてきたが、のり面が高く急斜面、お尻からずるずる滑り落ちようかとも思ったが、止めて右へ回り込むとアスファルト車道へ降りる道がみつかりセーフ。
道沿いには小さな白っぽい杭が立っていて、「かわし場8」と書かれていた。
車道を歩いて下山しようかと考えたが、東へかなり大回りしないといけない。
山道が車道を横切って影山崎へと続いてないものかと、車道を尾根に続く西側へ回り込んで探した結果ありました。
そこには山手側に杭にスーパーかコンビニの袋が吊り下げられており、のり面はなかった。


       アスファルト車道へ             西に回り込むと…

買い物袋の反対側の下り斜面にははっきりとした林道があった。
下るとすぐに墓地へ。
さらに下ると広場に出て、左側奥に林道が続いている。
しかし、わたしたちは林道には向かわず、山道を直進、その結果尾根をはずれてしまうことになったようです。
再び墓地に出て、左奥に広い林道が見えたが、ここでも山道を直進した。


        山道へ                  墓地と空き地を過ぎて…

結果、影山崎への尾根筋からはどんどん離れてしまい、反対側の影仙頭への簡易舗装の車道に出てしまう。
こうなったら素直に道なりに歩くしかない。
車道の方向には影仙頭の集落と、カンバ平の尾根が見えています。


      簡易舗装道へ               仙頭の集落とカンバ平の尾根

アスファルト車道に出て左折、畑には菜の花と梅の花が満開、物部川の水は深く濃いブルーグリーン色で、対岸の畑が一層のどかさを浮きだたせとても印象的です。


         菜の花と梅            物部川と対岸の集落

仙頭大橋を渡って195号線をあるこうかとも思ったのですが、少し遠回り、山崎橋を渡ることにした。


    影山崎から眺めた仙頭大橋              お地蔵さん

道は尾根を跨ぐようにして360度、緩やかにカーブしてますが、道の下では影山崎の集落が見え、道を歩く人たちの話声がここまで響いてくる。
ご夫婦でしょうか、今夜のおかずと買い物が話題、ポカポカした昼下がりの風景は、思わずふぁーっとあくびをしたくなるような一コマです。


                 路上で弾む会話

湖面の色は見る角度と光の方向によって異なっていて、いずれもグリーン系ではありますが、パールグリーンに見えたり、エメラルドやターコイズグリーンに見えたり、七変化。


   パールグリーンの湖面と小高い丘      光の向きによって湖面の色は七変化

山崎橋にやってきましたが、構造が吊り橋方式なんでしょうね、微妙に揺れているような気がしました。
足元は明石橋と同じくグレーチング風で下が透けて見え、高所恐怖症の人は上を向いて歩かねばなりません。


    山崎橋                     渡り終わって振り返り見る

橋を渡り終えたところにはいくつものモグラ脅しがくるくる回る畑でした。
14:35、予定より少し時間が掛かったが、早めの下山、温泉に行けますよ。
ところが残念、いつも車に積んでいる温泉セットは積んでなく、後ろ髪を引かれる思い。


          畑とモグラ脅し               広い駐車場へ

車に乗り込み塩という集落へ行き、そこから大平山方面の写真を撮った。
近くで作業をされていた方に少しお話を伺うことができましたが、このあたり一帯の山を「おおひらやま」と呼んでいるそうで、「おおもりやま」もあって、平家ノ森はやはり天王山と言ってるそうで、平家ノ森の呼称も知っているようでした。
熊押はくもおすと読むのかと思いましたが、会った方は短くくもすとおっしゃってました。


            左から大平山、真ん中に763mP、右に熊押と続く稜線

帰りに大比から撮影した平家ノ森、散歩をされていた方からは桜咲く頃においで、それはそれは
奇麗じゃぞとおっしゃってた。


                   尖がり頭の平家ノ森

もう終盤ではありましたが、コセリバオウレンにも出合うことができました。
奥物部はきれいだし、いいところです。
今度はすこーし日が長くなったころに、どっしりとした物部の奥深い山へも登ってみたいものです。


                       コセリバオウレン

駐車場7:51-明石橋7:53-<ミスコースによるタイムロス:30分>ー表参道裏参道分岐9:12-分岐9:24-稜線9:27-9:31平家ノ森9:56-熊押10:25-三角点・シキベシ10:55ー11:23<763mP>11:38-分岐11:51-12:03大平山12:30-アスファルト車道13:25-簡易舗装車道13:48-山崎橋14:25-14:35駐車場


グーグルマップ(登山口などの位置がよくわかる地図)→こちら
ルートラボ(距離、時間がよくわかる地図)→こちら
               

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杖ヶ森・国見山…高知県

2015-04-23 | その他<高知の山>

杖ヶ森、国見山               つえがもり、くにみやま




山行日                   2015年4月18日
標高                    1019m、1089.1m
登山口                   長岡郡本山町吉延赤荒峠(あかあらとうげ)
駐車場                   なし(県道267号線広い路肩)
トイレ                   なし
水場                    なし
メンバ-                  坊主さん、むらくも




先日歩いた里山の小さな池では真っ黒なオタマジャクシが気持ち悪いくらいにうようよいた。
いつのまにか桜も散り、山はすっかり新緑に覆われている。
春、尾崎喜八の歌に次のようなものがある。

春は茫々、惨状の雲、
なんにもないのがじつにいい。
書物もなければ新聞もなく、
時局談義も、とやかくうるさい芸術論もない。
     …(略)…
目を細くして、俯いて、
無限無窮のこのまっさおな大空を
じっと見ているのがじつにいい。
     …(略)…
海抜四千尺の春の峠、
杖突峠の草原で腕を枕に空を見ている。

なんとなくぼんやりとした春にはなんにも無いところへ出かけて、できれば草原の峠なんかで、ひっくり返って青い空を眺めよう。
そんな歌なんですが、これまでに行ったことのない誰もいない山へ出かけてみようという気になった。
地図を広げて探してみた。
目に飛び込んできたのは、高知県本山町、吉野川の南で穴井川の西にある標高1089.1mの国見山。
直ぐ隣には標高1019mの杖ヶ森がある。
道があるかどうか調べてみた。
立派な道があるらしい。
そのはずです、国見山はかつて四国の山仲間の間では知る人ぞ知る、知らない人は知らない、知らぬは亭主ばかりなりという苓北ネ-チャ-ハントの山でした。

登山口は県道267号上穴井本山線の赤荒峠、これをなんと読むのか分からなかったので適当に「あからとうげ」とか「あからいとうげ」と読んでましたが後日に「あかあらとうげ」だと判明。
日本語はほんと難儀で、なんとかなりませんかとぼやきたくなります。
というわけで、まずまずのお天気が見込める土曜日に坊主さんを誘ってでかけることにした。

妻は、keitannさんとアケボノツツジの咲く三辻山~工石山へ出かけるらしい。
後日にわかったことなのですが、国見山と三辻山は赤荒峠を挟んで西に笹ヶ峰(四国百山)、そして樫山峠のさらに西に繋がる尾根続きの山でした。




登山口の赤荒峠までは自宅からは近くて、高速を使って1時間半程度、山での予定する総行同時間は休息休憩をいれて4時間少々、時間には十分に余裕がある。

豊浜SA8:00出発、大豊IC8:20通過、吉野川を遡るようにしてR439を西に走る。
お天気はまずまずで、吉野川を流れる水は花浅葱色を少し透明な青に近づけたような不思議な色合いをしている。
ル-ト沿いの畑などのあぜ道には様々な春の花が咲き、たくさんの鯉のぼりが民家の間々で風に吹かれ泳いでいる。
華やかだ。
大豊ICから15分ほど走った井窪から県道267号上穴井本山線へと左折し、途中美しい棚田のある吉延を眺めながら上穴井方面へ。
道はくねくねと曲がってはいたが、舗装はしっかりしていて走りよい。
辺りの山々は新緑に覆われており、景色も空気も清々しい

出発した豊浜SAからわずかに1時間、予定より随分と早めの9時に、目的の赤荒峠到着。
この峠を東西に挟む山塊をなんというのかは知らないが、東にはわずか1.3km先で尾根は南北に別れ、北へは927.8mP三角点・五平切を経て大杉に下り、南へは明神岳(嶺北ネイチャハントの山)を経て穴井川に落ち込む。
西には笹ヶ峰、三辻山(いずれも嶺北ネイチャ-ハントの山)や樫ヶ峰、さらに遠くに鷹羽ヶ森まで延々と続き、仁淀川もしくはその支流の上八川川に至る。

道路わきの広い路肩に車を止める。
ガ-ドレ-ルの傍ではムラサキケマンが迎えてくれた。
車道東側の低いコンクリ-トの上に鉄骨のフエンスがあるが、一部開けられているところがあって、そこが国見山への登山口となっていた。
標識には参勤交代路まで約1時間20分と記されている。
9:15、古タイヤを踏み台にして、コンクリ-トに乗り、出発。




最初は荒れた道だが、直ぐに自然林の落ち葉の積もった歩きよい登山道になった。
遊歩道のような広い道で、途中にもしっかりした道標があって、迷いようがない。




登山口から13分ほどで四等三角点のある906.7mPに着く。
点名は猴躍の字があてられているが、コウヤクと読むのだろうか?
調べたが解らない。
よく似た熟語に猴攫(こうかく)というのがあって、中国の幻想的動物で山に棲む猿に似た妖怪とある。
単に猴を猿、躍を踊るとも解釈できる。
どんな意味があるのか気になりますが、正確なところは国土地理院かもしくは最寄りの町役場や教育委員会に尋ねるしかないようです。

三角点から奥の岩場へ入ってみた。
付近一帯にはアケボノツツジの花が咲いて居た。




本日はアケボノツツジガ目的ではなかったので、突然にピンクの花が目に飛び込んできて驚きました。
岩場の下にも咲いている木がだいぶあるようでしたが、すでに散り始めている木もありました。
それにしても高知県でのこの木の開花は、四国の中では相当に早いようです。




北西方向に景色が開け、大座礼山から東へ大登岐山の稜線が見えている。
ただし、この時には判らなくて、帰宅後にカシミ-ルで確認。

ツルシキミ




スミレの同定は難しい、葉の形からナガバノスミレサイシンかなと…クエスチョンマ-ク三つです。
右はエイザンスミレ。




ヤブツバキがまだ咲いてました。
ところどころに高知大学演習林と書かれた標があって、踏み跡が南東に延びている。
地図を見ると赤荒峠の南側に林道が東に走っており、そこと繋がっているようです。




バイケイソウがところどころで芽生え、鮮やかな緑が映えている。




リョウブなどの灌木帯が路の両脇に続く。
聞き覚えのある小鳥の鳴き声が歩く先々で聞こえてきた。
目の前を枝から枝へちょんちょんと渡り飛ぶ姿が見えた。
背中が青い。
オオルリだと思った。
カメラを構えるが、枝が邪魔をしてピントが合わない。
レンズの筒が往ったり来たり、迷っている。
オ-トフォ-カスのスイッチを切り、OFFにして、ピントをマニュアルで合わそうとした矢先に逃げられてしまった。




野鳥撮影用にそれ用のカメラを買おうと思った時期もあったが、とんでもない値段になってしまうので止めた。
F値の明るい超望遠レンズ、いわゆる328とか428とかは目玉がビョ-ンと飛び出てしまうほど高価。
最近コンデジで光学1000mm~2000mmというカメラが発売されているのですが、動く物体には弱く、晴れた日でないとブレたり暗く写ってしまうようです。

カタバミ。
地籍調査図根三角点というのがありました。




オオルリが去った後、突然、坊主さんが「るりちゃ-ん」と叫ぶ。
びっくらこいた。
う-む、愛情に餓えているのか!
それとも話し相手が欲しいだけなのか?

妻と散歩しているときに、鳴き始めのウグイスにヘタクソと叫んだところ、ウグイスが固まってしまったことがあるが、それとは少し違うようだ。

10:08、参勤交代の旧官道に合流した。
参勤交代道、左へは本山町、右へは香美方面と記された道標が立派な道の傍に立っている。
左へ進む。




ヤマエンゴサクルリソウ(訂正)ジロボウエンゴサクとヤマルリソウ
右からの林道と合流。




10:14、国見越え”殿様道”と書かれた看板が設置されている分岐に着いた。
ここは参勤交代の道で北山通りの国見越え、九代土佐藩主だった山内豊雍公が「山幾重越えつつ見れば土佐の海や 千里の浪も霞む長閑さ」と詠んだと書かれている。
国見越えは景色のいいところだったらしい。
なお道は「高知-布師田-領石-穴内-本山-川口-立川番所-伊予馬立」となっている。
そういえば、高知愛媛県境の笹ヶ峰にも豊雍公の「朝風の音のするみね…なんたら…鶯…どうしたら」という歌碑が立っているのを見たことがある。

林道を右へ行けば国見山への登山口だが、左の参勤交代の道にとり、杖ヶ森を目指す。
いまではわずかな登山者しか歩かない寂しい道だが、殿様の行列は多いときで2000人を超えたときもあったとか…。
これほどの大人数だと、後ろは見えない、前後では山一つ二つほど距離が開いたのじゃないだろうか?

加賀藩の歌に次のようなものがる。
あとともは 霞みひきけり 加賀守

(参考)
元禄時代は各藩競争したようで次第に人数が増え派手になったそうです。
因みに土佐藩は元禄元年の1684年-2025人、その後1688年-2531人、1690年-2775人、1697年、2813人、1698年-2615人。
一日に歩いた距離は10里(40km)。
掛かった費用は1684年のときは1200両、物にもよるがだいたい1両10万円で1億2000万円。
人件費で換算すると1両30万円とする説もあり、これによると3億6000万円、莫大な金額です。




道は掘れ、次第に荒れてきた。
がらがらの道を下った鞍部が国見の石垣というという所のようでした。(看板有り)
北山通りの道は杖ヶ森を南に巻くように続いていて、本来はこの道を辿って広場に出たところで折り返すようにして杖ヶ森の山頂へ上がる踏み跡を辿るのですが、わたしたちは直登することにして、尾根を登った。




尾根の小さな肩に出たところで、左折し岩場に寄った。
西に景色が開けているようでしたが、遠くに見える山がどこなのか、判りません。
後日に調べたところでは、中央右奥に霞んで頭だけが小さく写っている山は今日keitannさんと妻が登っている工石山のようでした。
赤荒峠は左端の山の向こう谷側になるようで、その奥に見えている山並みは笹ヶ峰から三辻山、工石山への稜線のようです。




岩場を離れだらだらしたヤブ尾根を登り詰めると祠の跡の土台の積み石があった。
山頂標識もなにもない。
GPSで確認した。
どうやらここが杖ヶ森山頂のようです。
景色はないので一息入れた後すぐに下山。
来た尾根を引き返さず、北東への薄い踏み跡と青いテ-プを追った。
北山通りの道標のある広場に出た。
北山通りは左へ吉延を経て本山へと続いている。
右折し、杖ヶ森の南を巻く。
途中、頭の上の高いところでミツバツツジが咲いていた。
トサミツバツツジだろうか。




分岐(国見越え)の手前まで引き返し、林道に出たところで左折し東へと進む。
すぐに国見山登山口への道標があって、左折し林道を離れる。
(道標はわたしの陰になっていて見えていない)




これが林道脇三叉路に立っていた国見山への道標です。
リョウブやシロモジなどの灌木が続く。




途中展望の好い遠見岩と云われている岩場に寄ってみた。
そこからは南に景色が開けており、太平洋が光っている。
広がる街並みは高知市のようです。
(写真には写らず真っ白け)




奥まった広場には林道が左から上がってきていて、ここが終点のようです。
北に広がっている景色は、霞んでいてよくはわからない。
坊主さんが遠くの山にアンテナが2本見えていると言う。
(梶が森のようでした)
空気が澄んでいれば遠くに白髪山やカガマシ山が見えるようです。




11:54、二等三角点・池野のある国見山山頂に到着。
傍にははしごが壊れて上がることが出来ない展望台があった。
ここに登ると高知方面や、眼下に穴井ダムも見えるようでしたが、昇ることは諦め、お昼ご飯とした。

座り込みザックの中に手を入れてごぞごぞっとサンドイッチを取り出す。
同じくランチボックスの中に入れて置いた牛乳を探したがない。
ないないない、どうしたんだろうと不思議に思って探したところ、足元にはすでに開封してストロ-を差し込んで一口飲んだと思われる牛乳パックが転がっていた。
あら、出したことも飲んだことも、まったく記憶にない。
摩訶不思議。

坊主さんが呆れてしまって、食べようとしていたソ-セ-ジにかぶりつくのを止めてアッパ顔、アハハ





30分ほど山頂で寛いだ後、来た道をとっとと下山。
途中、山頂のちょい手前で登ってこられる単独の男性にすれ違った。
足がめちゃ速い。

ブナの木もところどころにありました。




群生するシコクブシ。
道端に生えているヤマオモトやヤブレガサ、いろいろなスミレを眺めながら、あっと言う間に906.7mP三角点に。
ここで本日初めてのコ-ヒ-ブレイク。
もう一度、岩場を覗き、アケボノツツジを眺める。




ヤブツバキと奥にトサミツバツツジの花がちらほら。
13:30、赤荒峠に下山。
山頂手前ですれ違った男性が早くも降りてきた。
健脚ですね~。
いやいや、そうじゃない、わたしたちが遅いのでもあります。
今日の総行動時間は休憩込みでわずかに4時間15分、少し歩き足りない感じだが、ここから西への笹ヶ峰をピストンする元気はない。

2座歩いたし、苓北ネイチャ-ハントの山とは知らずに登ったとはいえ、偶然にも一つ片付いた。
なんといっても歴史のある土佐藩参勤交代の道を歩いたことだし、言うことナッシ-♪




帰り道、土佐天空の里と云われている「吉延の棚田」に寄ってみました。




カメラも腕も悪いのでこんな写真しか撮れませんが、実際に見る景色は最高でした。
(田井山の裾野に広がる棚田)




奥には白髪山ときびす山が聳えている。
時間を違えて四季折々に訪れてみたいと思わせる、日本の原風景が広がっていました。




赤荒峠登山口9:15-9:28岩場(906.7mP三角点・猴躍)9:33-旧官道合流10:08-分岐(国見越)10:14-10:54杖ヶ森11:11-分岐11:40-11:54国見山12:27-分岐12:39-13:05岩場(906.7mP)13:22-13:30赤荒峠登山口


グ-グルマップ→こちらへ(登山口など位置が分かる地図)
ル-トラボ→こちらへ(距離・時間・動きが把握できる地図)

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平家ノ森…高知県

2015-03-07 | その他<高知の山>

平家ノ森            へいけのもり


山行日             2015年2月28日
標高              530m
登山口             物部町山崎「明石橋」
駐車場             R195号線沿いに広い駐車場あり
トイレ             同上駐車場敷地内にあり
水場              なし
メンバ-            Kさん、ピオ-ネ、むらくも




妻が高知にあるアンパンマンミュ-ジアムに行こうと言う。
還暦を過ぎた女の目的が他にあることは分かっている。

一昨年亡くなられたやなせたかしさんの漫画アンパンマンは小さな子どもさんたちのヒ-ロ-、わたしの上の子どもが小さい頃、アンパンマン大好きで、歌に合わせてそれはそれは楽しそうに踊ってましたが、あれから数えて20数年にもなる。
この漫画を初めて見たときに、顔を囓られて空を飛んでいる姿を見て驚いた。
ゲッ!
こんな主人公は子どもたちのヒ-ロ-にはなりえないと思った。
ところが大人気、今に続いている。
どこにそんな人気の秘密があるんでしょう。

故やなせひろし氏によるとアンパンマンは何のために生まれてなにをして生きるのかがテ-マなんだそうです。
答えは人ぞれぞれに追求していくもので、誰かがこうだと決めるものではないようです。
やなせさんは戦争体験者、そこには飢えとひもじさとその先に見えるものは死しかないが、それでもわずかな希望を保ち生きていく。
「絶望のとなりに誰かがそっと腰かけた。絶望はとなりの人に聞いた。あなたはいったい誰ですか?となりの人は微笑んだ。私の名前は希望です。」
生きていることが大切、今日まで生きてこられたなら、少しくらい辛くても明日もまた生きられる。
そうやっているうちに次が開けてくる。
平和なことがどれほど大切かやなせさんはしみじみと教えてくれる。

何のために生まれ、
何をして生きる。
わからないまま終わる、
そんなのは嫌だ。

何が君の幸せ?
何をして喜ぶ?
わからないまま終わる、
そんなのは嫌だ。

維新における英雄たちをはじめ、文化・芸能・スポ-ツあらゆる分野で、高知県は才能あるひと人が多く傑出する地のようです。



古から生活色濃い歴史のある山で、高知県物部に聳える平家ノ森という山なんですが、土佐中街道R195号線を東に走って大栃に近づいて臼杵トンネルを抜けると右手に尖山が見える。
この山の山名平家ノ森は国土地理院地図に載せられているものであって、実際には天王山(てんのうやま)として親しまれているそうです。
またの名を天王ノ森と言って、安徳天皇の行在所との言い伝えが残っている。

また、山頂の下には須賀神社の社があって、調べてみると祇園信仰の神社で牛頭天王・須佐之男命が祭られている。
祇園信仰の神社のなかには須賀神社のほかに天王神社もあって、下の集落の天王と縁がありそうな感じです。
天王といえば、京都にある天王山、明智光秀と秀吉が戦ったあの有名な「天下分け目の天王山」ですが、京都山崎というところにある。
大阪側にはマッサンで有名なサントリ-山崎の地がある。
そしてこの物部の天王ノ森の山裾にも山崎の地がある。
偶然にしてはあまりにも京都に縁のある地名が二つとも重なっている。

というわけで、この日、Kさんと妻とわたしの三人でアパンマンミュ-ジアムから近い山、東北東に直線距離で10km先にある平家の森へ出かけることにしました。
場所は景観の美しい長瀬ダム、このダムは三嶺の西熊渓谷から流れ込む韮生川と、石立山の別府峡谷から流れ込む物部川が合流したところで堰き止められた湖水ですが、その湖の南側に聳えています。
トンネルを越えて北東へ少し走ったところで川に架かる赤い橋を見つけた。
車を近くの広場に止めて、ザックを背負ってその橋を渡ろうとしたが、橋の名は高尾と堀田に架かる「高宮橋」、違う。
わたしたちが渡らなければならない橋は大きな赤い橋の大栃橋を渡り、トンネルを抜けてすぐのところにある「明石橋」、トンネルを抜けてすぐでしかも同じ赤い橋なのでいきなり間違ってしまいました。
よく確かめると、似たような赤い橋が川のあちこちに架かっています。

仕切りなおし。
8:51、大栃橋を渡りトンネルを越えたところにあるR195号線沿いのトイレのある広い駐車場に車を止め、橋を渡るが、橋脚には橋名板が剥がれ落ちてしまったのかなかった。
Kさんがスマホの地図ロイドで確認してくれましたが、間違いなく目的の登山口に架かる橋、明石橋。

渡ってる途中で後ろからバイクに跨った男性の方が声をかけてくれました。
挨拶をしながら平家ノ森に登る旨伝えたところ、途中の天王集落へ行く途中なので、バイクの轍跡が着いているのでそれを目印にして登ってきなさいとのこと。
わたしたち、ゆきねえさんのHPさるのこしかけの平家ノ森レポ-トを読んできていたのですが、道は随分とややこしい。
これで助かったと思いました。

橋を渡って右折、気持ちが軽くなり、歩く足取りはるんるんです。




この道はバイク道と呼ばれていて車は入れないのですが、まるで遊歩道のように歩きやすい。
物部川と舞川が合流する左岸沿いの道をしばらく登っていくと、ところどころで分岐があって、やっぱり分かりにくく何度か立ち止まりこっちだろう、あっちだろうと言いながらなんとか天王集落跡と思われる立派な石垣に。
9:34、民家の玄関先の変形四つ角に着きました。




展望の良いところがありました。
この時にはどこの山かわからなかったのですが、三角錐の格好のいい山が遠くに見えました。
帰宅して地図で位置確認したところ、四国百名山の一つ御在所山(標高1079.1m)でした。
手前右側にはタラッとした尾根が見えていますが、これは北西にある舞川対岸に聳える標高542.9mの大比山の尾根でしょう。
地図を見ると大比山山頂へは、電波塔があって車で行けるようでした。

それにしても山の肌は杉の木に覆われ一面茶色に染まってます。
杉花粉ですね。
見ているだけで目が痒さを通り越して、痛くなってきました。




民家の玄関先にある四つ角に引き返して、さてここからどっちへ行ったものやら、石段に上がってみるとそこは墓地で行き止まり。
引き返して石段右手の道へ行こうと思ったのですが、Kさんと妻はUタ-ンして下の道を南西に向かって歩き始めました。
石段右手の道だったような気がしたのですが、記憶が曖昧。
やがて竹林の風景が、まっちゃいないこの道です。




少し先で四つ角に出合いましたが、直進先の道は踏み跡濃く、左右の道は踏み跡薄い。
直進しそうになったのですが、足元を見ると木の枝で左折方向に矢印がしているではありませんか、道先にはバイクが止められている。

どうやらこの矢印はバイクのおじさんが、とは言ってもたぶんわたしより若い方ではないかと思うのですが、その方がわざわざわたしたちのために作ったもののようです。
矢印の方向へと左折するとその先の右手に堂宇があって、左手杉の木と竹に挟まれるようにして屋敷神と思われる石塔のようなものがあった。

上からバイクの男性の方が降りてきた。
どうやら作業を中断してわたしたちを迎えに来てくださったようです。
矢印をしてくれたのはやはりこの方でした。
天王集落のこと、須賀神社のこと、展望の良い岩場のことなどなど、しばらくお話をして、ここから先間違いのないところまでご一緒していただきました。
ご親切に痛く感謝です。




男性の方は鍛えられてます。
足が速くて、あっという間に引き離され、追いかけることができません。
途中、左への濃い踏み跡があったのですが、これが平家ノ森を北に撒いて緩やかに登っていく裏参道への道だろうか?
少し踏み跡の薄い表参道への道に案内してくれました。
木の幹に青いテ-プが施されているのでそれを目印にして進みなさいとのことでした。

お別れした後、斜面を登るが、すぐに岩場に突き当たり、ヒ-コラ言いながら足を運びますが、Kさんはとうとう四つん這いに。
岩場の一か所には短くロ-プが施されています。
そこを登り切って鳥居に出た傍には、狛犬が鎮座していました。
妻は狛犬にも阿吽があると説明してくれた。
はれ~、そうなんだ、口の開いた方が阿形、閉じた方が吽形、お寺にある仁王と一緒なんだね。
阿吽とは宇宙を意味していて、日本語の50音が「あ」に始まって「ん」で終わるのも宇宙を意味するものだという。
う~ん、わたしこの年になって初めて知りました。(汗)
とすると、ここから先は宇宙の世界、聖域もしくは聖地ということのようです。




昔は石段があったと思われる、石のごろごろ転がった急な尾根を登る。
神社が見えてきました。
足がもつれて、大きな杉の木にもたれかかった。




きれいに加工された石を、いくつも積み上げて造られた須賀神社。
狛犬もそうですが、ここまで石を運び上げて造り上げた当時の方たちはどんな筋肉隆々の持ち主でしたでしょうか。
Kさんは、神社が建立された当時は、お米さえもなかなか口にすることのできない粗食な生活だったはずなのにねとしきりと感心されてました。




10:16、平家ノ森と云われる小さな祠のある山頂に到着、傍にはキティ山岳会の山頂標識がくくりつけられていたが、ここばかりはこの山頂標識はふさわしくないと思った。




お昼にするにはまだ早い。
熊押(くもうすもしくはくもおす)方向へ。
迷わず熊押へ行く気になったのは、ゆきねえさんのレポがあったからこそです。

あら~、わたしの後頭部、えらいこと禿げて光ってます。
これは時間の問題ですね。
なんや知らん、Kさんと妻の話では、Kさんのブログにわたしの写真を載せる際に、薄く禿げた後頭部をわざわざ加工して黒く墨を塗ったとか、それは妻の要望だったという。
写真を見たとき後頭部がえらいこと黒々としてたので、一瞬、オッ!生えてきたのかと思って喜んでたのですが、違うかった。
ガックシ。

馬酔木の白い花が輝いてました。




イノシシのヌタ場がありましたが、ここは低い石垣があって、土地が平たい。
集落跡かなと思ったりもしましたが、後日に調べてみると、昔は農地だったところのようです。




小さな赤い実が生った低木。
Kさんはひょっとして百両の木かもとおっしゃってましたが、千両、万両の木があるのは知ってましたが、百両もあるんですね。
一両と十両もあるとのこと。
因みに十両はヤブコウジ、一両はアリドオシですって、そうなんだ、わたし無知ですね~。

それにしてもアカマツが多い尾根です。
ひょっとして昔はマッタケが採れてたのかな。




平坦な尾根に差し掛かりました。
なんとなく集落の雰囲気がするねと言いながら歩いていると、11時11分、墓地跡と思われる場所に差し掛かり、すぐその先で廃屋が見つかりました。
そこは熊押の集落跡のようでした。




立派な石垣の屋敷跡とまだ住めそうな廃屋もあって、傍の木には誰かが作業を中断してるような雰囲気でアルミ梯子が立てかけられています。
思わず屋敷跡に向かってこんにちはと挨拶しそうになってしまいましたが、シンとして誰もいません。




立派な石垣。
峠と思しき所にあった大木。
社があって、その裏の祠には奉産宮三教八幡宮と書かれていました。




さらにここから先へ尾根道を進むと大平山へ行けるそうですが、今日はここまでにして引き返します。
峠からあるいは尾根途中から北へ下る道や裏参道もありましたが、そのまま尾根伝いに戻ります。

ツツジの芽がだいぶ膨らんでます。
枝先には昨年の種が残ってましたが、Kさんの話ではひょっとするとアケボノツツジかもしれないとのこと。

ちょこっとした急登を登りかえして…。




再び小さな祠のある平家ノ森山頂に。
須賀神社に寄ってザックを降ろし、お昼の休憩。
樹幹越しに景色を楽しみます。




見下ろせば、長瀬ダム。
青い湖面に赤い橋が見えますが、こういう水の色合いをなんと言うんでしょう。
オパ-ルグリ-ンとかブル-グリ-ンとかってのがありますが、そんな不思議な色合いです。

遠くに雪を冠った高い山が見えていましたが、写真を撮り忘れてしまいました。
たぶん、方角からして綱附森や土佐矢筈山でなかったかなと…、至極残念なことをしました。




須賀神社の南側を少しズリズリいわしながら下って、大岩に乗って遊んでみました。
舞川の上流と奥深い山間の絶景です。




Kさんも妻も大岩に跨って景色を眺めていましたが、怖かったのかすぐに降りてしまいました。
さて、そろそろ下山しましょう。




昨年まで住まわれていた四つ角のある民家の上まで降りてきましたが、そちらへは行かずに、赤テ-プでバツ印が施された木を乗り越えて、朝辿った堀田方向の四つ角へと下ります。
理由は、朝、道を案内していただいた方に教えてもらった岩崖の下の展望所へ寄るためです。
四つ角を左に折れて歩いていくと、右手に廃屋、左手にも石垣があって、この辺りも天王集落の一部だったことがうかがい知ることができました。
今歩いている道は坂という集落への道なんですが、途中で橋があるところで崩れていて、そこから先へは進まないようにと男性の方に注意を受けています。
しばらく進むと三叉路が現れました。
右へは尾根を下る道、左へは山際を巻いています。
右の尾根方向に下ったが、舞川沿いにある宇井というところへ下りるような感じでしたので引き返した。




元の三叉路に戻って左の方向へと進むとすぐのところで岩崖の下に出て、その先で男性に注意された橋に突き当たった。
この先では崩れている様子。




右手は景色が開け、舞川の向こうの集落は頓定、宇井、スゲノソヲというところのようです。
山すそを縫うようにしてつけられた道を車が走っている風景が見えました。
後日、地図を見ると中屋から山上のスゲノヲ、そして川裾の宇井へも車道が走っています。

そのスゲノヲ辺りの民家から野焼きの煙が立ち上がっています。




中腹にある民家をズ-ムで引き寄せてみましたが、手入れされた段々畑がきれいに映ってました。




引き返すことにしました。
崖には秋のように色づいた木がありましたが、ツツジはまだ葉が出ていないので、なんでしょう?
やがて民家の玄関先も通り越し、天王集落の萱場跡と思われる横を通って。




道端に咲き始めのちっこいショウジョウバカマ。




バイク道を歩いて、朝見たモノレ-ルのところへ。
物部川に架かる明石橋を渡ります。




左にはオパ-ルグリ-ン色をした湖面の上に大栃橋。
右には光の加減でしょうか、ブル-グリ-ンの深い色と、遠くにやはり小さめの赤い橋が見えていました。
立ち止まってカメラを湖面に向けると、それまでのんびり寛いでいた水鳥が一斉に飛び立ち、栄養のたっぷりした重たそうな体で西へと羽ばたいて行く。
写真を撮って引き延ばしましたが、ボケていてなんちゃわからん。
目の周りが白くて、首筋が赤茶色でしたが、見たことのない鳥。




暖かい春のような日差しの中で、橋の欄干で咲くヤブツバキ。
R195沿いの空き地で咲く、満開のオオイヌノフグリ。




13:26、駐車場に帰り着きました。
帰路、195号沿いから眺めた平家ノ森はやはり尖がってますね。
裾では紅梅が咲き、のんびりした風景が広がっています。

いや-、思いがけずいい山に登ることができました。
もう一度、今度は大平山まで歩いて、できることなら周回をしてみたいものです。
今回は表参道の道を歩きましたが、裏参道やあるいは高宮橋からの道も辿ってみたいと思いました。
この山をマイナ-な山として紹介しているガイドブックがありましたが、決してただのマイナ-山ではないですね。
静かな湖面の物部川から赤い橋を渡って、旧バイク道を歩いて、集落跡の残る歴史のあるいい里山です。




帰りに道の駅に寄って、妻が食べるのを横目でチラチラ見ながら、小さな子どもさんが楽しそうに遊ぶ姿が微笑ましかった。
わたしもソフトクリ-ムにすればよかった。
苦いコ-ヒ-が喉を通り過ぎていく。

セリバオウレン




日差しを受けて咲くセリバオウレンと、コセリバオウレン。
暖かい高知での一日でした。




登山口8:51-変形四つ角(民家玄関先)9:34-平家ノ森10:16-熊押11:11-11:52平家ノ森・須賀神社12:15-坂への道途中にある橋12:44-変形四つ角(民家玄関先)12:54-13:26登山口


グ-グルマップ→こちら(登山口などの位置が判り易い地図)
ル-トラボ  →こちら(距離・時間がわかる地図)

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