むらくも

四国の山歩き

伯州山(岡山県鏡野町)

2024-04-19 | その他<四国外の山>

イワウチワ


登山口  岡山県鏡野町赤和瀬

山行日  2024年4月18日(木)

標高  1044.9m

三等三角点  点名 伯作山

駐車場  登山口すぐ傍(拡張済 おおよそ40台程度、マイクロバス可)、トイレあり)

コース  新コース~滝谷コース

おおよその距離と所要時間  4.8km 標準タイム2時間15分

 


イワウチワやキクザイチゲなど貴重な花咲く伯州山は恩原高原スキー場から近くて、赤和瀬渓谷の奥に聳えるおおよそ1045mの山で

人形峠から東に5kmほど、鳥取県と岡山県境に聳えている

山頂からは西に伯耆大山が望めるがこの日は黄砂の影響でまったく見えていなかった

健脚な方は高清水トレイルといって、人形峠から高清水高原を経て伯州山、そして赤和瀬へと下るコースを歩くが

距離が約8.7kmある

もしくは赤和瀬へ下らずピストンするとおおよそ13km弱

赤和瀬を起点に丸山ーブナの台頭ー霧ヶ原ー伯州山を周回するコースを辿ると距離はおおよそ7.4km

わたしたちは最短コースで赤和瀬から新コースを辿り伯州山から引き返し滝谷コースを下って赤和瀬へ

距離はおおよそ4.8kmでゆっくり歩きを楽しむこととした

いやさ、脚力がないのでこれしかできないのが実情ですが、8時半に登りだして

降りてきたのが12時半、花探索をしたり昼食を摂ったりでかなり時間を割いた

結果、たくさんの花を見ることができました

幾種類かのスミレ、キンシベボタンネコノメソウ、キクザキイチゲ、オオイワカガミ、タムシバ、コブシ、コチャルメルソウ、

イワナシ、ミヤマカタバミ、オオカメノキ、エンレイソウ、ショウジョウバカマなど

イワウチワについては滝谷コースと新コースの分岐から先で群生していましたが

どちらかというと新コースの尾根道沿いのほうが圧倒的に多かったようです

滝谷コースを歩くときの注意点としては渡渉地点が主に二か所あり、特に大雨のときは

渡渉困難になるかと思われます

なお、野鳥もたくさん居てるようで、間違ってるかもわかりませんが、この日、聴こえてきたのは

ヒガラやシジュウカラなどのガラ族、キツツキ、ツツドリ、ソウシチョウ、キビタキ、ミソサザイなどなど


 

 

赤和瀬駐車場                 登山口傍の道標 

 

ショウジョウバカマ           コブシ         

 

       ○○スミレ           新コースへの入り口

 

 

イワウチワ

 

 

伯州山荘               三角点と山頂

 

 

ミヤマカタバミ                  滝谷コース   

 

イワナシ                    渡渉地点①

 

キクザキイチゲ               ミヤマカタバミ  

 

渡渉地点②(分岐地点)               キクザキイチゲ      

 

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加西アルプス(善防山・笠松山)

2024-03-31 | その他<四国外の山>

 

《加西アルプス》善防山・笠松山…兵庫県加西市

山行日 2024年3月30日(土)

標高 善防山251m 笠松山244.4m△点あり

駐車場 善防公民館(トイレあり)

登山口 善防公民館駐車場前

下山口 古法華自然公園

周回距離 おおよそ5.7km

 


ヤマザクラとツツジの咲き始めのこの時期をねらってこの山を歩いた

登山口はあちこちにあるが、広い駐車場のある皿池の傍の善防公民館の目の前にあるところから

登って善防山を目指し、山頂からは西に聳える笠松山への尾根道を歩く

途中の鞍部に吊り橋があって、ここには磨崖仏があるそうだが見つけることはできなかった

ここを過ぎてほんの少し先には岩尾根があってそこからの展望は抜群

歩いてきた尾根道や善防山、笠松山やそこへ至る尾根と岩壁が広がっている

お弁当を食べて笠松山へ

岩場の急登を一登りすると展望所のある笠松山、ここからの眺めも最高に良い

帰路は南の道を辿り左折し古法華寺へ下ったが、実は直進し東屋経由で下って八の字を描くようにして

尾根を登り返すと「馬の背」があったのだが、行きそびれてしまった、あー、残念

下ったところにある古法華寺には長石で造られた石仏群は圧巻でした

つり橋の下の切通しを歩き、出発点の皿池へ

因みに善防山には昔、山城があったところで善防山城(善防師城)といって、1346年に赤松氏によって築城されたとされている

1441年の嘉吉の乱では激しい闘いがこの地で繰り広げられ、その戦いで亡くなった兵士たちの白骨体が

明治初期頃まで木の葉の下に眠っていたとされている

山頂付近にははっきりとした曲輪が残されていたり、虎ノ門と思しき箇所もある

山頂に残された岩の近くではヤマザクラが咲き始めたばかりできれいでした


 

善防山山頂(善防師城跡)

皿池南側に善防公民館駐車場があり、道を渡った山手側に登山口と道標がある

 

駐車場の様子            登山道から笠松山北東遠望

 

ミツバツツジ                  頂上標識       

 

山頂の様子                   山頂からの景色

 

幹に括りつけられた古い史跡               笠松山への道標  

 

笠松山遠望                    尾根道と吊り橋  

 

展望の良い岩尾根             採石場方向の風景

 

善防山を振り返る                笠松山   

   

笠松山山頂直下の登り           笠松山展望所      

 

善防山と登山口のある皿池遠望           古法華寺の長石で彫った石仏

   

切通し(上に笠松山ー善防山間の吊り橋がある)       王子皿島と眼鏡橋           

 

 

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坊ガツル…九州

2019-05-31 | その他<四国外の山>

黒岩山、上泉水山、下泉水山、沓掛山


山行日  2019年5月16日・17日
標高   1502.5m、1447m、1296m、1503m
登山口  牧ノ戸峠および長者原くじゅう登山口
駐車場  牧ノ戸峠
トイレ  牧ノ戸峠、長者原、坊ガツル、法華院温泉、久住分れ避難小屋
水場   牧ノ戸峠、長者原、法華院温泉
メンバー 坊主さん、ピオーネ、むらくも


梅雨前線が日本列島南海上付近で停滞し、二つの高気圧に挟まれて怪しい動きをしている。
湿った空気が南から吹き上げ、九州から東北にかけていつ雨が降ってもおかしくない状態だ。
気象庁の週間予報も日をかえ、地域によってころころ変化し予想がつきにくく、北陸の山へ行ったらいいものか、それとも九州の山にしたほうがいいのか、悩ませた。

出発する前々日にも決まらず、沖縄地方が梅雨入りしそうだというニュースもあったりでとうとう投げてしまい、坊主さんに下駄を預けた。
「雨が降ってもしゃーない、わしゃ知らんし、後悔するな」捨て台詞を吐いていた坊主さんから、前日になって、九州・くじゅうに行くとの連絡を受けた。
こういう場合は、下駄を預けたほうが無責任というもので、雨覚悟で出かけることにした。

雨具の点検と、カメラの器具ややバッテリー類、靴、衣類などを入れるビニール袋を確保。
15日、佐田岬の三崎港から船に乗って佐賀関港で下船し、スーパーボランティア尾畠春夫さん縁の山、由布岳を眺めながら大分道を走る。
夕方、長者原の温泉に入り、宿泊。

16日 晴れ
この日、沖縄が梅雨入り。
お天気次第では福井の荒島岳へ行くことを考えていたが、山は雷雨の予報。
南無大明神、坊主さんの念力が通じてくれた。
まんまんちゃんあん。
これまで坊主さんのネーミングはいろいろと変遷してきた。
ちまちま隊長→しまちまおいちゃん、そして今後はまんまんちゃん大明神に。

大昔、片岡千恵蔵扮する名探偵多羅尾伴内の「七つの顔の男」という映画があったが、四つの顔を持つ男まんまんちゃん大明神だ。
あるときは運転手、あるときはマドロス、あるときは手品師…、しかしてその実態は悪を暴く正義と真実の使者……。
なーんていうのがあった。


         黒岩山登山口                    ハルリンドウ

標高1330mにある牧ノ戸峠駐車場に移動、長者原に向けて黒岩山登山口を出発。

当初の計画は庄内町にある男池湧水群登山口から登り「かくし水ーソババッケー風穴ー高塚山ー天狗岩ー風穴ー段原ー坊ガツル」へ、そして翌日はうどん越を経て平治岳を歩く予定だったが、登山口付近に前泊する適切な場所がなく黒岩山に変更した。



すぐに展望所があって、ノリウツギやアセビなどの灌木が群生する平坦な尾根を過ぎると黒岩山への急登が始まる。
高度を稼ぎ後方を振り返るとパラパラと駐車した牧ノ戸峠が見え、足元にはハルリンドウが咲き、ところどころにミヤマキリシマの鮮やかな花が咲き始めていて、右手はるか後方には雲の上に阿蘇山が聳えている。


                         黒岩山山頂

登山口から40分ほどのところに道標があって、右へ行くと黒岩山を巻いて泉水山へ直行。
左へ行くと黒岩山山頂を経て、泉水山へ。
迷わず山頂へ向かう。
道標から8分でシャクナゲが咲く三等三角点・黒岩山に到着し、岩の上に立つ。
眺望は抜群、東には平治岳、三俣山、久住の山並。
わずかに硫黄山から火山性の煙が立ちのぼっている。



西眼下には八丁原地熱発電所や温泉からの湯けむりが立ちのぼり、後方には風力発電の大きな羽根がゆっくり回っている。
方角としてはちょうど有明海方面を眺めていることになるが、幾重もの山並みの後方が海かどうかはよくわからなかった。



岩の上から眺望を楽しみ、山頂をあとにして上泉水山へと進むが、手前にイワカガミの咲く小さく尖がった岩場があって、
リュックを根元に置いてそこに登ってみた。


          黒岩山                  三俣山・星生山方面

ソロの女性がゴゾゴゾと踏み跡のないところから這い上がってきた。
ウオーっ、とんでもないところからと思ったが、どうやら道をはずし、迷いそうになってたらしい。


         上泉水山方面                  長者原・タデ湿原方面

女性の方にお尋ねすると、牧ノ戸峠から黒岩山・泉水山を経て長者原へ下っての半日の山行予定で歩いているとのこと。
長者原には広い駐車場があり、牧ノ戸峠へのバス便がある。
便は少ないが、これを利用すればこのコースは手軽に歩けて、しかも展望がいいので地元では結構人気があるようだ。
因みにバスを利用しない場合、長者原・牧ノ戸峠間は歩きよい遊歩道が整備されているようだ。
眼下には星生温泉など、くじゅうの各温泉施設の煙突からは湯煙が上がっていた。



風はほとんどなく、空気が沈滞しているのだろう。
硫黄の匂いがかすかに鼻を衝く。
中には満開に近いミヤマキリシマの株もポツポツ散見されたが、まだまだこれから、それでもわずかではあったが風景に彩を添えてくれていた。



         上泉水山                     大崩ノ辻方面

大崩ノ辻を左にして分岐を右にとり、9:51、標高1447m、山頂標識のある上泉水山に到着。
ここから長者原までは下る一方で、途中にある下泉水山は標高1296m、登るというほどのものではなく、下った先にある肩程度の山。
馬酔木のトンネルを抜け、ちょっとした岩場のところが下泉水山だった。



下泉水山を下り、ほぼ直角に曲がると左手は草原が広がっており、たくさんのキスミレやハルリンドウなどが咲いていて、
柵がないので牧場でもない。
九州にスキー場?と思ったが、牧ノ戸峠の西側に合頭山があって、さらにその西に九州森林公園スキー場というのがあって、リフトも設置されている。



見渡したがここにはリフトはなく、春になると野焼きが行われている場所のようでした。



下る方向を東から南へと変え、奥郷川に架かる細い橋を渡る。




ちょうど満開のフジやガマズミの花を眺めながら川を越えると、長者原に到着でした。
朝、出がけに宿泊した施設に預けていたテントなどの荷物を受け取り、公園のベンチでおにぎり弁当を頬張る。



リュックを整え、飲料水を確保したあと、硫黄山を眺めながらタデ湿原へと入り、久住登山口へと向かう。
硫黄山を眺めるとそこへ至る中腹には、鉱山道がくっきり見えていた。



サワオグルマの咲くタデ湿原の木道を歩きながら、他に花が咲いていないか湿原の中を目でキョロキョロ探してみたが、目ぼしいものはなかった。
夏になるとキスゲやヒゴタイ、ハンカイソウなどが咲くようだ。
登山口から奥へ入ってゆくと、足元にはたくさんのユキザサが茂っており、木漏れ日を受けて白く愛らしい花を咲かせていた。
植生は素晴らしく、ミズナラ、サワフタギ、サルナシ、コシアブラなど、たくさんの樹木が茂っている。


                                   
ところどころで白い花の咲く樹木があったが、オトコヨウゾメのような花の形をしていたが、葉の下に房がぶら下がっていて、
よくはわからなかった。
口の悪いやつはこの木を男用済みと呼んで茶化す。
いったい誰のことだっぺ(全国被害妄想狂教会一会員)。
右に三俣山への道を分けて直進する。

写真を撮るために後方から歩いていると、唐突に、坊主さんから先に歩いてくれと云われることがある。
いやいや、どうぞ、遠慮なく先にどうぞと言い返したが、「爆発するきん先に歩いてくれ」と遣り返される。
顔も体も黄色くなりそうないやな感じだ。


                                  
14:06、雨ヶ池越の木道を渡る。
雨の降る季節にはこの湿原は池になり、景観が随分と異なって見えるらしい。
また、ノハナショウブが咲く場所らしい。
雨ヶ池を越えると、ほどなく眼下に坊ガツルが現れ、左に大船山を仰ぎ見る。



4年ほど前に、吉部登山口から鳴子川を遡るようにしてつけられた登山道を歩き、坊ガツルへやってきたことがあるが、その登山道と合流し、その頃と変らない懐かしい風景に再び出合った。
季節も同じく5月で、山がヤマキリシマで赤く染まるにはまだ早く、どの山も緑緑している。



道端にはどちらもバラ科キジムシロ属だが、ミツバツチグリかもしくはキジムシロ(たぶんこちら)の小さく黄色い花が咲き、ハルリンドウが群生している。




ハルリンドウの白花やミヤマハコベもあったりして、目を楽しませてくれ、ときおりフモトスミレがポツポツと散見された。




いくつかのテントが張られている坊ガツルのテン場を過ぎ、15:12、川の傍に立つ法華院温泉に到着した。
ここでテントを張る坊主さんとは一旦別れ、わたしたちは山荘に宿泊。



その後、夕食までには随分と時間があったので、山荘で調達した生ビールを持参し、山荘に近いテン場を訪問。
テントは二張りのみ、大船山の上には十三夜月が昇っており、山頂近くにわずか一株のミヤマキリシマの鮮やかな色が、これからのこの山の燃えるような彩を想像させてくれた。


17日
山荘で朝食を済ませて北千里浜に向けて出発。



前夜、山荘に泊まった二人は、温泉に浸かったあと、朝までぐっすり。
テント泊の坊主さんは、隣のテント泊の方が3時ごろに起きて、ラジオを掛けるわ、歌を唄うわでマイッタそうな。
だいぶ高齢なご夫婦だったようで、いまどきテントを担いで登るのはすごいなと感心したのだが…。
その方たちはだからこそ無理して重たいリュックを担いででもテント泊を選んだのだろうが、うーむむ、やはり迷惑この上ない行為であることには間違いない。



この日は前日とは打って変わってガスの中の歩き。
4年前に坊ガツルから大船山を目指したときは雨に祟られたことを思い出した。
大船山は諦め、北大船山から平治岳(ひいじだけ)へと歩いたが、その平治岳も諦め、大戸越(うとんこし)からぬかるむ道に足を滑らしながら下山したのです。

すがもり越への分岐点から南への道を辿るのですが、ここからは北千里浜という地名で呼ばれており、田中澄江さんの著書花の百名山によると、昭和38年元旦に、ここ北千里浜で7名の遭難死者が出たと記述されている。
2名の女性は避難小屋にたどり着き命をとりとめたとされている。
以来、避難小屋傍には遭難者慰霊の鐘が併設されているとのこと。



ところどころにケルンもあり、岩には黄色く鮮やかなペンキが施されている。



岡山から来られたご夫婦が登ってゆくが、100m先はガスで見えない。
ときおり、強い風が吹き、久住へ登れるだろうかと少し不安そうだったが、足元を確認しつつ元気よく歩かれていた。



9:40、久住の分れに着き、少し先にある避難小屋の傍にあるトイレで用を済ます。
先ほどのご夫婦は久住へ登って行ったが、牧ノ戸峠から来られた方たちもガスと強風のためやはり不安そうにしながら久住へ歩いて行った。



わたしたちはヘタレと言えばそれまでだが、このガスの中で、久住へも星生山へもそして扇ヶ鼻へも行く気持ちは起きない。




若者や東京からの団体さんがわんさ登ってきたりして、挨拶を重ねながら西千里浜をとっとと下った。
中には「こんな日は登らない。またの日にしましょ」などと言いつつ牧ノ戸峠へ引き返すグループもあった。




沓掛山がすぐ目の前に近づく。
小さな梯子段やロープを伝って登ると、シャクナゲが出迎えてくれた。
葉も花もやや小ぶりのようだったが、これがツクシシャクナゲなのだろうか?



山頂の岩の上に立ち、合間を抜け東屋のある展望台に。
くじゅうで最も人気のあるコース、平日にもかかわらず多くの人たちとすれ違い、その数に圧倒された。
ミヤマキリシマが咲く5月下旬から6月上旬には、混雑するのでしょうね。



11:28、予定に入れていた星生山に登らなかった分、早く下山してしまったが、これが四国までの家路の道中を楽にしてくれた。
この日、大洲から松山までの自動車道が夜間通行止めで、もしも予定通りに下山していたら、帰宅は日が変わっていたと思われたが、その日のうちに帰ることが出来た。
日付が変わるのと変らないのでは、旅の疲れも随分と異なるようです。




16日
牧ノ戸峠7:55-8:41黒岩山8:51-9:51上泉水山10:01-下泉水山10:20-11:16長者原11:41ー雨ヶ池越14:06-15:12法華院温泉

17日
法華院温泉7:33-すがもり越・北千里浜分岐8:31ー久住分れ9:40-扇ヶ鼻分岐10:19ー沓掛山11:08-11:28牧ノ戸峠

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高御位山(播磨アルプス)…兵庫県

2019-04-11 | その他<四国外の山>

大平山、鷹ノ巣山東峰、高御位山


標高   155.5m、264m、299.7m
山行日  2019年4月6日
登山口  豆崎登山口
下山口  北山登山口
トイレ  高御位山
水場   なし


川土手に西洋からし菜の鮮やかな黄色い花が咲きだし、オオイヌフグリが星を散りばめたように青く小さい花を風に揺らしている。
むかし、じいさんが、田の畔に〇〇の花が咲くと田んぼの準備をし、△△の花が咲くと畑の準備をする。
などと言ってるのを聞いたことがあるが、〇も△も忘れてしまって覚えていない。
冬鳥の鴨たちがいなくなって、6~70cmもあるような大きな鯉が卵を産むためにヌモ―ッと川面を群れだすと、四国八十八ヶ寺巡りの白衣装を身につけたお遍路さんが次々と歩く姿が目立つようになる。

この季節になると、それまで寒さに耐えていた桜の花のつぼみは一気に膨らみ始め、一斉にわさーっと開花し、たちまちにピンク色に染めてしまう。
一説によると、さーという山の神様が里へ降りてきて、木の上に座って花を咲かすのがさくらだという。
それを見た人々が、田の神様が山から降りてこなされたぞー、さー、田んぼを始めるだべよ。
と言ったとか言わなかったとか。

青春18きっぷを使って、乗った電車の車窓から眺める風景は里山も川岸もピンク色。
というわけで、前回の須磨アルプスに続いて、播磨アルプスと云われている高御位山へ。



まだ明けやらぬ早朝5時、一番電車に乗ってJR観音寺駅を出発。
ひと時と比べて随分と暖かくなっているが、始発で止まっている車内は暖房が効いていて、足元と腰かけたシートからホクホクと温かい。
空は漆黒から少しずつ明るさを増してゆくブルーアワーと云われる時間帯で、乗り換えの坂出に着く頃にはすっかり明けていた。
ゴトーンゴトーンと瀬戸大橋を響かせながら電車は走り、岡山、網干で慌ただしく乗り換え、9時前に曽根駅に到着。
駅から歩いて、国道2号線の歩道橋を渡り、右に折れて少し中へ入ったところの民家横にある豆崎登山口から登りだす。
躑躅咲く岩場の斜面を、国道2号線やJR神戸線が走る高砂市の町並みを振り返りながら登る。



展望はいいのだが、生憎、この日は黄砂が飛び、空気がやや霞んでいて、瀬戸内海方面の島々が見えない。
すぐに竪穴の経塚山古墳の石室に出合った。
4~5世紀の古墳時代のものらしい。

古墳から少し登ると、三等三角点が埋設された大平山。
ここからほぼ北へと進み、小さなアップダウンを繰り返し、大谷山、地徳山を目指す。



先日まで花冷えで最低気温が3度前後だったが、今日は一転急上昇して、12度を超え、最高気温も20度を超える予報だ。
枝から枝へヒーヨヒーヨとヒヨドリが低空飛翔、他の鳥にはまねのできない鮮やかな滑空だ。
ウグイスなんかは藪の中に隠れていて、鳴き声だけを届けてくれる。
稜線の道は小気味よく続き、一目でそれとわかる。 やがてコバノミツバツツジだろうか、鮮やかな花色の奥下には竿池が見えてくる。

這い上がる岩場の頭上から春爛漫の光が降りそそぎ、後ろを振り返ると街の中を新幹線がピューと走り抜け、ヤマモモの赤いさび色の花が咲いていた。
6月になると赤い実が成り、少し渋いがそのまま食べることもでき、ジャムにするとなおおいしい。



地徳山からは別所奥山や、鷹ノ巣山を望むことが出来、鷹ノ巣山東峰から鹿島神社前バス停へと下る馬ノ背の尾根が連なっている。
馬ノ背を2~3人の登山者が歩いているのが見えたので、ズームして撮ってみたが、険しくはなく歩きよさそうな尾根のようだ。



地徳山から鞍部の鹿嶋神社分岐へ下り、展望台へと登り返して、そこから百閒岩を目指す。




百閒岩は、まるで山全体が一つの岩の塊のような様相で、距離にして鉄塔までの間、おおよそ300m強続いてるだろうか。
女性と連れ合いのわんちゃんもジグザグを切ってゆっくり登ってくる。



岩場からは東に高御位山が見えているが、まだまだ遠い。




尾根の道は別所奥山を経て双耳峰である鷹ノ巣山とその東峰へと続くが、鷹ノ巣山の南下側には岩壁があって洞窟のようなものがある。
馬ノ背は鷹ノ巣山東峰から派生する尾根筋のようだ。

福山から来られてたグループと乗換駅の網干で出会い、百間岩まで姿が見えていたが、その後どんどん先へ行ってしまって見えなくなった。
グループは山行計画を立てると時間通りに歩くようで、のんびりとしておれないようだ。



別所への分岐を過ぎて、マルバアオダモの泡っぽく薄黄やサルトリイバラの花を眺め、鷹ノ巣山への登りに差し掛かる。
そこからは鹿嶋神社への参詣道があるのだろう、桜並木が続き、ちょうど満開のようでした。
右側にはこれまで歩いてきた大平山などが霞見えている。



馬ノ背が行く手右下方に見え、歩きたい気持ちをそそられる。
時間があればここを下り、神社前にある登山口から桜並木を堪能しながら再び稜線へ登り返したいものです。



鷹ノ巣山を越え、鞍部へ少し下ると東峰は目前。




東峰から後方を振り返った。
これまで歩いてきた尾根道がくっきり。
ほんの少し下ったところで馬の背の森と書かれた道標が立っていたので、そこが馬ノ背分岐だったのだろう。
わずかに登り返すと左桶居山方向への分岐がある。
今日は行かないが、この桶居山へのルート上には面白い形の岩があったりして、面白いコースらしい。

この山一帯は一部に植栽されたところはあるが、大きな杉の木や桧が見当たらない。
かつて山火事でもあったのだろうか?
マツの木やツツジ、ソヨゴやヤマモモが多く、ところどころでヒサカキの匂いが漂ったりしている。




ヒサカキで思い出すのがヨクソミネバリの木。
別名ミズメと呼ばれているが、メチルの匂いがしてヒサカキと同じくだいぶ臭いらしいのだが、嗅いだことはない。

東峰から高御位山まで途中長尾山を挟んで、まだ少し距離が残っている。



東峰から小一時間掛かって小さな祠のある高御位山の岩場に到着。
足が竦むような岩場ではみなさん思い思いに食事をしたり、景色を楽しんだり賑わしい。



山頂では大己貴命(オオナムチノミコト)と少彦名命(スクナヒコナノミコト)が祀られる高御座神社が建ち、方位盤と石柱がある。
ガイドブックによるとこの岩頭からは瀬戸内海に浮かぶ淡路島や家島諸島、小豆島を眺めることができるそうだが、黄砂のために霞んでいて観ることが出来なかった。


    <下山方向の小高御位山と中塚山>       <中塚山登り途中から振り返り見た高御位山>

山頂での休憩が終わって時計を見ると、時刻はすでに午後1時、周回平均コースタイムは4時間なので、ゆっくりし過ぎたようだ。
山頂からすぐ降りたところにベンチがある見晴らしのいい場所があったが、スルーして急いで北山へ下山することにした。
百閒岩や高御位山山頂付近と比べて、このルートを歩く人数は圧倒的に少なく静かだ。



中塚山からさらに尾根伝いに歩けば北山奥山へ行き、左折ししばらく歩くと展望のいい太閤岩があって、その手前には昔の大阪堂島の米相場の旗振り中継所がある。
時間があれば寄ってみたかったが、諦めて、北山鹿島神社へと下った。



途中、左手に石切り場と思われる場所に出て、分岐を左にとってさらに下ってゆくと亀の甲岩といわれるところに出た。
播磨アルプスはほんとうに岩場の多いところで、しかもゴロゴロした岩ではなく一枚岩だ。
長い間、山を歩き続けているが、あとにも先にもこんなにもエキセントリックな風景を見るのは初めてのこと。



14:05、イノシシ除けの柵の扉を開け北山鹿島神社に降り立ち、国道2号線が走る南への車道を辿り、曽根駅へ。
歩く道、アケビの花が咲いていたり…。



足元にもトウダイグサが咲いていたりする。
目に青葉 山ホトトギス 初鰹
正確には初夏を詠んだ句、もう少しこの季節にふさわしい句はないものかとさがしてみればありました。
春の雲 結びて解けて 風のまま
雲の代わりの黄砂飛ぶ日でしたが、そんな季節の山歩きでした。



JR曽根駅9:00-豆崎登山口9:10-百閒岩展望台10:30-高御位山12:30-北山登山口14:05-14:55JR曽根駅

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須磨アルプス…兵庫県

2019-03-27 | その他<四国外の山>

鉢伏山、旗振山、鉄拐山、栂尾山、横尾山、東山

標高   248m、252.6m、234m、274m、312m、おおよそ250m
山行日  2019年3月23日
登山口  須磨浦公園
下山口  板宿
駐車場  須磨浦公園
トイレ  鉢伏山、おらが茶屋
水場   なし


青春18きっぷを使って、駅から周回できる山旅、前回は岡山県備前の天狗山に登ったが、前々回は和気富士でここは通称、和気アルプスと呼ばれている。
今回登る山は神戸の六甲山縦走路の一部で西側の山を歩くのだが、通称、須磨アルプスと呼ばれている。
和気富士と須磨はアルプス繋がりで、天狗山と須磨は米相場繋がり。
天狗山の岩場の山頂は360度の展望があって、昔、江戸中期から大正初期にかけて、大阪堂島の米相場を伝える旗振りの中継地点だったそうだ。
須磨アルプスのコース上にも、標高253mの旗振山という同じく米相場を伝える旗振りの山がある。

当時は弁当持参で毎日山に登って、旗を振ったそうで、竿の長さが最大3m、旗は小さいもので60cm、大きいもので2m、風がある日は相当に力がいったでしょう。
旗の振り方はきめ細かくて、おおよそ21種類、しかも他人に読み取られないよう、あらかじめ決められた信号を用いたそうだ。

逸話が残っていて、明治26年に電話が大阪に開通したが、当時の電話代は高額過ぎて、しかも回線が繋がらず、郵便よりも遅いと皮肉られたそうだ。
因みに伝搬時間は、米相場の堂島から京都まで3分、神戸まで7分、岡山まで15分、広島まで27分だった。
当時は電話よりも安くて早い、面白いですねー。

晴れた日には白旗、曇った日には黒旗、ときには赤も使ったそうだが、夜には提灯。
望遠鏡や双眼鏡も使われたそうだ。
これを始めた淀屋は、100万石の大名を凌ぐ天下の豪商になった。



電車に乗ったのが早朝5時、乗り換え乗り換えして、山陽電鉄・須磨浦公園に着いたのが9時半。
18きっぷの不便なところは、特急など新幹線に乗れず、自動改札口を通れないこと。
便利なところはJRであれば、一日中どこでもかしこでも乗り降りできること。
改札口で、駅員さんに水戸黄門よろしく、これが見えぬかっ、はっはーっ!てな按配できっぷを見せて通過できること。
ただし、無人駅ではなんとも頼りない感じで、野球でいえば空振り三振しヘルメットが飛んだとき、サッカーだと空蹴りして足と体が宙に浮いたとき、柔道だと背負い投げが相手の体重で潰されたときの印象を受ける。



次に困ることが、トイレだ。
乗り継ぎの乗り継ぎのため、電車の待ち時間が非常に気になって、おちおちトイレに行けないことが起きる。
電車の中のを使えばいいじゃないかといわれそうだが、最悪、その電車丸ごとついてないものもあったり、ついていても満員混みこみで身動きできないこともある。
そういう場合は、すいませんの連発で、押しのけ掻き分けして、無理クソ、トイレのある車両へ移動しないといけない。
パンツのぐしょぐしょだけはなんとしても避けなければならないので、相手の迷惑顔など気にしていては、世間は渡れない。
こちとら頻尿なのだ。

須磨浦公園には、敦盛塚や敦盛桜通りがあったり、芭蕉、蕪村、播水の句碑が建ってたりで退屈しない。
公園内の階段はやや急で、息が切れる。
年間50万人もの登山者が訪れるという六甲は、なかでも須磨アルプスは人気コースの一つ。
多くの若者が歩き、息を弾ませながら「うわっ、ハイキングコースやと思うてたけど、舐めてた、ほんと舐めすぎてたわ」、ここは神戸、関西弁丸出しの会話、親しみを覚える。

ところどころに休憩所があり、ツツジや一部早咲きの桜が咲き、春グミが実をつけている。
眼下には海釣り公園のある須磨海岸が見え、いい風景だ。



鉢伏山からほんの少し歩くと旗振茶屋のある旗振山山頂に着く。
昔、この山頂を分けて、東が摂津、西が播磨の国境で、現在は須磨区と垂水区の区境になっている。



眺望がすばらしくて、西側には垂水の町並みと舞子浜から延びる明石大橋と淡路島が見えている。
この旗振山から振られた相場の旗は、淡路島をも経由して徳島へも伝わったそうだ。
写真はズーム撮影しているので淡路島が近くに見えているが、直接、島から手旗信号が読み取れたかどうか、それとももう一か所櫓を組んだ中継所などが舞子辺りにあったのだろうか?



東には須磨海岸やポートアイランド、神戸空港も見える。
米相場の堂島、および淀屋の縁の地淀川や中之島は六甲アイランドの東にあり、遠くに霞んでいる。
豪商淀屋はどのくらいの蓄財を成したのだろうか。
1705年、闕所(けっしょ)により没収された淀屋の財産は金12万両、銀12.5万貫、北浜の土地2万坪、その他伏見・和泉など400町歩、家屋、北浜1万坪と176戸、土蔵730戸、大名や公家などへの貸付金が1億銀貫目(現在の貨幣にしておおよそ100兆円)などというから、現在の日本の税収を大幅に上回る赤字体質の国家予算並みだ。



旗振り山からウバメガシの茂る尾根筋(六甲縦走路)を歩いてゆくと、鉄拐山に到着する。
三等多角点が埋設されたちょっとした見晴らしのいい広場とベンチがあって、神戸の街や海岸が一望できる。
傍らにはフジバカマが植えられているようで、花の咲く10月頃にはアサギマダラが飛翔してくるとのこと。



やがて勢揃松というところにやってきて、ちょうどこの辺りだろうか、この下にトンネルがあって第二神明高速が東西に走っている。
傍らの石に彫られた道案内は右に須磨寺とあった。
源平一の谷合戦の舞台となった須磨寺に寄り、敦盛首塚や弁慶の鐘などを見たかったが、時間がなく諦めて、高倉台を経て横尾山への道を辿る。

15分ほどで高倉台にあるおらが茶屋に到着したが、この日はあいにく閉店で、楽しみにしていた独特カレーとコーヒーはポシャッた。
仕方なく、ベンチに座って小さなカップうどんをすすった。
団体さんがわさーっとやってきて、ズルズルすする傍で記念撮影。



高倉台からは団地越しに栂尾山が見え、急な階段を上る登山者の姿がちらほら。
その高尾台団地に下りる鉄製の手すりの付いた、人一人すれ違うのにやっとという細いくねくねした階段も、長くて急だった。

団地の弁当屋さんで昼食を摂ったのち、県道65号線を跨ぐ陸橋を越え、喘ぎながらコンクリートの階段を上がる。



階段をだいぶ上がったところで後ろを振り返ると、高倉台にあるおらが茶屋の白い建物と、その後方にこれまで歩いてきた鉄拐山や旗振山、鉢伏山が見える。

栂尾山には展望台があって、ここからも明石大橋や神戸の街が見下ろせる。
再びおらが茶屋で出会った団体さんがやってきて、にぎやかに記念撮影。

ウバメガシの他、カクレミノ、ヒサカキ、アセビ、コナラ、キハギ、ソヨゴなどが茂った登山道を歩く。
麓からマーチングバンドの素晴らしい演奏が聴こえてきた。
マーチングバンドといえば横須賀が有名だが、ここ神戸も盛んなところ。

二等三角点・須磨のある標高312mの横尾山に到着。



横尾山からは東山への鞍部へと下るが、次第にそれらしい雰囲気の岩場が現れた。



ここからが核心部の馬ノ背といわれているところで、それほど身の危険は感じないが、それでもおっとり刀のへっぴり腰。
注意しないと、特に雨で濡れていたりするとスリップし滑落することもある。



おそるおそる階段を下り、底にたどり着き、再び崖を這い上がる。
前を歩いている女性の方が、「わし、歩道橋を歩くのも恐いのに、これ、もっと怖いがな」「あんた、はよ先へ行ってよ、わし、立ち止まるの怖過ぎるし」



渡り終えると「あー、面白かった」「怖かったけど、来て良かった」と安堵の表情を浮かべてにっこり。



東山からは六甲縦走路を離れて板宿へと下るが、道沿いの木々は若葉が芽吹き、アオキには花芽がつき、足元にはオオイヌフグリやヒメオドリコソウ、ハコベ、ムラサキハナナなどが咲き、ヤブツバキは登山道一杯に真っ赤な花を落としていた。



ラッキーなことにコバノミツバツツジの、花開いているのに出合った。
板宿神社には、道を誤って偶然に立ち寄り、参拝。

都会では山道よりも街歩きが難解で、こういうときはスマホが便利。
妻のスマホアプリ、yamapが板宿駅まで難なく案内してくれた。



山陽電鉄からJRに乗り換える際に寄った駅からは明石城が見え、築城当初から天守閣のないお城として有名。
しかし、なぜ天守閣がないのか、原因や理由はわかってないそうだ。




山陽電鉄・須磨浦公園駅9:50-鉢伏山10:40-旗振山10:45-鉄拐山11:00-おらが茶屋11:25-11:40高倉台団地12:15-栂尾山12:35-横尾山12:55-東山13:30-板宿八幡神社14:20-14:40山陽電鉄・板宿駅

コメント (5)
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