鰻轟山・吉野丸 うなぎとどろきやま、よしのまる
登山日 2011年11月12日
標高 1046m、1116.3m
登山口 徳島県那賀町と海陽町国道193号線町境霧越峠
駐車場 なし(峠路肩)
トイレ なし
水場 なし
メンバー ピオーネ、むらくも
鰻轟山、徳島で一番大きいと云われている轟ノ滝がこの山の南西の渓谷にあって、その滝は海部川の支流の王餘魚谷川(かれいたにがわ)にある。
その海部川を南にぐっと下り、太平洋にそそぎ込む入り江の少し上流に母川の大うなぎ生息地がある。
極めて単純かもしれないが、この山の名はそこから名付けられたのかもと想像してしまう。
鰻轟山の尾根を西に辿ると、吉野丸という山がある。
標高は1000mを少し超えた1116.3m、鰻轟山の標高もそれほど高くはなく1046m。
紅葉の標高がかなり降りていることから、この高さではどうかなと思ったが、登山口までの道で、丁度紅葉の名所として有名な別府峡や高の瀬峡を通ることから、行ってみることにした。
山歩きをするときのバイブルは山と渓谷社の分県登山ガイドや四国百名山、もしくは昭文社のエアリアマップ、しかしどれにも載っていない。
高知新聞社から出版されている四国百山に掲載されていた。
登山口から山頂まで、1時間余りかかると記載されていたが、吉野丸への情報はない。
鰻轟山から吉野丸までは地図から割り出すと、藪いていれば別だがおおよそ2時間半から最大3時間。
往復おおよそ8時間、休息休憩入れて9時間あればなんとかピストンできるだろうか?
この時期としては、わたしたちには少し厳しいとの懸念もあったが、取りあえず歩いてみよう。
いつものように、12時目処のところで、引き返せばいい。
リュックには念のため、いつものように二人用のツエルトを忍び込ます。
ついでにローソクも3本。
これで頭に八巻をして、白装束にわら人形に五寸釘とトンカチを持てば完璧だ。
先週の勘場山道迷いののろいじゃ~!
GPSバッテリーの充電は忘れないようにしよう。
少しでも早く登山口に着くために、朝マックは止めて、前日の夕方に朝食として準備したサンドイッチを持って出発。
まだ真っ暗な高速道をひたすら南国に向けて走らす。
195号線を走り、香美市香北町にあるアンパンマンミュージアム前の道の駅で一休み、コンビニでお昼弁当を購入。
早朝6時前だというのにもうすでにオリジナルの爆弾おにぎりやおにぎり弁当が置いてあった。
温々でいい匂いがする。
自宅から2時間で別府峡に、石立山登山口、高の瀬峡入口も通り過ぎて、湯桶丸や平家平への道も遣り過ごし、海川沿いの国道193号線を遡る。
酷道と云われる狭隘な国道193号、昔は交通の要所、茶、和紙、木材、穀物、衣類など高知の特産品や生活用品が行き来し、賑やかだったらしい。
いまはその面影なく、走る車はほとんどない。
雲海が棚引く道を走り、ジャスト3時間で登山口のある霧越峠に着いた。
霧越峠、別名鑵子峠といわれるこの峠、名のとおりに絶えず霧が発生するところから名付けられたとか。
7:40、霧越線開通記念碑と那賀川町マップのある広い路肩に駐車。
気温は暖かい。
13~4°はあるだろうか。
出発する前に、地図を広げ、コンパスで方位を確認し、矢印のある回転板をくるりと回して方向をセットし、首からぶら下げる。
前回のように今日も立て続けに道迷いしたのでは、山歩きはもう止めないといけない。
切羽詰まった気持ちだ。
だからといって、GPSには頼りたくない。
機械に頼って歩いたりしていると、地図から地形を読むことがおろそかになるばかりでなく、山歩きの意味も価値も薄れてしまうような気がする。
本当は、コンパスもあまり使いたくないというのが本音だが、そこまでの力量は持ち合わせていないから、これは仕方がない。
読図能力と獣のようなナビゲーション能力があれば、そんなこと気にせずにワイルドに歩くのが楽しいに決まっている。
8:10、記念碑のすぐ左横からスタート。
山頂(鰻轟山)まで1.9kmの道しるべ。
歩く道は朝日があたって気持ちがいい。
わずかに紅葉が残っているが、もうほとんどの木は冬支度。
南東方向に景色が開けた。
牟岐町の入江だろうか、きらりと光る太平洋。
真ん中の小さな島は大島?のようだ。
皆ノ瀬谷の向こうには海に向かって滑り降りるように山々が重なっている。
902m峰を南に巻いて譲り葉の木が生えている少しざれ気味な斜面を歩く。
突然、前を歩く妻がブヒッ!
おい!この清々しい山の空気を、大きなオナラで汚すでない。
もう一度、ブヒッ!
いや、違う、音の方向は妻のまだ前方からだ。
イノシシが斜面から警戒と脅しの鳴き声をあげている。
ワ~オ~ッ!
ワ-オワオワオ~!
こちらも負けじと声をあげる。
なんだか笠置シヅ子ブギウギシリーズのジャングル・ブギ-みたいなことになってきた。
イノシシも負けじとさらにブヒーッと鳴くが、ブギーッとも聞こえる。
ドドドド-、パラパラパラ上から小石が落ちてくる。
妻が笛を取り出して、ピーッと吹く。
尾根へ逃げていった。
やがてその巻道も終わり、再び尾根に乗る。
北側に景色の開けたところへ差し掛かる。
吊り尾根のように見える左の頂が先日に道迷いをした勘場山、胸がチクンと痛む。
その右の頂はどうやら平家平のようだ。
勘場山から東の平家平へ直接辿る尾根ではなく、勘場山から一旦北へ行き、大久保山手前のピークから平家平へ辿る尾根が、距離的な按配でこんな風に直接繋がっている吊り尾根に見えてしまう。
権田山は勘場山の左手で雲が掛かってる際辺りだろうか。
雲の下には剣山とジロウギュウが隠れている。
緩やかに高度が上がり、鰻轟山の北を巻く道との分岐に差し掛かった。
尾根へと足を進めると、やがて急斜面の登りになる。
木の切り株にガマガエルがのそのそと入り込んでいった。
気温が高いので、まだ活動しているようだ。
みるみる汗が噴き出る。
ふと左に目をやると、樹幹の間から雲海が覗いている。
額の汗を手でぬぐいながら、山頂に。
9:05、標高1046m鰻轟山。
南に踏み跡があって、木の幹には高松軽登山同好会が記した請ヶ峰への指導標が括り付けられていた。
踏み跡へ入ってみると、少し先で請ヶ峰への尾根は下っていた。
スポーツドリンクを口に含んで、再び西へと歩くが、下りの急斜面だ。
途中で、鰻轟山北斜面巻道の分岐のところでヒメシャラの大木が目に着いた。
は~、この急登では復路で再び鰻轟山へ登り返す気にはならないな~、帰りには巻道を歩こう。
ヒメシャラが多い。
すでに葉っぱが落ちてしまったのも見受けられたが、黄色く綺麗に焼けたヒメシャラの木も斜面下にポチポチと散見される。
いつの間にか963mピークを過ぎて、鹿避けネットの張られた場所に出てきた。
そこは伐採跡地で、南に大きく開けている。
こちらは真南の方向。
真っ正面に一つの峰が見えるが、これが910mピークだろうか?この左真下に轟の滝があるようだ。
轟の滝は落差58mの本滝をはじめ、主に9つの滝があるとのこと。
西方向は、これから行く吉野丸の頂手前の緩やかなコブが見えている。
その左奥の小さな三角頭は湯桶丸(写真中央)。
斜面には見事な白骨樹が写真を撮ってくれと云わんばかりに。
伐採地で一休みしたあと、石楠花などの痩せ尾根を歩き、おおよそ1010mのピークで鹿避けネットが尾根の北と西を取り囲むように張られていた。
北方向の尾根にいくつものテープが着いており、これは間違いやすいところだなと感じた。
肝腎の吉野丸への西方向にはテープがほとんどない。
磁石で確認して、鹿避けネットに沿うような形で斜面を西に下っていく。
下っては先でまた登り返すのが目に見えている。
もったいなやもったいなや、モッチナヤ信者の念仏が静かな尾根に響く。
小鳥たちが念仏に唱和して、枝から枝へと渡り飛ぶ。
ヒメシャラの大木。
桧だろか、太い幹が尾根に立ちふさがるように高く空に伸びている。
そこから再び急斜面を汗を掻きながら登って、11:45、吉野丸山頂に到着。
やれやれ、ご飯が食べられる。
尾根西には神戸丸および金瀬への薄い踏み跡が続いていた。
行きたいという誘惑に駆られるが、わたしたちの足ではここまでが限度。
それにしても、吉野丸の山頂にこれるかどうか懸念していたが、歩きよい尾根だったお陰で、なんとか迷うことなく12時前に着くことが出来た。
取りあえず、バンザイですね。
テントと食糧を持てば、ここから湯桶丸方向にあるいはその先の甚吉森、西又山を経て石立山へも縦走することが可能かもしれない。
うんと若ければそういうことも夢見ることが出来たかな。
しかし、山を好きになるのが遅すぎたな~。
しばらく山頂で、夢の夢を見ながら、ポケット・ウィスキーで酔いしれる。
香りがあって美味しいが、40°、喉に焼けつくような感覚を残して胃の腑に落ち込む。
元もと弱いので、ほんの一口だけ…。
そのあとホロッとした感じが心地いいのです。
初冬の紅葉、あと幾日か経てば白いものがちらつくようになるだろう。
山頂でゆっくりひなたぼっこを楽しんで、帰り掛けた頃に、辺りに霧が立ちこめてくる。
葉をすっかり落とし、冬支度の木。
痩せ尾根を辿りながら、吉野丸、湯桶丸、神戸丸、貧田丸など、この山域には城砦の意味をこめた「丸」の山が多いことを思いながら歩いた。
やがて、雨がポツリ。
902m巻道斜面では、またしても斜面上から小石がバラバラ落ちてくる。
何物かが上から、石を落とし込んでいる。
奴だ!来るときにブギウギを唄ってたイノシシ君だ。
さては待ち伏せしたな。
懲りもせずに、ニャロメ!ワオーワオワ~オ~!ピーピッピッピッー!
「通らさせてもらいまっせ~!」
今日はイノシシ君以外には誰にも出合わない静かな一日でした。
この山、翌日に寒風山に行って帰ってきた妻から聞かされた。
なんでも、寒風山でご一緒した方の話だと、夏にはマムシがいっぱいいる山だとか。
この日の鰻轟山の気温は10月上旬のような暖かい気温で、まだヒキガエルがウロウロしていたが、マムシは見なかった。
しかし、この話を聞いたとき、夏にはこなくてよかったと胸をホッと撫でおろした。
酷道と云われている国道193号線、対抗車とすれ違うのに一苦労するほどに狭い。
山間地を走るときには谷側は崖や急斜面が多く、冬のアイスバーン状態のときは走りたくない。
標高も高く、登山口の霧越峠はおおよそ760mある。
冬にも来る勇気はない、この時期でよかった。
もう一度、峠から鰻轟山方向を見やったが、霧でなにも見えなかった。
帰りは海川谷沿いの紅葉、那賀川沿いの景色を眺めながら、一路温泉へ。
登山口8:10-9:05鰻轟山9:10-9:54伐採地10:02-11:45吉野丸12:40-14:02伐採地14:12-鰻轟山西巻道分岐14:35-15:20登山口
※地図上左クリック→グーグルマップへ移動
(参考)902mピークは南斜面巻道がメイン道、鰻轟山北斜面に巻道あり、鰻轟山山頂より請ヶ峰への尾根道あり、吉野丸より神戸丸および金瀬への尾根道あり。
すばやく、わかりやすく、上手なレポですね。
こんばんは
そうそう、イノシシさんの縄張りに入るときは「通らせてもらいまっせ~」と仁義を切ってね。
春に私がいちゃもんをつけた兵庫山~玉取山、ぼちぼちよかろうと思い、おいしく頂いてきました。
兵庫山の展望、いいっすね~。人の多い三嶺よりここで、ぼ~~~っとして大登岐山を眺めている方が私は好きです(また来るかどうかわかりませんが)。
この辺り、ところどころ藪いているので不人気ですが、けっこう心地よい場所が散在していますね。変に整備されると良さが失われるので、このままにしておいて欲しいと思われる場所でした、
わたしももう一度行きたいと思ったりしてるんですが、いい山です。
いつ行ってでも静けさを満喫できそうですし、テープなどもあまりなくて、いい感じ。
大登岐山への尾根歩きも同様に、静かなもんですね。
ところで坊主さんでなかったかしゃん?
野地峰~東光森山間の宿題が残ってるとおっしゃってたのは、それとももう片付けましたか?
もし未だで、やっつけたら是非教えてくださいね。
わたしも、あの辺り興味津々なので、どう歩こうかと思案したまま思考回路がストップしたままです。
車をデポしての一気通貫しかないかな?
1400,1mの三角点~野地峰は北側の折宇から周回しました。
まあ、ええ加減な正確なもんで、つまみ食いして歩いてない部分が残っていてもずえんずえん気になりませんから、とっちらかったままほったらかしになるかもしれません。
今年はこれまで暖かかったものの、それでも山頂付近で立ち止まると寒い、寒い。徐々に標高は下げつつあるのですが、ぼちぼち里山への転進も視野に入ってきています。
鰻轟山・吉野丸、霧越峠などどの辺にあるのか判らないので、地図を見ました。
これらの山のレポを見たことが無いので、参考になりました。
ピオーネさんは翌日は寒風山でしたか。
連チャンとはタフですね。
この日、私は丸山荘から笹ヶ峰、ちち山周回でした。ガスがかかって寒風山はよく見えませんでした。1ヶ月ぶりで調子が上がらず、沓掛山はパスして下山しました。2週間に1回は登らないとダメですね。
坊主さん 今晩は。
兵庫山~玉取山、たまらない尾根があり本当に良い山ですね。春に歩きましたが、季節を変えて秋にも歩きたい山です。
坊主さんこんばんわ。静かな山域を歩かれてますね。藪こぎと岩尾根でしたか?平家平までいつか歩いてみたいと思っています。その際はむらくもさん同様良いアドバイスをお願いします。
東光森山~野地峰ですが、やはり1度に歩くのが一般的のようですね。たしかGakuGakuさんもどっかの山の会に便乗して行かれたような(HPが崩壊して見られないので確認できませんが)・・・
こもれびさんのレポによると日本山岳会関西支部が四国分水嶺踏査の際に、水谷集落への破線の道を使って2回に分けたとあります。
地形図で見る限り、水谷から西は荒地のようなので厳しいでしょうが、水谷から東は、いくつかに分けて愛媛県側、高知県側とも尾根づたいに周回することは可能なのでは?
お先にどうぞ!!
折宇から野地峰東1400.1m峰を周回、それが頭に残ってるわ。
折宇から登るなんてちょいと誰もが思いつかないことですよ。
坊主さんはすごいなと思ったのもこの時だ。
すると宿題は1400.1mから西ということになりますか。
<1400.1m峰-1403m峰-1374.8m三角点点名別子-1454m峰-東光森山-大田尾越>ですね。
わたしこの時に思ったのよ、1400.1mから野地峰間は坊主さんのをパクろうと、そして1400.1m~東光森間をどうするかと…。
そのとき、地獄谷を使えないかなと考えたんだけど、どうも無理なような気がして、それ以後、頭の回路がショートしたまま。
今日やっとショートした回線が復旧した。
地獄谷は外そう。
ちょっと距離が長くなるけど、戸女西~大野の周回、それと大野~大湯の周回だわ。
でけた~、ありがとう。
だけど行けるかどうか大問題だわ。
結構体力要りそうやし、はてさて…??行けるのかな~???
坊主さんこそ、里山歩きが終わってからでいいですから、どうぞお先に。
山頂まで1時間50分てな、わたしゃ、3時間半かかるよ。
沓掛山パス?ひょっとしてパスしたのはペースがあがらないのじゃなくて、ガスで展望がないからとちゃうのん。
佐々連さんは山に登るペース、今後一年に一度にしなさい、それで十分。
っていうのは冗談ですけど、もうこらえて、これからは一緒に歩けないよ。
わたしと歩くときはペースを半分に落として欲しい、お願いしますだ。
えっ!落としてるって、ありがとう。
冷えてきたね~、北海道、東北では雪がちらついてるわ。
こちらでも、山ではそろそろと空から冬の贈り物がありますかね~。
早くも冬タイヤの交換時期が近づいたがな、一年が経つのあっという間やね。
鰻轟~吉野間は標高的にも雰囲気的にも阿讃山脈県境尾根歩きに似たような感じでした。
ただし、展望はあまりありませんでしたが、周りの景色は太平洋がチラリと見えたり、剣山・ジロウギュウ方面が見えたりで、いい雰囲気でしたよ。
「マルの山にちらつく古代朝鮮半島の影」…谷さんの本には「丸」についてこんな風な書き出しで始まってました。
ちょっとミステリアスな標題です。
朝鮮半島では尾根のことをマルと発音し、山の峰の一般的呼称をマルと言う。
「サン マル オルジャ」とは訳すれば「山 峰 登ろう」
やがて、「マル」は日本に普及し、「丸」となり、男性の美称としても使われ(例 柿本人麻呂のマロ、牛若丸)、そして日本丸など船の美称にも使われるようになり、やがて、お城の本丸、二の丸などの呼称にも使われるようになった、と記述されてます。
アンジーパパさんのおっしゃるとおり、丸=峰で正解でした。
わたしがいきなり城砦に持っていったのはちょっと行き過ぎだったですね。
アンジーちゃんは、ひょっとすると、山の案内犬になったりするかもしれませんね。
いいですね~、いつでも一緒に歩けますし、危険なところをいち早く察知したり、道迷いなどは完璧に防いでくれますよ。
最高な家族だわ。
さては、プランに若干の不安があって、うまくおだてて偵察隊を送り込もうという魂胆だったりして。
折宇からの周回、実はマーシーさんがペーコさんに教えた戸女からの周回ルートをパクったもののフルコースではよう食べきらんので短縮したものであります。
ということは、私では偵察隊員としては不適格ということであります、むらくも隊長。
したがいまして、隊長御自ら出向かれた方がよろしいかと思うのであります。