EKKEN♂

このブログは http://ekken.blog1.fc2.com/ に移転しました

批判や反論……オトナの対処法は?

2005-03-22 | WEBにまつわる話
 どうも「批判」に関する命題に対しては、避けて通りたいと考えている人が多いのか、「何でもかんでも総ブログ化計画」へのトラックバックが寄せられていないようですね。
 批判を非難や悪口と同一化する人も多いようで、僕がよく書く「つまらないブログとは?」という内容の記事に対しては、賛同も多い一方、そもそもこうした話題を取り上げること自体に、難色を示す方も居ることを、僕は承知しています。
 個人がこのように考えている、という受け取り方はできない物なのかなぁ?
 批判だとか、間違いを指摘されたとか、反論されたとかいう場合、みなさんはどのように対処していますか? ネガティブなものは無視するか、それとも正面からぶつかっていくか。あるいは、こうやって失敗したというような例はあるでしょうか。

何でもかんでも総ブログ化計画:【募集09】批判や反論……オトナの対処法は?

 例によって、僕の記事は、本来書かなければならない事(この記事の場合、「批判や反論……オトナの対処法は?」に対する回答)を大幅に上回るタワゴトばかりなので、松永さんもとても読む気が起こらないでしょうから、マーカー施しておきます。
 
 批判・反論を避けて通りたい人の存在は理解できるし、批判されることを喜ぶような人は、ある意味「ブログ全体が‘釣り’」なのかもしれません。あるいは精神的マゾなのでしょう。僕も何かを批判する記事を書くとき、反論があることを半ば予想はしている物の、書いている事は、多くの人に納得してもらえるような内容を書いているつもりです。
 個人のブログに書かれた内容に対して反論を唱える場合も、相手のブログの常連の何人かでも、僕の書いたものに対して、ある程度同意してもらえる物を書けなければ、それは相手方にとって単なる悪口となってしまう場合もあり、批判を行う際には、その根拠の明示をして、説得力高い物にする必要があると思います。
 では僕自身が批判された場合、どうしているか、というと、意見を述べるブログである以上、批判・反論については、なるべく誠意を持って回答したいと考えています。相手が匿名・捨てハンであろうが、「まともな批判」であれば、それは自分にとっての糧でもあり、無視すべき物ではないと思うのです。反論されるのが嫌なら「意見を述べる」タイプの記事を書かなければ良いのだし、「自分は何かを批判するけど、私を批判しないで」なんてご都合主義は、通らないでしょう。
 但し、それでも僕が匿名・捨てハンでの批判が嫌いなのは、匿名はやっぱり推奨しないのですで述べた通り、匿名者は「自分が攻撃されるリスクを負わない」物だから、批判とは名ばかりの単なる罵倒になりやすく、都合が悪くなれば議論を放棄して、罵声を残して立ち去ることができるという点があるからでしょう。
 
 日々の日常生活や、読書感想、映画鑑賞の記録といったブログでも、時として特定人物に対する批判が出てくるものです。近所の奥さんのあんな所がイヤ、とか、この作家の新作の出来は酷いとか、あの女優は演技がへたくそ、とか。
 程度にもよりますけど、それも一種の批判であったり、場合によってはただの悪口なんですよね。
 近所の奥さんの悪口は、個人情報を明かしていなければ、ただの愚痴として見過ごすことが出来るけど、その奥さんの身元がわかるような書き方だと法的な問題にかかわってくるから、僕は感心できないし、作家やアーティストに対する作品について、それが単なる感想文であれば「そんな読み方もある」で良いのですが、なまじ批評家気取りで「今回の作品の、ここがダメだ」などと言い出すと、同じ作品に触れた別の読者の反対意見が出てくるのは、当然のことでしょう。
 
 批判・反論があるのは、自分の書いたものを真剣に読んでくれたこと、ということで、僕はむしろ喜ぶべきこと、と思います。特にトラックバックでのそれは、所在を明かしての反論という意味で、その批判に説得力がなければ、批判した側が恥をかくだけであり、中途半端な批判は出来ない物です。
 ただ、ちょっと手に余るのは、「自分が考えていることと違う、だからおまえの言っていることは間違っている」という、全く説得力のない指摘も多いことで、何の根拠も示さずに「おまえはダメだ」などと言われても、こちらとしては対応のしようがないわけです。こうした人は「あなたの考えていることが正しい、という証明は?」と返しても「とにかく違う! 俺がそう思っているんだからおまえは間違ってんの!」と発言した後、「みんながそう思っているの。とにかくみんな、おまえの発言は不快だと思ってるの」と、存在しない「みんな」を持ち出すことが多いものです(『みんなが不快だ』は俺が不快だ!参照)。
 自分がどう思うか、そしてそれが正しい・あるいは相手が間違っているとする根拠は何か、ということをはっきりさせないと、批判とはなりえないものです。
 こうした「そもそも論点がずれている」ような発言は、トラックバックを使わずにコメント欄で行われることが多いものですから、本人だけが「批判」と思っているような悪口は、無視するか、場合によっては削除した方が、他の閲覧者にとっても望ましい物だと思いますし、大人の対応ではないでしょうか。
 僕はつい相手をしてしまうのですが、人間が出来ていない証拠かもしれません。


どうも議論そのものを嫌がる風潮があるのではないかという話になりました。でも、その社長さんは、意見の食い違いがあるならとことん議論すればいいんじゃないか、という考えを持っていました。もっとも、議論の仕方が下手な人が多すぎる、という結論にはなったのですが。

何でもかんでも総ブログ化計画:【募集09】批判や反論……オトナの対処法は?

 議論の仕方が下手な人が多すぎるというのは、僕も常々思っていることでして、僕自身がそうなのかもしれませんが、たぶん、「批判されることに慣れていない」のが大きな原因じゃないかと思うのです。
 オフラインでは、目上の人から怒られたりする機会はあっても、多くの場合、人付き合いを円滑化させるために、あえて他人を批判しないものです。
 ブログを始めると、身分に左右されず、いろいろな情報を発信できることから、つい「何かを批判」してしまうことはあっても、自分がその対象になることを考えていないのでしょう。
 また、批判する際も、相手の発言の一部しか読まずに、「ここがおかしい」とその一点のみを取り上げて突っつきまわす人が多いものですが、それはオノレの読解力のなさを露呈しているに過ぎず、相手に何度も同じ事を書かせる批判者は、批判者としてのレベルが極めて低い物ではないでしょうか。
 
 議論といいながら議論になっていないこともあります。一部の掲示板では、攻撃・誹謗中傷を「議論」や「表現」といった言葉で覆い隠し、それを無視したりすると「逃げた」とか言い出すような人たちだっています。また、議論の論点が全然かみ合っていなかったり、いつのまにか人格攻撃に走ったり、あるいは人格攻撃ではないのに人格攻撃しているかのように論点をずらしていったり。ちょっとした言葉づかいでもずいぶん変わってしまいます。

何でもかんでも総ブログ化計画:【募集09】批判や反論……オトナの対処法は?

 批判すべきこととは別のことを持ち出して、相手にダメージを与える人がいますが、それは「批判」ではないんですよね。単なるイヤガラセです。
 批判というのは、相手に勝つか負けるかではない物だと思います。相手をこてんぱんに叩きのめすのではなく、時には相手の意見を取り入れながら、互いに成長するためのものであるはずなのに、勝ち負けに拘るあまり、乱暴な口調になったり、学歴や職業といった、議論の本質とは無関係な部分で相手を見下す方向に走りがちではないでしょうか。
 松永さんの仰る一部の掲示板というのは、2ちゃんねるを意識した物であることが容易に想像できるわけですが、2ちゃんねるのユーザー同士が、互いにそれを議論だと信じて、誹謗中傷合戦をするのは別に構わないのですが、彼等は時としてネットウォッチと称して、無関係な第三者を嘲笑ったり、対象になっている人の主張を根底から覆すような発言が見られます。(僕がよく見るのは、ソフトウェア板なのですが、フリーソフト作家が「こういう考えで、その機能はつけない」と明言しているにも関わらず、「アレができないのはクソソフト」と悪口を言うのは、批判の仕方として間違っていると思います)
 
 
 う~ん、今回「何でもかんでも総ブログ化計画」をきっかけに、「批判」に対して何か新しいことが書ければ、と思ってお題に便乗したのですが、今まで書いてきたこととほとんど変わりなかったですね。
 
 
 


 むだづかいにっき♂は、「激しく既出」で成り立っているのです……



 ついでに。
 こうした記事を書くと、トラックバックを貰う以外でも、いろいろな所で取り上げられることが多いようです。
 リンク列記型のニュースサイトにおける一言コメントならば、当方へのお知らせ(トラックバックなど)は不要ですが、中には「むだづかいにっきで書かれている、この記事のこれはおかしいだろう、えっけん氏の偏見ではないか、云々」というような批判も見受けられますが、相手にその存在を知らせない批判に対しては、僕は失笑せずにはいられません。
 そうした連中は議論になることを避けているのかもしれませんが、他人を批判しておいて、それを指摘されると、「オレは議論をしたいのではない」と言い出すのは、おかしな話です。単に悪口が書きたかっただけなんじゃないかと思うと、ブログ主としての資質を疑ってしまうものです。


 追記です。
 何でもかんでも総ブログ化計画:【募集09】批判や反論……オトナの対処法は?に寄せられていた、トラックバックの中から(この募集企画、それまで全く反応がなかったのに、いつの間にかたくさんトラックバックが寄せられていますよ!)、気になったものをひとつ。

おそらく、最もオトナな対処法と言えるのは、「議論」をしないことです。

小林Scrap Book:その批判・反論はなぜ書かれたのか?

 絵文録ことのはARTIFACT ―人工事実―と共に、僕が最も敬愛するブログのひとつ、小林Scrap Bookに書かれた一文ですが、他人とのトラブルを抱え込まない為には、確かに最善の策かもしれませんが、僕はブログというツール、こんなに議論の為に向いている物はない、と思うし、議論を避けること=オトナという考え、僕はちょっと同意しかねるなぁ。
 小林さん自体、ブログのあり方を問う記事が多いということで、その賛同や異論を唱えられるケースもあるかと思います。異論を唱えられた場合、自分の主張を正当化するためには、ある程度の議論が必要になってくるわけでして。
 もちろん、反論は相手にしない、という手もありますが、言葉の解釈の違いとはいえ、それが「オトナ」という考えには同調できません。喧嘩をする必要はありませんが、出された意見に対する、その正当性を考証することを否定された気分になります。(もっとも、こうした反論があることを、半ば承知であるからこそ、「オトナ」をどういうニュアンスで捉えるかによっては変わるかもしれませんがという一文が加えられているのかもしれませんが)
 小林さんの考えは、おそらく、「あえて議論をしないことで、ネット上の他人とのトラブルを発生させない」、ということに尽きると思うのですが、僕のような議論好きの立場で物を言わせてもらうと、コメント欄の名無しのイヤガラセは別として、意見の交換に便利(トラックバックでの反論の際は、恥をかく場所が用意されている)なブログの特長を生かさないのは、むしろもったいないことだ、と思うのです。(もちろんブログツールを利用する誰もが議論好きとは思っていませんが)
 但し、小林さんの記事にも、多大に納得できる部分はありまして、
ブログに限らずネット上の「議論」というのは、カードの見せ合い、互いの意見の確認、ぐらいに捉えておくべきであり、双方の考えが理解できた時点で議論完了とするのが無難だと考えています。

その批判・反論はなぜ書かれたのか? :小林Scrap Book

 この記事の追記前の部分でも触れているのですが、議論を始めると、勝ち負けにこだわるあまり、相手を徹底的に打ちのめそうとする人が存在し、お互いの価値観を認めない傾向にあるものです。
 これは、良くない。
 相手の考えを、ハナから理解しようともせず、話が永遠にループしてしまっているケースをよく見ます(ここでもありがちです)。
 相手の考えに賛同できずとも、「そういう考え方もあるよね」と済ませることが出来れば、いくらかでも相手が持つ価値観を尊重できるものだと思います。

最新の画像もっと見る

14 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
わたしもおこちゃま (ぶんだば)
2005-03-22 13:11:39
これに類する記事を書いたことがありますが、どれも適切じゃないような気がするので、コメントにしておきます。



「みんなが」っていうのは、一般生活にもあるんですよ!おそろしいことに。特に女性の間に。

「みんなそう思ってるんだけど」と「貴方のためを思っていうんだけど」は、「これからお前の非難をするぞ」という枕詞です(笑)



「みんな」というのは、いったい何人なのか、「みんな」を持ち出す人に一度聞いてみたいんですが(あと名前も)、なかなかそういうわけにも行きませんしね。



私も、以前はどんなコメントにも誠実に対応しすぎてましたが、スルーや「他の読者に気付かれないうちに削除」のほうがいいのかも、という気がします。

異論を削除ではなくて「荒らしの種を削除」です。



ブログを読んでいるのはブログ主だけではない、ということを、コメントする人には知っていてほしいですね。
返信する
Unknown (persempre)
2005-03-22 14:40:22
今日の記事にえっけんさんの名前つかわせてもらったけど、トラバしません。 って、こんなコメントいらないか。 でも、名前を少しでも出したら、断ったほうが、いいよね。



>ぶんだばさん

「みんな」は、その言葉を発する人間の欲望の強さで、人数変わってくると思いませんか? 本当にほしければ、1人しかもってなくても、親に、「これみんながもってるよ」ってね。



自分の意見を押し通したい、わがまま女性だから、「あなたみんな買ってるのよ、私にも買って」

返信する
誰かコメント下さい!m(__)m (八環)
2005-03-22 23:23:25
コメントが付くだけで小躍りして喜んでしまう

私にとっては「批判」も「反論」も有難きお言葉。。。
返信する
Unknown (LSTY)
2005-03-23 12:03:22
TBしてから記事読みました。

読んでみて、切り口が全然違うので面白いなー、と思いました。
返信する
追記しました。 (えっけん)
2005-03-23 23:30:16
明日から数日間、ネットのない場所へ旅に出ます。



禁断症状を起こして死ぬかもしれません。



>誰かコメント下さい!m(__)m (八環)



あの手の笑いは結構好きなんで、ちょくちょく覗いています。

……コメントは、残しにくいです(笑
返信する
差別化しやすい環境 (山口俊一)
2005-03-24 13:44:46
日本人の議論下手は、言われている通りだと思います。(どこの国の人が上手いのかは不明ですが)

あ・うん の呼吸、暗黙知が強みの風土ですから。



ただし、そのことは、私にとって嘆く対象ではありません。むしろ感謝すべき対象です。だって、差別化が図りやすいのですから。これから勝ち残る人材は、差別化、オンリーワンの時代です。



周りが議論や提案を好まない中では、ちょっとまともな意見が言えるだけで、「あの人はスゴイ」ということになります。



「むだづかいにっき」さんこそ、少数派の「議論好き」の参画と、多数派の「はにかみ屋さん」の関心によって成り立っている作品ではないでしょうか。



ただ「はにかみ屋さん」は意見がないのではなく、きっかけや条件が整えば、「考えを伝えたい」人たちであることは忘れてはなりません。



でなければ、ブログがこんな勢いで増えるはずはなく、自分だけが見る日記帳が売れるはずですから。
返信する
Unknown (Unknown)
2005-03-26 05:04:45
こいつバカじゃねーの
返信する
「議論に費やすエネルギー」があれば「仕事に使う」のがオトナ (guldeen)
2005-03-26 19:54:15
↑という考え方はできませんでしょうか…?

自己紹介が遅れましたが、自分は一年半ほど「売り子」をしておりました。

そこで得た経験とは、「売り子には知識は必要だが、議論なんてものは必要無いし、客である相手の間違いは“さりげなく”訂正させ、場合によっては『こちらが悪くなくても“商売のため”には頭を下げる』」というものでした。

議論というものは、あくまで「双方が台頭の立場」にある時(学級・学校内サークル)か、あるいは「明確なレフェリーが居るような場所(裁判など)」でしか成立しえないものであると、私は思っております。
返信する
●guldeenさん (えっけん)
2005-03-28 21:15:31
>という考え方はできませんでしょうか…?



そういう考え方が「アリ」「ナシ」でいえば、もちろん「アリ」だと思うのですが、「できる」「できない」であれば、これは個人がどう思うかなので、僕は「できない」です。



>議論というものは

>双方が台頭の立場

>明確なレフェリーが居るような場所



ネットというのは、誰もが対等なんですよ。

影響力の強いブロガーを「アルファブロガー」とか言って喜んでいる方々もいらっしゃいますが、あれって言っているほう、あるいは自分でいっちゃっているほう、共にかなり恥ずかしいというか、別にアンタら偉くねーだろ、とおもうのです。

ナンタラ社長ブログとか言うのが激しくつまらないのも、地位の高さをこれ見よがしに書き綴って、「オレ偉いんだかんね」とアピールしすぎだからです。

中学生にだって、その意見がまともであれば、オトナと対等に渡り合える、これがブログの魅力でしょう。

レフェリーが読者です。

コメント欄の議論においては、そのブログの常連がブログ主の味方をする傾向があるかと思いますが、トラックバックでの議論は、極めて公平です。



>「議論に費やすエネルギー」があれば「仕事に使う」のがオトナ



オフラインにおいてはguldeenさんのその考えに何ら異議はありませんが。
返信する
朝目新聞から飛んできました (Unknown)
2005-03-29 17:55:41
 朝目新聞から飛んできました。 

 案の定松永さんという人がどのような人物かわからないのでこれから過去の記事を読むところです。ですが、ネットがよい議論の場であるということには賛成です。相手の印象に左右されないというのは論理的な議論をするのには最適であると思います。しかし、学校で議論する場を持たない日本人にとって、議論がどのようなものであるかを理解するのはなかなか難しいみたいですね。議論の定義がしっかり理解できれば議論はとても楽しいものであると私は思います。
返信する