EKKEN♂

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反論することについての考察

2004-05-20 | WEBにまつわる話
 僕のそんなに長いとはいえないネット歴の中では、かなり古くから交流のある、いわゆるネット知人のいっべーさんが、先日からblogを始めています。
 いっべーさんは僕と極めて似た匂いを持った人(と、僕は勝手に思っている)だけど、微妙な考え方の違いがあり、時には断絶状態に近いことがあったりしたものの、基本的にこの人の情熱的な姿勢は好きなんですね。今回はそのネット知人であるいっべーさんのblog記事からお題いただきです。
 僕は彼の「物事に対する考え方」全てを支持するつもりはないのですが、ネットに取り組む姿勢はかなり良いものをもっていると感じています。
 僕がここでよく言っている「意見を書くblogの姿勢」、つまりは反論を受け入れることが出来ないのなら、意見など述べるな、という点について、彼のblog内で面白いことが書かれていました。
(彼はトラックバックの方法をよく分かっていないのか、あるいはトラックバックすることによって多くの人の目に触れることを避けているのかは不明だけども、ご自身のblog記事、コメント欄で僕に対する回答を述べています。ここで言及することにより、より多くの人に知れ渡ることは彼の本意ではないのかもしれませんが、僕としては「それならばコメントトラックバックを受け入れる設定にすべきではない」という考えなので、敢えてこちらで取り上げさせていただきます)
「反対意見を聞きたくない人はネット上で自分の考えを述べるべきではない」までいくと、ちょっと排他的すぎじゃないかな、っていう気がします。

 始めに彼の意見に対して言いたいことの結論を言えば、上記の文についてです。
なるほど、僕の意見は「そんな奴はblogやるな」という排他的なものであることは認めます。しかしどうでしょう?
 反論を受け付けたくない人こそ、自分の言いたいことだけを垂れ流して、反論→荒らし認定する機会が多く、他人の思考に対してより排他的なものではないでしょうか?


 以下、いっべーさんの記事に対して反証させていただきます。
 細かく引用すると10,000字でも足りなくなりそうなので、いっべーさんのblogの当該記事を読んでいただいたという前提で(以下、引用部分は全ていっべーさんの記事からです)記述します。
 予め申し上げておきますが、いっべーさんは、僕の考えが「WEB全体のことを言っている」と勘違いしていると思われます。僕が反論云々と言っているのは「トラックバックを有したblog」のことです。
【1】公開の目的 について
「他の誰がどう考えてようと、俺はこう思う。終わり。ただそんだけ」

 そういう人も確かに存在するでしょうし、それを否定する気はないのですが、こと、blogに関して言えば、コメント、トラックバックという特性上、利用する意味があまりないですよね。僕はコメント欄においてはあまり過激なことは言わないほうがいいのかな、と思うようにもなってきましたが、少なくともトラックバックについては、その受け入れを許可している以上(ちなみにgoo BLOGでは現状、拒否設定はできないようです)その記事内容を真っ向から否定するような反論でさえ認めるべきだと思うし、それに対して何らかのアクション(反論でも謝罪でも)出来ないようなら、blogというシステムを使うには向いていないのだと思うのですね。もちろん、そのトラックバックがきちんとした意見であることが最低条件ですがね。
 トラックバックを送る、ということは自分のblogにも乗り込まれる可能性をもっているわけですから、コメント欄のように「名乗っていても高い匿名性」はかなり薄れますよね。
 スパム的なトラバを別にすれば、その反論は意見として捉えるべきです。
 blog以前の個人サイトについても似たようなことがいえると思うのですが、自分の言いたいことだけを垂れ流して反論はイラネ、というのならBBSなど設置すべきではないですよ。(*1)
 仲良しクラブをやりたいのであれば、世間話に徹するべきであり、間違っても他人に同調を求めたり、何かを批評したりすべきではないですよ。アナタのサイトをみている人全てがアナタの同調者ではないのですから。
 むしろ、反対意見は何も書かないで、と言うほうがよっぽど排他的だと思うんですがねぇ?
 つまり「反対意見は書くな」という主張なら、閲覧者がコメントを残せるシステムは利用すべきではない、という僕の考えなんですが、いかがでしょうか?
(ついでにいうと、こういう書き方をしている以上、僕は自分に反論があっても当然だと思っているし、その反論については可能な限り対応させてもらうつもりです)
(*1)もっともblogシステムを使うようになってからは、この考えは多少変わった。BBSにおいては反論いやん、もあってもいいのかな、と思うようにはなった。僕はそういうところに面白さを感じないので訪問する気にならなくなったが。
【2】「反論されるのがイヤなら・・・・」 については割愛します。
 概ねいっべーさんの考えに同意できるからです。
 短い文で且つ的を射ていると思うので、過剰に説明することはありません。
【3】反論の仕方の問題 について
発表会派は「反論が不快」というよりも、議論派がドンパチドンパチやってるようなのと同じノリで反論されるのが不快なんじゃないかと思います

 そういう意味でなら、僕も特に否定する気はないです。反論と言っても無理に言葉汚く罵る必要はないわけでして、穏やかに済むのならそれに越したことはない。
 僕はこのblogを始めて、「こんなblogはつまらない」などの記事を書く際にも、内容は過激かもしれないけれども、一応意見としてストレートに読めるものを書いているつもりです。異論・反論は多々あるでしょうが、自分の記事が暴論だとは思っておりません。
 いっべーさんのこの件についての考え方も、非常に分かりやすく、議論派を牽制しながらも大変好感の持てる文章だと思います。
 一応、僕の考えのまとめとして、いっべーさんの次の文を転載させていただきます。
「反論されるのがいやなんてなんつーバカどもだ。ネットやるな」

 確かに僕は以前はそう思っていました。
 しかしblogシステムというものを知ってからは、少し考えが変わりました。
「反論されるのがいやなんてなんつーバカどもだ。blogやるな」
です。
 もちろん、これは言葉のアヤでして「blogやるな」じゃなくて「トラバやるな」なんですけどね。
 コメント欄で自分の同調者ばかり集めて、反論トラバは無視、というのはあまりにショボイと思いませんか?

【4】議論か会話か について
 ここの項目読んでいて思ったのだけど、いっべーさんは僕の考えを少し曲解しているんじゃないかしら。
 会話でも良いんです。何もわざわざ険悪な方向に話をもって行く必要はないわけです。
 その一方で、
反論を受け入れなくちゃいけない義務なんてなかろうぞ。

 これには疑問を感じるわけでして、もちろん「義務」まではいかないのかもしれませんが、ネットをやって、自己主張だけはしてその反論を拒否するのは「姿勢としてどうよ?」という気がしませんかね? あまりにお子様的思考じゃないのかな、と思うのです。
 「氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね」とか「ヴァカジャネーノ」は反ではないから、無論受け入れる必要はないですし、そのような意味をなさない嫌がらせ行為をするのは、もっとお子様なのだとは思いますがね。
 僕は以前、このblogを始めてから、いくつかのblogに対して疑問を投げかけ、それが原因かどうかはわからないのですが、二つのblogが更新休止しています。ログを消去していないだけで、閉鎖したのかもしれません。
 「閉鎖するまで追い込むことはないんじゃないか」と思われる人もいるでしょうが、僕は「追い込んだ」つもりは毛頭ありません。僕としてはまっとうな意見を書いただけだし、あの程度のことでやめちまうくらいなら最初からやるな、というのが僕の考えです。
 もっとも、うち一つは僕は相手のコメント欄にて意見を書いてきていて、そのやり方はまずかったかな、とは思っていますが。(←思ってはいるが、その意見は正当性のあるものだと思っています。どんなものなのか知りたい方は、ここでも読んでください))
何もWEB全体が一つの傾向を持たなくてはならない理由も無いし、ネット上にも色んなコミュニティがあって当然のように思えるんす。

 blogはまだまだいろいろな可能性も秘めていますから、この考えには同意です。始めから一つの方向性を持たせる必要は全くないです。
 僕はあくまで自分の希望として、反論をすることが悪と取られるような展開にはなって欲しくない、と考えているだけです。
 「意見を述べる」だけがblogのあり方とは思っておりませんが、blogってのはネット上で意見を述べるには非常に向いているシステムであると思っております。
 


 2005/01/28、引用元のいっべーさんのブログアドレス変更と、僕の引用等の表記の方法の変更に伴い、一部記事を書き換えました。

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28 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (lovedidy)
2004-05-20 16:07:55
私は、あなたに、おおむね賛成。



理由は、自分と違う考えを持った人(他者)や、自分の属しているコミュニティとは違ったところにいる人(外部?)の考えを比較したり、時には対決しないと、成長できないし、すぐに飽きる。と思うから。



個人的には、発表会形式?でもって、かなりの勢いである特殊な立場の人たちをたたいておいて、反論はお断りとばかりに、メールしか受け付けていないサイトには、腹が立つけどまあ。言論は自由ですから。



web上で何かを表現するとき、自分は承認されたい。

しかも自分の思い描くとおりに。と、思わない人はいないと思う。だから、そういう気持ちが本来的に持っている身勝手さとか、排他性はつねに感じていて欲しい。



まとまらないですが。

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反論を認めない人ってさぁ (えっけん)
2004-05-20 19:05:43
向上心が欠落しているんだと思うよね。
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それでも (lovedidy)
2004-05-20 19:32:56
反論を認めない意見も可。



向上心が欠落している(と思う)という意見も可。



ですが、批判されない権利は存在しないんです。



そういう場でないと、有用な議論とか、有用な考え方とかが、生成されないと思います。



WEB上で発信できることの意義のうち、半分が失われてしまうでしょう。
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向上心ではないと思う (氏ねよ藻前等)
2004-05-20 19:51:32
そういう香具師は、単に自己陶酔に浸りたいだけだと漏れは思うが(・∀・)

猿山の大将気取りが一番キモチイイんだろうな。それを壊す書き込みはNGなんだろう。
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Unknown (えっけん)
2004-05-20 23:20:23
批判されない権利を主張する連中の多くは、世間話の中に何かしらの批判を込めたことを言っている物です。

悪意がないから批判ではないのか?

そんなはずはありません。



>氏ねよ藻前等氏

おお、今までわしが思いつかなかった斬新な意見。
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ああ。 (lovedidy)
2004-05-21 09:39:49
また。(やってもうた)



可 というのは存在してもいい という意味です。(^^;



私はあなたの考え自体に特に悪いところはないと思います。ただ、「更新停止してしまった2つのサイト」に対してあなたの持った感想のうちには微妙な部分はあるのでは?



または、「義務まではいかないとおもいますが」の中には、何が潜んでいるのでしょうか?



私は、そういう部分(痛み?)は、批判をするものとしてつねに持っているべきではないかと思います。それがないなら、いわゆる

「愛のあるツッコミ」は成り立たない。あるいは、それをする資格はないということになると思います。



「批判されない権利を主張している連中」は、実は権利を主張しているのではなくて、ただ、そんな権利は存在しないことを

「知らないだけ」なのでしょう。



お子様であることは、否めませんがね。



>悪意がないから批判ではないのか?



批判というものは、それ自体悪意を含むものではありません。それは、思わぬ批判を受けたものの「感受性の産物」にすぎません。



「悪意を伴った批判的な文章」というのは存在しますが、「悪意」と「批判」は分けて対応すべきでしょうね。



***

私は、個人的にBLOGはコミュニティに収束していくように感じていて、そのなかで、たとえばあのイラクの日本人人質事件のように、誰もが言及可能な話題が急激に持ち上がった時、コミュニティで充足してしまうとカウンターが出てこなくなるかもしれないということにちょっと危機感を持っているんです。





現実にはあなたのような人が、そういう流れを止めるんじゃないかなと、ひそかに期待しているんですが。

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Unknown (えっけん)
2004-05-21 12:06:08
んー、lovedidyさんのblog主を持ち上げるわけでもない、かといって一方的に責めまくるわけでもない存在は、僕にとっては大変貴重で、ありがたい存在なんですが、言っていることがよくわからんです。

僕が読解力ないのかもしれませんが。

「更新停止のサイトに対しての僕の感想に微妙な部分がある、その「微妙な部分」とは何なのか? もっと詳細に説明してくれないとわかりません。

このままでは反論も出来ません。

>「義務まではいかないとおもいますが」の中には、何が潜んでいるのでしょうか?

これも記事の中で書かれていることだけではご不満なのでしょうか?

反論を無視する、というのも一つの手段です。

僕はそんな手段はあまりにお子様に過ぎる、と思っているだけです。

>「愛のあるツッコミ」は成り立たない。

別に僕の全てのツッコミに愛を含めているつもりもないですし…

ツッコミ所があれば、愛の有無に係わらず、ツッコミますよ。

ただ僕は余程のことがない限りは「悪意をもって」まではツッコミは入れませんがね。

その休止した(かもしれない)2箇所についても、僕は何ら悪意は持ってません。

相手に感じた疑問をストレートにぶつけてみただけです。

特に長文コメントを使って批判したところについては、そこ自体が批判(っていうか、ありゃ批判にすらなってないと思うが)しているものなので、それに対して反論されたことは受け入れるべきだし、自分は批判するけど、俺の批判はするな、などと思っているのだとしたら、そんなムシのいい話はないわけでして。



・批判されない権利→主張しているのではなく、知らないだけ

・「悪意」と「批判」は分けて対応すべき

・コミュニティで充足云々

については、いいこというなぁ、と思いました。確かにその通り。

ついでにいうと、何でも「名無し」であることを理由に悪意を持った発言とする人がいますが、悪意の有無は名無しであるか否かではなく、その発言内容によって判断すべきだと思います。

で、僕はBBSではコミュニティ収束があまりに顕著になってきたために、BBSを飛び出してblogを始めたわけです。僕は必要であれば、ここに来ていただいているお客さんであろうが、批判するし、彼らから批判されるのも受け入れるつもりです。

つか、実際トラックバックの件でもけさん批判(もけさんのみを対象にしたわけじゃないけど)はしましたが、その方法に問題があったとは思ってないし、もけさんも僕の主張は理解してくれたものだと思ってます。

ただ、blogのコミュニティ化は残念ながら進んでいるでしょう。

いずれBBSと同様に、馴れ合いで閉鎖的なものにはなるかもしれません。

反対意見を唱えるのが非常識、とされるようになることも考えられます。

僕は自分がblogを続ける限り、そういう方向にはならないようにしていこうと思ってますが、僕のような人が「そういう流れを止める」と思っているのは、僕を買い被りすぎだと思います。

コミュニティ化が進むと僕のような人は排除されるでしょうし。

僕がいろいろ批判的なことを言えるのは、基本的にネット上で敵を作ることを恐れていないからです。

自分が正しいと思ったことは、みんながどう思おうが言ってのけます。

そして、僕だけではなくて、南無さんや氏ねよ藻前等氏にも同じような血の流れを感じています。藻前等氏はちょっと過激に過ぎるとは思うけど。



あー、長くなっちゃったよ。

記事にしたほうが良かったかなぁ…
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Unknown (lovedidy)
2004-05-21 15:06:03
いきなり本題。



>「閉鎖するまで追い込むことはないんじゃないか」と思われる人もいるでしょうが、僕は「追い込んだ」つもりは毛頭ありません。僕としてはまっとうな意見を書いただけだし、あの程度のことでやめちまうくらいなら最初からやるな、というのが僕の考えです。





ここに、あなたの行動の際の基本姿勢が集約されていると思うのですが、私などは、どんなに理路整然と自分の信ずるところを持って批判していても、やはり相手は少なからず傷つくであろうということについて、思いをいたさないわけには行きません。なぜなら、私自身も相手の主張がどんなに正しかろうと、攻められれば傷つく、というかもう泣きそうになるからです。(気がよわいので。)だからといって感情的になって無視するとか、逃げるとか、あるいは相手の人格批判を始めるか、そのどれもできません。だから、自分が批判している相手がそのどれかを始めると、たいていは、静かに引いてしまうことにしています。自分で言っててもすごい半端なやつだとは思いますが。それが正しいとも思っていませんしね。でも、それで十分だと思ってしまうんですよ。





だから、最初の突っ込みも、100%言いたいことをはっきりと書くというスタンスでは、やりません。



あー、話がそれてきちゃいそうだ。



自分の場合を他人に敷衍して考えてしまうというのは、よくある間違いですよね。私は、あなたにもそういう部分があるのかなと勝手に考えて、それにしては上から振りかざしすぎかなと感じたので、その部分についてはどう感じているのか答えてもらいたかったんです。



しかし私は勘違いをしていたようです。あなたの読解力のせいではありません。
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追加。 (lovedidy)
2004-05-21 17:56:58


>このままでは反論もできません。



反論の必要はありません。

反論を認めないのではなくて、あれは、ただの質問だったので。



そのように見えない書き方をしてしまったようで、すみませんでした。

失礼があるようなら、お詫びいたします。
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ごめんね、ごめんね。と泣きながら撃ち殺すのは愛だろうか? (はにゃ)
2004-05-22 03:20:48
>らぶりーえっけんさん

lovedidyさんが言いたい事は集約してしまうと

「踏み潰される人の痛みを背負いながらも、あなたらしく進んで欲しい」という事ではなかろうか?

あー、もちろん俺の妄想かも。



>ほんじゃまかlovedidyさん

多分、あなたの書いてあることがわかりにくいと指摘されるのは、

文章上の言葉の問題じゃなくて

態度矛盾にあるんだと思います。

その裏側に何らかの親切心があることは

わざわざ後から言い直さなくても伝わってると思いますよん。



かくいう私はタダの埴輪です。

土に埋めて水をかけてもらっても構いません(笑)
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