「日に新たに」・・・・あくなき好奇心と探究心を持って、生かされていることに感謝し、日々精進・努力していきたい

「新しく生まれる」感謝の日々。「生きとし生きるものは永遠に生きている」実感の日々。「初心忘れず」を繰り返す日々。

山と積まれた仕事を残して、本年の仕事は終了した。意味不明???

2004年12月28日 18時19分57秒 | 希望に燃えて、「先達」と歩む日々
2005年に向けての対策を考えねばならない。

 年々仕事量が増えるのか、それとも爺の事務処理能力が低下しているのか、
未処理の仕事を山積みしたまま、2004年の幕が閉じようとしている。

 爺の仕事は100%肉体労働であるから、爺のように体力のない者にとっては、
命を削るようなものである。その証拠に、3月の「確定申告」が終わると、まもなく
1人ないし2人の税理士さんがご病気になり、亡くなってしまう。毎年のことである。
爺の地域のみ、なのかもしれないが、仕事が大変きついことは確かである。

 爺は今まさに「第二の人生」の準備に取りかかろうとしている。そんななかで、
病気にでもなったら、悔やんでも悔やみきれない。
爺は死を迎えるときは、生に対する執着を少しでもなくしておきたいと考えている。
 今、爺に突きつけられている課題は、如何にして仕事量を減らすか である。
さもなくば、仕事をさぼるテクニックを身につけることである。
爺の場合は、仕事が積まれてしまうと、そのことが寝ていても気になり、無理をしてでも
仕事を処理してしまう。
 このパターンが過労死を引き起こすのであろう。
例を挙げれば、切りがないほどである。
過労死を避ける方策はただ一つである。無理をしないことである。
爺の場合は、仕事量を無理をしなくても処理できる量にすることなのである。

 仕事量削減に向けて、根本から考え直すべき時期にきているのであるから、
爺は諸賢からアホと言われないよう、考えることにした。

第二の人生とは何ぞや。

2004年12月27日 19時25分31秒 | 希望に燃えて、「先達」と歩む日々
そこに山があるからだ、とは言い切れないものがある。

 爺は、チャンスがあれば、いろいろな分野で活躍すべきである と考えている。
チャンスは与えられるものではなく、自ら作るものである、という人もいるが、
チャンスを作ることは、現実的にはなかなか難しいと、爺は思う。

 爺の場合は、幸いなるかな、チャンスが与えられたのである。

 第二の人生は、「天文学者」が良いなぁ・・・・なんて100%夢のようなことを
願っていた。東京大学の理学部に入学して、勉強しよう と考えていたくらいである。
さすがに、これは「夢」のまた「夢」であった。
ところが、チャンスがめぐってきた。
「天文学者」が叶えられないなら、第二の「夢」は中坊公平氏のような弁護士さんになる
ことなのであった。努力すれば、誰でも弁護士になれるかもしれない という可能性が
でてきた。そのように、社会の事情が変わってきたのである。
弁護士さんの仕事は、人権を擁護し、社会正義を実現することである。
社会にとって、大事な役割を担うべき弁護士さんの数が、日本の場合は極端に少ない。
なので、いわゆる「泣き寝入り」が多くなる結果となる。
 爺は泣き寝入りなんぞ!冗談ぢゃねえ という考え方なので、そこで、自ら
弁護士さんになって、その役割の一端を担おうと考えていた。

 さらに、チャンスが重なるかのように巡ってきた。
社会の中で大きなウェイトを占める「企業」の不正・ルール無視等が、明らかになる中で
企業を監査する公認会計士さんの数を増やして、「企業」を監査させよう という
社会的要請が強くなってきた。公認会計士さんにも、社会正義を実現させる役割を担わせよう
ということである。
 まさしく、爺の「出番」到来であろう。
「二兎を追う者は一兎をも得ず」ではなく、「二兎を追う者は二兎を得る」状況に、
社会がしてくれたのである。

 第二の人生は、新たな目標と、新たなフィールドで、過ごすことが出来るのである。
そうかといって、「棚からぼた餅」式に、事が進むことはない。
爺が、「夢」を描いて、創作する努力をして始めて、事が成就するのである。
「創作する」楽しみも味わいたい。「受験」の苦しみだけでは、「夢」そのものが実現しない
であろうと考えるからである。

 爺の今の仕事は、別の人にバトンタッチすれば良いと、爺は考えている。
爺の所属する税理士業界にも、優秀な若い人材が育ってきた。爺は喜ばしい限りである。
爺のように第二の人生を考えている者が、劣るなどということを言っているのではない。
キャリアを発揮しなければならない分野がたくさんあって、そこで能力を発揮すべきである
と、言っているのだ。
 爺には、幸いのも、相当の努力が必要だけれども、チャンスが重なるかのように巡ってきた。
成就出来るよう、努力していきたいと思う。

        

会計専門職大学院で公認会計士に・・・法科大学院で弁護士に・・

2004年12月26日 10時59分24秒 | 希望に燃えて、「先達」と歩む日々
強気から、豪気にシフトして努力する。

 逃げ道が幾らでもある爺としては、再度、退路を遮断して法科大学院の合格を目指す。
爺はやるぜ!!!やるぜ!!と騒がないと、「受験」のプレッシャに負けて、
夢半ばで、自分の気持ちと折り合いを付けそうである。
一度しか無い人生ならば、最終目標まで到達しようと、思う!!

 最終目標は、「社会改革」の一員としての、役割を果たすことである。
爺の望ましいと考える社会は、ヨーロッパ型社会かな。活力無き社会になってしまっては
元も子もないが、過ぎた競争社会は住みにくい社会であろう。
西欧社会と東洋社会の交差点社会が、今のところの爺の理想社会の姿である。


「呆れ顔」の諸賢に追い打ちをかける、爺である。

2004年12月25日 18時24分52秒 | 希望に燃えて、「先達」と歩む日々
何故か、疲れてきた。

 ここ3日間ほど、爺は疲れている。細木某が言う、「憑かれている」とはちと違う。
爺は原因があって、結果があると、考えることにしているので、この原因は何だろう
と、考えてみた。
 自分のことを、自分で分析することは難しい。思い込みや、勘違いなどがあるからである。
そんなことを考えながらも、自己分析をした。
会計専門職大学院を合格する前までは、爺は自覚症状無き緊張をしていたのだと思う。
いわば、試験連敗で、諸賢には偉そうなことを豪語した手前、精神的には、断崖絶壁に立って
いたような気がする。爺の夢は、風前の灯になっていたのである。

 そうこうしている内に、中央大学の入試が行われ、入試の倍率等考えると、とても合格は
無理そうだなあ と判断していた。来年に、また受験か!とハチマキを締め直していた と
いうのが正直なところである。2校目は中央大学と同じく、社会人のために「会計専門職」
大学院を設置した「千葉商科大学」の受験を予定していた。とにかく連敗なのであるから
2校目があるさ とはいっても、「不合格」の3文字が頭の中を巡るのである。

 12月23日、祝日ではあるが、仕事が山になっていたので、仕事をする。
気持ちは冴えない。仕事の効率は悪い。 「果てしなき受験」が肩に重くのしかかっている
ような気分だからであろう。
 爺の場合は、相当に図々しいし、開き直りさえあり得るのだから、まだ救われる。
しかし、高校受験や大学受験をしようとしている若者は気持ちのコントロールが大変だろう。
まして、爺と同じように2浪なんていったらば、辛いだろうとおもう。
世間では、今の若者は苦労などないのだから、受験や就職で苦労すれば良かろう などと
言う人達もいるが、それは見当外れだと思う。なんの試験でもそうであるが、「受験」を
正面から捉える者にとっての、「受験」のプレッシャは厳しいものがある。

 爺はそんなことを思いながら、家に帰ると、24日合否発表予定にもかかわらず、
中央大学の「合格通知」が届いていた。爺と婆は、新手の「学費振り込み詐欺」かと
疑ったくらいである。「学費」を見れば、来年1月下旬までに振り込めばよい、と書いてある。
金額も入試要項とおりである。
 99%不合格と予想していたのである。

 それ以来、爺は力が抜けた。疲れた。来年1月からは「本番」の法科大学院の試験準備が
スタートするというのにである。
しかし、幸いなるかな 年末年始にかけて1週間ほど、仕事の積み残しがあろうが、休みを
取ることに決めたので、その間に、「強気」の爺を復活させるつもりである。

 爺の変わり身の早さに、諸賢が再度「呆れて」しまうかもしれない。
爺は諸賢のそんな「呆れ顔」を見るべく、復活の期間に突入する。


爺のわがままをお許し願いたい。

2004年12月24日 19時59分59秒 | 希望に燃えて、「先達」と歩む日々
さらなるご支援をお願いしたい

 爺のわがままをお許し願いたいと言いながら、さらなるご支援をお願いしたい とは
爺は何を考えているのやら、とお思いの諸賢であろう。
 この爺の願いは諸賢にとっては両立しないものに違いなかろう。
こんな両立しない願いを諸賢に申し上げる爺の神経は、甘さ以外の何ものでもない。
爺は甘い、甘い と程度の差こそあれ、諸賢の全てがお思いのことであろう。

 爺は爺の甘さ加減を追々諸賢にお伝えしなければならない。
爺は甘いけれど、頑張っているかもしれない と多少でも思ってもらえるように
爺の考え方を正直に白状したいと思う。

 今は、仕事が机に積まれてしまっているので、それをこなすのに精一杯で
これ以上の力が出ない。後日まで、暫し、諸賢には「呆れて」いてほしい。


合格した。有難う。

2004年12月23日 21時41分17秒 | 希望に燃えて、「先達」と歩む日々
中央大学会計専門職大学院に、お陰様で
合格した。というよりも、お情けで
合格させてもらったような気がする。
明日(24日)が発表日なのであるが
今日(23日)、合格書が届いた。
中央大学会計専門職大学院で2年間学んで
法律に強い会計人になると同時に
公認会計士の資格を取得することに
努力していく決意である。
夢の実現に一歩近付けたことによって
元気になってきた。
爺を見捨てる事無く、励まして下さった
百人力の諸氏、諸賢、ありがとう~!


何故、犯罪が多いのだろう。

2004年12月22日 19時04分23秒 | 希望に燃えて、「先達」と歩む日々
因果関係が判らない犯罪が多すぎる。
 古い話をするから、爺は爺なのである。30数年前は、いわゆる
理由無き犯罪とか、衝動的犯罪はほとんど無かったように思う。しかし、最近は
些細なことで、人が殺されたとか、気分がムシャクシャしていたので放火したとか
いう、なにが原因で犯罪が発生したのか不明な事案が多いように思う。

 大げさに言えば、毎日のように殺人事件が起こっているような錯覚に、
爺は陥ってしまう。次から次へと犯罪が起きるので、以前の犯罪は世間から
忘れ去られているようである。未解決の殺人事件が忘れ去られてしまうというのは
どうしたことなのであろう。
 爺は考えた。「犯人」が捕まらないのが、犯罪の増加原因になっているのでは
なかろうかと、考えているのである。
「罪なき者を罰してはいけない」が、「罪ある者は罰しなければならない」と
思う。「罪」の定義がなかなか難しい。日本特有の文化伝統のゆえに、罪の定義が
曖昧である。決めにくくても、決めねばならないことは、キチンと決めるべきであろう。
社会的には、「罪刑法定主義」とか言われるのであるが、今ひとつ、論理性に欠ける
考え方に、日本の場合はなってしまったような気がする。

仕事が積もり、積もる

2004年12月21日 21時52分35秒 | 希望に燃えて、「先達」と歩む日々
なぜ、仕事が減らないのだろう。仕事が減るよりも
仕事が増えるのが早いからであろう。
当たり前のことなのに、なぜか、ストレスと
なる。
ストレスがなくても、ダラケてしまいそうであるが
あり過ぎても、仕事のやる気をなくさせる。
住みにくさが高じると、
人と話をするのが煩わしくなる
というのは、本当なのだと思った。
山奥の温泉、あるいは東京のど真ん中のホテルに
滞在するのがリフレツシユになるのだろう。
今日の日記の一部を載せておいた。

みんなでがんばろう。

2004年12月20日 15時05分32秒 | 希望に燃えて、「先達」と歩む日々
諦めてなるものか!
 最近、企業・法人の不祥事が目に付く。
NHKは「みんなのNHK」と普段、言っているのでさらに目に付く。

 コーポレート・ガバナンス(企業統治)が騒がれている割には、ひどい有様である。
まあ、我々の目に付くだけ良いのかもしれない。そう考えて、爺は怒りを静めよう。

 税金、寄付等のいわゆる公金で運営している事業体については、規模の大小を
問わず、公認会計士による外部監査を義務づけねばなるまい。
公金ゆえに、お金の管理すなわち経理がずさんになってしまう。経理が甘くなったら、
その事業体は存続する意義を失う。
 爺の経験から判断しても、外部監査がキチンと制度化されている事業体は元気が
良いし、組織の風通しも良い。
 外部監査のためのコストをケチる者など、事業を管理・運営する資格はない。

 我々が国会議員の尻を叩いて、正しい事業体を作るための法律を、作らせるしかなかろう。

中間報告

2004年12月19日 15時06分50秒 | 希望に燃えて、「先達」と歩む日々
100年早いかもしれないが・・・・・。
 今日、会計専門職大学院の1校目の試験があった。
合格もしないうちから、生意気のような気がするが、感想を一言述べたい。

面接審査について、法科大学院の時も同じであったが、面接官が3名いる。
そのうち、2名は研究者教授、1名は実務家教授という構成になっている。
爺の思い込みと偏見に基づく分析であることをまずお断りしておく。
研究者教授の質問は明確でなにを問うているのかわかるが、実務家教授の質問は
「エッ?何を聞きたいのやら??」という感じで、さっぱりわからない。
爺が質問の意味を解釈して答えると、「ウンウン」なんてうなずいている。
うなずいてくれるのは有り難いが、こういう教授には教わりたくないと思う。
実務家教授がすべてこんなぐわいとは思わないが、点検する必要はあると思う。

 学生は真剣に学び、そして資格を取得し、社会の発展に貢献しようと
一生懸命なのである。実務家教授にはもっと教え方を学んでほしいと思う。

今日、受験した大学院の研究者教授の学問レベルは、日本では最高水準にあるので、
爺としては、合格したい気持ちでいっぱいである。

 どうなるものやら、今日の感触では「わからん!!!」。
いまは、不合格なら、2校目もあるでよ~~~、という軽い気持ちである。
いまさら、後には引けない爺である。だだ、前進あるのみ・・・・。

地方の活性化

2004年12月18日 14時04分46秒 | 希望に燃えて、「先達」と歩む日々
千葉県市川市を見習ってほしい
 爺は千葉県流山市に住んでいる。流山市の市長は「比較的」歳が若い。
だからということでもないと思うが、8カ月前くらいに、48歳の民間人を
市の職員に採用した。そして、市の広報担当の課長に就任した。
 市の職員達が活性化するだろうから、爺は良いことだ、と喜んだところが、
まもなくして、その方は辞められてしまった。何故辞めてしまったのだろう。
その方は、民間会社に勤務されておられたので、市職員の仕事ぶりに「呆れて」
しまったか、または、グウタラ市職員のいじめ???にあったから、お辞めになって
しまったのだろうと、爺は推測している。断定はしていないので、
流山市職員の方達は勘違いされることのないよう、お願いしたい。

 一方、千葉県市川市では、数年前から、民間人を市職員に採用している。
今年度についても、民間会社に勤務されている50歳の方を始め、多くの民間人を
採用した。市川市の場合は、流山市の場合と異なり、採用後すぐ辞めてしまうなどと
いうことはない。定着率が大変良いのである。同じ千葉県の市でありながら、
市川市と流山市はこんなに違うのである。「川」と「山」なのに????。
 爺は市職員の「レベル」が違うのだと思う。レベルを決める基準はなにか。
市川市は市民の市政に対する意識が高い。例えば、市民オンブズマンの制度などは
全国1、2位を争うくらい、効果的に運用されているのである。
市民が市政を厳しくチェックしているのである。市川市選出の衆議院議員さんは
歳が若いが、理論派で考え方が官僚的でない。爺は時々お会いして、話をするが
まさに「ライブドア」の堀江社長プラス学者といった感じである。

 地方の時代が目前に迫りつつある。地域を活性化し、住み良くする責任は
その地域住民にある。地域住民が市政などに参加し、市職員の仕事ぶりをチェック
しなければならない。そして、衆議院議員さんなども、若い方を選ぶべきであろうと
思う。例外はあろうが、若い人の方が、独創的であるし、奇抜なアイデアが
出てきそうである。
 爺は若い人が好きである。爺の感性とマッチする。爺は若い人達が、
「爺達の古い考え」に押しつぶされないよう、サポートしてあげたい。
爺は自らも含めて、爺達の「前例主義」を批判し続けていく決意である。 

12月らしくなってきた。

2004年12月15日 16時50分31秒 | 希望に燃えて、「先達」と歩む日々
 仕事&プライベートな事に関して、やはり12月のためか、忙しくなってきた。
なんとなく、爺は落ち着かない。諸賢も爺と同じような心持ちかもしれない。
やるべき仕事がありすぎて、何から片付けたらよいものか、気ばかりが焦る。

 爺は「不真面目」になるべく、努力している???が、持って生まれた「真面目な
性格」は努力しても直らない??????ものらしい。
そうではなく、不真面目に徹底する勇気がないだけだろう という声が聞こえたぞ。

 そうかもしれない。徹底さが欠けているだけかもしれないなぁ。
粛々と、積み重ねられた仕事をこなしていこう。

政治家にも適性試験を実施せよ。

2004年12月12日 11時05分16秒 | 希望に燃えて、「先達」と歩む日々
安倍さんに期待する
 北朝鮮の拉致問題解決がいまひとつはっきりしない。
小泉さんの言うように、経済制裁慎重論は経済制裁を行うと交渉がストップするかもしれないし、
北朝鮮が暴走するかもしれないという おそれがあるという意味で根拠はある。
 しかし、安倍さんが言う、経済制裁行うべし にも根拠がある。
北朝鮮は日本との対応を誠意を持って行うどころか、日本をバカにしているような対応を
とっている。経済制裁を日本単独で行っても、効果は期待できるし、北朝鮮が暴発しても
日米安保によって、北朝鮮は逆に崩壊することになるという考え方である。
 爺は安倍さんの考え方に賛成したい。

安倍さんの良いところは、何でも正直に包み隠さず国民に語りかけるところである。
多くの国民が、安倍さんを支持する理由であろう。爺の奥方など、安倍さんのファンである。
多くの国民は次の総理は安倍さんで決まりだ、と期待していると思う。
爺などは今、安倍さんに総理になってほしいと思っているのであるが、現実は不可能な事
なので、言うだけアホらしい。2年後は、安倍さんに国政を任せたい。
 安倍さんは国民にありのままを話し、国民の意見を聞くという姿勢がいかに大事かを
さらに学んでほしい。小泉さんは自己PRに一生懸命で、国民不在の態度をとっている。
首相就任当時は良かったのになぁ。
 政治家の適性は、国民とのコミュニケーションを真摯に取れるか否かにある。
爺は政治家にも適性試験なるものを課すべきである、と思う。
選挙区で、当選したからといっても、政治家としての適性が無いのであれば、
税金の無駄使いとなる。
 さて、爺達が支援している、松本和己君は、今、地域住民とのコミュニケーションを
おこなうことによって、昨年の今頃とは比べものにならない位、大きく成長している。
安倍さんが総理になるころ、和己君も国会議員として、国民の幸せのために活動している
はずである。
 余談になってしまったが、諸賢にあられては、今後とも、和己君のご支援にお力を
お貸し願いたい。爺からの切なる願いである。

友、遠方より来たる。また楽しからずや。

2004年12月10日 17時24分13秒 | 希望に燃えて、「先達」と歩む日々
運も実力のうちなり。
 今日は、爺にとって、「師、遠方より来たる。また元気百倍となりや。」の
一日となった。爺の主たる活動範囲は、千葉県流山市である。先日のNHK.TV
「新撰組」・流山 を見られた方々はお解りかと思うが、「流山」はやはり東京からは
遠いなぁ と感じられるであろう。
 流山から遠い「東京」から、2時間もかけて爺のところに来られる方がいる。
有り難いことである。爺が言う「百人力」のお一人である。
だいぶ以前から、爺のわがままをお願いしている諸氏であり、先日快く、爺の
第二の人生にご賛同いただき、爺に時間を下さった有り難い諸氏なのである。
爺にとっては、友であり、師である。ある目標を持って、その実現のために真摯に
努力される姿は爺の仰ぐべき「師」の姿である。爺もある目標を持っている。
そのことを思えば、爺と共に歩んでくれる友でもある。
 最近、チョッピリ弱気になっている爺ではあったが、元気をもらった。

 「百人力」とは、良く言ったもので、「百人力」の諸氏からメッセージを
いただくと、元気百倍となる。
昨日は野田市の「百人力」諸氏から勇気をもらった。
今日は東京の諸氏から「元気百倍」をいただいた。

 諸賢から、これほど激励されているのも関わらず、爺が第二の人生のスタート台に
就けないとすれば「豆腐の角に頭をぶつけて、死ぬしかない」ことになろう。
爺は日々偉そうなことを騒いでいるだけに、そんなことは断じて出来ない。
爺が素晴らしい諸賢に巡り会えたのも、爺の運が良かったからにちがいない。
爺は運だけは良い方なので、運と諸賢を頼りに頑張る。

諸賢ご理解の通り、運も実力のうちなので、爺の実力を正しく評価して
いただきたい????ものだ。

 諸賢!!!ありがとう。

爺は厳しい状況にあり。

2004年12月09日 17時03分52秒 | 希望に燃えて、「先達」と歩む日々
強気で頑張ろう
 日本は「北朝鮮問題」や「イラク問題」そして「政治と金の問題」や「郵政改革問題」
等の多くの諸問題を抱えている。その解決に向かって、我々は努力して行かねばならない。

 政治家や役人のみに任せておいては、適切な問題解決は不可能であろうと思う。
我々一人一人が、解決策を考えると同時に、意見を主張しなければならない。
とにかく、木っ端役人は自分のことしか考えていないので、我々が頑張るしか
ないのである。ということは、木っ端役人は不必要な存在なのかもしれない。

 爺自身についても、解決せねばならない問題がある。
諸賢からみれば、爺の個人的な、しかも他愛のない問題ではあるが、爺にとっては、
大問題なのである。例の「会計専門職大学院」の受験を目前に控えて、情報分析した
結果は非常に難しい試験になりそうだ、ということになっているのである。
えらいこっちゃ・・・・!
年末で仕事も溜まってきそうではあるが、ここは「猛勉強」して、当面の問題を
クリアーしなければならない状況にある。

 問題が発生するということは、活動している証拠である、とはいっても、
厳しいことである。強気でハードルを乗り越えるしかない。
爺の真価が問われそうで、ドキドキワクワク・・・ハラハラドキドキの
今日この頃である。