リフレ派
緩慢なインフレを継続させることにより、経済の安定成長を図ることができるとするマクロ経済学の理論を
喧伝(けんでん)、もしくは政策に取り入れようとする人々のこと。
リフレーションとは再膨張の意で、経済学的には景気循環においてデフレーションから脱却してマネーサプライ(通貨供給量)が再膨張し、
加速度的なインフレーションになる前の段階にある比較的安定した景気拡大期を指す。リフレ派の主張は、政府・中央銀行が
数パーセント程度の緩慢な物価上昇率をインフレターゲットとして意図的に定めるとともに、長期国債を発行して一定期間これを
中央銀行が無制限に買い上げることで、通貨供給量を増加させて不況から抜け出すことが可能だとするもの。
リフレーション政策は、古くはマクロ経済学のうち新古典派に属する人々によって提唱された。金融政策・財政政策によって、
デフレから脱却しながらもインフレの発生を最小限にするというものだが、世界恐慌の現実の前には有効性を提示できず、
後に近代経済学を体系的に確立したケインズらによる経済学派が当時の主流となった。主に公共投資の拡大で有効需要をつくりだし、
投資を波及的に増大させるというケインズ学派の主張を基礎とする政策は、資本主義経済の延命と再生に奏功したが、
膨大な財政赤字や、慢性的なインフレ、失業などの深刻な禍根を残した。以降、不況下のインフレというスタグフレーションの進行などによって、
各国の経済政策は変更を迫られた。2008年のサブプライム問題などに端を発する世界不況の広がりなどから、日本も内外需要が低下、
消費の縮小や輸出の減少などが生じた。この結果、景気低迷が長引き継続的な物価の下落でデフレに陥った。
12年に成立した第2次安倍内閣が、これに対する有効打として掲げた経済政策が「財政出動」「金融緩和」「成長戦略」による
「アベノミクス」であり、その理論的支柱がリフレ派の理論であるという。リフレ派の論客として知られる岩田規久男学習院大教授が
日銀副総裁となるなど、日銀法改正をにらんだ人事が注目されている。不況脱却は衆論の一致するところで、
「アベノミクス」には、小泉内閣による構造改革で削減された公共工事に関連する者などからの大きな期待が寄せられている。
しかし、リフレ派の論拠である「デフレが不況の原因である」との主張に異を唱え、デフレは不況の結果であるから
金融政策は有効性を持たないとする意見もある。また、インフレの先行は、経済的弱者を直撃して貧困を招き格差を拡大するとの懸念があり、
たいした乗数効果のない公共工事は財政赤字を招くだけで、過去に破綻した陳腐な経済政策の焼き直しだと、厳しく批判するアナリストもいる。
滋は小難しいことは解らないが、確かにインフレの先行は経済的弱者を直撃して貧困を招き貧富の格差を拡大させる。
「さらば、アベノミクス」の著者である浜矩子同志社大学教授はある講演会で下記のようにコメントしている。
滋は浜矩子先生の理論に賛成である。安倍さんは「人間に対する関心が欠けている」と、滋も思う。
高度成長期の幻想にとらわれすぎている。「安倍政権の経済政策はアベノミクスではなく、『アホノミクス』です」。
「問題点は大きく分けて3つあります。それは、(1)『成長』にとらわれすぎている点、(2)人間に対する関心が少ない点、
(3)金融政策がお粗末な点です」と指摘した。
「成長」にとらわれすぎているとは、いったいどういうことだろうか。浜先生は次のように表現する。
「アベノミクスは、高度成長期の幻想にとらわれすぎているのです。今の日本経済の問題は、成長がないことではなく、
むしろ再分配がうまくいっていないこと。つまり、貧困・格差こそが、一番の政治的課題なのです。
日本の『相対的貧困率』は16%(2009年)ですが、我々のような洗練された経済環境にある国家にとって、
この数字は高すぎます。たとえばデンマークは6%(2010年)程度です」 ここで浜氏が指摘している「相対的貧困率」とは、
国内の所得格差に注目する指標で、国民の所得中央値の半分以下の所得しかない人の割合だ。
OECDによると、2010年のOECD平均が11.1%、アメリカは17.4%、フランス7.9%となっている。
国内格差問題は、2番目の「人間への関心が薄い」という批判にもつながるようだ。浜先生は続けてこう述べた。
「安倍総理が6月5日に行った成長戦略に関するスピーチで、何が語られ、何が語られなかったのか、
そこから見えてくるものがあります。 このスピーチで首相は『成長』という言葉を40回近く使いました。
多すぎるとは思いますが、成長戦略に関するスピーチですから、わからないでもありません。
また、『世界』という単語も37回登場しました。日本の首相が世界経済を意識するのは、当然だとも言えます。
しかし、これらの単語が登場したのは、『日本よ、もう一度』とか、『日本が再び世界の中心的役割を果たす』といった
文脈ばかりでした。要は、グローバル競争に打ち勝ち、日本が世界を制覇する、というような単純な話にすぎなかったのです」
こうしたビジョン自体が、時代遅れではないか、と浜先生は指摘したいようだ。
「一方で、人々の暮らしについて触れた部分は少なく、『人間』という言葉が登場したのは、わずか1回。
しかもそれは、1970年の大阪万博で『人間洗濯機』が展示されていた、というエピソードの紹介でした。
収入格差についての言及はゼロ、パートタイム労働者についても、貧困についても、一切語られる事はありませんでした。
こうした点に、安倍首相のメンタリティが表れていると言えるでしょう」
たしかに、いくら国民を鼓舞するためのスピーチとは言っても、バランスに欠ける面はあるだろう。
「ブラック企業」という言葉の流行にも象徴されているように、安心して働き続けられる環境の整備が、
国の大きな課題であることは間違いない。 では、現政権の金融政策への批判は、どのようなものなのだろうか?
「安倍政権の金融政策は、その体をなしていません。日銀はもはや中央銀行ではありません。
黒田東彦日銀総裁は『異次元緩和』と言っていますが、私は、ジョークかと思います。
日銀がやっていることは国債を買うだけ。これではバブル製造マシーンです。日本政府の財政を救済し、
安倍政権のポイント稼ぎにはなるでしょうが、デフレ脱却にはつながりません。非人間的で、
くだらない努力がなされているにすぎないと思います」
この発言に対して、外国人記者からは「黒田総裁の方針は、もはや日本だけの特殊なものではなく、
国際的にはむしろスタンダードなやり方なのではないか」という質問も出た。
浜先生はこれに、対し「みんながやってるからといって、やっていいわけではないですね。
それは中央銀行の役割ではないと、主張することもできるはずです」と反論し、次のように続けた。
「アメリカのバーナンキFRB議長や、欧州中央銀行のドラギ総裁らは、どこか申し訳なさそうに
金融緩和を行っている節があります。おそらく、罪悪感や、正道から外れているという意識を抱いているのでしょう。
ところが、黒田総裁にはそうした態度が一切なく、安倍総裁のために喜んで行っているようにしか見えません」
浜先生はこう指摘したうえで、日銀が国債の買いすぎを防ぐために定めた「銀行券ルール」や、
白川前総裁が導入した「資産買い入れ基金」を、黒田総裁が廃止したことを批判していた。
緩慢なインフレを継続させることにより、経済の安定成長を図ることができるとするマクロ経済学の理論を
喧伝(けんでん)、もしくは政策に取り入れようとする人々のこと。
リフレーションとは再膨張の意で、経済学的には景気循環においてデフレーションから脱却してマネーサプライ(通貨供給量)が再膨張し、
加速度的なインフレーションになる前の段階にある比較的安定した景気拡大期を指す。リフレ派の主張は、政府・中央銀行が
数パーセント程度の緩慢な物価上昇率をインフレターゲットとして意図的に定めるとともに、長期国債を発行して一定期間これを
中央銀行が無制限に買い上げることで、通貨供給量を増加させて不況から抜け出すことが可能だとするもの。
リフレーション政策は、古くはマクロ経済学のうち新古典派に属する人々によって提唱された。金融政策・財政政策によって、
デフレから脱却しながらもインフレの発生を最小限にするというものだが、世界恐慌の現実の前には有効性を提示できず、
後に近代経済学を体系的に確立したケインズらによる経済学派が当時の主流となった。主に公共投資の拡大で有効需要をつくりだし、
投資を波及的に増大させるというケインズ学派の主張を基礎とする政策は、資本主義経済の延命と再生に奏功したが、
膨大な財政赤字や、慢性的なインフレ、失業などの深刻な禍根を残した。以降、不況下のインフレというスタグフレーションの進行などによって、
各国の経済政策は変更を迫られた。2008年のサブプライム問題などに端を発する世界不況の広がりなどから、日本も内外需要が低下、
消費の縮小や輸出の減少などが生じた。この結果、景気低迷が長引き継続的な物価の下落でデフレに陥った。
12年に成立した第2次安倍内閣が、これに対する有効打として掲げた経済政策が「財政出動」「金融緩和」「成長戦略」による
「アベノミクス」であり、その理論的支柱がリフレ派の理論であるという。リフレ派の論客として知られる岩田規久男学習院大教授が
日銀副総裁となるなど、日銀法改正をにらんだ人事が注目されている。不況脱却は衆論の一致するところで、
「アベノミクス」には、小泉内閣による構造改革で削減された公共工事に関連する者などからの大きな期待が寄せられている。
しかし、リフレ派の論拠である「デフレが不況の原因である」との主張に異を唱え、デフレは不況の結果であるから
金融政策は有効性を持たないとする意見もある。また、インフレの先行は、経済的弱者を直撃して貧困を招き格差を拡大するとの懸念があり、
たいした乗数効果のない公共工事は財政赤字を招くだけで、過去に破綻した陳腐な経済政策の焼き直しだと、厳しく批判するアナリストもいる。
滋は小難しいことは解らないが、確かにインフレの先行は経済的弱者を直撃して貧困を招き貧富の格差を拡大させる。
「さらば、アベノミクス」の著者である浜矩子同志社大学教授はある講演会で下記のようにコメントしている。
滋は浜矩子先生の理論に賛成である。安倍さんは「人間に対する関心が欠けている」と、滋も思う。
高度成長期の幻想にとらわれすぎている。「安倍政権の経済政策はアベノミクスではなく、『アホノミクス』です」。
「問題点は大きく分けて3つあります。それは、(1)『成長』にとらわれすぎている点、(2)人間に対する関心が少ない点、
(3)金融政策がお粗末な点です」と指摘した。
「成長」にとらわれすぎているとは、いったいどういうことだろうか。浜先生は次のように表現する。
「アベノミクスは、高度成長期の幻想にとらわれすぎているのです。今の日本経済の問題は、成長がないことではなく、
むしろ再分配がうまくいっていないこと。つまり、貧困・格差こそが、一番の政治的課題なのです。
日本の『相対的貧困率』は16%(2009年)ですが、我々のような洗練された経済環境にある国家にとって、
この数字は高すぎます。たとえばデンマークは6%(2010年)程度です」 ここで浜氏が指摘している「相対的貧困率」とは、
国内の所得格差に注目する指標で、国民の所得中央値の半分以下の所得しかない人の割合だ。
OECDによると、2010年のOECD平均が11.1%、アメリカは17.4%、フランス7.9%となっている。
国内格差問題は、2番目の「人間への関心が薄い」という批判にもつながるようだ。浜先生は続けてこう述べた。
「安倍総理が6月5日に行った成長戦略に関するスピーチで、何が語られ、何が語られなかったのか、
そこから見えてくるものがあります。 このスピーチで首相は『成長』という言葉を40回近く使いました。
多すぎるとは思いますが、成長戦略に関するスピーチですから、わからないでもありません。
また、『世界』という単語も37回登場しました。日本の首相が世界経済を意識するのは、当然だとも言えます。
しかし、これらの単語が登場したのは、『日本よ、もう一度』とか、『日本が再び世界の中心的役割を果たす』といった
文脈ばかりでした。要は、グローバル競争に打ち勝ち、日本が世界を制覇する、というような単純な話にすぎなかったのです」
こうしたビジョン自体が、時代遅れではないか、と浜先生は指摘したいようだ。
「一方で、人々の暮らしについて触れた部分は少なく、『人間』という言葉が登場したのは、わずか1回。
しかもそれは、1970年の大阪万博で『人間洗濯機』が展示されていた、というエピソードの紹介でした。
収入格差についての言及はゼロ、パートタイム労働者についても、貧困についても、一切語られる事はありませんでした。
こうした点に、安倍首相のメンタリティが表れていると言えるでしょう」
たしかに、いくら国民を鼓舞するためのスピーチとは言っても、バランスに欠ける面はあるだろう。
「ブラック企業」という言葉の流行にも象徴されているように、安心して働き続けられる環境の整備が、
国の大きな課題であることは間違いない。 では、現政権の金融政策への批判は、どのようなものなのだろうか?
「安倍政権の金融政策は、その体をなしていません。日銀はもはや中央銀行ではありません。
黒田東彦日銀総裁は『異次元緩和』と言っていますが、私は、ジョークかと思います。
日銀がやっていることは国債を買うだけ。これではバブル製造マシーンです。日本政府の財政を救済し、
安倍政権のポイント稼ぎにはなるでしょうが、デフレ脱却にはつながりません。非人間的で、
くだらない努力がなされているにすぎないと思います」
この発言に対して、外国人記者からは「黒田総裁の方針は、もはや日本だけの特殊なものではなく、
国際的にはむしろスタンダードなやり方なのではないか」という質問も出た。
浜先生はこれに、対し「みんながやってるからといって、やっていいわけではないですね。
それは中央銀行の役割ではないと、主張することもできるはずです」と反論し、次のように続けた。
「アメリカのバーナンキFRB議長や、欧州中央銀行のドラギ総裁らは、どこか申し訳なさそうに
金融緩和を行っている節があります。おそらく、罪悪感や、正道から外れているという意識を抱いているのでしょう。
ところが、黒田総裁にはそうした態度が一切なく、安倍総裁のために喜んで行っているようにしか見えません」
浜先生はこう指摘したうえで、日銀が国債の買いすぎを防ぐために定めた「銀行券ルール」や、
白川前総裁が導入した「資産買い入れ基金」を、黒田総裁が廃止したことを批判していた。