ガタゴトぷすぷす~外道教育学研究日誌

川口幸宏の鶴猫荘日記第2版改題

通所リハビリ

2017年07月27日 | 日記
○5時起床、起床時室温26℃。2度目ざめ。
72.7
127 69 49
○燃えるゴミ出し。足取りは重く。
○振り替え、粋生倶楽部増尾通所リハビリ
*体の疲れが強いと感じられたので、今日の運動訓練は、文字通り軽く流そうと思って取り組んだ。
*久しぶりにコーヒー淹れ。曜日が違うのでぼくのコーヒー淹れをご存じの方は少なかったようだ。Aさんから、ご丁寧な礼の言葉をかけられた、
*ハードル歩行訓練、踏み台、ステップ、その他足裏着地訓練、つま先立ち訓練、など。マッサージ、あったか姫。
*O脚が少し改善されているのかも。
○今日のお昼は豪華にマグロステーキ。とてもおいしかったです。
*マグロ血合い、ジャガイモ(中)1,ニンジン(小)1.アボガド(小)1。塩は使わず。


○下に添付の絵から、どのような「主題」を思い浮かべよう。
 この絵は Les flotteursというタイトルの小文学に添えられた唯一の挿絵。通常、読者は、この絵に小文学の内意を読み取ろうとする。Les flotteursはフランス語、le flotteurの複数形。仏和辞典によると、1.浮くもの 2.浮き 3.気泡 4.救命ボートのフロート 5.技術関係のフロート 6.筏師・筏乗り とある。挿絵はこれらのどれかを内意しているのだろうか?
 ぼくには、挿絵が人生論的な問い、つまり、我が「うたかた(泡沫)の生」を問うているように思われる。つまり、辞彙そのものではなく、比喩。
 この小文学はエデュアール・セガン29歳の時の作品(1841年発表)。『フランス人の自画像』という19世紀フランスの精神百科に収録されている。セガンが綴った作品主題は、6.の「筏師」である。職人習俗を描いた貴重な歴史証言ともなっている。
 挿絵画家はセガンの綴った内容を読まずして、タイトルだけでこの挿絵を描いたのだろうか?あまりにも綴られている内容とかけ離れた描画であるだけに、そういう疑問さえ持ってしまう。それとも「筏師なんて、所詮、19世紀資本主義社会形成期にあっては、うたかた(泡沫)のような存在なんだよ」とでも、言いたいのだろうか。事実、同世紀後半には、「筏師」は「歴史の遺産」的存在者として、現実からは姿を消す運命にあるのだから。
セガン「筏師たち」の邦訳全文と作品背景については、下記をご参照下さい。
http://eseguin.web.fc2.com/pdf/ikadasi.pdf
(文学的小品セガン作「筏師たち」と生誕の地クラムシー )