ガタゴトぷすぷす~外道教育学研究日誌

川口幸宏の鶴猫荘日記第2版改題

買い物外出

2017年07月14日 | 日記
○5時15分起床、起床時室温29℃。2度寝。昨夜は腰の痛みも脚の痛みも無かったのだが、3時に目覚めてしまい、あとはゴロゴロ。
71.6
121 70 67
○9時 ケアマネさん来訪。
○9時30分~16時30分 浅草へ買い物外出。トドちゃんに無理を言って支援をいただいた。今日は支援無くして遠出など出来るような脚の状況では無かった。このところ、運動を怠けているつけが回ったのか。
*あまりの太陽光線のきつさに、グラサンを買い求めた。このあといつ使うか、という計算など出来ずに、眼鏡屋さんに飛び込んだ。50パーセントオフ。夏物一掃セールって感じだな。
*仲見世通りは相変わらず「外国籍の人」と思われる人群れ。トドちゃんの耳には「あっちの人たちも、こっちの人たちもスペイン語!」が届いているらしい。確かに欧米系の顔立ちだ。アジア系の顔立ちの人群れに耳を傾けたがパープリン。ほとんどの人たちが、自撮り棒に結ばれたカメラを担ぎ、通行する人たちにお構いなくカメラを自分たちに向けている。アジア系人種に多い。そして浴衣姿!ぼくの日常ではまず見られない姿だし、ぼく自身も浴衣を着たことが無いので、たいそう珍しいものを見るような目で、じろじろと眺めた。
*帰路、新柏から自宅までの歩行がきつかった。脚が前に進まない。進んでも引きずっている有様。悲しい事実。
○「セガン」。「はしご」実践。これは、アドレアン実践他の個別実践に描かれる「階段」昇降実践に繋がるのだろうか。どうも区別して考えた方が良いように思われる。階段はアパートのそれをイメージできる記録書(手引き書「O氏への助言」=2010年著書訳文収録)があるが、1842年論文の「はしご」実践はより総合的に発達が捉えられている。「石積み工のはしご」「石切工のはしご」の具体を求めて、書店、古書店、博物館巡りをしたが、今もなお確たる実物をイメージできない。「石積み工のはしご」というのは普通のはしご、ただし、記述に従えば5メートルはあるという。相当の高さに渡すことの出来るものだ、「石切工のはしご」とは縄ばしごのことか?石切作業は下から行うのではなく、上から行う。でないと落石等の危険を避けられない。そんな類推を働かせ、縄ばしごのイラスト、写真、実物を求め歩いた日々はつい先年まで。登山関係のショップにも顔を出したっけ。
*医学史博物館に雑然と保存されている写真類はブルネヴィルがセガンに倣って行った白痴教育を明示している。それらの写真類の中に、縄ばしごに捕まる子どもたちを中心とした場面がある。そしてその右画面に普通のはしごが立てかけられている。この写真をもって、セガンの「はしご」実践を想定すれば良いのだろうか。

*もう少し、訳文を細かく点検しなければならないので、今日のアップは見送る。