ガタゴトぷすぷす~外道教育学研究日誌

川口幸宏の鶴猫荘日記第2版改題

コーヒー補充のため、柏に

2016年07月31日 | 日記
○7時半起床、起床時室温28℃。夜明けに腰の痛みで目覚め、二度寝。よくわからん歌・歌手の弁別グループに入ってああだこうだの日本生活教育連盟の研究集会。夢は現実のあれこれの断片を無関係につなぎ合わせてコマの早送りをするのだなあ。
○減りどまり?もう少しは絞らないといけないんだけど。
○珍しく細君が終日在宅故、珍しい光景をしばしば目にする。一番感動的で驚かされたのは、ミミちゃんが、細君を目に留めると、細君に向って、ミャ―・・・ミャー・・と鳴くこと。何かを催促している風ではないので、挨拶なのだろうか。ぼくには全く見せないミミちゃんの今日の一時。
○雨予報も出ているので、雨が来る前にと、柏に出かけた。切らせてしまったコーヒー豆の仕入れ、高島屋地下に小さいけれど素敵なコーヒーショップがあり、かなりの品種が揃っている。2ヶ月分の豆を仕入れた。そのほかに、北海道函館の昆布やさんの店で、乾燥刺身昆布と乾燥ワカメとを購入。さっそく、乾燥刺身昆布は、2本、ハサミで切り分けて水に浸け置いた。今夜食するにはまだ早いかな。
○そうそうこれは記録しておかなきゃ。人込みの中を歩く時は別として、柏往復を杖無しで行った。改めて感じたことは、杖無しで歩行すると、左ひざにすごく重力を感じるのだ。筋肉が未発達というか弱っているというか、なのだろう。鍛えがいがあるね!
○8月の北海道行き、24日に相馬契太氏と、25日に村越夫妻と宿で会食。いじめ問題、不登校問題、フリースクール、そして学びのカリキュラムづくり・実践(総合学習)など、多くのことが学べることになった。ありがたいことだ。現職中であったならとも思うが、学びに停年はない。
○セガンの宗教問題の詳細検討の開始。triniteの解釈〔訳語確定作業)からとりあえず出発。
○やはり画一的に(決まり文句として)「三位一体」などの訳語を与えるべきではないと確信した。
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通所リハビリの日

2016年07月30日 | 日記
○6時45分起床、起床時室温28℃。マットを敷いて寝たのが正解なのかどうか、ぐっすり休めました。寝返りうちも少なかったようだ。
○北海道の旅の全行程、全日程確定の連絡を野田君から受けた。ありがとうございます。たのしみです。
○粋生倶楽部増尾通所リハビリ。
*コーヒー淹れ。レッグマジック120回。自転車30分。スカイウオーカー11分。踏み台、ハードル、マット、ゴルフボール転がしなど歩行訓練20分。マッサージ、暖か姫。 マッサージはWさんとMさんのお二人で。次第にWさんに移行していくのかな?
*今日はスタッフの方々と会話が多かった。みんな、柏祭と絡んでの会話。1.人混みは好きでない(Wさんと)、2.ぼくが酒が飲めないということ(Nさんと)などなど。バカッ話しを含めて会話にに応じてくださる皆さん、ありがとうございます。
*何が何だか分からないけれど、握手を交わし合った人多し。皆さん、乗ってますね―。
*7月10日のバス遠足の時のスナップ写真が張り出されていた。一人写りが2枚と所長さんとツーショット、集団がそれぞれ1枚。ツーショットを張り付けておきます。オラが自慢の所長さん。老人集団の初の引率で緊張されているのがよくわかります。施設内のいつものお姿よりほんの少しだけど大人びて見えます。実物はお若くお美しい。
それにしても、オラ、こんな表情が出来るんだガヤ。
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柏に出て、コケちゃんと猫展を鑑賞

2016年07月29日 | 日記
○7時半起床、起床時室温27℃。6時半に目覚めたが昨夜の就寝が午前様であったこともあり二度寝。
○午前中、セガンにかかわるエッセイ〔既発表〕のリライト作業。
私は何故、セガンにかかわる研究書と翻訳書を著したか」 クリックで展開
○午前中、訓練少々。
 階段を利用した踏み台。いつもの倍。うっすらと汗がにじんだ。廊下を使って歩行訓練。どうも足の置き位置が安定しない。ゴルフボール、足裏コロコロ。左右それぞれの脚回転を強く意識して。脚に自分の意思命令が届きにくいのが現状であり、とても悲しい気持ちになる。かといって全く不能ではなくなってきているのも現実。めげずにガンバロー、オー!汗びっしょり。強い意思命令を発することにものすごいエネルギーがいるんだなあ。
○お昼前から柏へ。コケちゃんの支援をいただき、昼食ならびに「ふるさとのねこ」写真展鑑賞。会場はもうすぐ閉館となる柏そごうにて。記念の写真をパチリ(添付)。
*青森の四季に生きる猫家族を追った写真。世界的な動物写真家の手になる。表情豊かな猫に感嘆。うちの子たちもああいう表情をする瞬間があるのかなあ。
*ビックカメラで寝具のマットを購入。南柏までコケちゃんに運んでいただいた。ありがとうございました。
○竹田康子さん、教授会にて学位承認とのこと。おめでとうございます。
○8月10日の夏ゼミ会にイナ坊が出席とのこと。市議会議員を長年務め、今は市議団長のはず。お会いできるのが楽しみだ。
○トドちゃんのお誕生会8月12日に決定。オステルリー・ラベイにて。久しぶりだなあ。
○昨日の会食の中で出された「ぼくが学習院に転じたこと」のわけについて、ちゃんとお話ししているのだが、どうもぼく自身に引っ掛かりを覚えてしまう。
*関西文化圏出身のぼくだから、関西圏に強く潜んでいる、私学より国立の方が大学としては格上、という意識でとらえられてきたのだろう、と感じるのだ。「人の値打ち」を「背負った看板で測る」ということなのだが、国立大で働いていたのになぜ私学に転じたのか、充分には理解できない、のだろう。そこで働く研究者の質も「看板」で測られる。研究者として道を進めていく将来を展望した時、より自分の研究を広げ深めることができるか、というのがぼくの大学を測る尺度である、ということの理解を求めてしゃべった。本当に通じたろうか。
*それともう一つ、「学習院」というブランドに対する世間一般と言っていいか、刷り込まれている誤情報に基づき、ぼくの人格が測られている、ということだ。とても苦い思いをし、それゆえに決別した関係もある。
 一私立学校であり、私学助成金を得ることによって成り立っている学校法人運営であり、カリキュラムは文科省の厳しい統制下にあり、しかし、自治の確立のために教授会での議論を保証している、各種法に従わなければならないという意味でも他の私立大学と同じである、そのことは学内諸規則に定めており公開しているから、誰でも確かめることができるし、公開情報に違反するならば厳しく糾弾される。
 大学が研究と教育の質が高ければ、当然社会全体からも高評価を受け、全体としてのレベルも高まる。そういう自助努力をしなければ、たちまち落ちこぼれ大学となり果てる。そのことを強く意識している学習院大学は、国内外の優れた評価を受けている研究者を教員として招き、組織的な教育研究活動を推進している。それが現実の学習院大学だ。ぼくは、そういう学習院だからこそ身を預け、研究の自由を、悩みながらも、謳歌することができた。かつて勤務した二つの国立大学では、所属した機関の性格上、おそらくできなかったろう。
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大阪のミヤちゃんとお会いする

2016年07月28日 | 日記
○7時起床、起床時室温26℃。
○明け方5時半、左脚の強く長く感じられる攣り。そのため2度寝。目覚めたら弘美君の姿すでに無し。
○体の脂絞りを強く意識し始めて3日目に入る。今日は夕食が外食になるので、摂取カロリーに気を付けましょう。
○機能させないマッサージチェアに背中をもたれかけてのんびりと古いアメリカコメディーDVDを鑑賞中、ふと右手に「ネコ気」を感じた。目をやると、ミミちゃんが居住まいを正してモニターを食い入るように見つめているようである。映画鑑賞よりがぜん興味をミミちゃんの様子見に移して、しばらくミミちゃん観察。女性主人公がピアノ演奏をバックに歌唱を披露している場面。彼女が歌っている間ミミちゃんは画面を凝視し続けていた。次の場面に移ったらさっさと部屋を出て行った。ネコ飼育歴、飼育頭数はかなりになるが、ミミちゃんのようにモニター(映像)を一定時間凝視する姿は初のお目もじ。添付写真は「映画鑑賞」後のお休み処に戻ったミミちゃん。
○午後6時半から8時過ぎまで、船橋で、ミヤちゃんと会食。ミヤちゃんと記すのは失礼なのだが、ぼくにとっては何といってもミヤちゃんなのだから。文教大が共学になる前の女子大時代の学生で、埼玉大学のぼくのゼミに、仲間たちと、学びに通ったんだったな。同じ時に、学芸大学の院生の佐々木君も通っていた。その佐々木君は3.11の大津波に襲われ多くの子どもと一緒に命を奪われてしまった。その佐々木君の奥方がミヤちゃんと同級でやはりぼくのゼミ生。ミヤちゃんは友達と連れだって福島・大川小を中心に訪れ、佐々木君の供養をしている。その写真アルバムを見せていただいた。心のなかで黙とうした。ミヤちゃんは、ぼくがなぜ学習院を職場に選んだのかを訊ねた。教育学研究者としての自由性が保障されるから、と答えた。その通りであったと、胸を張った。埼玉大学や和歌山大学に郷愁を覚えるのは、学生指導の自由を何とか確保できたからだ。学習院においても同じことが言える。など、語りの多くは、愚痴であったから、申し訳なかったとの後悔の念が、帰宅時の胸の中を走った。ミヤちゃん、ありがとうございました。
○facebookに投書
*私の知る限り、フランスの19世紀(いまから200年ほど前)半ばまでは、知的障害者に対する社会観念は、後の時代に社会主義者あるいは民主主義者として高く評価されることになる文学者ウージェーヌ・シュー曰く「もはや人間でもないかといって動物でもない存在」、同じ世代の文学者ヴィクトル・ユゴー曰く「伝説の生き物」「驚くべき怪獣」「恐ろしい人間」(すべて、同一対象に対する呼称)と書き表した。また、医学博士〔とりわけ、哲学的にはルソー主義者の精神医学者〕たちの共通概念は「動物的人間」である。知的障害教育を切り開いた一人セガンは「動物の最後の仲間」という形容もしている。
 現実社会が求める有用性・有効性を持たず、現実社会とのコミュニケーションが成り立たないとみなされた知的障害者たちは、公権力の手で狩り出され、監獄に生かさず殺さずして閉じ込められ、医療実験の格好の材料とされ、民間の手に掛かっては「見世物」としてさらけ出され、私人の手に掛かっては終生密かに閉じ込められるか、闇にまみれて捨てられるか、殺戮されるか、の処遇を受けていた。すべて「社会の到達尺度(文明)」からの判断のもとである。
 「社会の到達尺度(文明)」観が画一的であり変容性が許されない社会では、間違いなく、上記の19世紀フランス的な「知的障害」観に染まり、人々を、難なく、排除・排斥・抹殺・見世物対象とすることだろう。暴力的にせよ精神的にせよ。私たち身体障害を持つ高齢者に、すでにその気配が押し寄せている・・・・。

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午前中、外出

2016年07月27日 | 日記
○7時半起床、起床時室温26℃。おお寝坊だ。すでに、弘美君の姿無し。夜中の目覚め1回。腰に痛みを感じ、何度も寝返りを打った。
○ビニールゴミ出し。クロ=パンソンの丘の上りは左脚に張りは感じるけれどさほど苦痛でなし、下りはノロノロ。体重を落とすことがいかに大切か、少し感じた。
○野田君から行きの飛行機代の案内。郵便局で振り込み。北海道に行くのなら、知友に会う必要はないのか、との問い合わせ。苫小牧の笠原先生、網走の佐藤さんにはお会いしたいとは思うが、多分、ご無理をお願いすることになるので、断念する、と返事。
○郵便局から足を延ばして東武ストアへ。当分の昼食用の材料。栄養を欠かさないように。このところすっかり食べなくなっていた納豆も。目によい(症状の悪しき進行を止める)との医療記事から。往復とも杖無し。じつに久しぶりのこと。ちょっと体が軽くなっただけでこういうことができるようになるんだと、痛感。杖歩行より少し時間がかかったがどうしてなんだろう。
○午後、室内で、散漫ながら、歩行訓練、機能訓練。
○facebiikへのぼくの投稿内容とコメント集
 障碍者大量殺戮等重大事件の容疑者は、事件後の自らの身を「2年の拘束、その後は自由」と綴っている。「2年」という彼なりの根拠は「世間をお騒がせした罪の償い」であり、「障碍者大量殺戮等の行為」に対しては、まさに、確信的行為である。
 大学教員としての現職にあったころ、「行為こそしないけれど、障害者は抹殺すべきだ」という持論を強く抱いている学生が少なくなくいた。真正面からぶつかって彼らと議論したが、絶対に自説を曲げなかった。彼らの常なる逃げ道は「思うだけ、言うだけなら自由でしょ!」。「思う」と「言う」とでは大違いだ、と説いても全く届かなかった。
 根っこのところで、強く響きあっている、犯罪者と非犯罪者。現象的で分かりやすいのがヘイトスピーチ。「言う」というエネルギーが「行為」というエネルギーに転化した。これをどう塞き止め、人類が到達したすばらしい哲学を共有するにいたるか。大きな実践的課題を突き付けられたように思う。
*Maki Furukawa-kudo 「自由」というのは本当に素晴らしくも恐ろしい、難しい言葉ですね。
*山田 伊知朗 ribertyとfreedomの違いですね。
*川口 幸宏 「~からの自由」、「~への自由」そして「絶対的自由」。つねにこの三者を混沌として使っている我らの「自由」。
*高野 哲郎 競争を教育の原理とする誤りを直ちにやめなければ弱者の人権を尊重する人間は育たない。
*谷川 眞 障害者は穀潰しって発想が根底にあるのでしょうね。149人の入所者に職員が160人って聞いただけで、普通だったら税金の無駄遣いだ、って考えてしまうのでしょう。人間として生きる権利、人権思想そのものが培われていない危うさを感じます。ナチスもそんな考えから「安楽死」を容認し、障害者のガス室送りになったのですよ。
*藤井 啓之 原始時代の人骨から、障害を持ったまま成人しただろうことが強く推測される例がいくつか見つかっている。重い身体障害を持っていても、生かされていたということ。弱き者を助けて生きていた。現代には、原始時代よりはるかに優れた社会や思想もあるが、逆に原始時代にも及ばない人もいるのだろう。
*渡辺 照子 「障碍者抹殺説」を唱える学生は、自分が障碍者になったらどうするのでしょうね。交通事故、スポーツ等で障碍者になる可能性は誰にもあるのですから。
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