ガタゴトぷすぷす~外道教育学研究日誌

川口幸宏の鶴猫荘日記第2版改題

セガンは「フランスでは知られていない」ということ

2017年10月31日 | 研究余話
 「セガン」について情報収集を意識し始めた2004年頃、研究協力をお願いした方から、「いろいろと情報がありますが、ほとんどの方から、セガンはフランスでは知られていないので、史料収集はかなり困難かと思います。」と知らされた。名前は知っているがその業績の具体については分からない、というのだ。確かに、パリの古書店を巡り、「白痴教育の開拓者セガンの著書類は無いか」と訊ねても、名前は知っているが資料入手は絶望的だ、との回答ばかりであった。そもそも知的障害教育論・実践ならびに歴史研究が他国に比して貧困なのか。それにしても、国際障害者年へのフランスの意気込みは大きく強いものがあったのだから、貧困ということはあるまいと思ったが、当時のぼくの力ではそれ以上一歩も進むことは無かった。
 「歴史の忘却の彼方に追いやられたセガンを、表舞台に復権させたのは、ブルネヴィルだ」との研究情報に接し、ほかに頼る人とていないぼくは、フランス国立図書館のデータベースにアクセスし、ブルネヴィルに関する諸情報の収集を心がけた。ブルネヴィルは19世紀フランスにおける白痴教育開拓史を当該文献の再刊によって行っているが、彼の意識の中には、フランス時代のセガンの白痴教育論を総まとめし再刊する意図があったようだ。しかし、彼がたどり着いたのは、1880年、セガンの死の年に第二版として刊行された『教育に関する報告』のフランス語翻訳版の刊行、併せてセガンの実践・理論に関する公的評価文書を添付し、ブルネヴィル自身の長大な解説論文を添えたことだった。当時のブルネヴィルは医学界にも政界にも大きな力を持っていたことから、セガンが「真っ当な位置」に据えられることになったわけである。1843年暮れに斯界から放逐されたセガンは、20世紀入り口あたりで、「知的障害教育の開拓者」として評価され、世界に知られ、彼の実践・理論を後継し、発展させようとする人々が現れるに至った。
 約半世紀の期間、セガンは、フランス社会では存在しないことになっていた。しかし、彼は、アメリカ社会で迎え入れられ、活躍をしている。フランス時代の白痴教育実践・論の英語版とも呼ばれる『1866年著書』は、我が国のセガン研究者にとって、導きと深化の書なのである。
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jeu(遊び) セガン研究第2幕

2017年10月30日 | 研究余話
 セガン1846年著書にjeuがどれほど登場するのか、また、どのような位置づけで登場するのか。詳細に検討する意義がある。なかんずく、以下のフレーズをキーとして捉えていきたい。
p.345
la plus grande somme de sensibilité, d’intelligence, de moralité que toutes les resseurecesse de la pédagogique doivent être mises en jeu.
要は、「遊び」は、「感覚」「知性」「道徳」の教育の【資料】(資源)だ、ということ。随所にその具体事例が綴られているようだ。
 ぼくの【セガン研究】の第2幕が幕開けしようとしている・・・・。まずは、セガン教具研究に関わる竹田康子博士論文(「モンテッソーリ教具成立過程の研究ーセガンからブルネヴィルを経てモンテッソーリへー」2016年、大阪大学)を紐解こう。

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「九柱戯」実践

2017年10月29日 | 研究余話
 セガン『1843年著書』と『1846年著書』に、子どもの遊びとしての「九柱戯」が登場する。前者はその遊びの際に子どもがある種のパニックを起こした、と簡単に触れられているだけだが、後者では「遊び」とりわけ「集団遊び」の有意性について字数をさいている中で、「九柱戯」が位置づけられている。
 白痴といっても、しばしば誤解・曲解されるような、「おつむだけ」の問題では無く、身体機能不全とも関わっており、麻痺の強い子どもには、球を投げてピンを倒し、ゲームを続けるために、球を拾いピンを立て並べる行為をしなければならない、これらの行為が「遊び」として子どもに受け入れられ、身体機能の改善に有効だ、というのだ。なるほど!
 セガンは、子どもが仲間とともに共通の遊びをすることの大きな意味を、かなりの字数を用いて、論じている。このことについて、きちんと分析し、研究的に評価しなければならないだろう。
 「九柱戯」ーナイン・ピンボーリングゲーム。古代エジプトにはすでにあった遊び・スポーツであるというから人類の文明発達と共に歩んできたわけだ。それほどに意義深いものだと理解できる。現代のいわゆる「ボーリング・ゲーム」はこれから派生したものであるそうだ。
 「九柱戯」に関する17世紀の絵画と、並べ方、道具セット。


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【セガン追悼 「白痴」と私】

2017年10月28日 | 研究余話
 2012年10月28日、セガン生誕記念祭で約100人の聴衆を前にして、私は日本におけるセガン研究史を語った(通訳付き)。
 語り終えて退席するとき、通路で、「素敵な報告をありがとう。フランスでもあまり知られていないセガンを、あなたは、なぜそこまで研究にこだわるのか、後でディスカッションしたい」と、一人の女性から声を掛けられた。女性は、アメリカのマリア・モンテッソーリ学園でフランス語を教えている教授だという。以下は、ぼくの語りの主要なこと。
 私はセガン研究を主とする障害児教育研究者では無く、19世紀を舞台にする近代教育史研究に「セガン」を位置づけている。しかし、「セガン」には特段の興味・関心を持っている。そのうちの一つの柱が「発達」論だ。今はまとめて語るほどには学んでいないので、そのテーマに関わることをお話しする。
 私は生育史の中で大きな発達課題を持っていた。端的に言うと、6歳程までは、自力歩行が困難であり、ことばの能力も3歳程度、もちろん、知的能力に至っては小学校1年生の学習について行けなかった。当時は「特殊学級」が街の公立学校には無かったので、普通学級で、毎日机に突っ伏して過ごしていたそうだ。今だと、典型的な「知的障害児」だ。
 その私が小学校中学年頃から、次第に、自力歩行、言葉、知能ともに健常児の仲間入りすることができるようになった。社会性は困難性を伴ってはいたが。なぜ、そのような「発達」が可能になったのか。ずっと考えてきた。教育学研究を仕事とするようになってから、少し謎解きができるようになった。その入り口が「ペスタロッチ研究」だ。彼は考えのコアを教えてくれた。「調和的発達」ということ。そして、60歳を過ぎて「セガン」を知るに至って、「三位一体」論に出会い、その方法の具体にも出会い、私の幼児期の未成熟と少年期の発達との謎が解けたように思った。つまり、「セガン」を通して、私自身の生育史を捉え直すことができる、ということだ。
 女性教授は、たいそう興味深い話だ、今後とも交流をしていきたい、と応えてくれた。彼女から、「セガン史」の「謎」を解き明かす数々の示唆・史料をいただいている。日本の「セガン研究者」たちからは、ガセネタ以外何もいただいていないのは、皮肉なものだと思う。
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【セガン追悼 珍しいセガン話と写真】

2017年10月27日 | 研究余話
 エデュワール・セガンは実在の人である。しかし、その「実」の程は今以て不明なことが多い人という意味で、「虚」の人でもある。虚と実とを一致させる作業だからセガン研究は面白い。添付写真は1880年に没した彼の晩年を写したもの。ほとんど知られていない。さて、それはそれとして・・・
 セガンの生誕の地フランス・クラムシー市で開催された彼の生誕記念祭(2012年)の前夜、関係する医学博士、歴史学者、市の学芸協会関係者など、10名弱の懇談会がもたれた。私も参加していた。主題は「セガンとクラムシーとの関係」。以下、会話あらすじの紹介ー
「セガンを知っているクラムシーの人は少ないね。」
「なんせ、父親と母親が死んでセガン家は無くなったからね。話伝える人もいなくなっているし。」
「それよりも、セガンは産まれて程なく里子に出されて以降クラムシーに戻っていないから、親しみを覚える人じゃ無い。」
(そこへ川口の割り込み)
「日本で知られるセガンは、両親がルソー『エミール』主義者で、幼少期から少年期、それはそれは両親の暖かい愛情に包まれて幸せに過ごした、とか、セガン家はクラムシーの名家であった、ということですが。」
(セガン研究で博士号を得た医療教育学者の応え)
「日本でのその話はアメリカで語られていること。実際は、セガン家は貴族・ブルジョア階級に真似た育児・教育をしています。私はそれを証明する記録を発掘した。ルソーがエミールで主張した子育てとは真逆ですね。」
 懇談会は、フランスの特権階級の習俗としての子育ての是非についての話題が熱心に交わされた。言うまでもなく、私自身も、この時点になって積極的に、話の輪に加わったのであった。2010年に上梓した私のセガン研究(『知的障害教育の開拓者セガンー孤立から社会化への探究』新日本出版社)の主旨と同じことを語る人がいた!という喜びからだ。

 
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