ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

悪名の棺 笹川良一伝 

2011年03月25日 | 読みました

            今一度  「我家の椿」  色鮮やかに咲きました(11-3-25)



今日、唱歌の学校で、我クラス恒例の「夙川の桜見」は今年は中止と決まりました。
私達だけではなく会社などは「お花見」中止が多いかもしれませんね。でも何も知
らない花は我世の春を詠うのでしょうね。


                 悪名の棺     工藤美代子

笹川良一と言う名は知っていました。「競艇の親分」としてです。競艇と言うもの
自体が、あまりいい印象では無いので、そのトップは悪い人…、と言う流れで、ど
ちらかと言うと悪い人と思っていました。

男としてはやはり、女を何人も同時に囲って?悪い人です。しかし、人間としては、
根っからいい人のようです。競艇を考えたのも、人助けのためにお金が入用で、そ
れまでの「先物取引」「株」では間に合わなくなり、必要に駆られて考えた競技だ
ったようです。そうして儲けたお金は人のために使った。その善意も決して口外す
ることはなかったから、世の中に知られることはなかったそうです。

笹川さんが亡くなってから、何千通と言うお礼の手紙が残っていて、それで明るみ
に出たそうです。人に施すのは、自己宣伝だったり顕示欲だったりするが、笹川さ
んは、自分で決めた人助けを、生涯確り実行しながらも、黙して語らず、実行され
たようです。

人助け、自分の信念のためにお金は使うが、自分の身内には舌を出すのもいや
と言うケチだったようです。今代議士として働いている、息子の笹川さんも、今に
なって、「親父は約束を実行するためにお金が必要だったのだな~」と理解された
ようです。

その約束とは、

金儲けの天才は飛行場と練習機20機を軍に献納した。お金は要らないというので、
それなら叙勲の話が出た。「勲章なんてものは要りません。それじゃこの件は流し
ます。後で勲章欲しさに笹川は軍に取り入ったなど言われては迷惑ですしな」と言
って練習機20機を、これも自分で作った飛行場ごと軍に差し出しました。

しかし、軍の機密費から、金を貰ったという告げ口で、巣鴨に入る。結果は事実無
根、無罪放免となるのだが、そこ(巣鴨)で戦犯の人たちとの交流が始まる。

彼は7人のA級戦犯が処刑された翌日釈放された。BC級では1000人近く処刑
されまだ2500人が残っている、彼らには皆家族がいるこの人たちに何かしてあ
げたいという気持ちから行動を起こした。処刑まで一緒だったA級7人の遺族に対
してもである。

釈放されて、母の元を訪れた彼に母は「私は全員の人が一日も早く釈放されるよう
に、氏神様にお百度を踏むから、お前も今日から禁酒禁煙を実行して、皆さんの釈
放のために働きなさい」と言った。そして「お百度」を踏み続けたと言う。彼は全
員が出所した昭和33年までの10年間禁酒、禁煙を実行した。

彼は直ちに入獄者の支援、釈放のための活動に入った。巣鴨への援助物資、留守
家族への経済的支援、相談事、政治家への働きかけ等々。

戦犯遺族会の代表になりその法要は笹川家で、昭和46年(1971年)まで続け
られた。その回数は241回にもなる。その後参加者の高齢化に伴い、翌47年か
らは日本船舶振興会のビルに移し、年2回行われた。遺族会が解散する平成5年
(1993年)まで休むことなく続けられた。掛かった全費用(それが株や先物取
引、競艇で得たものであったとしても、税金を支払った後のポケットマネーです)、
尋ねてくる遺族や留守家族の交通費、小遣い、就職の世話、病気の費用のすべて
が彼の個人負担であった。こうしたことは本人が話さなかったこともあり、ほとんど
知られていない。

それだけではありません。「ハンセン病撲滅運動」にも私財を投じた。ギャンブル
で儲けたお金で、福祉に使って、売名行為と左翼は叫んだが、彼は無視して活動を
続けた。

ナヒモフ号の秘宝:帝政ロシアに一等巡洋船が金の延べ棒やプラチナなど財宝を山
のように積んだまま、長崎県津島沖推進97目ーろるに眠っていると、彼は最新の
サルベージ船を投入して引き上げに挑みました。じかにして7兆円とも8兆円とも
言われています。

当初ソビエトはナヒモフ号はソ連の所有と外務省に申し入れたが、外務省は所有権
は日本側にあると通知していた。彼は計画通りに財宝が手に入ったら、当時、食糧
難などにあえいでいたソ連国民にそっくり寄付し、見返りに北方領土を返還させよ
うと言う秘策を練っていた。この財宝引き上げをきっかけにソ連を北方領土返還交
渉の土俵に上げ、一方では国内出の変換運動を盛り上げたいというのが彼の狙い
だったようです。このサルベージは失敗に終わりましたが何十億と言う費用は彼の
個人のお金ですから、誰にも文句は言えません。

父の言葉(笹川さんの):知恵と力は精を出すほど出てくるもんや。金は生かして
使わなあかん。死んだら1銭も持っていけへん。この言葉を実践し、お金は人の為
に使い果たし、遺産はなかったそうです。

コマーシャルの話とか、まだまだ人情味あふれるお話が満載ですが、長くなります
し、私財をなげうって福祉国家・日本を夢見た人が実在したということは「目から
うろ」でした。お薦めの1冊です。

尼崎にも、競艇場はありますから、その利益で立てられたであろう建物があります。


  59歳の笹川さんが82歳の母親を負ぶって四国金比羅さんの785段の階段を登ったそうです




          尼崎にある、競艇選手の為の寮だそうです



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