この空の写真は病室から見たものです。
はじめはJRです。
病室まで相当の距離があるのですが、音は聞こえます。
飛行機の爆音は尚更聞こえます。
伊丹空港から離陸して、西に向かいます、しばらく行くと南に方向転換しました。
たった8日間でしたが、退院して、早1週間。 何となく懐かしいと思います。
無事退院できたからでしょうね。
体験は、それが辛いことであっても、思い出としてのこるのですから。
(第3340回)
この空の写真は病室から見たものです。
はじめはJRです。
病室まで相当の距離があるのですが、音は聞こえます。
飛行機の爆音は尚更聞こえます。
伊丹空港から離陸して、西に向かいます、しばらく行くと南に方向転換しました。
たった8日間でしたが、退院して、早1週間。 何となく懐かしいと思います。
無事退院できたからでしょうね。
体験は、それが辛いことであっても、思い出としてのこるのですから。
(第3340回)
「運転免許」といえば、大型バイクもありますけれど、普通は、自動車ですよね。
思いもかけず、私が免許に挑戦、ペーパードライバーだった主人を目覚めさせました。
本当に沖縄を除いて日本国中走り回ったといっても過言ではないと思います。
初めの頃は主人もまだ勤めていましたが、まもなく定年になりました。
一度旅にでれば、遠方の時は1週間以上はかかりましたね。
北海道一周のときもありましたしね。
その間息子たちは食事をどうしていたのでしょうか?
食事代は置いていったと思いますが…。
今頃思い出しても、とは思いますが、わかりません。
相撲も千秋楽を迎えて、テレビを見ることも少なくなり、さびしくなりました。
褌姿の後姿が好きなんです。
皆若いですからね、お尻も弛みがなくて、見ていて気持ちがいいです。
前はね~、おなかがね~だぶついてるのが、あまり好きではないのですよ。
力士もだんだん若返ってくるようでうれしいです。
お相撲はね、小さいときから見ているんです。
おじいちゃんが好きでね、大阪場所のときは私を連れて行ったみたいですよ。
小さいですからね、勝負なんて分からないのですよ。でもおとなしく見ていたようですよ。
行司さんの「采配」を持って帰っている、私の姿が記憶にあります。
おじいちゃんが買ってくれたのか、子供に配られたのか知らないのですが、
おじいちゃんの腰ぎんちゃくの私ですが、ねだることはなかったと思うのですよ。
相撲とおじいやんは私にとって、一対なんですよ。
今でも期間中はおじいちゃんの夢を見ます。
おじいちゃんといる私は子供です。今は私のほうが年上ですけどね。
おじいちゃんは私を何て呼んでいたのかしら、覚えがないのです。
私はね、勿論「おじいちゃん」ですけどね。
気に入らないことがあると「ツルツルピーカのはげ頭! ハイが止ればツルとすべる」って
悪態をついていたのは、覚えています。 大好きな大好きなおじいちゃんでした。
家の近くの電気屋さんで、「掛け時計」を買いました。
2.3日前から「掛け時計」が動かなくなったのです。
何年前に、我家に来たのかはとんと覚えていないのです。
電池切れかと入れ替えてみたのですが、ピクリとも動きません。
「寿命なんだ!」と思いましたが、何となくまた動き出しはしないかという気持ちもありました。
でも何日待っても動きません。仕方なく電気屋さんへ。
4種類の掛け時計がありました。上から2番目の値段の、大売出しで半額になっている
のを買いました。
これで一安心。時計はほかにもあるのですが、家の中央にある壁にかかっている時計を
見ることが多いのです。
これから私よりず~っと長生きするであろう「お時計さん よろしくね」と見上げています。
先日神戸に行ったときにサンチカの外れのトイレの前のこれを写して来ました。
こんな綺麗なものが、どうしてこんな所で冷遇されているのでしょうか。
何時も不思議なんです。
観てください。 綺麗でしょう? シンタニエイコさんは有名な方ですしね。
aaaa
昨日今年初めて、神戸に出ました。「ぶたまん」を買うためです。
3週間も、お出かけしない、こんなことも初めてです。
主人が元町まで、歩くのがシンドイというので、サンチカのサテンで待ってもらうことにして、一人で元町まで急ぎました。これも初めてです。
だんだん私も歩けなくなるのでしょうね。主人を見ていますと、7年後の自分を見ているようです。
90歳過ぎても、自分で行動できることは私もそうでありたいと願っています。
相変わらず、長い行列で、1時間並びましたね。
何処の県の学生かはわかりませんが、沢山いましたよ。
自由時間に「有名なブタマン」を食べにきたようです。
ベンチに腰掛けて食べていました。
三宮から元町までJRの一駅の往復分はやはり疲れました。
でも晩は「ブタマン」ですから蒸かして食べるだけなので、助かりました。
もう一つ、近所の「和菓子」ではなく「上和菓子」を食べたいと思っていましたので、「高砂屋」で「季節の上和菓子」と「草もち」も買いました。
「草もち」は近所のものに軍パイを上げます。「つるん」としていて草もちの舌触りがありません。
屋久島のオスエ伯母さんの「草もち」が懐かしい。混ぜ物無しの「蓬の草もち」でした。私は食い意地が張っているのでしょうか、「本物」を求めます。
サンチカでお花の写真沢山撮って来ましたよ。おいおい整理して載せますね。
待っててくださいね。
22日 無事退院しました。 足掛け8日ということでしょうか。
退院するには、支払いがあると思い、9時に郵便局につき、お金を下ろし、病院にいきました。
ところがです、「未だ精算もできていませんし、未だ通院もありますから、できたらお送りします」
と言う事で、病院に借金をしたまま、退院しました。
玄関を入り、主人の開口一番、「やっぱり、我家が一番良いな~」でした。
今日は久しぶりにパソコンに向かっています。たった、数日使わなかっただけですのに、胸が
どきどきしましたよ。主人も短時間、ぽろぽろと触っていました。
明日は「豚まんが食べたい」というので、神戸に買に行く予定です。
だんだん元の生活に戻れる喜びを感じています。
1月15日入院、16日手術をしました。
去年の1月初めに「右腎臓」に「癌」が見つかりました。
手術をして取り除くより手はないといわれました。
1ヶ月の間あちこちに転移はないか調べたのですが、幸いなことにありませんでした。
「普通は90歳にもなると、手術はしないのですが、何処にも転移はないし、ご本人が
元気なのでやりましょう」ということになりました。 本人も手術を希望しました。
普通は、4時間ぐらいの手術ということでした。
私と息子は7時過ぎに病室に行きました。
9時に手術室に入りました。
午後2時過ぎまで二人で交代しながら、「もしも」の時のために指定された場所で待ち
ました。
長~い時間でした。
「先生の説明がありますから」と別の部屋に通されました。
先生が来られるまで、待つ身には、またもや長い時間に感じました。
先生は「切り取った腎臓」を私達の目の前に置かれました。
「ひや~!」と声が飛び出しました。
それは私の握りこぶしを2つ合わせた大きさでした。
右腎臓をすっぱりと切り取ったわけです。
私は腎臓は何となく白っぽいものと思っていました。
現物は血の塊でしょう「鶏肉のどす黒い赤」のようでした。
癌の部分は私が見ても「変色?」していました。
まだ、麻酔がかかっている主人に、
「もう皆取り切ったって」「未だ麻酔が切れていないから、わかる?」
何を言っても、答えはひとつ「ありがとう」「ありがとう」「ありがとう」だけです。
病院側から「明日昼頃来るように、集中治療室から803号にかえっているから」
といわれました。
年よりは「個室がいいだろう」とおもって、8000円10300円、13000円の部屋が
あり、私は、個室を10300円を頼んでいましたが、なくて、13000円に変更になっ
ていました。
13000円といってもたいしたものではなく、「個室」というだけと感じました。
バストイレつきというだけかな~。
「予定通り、何の無駄もなく取り切れました」と言われました。
「ただ、何しろ高齢ですから、これからも目がはなせません」
いまから思えば、普通の部分と病気の部分に触れて、違いを感じてみたかったと
思いますが、その時は、始めてみる人間の内臓に驚くばかりでした。
医学生の研修生が来ているので、手術を見せてやりたいと、書類にサインを求め
られました。勿論サインしました。それで、先生に連れられた医学生が10人ほど
挨拶に来られました。
「高齢」である人の手術はめったにないのでしょう。この学生たちはラッキーだと
思いました。
それともう一人、新しい機械なので、その業社の人も立ち合わせて欲しいといわ
れました。
何だかモルモットみたいとも思いました。
17日 体は未だ自分の自由にならないようですが、口は自由に動きます。
体を起こして、座ったり、足を床に着いたりの練習をしました。
普段は何気ない動作が、体力が弱ると大変なことなんですね。
自分の健康につくずく感謝です。
とうとう止めるのね。
でももう親方になって、後輩を育てることは決まっているのね。
私はファンでした。
何だか頼りないような、ひやひやさせられながらね。
どんな弟子が育つのか楽しみにしています。
主人が入院していますので、休みがちになりますが、
出来るだけ書きたいと思っています。
今日は「本えびす」ですね。
お商売している人だけのものではありませんね。いろんな祈願の為に普通に参拝します。
結婚後は近いので、行くようになりました。
福娘さんが可愛いし、人波にもまれていると福に近づけるような気がしますよ。
昔からの慣わしは良いですね、いつまでも続いて欲しいと思います。
えべっさんは昔から、お賽銭の額が大きいので有名ですね。
それだけ男商売がうまくいったのでしょうね。
本日明日といっぱい福をもらってくださいね。
「鰯の頭も信心から」って言いますものね。
茶化したらいけないね。 ごめんなさい!
1月6日、去年も同じ日に橿原神宮に息子に自動車で連れて行ってもらいました。
ここにくるようになったのは何十年前でしたか、この神社が始めて、大きな絵馬を掲げ
たと言う事をテレビで見て、「見たい!」と思い、免許も取りたてで、遠くに行きたいと
思っていたこともあり、ここに来たのよ」と話しました。
今は大きな神社は押しなべて大きな絵馬を掲げているようですから、珍しくないので
すが、何事も「一番は一番」ですよね。
「神戸の生田さんもあるのに、何故こんな遠くに来るのかと思っていた」と彼はいいました。
私は生田さんの氏子でもあるし、生田さんにも行きたいのですが、特に今年は「亥」年、
私は年女ですかが、どんな「猪」が待っているのか、興味しんしんですが、まだ、いって
おりません。
どんな「猪」の絵馬か見たいのですが、やっぱり、風邪がすっきりぬけきれていないらしく、
自分の足で遠出できないでいます。
こうなれば「今年中に行けばいいや」という気持ちです。