ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

ホームレス中学生

2007年10月31日 | 読みました
            ハロウイーン
        去年のディズニーランドです
         お姫様 魔女 アリス等
    色々のコスチュームを着て楽しんでいました

今日はハロウイーン、去年ディズニーランドのハロウイーンに行きました。あちこちに南瓜のお化けがいて、来園者も色々のコスチュームに身を包んで楽しんでいました。皆が真っ黒い服に黒い尖がり帽子、魔女の団体さんを見た時は笑ってしまいました。こんなツアーもあるんだわ。皆で化ければ恥かしくない・・・って事でしょうか。

昨日は来年の手帳を色々探しましたが、日曜日から始まる手帳は断念しました。小さな手帳一つだけ、日曜日からの手帳を見つけたのですが、あまりに書き込み部分が小さくて、目が悪くなっているのにと思い、諦めて可愛い手帳を買いました。

          ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

         ホームレス中学生   田村 裕

NHKでこの本を取り上げていました。休日になると、田村君がホームレスになり寝泊りした公園が名所のようになり子供連れが訪れて、写真を撮っていると言うような話をしていました。読んでみたいと思いました。その話をすると主人がジムの帰りに買ってきてくれました。その夜、私は「真夜中の鑑賞会」に行ったものですから、主人は2時まで掛かって一気に読み上げたそうです。

昨日私も神戸の本屋さんを覗いてみました。一番目に付くところに、ド~ンと、又隅にもド~ンと1店舗の最前列に2ヵ所まで積み上げてありました。その上に私の本の帯は「やなせたかし」さんなのに、神戸の本は麻生太郎さんの推薦に変わっていました。増刷された分だと思います、セレブの世界に育った麻生さん、この本を読んで如何感じられたのでしょう。

今日、田村君がテレビで対談番組に出ていたそうです。朝からテレビを見る事が無い主人がテレビの前に座っているので「なんか見るん?」と聞くと「あの本の子が出るねん」と見ていたようです。

ジムから帰って聞いてみまっすと「お父さんも見つかったらしい。家を買ってあげるんやって」「今日現在で80万部売れてるそうや」「テレビや映画化の引き合いが来ているらしいで~」と言っていました。どんな映画になるんでしょう。見にいくで~。其れよりまず「麒麟」の漫才を見に行こう。

読み初めから、「うう~」「ああ~」とウルウルと読みました。読み終わった時には涙が流れました。私自身苦労をしたと思っていましたが、私の苦労等苦労をしたとは言えないことを知りました。彼と私の共通点と言えば、周りの人に助けられた。いい人との出会いがあり、世間の言う悪い道に行かずに済んだと言うことです。

中学二年の13才の時、父親の「解散」という言葉で、差し押さえられた家に帰れなくてホームレスになった。兄姉と離れ1人この公園で暮らす。その時のこと、鳩に餌をやりに来たお祖父さんのパンの耳を貰って食べた事。ダンボールも食べてみた事など、どうにもひもじくて、親友に「ごはんくわしてもらわれへんかな~」と頼む、親友の親の呼びかけで幾人かの人の計らいで、兄弟一緒に住める事になった。生活保護も受けた。周りの人の善意に支えられた。でももし田村君が性格の悪い子だったら、助けてくれなかっただろう。人に好かれる子に育てたお母さんが素晴らしい。田村君は今も「この母を恋う」。

田村君恥を忍んで親友に現状を打ち明けた。そこから、人の温かさを貰う道に入る。心を開く大切さが随所に出てくる。まだ28歳、幸せになってほしい。
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ちっちゃな集い

2007年10月30日 | 今日この頃
             高砂百合
            大器晩成?
       仲間が咲いた後から伸びだして
     数ヶ月後 立派に咲きました お見事!

関東からの友を迎えて、5人でちっちゃな集まりを持ちました。同い年と言うのはいいです。同じ年代を生きているから、ツーと言えばカーと通じる会話、何の気負いもなく、男だ女だと言う隔てもなく、昨日も会った如く会話が弾む、楽しい一時でした。

「お好み焼き」の話から「肉てん」の話へ・・・。「肉てん」何て何年ぶりに聞く言葉でしょう。同い年と言うのは、直ぐ通じるのです。

「肉てん」とは薄~いお好み焼きの事で、名前に「肉」が付いていますが、入っていなかったそうです。ソウスがたっぷり加かっていて、今風に言えばトッピングは紅生姜のみで、二つ折りにして、其れを新聞紙で包んでくれるんです。今では考えられないですよね。直接口に入れるものを新聞紙に包むなんて。

私には「肉てん」に悲しい想い出があるんです。所謂、駄菓子屋さんで売っていたと思うのです。胃腸の弱かった私は買い食いを禁止されていました。まして「肉てん」は新聞紙に包んでいます。不潔だという事で禁止されていました。でもとても良い匂いがしますし、友達が買い食いするのをとても羨ましかったのを覚えています。買えないのですが、友達が焼いてもらうのを一緒になってじ~っと見つめていました。今私が「お好み焼き」が好きなのはその所為かも知れません。

遠来の客、うえださんは聞き上手で、今日のターゲットはかわちさん。かわちさんは漫談家の西条凡児さんのご長男。年を加えると共にお父さんそっくりになってこられました。お父さんのこと、結婚に至るまでの話等々、上手に聞きだします。「こんな事喋ったん初めてやわ、上手い事聞いてくるんやもん」とかわちさん。聞きだし上手なうえださんは、女、黒柳徹子さんだ。前回、的だったふじわらさんや私達はニヤニヤ。さて次の生贄は何方にしようか?

小学校12月、高校来年6月と同期会が大流行です。中学は去年したばかりですから再来年ですね。何れの会にも出てくる人は決まっているようです。かわちさんに「趣味は?」と聞きましたら「こうしてお話すること」ですって。そういえば私だって人が好きです。間に中断時期があるとはいえ、60年近いお付き合いなんです。奥様や旦那様の知らない時代の事まで知っているのです。凄い事ですよ、これは・・・。

うえださんは年二回、お母様のお顔を見に来られます。その時に集まるので「何時集まろう」と考える手間が省けてありがたいです。なかだ家の「一葉桜」見物とあわせると、年3回は旧交を温めることが出来るのです。ありがたい事です。身体に気をつけて、まだまだ皆と楽しい一時を持ちたいです。

今日も大失敗がありました。たまちゃんが甘いもの好きな私に「もなか」を買ってきてくださいました。ところがです、たまちゃんは渡し忘れ、私は貰い忘れです。電車に乗ってから気が付きました。その時、たまちゃんからメールが入りました。「渡し忘れた・・・」即返事をしました「貰いわすれた・・・」これからは頂くものは重くても直ぐ頂いておく事にしましょう。

たまちゃんは記憶力がいいわ、何でも良く覚えている。一番覚えていないのがうえださんと言う事になっている。その次は私かしら。

終戦直ぐの小学校の修学旅行、たまちゃんは「宝塚の動物園」他の人「大阪の天保山」私は「何処にも行った覚えなし」。3人の内、誰の記憶が正しいのかしら。



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フィギュアスケート

2007年10月29日 | テレビから
            シュウメイギク
          (ふじたさんのお庭)
          八重のものは珍しいです

昨日、ポストに小さなお手紙が入っていました。「赤の八重のシュウメイギクが咲きました。いつでもどうぞ・・・」とありました。今朝、早速写真を撮りにふじた邸に・・・。

八重のシュウメイギクは「菊」と見紛う風情です。今までも目にしていたとしても、私は「早いわね、もう菊が咲いている」と通り過ぎているでしょう。この八重咲きを見て初めてシュウメイギクと言う名に合点がいきました。一重のシュウメイギクは、何故シュウメイギクと言う名が付いているのか解りませんもの。


昨夜からフィギュアスケートグランプリーシリーズ・世界一決定戦2007・第1戦アメリカ大会と言う長~い名称の大会がありました。

『フィギィア「真の世界一」を決める戦いが即ち「グランプリ・シリーズ」。アメリカ、カナダ、中国、フランス、ロシア、日本の世界6カ国を転戦し、1人が2戦に出場するグランプリシリーズと、その合計ポイントの上位6名が出場権を獲得できる「グランプリファイナル」からなる。美しくも激しい氷上サバイバル、美の世界一決定戦』との説明です。

どのようにして、出場選手や、出場会場を決めるかの説明はありませんでしたが、現在の世界での実力者6人は、抽選で各会場に分けられるそうです。

今回女性は安藤美姫と浅田舞の2人でした。美姫ちゃんのコーチが言っていましたね。「若い人たちと戦うのだから、大人の優雅さを出さなければ・・・」って。美姫ちゃんも言ってました「足ばかり気にせず、手の指の先まで優雅にと注意される」と。舞ちゃんは言ってましたね「真央には負けたくない」って、本心でしょうね。たとえ姉妹でもライバルです。自分が年上、それだけスケート人生も長いわけだから・・・。やっぱり、今の妹が上位にいるのは悔しいわね。負けず嫌いで無いと競技者には向かないわね。一度でいいから、希望通り舞ちゃんを勝たせてあげたいわね。判官びいきかな?

でもみんな良く転びましたね。ステン、ステンと。こんなに転ぶ大会初めてなんだけど。だんだん技術的に難しくなり、無理があるのかな~。

男性軍は、見てなかったんですけど、高橋大介さんが優勝したようですね。今回初めて見たのですが、小塚宗彦君がいいな~と思ったんですが・・・。「スピン」が上手と思ったんです。ちがうかな~。私好みの「スピン」だったと言い換えておきましょうかしら。お父さんも選手で、手ほどきを受けたそうですが、「父の上を行きたい」って言っていましたね。今の人ははっきり言いますね。羨ましいわ。

華やかですから、好きで楽しんでみるのですが、花形の「ジャンプ」より「スピン」が好きなんです。ジュニアから初めてシニアに上がってきた女の子は14歳、まだ小ちゃくて151㎝しかないんですって、でも滑っていると大きく見えますが、インタビューに答えている声はまだまだ幼かったです。その子(名前を忘れてしまったので悪しからず)が私の好きな「スピン」の新型を見せてくれました。その子しか出来ないという「パール・スピン」。下げた頭は腰より低く、貝に抱かれた真珠のように見えるところから、名付けられたらしい。流石14歳身体が柔らかいわ。

解説が荒川静香さんだったんです。選手だけでなく解説者も若返りましたね。男性は若返らず、相変わらず佐野さん。選手時代見に行ったのですが、ほっそりしていた方が、今では普通の中年のおじさまになりましたね。

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映画色々

2007年10月28日 | 今日この頃
              箒 木
      これを見て 箒の原料と思いますか?
       この色があせて枯れた後に・・・
         実は食べられるそうです

久し振りのいいお天気、しかし日の暮れるのが早くなりました。一日テレビの前で編み物をしたり・・・、いやいや、前後不覚、爆睡・・・目が覚めると夕暮れが迫っておりました。これには訳があるのです。昨日が今日の日付けに変わる数分前、真夜中に「映画」を見にいったんです。

眞夜中だと言うのに、自動車も沢山走っています。ファミレスにも人が・・・。こんな夜中に食べて大丈夫なん?若いから平気なんかな~?

息子が「今夜映画に行くわ」「もしかして『象の背中』ちゃう?」「そう」「私も乗せてって」「最終、夜中やで・・・」「ええ」と言う事で、パソコンから座席を予約して「真夜中の映画鑑賞」となる。

見る人はわずか20数人、あちらにパラリ、此方にパラリ、アベックさんは3組ばかり、3人組が一組、後は単独組・・・。何時もは一番の時間に見に行くのですがその時より少ない。これで経営成り立つの?こうして一館だけでは無く、映画館の団地の様な建物だと、成り立つのかな~。

この映画も私にとって「やっぱり本の方がよかった」と言うものでした。余命半年と言われた人間のその半年を描いたものなんだが、涙腺の緩んでいる今、きっと泣くだろうと、ハンカチを用意していったのに泣けなかった。ただ一度だけ、チアダンスコンテストに出る練習をしている娘が、その時までに父は死を迎えることを知り、ホスピスに父を見舞った時、父の前で踊ってみせる。その場面だけは泣いた。

ウインドウサーファーの飯島夏樹さんの『天国で君に逢えたら』の時はポロポロ泣いたのに・・・。あの時は残された子供達があまりに幼かったからだろうか。それとも飯島さんが息子と同世代だったからだろうか。

映画が始まる前に予告編がある。その中に「ミッドナイトイーグル」があった。この映画は浜村淳さんの解説で聞いた事がある。浜村さんが毎日放送で土曜日の朝お勧めの映画の「荒筋」を話している番組がある。其れを聞きながらジムまで歩くのだが、もう少しでクライマックスと言う所でジムに到着、最後まで聞き終えた事が無い。しかし浜村さんの話術で「見たい!」と言う気にさせられる。

「ミッドナイトイーグル」もその一つである。予告編を見ながら、浜村さんの話術の方が、私を「見たい!」と言う気にさせてくれたと思った。主役が「天国で君に逢えたら」の大沢たかおさんだった。常夏のハワイでウインドウサーフインの後は、信州の雪山登山である。俳優さんと言う仕事も大変な仕事なんだな~と、今更ながらに思う。

「象の背中の」役所浩司さんも「癌患者」のお役なんで、撮影中に10K減量されたと聞く。デブちゃんの10Kと違い、普通の体型の人が10Kも痩せると病人らしくなるものですね。頬がこけますしね。ただ私の様に丸顔ですと(近頃、額の生え際が薄くなって後退してきたので少し面長になってきた)顔が痩せるのは最後です。

浜村さんの番組を聞き始めて、まだ日が浅いので、浜村さんご推薦の映画をまだ見たことが無いが、。あまりに上手に話されるので、見た気になってしまう恐れもある。

「真夜中の映画鑑賞」で3時頃に寝たので、体内時計が錯覚を起こして、昼食を食べると、夕食と間違ったらしく、幾ら起きていようとしても眠い。夢も見ずに唯ひたすら眠る。目覚めて、急いで買い出し食事の支度、主婦は辛いよ。



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戦争と平和

2007年10月27日 | 新聞から
              ???
          (見~つけた 07-10-25)
          昨日の花の根元に咲いていた

本屋さんに行った。カレンダーや手帳の売り場を覘いてみた。気になっていることがあったので、確かめる為である。カレンダーは日曜日から始まるのに、手帳はどうして月曜日から始まるのかな~。この違いでもう少しでお約束を間違いそうになったことがある。

頭の中で映像としてカレンダーが入っている場合、手帳かカレンダーかどちらを呼び出すかで(たとえばカレンダーで右端だったから土曜日なのに、手帳では日曜日なのです)手帳を忘れて、頭の中で手帳カレンダーを呼び出すと左から2番目火曜日は空いていたと約束したつもりが、壁掛けカレンダーの2番目は月曜日だった。

こんなことがないように壁掛けカレンダーにあわせて手帳も日曜日から始まるものを探そうと思っていたのです。今日の本屋さんの手帳は皆月曜日から始まっていました。日曜日からのは無いのだろうか? 探してみよう。


19歳の大学生が「もっと戦争を知ってほしい」と書いている。

『戦争が終わって60年以上が過ぎた。原爆の被爆者も高齢化し、私を含め戦争を知らない人たちが大半になっている。

私は広島県で育ち、学校で平和教育を受けた。被爆者の人のお話を聞いたり、平和記念資料館を見学するなど、戦争と平和について学び、考える機会が多かった。

いま、広島と長崎に原爆を投下された日、終戦を知らない人が増え、平和記念資料館を訪れる人も減少していると言う。修学旅行で資料館を見学する学校も減っているそうだ。

資料館を訪れると、何時も見学者の中に多くの外国人がいることに気付く。私達、日本人はもっと平和について考えるべきだと思う。広島長崎に限らず、義務教育の中で、もっと戦争と平和について知る時間を作るべきだ。

日本で60数年前に起きた戦争について知ることによって、若者は今、自分が平和な場所で生きている事を感謝出来るのではないか。

1人でも多くの人が、平和記念資料館などを訪れ、戦争について知って欲しい』

19歳でもこんな考えの人もいる。「広島で平和教育を受けた」其れが元にあるからだろうか。「平和教育と言うのがどんなものかはわからないが、少なくとも「広島、長崎だけが犠牲になった」と言うような教えではないのだろうと言う想像はつく。

沖縄の「集団自決」にどうしても思いがいくが、「沖縄では軍命令で集団自決させられた」と、そのことのみを強調して教えて、だからそんな事の起こった戦争はしてはいけないと言う、その後の事を教えなかったのではないかと言う感じがする。

全ての根源は「何故私達だけが・・・」と言う考えが元にあるような気がする。

戦争で命を失うにしても「集団自決」は特殊な方法だが、広島、長崎は原爆の犠牲に、他の地方だって空襲で沢山の命が失われている。戦争で命を失った人は方法は違えども、この度の大東亜戦争の犠牲者であることには違いはない。

私が平和記念資料館(以前は原爆記念館といっていたと思うが)を再び訪れたのは今年の原爆記念日だったから、沢山の入館者だった。又外国人も大勢いた。中にはアメリカ人も居たと思うが、どんな気持ちで見たのかと思ったものだ。

全ては「戦争」と言う名の元で行われた事であり、許される事だった。

日本中に公平に歴史を教えるのが教科書である。参加人員を水増ししてまで訴えようとした教科書問題、真実を曲げないで欲しい。
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日本の唱歌

2007年10月26日 | 今日この頃
          (見~つけた 07-10-25)
            名前は解らない
        背の高い木で 枝先に揺れていた

ヨーロッパ旅行などがあり、1ヶ月ぶりの唱歌の学校である。生憎な事に、出かける頃に雨が強くなり雷まで加勢した。雨が降れば出かけなくとも、家でじ~としていられるご身分なのに、何でわざわざ出かけるの?休もうよ!とギリギリまで迷った末にやっぱり出かけた。迷っていた為に歩く時間はなくなり「さくら夙川駅」まで乗る事にした。

皆さん雨にも関わらず出席。1ヶ月間も思いっきり声を出していないので、気持ちが良かった。早速「07年忘年会」のチラシを頂く。泊まっても、日帰りでも良しの何時ものプラン。私達グループは日帰りにしようと決める。

楽しみにしていた公演のお話。あの毎年お正月にテレビで放映されるニューイヤーコンサートの会場ですよ。ウイーン国立歌劇場です。80人ほどの参加だったそうです。羨ましい!

客席数1600人に1500人の入りで大成功だったそうです。素人の歌にお金が取れるわけはないので勿論無料です。いわば趣味の会にお客様が1500人も集まってくださったと言うわけです。

宣伝やチケットはどのようにして? 小さなチラシを作って其れをスーパーとか人の集まるところに置いて置くんですって。其れを持って当日会場に行けば無料で入れると言うわけです。

催しが「日本の歌」という事で珍しいと言うこともあるでしょう。日本でも「国立劇場」で無料の催しがあるとします。「国立劇場」ですから、普段いい催しをする為にチケットは高いからと二の足を踏んでいる人でも、一度は「国立劇場」の中に入ってみたいと思えば、無料のチャンスは逃しませんよね。其れと同じで、彼の地の人でも、「国立歌劇場」に入りたいけど・・・と言う人にとっては絶好のチャンスではないですか?。そういう方々が足を運んでくださったのだと思うんですよ。そんな一寸意地悪な事を考えながらお話を聞いていました。行けなかった私の僻みでしょうか?

先生たちは楽団との打ち合わせとか、色んな連絡の為に1週間前に現地入りされたそうです。「唱歌」と言う言葉を説明するのに「日本の子供はこの歌を皆歌えます。唱歌とはそんな歌です」と説明したそうです。すると「その可愛い子供たちは何時来るのですか?」と聞かれて「50歳以上(多数は70歳前後)ですとは言い難かった」ってのりこ先生は笑っておられました。

のりこ先生はソロもなさったわけです。普通、のりこ先生は下手(向かって左)から出られるのですが、「国立歌劇場」は上手からの登場で一寸勝手が違ったそうです。其れは楽屋が上手側にあったからだそうです。

楽屋と言えば、世界的に有名な人の楽屋はホテルの一室のようで、各部屋に練習が出来るようにピアノがあったそうです。

のりこ先生は舞台であがる人間ではないと思っておられたそうですが、この度は「マリア・カラスも此処で歌ったんだ、その舞台に立っているんだ」と思うと上がったそうです。

最後の海外公演も無事終わりました。今度は新春の「シンフォニーホール」で大阪フィルオーケストラをバックに歌う会が1月にあります。「ドナウ」は好評で毎回歌います。オーケストラと一緒に歌うなんてことはめったにありませんから、初めの内は喜んで参加していました。近頃は休みがちです。でももう一度ぐらいは出てみたいな~と思っています。来年ぐらいは出ようかな~、年々声も出なくなるしね~・・・ 目下、考慮中。
                           (540回)
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日本人の死に時

2007年10月25日 | 新聞から
              金木犀
          (見~つけた 塀越しに)

我家の金木犀が咲かなかったので、よそのお家で咲いていないかと、歩く道を変えながら探しました。ところが目に付きません。今年は駄目かな~と諦めました。何時もの道を歩いていますと「???」いい香です。見上げると金木犀が真っ盛りです。何時も通っている道なんです。だのに気が付きませんでした。今日は曇り空で空気も湿り勝ち、香も上らずに下りてきたのでしょうか?今年も見られて良かった。

先日、露天風呂に入って、風邪気味になってから敬遠していたので、久し振りに入ってみました。今日は熱めでいいお湯でした。1人の先客は薬の為に脱毛して、丸坊主の人でした。でも今日お会いすると頭の中央3cmばかり黒々と毛が生えてきました。人間の身体って凄いな~と思いました。薬気がなくなると元に戻ろうとするんですね。自然治癒力の素晴らしさを見ました。彼女はプールだけなので、たまにしか出会わないのですが、お会いするのが楽しみになりました。


医師で作家の久坂部羊(くさかべよう)氏が「日本人の死に時」と言う本を書いている。まだ読んではいないのだが、気にはなっている。内容的には病気の話が沢山出てくるのではないかと、気分が滅入りそうで手が出せない。

「そんなに長生きしたいのですか?」と言うサブタイトルがついているそうだ。「したいんですよ」と答える。「長生きは善である」と考える世の常識に鋭い一撃を加えていると言う。

日本一長寿の人がテレビに出て、その人が動いている時は「お目出度いな~」と思うが「寝たきりになっている」映像には、私だって「こんなになってまで・・・」と思う。でも考えてみれば、その方だって、寝たきりで100歳まで生きようと思ったわけではない。

久坂部氏はこの10年老人医療にたずさわってきた。そこで気付いたのが医療によって「死ねなくなった」現実だ。意識のないまま、治療を受けているために生きている。人としてにの行動は何一つ出来ないのに、生命維持装置で生かされている。家族にすれば、体温があるのだから出来ることはしてやりたいと思うのだろう。

脳血栓で倒れた義母が3ヶ月入院した時、その治療費の明細が送られて来た事がある。その金額は300万円に近かった。別にこれと言った治療を受けているわけではない、入院費、食事、リハビリと看護だけでなんでこんな費用が掛かるのかと驚いた。当時は寝巻きは自分のもので、私が毎日持ち帰っていた。

自宅看護になれば、往診代と薬代だけである。寝たきりの人間の看病による、精神的、肉体的な苦しみは身に沁みて解っているので、私が発病すれば病院に入れて呉れていいと思っている。ただ人様に医療費を負担して貰うのが心苦しいな~と言う気がする。

久坂部氏は「年を取ったら健康診断もいらないにでは」と言う。「人間ドックで異常が見つかったら、医師も本人も治そうとするでしょう。でも医療に頼らなくても直ってしまうものも多いし、逆にどうやっても治らないものもある。無駄な治療に苦しんだり、異常を知ったことがストレスになったりするくらいなら、知らない方がいい」と言う。

「健康診断に」に関しては同感である。異常を感じてからでいいと思っている。「早期発見」ではないので「手遅れ」だろうが、痛みと苦しみさえ除いてくれればいいと思っている。其れまでは「異常なし」のつもりで残りの人生を楽しんでいきたい。

この本もやはり読むのは止そう。ストレスになるような気がするから・・・。
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寂しい?

2007年10月24日 | 新聞から
               柿
            (見~つけた)
      柿のなっている空地が随分少なくなりました
           皆駐車場に変身です

編み物を始めた。半年振りかな。例年ならクーラーが入れば、又編み始めるのに、流石の私も今年は編む気にならなかった。一寸手の込んだ編み方なので時間がかかるだろうな~。買ってきた毛糸と、この形がとてもあって嬉しい。編み物好きな私故に、頭の中ではちゃんと出来上がりが見えている。

京都大学霊長類研究所教授・正高信男氏のこんな記事が出ていました。

     『日本人は寂しいのかも知れない』

イギリスで、日本の子供を中心としたケータイ事情について講演をしてきた。・・・中略・・・ 帰国して既に2週間が過ぎようとしているが、予想外に(?)向こうから未だに反響のメールが来たりして驚いている。しかもそれらを大変荒っぽく集約すると、「どうも昨今の日本人は寂しいのではないか」と言う印象を英国人は持つ、ということになるようで、再度吃驚している。『そんなに頻繁にケータイメールをしないといられないのは、よほど実生活で他人との繋がりを欠いているのだろう」とか「夜中に掲示板に書き込みをしたり、ブログを綴るなんて、その光景を想像するだけで寂しい」というのだ。

そんな感想を知った時、最初は「風土や文化が異なると、受け止められ方もこんなに変わるものか」と言う程度のものであった。だが日がたつにつれて、なるほどそう指摘されてみると、あながち的はずれではないかも知れないと、気持ちが揺れつつある』・・・後略・・・。

何故子供に携帯を持たせるのか、夫々の事情とやらがあるのだろうけれど、そこまでする必要があるのか、私は疑問であるが、以前は駅で「今駅に着いた」と家に電話している子供を見かけた。物騒な世の中だから連絡を取っているのだろう。しかし携帯を持つ人が増え、公衆電話が町から姿を消し始めた。こうなると子供に携帯はいらないとはいえないのかも知れない。

大人の私にも当てはまるのだろうか。掲示板(チャットの事だと思うんだけれど)に書き込みはしないけれど、こうしてブログを書いている。「私は寂しいのだろうか?」自分の心に聞いてみた。「寂しい心がないとは言えないかな?」と私の心は答える。

家族も居るし、友達もいるし、何故寂しいの?。結論を言うと年齢的な寂しさだろう。時に考える事がある。「どんな最後なんだろう」「迷惑を掛けないだろうか」

迷惑を掛けないようにと運動している。ジムの更衣室での話では皆さんそう思っているようだ。呆けないようにと頭も使っている。でも解らない。其れを思うとつい憂鬱になってくる。これが「年老いたものの寂しさ」と言うものだろうか。

何時もそんな事を考えているわけではないが、時として頭を掠める。そんな寂しさを感じる時間を持ちたくない為に、色んな事に興味を持ち、知ろうとしているのかもしれない。

ブログを始めたのは「寂しさを紛らわす為?」「ノー」パソコンを使っているのだから何かをしたいと思った。易しいというブログの存在を知り、数冊の本を買ってきた、出来そうなので始めた。始めたからには1000回は絶対続け様と思った。早いもので540回に迫ろうとしている。初めは「花のブログ」にするつもりだった。其れが何時の間にか雑記になった。

読んで下さる方には私はヌードであるが、相手の姿は見えない。でも私も贔屓のブログをサーフィンしているのだから、相手違いのお相子かな。
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暑かった夏

2007年10月23日 | 新聞から
           ブルー・サルビア
         (見~つけた 道路わきで)
      正統派の赤もいいのが 青もいいですね

今夜は十三夜。お月様が明るく、しかし一人淋しげです。早めの月見団子を食べました。月見団子はどうして漉し餡の帯をしているのでしょう。


曽野綾子さんが今朝の「正論」で沖縄の集団自決について書いておられました。ご自分の著作にも触れておられました。あくまで「軍命令」であったと思いたい沖縄では決してこの本は紹介されないでしょうね。「軍命令」と言って、今でも「遺族年金」を受け取っている人は、この度の騒ぎで胸は痛まないのでしょうか。今日その本を図書館に返してきました。


久し振りにヨガ教室に入りました。何時もなら満席のはずなのに空いているので「おかしな~?」と思ったんです。何時もの先生ではありません「ん?」10月から先生が変わられたことを知りませんでした。其れも新米先生です。授業が下手で全然体がほぐれません。不満の残る1時間でした。先生の質の低下は生徒の数に如実に表れているようです。

更衣室でも、不満の声が上がっていました。皆長い間通っているので、先生の指導の見方は厳しい。先生になるほどの実力はなくても、経験は充分積んでいるので手厳しい。私もこの先生が替わるまでヨガはしないと思ったほどです。

          ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

          テーマ川柳  「異常気象」

     熱中症怖く雑草なすがまま

一番ぴったりと胸にひびいた句です。「熱中症」を言い訳にして、茂るに任せた夏でした。その余波で今でも仕事に残っています。「今度は風が冷たいから」と言う理由。

     毎度あり異常気象でえびす顔

「風吹けば桶屋が儲かる」のたとえ通り、一方が「マイナス」なら片方に「プラス」の状況がある。さてこの「異常気象」儲かったのは何処? 「クーラー」を売るお店。「アイス」「飲料水」の製造元、販売店。まだまだ色々あるでしょうね。思いもかけない分野にね。

     絶えられる戦争以外の異常なら

本当にそうですね。解っちゃいるけど「暑い! たまらん!」の言葉が口をつく今夏でした。ベトナム戦争の枯葉剤のシャム双生児のベトちゃん、ドクちゃん、一つしかない内臓をドクちゃんが貰って、もっと他の理由もあったのでしょうが、ベトちゃんは一生寝たっきりで、つい最近亡くなった。ドクちゃんのほうは片方義肢であるとはいえ歩いて、学校にも行き、結婚までした。不幸な形で生まれてもその先の幸、不幸は誰が決めるのだろう。

     大丈夫暑さ寒さも彼岸まで

この言葉が信じられない日が来るのではないかと心配したほど、「秋期のお彼岸」の後も暑い日が続きました。そして、今、秋を通り越して初冬といえる日が顔を出します。「地球温暖化」問題を真剣に考えなければと思う今日この頃の解らない気象です。

     座薬いれ地球の熱を下げたいな

「熱さまし」とか「痛み止め」とかどうして座薬の方が効くのですか?。私はまだ座薬の経験はないのですが、「良く効く」「即効性」とかの話は聞くことがあります。世の中、知らない「何故?」の多いこと。

     お前らが異常なのだと気象言い

異常気象に口があればそう言うでしょうね。「全てあんた達のしでかした事なんだ。ボク達は手も足も出ないんだ。そのことに気が付いたんなら、早くどうにかして!」って。

川柳はいいね。



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すもんとり

2007年10月22日 | 思い出話
             ばら 連弾
          (大井戸公園 07-5-16)

カレンダーの作成を始めました。簡単と書いてあるので、前のソフトより簡単なのかと思いましたが、何の、なんの、既に出来上がっているものに月日を入れていくだけなら、そりゃ~簡単です。でも私の様に白紙から作るとなると、そうは問屋が卸さない。あ~でもないこ~でもないと手探りで2日間。どうにか形が出来てきた。出来てみると楽しかったな~と思うが・・・。

何しろガイドブックが付いてないのです。前のは10ページほどでしたがガイドブックが付いていました。だから隅から隅まで触ってみるしかないんです。これは一寸不親切だな~と思いました。

年賀の方は、まだ入れていませんが、此方は2冊もガイドブックが付いています。見ますと、確かに沢山の絵や字が載っています。これは5年ぐらい買い換えなくってもいいな~と思いました。5年?其れは一生もの同意語だわ。

今年頂いた年賀状で3人ほどの人が「もう年ですので、今年を最後に年賀状交換を止めたいと思います」と言ってこられました。80歳を過ぎた親戚の者、もう1人は、私達の年代の方ですが、癌の手術をして一命を取り留めた方です。私は毎年6種類ぐらい作りますので、そろそろ始めないと間に合いません。


日曜日のたかじんの「そこまで言って委員会」も「お相撲」が主でした。「朝までテレビに出ておられた方がゲストに出てこられました。

昔の相撲は如何だったかと言う話から「昔は大名がお抱え力士を持っていて、参勤交代などにも連れて行き、御前で相撲を取らせた。だからその相撲取りは武士に準じていた。大名達もいい力士を持つのが競争のようになっていた」と言うような話をしておられました。

今までこんな話を聞いた事がないだけに、聞いた事によって、私の長年の疑問が解けました。

祖父の思い出なんですが、祖父は確か「慶応」の生まれだったと思うのですが、「おじいちゃん何してたん?」「すもんとりやってん」「???」「宮仕えるのすもんとりや」「宮仕えって、何?」「お殿さん(明治時代は皇族・家族も多く、そのことだと思う)の前で相撲を取ってたんや」祖父と孫の間でこんな話があったんです。二階の部屋で、向かい合って座って、おじいちゃんの身体にさわりながら、自分が話していたのをはっきり覚えています。

祖父が大きな人だというのは解っていました。周りの人から首一つ大きかったからです。だから相撲が好きで私を連れて大阪に良く見に行っていたんです。

「おじいちゃん大工さんやったんやろ?」「すもんとりやめてからや」祖父は宮大工だと言っていました。大工道具の一つ「からすぐち」と言ったと思うのですが、墨の入った小さな器があり、その中を潜らせた糸を木の表面の端から端に渡して、その糸を指でピンとはじくと木に線が引けて、そこを鋸で切っていくのです。其れをとても大切にしていまして、時々手にとって眺めていたのを覚えています。

「宮仕えの相撲取り」「宮大工」どうして「宮」が付くのだろうと思っていました。やっと解りました。勿論想像ですが、相撲は若いときのものです、体力的に無理になったとき、きっと手先の器用さを買われて、お抱え主のお寺や寺院の修理をする大工に横滑りしたのかと思うのです。お盆前にはお供えを流す為の小さな船を作っていたのを覚えています。

親戚中集まっての餅つきは祖父が搗き手で大活躍です。捻り鉢巻をした祖父の姿が浮かびます、懐かしい光景です。



コメント (6)
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