磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

鱧男の小説などをUP。環境問題に戦争・原発を!環境問題解決に民主主義は不可欠!

111 さよなら、“よい子病”のボク

2007年07月29日 | ライト小説
総理がコジキでコジキがソーリィー

五章、深く深く“闇”教育




111 さよなら、“よい子病”のボク


そうしたら、肩の力がぬけた。

--みんなの言うことを守るなんて無理なことなんだ。

父さんと母さんの意見だって分かれる。
分かれるから離婚したんだ。

「もう、こんなもん必要ないさ」
三沢少年は遺書をビリビリに破き、ごみ箱に放りいれた。

「こんちくしょおー! よい子ちゃんにさよなら!」

ごみ箱を蹴ったら、カン! と音がした。

バカみたいに軽い音だった。

時計をみると、もう学校へ行かなければいけない時間だった。

そうだとも、昨日までと違う学校が待っているんだ。

担任も臨時担任として教頭先生が、新しい先生がくるまでは受け持ってくれるらしいし、新しい朝がやってきたのだ。

「よお! おはよう」

声をかけられた。いつもなら無視しているやつだ。

いや、となりのクラスの生徒で、ぼくも彼の名前さえ知らないやつだ。

でも、声をかけられるのは悪い気はしなかった。

「おはよう」
と明るく返した。

「昨日は、勇気があったなあー。おれなら、どうしていたかなあー、わからないよ」

「そんな、ぼくになんか勇気はないさ」

「あるよ、あんな大勢の中で孤立していただろう」

「そうかなあー。でも味方はいたよ」

「あー、おれもきみの味方だったよ。ただ事実を知らなかった。ただ三組のやつらって、どうして、ああ、勉強ばっかりしていて、変だなあーとは思っていたよ」

「変だったかい」

「ああー、そうだよ。一組とかは遊びに行っても、自分のクラスと別段、そんなに違いはない感じだったけど、三組だけは違ったからなあー」







閑話休題

“よい子病”--。

そのまま大人になったような人。

彼が“よい子”でいるために、

どれほどの人が苦しんでいるんだ。

“よい子”なんかより、

人間らしさを大切にしてもらいたい。










下、クリックお願いします。
人気blogランキングへ
ありがとうございます。




















悪と正義の政治理論

2007年07月28日 | 読書日記など
『悪と正義の政治理論』
   太田義器・谷澤正嗣(編)/ナカニシア出版2007年

絶対悪も絶対正義も人間にはありませんね。神でもないのに、神の立場になる人たち……。神のつもりでも第三者から見れば、まるで悪魔のようなことをされているとしか思えませんね……。



幼児万能感をもっている大人が、それも一国の大統領や総理大臣になってもらっては非常に困ったことになるだろうとボクも思います。下「」引用。

「本書のねらいは、「悪(あく)」と「正義」の対決図式のなかで、正義ではなく、悪が増大している、あるいは一向に減らないと思われる現状を前にして、われわれの多くが抱いているある種の当惑に応えることである。それは、政治の現実と理論の双方に対する違和感から生じてくるものであり、悪と対決する正義を自称する政治を前にらしたときの、理論の無力さに対する反省から生まれたものである。」

テロ=悪と簡単に決めつけています。下「」引用。

「現実を見るならば、テロリズムや戦争といったあからさまな悪が存在し、さらにはもっと些細で日常的な悪も確かに存在する。」

彼らテロリストは正義といっている……。
そして反対の立場も……。
立場が入れ替わっても成立する普遍性などない正義……。
主観だけの正義は、どちらも悪といっていいと思うが……。
--このような表現では公平ではないように思える……。

しかし、後にはこんな文章も。下「」引用。

「むしろ理論の言うように、正義と悪とは直接対決するものではないかもしれず、われわれは主たる関心をまず正義の探求に傾注すべきなのではないだろうか。」

正義と悪は直接対決しない……。
ミイラ取りがミイラに……。
--アメリカの現状はこのようなものという人がいても否定できないと思う。


レイプのことが書かれてありました。下「」引用。

「戦争被害者のほとんどが一般市民であったことがこの内戦の特徴でもある。セルビア人準軍事組織は、ムスリムやクロアチア人の男性を殺戮し、女性を「キャンプ」に収容して家族や親族の前でレイプした。それは妊娠が確認されるまで続くことすらあった。だが、セルビア人のみがこの犯罪を行ったわけではなく、ボスニアの住民虐殺には、ムスリム、セルビア、クロアチアのすべての民族主義的軍事組織が各々関与した。クロアチア人民兵もまた同じようなやり方で敵の女性をレイプしたのである」

この本ではありませんが、日本人も韓国人に、敗戦国民だからとレイプされていたとも……。
韓国人はベトナム戦争でもレイプしていたことが国際問題になっているらしい……。

また、インドでも、イスラム原理主義者とヒンズー・ナショナリズムの衝突が暴力の連鎖を呼び、地域コミュニティへの攻撃がなされるつど、女性に対するレイプ・身体の破壊などが生じているという。


暴力の被害は女性だけではない。下「」引用。

「もちろんレイプという女性への性暴力は、戦争下にあるところや植民地といった社会の周辺部に歴史的につきまとった現象である。こうした「極限状況」ではあらゆる暴力が起こり、女性のみならず男性もまた暴力の対象になった。」

レイプの恐怖によって、つくりだされるようとするもの。下「」引用。

「レイプへの恐怖が〈敵〉への憤怒を掻き立てる起爆剤となり、同時にその共同体を持続させる燃料ともなる。メディアを通じてのレイプ犯罪の報道は、まさにこの目的に資するものでもあった。」

レイプ被害者のことより、より政治的なことになっているのも異常だというものだとボクは思う。
--他のことに利用されているから、こんな状況に陥るのだろうとも思う。

奢侈に対する社会の悪影響。下「」引用。

「しかも奢侈は、ひんじゃの心まで蝕んでいく。奢侈が広まると人々は虚栄心から、「財産をもたない者までもが、もっている振りをして金を使う。そのためには借金、ペテン、どんな汚い策略でも用いるようになる」(ibid.,524,二二○)。こうして悪徳は悪徳を呼び、習俗はますます堕落していく。」

エコノミーの暴力、暴力のエコノミー-(脅しの)の政治-など、意味深いことが書かれてありました。

ボクは貧乏人ですが、ほんま将来が怖い……。
まあ、死んだらしまいや!
ケ・セラ・セラと母親ゆずりに生きていきたいものです。











エンタメ@BlogRanking





スウェーデンの核兵器問題

2007年07月28日 | 読書日記など
『財団法人鹿島平和研究所 選書
    スウェーデンの核兵器問題』
      スウェーデン外交政策研究所・編/
        鹿島平和研究所・訳/鹿島研究所出版会s42年

スウェーデンは平和な国の印象がつよい。もし、そこで核兵器をつくったら、核兵器をつくって大儲けしたいという企業はうれしくてたまらないかもしれない。我が国も続け……と、いい宣伝になるとでも考えているのかもしれない……。平和を望まない人でそういう人はいるとボクは思う。しかし、ヒトラーと同じで、「平和あるいは防衛のための戦争」といって、ゼロサム・ゲームを……。



スウェーデンの原則。下「」引用。

「「平時における非同盟、戦時における中立指向」という原則である。この原則は、目下スウェーデンの安全保障政策の目標とみられている。」

『スウェーデンの核兵器論争』ベール・アールマルク・著があるという。


スウェーデンが核保有国となっても、米は反対しないらしいです。? 下「」引用。

「スウェーデンの民主的政権が変わらないことおよびスウェーデンが弱体化しないことは米国の利害でもある。核兵器がスウェーデンの国防を強化するなら、米国は、この利益を無にするような消極的な反作用が世界に発生しないということを前提として、これに反対しないであろう。」

要するに、反ソ(現・ロシア)のためならいいという。
インドに反中ならいいというのと、同様ですね。

しかし、そんな単純なものでもないということも書かれてあります。下「」引用。

「スウェーデン核兵器に対する米国の反対のもっとも重要な理由は、他の国がスウェーデンの例にならわないかという恐怖である。無責任な諸国がこれにならい、それが連鎖反応を起こし、スウェーデンの核兵力がそのような必然性をもたないにもかかわらず、米国を巻き込んでしまうおそれがある。」


平和的原子エネルギーの分野では、広範な国際協力。
チェルノブイリの大惨事で56人が死亡したというのが協力ですか?
悪の協力! 湮滅の協力! それが平和的なのでしょうか?
そもそも原発は平和的に使用できるシロモノではありませんね。

「スウェーデンが核兵器をもつ場合の責任と管理の問題についての見地」スティグ・トレン

こんなことで責任をとれる人間なんて、だれもいないことでしよう……。


女性たちの活動によって、核保有国にならなかったようです。
くわしくはここをクリックしてください。

よかったですね、無駄に血税を使われることもなく……。

【日本の現実】

原発、嘘が多いです。
マスコミも学者も相変わらずです。
こんな状態でで核兵器保有国までになりたいという政治家もいます。

いつものことは忘れないでください。


--本当に戦争をする気なら、富国強兵ですね。

彼らがやろうとするのは、血税をすいとり、日本の経済のパイを小さくする、貧国弱兵ですね……。

--これでは、北朝鮮のようなものですね。

その嘘を隠すために、ラッパ(言論)だけは、勇ましい……。

どちらも、意味のないことと弱者いじめを強引にすすめること、これが素晴らしい政治と思っている、浅ましき人たちである。

二元論という幼稚な思想で、とことん現実をみない、ただのラッパ!

それにふりまわされていては、ひどくなるばかりだ!









INDEX

INDEX





エンタメ@BlogRanking

110 よい子“病”だったボク

2007年07月28日 | ライト小説
総理がコジキでコジキがソーリィー

五章、深く深く“闇”教育




110 よい子“病”だったボク


ソーリィーに会った。

ソーリィーは説教するのかと思った。

でも、説教されたって別にいいような気がした。

でも、ソーリィーはしなかった。

「よい子だから、そんなふうになるんだ」

意外なことを言った。
--信じられなかった。

ぼくは駄目な子どもだと、生きる価値のない人間だと思い込んでしまっていたのだ。

それをソーリィーは真剣な表情で、よい子だからと何度も言った。

よい子であるからこそ、ソーリィーの娘も自殺したと悲しい顔をしていた。

魂の抜け殻ってあんな人のことを言うのだろうと思った。

それだから、ソーリィーは働く気もなくなって、ホームレスになってしまっていたのだろう……。

ぼくの母さんもこんなになるのだろうか、父さんもこうなるのだろうか。

なってくれたら、うれしいような気もする……。

父さんや母さんには悪いけど……。

ぼくはソーリィーと話してよかった気がした。

もしかしたら、父さんがこうなっていたかもしれないし、母さんがそうなっていたかもしれない……。もしかしたら、ならなかったかもしれないけど……。

ぼくは死ななくってよかったと思う、可能性ってあるんだから……。大きく状況が変化することだってあるんだ。

ソーリィーはよい子でなんかいるなと教えてくれた。

よい子は、大人の都合のいい子であって本当のよい子じゃないんだと諭された。

ぼくは強情ぱりの母さんを悲しませたくはなかった。

寂しい父さんを哀しませたくはなかった。

--だから、よい子を演じていたんだ。

そして、本当の自分を失ってしまっていたんだ。

それを知ったとき、ぼくは本当によい子になろうと思った。

自分の意志をきちんと持った人間になろうと思った。









閑話休題

よい子“病”ときいたとき、

やはりボクなどは最初から、

関係ないやと思いました。

読んでみて、やっぱりそうだったと思いました。

小さいときから、ボクは渋いのが好きでした。










下、クリックお願いします。
人気blogランキングへ
ありがとうございます。




















原爆日記-----第II集-----

2007年07月27日 | 読書日記など
『原爆日記-第II集-』
    広島県医師会1970年

広島県医師会によってつくられた原爆についての冊子です。やはり、お医者さんも人間だなあーと思う表現がいくつかありました。



広島のお医者さんがすべて、広島市におられたわけではありません。

ある人はまだ学生だったり、ある人は従軍されていたり……。

「原爆当時の私」というタイトルで広島市・長崎孝さんが書かれています。下「」引用。

「当時、私は慈恵医大の学生だった。そして学部の疎開していた埼玉県所沢市に、先輩の新井先生のお世話で下宿生活を送っていた。」

所沢市は東京よりも平静。
食糧事情も芋であったが、恵まれていたという。
しかし、サイパン島陥落後、敵機来襲で、他に疎開せねばと……。

広島に原爆投下され「戦史上最大の被害」を知り、故郷に戻ろうとするが、切符が手に入らず。
伯父はもうじき降伏するから、今少し待つようにと。
14日の夜、東京を出発したという。

また、当時も広島におられた方もいます。

「最も長かった一日」という題名で広島市の沢近宏さんがかかれています。下「」引用。

「軍医さん早くこの子を助けて下さい」と声をしぼって、衣服がぼろぼろに破れた母親が飛び込んで来た。丁度全身に大小数百のガラス片が皮内に深く浅く喰い込んでいる。」

青年の治療中であったが、母親が抱いている子供をみると既に呼吸は止まり、だらんと母親の両手らたれ下がっていたという。

母親は視力を失っている。

そこで医師はこう話されたという。下「」引用。

「よしよし、子供たちは充分治療してあげるから安心しなさい」といいながらか看護婦に目くばせをして、母親から子供をうばうように別室に移した。その婦人は「有り難うございます。ここまで連れて来た甲斐があった。ありがとう」といいながら後は声にならず、その場にへたへたと坐ってしまった。」

誠実さから嘘をつくことは、医療の現場でもよいこととされている。

しかし、現代は悪意のある嘘をつく人が多い。

火傷の患者が多いので、ピーナッツ油とタルクを入れて混合し塗剤を作ったという方もおられました。

「あの頃」というタイトルで、原田東岷。下「」引用。

「私は八月六日には台湾にいて原爆には遭わなかった。肉体的にはそうだったが、バーバラ・レイノルズさんがいったように「精神的には」被爆者かも知れない。」

原田東岷の家は、爆心地から100メートルもなかったという。
現在の慰霊碑のところで、何も残らなかったそうだ。

日本に帰国したのは、翌年の昭和21年3月。
マラリアと栄養失調で20キロも痩せていたという。
27歳のときからの長い召集生活。

--それは無意味な開戦、
幸福追求の無視、かきたてられる復讐心、
残酷な公然殺人への共犯。
そして、最後に虐殺の町に戻ってきたという。

黄色くシナビタ自分の足をみて、
「もし動けるようになったらこの死滅した町のために、又そこに住もうとする人達のために余生を捧げて見たい」
その時、原田東岷は34歳になったばかりだったという。



原爆日記-第I集-





Index





エンタメ@BlogRanking