磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

鱧男の小説などをUP。環境問題に戦争・原発を!環境問題解決に民主主義は不可欠!

2度目の夏休み 楽しいノコベン!

2011年07月31日 | 短編など
2度目の夏休み
楽しいノコベン!



一、ああ、明日から夏休み、うれしいな!


「ねえ、引っ越しするの?」

女の子が三人よってきた。

「プレゼントあげるよ」

「いらないよ」

「引っ越しするんでしょう」

「しないよ。プレゼントいらない。ほしくない!」

するのはボクじゃなくって、親だ……。ボクはついていくだけ……。心のなかではそういった……。

「そうなんだ、よかった……」

明日から夏休み、うれしいな。

二、分校でさよなら先生!


四年生になると、また本校へ通っている。児童数が多いから、分校と本校にわかれているだけで、どちらも京都市内にある……。

夏休みの当番で、一年から三年まで担任をしてくれた仲川先生がいるので、会いにいくと母。

「ついて、らっしゃい。お世話になったんですからね」

「はい」

分校につくと、お茶をだしてくれる先生。

「引っ越しされるんでしよう……」

「はい、今度、府下のほうへ」

「女の子たちが、引っ越しするかしないかで、私のところまで来たんですよ」

「引っ越しするでしよう! 挨拶しなかったの?」

「うん」

「わかった! お別れ、さみしいから、あいさつできないのね」

「うん」

「さすがは、仲川先生。うちの子どものことをよく御存知で、ありがとうございます。先生が担任でなくなってから、またも、おとぼけが多くなって、なかなか……」

「おとぼけじゃなくって、いろいろ考えてるのよね」

「うん」

「あの先生は、よくいろいろと考えさせるのよ。上級生になったんだから、そのほうがいいのよ」

「そういうもんですか……。おとぼけじゃなくって、いろいろと考えているんですか……」

「たまに、おとぼけもありそうですけど……」

仲川先生は思い出し笑いをはじめて、お腹をおさえてわらっていた。

「どうされたんですか?」

「えっ、ちょっと思い出して、ほんとう、楽しい子どもさんですわ」

笑っているのをやめて、真剣な顔の先生。

「引っ越しするんですからね、女の子たちにあいさつ、先生からしておくね」

「うん」

「友達の分も、ここで、お別れのあいさつしてね」

「……」

「泣くのね……。わかった、わかった。だから、おとぼけくんだったのね……」

「やんちゃだと思うと、また小さな時みたいに、泣くんですよ」

「いいんじゃないですか? かわいらしくって……」

「そういってくださるのも、仲川先生くらいで、今度の担任は男性で、若い先生! どうなってしまうんでしようね。うちのおじょうさま……。まだ、泣いているのね。止まらないものね……」

「止めるとよけいに大きな声でなくから……」

「放っておくのが一番! 感情過多なんでしょうね……」

「先生にだけでも、さようならって言おうね」

「さ、よ、な、ら……」うぇ~んと肩をふるわせて泣く。

でも、母と仲川先生だけしかないのを確認してから泣いていた。

「悲しいのも漠然と悲しいでは、かなりつらいでしようね。作文とかとくいなんですから、おかあさん、こういうことも書いて、頭のなかを整理させたほうがいいですよ」

「そうですね。ありがとうございます。最後まで、お世話になりました」

「泣き虫はこまるけど、でも、大人になっても、泣いていてほしいわ」

仲川先生も泣いていた……。

自分であいさつができたのは、犬のジョンと、佐野のおばあさんだけだった……。

二人とも泣かないから、よかった……。でも、ボクはあいさつしたあと、ずっと泣いていた。

バカみたいによく泣く子だったけど、人が見てないところでなるべく泣いていた。

三、田舎の学校


それにしても暑い!

片道、2キロの道をあるいていくのはつかれる……。

田んぼばっかり!

空気はいい!

--でも、ザリガニはいるなあ……。

おたまじゃくしも、カエルも……。

「何か、におうね」

「牧場があるのよ」と母。

「ほんとだ! 牛がいるよ」

--これでも、京都である……。

もちろん、京都市内ではなく、府下と呼ばれる……。

あるいは南山城……。

--田舎道は自動車も通らず、まんなかを歩いていく。

あぜ道には、蛇がいたりする……。

「まむしもいるんだって、気をつけてね」

「毒蛇だよね」

こわいけど、何か楽しい。

いっぱいの家がたっているより、好きだ。

--集落があって、そのまわりは田んぼや畑。

2つめの集落のなかに、めざしている小学校がある。

「ここよ! きっと」

フェンスがはってあるから……。母はそう思ったのだろう……。

古い平屋建ての校舎……。

そして、そこをとおって、神社がある方向へいく。

小学校の正門だ。

小さな庭はきれいで、両側に平屋建ての木造の校舎。

まんなかには、鉄筋コンクリート平屋建ての校舎。

入口には、歓迎の看板がある。

そして、下駄箱……。

母は待っておいてといって、真中の校舎のなかへ。

--ぼくは小さな庭を歩く。

二宮金次郎の銅像……。

歩きながら、漫画よんだら、叱られるんだぞ!

見つかるとだけどね……。

--都会は、上靴なんてなかったけど……。

上靴がいる……。お客さまようのスリッパがおいてある……。

ピカピカの床……。

生徒たちが雑巾掛けをする。

まるで時代劇! そんな生徒のひとりに自分がなるとは思わなかった……。

京都といっても、都会と田舎ではちがう……。

--母が出てきて、なかに入り、教頭先生と三者面談。

やさしい女性で、学校を案内してくれる。

体育館もあるし、プールもある……。

「京都市内にいるときは、学校にはプールはなかったんですよ」

「そうですか? じゃ、水泳の授業は困るかもね」

「水泳学校にいっていたので、一応は泳げます。でも、水はこわいみたいです」

「水はこわくて当たり前! このあたりでは、毎年、どこかの小学生が水死しています。ちかくにある木津川や、ため池で泳いで、亡くなります。こわくて、よかったです」

「いい先生だ!」と、ボクは笑った……。母も女の教頭先生は人格者だと喜んでいた。

「すべての学年が一クラスですから、みんな家族みたいなものなんですよ。全校生徒の名前を覚えている子どもも多いですよ」

たくさんのクラスがあった、市内とは大きく異なる……。ひと学年で、この学校より人数多かった市内の学校……。

--団地ができるまでは、2学年で1クラスだった学年もあったそうだ……。

団地ができて、そこに引っ越してきたのが、ボクの家族……。

団地もんと、地元の人にきらわれる立場であったようだ……。

でも、団地もんは都会の人間だから、地元の人たちはバカにされたくなかったみたいだ……。

バカにされるボクは、すぐに地元の子どもたちと仲良くなった……。

いきなり、お笑いをかましたようだ。

それは、別の日のこと……。

--ぞろぞろと団地から、学校まで……。

初日はPTAつき!

学校では、集団登校をすることを教えてもらう。

集団下校と、集団登校!

都会では考えられない、大名旅行!

みんなで行列つくって歩いていく。

六年生が集団登校のリーダー!

--上履きなんて、幼稚園いらい。

幼稚園は好きだったので、うれしかった。

自然もいっぱいだし、近所に神社もあるし、本当、幼稚園みたい!

たのしいね。

四、夏休みの宿題はないよ!


夏休みの宿題の提出日……。

みんな出していく。

出せないのは、ユウジとトモヤ……。

「おまえたちは、いつも、やってこないな!」

欽一ちゃん先生は、おこっているけど、目がたれていてやさしい感じがする。

「転校生たちも、提出してください」

他の転校生は出していく。

「あれ、君は?」

「夏休みの宿題はないよ!」

「あれ、京都市内から来たんだよね。京都で夏休みの宿題のない学校ってなかったと思うよ」

「でも、前のはやめたから、関係ない」

「えっ、関係ないの?」

「うん! かたるくって、やってられない」

「おいおい、ユウジとトモヤの仲間がふえたよ」

教室中が爆笑のうずだった……。

「夏休みの宿題をかってになくすなよ」

「おもろい奴! おれも引っ越ししたとき、同じこといってやろうと!」

「いい考えだよね」

欽ちゃん先生は、まわりの生徒にもあきれていた。

「なあ、夏休みの宿題はやってもらう。いいですか! 必ずやってもらいますよ」

先生はいかっている。

「また、夏休みもらえるんだ! やった!」

ボクはうれしかった。

「また、夏休みもらえるって、夏休みの宿題なら、夏休みでないと! そのとおりだよね」

ユウジがよろこんでいる。

「明日から、学校お休みだ」

「えっ、ユウジたち、うらやましい!」

「そんなことあるわけないだろう!」

欽ちゃん先生は頭をかかえている。

「ノコベンだな」

当時はノコベンなどというのは、当地ではいわなかったけど、ノコベンという言葉は好きだ。ノコベンは心配ごとがなかったら、けっこう好きだった……。

「あれほど、いったのに、トモヤとユウジ、それに転校生! ノコベンだ」

「新婚なのに、先生かわいそう!」

--ノコベンが決まり、母に話す。

「あら、熱心な先生なのね。おもしろいだけの担任じゃないのね。よかったわね」

「うん、けっこう厳しいらしいよ」

「しっかりノコベンがんばるのよ。終わるまで逃げ出さないでしっかり楽しみなさいよ」

五、ノコベン


掃除がおわると、ノコベンがはじまる……。

欽ちゃん先生がきて、三人机を並べてすわるようにいう。

「おまえら、大サービスなんだぞ」

「いらないよ、そんなサービス」

「そういうなよ。これでも、生徒思いなんだぞ」

「宿題ないほうがいいよ」

「勉強しないとなあ。よし、するぞ」

丁寧に教えてくれて、まるで授業みたいだった。

宿題って感じがしなかった……。

--翌日は先生は忙しくて、優等生のトモちゃんが先生役をしてくれるそうだ。

でも、錦ちゃんみたいに、ならべてなんて、嫌だそうで……。

わからないことがあったら、言ってと話していた。

それでいいと欽ちゃん先生は話していたそうだ。

ボクは窓がわの席にすわって、へちまがあるのを見ていた。

木漏れ日っていうのがとてもきれいだった。

「何、見ているの?」

エリちゃんがいうので、木漏れ日と話した。

それで、四人で絵をかくことにした。

どの勉強をしていいのか言われてなかったので、自由に工作の授業にした。

2キロも通うので、絵の道具はロッカーにおいていた。

勉強という感じはぜんぜんしなかった……。

--その翌日は欽ちゃんがきて、国語の授業……。

ときどき、錦ちゃん先生は職員室に呼び出されて行く。

「何、ドジふんだんだろうねえ」

三人のドジは笑っている。

そして、ユウジとトモヤはゲンジをだしてきて、闘わせてあそんでいる。

「すげえ、でっかい、ゲンジ!」

「ノコギリ、クワガタっていうんだぞ!」

「そうか。都会もんには珍しいんだな!」

「そんなこともないけど、こんなに大きのはいなかった!」

「そうか、今度、とりに行く時、いっしょにいこうぜ!」

ノコベンはとても楽しかった……。

--その翌日は忙しくって、優等生の室田さん。

「トモちゃんの時、絵かいたんでしょう?」

「うん」

「楽しかったっていっていたわよ」

「そうだよね」

「まあな!」

「セミのヌケガラって、きれいだよね」

「本当かよ」

「いがいにきれいよ」

「本当だ」

「アマガエル、かわいいぜ」

トモヤが出してきた……。

「かわいい、分校にもアマガエルいたよ」

「おまえ、分校なんかに通っていたのか? 田舎もん?」

「京都市内だけど、山のなか!」

「おれたち、丘の上!」

「丘の上にすんでんだぞ。それも、古墳の上にすんでんだぞ」

「今度、遊びにこいよ。飯だしてやっから!」

ノコベンは楽しく、夏休みはもらえないといわれたけど、夏休みみたいだった……。

やはり友達のいる方が楽しい!

六、プールだ!


トモヤは宿題を女の子にやってもらって、ノコベンはなくなった。

ユウジは女の子にやってもらうなんて恥だと続けている。

熱いので、欽ちゃん先生は、放課後プールを1時間開放するという。

これは、ボクらを、がんばらせるニンジンだということらしい。

もちろん、放課後楽しませてくれることが一番だと思うけど……。

特にボクは何を考えているんだ! と先生は思っているらしかった。

ユウジもプールに入りたくて、早く算数をとこうという話しになった。

ぼくはスラスラとといた……。

ユウジは女の子じゃなくて、男からだったらいいやと、それを写した……。

そして、プールに急いだ。

欽ちゃん先生は、「やっぱりできるんだ」とつぶやいた。

授業ではもっと、むずかしいの解いているから、当然といえば当然だけど、どうして解かなかったの?

しっかりノコベン、楽しいノコベン! 最後まで楽しかった。

「いろいろ楽しんだね」と、欽ちゃん先生は笑っていた。

母もよろこんでいた。

だけど、宿題はやらないといけいないと注意された。

(※)このストーリーはボクをモデルにして書きました。エヘヘヘ……。



週刊金曜日 2011-4-29 2011-5-6 合併号

2011年07月31日 | 読書日記など
『週刊金曜日 2011-4-29 2011-5-6 合併号 』
   平井靖嗣・編/金曜日2011年

特集名 原発なくても生活できる



「今週の表紙」 下「」引用。

「栃木県那須町にある非電化工房。「電気をたくさん使わなくても幸せになれる」ことを体感できる場だ」

「自然エネルギーへの転換を求める 大規模パレード東京各地で開催」

「つくろう! 脱原発社会」集会(原発とめよう東京ネットワーク主催)。

「沖縄戦「集団自決」への軍の関与求める 最高裁で大江(*健三郎)側が勝訴」 下「」引用。

「この裁判において、陳述書を提出していた元『沖縄タイムス』社長の新川明さんは「大江さんたちの勝訴は当然。沖縄戦の教訓としての今後の課題は、裁判では争点にならなかった日本国の沖縄に対する歴史的な差別の構造の追求と、軍隊は究極的に住民(国民)を守らない、という本質的な議論を深めること」だと語った。」

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「特別寄稿・懸念される世界的規模のがん増大」フェレンス・ダルノキーベレス(米モントレー国際大学不拡散研究所研究員)。

「特集 原発なくとも生活できる」飯田哲也。

「ナショナルグリッドで電気を消費者の手に取り戻せ!」平田剛士。下「」引用。

「福島第一原発事故では、各電力会社の独占状態になっている電力事業の実態があだになった。発電と送電を切り離し、もっと小規模に、もっと自由に電気を選べるようにしよう。それがナショナルグリッド構想だ。」

「生協の生鮮食品を測定しているNGOが警告 食品の放射能汚染が止まらない」鈴木千津子。下「」引用。

「チェルノブイリ原発事故をきっかけにして二○年以上も休むことなく独自の食品放射能汚染検査を続けてきたNGOのたんぽぽ舎。福島原発事故後に検査したデータが、このたび公表された。-略-」

「水平分散型の社会構造を 脱石油、脱原発への道筋を示すとき」菅野稔人(哲学者)。下「」引用。

「垂直統合型の脆弱性
 -略-原発に依存した垂直統合型の電力供給システムは、電力会社の独占体制と密接に結びついています。全国に一○社ある電力会社がそれぞれの地域を独占し、発電と送電すべてを囲い込む体制は、電力の安定供給ということを理由に国策として築かれてきました。原発も独占体制もすべてこの「安定供給」の御旗のもと許されてきたのです。-略-」

「戦後史の中核にある“原子力文化”からの脱却」対談 金平茂紀・斎藤貴男。
「戦後史のタブー「核と米国」」 下「」引用。

「斎藤 僕は、原発そのものももちろんなのですが、原発を求める価値観、経済成長一本やりの価値観が戦後史の中核を貫いてきたことの悲しさをつくづく感じています。日本経団連の米倉弘昌会長は、福島第一原発の事故について「一○○○年に一度の津波に耐えているのは素晴らしい。原子力行政はもっと胸を張るべき」と発言したとか。現実に人生を狂わされてしまった人々があれだけいるにもかかわらず、そこまでの暴言が吐けてしまう恐ろしさですね。-略-
斎藤 で、「日本の力を、信じてる」。がんばらなきゃどうしようもないのはわかるにしても、問題はがんばる方向性なのに。
 でも、僕は、このまま無責任を決め込んだままになんか絶対にさせるつもりはない。あまり人間をナメきったふざけた野郎らはどうなるのか思い知らせてやる。」

「原発を推進した「御用学者」たち 政府・電力会社との癒着の構造を斬る」成澤宗男。
--田中知・教授。下「」引用。

「田中教授は「イニシアチブ」のホームページで、福島第一原発事故について「深甚かつ重大に受け止めております」と述べてはいるものの、「今後はあらゆる事態に直面してもなお対応が可能な、頑健なシステムを持つことこそが求められております」と主張する。これほどの大惨事になっても、また新たな「原発安全神話」を作ろうということなのか。」

--班目春樹。下「」引用。

「2007年に-略-。だが地震で停止した柏崎刈羽原発の調査も実施しない前から「運転再開は1年後」と発言し、地元から罷免要求の声があがった。-略-原発事故で、「正しい」「割り切り方」があるとまだ思っているのか。」」

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--鈴木篤之(原子力安全委員会前委員長)。下「」引用。

「2006年から昨年まで委員長を務めながら、退任後は高速増殖炉「もんじゅ」の開発を進める日本原子力研究開発機構(旧動燃)の理事長に天下りした。90年代に原子力委員会の高速増殖炉開発計画専門部委員をしていた縁だが、こうした人物が原発をチェックできるのか。委員長時代は「(原発の安全性について)改善の余地はあまりない」「危ぐしているのは、何か起きるたびに原因究明、再発防止策を図るパターンが続いていること」(『電気新聞』09年5月8日号』などと、驚く発言をしている。現委員長以上に福島第一原発事故の責任が問われているが、「国民にたいへん申し訳ない」(4月6日の衆議院経済産業委員会)と口にしながら、肝心の「もんじゅ」の今後については無言だ。」

衣笠善博(東京工業大学名誉教授)。下「」引用。

「浜岡や志賀、島根、柏崎刈羽などをはじめとした原発立地場所の断層評価に何度も関与し、活断層の存在を隠したり、意図的に過小評価するなど、旧通産省の技官時代から悪質な行為を繰り返してきた。技官時代は、六ヶ所村核燃料再処理施設の現場に活断層が走っている事実を知りながら、その存在を隠蔽。-略-神戸大学の石橋克彦名誉教授は、「電力側と審査側の双方に、同じ少数の専門家が深く関わっている」と批判するが、これは衣笠氏を指す。」

「原子力行政に入り込んだ「御用学者」リスト」あり。
--京大原子炉実験所の中島健(教授)と藤川陽子(准教授)の名があった……。でも、属しているところはちがうのかもね?
「京都大学原子炉実験所の原子力安全研究グループは
もともと6人で構成されていました。
ただ、現在、現役は今中さんと私の2人だけになって
います。」「7月27日 同僚・今中哲二氏の講演によせる小出裕章氏のメッセージ」より。

「東電福島第一は「ポンコツ」原発群だった」本多勝一。









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原発と次世代エネルギーの未来がわかる本 洋泉社MOOK

2011年07月31日 | 読書日記など
『原発と次世代エネルギーの未来がわかる本 洋泉社MOOK』
   漆原次郎・著/洋泉社2011年

注記 「図解次世代エネルギーの基本からカラクリまでわかる本」の改題,大幅な増補改訂



「政治家とマスメディアが“原発大国への道”をつくった」
アイク、中曽根や正力のことが書かれてあった。

「終戦直後、アトムは“偉大”で“人気者”だった」 下「」引用。

「1947年2月10日、新聞に掲載された「アトム」の解説。「偉大なアトミック・ボーム(原子爆弾)」「科学の最も華々しい舞台である原子物理学」「アトムが人気者となって」など、原子力に好意的な表現が並ぶ。南日本新聞記事より。」

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「世界で最も危険」な浜岡原発ついに停止へ」

在日フランス大使館の退避勧告。下「」引用。

「3月13日、在日フランス大使館が在日フランス人に対し関東地方からの退避勧告を出したことが報じられると、国民の中にも関西以西へ「疎開」する人たちが現れた。」

「捻出するもの」エネルギー保存の法則。下「」引用。

「このエネルギー保存の法則が示す意味は「何もないところからエネルギーは創造できない」ということだ。エネルギーは「創るもの」ではなく、「捻出すもの」といえる。」

日本↓「太陽電池の世界シェア」 下「」引用。

「05年以降では、シェア上位に入っていた日本企業が落ちはじめ、ドイツや中国、台湾などの新しい企業が勢いを伸ばしている。」

「石油メジャーもバイオエタノールに注目 世界のバイオ燃料関連企業」

「海洋温度差発電のしくみ 海面近くの水で液体を沸騰、深層水で液化」

「グリーン・ニューディル経緯と各国の政策」 下「」引用。

「多くの国がグリーン・ニューディル政策をとるようになったのは三つの背景がある。一つ目は、08以降の雇用不安だ。環境分野の産業を創出することで失業者などの雇用先をつくる狙いがある。二つ目は、地球温暖化対策の必要性だ。国連や国の政策的主導が重要で、それには大規模投資も必要となる。三つ目は、再生可能エネルギー市場への期待だ。価格が不安定な原油に頼らず、エネルギー源を多様化することの必要性が認識され、再生可能エネルギー関連分野が有望視されている。」

「エネルギー資源大国「日本」への道筋をつくる」下「」引用。

新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)はエネルギー関連の各種ロードマップを発表している。-略-」








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【ニュース】原発の町でいまも娘を捜して

2011年07月30日 | 読書日記など
NHK G 2011年7月29日

合同慰霊祭での追悼の言葉が重いです。

【ニュース】原発の町でいまも娘を捜して


震災直後の3月下旬。

行方がわからない家族をさがす男性……。

父、妻、それに次女……。

6人家族のうち、3人が行方不明になったという……。

コンビニなどに手作りのポスターをつくり手掛かりをもとめていた……。

それから、4か月……。

無事だった10歳の長女は岡山の親戚へ避難……。

母と避難先で暮らしているという。父と妻は2か月以上たって、DNA鑑定で判明したという。

娘はまだ見つからず……。

警戒区域には住民も自由に入ることはできないという。

警戒区域内に入り、遺品の整理をするボランティアで入ったという。ファミリー・アルバムを発見、200枚の写真があった……。

思い出の物があれば、癒されるという……。

写真から放射線が出ているという。

子どもに手に触らせたくないので、燃やすという……。

【福島 大熊町】合同慰霊祭 今月24日。

高い放射能で娘をさがせず、福島を去る父は防護服を着て、みなの前で追悼の言葉。

「人にとって命がいちばん大切なもののはずなのに、

リスクを犯して裕福な生活を手に入れようとしたり、

他人にリスクを背負わせて、その上であぐらをかいていたり、

さらにはそのリスクに気づかない人もいます。

おかげで、あなたたちを捜すこともできず、

ほったらかしにしておくしかありませんでした。

もう二度と後悔しないよう、

あなたたちが残してくれた家族を守りながら生きていきます。」

【一年後】震災1年 20キロ圏内のいま 収まらない憤りと次代への希望

2012-3-23

2012年3月15日






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週刊金曜日 2011-4-22

2011年07月30日 | 読書日記など
『週刊金曜日 2011-4-22』
   平井安嗣・編/金曜日2011年

特集名 命より電力なのか



チェルノブイリのデモ……。下「」引用。

「四月一七日、まだ寒さの残るウクライナの首都キエフでは、チェルノブイリ原発元作業員約二○○○人が、ロシア政府に対するデモを起こしていた。不十分な医療費補助や年金の減額に対して、二五年たった今でも、当事者たちは生存権獲得へむけて抗い続けている。」

目 次

学童疎開を要請したい。下「」引用。

「フランスの独立系放射能測定機関ACROと「福島老朽原発を考える会」が四月上旬に行なった福島県放射線モニタリング調査によれば、福島市を含む県北・相双の小学校や幼稚園などの校庭で、サンプリングのうち二割で大気中(地上一メートルからむ計測)から毎時二・三マイクロシーベルト以上の放射線量が検出され、土壌でもヨウ素、セシウム137の汚染が高いことが確認された。代表の阪上武さんは「学校単位の学童疎開の検討を行なうように、各自治体に要請した」と警鐘を鳴らす。」

グラウンドから消えた子どもたち……。下「」引用。

「福島市の教育委員会は、同市にある二一の公立学校の屋外での活動のすべてを停止させている。今月六日に始業式を迎えた福島第一中学校では、3・11以降、グラウンドから人影が消えた。陸上部の生徒たちは、廊下にハードルを並べて練習に励んでいるという。」

政治災害=「新基準」 下「」引用。

「原発大国フランスの『ルモンド』紙(三月二四日付)は、パリ大学ポール・ジョバン准教授のインタヴューを紹介し、作業員の被爆量を上限引き上げが、「補償請求から免れるための方便である可能性」を指摘し、異議を唱えている。健康を脅かすような「新基準」の設定は、自然災害と同等、あるいはそれ以上深刻な、政治災害をもたらす危険性がある。遅すぎた「レベル7」の発表といい、納得のいく説明もないまま引き上げられる被曝限度量といい、納得のいく説明もないまま引き上げられる被曝限度量といい、日本の民主主義は、事故のあった原発施設以上に汚染されているのではないか。」

「福島第一原発二○キロ圏内をゆく
防護服の報道陣と防護服なしの幼児」永尾利彦(写真・文)。下「」引用。

27「役場近くでも六・四マイクロシーベルト。だが、道路脇では三人の住民をなごやかに談笑していた。
「かなり高い放射線量が出ていますが」と話しかけてみた。三人のうち一人の男性(六一歳)が答えた。
「一度は自主避難したけんど、生活できないっぺ」
 その男性の四歳になる孫が、役場で配られたという水のペットボトルを持って家から出てきた。幼児が防護服も着ないでこんな高濃度の中で生活している。一・三マイクロシーベルトで防護服を着ている機動隊員と報道陣。六・七マイクロシーベルトで何の防護もしていない飯舘村の幼児。守るべき者の優先度が倒錯している(注2)。-略-
(注2)その後、飯舘村は村独自の判断で、四月一三日から三歳未満の乳幼児やその保護者、妊婦の村外避難を始めた。」

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波江町からの原発避難民。下「」引用。

「波江町から、福島市に避難してきた松本重子さんの言葉は、今も私の心を揺さぶる。
「国も東電も肝心なことは言わない。私たちは見捨てられたんだ」」

「原発の“長所”強調してきた副読本 高木文科相「見直し」明言」

「フィンランド 福島事故の影響で原発支持率低下 一方「自国の原発は安全」も多数」

「まさか! 原発で暮らす避難者たち
宮城県や女川町はなにをしているのか」本誌取材班。下「」引用。

「東北電力女川原発(宮城県女川町)にいまも多くの避難者がとどまっている。大震災発生直後に“緊急措置”として逃げ込むのはやむを得ないかもしれない。ただ、一カ月以上経ったのに、子どもたちを含む多くの人々がなぜ今もいるのか。」

「都市部を特別管理地域に」高田久代。下「」引用。

「加えて同じ線量でも人口密度が高ければ高いほど、健康被害のリスクが統計的に増すにもかかわらず、住民に知らされていません。約六○キロ離れた人口密集地の福島市や郡山市では、場所によっては一時間あたり二~四マイクロシーベルトという高い数値が出ました。これだと、二五○時間~五○○時間、つまり数週間で年間被曝限定量を超えてしまいます。
 チェルノブイリ事故では、周辺地域で避難指示が示された際の基準となった年間限定量が五ミリシーベルトでした。そうすると県の都市部では、五○日から一○○日程度でチェルノブイリ事故当時の限定量すらも超えてしまう計算です。
 しかしながら私たちの調査スタッフは、住民が正しい情報を与えられておらず、マスクすらしないまったくの無防備で外出するなど通常通りの生活を続け、子どもたちが屋外を走り回ったり、土をいじったりしている状態を目にして衝撃を受けました。汚染防止のマスクを身に付けた私たちスタッフの姿が、住民にとっては奇異に映っているほど。できるだけ速やかに、放射線の影響を受けやすい子どもや妊婦の優先的な避難が必要です。-略-
 チェルノブイリ事故では少なく見積もっても、これが原因でがんや白血病などで四○○○人が亡くなられたとされます。私たちの試算では二五万人ですが、チェルノブイリよりも今回の事故の方が、汚染地域の人口がはるかに多い点に留意せねばなりません。」

「市町村を侵食した“原発マネー” なぜ自治体は原発を受け入れたのか」 下「」引用。

「住民の安全と引き替えに、自治体が得てきたものは何か。そこには一度味を占めれば止められない“原発マネー”のうま味がある。」

「原発マネーで潤った大熊町と一円も入らない南相馬市」

「原発に歯向かって“抹殺”された佐藤栄佐久前福島県知事に聞く 原子力政策全体の体質・体制が問題」

「原発幇間」に卑劣が上塗り 蟹瀬さん、あんたは酷すぎるよ」北原みのり(ラブピースクラブ代表)。下「」引用。

「「逃げた。とにくか逃げた」国際ジャーナリスト蟹瀬誠一のブログ“世界の風を感じて”より(三月二九日)。
「完全無欠な機械も人間も存在しない。だから事故は必ず起きる」
 そんな蟹瀬氏は、今、世界のどこかで風を感じていらっしゃるかもしれないが、ここまで卑劣な男が存在することに、私は大袈裟でなく、恐怖しています。
 蟹瀬さんさ、あんたがメディアで喧伝してきた「クリーンエネルギー」の落とし前、なぜつけない? もちろん逃げたっていい。でもせめて黙ってお逃げなさいよ。「逃げた。とにかく逃げた」ってり、かっこつけるなよ。ましてや、「事故が起きた場合のリスク管理(中略)を主張し続けてきた」とか、まるで脱原子力発電派だったかのような嘘までつくなんて!
 原発幇間のジャーナリストやタレントたちは、東電が雇う専門家たちに、きっとものすごい勢いで洗脳され本気で原発の安全を信じちゃったんだろうな、と思っていた。たとえば勝間和代氏は、3・11後もブログで「原子力のリスクの大きさ(中略)は人によって感受性が違いますので、許容すべきと言い切れないでしょう。しかし、だからといって、全否定をしても、何も進まない」とか、「(地震や津波での)死者の数に比べ、(原発事故の)報道は大きすぎる」とテレビで発言していた。狂ってるし、勉強不足だし、どうかしていると思うけど、筋は通っている(その後、認識が甘かったと発表)。
 だからこそよけいに思う。本気で信じていないものを、喧伝し続けた蟹瀬氏の酷さ。原発幇間に卑劣が上塗りされたら、もう人に対する絶望しか見えてこない。これはあまりに酷すぎる。」

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