ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

Remember The Time

2010-01-30 03:29:24 | Weblog
いまさら確かめようもないんだけど、もしかして、と思うことがある。

最近、マイケル・ジャクソンにハマっている。
私の心の中に、彼の歌がこんなに浸透しているなんて、自分でも驚いている。

アルバムを聴いていたとき、
「Remember The Time」という曲が、妙に心にとまった。

ウィキで調べてみると、1992年リリースだった。
私が大学2年生の時のリリースか。
当時、私には音楽を聴くような余裕がなかったので、
たぶん日本では、この曲を聴いていない。
というか、聞いていたとしても、耳から脳に届かなかっただろう。

でも、もしかしたら、私はこの曲を、
マイケル・ジャクソンの歌とは気づかずに、
1993年に、北京で聞いていたのではないだろうか。
当時娯楽らしい娯楽もなかった北京で、
毎週水曜日の夜、崑崙飯店というホテルに、大学からシャトルバスが出た。
夜から明け方まで、そこのディスコ(当時は、こういう名称だった)に、踊りに行った。
水曜はレディースディで、無料。

中国のホテルではあるけど、
そこでは欧米人が選曲していて、中国人はいなかったから思い切り遊べた。
だんだん中国人が増えてイヤになり、次第に行かなくなったけれども、
最初の頃は入り浸って、ずっとずっとずっと踊っていた。
翌朝、中国語文法の授業が朝7時30分から始まるというのに、
4時くらいまで踊っていたような気がする。
おかげで、中国語の文法は身に付かなかったけど。

聞けば聞くほど、北京で踊りながら聞いたような気がしてくる。

当時、北京ではものすごいホームシックにかかりながらも、
10年後、20年後、私はこの北京に留学した1年を、
いったいどのように思い出すのだろう、と思っていた。

いま、毎日思い出している。
北京に行くと、逆に当時の北京を思い出し、ホームシックになる。
あの頃は、早く北京が東京に追いついて、
暮らしやすくなるようにと、あれだけ望んでいたと言うのに。

まさに「Remember The Time」だ。
この曲は、北京で出会った、としておこう。

数えずの井戸

2010-01-29 19:55:29 | Weblog
京極 夏彦著、中央公論新社刊。

「番町皿屋敷」。
帯にある「数えるから、足りなくなる」は、なんとも意味深長なことばだ。

昔話には、もともと現代に通じる人のサガが織り込まれているものだけど、
舞台設定は江戸時代なのに、まるで今のことのように自然に読ませてしまうあたりが、
やはり上手だなあと思う。

ここで描かれるお菊さんは、数えなくても常にこの世は満ちている、と思っている。
数えない。
自分のことはノロマでバカだと思っている。
そして、分をわきまえ、足りている。

私の仕事仲間に、すごく似たような感覚をもった少し年下の女性がいる。
確かに要領はよくないし、シングルタスクだ。
ひたすら自分が直面していることだけに集中していて、ときにその前に言われたことを忘れる。
実直で、素直。さぼろう、なんて意識はない。
言い訳よりも前に、まず謝ってしまう。
そして、他人と自分を比べ、人を妬むことがない。悪口を言わない。
たぶん、その回路がない。

最初に会った頃、本当にこんな人がいるとは信じられなくて、
いつ本性が出るのかと思っていた。
でも、2年経っても、彼女は同じだった。

周囲の人たちは、私のような仕事に効率を求める人間は、
絶対に彼女と一緒にいられないだろうと言っていた。
いまでもそう言われるし、なかなか覚えないから彼女とは一緒に仕事できない、という人も多い。

でも、私は彼女と一緒に、協力しながら仕事をするのが大好きだ。
妬まないし謗らないから、率直に話ができる。
「これは、たぶん私のほうが得意。でも、これはあなたのほうが得意。
だから、こんなふうに分担してできたらいいと思うんだけど、協力してもらえる?」と聞ける。
すると、彼女は何に自信がないのかを、あらかじめ言ってくれる。
その自信がないこと、というのは、世間一般と比較すると非常によくできていることもあり、
本人に自信がないだけの場合もある。

向上心がないのではなく、人一倍ある。
ただ、それが他人への攻撃となってあらわれることがないというだけ。
本人が努力して、こういうキャラクターになったというよりは、もともとそうだったのだろう。
だから尊敬しているとまでは言えないけど、とても好きだ。
もともと、他人と戦う回路がないのだから、かばってやりたくもなる。

いっぽう、この本の大久保の姫君のように、なんでもかんでも手に入れたい人もいる。
頭もいいし、手に入れるための方法も、非常に戦略的にたてられる。
でも、ものごとはいつも戦略どおりに進むとは限らないから、
どこかイライラしているし、うまくいかない理由ばかり考えていて、
それがときに、他人への攻撃となる。
そういう人とは、短期のプロジェクトであったら楽しく仕事ができるかもしれないけど、
常に一緒にいるのは、私には無理だろうと思う。

いま、菊さんのような彼女とは、同じ空間で仕事ができなくなってしまったけど、
いつも「元気にしているかなあ」と気になっている。
でも、私がおせっかいなメールを出したら、彼女が困惑するだけだろうから、
それも出来ないまま月日が流れている。

私は、なかなかなれないのだけど、常に「足るを知る」人間になりたいと思っている。

Twitterで中国語

2010-01-28 17:54:43 | Weblog
今日、友人のためにブログを開設した。
仕事で、お客さんとの接点になるようにと始めるもの。
ある意味で目的がハッキリしている。

私は、比較的マメにブログを書いている方だと思うけど、
書く動機はまったく自分のためで、書きたいことを書くためにある。
仕事で、目的が決まっているなかで、自分の役割に忠実に毎日ブログを書くなんて、
私にはとても無理だと思う。

このブログを始める前は、mixiをやっていた。
mixiの場合、相手の顔をある程度は知っているけど、
それほど親しくないというコミュニティが拡大していく。
私の場合、10数年前の高校の同級生と始めたこともあって、
コメントのやり取りや、「足あと」を残したり残されたりが次第につらくなった。
中途半端に知っているから、ムシができない。
だから、こっそり、このブログに移行した。

いま、つくづく思うけれども、私は友人のブログを読むのが苦手だ。
その当人のことは好きであっても、ブログに書かれる内容にほとんど興味がない。
知っている人なら、会って話を聞けばいいと思ってしまうから。
また、まったく知らない人のブログの場合、
必要事項だけの箇条書きならありがたいけど、ほとんどが全文を読めない。

いまは、だんだんTwitterへの依存が高まりつつある。
ここは、知らない人であっても、自分と同じような興味をもっている人の情報を
分けてもらうことができる。
人間関係で構築されるというよりは、目的や情報で繋がっている。
この距離感が非常に心地よい。
そして、文字数が限られているのがまたいい。
自分が興味のないジャンルの「つぶやき」は、心おきなく読み飛ばすことができる。
文字を読むと言うよりも、面を見るという感覚だ。
電車の中吊り広告に近い。

最近は、Twitterで中国の人をフォローし、コメントで中国語を勉強している。
なかなか有効だ。
ヒアリングはともかく、外国語を学ぶには、とてもいい時代になったと思う。

言われてこまる言葉

2010-01-26 21:30:52 | Weblog
言われてこまる言葉。
たくさんあると思うけど、私は「かわいそうだね」が、一番こまる。

べつに自分のことを「かわいそうなヤツだ」なんて思っていないのに、
他人から「かわいそう」と言われると、どうリアクションしたらいいのかわからない。

ある人:「きみは、かわいそうだねえ」
わたし:「そうなんです。わたし、かわいそうなんです」
あるいは「いえいえ。わたしはぜ~んぜん、かわいそうじゃないですよ」
どう頑張っても、会話として噛み合ってないような気がする。

先日、ある人から「だから、きみはかわいそうだよね」と言われて、
その人とは、今後つきあうのをやめようと思った。
恩を仇で返すようで申し訳ないけど。

いい人なんだと思う。
だけど、一緒にいたら価値観を押し付けられるんだろうな、と、強くおそれた。

正直なところ、これまでに何度か自分のことを「不運」だと思ったことはあるけど、
「不幸」だと思ったことはない。

私にとっての「不運」は、一時的なもので乗り越えられるもの。
そして、そんな自分を少し突き放して見ることができるし、
ユーモアを交えて語ることもできる。

いっぽうの「不幸」は、「不幸」という状況に逃げ込みたいから作り出すもの。
「不運」に比べて、自分で作り出した幻想。膠着した状態。
そして、私にとっての「かわいそう」は、「不幸」に近い感覚。

例えば、ヒマラヤを越えて命がけで亡命して来た子どもたちに、
「不幸だよね。かわいそう」と声をかけたとする。
それに甘える子もいれば、「そんなことないよ!」と突っぱねる子もいるだろう。

突っぱねる子は、本気で自分のことを「不幸だ」などと思っていないだろう。
亡命して来たこと、その道のりを超えて来たことにすごく自負心があり、
だからこれから先も頑張れる、と信じているかもしれない。
そんな瞬間に、「不幸だね。かわいそうだね」なんて言葉をかけることはできない。

それは、こちらが決めつけたレッテルだ。
「この人にはこうあってほしい」というあらゆる願望が表面に出てくる瞬間、
「かわいそうだね」という、一見やさしい言葉になることがある。

言葉のうらがわ

2010-01-25 14:01:28 | Weblog
含みのある言葉というのは、いろいろとあるけれど、
最近、聞くたびにニヤリとしてしまう言葉がある。
それは、「ないわけじゃないよね」という、他人の能力に対する評価の言葉だ。

基本的にセンスというか、技術というか、能力をもってはいるけど、
超級のプロではないし、なれないだろう、という評価。
「持っているものをうまく組み合わせれば、まあそこそこ食べて行けるんじゃない」
ということだろう。
言い方にもよるけど、もしプロから言われた場合は、
若干の侮蔑が込められているような気がする言葉。

確かにこのレベルだと社会的には代替可能だし、先行きは不安かもしれない。
でも、私はこれでいいと思っている。
上を見たらキリがない。
それに、いったいどこに上があるのだろう。どの尺度で比べればいい?

1993年に北京に留学していたころ、
同世代の中国人学生に何かの意見をきくと、「まあまあいい」「悪いわけではない」という、
非常にあいまいな回答が返ってくることが多かった。
私は、「これ好き」「これいいね」とハッキリ言うので、
あるとき中国人の友人から、
「あなたは日本人だねえ。好きと嫌い、いいと悪いをはっきりと言える。
私たちは、いつ足もとをすくわれるかわからないから、
何かに対する評価をストレートに述べることはこわいし、
そういった表現はしないようになってる」と言われた。

もちろん個人差はあるだろうけど、超エリートが言ったこの一言には、非常に驚いた。
そして、確かに中国人は、自分の要求をハッキリと言う人たちだけれど、
何かに対する評価を人前で言うときは、日本人とは少し違った独特の言い回しをすると思った。
発言者という個人を、なるべく希薄にした表現にするというか。
いまの中国では、だんだんに変わりつつあると思うけど。

「ないわけじゃないよね」という表現を聞くと、
その言葉が出てくる根っこは、それぞれの時、人において、
まったく違うところにあるのだけど、中国の友人とのその会話を思い出す。

マーラのささやき

2010-01-24 14:18:05 | Weblog
先日友人が泥酔して怪我をしたそうだ。

よく「酔っぱらって・・・」という話は聞く。
夜中にクルマに当て逃げされた、自分で転んだ、大切なものを落としたなど、
笑い話になるものから、病院通いになるものまで、たくさんある。

私もお酒を飲むのは好きなほうなので、他人事ではないなあ、と思っている。
仏教は好きだし、私の支えになってくれるものだと思うけど、
いざ、修行するか!と思い立つと、
「禁酒は守れないだろう」というマーラのささやきが聞こえ、
いつも捉えられてしまって、踏み出せない。
お酒の味を覚える前に、出家すべきであったといつも思う。

5年くらい前、いい気持ちで酔っぱらっていたときに、
ふと、「ああ、私は足を踏み外して死ぬんだわ」と思った瞬間がある。
なぜか、絶対シラフではなく、酔ってるときに死ぬと思った。
酔って体中がゆるみ、蓄積していたものが流れて行く感じが、
きっと死のイメージに近かったんだろうと思う。
ストレスが流れ去ってラクになることもあるけど、大切なものも同時に流れて行く。
充実した寂寞感。それが私にとっての酔った感覚。

3年前、父が酔って階段を踏み外して亡くなったとき、
「本当に、こんなことってあるんだ」と思った。
確かにショックだったけれども、あまりにも父らしいので
「さいごまで、やりやがったな」という気分だ。
父を失ったことは悲しいけれど、死に方に対しては、まったく文句がない。
これが「生き様」というものだろうか。

最近、友人がお酒に酔ったうえでの失敗談を語り、
ときに恥ずかしそうにしていると、
「たったそれだけの怪我でよかったじゃない。でも、生き恥をさらしたか!」と、
思い切りからかうことにしている。
本当に深刻な後遺症がのこった人には、言えないけど。

私には見えないけど、たまに父の幽霊を見る人がいて、
その人たちには「失敗したよ」と語っているらしい。
お酒に酔った上での失敗談は、話さなければいいのに、話したくなってしまうようだ。
父も話す相手がいて、よかったと思う。

違いすぎるとわからない

2010-01-23 13:50:12 | Weblog
久しぶりに、新社会人だった頃のことを思い出した。
きっかけは、先日「バブル勝ち抜け組」という雰囲気のおじさんに会ったから。

私が大学生だったときにバブルがはじけた。
大卒とはいえ、いい大学でもない女子学生にとっては、
「今年は女子の採用はありません」という通知が、
会社と言うものとの最初の出会いだったかもしれない。

やっと入った会社には、
バブルの残り香をぷんぷんさせた、ほんの少し目上の先輩、
というのが、たくさんいた。
彼らとは、ものすごく話があわなかった記憶がある。

主任、係長、課長、部長と上を見て行くと、
会社や社会に対する視線というのは、人によってこんなにも違って、
いろいろあるものなんだなあ、と思った。

私は中国語が少し話せたおかげで、
新入社員の当時から、新しく始まった中国プロジェクトの一人として、
会社の偉い人たちと一緒に中国へ出張に行く機会があった。
いまから15年くらい前の話だ。
まだみんなが手探りで、しかも浮ついていた。

取引先の人たちもみんな50~60代のおじさんで、決裁権をもち、
中国へ行くのはビジネスと、夜の遊びが目的。
やたらと中国出張に行きたがっていたと思う。

白人の仲間入りをしたかったけど無理だったから、
中国で少し偉くなった気分を味わう、というような雰囲気。
だからといって、なぜ、団体で女性を買いに行くのか・・・。
私はいまでも、そういった心情がわからない。

「本物」の人たちは違ったのかもしれないけど、
私が対中国プロジェクトに関わるのがイヤだ、と思った一番の理由は、
札束で中国人の顔を叩くような、日本のおじさんたちの態度だったと思う。
いまは、そこまで露骨なことをするほど、日本と中国の格差はないと思う。
都市部においてだけど。

いまは私もそんなに純情ではないから、
ビジネスを円滑に進めるためなら、夜、そういうお店に行ったらいい、
とは思うけど、値段交渉は自分でやれ!と言いたい気持ちに変化はない。

そういったことを思い出しながら、振り返ってみると、
バブル中に管理職になった人と、バブル崩壊後に管理職になった人は、
全然雰囲気が違うと思う。
一番違うなあ、と感じるのは、何と言うか、「余裕」みたいなもの。
大企業でバブルの絶頂に成果を上げた人は、
揺るがない自信のようなものをもっている。
これは、バブル崩壊後に管理職になった人の自信とは違う。
いまの管理職の人は、いま成功していても、いつ足下をすくわれるかわからない、
という気持ちがどこかにあると思う。

タイミングとしてバブルのままうまく抜けた人、定年間際でリストラにあった人など、
仕事をしていると、こういったまったく違う世界の人に会うことがある。
先日会ったそのおじさんと会っている外人のみなさんは、
普通の日本人の生活がいまどんななのか、きっと勘違いすることだろう。
なんとなく、ようやく格差社会の到来を肌身で感じ、
テレビなどでみんなが話している格差って、目で見えるとこんなふうなのか、と思った。
いずれにせよ、私の日常とは無縁のような気がする。

これからの仕事のために

2010-01-22 18:43:59 | Weblog
いろいろ考えたんだけど、先日、知人からお話をいただいた上海でのお仕事は、
ちゃんと辞退することに決め、先ほどお断りのメールを送った。

月曜日の夜から昨日まで、すごく心の中が「むにゅむにゅ」していた。
その表面的な理由は、上海の仕事を構成する要素が、
どれも「好きではない」ということだった。

そもそも私は、自分をとりまく物事のうちで、好きではないものが非常に多く、
何かをするときの壁になる。
だから、何とか前向きに考えられないかと思ったけど、
今回は、
・場所
・扱う商品
・周囲の人への信頼(人格ではなくてビジネスとして組むという意味での)
このすべてがマイナスで、
プラス要因はただひとつ、「心配だから」というだけだった。

「心配だから」とは言っても、
現状うまくいっていないものを、一発大逆転させるほどの力量は私にはない。
もう少し若かったら、自分が魔法でも使える気になって飛び込んだかもしれないけど、
ここ最近は、いくらか自分を客観的に見られるようになってきたので、
自分に夢をもつこともなかった。

もし、年俸を1000万円保証してもらえるのだったら行くか。
と自問していたら、友人の1人に「その前に身体こわすよ」と言われて、
確かにお金では解決できないような負荷がかかるよな、と思った。

もしかして私は、彼らが勘違いしているように、
すごく中国でビジネスができちゃう人かもしれない?
と自問していたら、もう1人の友人に「お前のことジャンヌ・ダルクだと思ってんのか!」と
茶化してもらって、やっぱりどうしても引き受ける方向には発想がいかないな、と思った。

そして、「むにゅむにゅ」していた最大の理由は、
私は相手と面と向かって話しているときに、私はちゃんと断ることができない、
という自分の性格に対するものだった。

そうだった。月曜日に話をしていたときから、
私はどうしても乗り気になれなくて、居心地が悪いと思っていたのだった。
あんな気持ちのとき、私は最終的には断るのだから、
最初にちゃんと断ったほうが、相手にもいいだろうと思う。
なのに、それができない。
そういえば、気が強いわりに、仕事になると肝心なときに断れなくて、ストレスがたまり、
ある日大爆発して、それまでの関係をすべて断つ、という人生だったなあ。

少し自分との付き合い方を工夫しよう。

今日もチベット

2010-01-20 13:01:47 | Weblog
チベットについて知り、考えるためには、
中国に併合されたこの60年のことだけではなく、その前の状況も知るべきだろう。
これは、日本が朝鮮半島や満州に対して行ったことについて、
それを直視し、問い直したいと日本人自身が思うのなら、
その当時の欧米を含む世界情勢について知るべきなのと同じことだ。

ということで、『ダライラマの外交官ドルジーエフ -チベット仏教世界の20世紀-』を読んだ。
これは、ダライ・ラマ13世の時代に、ロシア(ロマノフ朝とソ連)、イギリス、中国(清朝と中華民国)と
外交を行ったブリヤート系モンゴル人の評伝だ。

日ごろ、日本を中心とした世界地図を見ている。
特にシルクロードや中央アジアについては、「中国の向こう側」として見るクセがなんとなくついている。
私が学校で世界史を学んだ時は、
たいていが唐朝など中国の王朝を中心とした、人や物の流れとして、説明されていたように思う。

でも、ぐるっと地図を回して、チベットを中心に据えてみると、
あそこはヒマラヤに守られた秘境ではなく、
大陸の東西南北を結ぶ、重要な位置にあることがわかる。
中国の北京なんて右の端っこのほうだ。日本は、それよりも遥かに遠い。

イギリスは、インドの延長として、チベットも手に入れようとしていた。
ロシアは南下を計っていた。
清朝もチベットへの影響力を強めようとしていて、
イギリスとロシアに対し、チベットの宗主権を認めさせることに成功した。

ダライ・ラマ13世の時代のチベットを記録した本はたくさんあるが、
ドルジーエフという人物に焦点をあてたという点は、
特に地理的な意味で、チベットがもつ特徴を、うまくイメージさせてくれたと思う。

まえに、ダライ・ラマ14世が、
近代兵器を持ってチベットに入って来た軍隊を、読経のチカラで撃退するのは不可能だ、
というような意味のことを言っていたことがあるように思う。
チベットの現在は、大国の思惑だけでなく、チベット自身の交渉力にも原因があったと思うけれども、
近代的な軍隊をもたない清貧の国にとっては、とても厳しい道だったろう。

いま、確かにチベット自治区のトップはチベット人だ。
でも、政治的な有力者は、やはり北京の中央政府に認められた軍などの出身者であるチベット人で、
民衆に選ばれた人ではない。
そう言う意味では、チベットだけでなく中国には、日本のような選挙もアメリカのような大統領選もない。
ただ、これを言うと、ダライ・ラマも転生者なのだから、それはなんだ? どんな根拠がある?
となり、言葉につまる。
それが、チベットの人たちが愛する文化だから。じゃないの? としか答えようがない。

中国は、一生懸命にチベットを漢化しようとしているけれど、とりあえず、こう言いたい。
華僑を見てみたらわかるじゃない。
外国へ移り住んで何代たっても、いまだに春節で大騒ぎしている。
どこの国へ行っても中国人は中国人のままでしょう。
いまや池袋にチャイナタウンまでつくろうとしている。
そう簡単に染み付いた文化は捨てられないと、自分たちが証明しているじゃない、と。

フリー チベット その2

2010-01-19 21:43:07 | Weblog
昨日は、あまりに個人的に動揺してしまったため、
ただ「フリー チベット」としか書かなかったけれど、
今日は少し落ち着いて、その理由や最近考えていることをまとめてみたい。

昨日の日中、ちょうど『雪の下の炎』という本を読み終わった。
バルデン・ギャツォというチベットの僧が、
自身の30年にわたる獄中生活を中心に書いた本だ。
中国政府による不当な逮捕、投獄、強制労働などの実態を記録している。
たいへん理知的で、単なる残酷シーンのオンパレードではない。
もちろん、30年にも渡ることなので、記憶違いもあるだろう。
でも、そこでの中国側の行動や詭弁は、他の記録でもよく目にするものだし、
かなりの信憑性があると思う。ぜひ一人でも多くの人に読んでもらいたい。

2000年、今から10年前に、私がチベット旅行のための手続きを始めたとき、
日本の旅行社で、ラサに入るための特別な申請書を書いた記憶がある。
職業の欄に「出版社勤務」と書いたら、受付の人に、
「あ、これ、報道と勘違いされてはねられますから、書店勤務に修正しておきますね」と言われた。

きっとツアーに参加するのなら、そんな申請書は不要なのだろう。
私は入国日は決めていても出国日を決めていない、といういわゆるバックパッカーで、
ラサから出る日も出る方法も決めていなかったから、なんだかいろいろと面倒だったように思う。
ただ、「取材」なんていうカッコいいものではなくて、本当に単なる個人旅行だった。

ラサについたとき、
市街道路の辻には、必ず武装した人民解放軍が立って、市民を睥睨していた。
こんなに解放軍が偉そうにしている土地は、初めてだった。
北京や上海の雰囲気をもとに、ラサを考えてはいけない。改めてそう思った。

ノルブリンカという、昔はダライ・ラマが離宮として使っていた庭園に行った時、
巡礼に来ているチベット人の一行がいた。
私が一人でふらふら歩いていると、子どもたちが寄って来た。
まったく言葉は通じないけど、なぜか妙に打ち解ける。
最初は少し警戒していたけど、下心はまったくないようだったので、
次第にカメラのシャッターを押させてあげたりして遊んだ。
本当に礼儀正しくて、大人も子どもも無邪気だった。

木陰で一緒に、みかんを分け合って食べていたら、
一行をまとめているらしきおじさんが、私の顔をじっと見ている。
なんだか直観的に、私は「あ、ダライ・ラマの写真を見たいんだ」と思って、
周囲に誰もいないことを確認してから、そっとガイドブックに載っている写真を見せた。
交替しながら、みんなで何分間も眺めていたけれど、表情には何もださない。
ただ、見ている。仲間同士で言葉も交わさない。
それまで饒舌に何かを話していた人たちが、急に静まり返った。

一瞬、ダライ・ラマの顔を知らないんじゃないかと、思った。
でも、まばたきするのも惜しいような真剣さで、じっと見つめている。
そして、その後すぐに、これがどれだけ危ない行為なのかを知った。
ふつう日本で、例えば天皇の写真を数年ぶりに見たら、
「あらー、老けたねえ」とか、「元気そうだねえ」など、絶対何か会話をする。
彼らの反応が何もないこと。反応できないこと。これが本当に恐ろしかった。

ジョカン寺の前では、10歳くらいの僧服をまとった子が、周囲をはばかりながら寄って来た。
英語で中国人の横暴が書かれていた。
あの子が英語を書けたとは思えないから、裏には大人がいるのだろう。
でも、そんな理由はどうでもいい。
確実に飢餓は続いている。それがわかるような血色の悪い顔をしていた。
まだ残っていたみかんを2つ、その子の手に乗せた。
パッと瞳が輝いた。
そうだ。特に子どもは、ちゃんとお腹いっぱいにならなければ。

1週間くらいラサをぶらぶらして、
その後、ギャンツェやエベレストのベースキャンプを通ってネパールのカトマンズに抜けた。
多くの破壊されたお寺を見た。僧坊を見せてくれたお寺もあった。
でも、若い人がたくさん戻って来ていた。
というか、若い人が多く、本来ならば彼らを教えるべき年齢層の人たちが極端に少ない、
という印象も強く受けた。
きっと多くの智慧が、途切れてしまったのだろうと思う。

以来ずっと、なんとなく、またラサには戻らなければならないなあ、と思いつづけている。
私が訪れた場所の中で、一番空気が殺伐としていたところ。
到着してすぐ、チベットで中国語を使うことのはやめようと感じ、
下手な英語のほうが、よっぽど気が楽だったところ。

確かに、チベット人の中には、中国国民であるほうがいい、と考えている人もいるだろう。
うまくやっているチベット人も大勢いるだろう。
でも、権力の側にいるから、財力をもったから、だから軍隊が往来の真ん中で偉そうにしている、
自分の住む町がそんなでもいいんだなんて、もし思っている人がいたとしたら、
それは、中国人であれチベット人であれ、あまりにも悲しいことだと思う。
私は自分の故郷がそんな姿だったらイヤだ。

だから、そろそろ自分でもチカラになれることがあったら、
チベットのために、何かがしたいと強く思うようになってきた。
これまでも、亡命したチベットの子どもたちのために、
学費の寄付などはしてきたけれども、もっと積極的な何かがあるのではないか、そう思えて来た。

そんなことを考えていた昨日、夜に会った人たちから、
「上海での仕事を手伝ってくれませんか? メインメンバーとしてお願いできませんか?」
という、たいへん光栄でありがたいお話をもらった。
でも、報道ならまだしも、一般的な商売をしながら「チベット解放」の運動をしたら、
仕事仲間に迷惑をかけてしまうと思う。
それが怖かったので、これまで積極的な行動をしなかった。

それに、中国国内に住んでいる中国人と「チベット解放」の論争をするなんて、想像ができない。
というか、論争にならないような気がするし。

うまく両立させる方法があるのだろうか。
上海なんて共産党のイデオロギーなんて関係ないカオスだから、
「チベット解放!」と言いながら仕事することもできるような気がするけど、
なんとなく、もう少し考えてから行動した方がいいと思う。
これが今日のところ。