ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

今日もチベット

2010-01-20 13:01:47 | Weblog
チベットについて知り、考えるためには、
中国に併合されたこの60年のことだけではなく、その前の状況も知るべきだろう。
これは、日本が朝鮮半島や満州に対して行ったことについて、
それを直視し、問い直したいと日本人自身が思うのなら、
その当時の欧米を含む世界情勢について知るべきなのと同じことだ。

ということで、『ダライラマの外交官ドルジーエフ -チベット仏教世界の20世紀-』を読んだ。
これは、ダライ・ラマ13世の時代に、ロシア(ロマノフ朝とソ連)、イギリス、中国(清朝と中華民国)と
外交を行ったブリヤート系モンゴル人の評伝だ。

日ごろ、日本を中心とした世界地図を見ている。
特にシルクロードや中央アジアについては、「中国の向こう側」として見るクセがなんとなくついている。
私が学校で世界史を学んだ時は、
たいていが唐朝など中国の王朝を中心とした、人や物の流れとして、説明されていたように思う。

でも、ぐるっと地図を回して、チベットを中心に据えてみると、
あそこはヒマラヤに守られた秘境ではなく、
大陸の東西南北を結ぶ、重要な位置にあることがわかる。
中国の北京なんて右の端っこのほうだ。日本は、それよりも遥かに遠い。

イギリスは、インドの延長として、チベットも手に入れようとしていた。
ロシアは南下を計っていた。
清朝もチベットへの影響力を強めようとしていて、
イギリスとロシアに対し、チベットの宗主権を認めさせることに成功した。

ダライ・ラマ13世の時代のチベットを記録した本はたくさんあるが、
ドルジーエフという人物に焦点をあてたという点は、
特に地理的な意味で、チベットがもつ特徴を、うまくイメージさせてくれたと思う。

まえに、ダライ・ラマ14世が、
近代兵器を持ってチベットに入って来た軍隊を、読経のチカラで撃退するのは不可能だ、
というような意味のことを言っていたことがあるように思う。
チベットの現在は、大国の思惑だけでなく、チベット自身の交渉力にも原因があったと思うけれども、
近代的な軍隊をもたない清貧の国にとっては、とても厳しい道だったろう。

いま、確かにチベット自治区のトップはチベット人だ。
でも、政治的な有力者は、やはり北京の中央政府に認められた軍などの出身者であるチベット人で、
民衆に選ばれた人ではない。
そう言う意味では、チベットだけでなく中国には、日本のような選挙もアメリカのような大統領選もない。
ただ、これを言うと、ダライ・ラマも転生者なのだから、それはなんだ? どんな根拠がある?
となり、言葉につまる。
それが、チベットの人たちが愛する文化だから。じゃないの? としか答えようがない。

中国は、一生懸命にチベットを漢化しようとしているけれど、とりあえず、こう言いたい。
華僑を見てみたらわかるじゃない。
外国へ移り住んで何代たっても、いまだに春節で大騒ぎしている。
どこの国へ行っても中国人は中国人のままでしょう。
いまや池袋にチャイナタウンまでつくろうとしている。
そう簡単に染み付いた文化は捨てられないと、自分たちが証明しているじゃない、と。