ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

回転ドア

2012-02-29 23:27:47 | Weblog
ついに3なんだろうか。3月7日。

前回、旧正月の休みで日本に帰国した時、
家電量販店の大半で、中国の銀聯カードが使えることがわかり、
しかも、銀聯カードだと○%引きとうたっているお店もあった。

中国で仕事して、人民元を稼ぎ、
中国で買うと関税が高いから、日本に帰国したときに銀聯カードを使って、
割引を利用して買うのがいいのではないか、と思っている。
いずれにせよ、iPad3が発表されたら・・・、
3を買うか、安くなっていたら2を買おう。

さて、昼休みに『回転ドアは、順番に』(穂村弘、東直子共著)を読みながら、
「ぷふ~」と笑っていたら、周囲からすごく不思議な顔をされた。
マンガでもなく、文字でそんなに笑えるなんて、と。

いやいや、文字だからこそ、どこまでも想像がふくらんで、
よけいにおかしくなることがあるんじゃない。
勝手な妄想って、いい。

歌と詩でつづられているこの本は、
言葉と感覚が満ちて、裂けて、繋がっていて、とても素敵だった。
こんなふうに言葉が使える人たちは、
きっと現実の切り取り方が違うんだろう。

私も、回転ドアは苦手。
でも、上海のきれいなビルは、たいてい回転ドア。
中国人はお好きらしい。

えんぴつ

2012-02-29 00:01:05 | Weblog
私は鉛筆が大好きなので、
ちびた鉛筆は補助軸を使って、ぎりぎりまで使う。
もちろん鉛筆削りは使えない。
ナイフで削る。
ナイフは中2の頃から使っているので、かなりくたびれている。
また、そこが気に入っている。

いま、毎日、話しかける。
「もう、ナイフで削るのもきついかな。今日でお別れかな」と。
でも、まだいけるなあ、と思って、使い続けている。



ナイフの刃を、そーっとあてただけで、
補助軸からぽーんと弾けて行ってしまうようになるまで、
ぎりぎりまで、ひたすらねばる。

ふしぎなことに、どんなに仕事が忙しいときでも、
いろいろと考えなければならないことが多いときでも、
そして、少し不愉快なことがあったあとでも、
そんな気持ちで鉛筆を削る時、心がすーっと落ち着いて行く。

シャーペンの芯は、最後を1センチ以上も残して捨てることになる。
使いきれない芯の長さは鉛筆もシャーペンも大してかわらないのに、
シャーペンの場合は、機械的にカチカチと鳴らして、芯を引っ張って捨てる。
でも、鉛筆だと、このままとっておきたくなる。

そして、日本の我が家には、そんなちびた鉛筆が眠る瓶がある。
もうかれこれ、30年くらいの歴史をもつ、愛情のつまった瓶だ。

追いかけっこ

2012-02-28 00:49:41 | Weblog
上海に来てもうすぐ8ヶ月。
以前、留学していたころに比べると、時間が経つのがはやい。

仕事で知り合った人に「上海に来てどのくらいですか?」と聞かれると、
やっぱりまだ、本当のことを話すのが申し訳ないような気持ちになる。
なぜかというと、
ある程度責任がある仕事をしているのに、
それに偉そうに馴染んだふうな態度をしているのに、
本当はこんなに上海経験が浅いなんて、
なんともカッコがつかないという心理なんだろうと思う。

とはいえ、私が留学していたよりも前に中国に来たことがある人には、
まだほとんど出会ったことがないから、その点はネタとしていい。
でもそうすると今度は、「こいつ、いったい何歳だ?」という
すごく不信そうな目つきで見られるのが、また居心地悪い。

そして、昔も今も、
私が中国に長期滞在をしようとすると、
「家」が私を追いかけてきて、つかまえて、日本に引き戻そうとする。
むかし、留学していた頃は、
モンゴルの歴史がもっと勉強したくて、
内蒙古大学にでも編入しようかと思ったけれど、かなわなかった。

ようやく「家」が落ち着いたから、仕事で上海に来ると、
またまた「家」が追いかけてきた。
もしかしたら、そろそろ上海の環境問題等が本気でヤバくて、
日本に帰れというお告げなんじゃないかと思うくらいだ。

私は中国にいてはいけない、ということなのかなあ。
2回も連続だと、本当にそんな気がしてくる。
でもここで屈して日本に帰ると、
将来的に3回目にチャレンジして、
またもや追いかけられて引き戻されるような気がするから、
もう少しねばってみようかなあ。

幽霊

2012-02-26 12:33:04 | Weblog
いいことばかりが思い出せればいいのだけれど、
幽霊みたいに追いかけてくる思い出は、あまり思い出したくないもの。

そんなことを考えていた昨晩、
寝る間際にマルクスとエンゲルスによる『共産党宣言』などを読んでしまったので、
やさしい眠りから遠ざかってしまった。
しかも冒頭から「幽霊」についての記載。

そうだなあ。幽霊になるのは過去であって、未来じゃない。
今と将来を恐れ、自分が不当な扱いを受けていると思う時、
社会主義は素敵に見えるんだと思う。
でも、その同じ人が、自分が何かを持っていると思っているときは、
きっと資本主義のほうがいいんだろうと思う。

当然の権利というヤツを声高に言い出す時、
果たして相手を、ある特定の人たちを憎まずに主張することなんて、できるものなのだろうか。
個人攻撃にならず、仕組みを変えるようなフェアな会話ができるものだろうか。
そう考えると、明治維新はすごいな。

共産党による社会主義は、プロレタリアとブルジョアという二項対立が軸だったから、
つねに自分の死をひきのばすために敵を生み出し、
革命を生み出し続けなければならない、という自家中毒みたいなことになっている。
中国では、毎日のニュースで、共産党幹部の2代目たちの目に余る悪行が報道されているし、
そのいっぽうでウイグルやチベットでの「革命」が続けられている。

居心地がいい場所があると、人はそれを守ろうとする。
未来もずっと続くように願う。
幽霊が出て来ないように対処する。
現実がイヤな人はそれから逃れようとする。
でも、居心地がいい人も悪い人も、やっぱり過去の幽霊に追いかけられている。
「敵」っていうやつを設定した段階で、そうなってしまうんだと思う。

『共産党宣言』を読んで、一番イヤだったのは、
まるで現実を憎むように押し付けられているように感じたから。
ブルジョアの専横が鼻につくのはわかる。
私だって会社のオーナーのやり方に腹を立てることはある。

でも、じゃあ、ブルジョアって何?
お金持ちでも不幸な人がたくさんいることは、もうわかっているんだし、
それでは、ブルジョアが既得権を守るために行ってきたことの鏡に過ぎないんじゃない?
だって、幽霊は必ず追いかけてくるじゃない。
こちらは忘れた気になっていても、幽霊は忘れてくれないから。
死んでからも、幽霊は追いかけてきて、
そして、いま生きている者の思い出をむしばむ。
誰にも平等に幽霊は出てくるじゃない。

寛容であったら革命ではないのだろう。
でも、不寛容であったら、相互依存している人間の社会に、
また幽霊を増やすだけなんじゃないだろうか。

ダライ・ラマの言葉を読んだ後に、『共産党宣言』を読むと、
ますます仏教哲学が、非常に論理的に思えてきた。
だって、ぜんぜんヒステリックじゃないし、神秘主義じゃないし、
単なる理想主義でもないもの。
日本でいうところの「仏教」とは、かけ離れた仏教であることが、
日本人としては残念だけど。

土曜日の読書

2012-02-25 22:29:18 | Weblog
なんだか思っていたのと違うな、と思うこと。
上海に来る前は、北京のころの延長線上でイメージしていたんだけれど、
どうも印象が違う。

北京の人は、天下国家を論じるのが好きで、
「大漢民族主義」という印象を受けることも多いんだけど、
中国全土を見ているような雰囲気があった。

でも、上海の人は、上海という大きくて小さい都市の経済力だけを見ていて、
なんとなく、日本とは違った意味で、でも、すごく似たような雰囲気で、
島国根性だと思う。
「大上海主義」というか。

はじめは環境、つまり留学と仕事の違いかと思ったけれど、
いまは、そうでもない気がする。
外国人は多いし、生活水準も高いのに、
なんですごく、上海という土地が鎖国しているような印象を受けるんだろう。

住んでいる人の気質のせいかなあ・・・。
北京の人のほうがおおらかで、上海の人のほうがねちっこい感じもする。
北京のように、大々的に討論をして、最後に「算了」の一言で、あとくされない、
という雰囲気ではなくて、いつまでも、じとじとと反発しあう感じ。
時代の違いかもしれない。
かれこれ20年近く経つし、中国の社会もそれだけ複雑になったのかもしれない。

むかしよく、漢民族以外の人が、民族衣裳を着て列車で北京に来て、
天安門広場で記念写真を撮っていたけれど、いまもそうなのだろうか。
数年前にちらりと寄った天安門広場では、ウイグルの白い帽子以外は、
民族がわかるものを身につけている人がいなかったように思う。
いま、民族衣裳を着ている人、どのくらい残っているのだろう。

今日は、『ダライ・ラマ こころの自伝』(春秋社)を読んだ。
こういう本を読むと、学ぶべき言語を間違ったと思う。
中国語ではなくて、フランス語を学び、フランスに留学してから、
アジアに戻ってくるべきであった。

私がチベットへ行ったのは、2000年の1回きり。
あの時も漢民族の移住が進んでいて、チベット人は肩身がせまそうだった。
私におずおずと英語で書かれた文章を見せてきたラマの彼は、
いまも無事だろうか。

あの紙には、「チベットは中国によって蹂躙されています。
わたしたちラマは、仏教徒として学び、平和に生活するという基本的な権利さえ、
訴えることができません。あなたの救いを求めています」
そんなようなことが書かれていた。
きっと誰か、英語圏の旅行者が、彼らのために書いてあげたのだろう。

物乞いなのか、本物のラマなのか、わからなかったけれど、
すごく真剣な瞳だった。
日本人に、あんな目をした子はいないだろう。

そのときに持っていたみかんをあげたら、彼はものすごく喜んで、
たぶんチベット人にとって、最も丁寧なお礼を述べてくれた。
言葉は通じなかったけれど、その気持ちは伝わった。
その後、彼は、少し離れたところに駆けて行って、
大切そうにみかんをむき、年下の仲間に渡した。
私にその紙を見せたのは一番年長らしい、10歳くらいの子どもだったけれど、
独り占めしないで、まず年下の子どもにあげていたのが印象的だった。

本当はお金をあげたかったけれど、
ジョカン寺の近くで人も多く、どこで誰が見ているかわからない。
みかんなら、私も彼もとがめられることはないだろうと思った。
でも、あんなに仲間がいるのなら、もっとたくさんあげればよかった。

あの時は短い旅行だったけれど、お金にとりつかれたようなチベット人にも会った。
遠くから、ラサに巡礼に来ていた一家にも会った。
漢民族の下で働くチベット人もいた。

みんな、生活のために、いろいろな選択をしていたけれど、
自然に対する畏敬の念は、チベット人がもっている根本的なこころだと思う。
モンゴルやウイグル、チベット、どこも駆け足でしか回ったことはないけれど、
どこでも、代々その土地に暮らしてきた人たちは、すごく自然を愛し、大切にしていた。
宗教とは関係なく、私が彼らと似ていると思ったところだ。
そして、その自然に対する心の距離が、
一番、私と漢民族が遠いと思うところかもしれない。

そうはいえ、便利な東京で暮らして、
汚いものや危ないものは地方に押し付けているわけだから、
えらそうなことは言えない。

寝よう

2012-02-25 00:05:34 | Weblog
忘れたころに、というか、
予期しないものが出てくることがある。

私の場合、たいていは、亡き両親に関することなんだけれど、
人が1人生きて、そして逝くというのは、
本当にたいへんなことなんだと思う。

こんなことが、何億年も生命が続いてきた間に繰り返され、
そして、この先も続いて行くのだろう。
続いて行くのであれば、この先はよいことが増えればいいと思う。

よいことというのは、名声や財産をのこすということではなくて、
その人のことを思い出したときに、
心の中が穏やかに、やさしく、あたたかくなるきっかけのようなもの。
だから、人は完璧に正しくある必要はない。

とはいえ、ため息も出るわなあ。

びっくりするようなことがあった日は、
あたたかくして、明日が土曜日であることに感謝しながら、
ゆっくり深呼吸して寝るべし。

そこに干すかよ

2012-02-23 23:35:33 | Weblog
上海の安アパートは、建物の入り口のカギがオートロックでかかる。
ほとんど肉体労働者しか住んでいないのに、すごく安全!
なのだが、ほとんど誰かが開けっ放しにしているので、侵入は容易。

大勢で部屋をシェアしている場合、
ピンポーンと鳴らす→部屋の中にいる人が解錠する、
というのが面倒だということらしい。
さすがに、夜遅くに帰ってきたら閉まっていたから、
最後の1人が帰ってきた頃に、ちゃんと閉めるんだろう。

まあ、気持ちはわかる。
大勢でこたつに入っているときに誰かが立ち上がると、
必ず「あ、私の分もトイレに行ってきて」と言う人がいるのと同じだ、と思う。

入り口の外側には、郵便ボックスがあり、
郵便物が濡れないようにということなのか、
郵便ボックスの上にだけ、ちょっとした屋根がついている。

そう。中国人の論理で言うと、
これは、洗濯物を干すのに最適!ということになる。
屋根があるので、雨が降っても濡れないから。
ということで、誰かがよく、洗った服を干している。

手洗いのようで、脱水があまく、
おかげで、水がボタボタたれている。
運悪く、まだ水がしたたる時間帯にあたってしまうと、
そんな洗濯物をかき分けながら、郵便ボックスを開くことになる。
私の場合、そこまで大切な郵便物が届くことはまれだから、
そういう日は諦めることにしている。

公共の場という概念はない。
「そこに洗濯物が干せるから、干すのさ」ということ。
自由な人たちだなあ。

悪いことしたなあ

2012-02-22 23:27:49 | Weblog
昨日は熱燗をたくさん飲んだおかげで、風邪が撃退された、っぽい。
もう咳もほとんど出ない。
風邪をひいたら、体温をあげるのが一番だけど、
お風呂につかることができないので、熱燗は有効だ。

ちなみに、もうかれこれ20年以上、38度を超える熱を出したことがなく、
自力で発熱して撃退することができない。
これもきっと、一人暮らしをしている緊張感のせいだろうと思う。
上海は、先週末少し晴れたものの、今週もまた雨が多くて、蒸し暑さがあり、
ビル内の暖房の効きもムラがあるので、風邪をひきやすい感じだ。

風邪をひいた感触も、
東京の乾燥した冬の風邪ではなくて、梅雨の時期の風邪みたい。
北京の冬とも、また全然違う。

先日、スーパーで買い物をしていたら、
徘徊老人のようなおばあさんに声をかけられた。
最初上海語だったので、「上海語、わかりません」と言ったら、
次に普通語で、「私は、友人と一緒に出てきたんだけど、
どこかではぐれて、ここまで来て、どうやって戻ればいいのかわからなくなった。
ここはどこで、どうやって帰るんだろう」みたいなことを言われた。

顔を見ると、純真そうだけれど、「ごめん、わからん」と答えると、
「そう・・・」と、そのままクルリと回れ右して、
近くにいた別の人に同じように声をかけていた。

次に声をかけた人は中国人で、当然無視。
かかわり合いになりたくないからか、駆け足で逃げた。
そして、おばあさんは、いろいろな人に声をかけながら、去って行った。

かわいそうなんだけど、かかわり合いにならないようにするのが中国。
たとえば急に具合が悪くなって救急車を呼んだら、
呼んだ人が、救急車代、病院代のすべてを負担してあげなければならないこともある。
ここが日本なら、交番まで連れて行ってあげるところだが、
公安に連れて行ったところで、丁寧に応対してくれる保証はなく、
逆の可能性のほうが高い。
特に私は外国人だから、「いちゃもん」つけられるかもしれないし。

私も、つめたい中国人の仲間入りをしてしまったことに、
すごく罪の意識を覚える。
あのおばあさん、ちゃんと帰れたかなあ。
やっぱり、悪いことしたなあ。

男らしい

2012-02-22 00:50:22 | Weblog
自分でも、オッサン化していることは自覚してる。
でも、やっぱり「この人は、男だから」と、
面と向かって男性から言われると、
どのへんが男に見えるのかなあ、と気になる。

まあ、そのあたりの評価は、
日本で働いていた頃と、たいして変わらないということで、
私というキャラはそうなんだろうと思う。

そのあたりの評価も、素直に楽しめるようになったのが
年の功。
とはいえ、どのへんが? と聞きたい気持ちは変わらない。
聞いた上で、その言葉に怒るか、楽しめるかの変化だ。

とりあえず、お褒めの言葉と受け取っている。

女々しいは、男性に対して使う言葉。
だから、女々しい男ばかりのところに、男らしい人がいる。
それだけ希有な、かっこいい男性なんだよ、ということなんだろう。

ということで、男らしいという言葉は、
女性に対して使っても、十分かっこいい言葉なんだと思っておく。

中国人との会話

2012-02-20 21:47:46 | Weblog
キリンの一番搾りを飲んでいる。
だんだん担当している仕事の内容が複雑になるにつれて、
日本でそうしていたように、家に帰ってから缶ビールを飲みたくなる。
またしても、私には仏教の戒律が守れない。
いっそのこと下戸ならよかったのに。

昨日、仏教関係の本を読んでいたおかげで、
今日は月曜日にもかかわらず、比較的、心が穏やかに過ごせた。

初めて会話をした上海人とも、比較的スムーズに話せたと思う。
相手が何を心配していて、何を私に伝えたいのか、
非常にわかりやすかった。

中国人は、会話の仕方がハデなことが多く、
日本人はまずその雰囲気にのまれてしまうけれど、
相手の気持ちの流れを冷静に眺めれば、
言葉上の強弱とは違うものが見えてくる。

そういう意味では、中国人のほうが、日本人よりもわかりやすい。
日本人は、とにかくまったりしていて、読みづらい。
中国人は、声が大きいからと言って強調したいとは限らず、
その目の動き、ちょっとした頬の筋肉の動かし方で、
言葉が先なのか、思考が先なのかがわかる。
お互いに相手の目を見つめながら話すだけに、明解だ。

ただ、この「ガン見」しあうことに、日本人はあまり慣れていない。
思わず目を背けてしまうので、
相手の手振りや声の高ぶりだけが印象に残り、
相手の真意を汲むことが難しくなってしまう。

ということで、中国人が大声を上げている時、
それが本当の「大声」なのかどうか、ちゃんと見極める必要がある。
意外と、ポイントは日本人が思っているところとズレていることが多い。