ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

フリー チベット その2

2010-01-19 21:43:07 | Weblog
昨日は、あまりに個人的に動揺してしまったため、
ただ「フリー チベット」としか書かなかったけれど、
今日は少し落ち着いて、その理由や最近考えていることをまとめてみたい。

昨日の日中、ちょうど『雪の下の炎』という本を読み終わった。
バルデン・ギャツォというチベットの僧が、
自身の30年にわたる獄中生活を中心に書いた本だ。
中国政府による不当な逮捕、投獄、強制労働などの実態を記録している。
たいへん理知的で、単なる残酷シーンのオンパレードではない。
もちろん、30年にも渡ることなので、記憶違いもあるだろう。
でも、そこでの中国側の行動や詭弁は、他の記録でもよく目にするものだし、
かなりの信憑性があると思う。ぜひ一人でも多くの人に読んでもらいたい。

2000年、今から10年前に、私がチベット旅行のための手続きを始めたとき、
日本の旅行社で、ラサに入るための特別な申請書を書いた記憶がある。
職業の欄に「出版社勤務」と書いたら、受付の人に、
「あ、これ、報道と勘違いされてはねられますから、書店勤務に修正しておきますね」と言われた。

きっとツアーに参加するのなら、そんな申請書は不要なのだろう。
私は入国日は決めていても出国日を決めていない、といういわゆるバックパッカーで、
ラサから出る日も出る方法も決めていなかったから、なんだかいろいろと面倒だったように思う。
ただ、「取材」なんていうカッコいいものではなくて、本当に単なる個人旅行だった。

ラサについたとき、
市街道路の辻には、必ず武装した人民解放軍が立って、市民を睥睨していた。
こんなに解放軍が偉そうにしている土地は、初めてだった。
北京や上海の雰囲気をもとに、ラサを考えてはいけない。改めてそう思った。

ノルブリンカという、昔はダライ・ラマが離宮として使っていた庭園に行った時、
巡礼に来ているチベット人の一行がいた。
私が一人でふらふら歩いていると、子どもたちが寄って来た。
まったく言葉は通じないけど、なぜか妙に打ち解ける。
最初は少し警戒していたけど、下心はまったくないようだったので、
次第にカメラのシャッターを押させてあげたりして遊んだ。
本当に礼儀正しくて、大人も子どもも無邪気だった。

木陰で一緒に、みかんを分け合って食べていたら、
一行をまとめているらしきおじさんが、私の顔をじっと見ている。
なんだか直観的に、私は「あ、ダライ・ラマの写真を見たいんだ」と思って、
周囲に誰もいないことを確認してから、そっとガイドブックに載っている写真を見せた。
交替しながら、みんなで何分間も眺めていたけれど、表情には何もださない。
ただ、見ている。仲間同士で言葉も交わさない。
それまで饒舌に何かを話していた人たちが、急に静まり返った。

一瞬、ダライ・ラマの顔を知らないんじゃないかと、思った。
でも、まばたきするのも惜しいような真剣さで、じっと見つめている。
そして、その後すぐに、これがどれだけ危ない行為なのかを知った。
ふつう日本で、例えば天皇の写真を数年ぶりに見たら、
「あらー、老けたねえ」とか、「元気そうだねえ」など、絶対何か会話をする。
彼らの反応が何もないこと。反応できないこと。これが本当に恐ろしかった。

ジョカン寺の前では、10歳くらいの僧服をまとった子が、周囲をはばかりながら寄って来た。
英語で中国人の横暴が書かれていた。
あの子が英語を書けたとは思えないから、裏には大人がいるのだろう。
でも、そんな理由はどうでもいい。
確実に飢餓は続いている。それがわかるような血色の悪い顔をしていた。
まだ残っていたみかんを2つ、その子の手に乗せた。
パッと瞳が輝いた。
そうだ。特に子どもは、ちゃんとお腹いっぱいにならなければ。

1週間くらいラサをぶらぶらして、
その後、ギャンツェやエベレストのベースキャンプを通ってネパールのカトマンズに抜けた。
多くの破壊されたお寺を見た。僧坊を見せてくれたお寺もあった。
でも、若い人がたくさん戻って来ていた。
というか、若い人が多く、本来ならば彼らを教えるべき年齢層の人たちが極端に少ない、
という印象も強く受けた。
きっと多くの智慧が、途切れてしまったのだろうと思う。

以来ずっと、なんとなく、またラサには戻らなければならないなあ、と思いつづけている。
私が訪れた場所の中で、一番空気が殺伐としていたところ。
到着してすぐ、チベットで中国語を使うことのはやめようと感じ、
下手な英語のほうが、よっぽど気が楽だったところ。

確かに、チベット人の中には、中国国民であるほうがいい、と考えている人もいるだろう。
うまくやっているチベット人も大勢いるだろう。
でも、権力の側にいるから、財力をもったから、だから軍隊が往来の真ん中で偉そうにしている、
自分の住む町がそんなでもいいんだなんて、もし思っている人がいたとしたら、
それは、中国人であれチベット人であれ、あまりにも悲しいことだと思う。
私は自分の故郷がそんな姿だったらイヤだ。

だから、そろそろ自分でもチカラになれることがあったら、
チベットのために、何かがしたいと強く思うようになってきた。
これまでも、亡命したチベットの子どもたちのために、
学費の寄付などはしてきたけれども、もっと積極的な何かがあるのではないか、そう思えて来た。

そんなことを考えていた昨日、夜に会った人たちから、
「上海での仕事を手伝ってくれませんか? メインメンバーとしてお願いできませんか?」
という、たいへん光栄でありがたいお話をもらった。
でも、報道ならまだしも、一般的な商売をしながら「チベット解放」の運動をしたら、
仕事仲間に迷惑をかけてしまうと思う。
それが怖かったので、これまで積極的な行動をしなかった。

それに、中国国内に住んでいる中国人と「チベット解放」の論争をするなんて、想像ができない。
というか、論争にならないような気がするし。

うまく両立させる方法があるのだろうか。
上海なんて共産党のイデオロギーなんて関係ないカオスだから、
「チベット解放!」と言いながら仕事することもできるような気がするけど、
なんとなく、もう少し考えてから行動した方がいいと思う。
これが今日のところ。

フリー チベット

2010-01-19 00:06:23 | Weblog
私は中国共産党が大嫌いだ。

最近、多くの人に、中国へ行ってビジネスをしたら?
と言われる。

自分でも、その可能性はあると、ずっと思っている。

でも、中国共産党と人民解放軍に対して、
生理的な嫌悪感がある。

「フリー チベット!」と叫びたい。

この矛盾を超えるべき手段をずっと探している。

ただ、1つだけ私の根幹に関わる部分として、
考えることがある。
それはまだ、具体的な方法論を見いだしていないけど、
少し考えてみようと思っている。

ああ、共産党が大嫌いなんて書いたら、
次に中国へ入国する際、マークされるのかな。