ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

言われてこまる言葉

2010-01-26 21:30:52 | Weblog
言われてこまる言葉。
たくさんあると思うけど、私は「かわいそうだね」が、一番こまる。

べつに自分のことを「かわいそうなヤツだ」なんて思っていないのに、
他人から「かわいそう」と言われると、どうリアクションしたらいいのかわからない。

ある人:「きみは、かわいそうだねえ」
わたし:「そうなんです。わたし、かわいそうなんです」
あるいは「いえいえ。わたしはぜ~んぜん、かわいそうじゃないですよ」
どう頑張っても、会話として噛み合ってないような気がする。

先日、ある人から「だから、きみはかわいそうだよね」と言われて、
その人とは、今後つきあうのをやめようと思った。
恩を仇で返すようで申し訳ないけど。

いい人なんだと思う。
だけど、一緒にいたら価値観を押し付けられるんだろうな、と、強くおそれた。

正直なところ、これまでに何度か自分のことを「不運」だと思ったことはあるけど、
「不幸」だと思ったことはない。

私にとっての「不運」は、一時的なもので乗り越えられるもの。
そして、そんな自分を少し突き放して見ることができるし、
ユーモアを交えて語ることもできる。

いっぽうの「不幸」は、「不幸」という状況に逃げ込みたいから作り出すもの。
「不運」に比べて、自分で作り出した幻想。膠着した状態。
そして、私にとっての「かわいそう」は、「不幸」に近い感覚。

例えば、ヒマラヤを越えて命がけで亡命して来た子どもたちに、
「不幸だよね。かわいそう」と声をかけたとする。
それに甘える子もいれば、「そんなことないよ!」と突っぱねる子もいるだろう。

突っぱねる子は、本気で自分のことを「不幸だ」などと思っていないだろう。
亡命して来たこと、その道のりを超えて来たことにすごく自負心があり、
だからこれから先も頑張れる、と信じているかもしれない。
そんな瞬間に、「不幸だね。かわいそうだね」なんて言葉をかけることはできない。

それは、こちらが決めつけたレッテルだ。
「この人にはこうあってほしい」というあらゆる願望が表面に出てくる瞬間、
「かわいそうだね」という、一見やさしい言葉になることがある。